ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【受講】山本勉氏「院派仏師~近世まで生きのびたもうひとつの老舗ブランド~」2019年1月26日

 2019年1月26日、清泉女子大学の一般向け一日講座で山本勉先生の講義を受講しました。タイトルは「院派仏師~近世まで生きのびたもうひとつの老舗ブランド~」。
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 「もうひとつの老舗ブランド」という言葉の裏に、運慶や快慶の活躍した慶派だけではなく、院派も注目すべき仏師の系譜だという思いを感じます。私のわずかな仏像めぐりの経験の中でも、院派仏師の名前は近畿(京都の法金剛院や蓮華王院、六道珍皇寺など)のみならず、関東(横浜称名寺や浜松方広寺など)でも耳にしました。しかも、その時代も平安末から江戸まで長期間に及びます。
 とはいえ、これまで院派についてまとめて学ぶ機会がなかったので、この講座を聴講することにしました。濃密な2時間でした!
 復習を兼ねて、受講内容を以下のとおりまとめした。※注意!)私の理解不足や聞き間違いなどにより、大小問わず間違いがあるかと思うので、その旨申し添えます。間違いがありましたら、お知らせいただけますとうれしいです。

山本勉氏「院派仏師」受講メモ

1 仏師と定朝流

 講義ではまず、「仏師」という言葉の変遷について説明があった。
 奈良時代までは、「司馬鞍作首止利仏師」(法隆寺金堂釈迦三尊像銘記、623年)、興福寺西金堂を手がけた「仏師将軍万福」(造仏所作物帳、734年)など、「仏師」とは、工人組織の長を指す言葉だったと考えられ、官僚組織に属していた。両者は渡来系一族の出身だったことも特徴である。奈良時代末頃には「仏師武蔵村主多利丸」(日本霊異記)など、民間にも「仏師」の使用例が見られるが、いずれも俗名に過ぎなかった。
 平安時代前期に入ると、仏師は僧名となり、僧籍を持つ者に限られるようになる。「仏師明定」(830年、叡岳要記)、「仏師妙広」(833年、知恩院本瑜伽師地論 奥書)、「仏師仁算」(863年、叡岳要記)などの例があり、当初は寺院に属したと見られる。
 平安中期10世紀に至って、康尚(こうじょう)が初めて独立した仏師工房を立ち上げる。康尚は998年、土佐講師(講師とは地方の僧官。必ずしもその地方に在住したわけではない)に任命されたあと、藤原道長のために浄妙寺三昧堂普賢菩薩像(1005年)のほか、法性寺五大堂五大明王像(1006年)を造立した。法性寺の不動明王坐像は京都の同聚院に現存する。
 康尚を引き継いた定朝(?~1057年)は、藤原道長、頼道親子のために法成寺や平等院の造仏を行うなかで、法橋、法眼という僧綱(そうごう)を得た。僧綱とは、仏教行政を統括するために国家が任命する僧官を指し、学識や年臈(受戒してからの年数)を積んだ僧の高い位として貞観6年(864年)に制定されたもの。上から法印(ほういん)、法眼(ほうげん)、法橋(ほっきょう)がある。仏師に僧綱が付与されたのは前例のない破格のことだった。
 定朝は、法橋として法成寺の諸仏を造り(法成寺の金堂大日如来、五大堂五大明王、薬師堂七仏薬師。1022~1023年)、法眼となってから平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(1053年)を造った。天皇家の出身ではない道長にとって、法成寺には摂関家の神聖化を強調する役割があった。仏師である定朝に僧綱を与えた背景として、摂関家が仏像と寺の権威強化を狙ったと考えられる。

2 院派の創始

 康尚と定朝のあと、仏師の系図は覚助と長勢を経て三つに分かれ、奈良仏師、院派、円派の三派が成立する。

       | ーー頼助ー康助(奈良仏師)
定朝ーー覚助ー
   |    | ーーー院助ー院覚(院派)
   |    
   |
   | ー長勢ーーー円勢ー長円(円派)

 定朝の子、覚助は法橋(1067年)、法眼(1070年)となり、1077年に没した後、そのグループは奈良仏師と院派とに分かれた。
 一方、定朝の弟子だった長勢は法橋(1065年)、法眼(1070年)、法印(1077年)と進み、1091年に没した後、その派閥は円勢、長円へと引き継がれ、円派となる。長勢の遺作に京都・広隆寺の日光月光菩薩十二神将がある(※スライドで写真が提示されたのだが、広隆寺宝物館の入り口付近におられる像だったように思う...薬師如来秘仏のはず)。
 なお、これまでは奈良仏師が定朝の直系とされ、院派と円派は傍系とされることが多かったが、院助の系統(院派)を定朝嫡流(直系)とした武笠朗の研究(『週刊朝日百科国宝の美』25彫刻9所収2010年)は注目に値する。

 定朝の仕事はこれら三派にどのように引き継がれたのか。院派は摂関家藤原氏)に関係する平安京と周辺の寺院の造仏を引き継ぎ、奈良仏師は摂関家の氏寺である興福寺を担った。円派は、院政政権の樹立(白河上皇1086年~)によって大きな権力を持ち始めた宮廷関係の仕事を手掛けた。初期の円派(円勢、長円)の隆盛にはそうした背景がある。(ちなみに、円勢と長円の作として仁和寺の国宝薬師如来坐像がある)

 平安後期の院派の系譜は次のとおり。

院助ーー院覚ーーー院朝
       |
       | ー院尊

院助(1077法橋、1105法眼)
院覚(1130法橋、1132法眼)
院朝(1161以前に法印、桓武平氏の一党、院覚の猶子?)
院尊(1178以前に法印、1198没)

 この時期にどのような仏像が造られたのか。
醍醐寺閻魔天像(待賢門院御仏、93.9センチ)は院覚周辺の作と推定される(※サントリー美術館醍醐寺展で感動したお像だ!)。
〇確実なところでは、京都・法金剛院の阿弥陀如来坐像(待賢門院発願、1130年に供養、224センチ)が院覚の作。
〇また、後白河上皇の時代、1164年に供養された京都・妙法院蓮華王院(三十三間堂)の千手観音菩薩像は、奈良仏師康助の主宰のもと、三派仏師が参加したと考えられる。

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法金剛院の阿弥陀如来坐像(写真は法金剛院さま公式サイトより)

3 南都復興と院派

 1180年、南都炎上により、大仏を始め東大寺興福寺の堂宇が焼失する。南都の復興が開始される時点で優位に立っていたのが院派だと考えられる。興福寺の講堂と金堂(中金堂)の造像を院尊が独占しようとしたところ、1181年6月、円派の明円と奈良仏師嫡流成朝が訴え出て、同年7月、以下のような分担により造像が開始された。
興福寺 金堂=明円(円派)、講堂=院尊(院派)、食堂=成朝(奈良仏師)、南円堂=康慶
 院尊が南都で優位だった背景として、造興福寺長官である藤原兼光が院派仏師と姻戚関係にあったことが関係するのではないか。東大寺大仏の復興において、鋳造を手掛けたのは宋出身の陳和卿だが、頭部の原型を手掛けたのは院尊ではなかったか。この頃までは院尊が南都復興の中心だったのではないか。
 また、院尊が手掛けたと考えられる像に以下がある。
〇京都・長講堂の阿弥陀如来と両脇侍像(1183~1185頃。阿弥陀174.2cm、左脇侍96.9cm、右脇侍95.1cm)
後白河院の六条洞院の仏堂にあったが、文治4年(1188年)に六条殿焼亡。再興時に院尊が安置した。

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長講堂の阿弥陀三尊(写真はhitabutsuさんのブログより)

4 鎌倉時代の院派

鎌倉前期
1198 院尊没
1199 院実が法印に(※運慶が法印になったのは1203年)
1207 最勝四天王院供養。院賢の舞楽面(現存する=東大寺最勝四天王院遺物)
1215 後鳥羽院逆修(本尊仏師は院実、湛慶、院賢、快慶。つまりは、院派仏師の中に慶派仏師が紛れ込んで仕事をしていた...)
1221 承久の乱

鎌倉中期
1223 院範(いんぱん) 宝積寺(京都府大山崎町)十一面観音立像(182.2cm)※やさしく眠っているような表情。保守的な表現
1252 院智(いんち) 仁和寺京都市)悉達太子坐像(53.6cm)※昨年の仁和寺展に出展
1266 院恵・院承・院継ら 蓮華王院本堂供養 ※1249年の焼亡による再建(中尊は1254年、湛慶による)
 蓮華王院千体仏の造像においては、以下のように院派が最も人数が多い。作風の観点からは、慶派は新様式をとりいれ、院派は保守的。円派はその中間の作風である。
 慶派=仏師4人、像数22
 院派=仏師12人、像数104
 円派=仏師4人、増数43 

鎌倉後期 1(地方や奈良へ)
1268 院快 釈迦・阿弥陀(山口 二尊院
1269 院快・院静・院禅 阿弥陀如来(滋賀 来迎寺)
1270 院豪・院快・院静・院禅 阿弥陀如来(島根 清泰寺)など
1277 院恵・院道 聖徳太子(奈良 達磨寺)
1289 院湛 奈良秋篠寺の仏像4躯(伎芸天など、頭部は乾漆のもの)

