ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【大阪】特別公開・和光寺の仏像群~あみだが行けと言いました~

拝観寺院=大阪市西区和光寺(浄土宗)
拝観日=2018年8月5日
拝観した仏像=
〇ご本尊 善光寺阿弥陀如来鎌倉時代)と両脇侍(江戸時代)(三尊で大阪市文化財
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〇木造 釈迦涅槃像(17世紀、大阪市文化財)(像長167.0センチ)
地蔵堂地蔵菩薩立像(10世紀、大阪市文化財
〇紙本着色釈迦誕生図(1817年、大阪市文化財
 

和光寺との出会い

 大阪の和光寺というお寺を知ったのは、昨年の春、大阪市立美術館の「木×仏像」展のとき。つい最近だ。この展覧会は、大阪を中心に木の仏像ばかりを年代順に集めた、大変貴重な展覧会だった。昨年度は東京で運慶展、奈良で快慶展があり、「慶派イヤー」とも呼ぶ人もいたが、振り返ってみると、昨年度の仏像の展覧会の中で私が最も惹かれたのは、島根の平安仏を集めた「島根の仏像」展であり、また、大阪の「木×仏像」展だった。平安以前の木彫仏に惹かれていることの証だと思う。

 前書きが長くなってしまったが、この「木×仏像」展で特に魅了されたのが、宝誌菩薩像の周りに、平安時代地蔵菩薩立像を4躯並べた、いわゆる”地蔵コーナー”(私が勝手にそう呼んでいるだけですが…)だった。4躯の像はそれぞれ、奈良・薬師寺(写真、手前のお背中が見える像)、大阪・蓮花寺、大阪・三津寺(写真、右奥)、そして、大阪・和光寺(写真では、三津寺の横)のもので、どれも10世紀に遡る像だった。10世紀という時代の像が放つパワーに当てられてしまい、私はこの一室から離れることができなくなってしまった。
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 このとき、音声ガイドを聴いていたのだが、和光寺の説明のときに、落語の阿弥陀池の話があった。和光寺の境内には阿弥陀池と呼ばれる池がある。和光寺に侵入した泥棒が「誰にそそのかされて盗みに来たんや」と尼様から聞かれ、「あみだが行けと言いましてん」と答えるという話だった。まあ、「阿弥陀池」と「あみだが行け」をかけたダジャレである。それ以外の詳しい話は忘れてしまったのだが(爆)、音声ガイドを担当していたのが上方落語噺家さんだったこともあり、「あみだが行け」というセリフとともに、地蔵菩薩立像を記憶していたのだった。そして、ご本尊が阿弥陀如来であるという和光寺をいつかお参りしたいと思い続けてきた。

 そんなおり、奇しくも、私が奈良へ行く日に、大阪市による和光寺の特別公開が行われることがわかった。何ともラッキーな偶然だと思い、急きょ、和光寺をお参りすることにした。

和光寺の創建

  和光寺にある阿弥陀池は、仏教伝来の際に朝鮮半島から渡ってきた阿弥陀如来像が排仏派の物部氏によって沈められた「難波の堀江」にあたると伝わる。のちに、信濃の本田善光が救い出したその像が、信濃善光寺の本尊となったとされている。こうした由緒から、和光寺は元禄11年(1698年)、善光寺の特別末寺として創建。現在のご本尊である阿弥陀如来は創建時に信濃善光寺から譲り受けたものだという。
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 和光寺の建立の背景として、1) 信濃善光寺阿弥陀如来像が1692~1694年に江戸、京都、大坂(四天王寺)で出開帳が行われるなど、善光寺信仰の盛り上がりがあったこと、また、 2) その当時、阿弥陀池のある堀江の地を南北に分ける人口運河の堀川が開削され、阿弥陀池周辺が大坂市中の市街地の一部となったことが挙げられる。

和光寺のご本尊は善光寺阿弥陀如来

 和光寺のご本尊は普段は本堂中央の厨子の中にまつられているそうだ。今回の大阪市の特別公開では、阿弥陀三尊はお厨子の前に出され、間近にお姿を拝むことができた。厨子には帳がかけられており、普段はお姿を拝観するのは難しいのだと思った。
 和光寺の尼様いわく、「このような形で公開するのは、おそらく前例がない」。大変貴重な機会をいただけたのだ!

