青雲寺(埼玉県白岡市)
説法印を結ぶ平安後期の阿弥陀如来坐像が新発見!
2023年11月23日、初の一般公開に伺った!!
日本の仏像の世界は奥深くて、令和の世になってなお、平安時代のお像の「新発見!」という事態が発生する。平安仏さまは長い年月をただ過ごしてこられただけなのに、「新発見!」とは物騒な物言いではある。
つまりは、こういうことである。現在、埼玉県白岡市と呼ばれるところに、いつの頃からか阿弥陀如来様の坐像がおまつりされていた。人々の記憶によると、かつては篠津須賀神社付近にあった西光庵に安置されていたが、いつの頃か青雲寺近くの阿弥陀堂に移される。やがてそこが廃寺となってしまい、以来、この阿弥陀如来坐像は青雲寺にひそかにまつられてきた。矢のように時は過ぎ、白岡市では2022年から仏像調査が始まる。同年6月、青雲寺を訪れた調査団は、本堂の正面左側の間に坐しておられる阿弥陀如来を目にする。暗がりの中、目を凝らしたその瞬間、平安末期の特徴を示す阿弥陀如来様のお姿が浮かび上がった。おお、びっくり仰天、驚いた…。お寺や地元の檀信徒さまもびっくり。えー、昔から手を合わせてきた阿弥陀さまにそんな文化的な価値が…? まぁどうしましょう…? と、まあ、こういうことを仏像調査の世界では「新発見!」と呼ぶようだ。繰り返すが、阿弥陀如来様は造立以来、人々の祈りをうけとめ、無限の光を照らしてくださってきたわけなので、阿弥陀様目線でいえば「新発見!」とは、こそばゆいに違いない。 阿弥陀様におかれては、いやいや、ずっとここ、あなたのそばにおりましたよ、というお気持ちに違いないのだ。
そういうわけで、「新発見!」とは物騒な物言いではあるもの、「新発見!」の阿弥陀如来坐像が初公開されると聞けば、伺わざるをえない。それが仏像大好きおばちゃんの習性である。しかも、説法印の阿弥陀様であれば、万難を排して出かけなれば。仏友さんから情報を得たおばちゃんは早速白岡市に電話をし、拝観の許可を取り付けたのであった。
白岡駅から2kmあまり。静かな街道沿いに青雲寺はあった。11月23日、阿弥陀如来様の初の一般公開は、市の文化財課の主催により、10時、11時、13時半、14時半の4回にわけて予定された。各回45分間で、住職や文化財担当者による解説のあと、各参加者が阿弥陀如来様のお近くにいって拝観するという流れだった。私は10時の回に参加した。
近くで見上げると、やはり、写真よりずっと見事なお像だった。像高108.5センチメートル。幅87.2センチメートル。前後割矧ぎ。胎内銘なし。螺髪や肉髻の形、丸いお顔、結跏趺坐した膝の厚みが薄いところは平安後期、定朝様の特徴を示すが、胴が長めで、表情が少し固めなことから、定朝様の全盛期から少し時代がくだった院政期の作ではないかとのこと。構造についても解説があったが、内繰りの丸鑿のあとの様子や、前後割矧ぎした右側に三角形の材を入れる点なども当時の特徴だという。
解説は、近くの宮代町の西光院の阿弥陀如来坐像にも及んだ。宮代町西光院の阿弥陀三尊も平安後期の作。安元2年(1176)の銘があり、国の重要文化財に指定されている。東京国立博物館に寄託されおり、時々常設展にお出ましである。調査された先生によると、宮代町の阿弥陀如来坐像は地方色が出ているのに対し、青雲寺の阿弥陀如来像はもっと都ぶりがするという。 青雲寺像は、都の仏師か、中央の仏像を学んだ地方仏師によるのではないかとのこと。
それにしても、仏像大好きおばちゃんが気になるのは、説法印である。おばちゃんがある本で読んだところでは、説法印の阿弥陀如来は當麻曼荼羅にみられ、奈良時代に例が多いらしい(奈良・興福院など)。鎌倉時代に入り、奈良の古仏に学んだ慶派の制作による例もあるという(京都・西念寺など)。という説明を読むと、平安時代には、説法印の阿弥陀如来は少ないのだろうと推測できるのだが、本当のところはいったいどうなのだろう。奈良の法隆寺で、説法印の阿弥陀如来坐像を拝見したことがある。大神神社伝来の地蔵菩薩立像が聖林寺十一面観音菩薩立像と一緒に東京国立博物館にお出ましだったとき、法隆寺では、この地蔵菩薩立像がおられた場所に、説法印の阿弥陀如来坐像がお出ましだったのだ。この阿弥陀如来像は平安時代のものだったと思う。で、ここにきて、青雲寺の説法印の阿弥陀如来像が「新発見!」である。平安時代にも説法印の阿弥陀如来像は少なからず造立されていたと考えてよいのだろうか。いずれにしても、来迎印や弥陀定印の像が多いことには変わりなく、説法印の阿弥陀如来は稀少だと思われる。
感動と興奮のあまりいろいろ書いてしまったが、最後に、拝観時に印象的だった出来事をひとつ。訪れたおじいさんが「久しぶりにご本尊様にお会いできた…。うちのお寺、西光庵だったから…」と呟いておられたのである。おじいさんの純粋な思いが伝わってきた。 おじいさんの前では、自分などただのよそ者にすぎない。そんな自分が拝観させていただいているという自覚を忘れずにいたい。「新発見!」の物騒な響きの中、このおじいさんのピュアな言葉(ことのは)がひらひらと上空に舞い上がっていくのを感じた。
彫刻史の観点からの解説もしっかり聞けたし、おじいさんの感動も聞けた。本当にありがたく、関係の皆様にお礼申し上げたい。
青雲寺の阿弥陀如来さまよ、永遠に!
【参考資料】
白岡市による青雲寺阿弥陀如来の解説=木造阿弥陀如来坐像/白岡市
白岡市のサイト=青雲寺の木造阿弥陀如来坐像が市指定文化財に指定されました!/白岡市
宮代町のサイトより西光院(埼玉県宮代町)阿弥陀三尊の解説=テキスト / 西光院阿弥陀三尊像
同阿弥陀三尊の画像=西光院木造阿弥陀如来及び両脇侍像
【拝観案内】
青雲寺(しょううんじ)
埼玉県南埼玉郡白岡町大字篠津672
阿弥陀如来さまの予約拝観が可能かは不明。今回の初公開は、今年7月に発足したばかりの白岡遺産保存活用市民会議が市教委、青雲寺とともに初めての事業として企画したものなのだそう。今後の公開にも期待がもてる。
青雲寺ご本尊は不動明王坐像。今回は公開されなかったが、境内に薬師堂もあり、薬師三尊と十二神将がまつられていた。薬師堂については、堂外からガラス越しに拝観した。