鎌倉後期 2(真言律宗とのかかわり)(東国へ)
1308 院保・院吉・院興 釈迦如来立像(横浜・称名寺)※金沢文庫で時々展示される清涼寺式のもの
1319 院えん(「えん」はさんずい+宛)・院吉・院教など 十一面観音(京都の法金剛院)

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法金剛院の十一面観音坐像(写真はお寺のサイトより)
1332 院誉 十一面観音(慶珊寺 神奈川)

5 南北朝時代の院派

足利将軍家の仏師、院吉・院広

1352 院吉・院広・院遵 釈迦如来および両脇侍像(浜松 方広寺

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方広寺の釈迦三尊(写真は方広寺のサイトより)

6 その他の院派

別系統の「覚」字をもつ院派の仏師
1451 覚伝 愛染明王像(京都・西正寺)
1543 覚継・覚吉 足利義殖像(冬持院昭堂)など

江戸時代の「院吉末裔」院達
1653~1673の事績の知られる藤原種次(=吉野右京)と1677~1696の事績の知られる院達は同一人物らしい。湛海(1629~1716)の助作もつとめる。
1689年の小野篁・冥官・獄卒像(京都・六道珍皇寺)が代表作。篁像が220センチ、冥官・獄卒像は140センチ。

以上

【多摩仏】深大寺の毘沙門天立像と元三大師坐像

拝観日=2019年1月19日
お寺=深大寺(東京都調布市
仏像=毘沙門天立像(平安、市指定文化財
その他=元三大師坐像のポスター

平安の毘沙門天立像

 調布の深大寺で、1月に公開される毘沙門天立像にお会いしてきました。
 深大寺といえば、国宝の白鳳仏、釈迦如来椅像が有名ですが、他にも調布市指定文化財の仏像が3躯おられます。本堂におられる本尊の宝冠阿弥陀如来坐像、元三大師坐像(秘仏)、そして、毘沙門天立像です。

 毘沙門天さまは、1月の間に限り、釈迦堂で、国宝の釈迦如来さまと並んで公開されています。調布の七福神としてのご開帳のようです。ガラス越しでしたが、よく拝めました。

 毘沙門天さまは40センチ強の小像ながら、大変素晴らしいお像でした!
 ずんぐりむっくりでありながら、動きのある立ち姿。お顔の表情も、くしゃっとして独特です。目つきも最高。深く窪んだ目から、遠くを睨みつけていました。
 堂内の説明に平安後期と書いてありましたが、胴回りの厚みからもう少し古風な感じもします。

 実は、この毘沙門天さまにお会いするのは初めてではありません。ずいぶん前に、釈迦堂の内部に入れる機会があり、その時にお会いしてるはずなのです。しかし、その際には、この毘沙門天さまの素晴らしさが分からなかったのだと思います。

 今回改めてお姿を拝し、白鳳仏とはまた別の素晴らしさがあると感じました!

 毘沙門天さまの画像を探したところ、こちらが見つかりました。調布市郷土博物館による資料です。少し見づらいですが、現地では撮影禁止でしたので、この写真でどうかご勘弁ください...(2019.01.21追記)
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 この資料にあるように、2011年に東京藝術大学大学院保存修復研究室(藪内佐斗司教授)で修復されたそうです。資料の左の写真が修復前、右手が修復後です。後世の修理で損なわれていた尊容の回復を目的に修復したと記載されていますが、見比べると確かに、勢いのあるお姿となったと思います! そして、私が以前お会いしたのは修復前だったこともわかりました。(2019.01.21追記)

 修復された貴重な平安仏です。1月以外にもご開帳の機会があればと思いました。



元三大師坐像

 今回、深大寺をお参りして、とても驚いたことがありました。それは、境内に貼られていたこのポスターです!
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 えええっー、と声を上げそうになりました。厳重なる秘仏であり、写真でさえ出回っていないと思っていたからです。
 この元三大師坐像は、比叡山から移された自刻像と伝わり、像高はなんと2メートル。上人の坐像としては異例な大きさです。
 元三大師さまの50年ごとのご遠忌に開帳されており、25年の半開帳が2009年に行われました。その時のポスターがこちらです。
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 2009年のポスターでは、お顔が完全に隠されています。これでは表情が分かりません。開帳期間も一週間のみ。つまりは、厳しいご開帳です。私は多忙にかまけて行けなかったのですが、後日、お参りした人の話を聞くと、皆さん口をそろえて「とんでもないお像だった。大きくてびっくりした」とおっしゃいました。
 こういう経緯から、よっぽど霊力の強い秘仏なのだろうと思っていた訳です。それゆえに、お顔やお姿をたやすく人目にさらさないというのが深大寺さまの方針なのだと思っていました。
 ですので、今回のポスターには驚きました。斜め後方からのショットながら、元三大師さまのお顔の表情が伺える写真が、境内に堂々と掲示されていたのですから! この方針変更は何なのでしょう。深大寺さまに何があったのでしょう。誰がいつ写真を撮られたのでしょう。
 そして、次のご開帳はいつなのでしょう!? 25年ごとだとすると、次は2034年…。かなり先です。その前に特別開帳があることを願うばかりです。

2018年11月の仏像拝観リスト

 2018年11月はまず、3日の文化の日に、東京都品川区と神奈川県秦野市のお寺へ。品川の海蔵寺の菩薩形坐像の特別公開は、都内で平安仏を拝める貴重な機会だった。秦野の東光寺の薬師如来さまは12年に一度、寅年のみのご開帳仏だが、山門と仁王さんの修復が終わったこともあり、秦野市文化財公開期間中に特別に公開された。
 16日は奈良の當麻寺で導き観音さまの法要に参加した後、岡山へ。17日朝から仏像リンクさんの岡山オフ会に参加し、瀬戸内市の諸仏をめぐる。
 大賀島寺のご開帳がメインだが、二十五菩薩練供養のファンとしては、弘法寺の再訪に興奮しすぎた。日本三大練供養のうちの2か寺、當麻寺弘法寺に二日続けて参拝できたことが嬉しすぎた。練供養が素晴らしいお寺は、練供養が行われない時にお参りしても素晴らしいのであった! 弘法寺阿弥陀さまの写真は、オフ会に参加されたゆう1さん撮影。被仏さまは薄暗い堂内で、踟供養のときとは違う表情をされていた。
 また、瀬戸内市宝光寺の薬師さまはまったくノーマークだったのだが、その静謐な不思議さにかなり惹かれた。
 23日には伊豆半島の南部へ。9月に行く予定だったのが台風で延期となり、ようやく行くことができた。手配してくれた仏友さんに感謝することしきりである。ありがとうございました。

2018年
11月3日
東京都品川区
海蔵寺・菩薩形坐像の特別公開

東京都品川区
行慶寺・阿弥陀如来坐像(17世紀、区文化財
浄土宗。隣地に八幡神社

神奈川県秦野市
東光寺
薬師如来立像(建長8年、1256年の銘あり。一日造立仏と考えられる。128センチ 市指定文化財
聖観音立像(平安。85.5センチ 市指定文化財

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秦野市文化財特別公開。山門と仁王像も修復されました。薬師様は12年に一度の秘仏です

11月16日
奈良県
奈良市・大安寺
十一面観音さまご開帳(初)と収蔵庫の仏像群(2回目)

奈良市興福寺中金堂(落慶おめでとうございます)
※おちゃのこ干しいもかき氷

葛城市・當麻寺
中之坊の導き観音さま(十一面観音護摩祈祷のため参拝)
曼荼羅堂のご本尊當麻曼荼羅、織姫観音、元被仏だった阿弥陀如来立像
金堂、講堂

11月17日
岡山県
仏像リンク岡山仏オフ会1日目
岡山県瀬戸内市

〇真光院西寺
 胎蔵界大日如来坐像(市指定、鎌倉時代
 千手観音立像(市指定、鎌倉時代)(鎌倉)

弘法寺・遍明院
 五智如来(平安12世紀、重要文化財
 被仏の阿弥陀如来立像(鎌倉時代、県指定)

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中が空洞になっており、練供養のとき、この中に地元の男性が入ります。その動きは実にチャーミング。練供養は毎年5月5日です!(写真はゆう1さん)

弘法寺常行堂
 阿弥陀如来坐像(市指定、282センチ、八角裳懸坐)

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ついに会えました! 写真はゆう1さんの力作です

弘法寺・東寿院
 阿弥陀如来立像(快慶、重文)

※2015年に練供養(弘法寺では「踟供養」と表記)を訪れたときのブログはこちらから
岡山県瀬戸内市 弘法寺の踟供養(阿弥陀来迎会) : ぶつぞうな日々 PARTII


宝光寺
 薬師如来坐像(市指定、11世紀?)