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 中尊の阿弥陀如来さまは鎌倉時代の作と考えられ、丸顔で優しい笑顔が魅力的。
 像高は中尊が18.2センチ、両脇侍は各13.7センチ。小さいながら、彫技がさえわたり、存在感がある。子どものように可愛らしい笑みに、拝観する私の頬もゆるんだ。冒頭記載の写真を見ると、猫背の背中に広がる衣文が美しい。
 和光寺阿弥陀さまの左手は、第2指と第3指を伸ばし、他の指を捻じた、いわゆる、チョキの形。善光寺阿弥陀如来の特徴を示す。脇侍の菩薩立像は右手と左手を交互に重ね合わせており、これも善光寺阿弥陀三尊の特徴だ。
 大阪市文化財課の方がこれを「異形の阿弥陀如来」と呼んでいたのが印象的だった。異形というと、密教仏のこわいお姿が思い浮かぶが、こちらの善光寺阿弥陀三尊は穏やかに微笑んでおられた。

地蔵菩薩立像

 冒頭の「木×仏像」展に出展された地蔵菩薩立像は、本堂裏の地蔵堂におまつりされていた。面部は彫り直しが認められ整っているが、体部は木肌がかなり荒れており、焼けた痕跡も残っている。頭頂部から底部まで一材から掘り出す。材はケヤキと推定。内刳りなし。寺伝によれば、隠岐国の海辺に流れ着いた仏像で、大坂の豪商・鴻池家により奉安され、1855年に開扉法要が執り行われたという。通称「あごなし地蔵」。今はあごはあるので、いつの時代か、あごを欠いていたのだろう。海から漂着したという寺伝に関係があるのかもしれない。ご尊顔にかなりの後補が入っているのだろう。
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 地蔵菩薩立像は普段は地蔵堂の堂外からガラス越しに拝観できるようになっているそうだ。特別公開のこの日は、同じ堂外からの拝観ではあったものの、お堂の扉が開けられ、ライトが当てられていて、通常よりはお姿がよく見えるように工夫してくださっていた。正直な話をすると、「木×仏像」展では、ガラスケースなしの360で、しかも、間近でお姿を拝めたので、それに比べると、拝観環境は厳しかった。しかし、町中のお寺の小さなお堂で、誰もがいつでもお参りできる環境であることが分かり、とてもうれしく思った。平安時代10世紀の木彫仏が平成の庶民の信仰を受ける。その重みを感じた。

釈迦誕生図と釈迦涅槃図

 以下の写真は特別公開のチラシを写したもの。
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 サタデーナイトフィーバーのような赤ちゃんの絵は一体なんなのだろう。そう誰もがツッコミたくなるだろう。お寺に入ってみると、一瞬で正解がわかる。なんと釈迦誕生図の一部(中央の誕生釈迦仏)なのである。紙本着色釈迦誕生図は1817年、小柴蘭渓によるもので、大阪市文化財。掛軸装で、本紙の大きさが縦315.7センチ、横257.3センチ。かなり巨大な誕生図である。
 これとほぼ同サイズの紙本着色釈迦涅槃図(縦256.2センチ、横207.2センチ)(1711年、長谷川金右衛門)も、誕生図と一対のようにして本堂内にかけられており、壮観だった。

感想

 善光寺の由緒のある場所に建てられたお寺に残る善光寺阿弥陀如来を拝観できたこと、大変ありがたい。阿弥陀様の追っかけなので、阿弥陀ワールド全開の善光寺さまも大好きなのであります! 善光寺信仰は中世以降、日本各地に広まったと聞いており、善光寺阿弥陀如来はよく見かけるように思うのだが、大阪市文化財課の方によると、関西では珍しいのだそうだ。
 また、「木×仏像」展の"地蔵コーナー"の地蔵菩薩さまをお寺に訪ねたいと思ってきたが、実は、今回の和光寺だけではなく、大阪難波の三津寺の地蔵菩薩さまも今年4月の大阪市の特別公開でお参りできた。大阪市の特別公開は公開日が限定的であり、なかなか遠くて行けないが、今回のように機会があれば、ぜひまた参加したい。和光寺地蔵菩薩さまの存在感は遠目であっても半端なかった。
 この”地蔵コーナー”のうち、大阪の蓮花寺さんの地蔵菩薩立像だけがまだお寺で拝めていない。いつかお参りしたい!

拝観案内

 和光寺西長堀駅から徒歩2分ほど。大阪市西区北堀江3-7-27。


※参考資料
〇『密教関係の仏教美術の保存と活用事業 調査報告書 和光寺の仏像について』大阪密教美術保存会(2018.8.5発行)
〇『木×仏像』展図録(2017年)

※写真
阿弥陀如来阿弥陀三尊の写真は『和光寺の仏像について』より。
地蔵菩薩の写真は『木×仏像』展図録より。
阿弥陀池とチラシの写真は筆者撮影。
〇木×仏像展の”地蔵コーナー”の写真は展覧会の公式サイトより。