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平安中期の感じが漂っていて、ものすごく惹かれました(筆者撮影)

〇餘慶寺薬師堂
 薬師如来坐像
 聖観音立像(平安前期、重文)
 十一面観音立像(県指定、平安後期12世紀)

〇大賀島寺
千手観音立像(平安前期、重文、122.7センチ)

11月18日
東京
〇勝林寺落慶法要、ご本尊開眼法要
〇池袋大仏

11月23日
静岡県

河津町・善光庵(十一面観音立像)
【静岡】河津町・善光庵の十一面観音立像 - ぶつぞうな日々 part III

河津町・伊豆ならんだの里 平安の仏像展示館

下田市長谷寺阿弥陀如来坐像)

南伊豆町・正善寺(大日如来坐像)

下田市・稲田寺(阿弥陀三尊)

下田市・天神神社(大日如来坐像 美しすぎた)
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下田市上原美術館「伊豆の平安仏~半島に花ひらいた仏教文化~」
学芸員の田島さんにご説明いただく。裏話など伺え、勉強になった。南禅寺から流出した仏像の展覧会をお願いしたいと思った)

伊豆市修禅寺(日没後に到着。山門ライトアップで、藤原時代の仁王さんにお会いできた!)
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11月27日
東京・九品仏浄真寺

2018年10月の仏像拝観リスト

 2018年10月はまずは山梨県大善寺のご開帳へ。この薬師三尊が大好きです。13日には仏像リンクのブラ参りで埼玉県川口市安楽寺へ。近くに住んでいたことがあるのですが、このお寺のことはまったく知りませんでした。20日龍見寺はお寺様から法要があると伺い、お参りしました。何度でもお参りしても、大好きな大日如来さまです。
 27~28日には滋賀県米原市で西円寺のご開帳と大津の展覧会を第一目的に計画しました。京都の浄土宗寺院公開のあと、のんびりと滋賀県内の仏像をめぐる予定だったのですが、26日の夜行バスに乗った瞬間に「奈良県宇陀市で菩薩さまとお散歩」という記事がTwitterのTLに流れてきてしまいまして、急きょ、滋賀と宇陀を往復することになりました。だって、菩薩さまとお散歩したいではないですか…。
 平成生まれのこの練供養は、手作りのお面や装束を使った低予算のものながら、真面目で感動的な練供養でした。拝観するご縁がいただけたこと大変ありがたく存じます。そして、現地で確認したところ、正式名称は「菩薩さまとお散歩」ではなく、「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」でした。この文字の幟を見たとき、胸がじーんとしました。

2018年
10月7日
山梨県
大善寺 薬師三尊ご開帳
放光寺
恵林寺
【山梨】大善寺ぶどう薬師さまのご開帳(2018年) - ぶつぞうな日々 part III


10月8日(体育の日)
大報恩寺展@東京国立博物館(前半。一回目)
琵琶湖長浜観音ハウス(宝厳寺の十一面観音)

10月13日
埼玉県川口市
安楽寺 大日如来坐像(平安後期)

10月18日
秘密

10月20日
八王子・龍見寺 大日如来坐像
日吉八王子神

10月27日
京都市
三十三間堂(国宝指定を機に二十八部衆のお並びが変更に。私の推し、大弁功徳天さまが湛慶の中尊の横に...!)

京都浄土宗寺院特別大公開
蓮光寺(伝快慶の負別如来さま、二度目の拝観。ご住職のお話いつも楽しい)
○上徳寺(市指定の阿弥陀如来立像。唇に水晶を貼るなど平安末期から鎌倉時代の生身信仰に基づく表現や、中国・宋代の美術の影響がみられる。滋賀の鞭崎八幡宮から移されたと伝わる。この阿弥陀様にお会いしたかった!!!)
○徳林院(阿弥陀如来立像)
本覚寺阿弥陀如来立像)
○道地院(阿弥陀如来立像)
極楽寺阿弥陀如来。住職の法話
○新善光寺善光寺阿弥陀三尊)

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上徳寺の阿弥陀如来立像。遠目ではあったがやっとお会いできた。生身信仰の阿弥陀さま

比叡山国宝館
(初公開の仏像が多く見ごたえがあったが、図録がないのが残念。手書きのメモをいつかまとめなければ)
盛安寺
大津歴史博物館「神仏のかたち~湖都大津の仏像と神像~」展
比叡山国宝館で前にお会いした四天王像が国宝館におられないなと思っていたら、なんとこちらにお出ましだった。初見の仏像のなかでは、岩間山正法寺の十一面観音立像、地蔵菩薩立像、聖衆来迎寺の吉祥天立像などが印象に残った。法楽寺の薬師如来は寅年開帳仏。特筆すべきは図録である。写真の中に文字を入れて、仏像の細かな表現の違いを説明。持ち歩けるサイズで、値段も控えめ。こういう図録がほしかった! この図録で勉強します!)

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盛安寺の観音さま

10月28日
奈良県宇陀市・慶恩寺「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」 二十五菩薩の練供養を拝観 

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和やかな練供養でした(慶恩寺にて)
滋賀県米原市・西圓寺ご本尊十一面観音ご開帳
【滋賀】米原市・西圓寺(西円寺)の秘仏聖観音さまご開帳 - ぶつぞうな日々 part III

10月31日
五島美術館「東西数寄者の審美眼 ―阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション―」
運慶っぽい愛染明王(常設。鎌倉の鶴岡八幡宮伝来)

2018年9月の仏像拝観リスト

 2018年9月は遠出の予定はなかったのだが、2日に愛知県愛西市で二十菩薩の練供養があると聞き、出かけることにした。
 午後からの練供養の前に、かねてより懸案だった稲沢市の仏像も少しだけめぐることができ、感動に満ちた一日となった。安楽寺阿弥陀・釈迦の二尊並びはまるで二河白道のようで、感動することしきり。ご住職さまありがとうございました。稲沢方面は仏像の宝庫のようなので、また訪ねたい。
 そして、愛西市の二十五菩薩練供養は幸せ満載の練供養だった。ブログにまとめたので、お時間があればぜひ下記リンクよりお読みください。
 そして、そして、9月と言えば、多摩美の仏像展! 兵庫県加東市から貴重な仏像などが東京の多摩までおいでくださったことがありがたい。朝光寺の東本尊さまにお会いでき、その御前で至福のときを過ごすことができた。鬼まつりの映像は何ループも見返し、文字データはすべてメモに取った。現地の鬼まつりにいつか行ける日が来るだろうか(弘法寺の練供養と同じ日...)。

2018年
9月1日
多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」
朝光寺の東本尊千手観音立像に心打たれる。法道仙人の笑顔。鬼まつりの映像展示とお面

9月2日
愛知県稲沢市
安楽寺船橋町)
阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、毘沙門天立像(いずれも藤原)
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(↑写真は椙山女子大制作の動画より)

○矢合観音

尾張国分寺
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(↑筆者撮影)

一宮市博物館(鎌倉の阿弥陀三尊など。半丈六の阿弥陀三尊がガラス越しながら、間近で拝める!)

愛知県愛西市
○勝軍延命地蔵菩薩さまご開帳
○二十五菩薩練供養
butsuzodiary.hateblo.jp



9月16日
○八王子市 大塚御手観音(清鏡寺)
【多摩の仏像】大塚の御手観音と都文化財の十一面観音(八王子市・清鏡寺) - ぶつぞうな日々 part III

多摩美術大学美術館「加東市×多摩美 特別展 神 仏 人 心願の地」二度目
※講演会聴講
加東市の仏像と文化財保護の試み」
 講師 櫻庭 裕介 氏(仏像修復家)
修復した阿弥陀如来が焼失したという話に衝撃を隠せず。乾漆造りのお面を触らせていただく
 その後、朝光寺の鬼まつりの映像に見入る。朝光寺はいつかお参りしたい

9月23日
八王子市
○長房町・龍泉寺 ぽっくり観音ご開帳と伝・康慶の阿弥陀さま
伝康慶という事実と地域の信仰のはざまで@龍泉寺(八王子市長房町): ぶつぞうな日々 PARTII

○日吉八王子神社の木造地蔵菩薩立像
○大横町・極楽寺 阿弥陀如来立像(生身信仰の阿弥陀さま!)

9月24日
○「醍醐寺」展(サントリー美術館
平安の閻魔天像に惹かれる
○「仏像の姿」展(三井記念美術館
岐阜県関市・臨川寺の菩薩像、大阪・四天王寺阿弥陀三尊など。音声ガイドが秀逸

【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~

臼杵石仏
訪問日=2018年8月8日

 30年ぶりに大分県臼杵の磨崖仏を訪ねました。30年前はまだ、大日如来さまの頭部が地面に置かれていました。あの当時はそういうものだと思っていたのに、修理後のお姿を拝すると、やはりこれこそが本来のお姿なのだと思えるから不思議です。

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臼杵を代表する大日如来坐像。頭部が本来の位置に戻され、麗しいお姿に。
 覆屋もでき、保存のための整備がなされたこともわかりました。
 石に彫った像でありながら、諸仏はみな穏やか。覆屋の下、静かに諸仏と向き合う時間がもてたこと、大変ありがたいです。
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覆屋ができ、保存と拝観の両観点から理想的な環境になったのでは。
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修復前の写真が現地に展示されていた。頭部は下に置かれている

 変わったのは磨崖仏の環境だけではないようです。私もだいぶ変わりました。30年前と違う感動がありました。
 平安後期から鎌倉時代にかけて造像された石仏群。どれも限りなく優しいと感じました。その優しい佇まいにただただ癒されました。30年の疲労がたまっていたためでしょうか、本当に本当に静かに深く癒されました。30年前の若い身では、ここまでの癒しは得られなかったでしょう。
 これだから仏像めぐりがやめられません。

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臼杵の最初の石仏はこのようなラインアップ。好きでたまらない漢字が並びます

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阿弥陀如来さまが並びます。30年前には素通りしましたが、今は無理です…

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こういうラインアップ、たまりません

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この大きさと優しさ。また現地で拝める日が来るのでしょうか...

2018年8月の仏像拝観リスト

 2018年8月は夏休みに大分に行ってきました。2018年は六郷満山の開山1200年の特別開帳などの行事が行われると聞き、出かけたのですが、私が訪れた8月はそうした行事はお休み期間のようでした。それでも事前にお電話でお願いしたお寺から拝観を断られることは一度もなく、平安仏を中心にお参りすることができました。長安寺の太郎天三尊は独特で、清らかなお姿が胸を打ちました。無動寺と真木大堂の仏像群は圧巻で言葉になりません。富貴寺は有名な国宝の阿弥陀堂だけでなく、本堂の阿弥陀三尊と菩薩面に感動しました。
 宇佐市内にも古仏が残っています。院内の龍岩寺は山の中の岩屋に清らかな木彫仏が坐しており、特に感動しました。大楽寺の弥勒三尊も心に残っています。天福寺奥院の塑像は県立博物館でお会いできました。
 また、臼杵は30年ぶりの再訪でした。30年前には、臼杵を代表する大日如来さまはまだ修復されておらず、その頭部が地面に置かれていました。昔は臼杵といえば、この仏頭というイメージでしたが、修復後の大日如来さまを見ると、とてもしっくりきました。また、昔は普通の山道に磨崖仏が点在するという印象でしたが、今では覆屋が設けられ、磨崖仏の維持管理のための整備がなされていました。生まれ変わった臼杵磨崖仏を再訪でき、嬉しく存じます。

2018年
8月2日
半蔵門ミュージアム
会津美里町・法用寺の梵王像(三十三応現身)
【展覧会】ついに半蔵門ミュージアムに行ってきました! - ぶつぞうな日々 part III


8月5日
○奈良・興福寺東金堂(中金堂落慶まであと2か月)
大阪市和光寺 特別公開
・ご本尊 善光寺阿弥陀三尊
 中尊は鎌倉時代、脇侍は江戸時代、市指定文化財
・木造釈迦涅槃像 江戸時代、市指定文化財
地蔵菩薩立像 10世紀 一木造り 市指定文化財 通称あごなし地蔵
【大阪】特別公開・和光寺の仏像群~あみだが行けと言いました~ - ぶつぞうな日々 part III
奈良国立博物館「糸のみほとけ」展

8月6日
宇佐市院内 龍岩寺(曹洞宗
 奥院=岩山の崖に建つ岩屋に薬師、阿弥陀、不動の三尊(クスノキ一木、12世紀前半、重文)
 本堂=十二神将(県指定文化財
※石橋(鳥居橋、富士見橋、御沓橋)
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8月7日
大分県立歴史博物館
・天福寺奥院の
 塑像三尊(奈良時代、8世紀後半、重文)
 木彫像十数体(平安時代

宇佐市・大楽寺(高野山真言宗
弥勒仏(137.9センチ、左手が降魔印)および両脇侍立像
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・四天王立像
いずれも平安後期、桧一木で、重文
しびれました!

宇佐市極楽寺(浄土宗)
・本尊阿弥陀如来立像(元 宇佐宮第弐堂)(文化財は未指定?)
弥勒仏坐像(元 宇佐宮弥勒寺講堂本尊、丈六、室町)(県指定文化財
・髪繍浄土曼荼羅(延宝年間=1673~1681年)(宇佐市指定文化財)すべて髪で刺繍したという當麻曼荼羅に大興奮

宇佐市大善寺曹洞宗
元 宇佐宮弥勒寺金堂仏像群
薬師如来坐像=宇佐宮弥勒寺金堂本尊(1311年、重文)
・日光月光菩薩立像(県指定文化財
愛染明王坐像(県指定文化財
不動明王坐像(県指定文化財


8月8日
六郷満山
豊後高田市・都甲八幡社 仁王像(電話してるみたいな仁王さん)

豊後高田市長安寺(天台宗
 ・太郎天像(榧の一木造り、1.6m)(1130年)と二童子立像(重文)=清らかな三尊でした
 ・銅板経(重文)
 ・鬼面
 長安寺は屋山の中腹にある。本堂の千手観音立像は金ぴか。観音様の左側に古びた阿弥陀如来坐像。像高1mほどで、お顔の感じから江戸時代か。住職が天念寺も兼任。

豊後高田市・天念寺
 天念寺は長安寺の住職が兼任しており、ご朱印長安寺でいただける。お坊様はおられないが、仏像群は拝観可能。

天念寺歴史資料館「鬼会の里」
・本尊阿弥陀如来立像(12世紀前半)(198センチ、榧の一木造り、内ぐり)(重文)
勢至菩薩立像(県指定)
・千手観音立像(県指定)
※鬼会の映像が迫力あり、鬼会の様子が想像できた

天念寺講堂

・川中不動
 
豊後高田市・無道寺
薬師如来坐像(平安後期、11世紀後半、県指定文化財)(155 cm 樟一木造り 彫眼)
・日光月光菩薩立像(市指定)
十二神将鎌倉時代、県指定)
不動明王坐像(平安後期、県指定)(115.8cm 桧一木造り 内ぐり)
胎蔵界大日如来坐像(平安後期、県指定)
弥勒仏坐像(平安後期、県文化財指定では薬師如来坐像
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臼杵市臼杵石仏
 頭部が下に落ちていた大日如来の修復後、初めてお参り。覆屋など全体に整備されて、拝観しやすくなっていた。平安後期の優しい磨崖仏の数々にひたすら癒された。
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【大分県】臼杵石仏~30年ぶりに訪問して感動できる幸せ~ - ぶつぞうな日々 part III


臼杵市・満月寺(臼杵石仏のすぐ横。石仏の仁王さん)

臼杵市・龍源寺(三重塔が県指定文化財

8月9日
宇佐神宮
 本宮→外宮→宝物館(木造仁王像、孔雀文磬)

○富貴寺
国宝阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像(重文)
本堂
阿弥陀坐像と両脇侍立像(県指定)
・菩薩面

○真木大堂
不動明王立像と両脇侍立像
阿弥陀如来坐像
大威徳明王
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○元宮磨崖仏(熊野磨崖佛の附として重文に指定)

○熊野磨崖仏
不動明王
大日如来
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○両子寺
護摩堂 不動明王
・講堂 阿弥陀三尊
・奥院 千手観音

8月11日
金沢文庫
 勝林寺 釈迦如来坐像
 安達一族展

8月26日
東京国立博物館
○11室
地蔵菩薩立像 鎌倉 善円の作風に近い
帝釈天立像 10世紀 一木造り 量感あり
・十一面観音菩薩立像 9世紀 体幹部が一木造り 両腕は後補 面部は彫り直し 後補の頭飾や天衣を取り外し面目を一新 
不空羂索観音菩薩立像 法隆寺 鎌倉 13世紀 善派系仏師による壇像風の作例
・菩薩立像 13世紀 肥後定慶の作例に近い
・十一面観音菩薩立像 9世紀 秋篠寺
聖観音菩薩立像 9-10世紀 大阪観心寺 密教の仏に多い円筒形の宝冠を付ける
毘沙門天立像 9世紀 和歌山・道成寺
・十一面観音菩薩立像 10 -11 世紀 奈良薬師寺 ヒノキの一木造り 見事としか言えない
横から観たときの動きある感じがたまらない(サモトラケのニケのよう)。
・十一面観音菩薩立像 9世紀 奈良小嶋寺 やばいとしか言えない
不動明王立像 12世紀
阿弥陀如来坐像 12世紀前半 奈良・光明寺 見事な定朝様
・釈迦涅槃像 13世紀 奈良・岡寺
○トーハク×びじゅチューン! なりきり日本美術館
 岸田劉生の麗子
○縄文展
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注 写真について
大楽寺、真木大堂、薬師寺十一面観音(トーハク)の写真はネットで拾ったものです。それ以外は筆者撮影です。

2018年7月の仏像拝観リスト

 2018年7月は所用で群馬に行くことになったため、思い切って一泊し、前から行きたかった坂東の札所と高崎の見返り阿弥陀如来をお参りすることにしました。しかし、この頃の群馬は記録的な猛暑。ドドメキというバス停から白岩観音へ歩く途中、熱中症になりかけました。真夏のお寺めぐりは気を付けないといけません。できれば避けたほうがよいかと。
 富岡の龍光寺は、戦時供出された銅像の胎内仏だった観音像や宇多天皇ゆかりの秘仏、そして、富岡製糸場の工女の墓など、たくさんのストーリーがありました。とてもよいお寺なので、製糸場だけでなく、ぜひお参りを。製糸場のすぐそばです。

2018年
7月15日
○受講=山本勉「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」
【受講】山本勉氏「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」 - ぶつぞうな日々 part III

○展覧会=建築の日本展(六本木の森ミュージアム)(仏像なかったけど)


7月21日
群馬県富岡市
○龍光寺
富岡製糸場

7月22日
群馬県高崎市
○白岩観音長谷寺

群馬県渋川市
○水沢観音水沢寺
市指定の観音立像(釈迦堂)
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像高105.5センチ、内刳りを施さない一木造り
桂材と推定、制作年代は11世紀後半
手水屋
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群馬県高崎市
○善念寺 阿弥陀三尊(阿弥陀さまが県指定文化財

群馬県高崎市
○万日堂 
・みかえり阿弥陀(市指定文化財
如来立像2躯
【群馬】高崎市・万日堂のみかえり阿弥陀さま(+善念寺阿弥陀三尊)と新田義貞と… - ぶつぞうな日々 part III

【展覧会】金沢文庫「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」

 2019年1月12 日
 金沢文庫の特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」(2018年11月16日~2019年1月14日)
 仏像や神像がいくつかお出ましでしたが、特に気になった二つのお像について、お話したいと思います。
 〇白洲正子旧蔵の十一面観音立像(現、小田原文化財団)
 〇長野県諏訪市・仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像


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白洲正子旧蔵の十一面観音立像(白山神社本地仏か)

 お目当てはこちらの観音さま。前田青邨白洲正子の旧蔵で、現在は小田原文化財団が所有。平安時代の作で、いかにも白洲正子が好みそうな静謐で清楚な十一面観音立像である。
 頭部の化仏は大きくボリュームがあるが、それぞれのお顔は彫り出さない。つまり、のっぺらぼうである。また、頭部の大きさに対して、首から下はすらっとした細身であるのが印象的だった。

化仏のお顔がのっぺらぼう

 2016 年「福井の仏像」展で、化仏のお顔がのっぺらぼうの十一面観音さまを拝観したことを思い出した。仏が今まさに顕れようとする瞬間を表したという説明書きを読み、心が震えたのだった。霊木化験の表現のひとつなのだそうだ。
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 上の写真はそうした福井の例で、越前市東庄境町の八幡神社観音堂にまつられている十一面観音立像である(写真は「福井の仏像」展図録よりコラージュ)。こちらも頭上の化仏はお顔が表現されていない。なんとも神秘的だ。

 金沢文庫の展示では、この白洲旧蔵の観音像について、白山神社本地仏の可能性があると書かれていた。どこでどのように制作されたのだろう。白山信仰との関わりについて、もう少し詳しい説明がほしかった。

伊豆山権現と対比して展示

 この観音像は伊豆山権現と並べて展示されていた。金沢文庫の解説書には、伊豆山権現像は仏像のような作り方をした神像で、この観音像は神像のような仏像だと説明されていた。
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手の甲を後ろにそらすこととキスとの関係は?

 一方、細かいことだが、この十一面観音さまは右手がかわいらしかった。右腕は下に下ろしており、その手は施無畏のように見えるのだが、よく見ると、右手の甲を後ろにそらせているのだ。この手のひねりは何なのだろう。左手が失われているので、なおのこと気になった。
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(写真はhttp://salonofvertigo.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.htmlより)
 下世話な話で申し訳ないが、ドラマなどでキスをするときに片足を後ろに上げてしまう光景を思い出した。女性は立ってキスをすると、なぜ片足を後ろにそらせてしまうのか。この観音菩薩さまはなぜ、右手の甲を後ろにそらせているのか。キスにより電流のように流れてきた愛が強すぎるので、足先から放出しているのだろうか。であれば、観音さまはなぜ手の甲を後ろにそらせておられるのだろう。山梨県甲州市勝沼大善寺の日光月光菩薩立像や会津勝常寺の日光月光菩薩立像は、手のひねりが横向きなのに対し、この十一面観音立像は手を後方に翻している。とても気になった。そして、とてもかわいらしいと思った。
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(写真はhttps://netallica.yahoo.co.jp/news/20180125-64998693-hitomeboより)

 
 興奮して長々と書いてしまった...。静かであらたかな霊験を感じさせる観音さまのお姿。私はこういう清らかなものに憧れて、仏像をめぐっているのかもしれない。その前から離れがたい観音像だった。

 


仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像(南北朝時代

 長野県の仏法紹隆寺から小さい普賢菩薩騎象像がお出ましだった。
 仏法紹隆寺は長野県の茅野駅から諏訪方面に数キロほどの山の中腹にある。大好きなお寺で、私は二度お参りしている。二度目は家族連れで訪れ、一時間ほどかけて、広い境内をご案内いただいた。大変思い入れのあるお寺さまである。
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(↑筆者撮影2017年8月)
 このお寺の普賢堂には、大きな普賢菩薩騎象像と小さな普賢菩薩騎象像がおられる。
 金沢文庫には小さいほうの普賢菩薩さまがお出ましだった。
 仏法紹隆寺は諏訪大社の神宮寺や別当寺を務めていたが、近世になってその機能を他寺に移し、諏訪氏高島藩の祈願所となった。明治初め、神仏分離に際して、諏訪大社の上社の神宮寺普賢堂の本尊普賢菩薩像と、上社神宮寺の子院だった如法院の本尊普賢菩薩像が仏法紹隆寺に移座されることとなった。現在、仏法紹隆寺に2躯の普賢菩薩騎象像がおられるのは、こうした経緯による。神宮寺普賢堂のものが大きいほう、如法院のものが小さいほうの普賢菩薩さまだ。
 今回出陳されたのは、子院である如法院に伝わった小さいほうの普賢菩薩さまである。南北朝時代のきらびやかな印象の仏さまだ(お寺のサイトには鎌倉時代とあるが、今回の展覧会では南北朝と記載)。前回の善光寺ご開帳の際、隣の美術館の仏像展にも出展された長野県宝である。
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(↑如法院旧本尊が出陳。写真は金沢文庫Twitterより)

 一方、今回は出展されなかったが、神宮寺本尊は如法院本尊に比べかなり大きい。かなり傷んでいたそうだが、近年修理を終えられ、普賢堂の中央に安置されている。
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(↑諏訪大社上社神宮寺の旧本尊。筆者撮影2016年5月)

 金沢文庫の説明では、大きい方の普賢菩薩さま(つまり、神宮寺旧本尊)は神像と同じ素地仕上げで本地仏にふさわしいのに対し、如法院の普賢菩薩さまは金泥と極彩色が施されている点を指摘していた。本院と子院とで意図的に、対照的に仕上げたのでないかとのことだった。
 金沢文庫で両像の比較について説明があったが、神宮寺の普賢菩薩さまの写真展示がなく、文字だけの説明だったので、この辺りの経緯はわかりにくかったのではないかと思う。
 仏法紹隆寺の普賢堂では、この大きな普賢菩薩像の奥に、小さな普賢菩薩像がまつられている。

 なお、仏法紹隆寺には、小さな宝物館もあり、運慶らしき不動明王立像が安置されている。一年前の金沢文庫の運慶展にお出ましだったので、覚えている方もおられるだろう。庭園も美しく、気持ちのよいお寺なので、多くの方にお参りいただければと思う(必ずお寺に事前連絡を)。

他にも印象に残る仏像と神像が

 上記以外の彫刻では、鎌倉時代の僧形八幡神坐像(神奈川県・称名寺)、肩がこりそうな男神坐像(平安、個人蔵)、鎌倉時代文殊菩薩立像(神奈川県・阿弥陀寺)などが印象に残った。文殊菩薩立像は、春日大社本地仏とされる善円の文殊菩薩東京国立博物館)とそっくりだった。
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 チラシに掲載のこの随神坐像は、2017年「末法」展(京都の細見美術館)にも出展されていた。凛とした清らかさを感じる平安時代の神像で、今は個人蔵。個人蔵のお像を拝める機会、大変ありがたい。
 

【群馬】富岡市・龍光寺の小さな観音立像~戦時供出された銅像の胎内仏~

 群馬県富岡市・龍光寺さま。2018年夏、事前に電話でお願いし、お参りさせていただきました。とても暑い日でした。

 門前の大きな観音さまの銅像が戦時中に供出された際、胎内から小さな観音像が見つかったそうです。富岡市文化財に指定されているこの観音像を拝観させていただきました。高麗時代の作。胎内に収めるということは、何らかの由来や祈りが込められていたはず。小さなお姿に大きな想いを感じました。


 戦時供出された銅製の観音像は、同じく銅像地蔵菩薩坐像とともに、山門の前に安置されていたそうです。供出前の写真が額に入れて、大切に保管されていました。この貴重な写真を撮影させていただきました。享保年間の作で、かなりの美仏だったことがわかります。

(↑戦時供出された観音像。この観音像の胎内仏だった)

(↑地蔵菩薩銅像。観音像と一対だった)

(↑地蔵菩薩銅像の写真額の裏面)

 ご本尊さまは黒本尊と呼ばれる秘仏聖徳太子御作にして、宇多天皇の念持仏だったと伝わるそうです。黒本尊というと、東京・増上寺の家康ゆかりの阿弥陀如来像が思い出されますが、そちらとは関わりがないそうです。こちらの秘仏はその姿を目にすると失明するとの言い伝えがあり、残念ながらお見せできないと言われました。このような畏怖の念、尊重したいと思います。本堂内陣の奥、閉じた厨子越しにお参りさせていただきました。

 上の写真のように、本堂内陣におまつりされるのが、お前立の阿弥陀三尊です。浄土宗のお寺らしい阿弥陀空間。阿弥陀三尊と法然善導さまがおられる空間が好きです。南無阿弥陀仏。真夏の堂内に副住職のお十念が響きました。

 本堂裏の墓地に、富岡製糸場女工さんのお墓が残されており、副住職さまにていねいに説明していただきました。世界遺産富岡製糸場の見学の際には、ぜひ合わせてお参りを。お寺の前に掲げられていた「尊いのは遺産ではなくて、そのために流された先人の汗である」という言葉の意味をかみしめています。

2018年6月の仏像拝観リスト

 2018年6月は、多摩仏像研究会と仲間たちで信濃仏をめぐったのが一番の思い出です。仏像好きな仲間と感動的な仏像に出会えただけでなく、役所や仏像をお守りする人々との関わりのなかで、たくさん学ぶことがありました。皆さまに改めてお礼を申し上げます。
 また、6月初めには、名古屋で所用があったので、早起きして2か寺をお参りしました。成願寺は、新しいスタイリッシュな本堂の中に、名古屋最古級の観音さまが不思議とマッチする素敵なお寺でした。本堂の設計を手掛けた建築家が紀州徳川家の当主だと知り、さらに驚きました。
 そして、名古屋では、大好きな栄国寺を再訪しました。少し前に本田不二雄『ミステリーな仏像』という本を読んだのですが、栄国寺の五臓六腑のある阿弥陀如来坐像について興味深い仮説が書かれていました。処刑され人体解剖された人を慰めるために作られた阿弥陀像なのではないかという話でした。栄国寺は処刑場の跡地付近に建てられたお寺で、江戸時代初めに処刑されたキリシタンを慰めるために犬山から遷座された本尊の阿弥陀如来さまもおられます。悲しい歴史のなかに阿弥陀さまの優しさを感じます。

2018年
6月3日
愛知県名古屋市
○成願寺
・十一面観音立像(名古屋で最古級、平安前期、164センチ)
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(写真は『東海美仏散歩』より)
○栄国寺
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像
・清涼寺式釈迦如来立像 
・釈迦涅槃像
名古屋・栄国寺の丈六阿弥陀さま~悲しいから優しい~ - ぶつぞうな日々 part III(←2015年11月の参拝記録ですが...。大好きなお寺と阿弥陀様です!)
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2018年6月16日~17日
多摩仏像研究会と仲間たちの信濃仏をめぐる会
多摩仏像研フィールドワークで信濃仏をめぐる! - ぶつぞうな日々 part III


1) 福王寺(佐久市)(真言宗智山派
収蔵庫
阿弥陀如来坐像(138.3cm、カツラの一木 1203年 国重文)
〇観音勢至菩薩(脇侍、大和座り)江戸初期
弥陀堂
月光菩薩聖観音とも伝承)平安 市文化財
日光菩薩 鎌倉 市文化財
聖徳太子立像(雨宝童子) 市文化財
毘沙門天 市文化財
本堂
〇絹本著色愛染明王像(県宝、鎌倉後期~南北朝、92.5 x 51.5 cm)
【信濃仏】福王寺(佐久市)の力強い阿弥陀さまと雨ごい邪鬼の毘沙門天さま - ぶつぞうな日々 part III

2) 中禅寺(上田市)(真言宗智山派
薬師堂 
薬師如来坐像(97.7cm、カツラ、前後二材寄木、平安末期、重要文化財) 
〇神将立像(68.2cm、上記薬師如来の附として重要文化財指定)
仁王門
金剛力士像(平安末期、県宝)
【信濃仏】中禅寺(上田市)~こういう上品なお堂にはこういう上品な如来像がいらしてほしい~ - ぶつぞうな日々 part III

3) 大法寺(青木村)(天台宗
〇十一面観音立像(重文 170.9cm、カツラの一木、平安)
普賢菩薩立像(重文 106.3cm、カツラの一木、平安)
【信濃仏】大法寺(青木村)~瞳を閉じた十一面観音さまは何を感じ取ろうとされているのだろう~ - ぶつぞうな日々 part III

4) 智識寺(千曲市)(真言宗智山派
大御堂
〇十一面観音(重文 306cm、ケヤキ、一木)
境内の小さなお堂
〇釈迦如来坐像(室町)
【信濃仏】智識寺(千曲市)~3メートルの立木仏 十一面観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

5) 光久寺(安曇野市
〇日光・月光菩薩立像(善光寺仏師妙海1317年、県宝、桧材、寄木造)
【信濃仏】光久寺(安曇野市)若き妙海の日光月光菩薩像はかわいらしい双子のようだった! - ぶつぞうな日々 part III

2018年6月17日(日)

6) 覚音寺(大町)(真言宗智山派
千手観音菩薩立像(重文 168.2cm、桧材、寄木造)
持国天像(重文 161.5cm、桧、寄木造)
多聞天像(重文 157.6cm 桧、寄木造)
【信濃仏】覚音寺(大町)~「藤尾の観音さま」に家族の愛を想う~ - ぶつぞうな日々 part III

7) 栂の尾(つがのお)毘沙門堂(池田町広津)
毘沙門天立像(県宝、112㎝、桧、一木)
【信濃仏】栂尾毘沙門堂~盗難を乗り越えた信仰篤い毘沙門天さま~ - ぶつぞうな日々 part III

8) 海岸寺松本市
〇千手観音立像(県宝 159cm 桂 一木、平安中期)
【信濃仏】海岸寺(松本市)~ぶどう畑の中の千手観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

9) 牛伏寺(松本市)(真言宗
収蔵庫
不動明王立像(重文 12世紀)
毘沙門天立像(重文 12世紀)
〇釈迦如来坐像(重文 12世紀)
文殊菩薩騎獅像(重文 13世紀)
普賢菩薩騎象像(重文 13世紀)
薬師如来坐像(重文 13世紀)
大威徳明王像(重文 11世紀)
蔵王権現立像(県宝 10世紀)
〇奪衣婆坐像(県宝 1422年)
〇女神像、男神像(市重文 12世紀)など
※近くの円城寺の十一面観音立像(平安77.2cm 針葉樹の一木、市指定)が牛伏寺の収蔵庫にお預けされており、お姿を拝むことができた
如意輪堂
如意輪観音坐像(県宝、13世紀)

10) 辰野町・上島観音堂
〇十一面観音(重文89.4cm、榧材、一木造、妙海1323年)
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2018年5月の仏像拝観リスト

 2018年5月は念願の練供養2か寺をお参りできました! まず、12日、太山寺の練供養は、大きな阿弥陀堂の中で、すべてが展開されることに驚きました。丈六阿弥陀如来坐像の御前で、参加者が菩薩の衣装を身に着け、法要後に堂の周りを練り歩きます。幸せな空間と時間でした。
 14日、和歌山県有田市・得生寺の練供養は中将姫さまへのリスペクトに満ちたかわいらしい練供養でした。
 二つの練供養の間の13日は、中将姫に関するイベントで奈良町へ。徳融寺さまの當麻曼荼羅絵解きに感動。當麻寺中乃坊さまに自ら習いに行かれたのだそう。
 イベントのあと近くの璉珹寺へ。4月にお参りした高槻市・慶瑞寺が忘れられず、それと同時期の聖観音像にお会いしたくなり、お参りしました。堂内、聖観音さまの前に「仏像~一木の祈り~」展の図録が置いてあったのですが、その中で、こちらの聖観音さまのすぐ後のページに慶瑞寺の菩薩像が掲載されているのを見つけ、鳥肌が立ちました! 

 

5月12日

神戸市
竹中工務店大工道具館
太山寺練供養「聖衆来迎引接会式」
如意寺仁王像(鎌倉時代の塑像、市文化財

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5月13日

奈良国立博物館

法華寺文殊菩薩坐像 CTスキャンにより胎内にたくさんの教典が納められていることが判明。昨年のハルカスの西大寺展でお会いした文殊菩薩さま。


中将姫さまの絵本の出版記念イベントで、ならまちの中将姫さまゆかりの寺をめぐる

徳融寺
當麻曼荼羅の絵解き

安養寺(中将姫さまが出家を決意された場所)

誕生寺(中将姫さま誕生の場所。産湯の井戸、二十五菩薩の石像など。境内など特別拝観)

高安寺(特別に堂内拝観。中将姫坐像と父親である藤原豊成公の坐像が内陣中央にまつられる。融通念仏宗

璉珹寺(紀寺)
3回目の参拝。奈良末期から平安初期とされる聖観音像に魅了された。


5月14日

和歌山県有田市

得生寺練供養「中将姫大会式」

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」前編~中将姫寺=得生寺とは~ - ぶつぞうな日々 part III

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」 後編~中将姫への愛がいっぱい~ - ぶつぞうな日々 part III

 

5月20日

東京都八王子市 高尾山琵琶滝

 

2018年4月の仏像拝観リスト

 2018年4月はまず、お釈迦様のお誕生日にご開帳の笠間の弥勒教会へ。近畿日本ツーリストクラブツーリズムに初参加し、なんと秘仏雨引観音様にもお会いできた。クラツーさんすごい。
 仏像リンクのdeep大阪は、愛知県あま市の練供養と日程が被り大変悩ましいところであったが、訪問先の濃さと仏友さんとご一緒できる楽しさを優先して参加。高槻の慶瑞寺の菩薩坐像、泉大津の千原大師堂の十一面観音立像などは、その後の私の仏像活動に影響を与えたと思う。
 東京国立博物館の展覧会(新指定文化財展と国華展)とあきる野市の大悲願寺再訪を経て、ゴールデンウィークの前半に再び関西へ。奈良県當麻寺で4月29日に行われる「練り初め(ねりぞめ)」を見学させていただいた。とても感動的だったし、勉強になった。手元に残るメモをなんとかブログに上げられないものか。
 大阪府八尾市の地蔵菩薩の練供養も楽しかった。鬼さんが登場し、地元の子どもが泣いてしまう地元のイベント。こういうものが残っていく日本であってほしい。
 また、滋賀の金勝寺の軍茶利明王さまと石山寺光堂の大日如来さまは特に心に残った。平安中期のどっしりとした優しいお姿に強く惹かれる。

2018年

4月14日 仏像リンクオフ会・deep大阪1日目

仏像リンクDeep大阪1日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 朝日山神蔵寺(京都府亀岡市臨済宗妙心寺派
ご本尊薬師如来坐像(重文)
日光菩薩月光菩薩立像(市指定文化財

2) 涌泉寺(大阪府豊能郡能勢町
日蓮宗

大威徳明王坐像
102.7センチ。一木割はぎ。平安12世紀頃。六面六臂六足の憤怒形。能勢町指定文化財
(平安後期とされてきたが、平成13年から14 年の京都美術院国宝修理所の修復時に、平安初期9世紀の作かもと言われた)
多宝如来坐像
94.8センチ檜寄木造り。彫眼。平安後期12世紀。大阪府重文。仏師「経深」の銘あり。
釈迦如来坐像
86センチ。檜寄木造り。彫眼。平安後期から鎌倉初期。

3) 安穏寺(大阪府豊能郡能勢町

東向き十一面観音菩薩立像
106.7メートル。四臂の十一面観音菩薩立像。檜、寄木造り。彫眼。12世紀。大阪府重要文化財。恵心僧都源信の作と伝わる。

4) 慶瑞寺(大阪府高槻市黄檗宗
木造菩薩坐像
昭和61年に本堂から見つかる。8~9世紀頃または平安初期の作。重要文化財
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5) 高槻市山手町の薬師堂(大泉寺の境内)
薬師如来坐像
86.0センチ。平安後期。高槻市文化財

6) 安岡寺(大阪府高槻市
木造千手観音坐像

4月15日 仏像リンクオフ会・deep大阪2日目

仏像リンクDeep大阪2日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 孝恩寺(大阪府貝塚市)浄土宗

平安時代中期の本尊阿弥陀如来などの仏像群19体と板絵1枚が収蔵庫に安置。いずれも重要文化財
虚空蔵菩薩立像は60年ほど前から大阪市立美術館に寄託。また、薬師如来立像は現在トーハクの国華展にお出まし中)
ほとんどすべてが榧の一木造り。
木造跋難陀龍王立像、阿弥陀の説法印を結ぶ弥勒菩薩坐像など。

本堂(国宝釘無堂)の内陣
来迎阿弥陀三尊と法然善導両上人。阿弥陀さまが美仏。


2) 千原大師堂(大阪府泉大津市) 
十一面観音立像
123.8センチ。10世紀頃。大阪府指定文化財。10世紀の仏像に目覚めてしまったかも。
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3) 天野山金剛寺大阪府河内長野市
金堂落慶記念の特別拝観=木造大日如来坐像(平安末期)、木造不動明王坐像、木造降三世明王坐像(鎌倉時代

平安後期の五智如来像が五仏堂に。五智如来さまの後ろに、真数千手観音立像

4) 日野観音寺(河内長野市日野)
木造大日如来坐像
147センチ。檜の寄木造り。12世紀 。重要文化財

5) 観福寺(和泉市
弥勒菩薩坐像

6) 正伝寺(大阪府四条畷市融通念仏宗
薬師如来立像
181.1センチ。一木の古様な造り。彫りは浅い。
ぷっくりあんよは後補。

4月20日 トーハク新指定文化財展と名作誕生展

1) 東京国立博物館 新指定文化財
2018年の新指定文化財展(東京国立博物館) - ぶつぞうな日々 part III

○東川院(岩手県一関市大東町
木造観音菩薩坐像(114 .3 cm)
穏やかな作風に平安末期の彫刻様式を示す。吊り気味の目など新しい傾向もみられ、1170~80年代頃の製作と考えられる。

○西光寺(愛知県津島市
木造地蔵菩薩立像(159.6cm)
運慶周辺の仏師による。最近行われた保存修理により納入品が発見され、1187 ~1193 年頃にかけて行われた諸国勧進により多くの結縁者を得て製作されたことことが判明。胎内納入文書の一部も公開されている。

○円常寺(滋賀県彦根市
木造阿弥陀如来立像(快慶、98.8cm)
三尺阿弥陀は数多くあれど、快慶は別格だと再認識。


2) 東京国立博物館
「名作誕生」展(創刊記念『國華』130周年)
名作誕生展(東京国立博物館)に一木造り薬師如来立像が林立! - ぶつぞうな日々 part III
平安一木造りの薬師如来立像が林立!
唐招提寺元興寺(内ぐり)、孝恩寺(ものすごい破壊力)、桜井市笠区(あまりの迫力)、淡路島、京都の春光寺(和様の兆し)

4月28日滋賀県(憧れの金勝寺、石山寺三井寺の特別拝観)

滋賀県

栗東市・金勝寺
春と秋の土日祝日に運行されるバスに乗り、念願だった軍茶利明王にお会いできた。
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大津市
石山寺光堂特別公開 10世紀の大日如来(多宝塔の旧本尊)など
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三井寺
本堂内陣特別拝観 新羅明神本地仏文殊菩薩坐像

観音堂特別拝観 本尊如意輪観音厨子は閉まっていたが、脇侍の不動明王毘沙門天を内陣で拝観できた

4月29日奈良県(正蓮寺大日堂と當麻寺練り初め見学)

奈良県
橿原市・正蓮寺大日堂

葛城市・當麻寺

護念院 練り初め見学
(練供養当日に菩薩になられる方向けの法要を堂外から見学させていただく。どの菩薩になるのかのくじ引きが行われ、練供養のクライマックスである引接シーンを観音勢至普賢菩薩が実際に演じた。この3菩薩は動きの練習が必要で負担が大きいため、上記のくじ引きによらず、地元の方が務めておられる)

奥院(阿弥陀堂特別公開)、曼荼羅堂、講堂、金堂、中之坊(導き観音立像)を拝観

曼荼羅堂の當麻寺曼荼羅阿弥陀如来立像、織姫観音さまが大好き。織姫観音さまはお会いする度に好きになる。講堂は丈六阿弥陀さまが胸にしみた。
また、奥院の本堂が特別公開されており、平安の聖観音立像や地蔵菩薩立像を拝むことができた。

4月30日 奈良市から大阪・三津寺の公開、そして八尾の練供養へ

奈良市・伝香寺
普段は収蔵庫におられる地蔵菩薩立像が、奈良国立博物館の「春日大社」展にお出まし中。その代わりに、本堂の釈迦如来坐像が収蔵庫に安置されており、拝観できた。本堂の釈迦如来坐像は年に2回しか公開されないので、大変貴重な機会だった。宿院仏師の作。

奈良国立博物館春日大社」展 
円成寺の平安前期の観音立像。明るい環境でよく拝観でき、感動もひとしお。

興福寺国宝館
改装後、初参拝。銀の仏手が展示されておらず、ショックを受ける

大阪市文化財公開・三津寺(難波)
平安から江戸まで、多様な仏像群にただただ唸る。機会があればまたお参りしたい。

大阪府八尾市・常光寺
【来迎会】大阪・常光寺の八尾地蔵練供養~鬼さん登場の怖くて楽しい練供養!~ - ぶつぞうな日々 part III

八尾地蔵練供養! 小野篁ゆかりの本尊地蔵菩薩立像は市の文化財

以上

【来迎会】二十五菩薩練供養@愛知県愛西市(勝軍延命地蔵菩薩ご開帳)

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 愛知県愛西市・勝軍延命地蔵大菩薩さまの17年ぶりの開帳に合わせて、二十五菩薩練供養が行われるという情報が入り、出かけてきた。開催されたのは2018年9月2日。
 事前の想像より100倍以上楽しい練供養だった!

特徴1) 勝軍地蔵さま17年ぶりのご開帳

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 まず、勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳が熱い。
 開帳仏がおられるのは、西條八幡社の隣の小さなお堂。Google地図にもお堂の名前は載っていなかった。写真左が地蔵堂、右が西條八幡社である。
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 17年に一度のご開帳の期間は2018年8月26日から9月15日。しかも、この21日の間、24時間、夜通しで行われたというのだから驚いた。地元の信徒が夜通し交代で番をしたのだそうだ。大変だろうなと思う一方で、深夜に開帳仏さまと向き合えるのも幸せなのでは、とも思う。
 ご開帳の仏様、勝軍延命地蔵菩薩さまのお姿は上の写真のとおりである。伝教大師最澄が唐の彫像を模して刻んだと伝わるが、実際には鮮やかに彩色されていて、制作時期はわかりにくい。騎馬像ではなく、二本の脚で立っておられるところも珍しいのではないだろうか。勝軍地蔵菩薩の古例である京都清水寺本尊の脇侍も、勝軍地蔵菩薩の立像なのだそうだ。
 文化財未指定であるが、今回のご開帳時に専門家を招いて調査する予定だという話も聞いた。何か新しい見解が出てくるのだろうか。ただ、今回のご開帳の賑わいをみると、文化財的価値はどうでもよくなってくる。坂上田村麻呂徳川家康も参拝してご利益を得たと伝わる勝軍延命地蔵菩薩さまだ。ご開帳が多くの人々をつなぐ機会となっており、大きな敬意を覚える。
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(↑過去のご開帳の看板が堂内に飾られていた)

 この21日間のご開帳の中日(なかび)、”中開帳”と呼ばれる日に行われるのが、二十五菩薩の練供養である。勝軍延命地蔵大菩薩のご開帳なのだから、武者行列でもよさそうだが、なぜか聖衆来迎の練供養なのである。これが本当に温かく、賑やかにして和やかな練供養だった。そう感じるバックグラウンドとして、勝軍地蔵さまを慕う人々の思いがあるのではないだろうか。

特徴2) あま市の蜂須賀蓮華寺からご出張

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(↑観光協会から事前にメールでいただいたポスター画像)
 愛西市で二十五菩薩練供養と初めて聞いたときは、自分の耳を疑った。愛知県の練供養と言えば、あま市の蜂須賀蓮華寺の二十五菩薩来迎会(毎年4月第3日曜日に開催)がある。しかし、それ以外は聞いたことがなかった。
 練供養は衣装や菩薩面や持物、雅楽の演奏など、かなりの準備が必要なものである。資金も人手もいる。そう簡単に17年ぶりに開催できるものではない。もともと愛西市の勝軍地蔵堂に練供養が伝わったのか、それともどこか別の寺から借りてきて行われるのか…。
 ネット検索しても疑問は消えなかったので、愛西市観光協会に電話とメールで連絡してみた。関係者の方に問い合わせてくださったところ、やはり二十五菩薩の練供養は「あま市蓮華寺から出張して開催する」とのことだった! さらに、愛西の勝軍地蔵菩薩のご開帳の度に、二十五菩薩の練供養は行われているとも伺った。
 来迎橋はかけられるのか、二十五菩薩全員お揃いなのか、など、気になることはたくさんあったが、そこはあえて事前調査をせず、とにかく出かけることにした。外野の人間が事前に関係者に質問責めにして、ご迷惑をおかけするのはしのびない。とにもかくにも、17年に一度と言われたら、行かざるをえまい!

特徴3) 田んぼの中を1時間も練り歩く

 二十五菩薩練供養は、2018年9月2日(日)14時30分、大きな花火の音を合図にスタートした。出発地点は勝軍延命地蔵堂の東隣にある林證寺。田んぼの中の道を1時間もかけて菩薩さまは歩かれ、終点の地蔵堂に到着した。
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 私はスタート時から終点の地蔵堂まで菩薩さまの列について歩いた。つまり、1時間という長い時間、菩薩さまと一緒にお散歩できてしまったのである! 
 Google地図でざっと見たところ、総距離2キロほどあったのではないだろうか。岡山県・誕生寺の練供養会式も参道を練り歩くので、菩薩さまに付いていくのが楽しいのだが、それでも300メートルを往復である。愛西市・勝軍延命地蔵堂の練供養の移動距離の長さは特筆すべきだろう。
 田んぼの中に民家がぽつぽつと並ぶ地域をのんびりと菩薩さまは歩かれた。菩薩さまの列のそばを私はただついて歩いた。菩薩さまとお散歩しているような感じだった。もうそれだけで訪れた甲斐があった。
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特徴4) 菩薩さまに触れていただく

 さらに驚いたのは、「菩薩さまに触れてもらって、ご利益をいただいてください」と言われたこと。人々は菩薩さまに近寄って、頭をなでてもらっていた。
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 こちらの菩薩面は半円を二つ並べたような眉毛と細めのおめめが特徴。正面から見ると、にこやかに笑っておられるように見える。頭をなでてもらう側の衆生もみな頬がゆるむ。笑顔×笑顔なのだ! なんともうれしい笑顔の相乗効果!
 私も二度ほど頭をなでていただいた。一回目は成功したのだが、二度目に観音さまとの距離がうまく取れず、観音さまの持つ蓮台に頭をゴツンとされてしまった。蓮台はなかなかのスピードで私の頭を打撃し、私の脳内に大きな電飾花火が飛び散った。こんなに素敵な経験はなかなかできない!
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(この木製の蓮台が私の頭を直撃した)

特徴5) 実にのどかなパレード

 こんなに盛大な練供養でありながら、交通規制はしてなかったようだ。途中で車一台が通りかかり、道端を歩く菩薩様の列の横を通り抜けていった。係りの人が菩薩さまに「車が来まーす。道路脇に寄ってくださーい」。菩薩さまはもともと道路の左脇を歩いておられるので、まったく混乱はなく、車は静かに通り過ぎていった。こんなシュールな場面にはそうそう出くわせない。つい笑ってしまい、慌てて撮ったのがこちらの写真。ピンぼけしてしまった。
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 菩薩さまの列は1時間ほどのんびりと進み、ついに、ご開帳の行われている勝車延命地蔵大菩薩さまのお堂に到着。小さなお堂の軒下の周りに造られた通路を一周した後、境内を出られ、去っていかれた。気温30度を超す暑さにもめげず、最後まで笑顔で、人々の頭をなでながらー。
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特徴6) 世代をこえて

 練供養ルートの途中で、菩薩様の列が近づくのを待っている親子がいた。若いお父さんとお母さん、そして、ベビーカーに座る幼子だった。お母さんがお子さんに「17年前は〇〇おじさんが菩薩になったのよー」と話しかけていた。〇〇の部分は覚えていないが、おそらく親戚か親交のある男性を指しているのだろう。私はそれを聞いて、世代を越えた継承とはこういう形で実現するのかと納得した。
 蜂須賀蓮華寺の練供養は毎年行われるが、ここ愛西市の練供養は勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳のときだけ。17年に一度っきりだ。17年前を思い出し、17年後の未来を想う。そういう機会なのだろう。
 今回のお稚児さんが17年後には菩薩さまになるかもしれない。その菩薩さまは結婚して子どもが生まれ、その子もお稚児さんになるかもしれない。そういう形で伝統が受け継がれるコミュニティがこれからも続いていってほしいと思った。よそ者の勝手な願いかもしれないが。田んぼの中の道を菩薩さまと歩きながら、そんなことを考えていた。
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 奈良の當麻寺のように荘厳な練供養はもちろん素晴らしい。一方で、このように庶民との距離が近い練供養にもたまらない魅力がある。困る。非常に困ってしまう。ますます二十五菩薩練供養が好きになってしまうではないか。

【2019年お正月ご開帳仏まとめ 1月3日編】神奈川県大磯町と伊勢原市で神像と仏像を拝む

 2019年1月3日のまとめです。湘南へ行ってきました。晴天で、富士山がきれいでした!
 朝、大磯町の二宮駅を降りると、すぐそばの道で箱根駅伝が開催されており、はからずもランナーを応援してしまいました。真摯に前を見て走る選手の姿が尊かったです。

 以下の3か寺と1社をお参りしました。

神奈川県大磯町・六所神社(相模國総社)

神像2躯が1月3日のみのご開帳 いずれも県指定文化財
【神奈川】相模国総社六所神社(大磯町)の神像を拝む - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県大磯町・王福寺の薬師如来坐像

重要文化財、像高131.2センチ、榧の一木造り。平安時代
こちらは正月開帳ではなく、雨天時を除き予約拝観が可能。
【神奈川】大磯町・王福寺の薬師如来坐像~平安のカヤの一木造り~ - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県伊勢原市・浄発願寺

 木喰僧、弾誓上人が開山で、天台宗弾誓派。丈六の阿弥陀三尊がおられる。予約なしで拝観できる
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本尊 阿弥陀如来坐像 約200センチ
脇侍 観世音菩薩立像・勢至菩薩立像 約165センチ
1686 年、第四世空誉弾阿上人と弟子の空幻明阿上人の合作

 山の中の落ち着くお寺。今回が3~4回目のお参りだが、京都大原の古知谷阿弥陀寺をお参りしてからは初めてだ。古知谷で弾誓上人さまのお像をお参りしたことを思い出し、胸があつくなった。
 弾誓上人さまの活動は仏教の主流とは離れた、独特なものだと思う。浄発願寺も山岳修行の場であると同時に、殺人放火を除く罪人を受け入れる駆け込み寺だったそうで、かなり特殊なお寺だったと想像する。
 お寺に手伝いにきている男性と少し話した。浄発願寺はもともと1キロほど上流の場所にあったが、昭和13年の台風による山津波で壊滅状態となり、現在の場所に移ったそうだ。かつての寺跡は奥院とされ、弾誓上人のお像がまつられているそうだ。山道なので、また日を改めて、奥院をお参りしたい。弾誓上人についてもう少し深く学びたいのだが、日々の忙しさにかまけてなかなか機会が作れずにいる。なんとかできないのものか。

神奈川県伊勢原市日向薬師

 ご本尊は平安時代の鉈彫りの薬師三尊さま。
私はこの鉈彫り三尊さまが好きで好きでたまらない。ご開扉はお正月三が日と初薬師1月8日と4月15日の年5回。
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(写真は2006年「仏像 一木にこめられた祈り」展図録より。両脇侍像は私が合成)
 カツラの一木造り。内ぐりなし。
 薬師如来116.6センチ、左脇侍123.3センチ、右脇侍123.9センチ 平安時代10世紀
 日向薬師の薬師三尊は、彫り出される前、木の中でも、あのお姿でおられたのではないか。そんな風に感じてしまう。一番好きな鉈彫り仏なのであります。
 両脇侍は全身に鉈彫りによるノミ目が入るのに対し、薬師如来のほうが鉈彫りは抑え気味であるが、これは尊格の違いを示そうとしたと考えられている。薬師如来螺髪を彫りだし、顔や胸は滑らかに仕上げている。
 実は2018年は鉈彫り仏にお会いする機会がなく、個人的に深刻な鉈彫り仏不足に苦しんでいたのだが、おかげさまで瞬時に解消できた。