木津川市の特別公開で、中川廃寺(奈良市中ノ川)の平安後期の薬師如来坐像を拝観。優美なお姿に心が癒される。鹿背山の静かなお寺の佇まいと、住職様の穏やかなお話に、さらに癒される。特別公開中(2022/5/3-5)とはいえ、他に拝観者はおらず、おかげで静かにのんびりお参りできた。とてもありがたく、感謝申し上げる。そして、中川寺についてもっと学びたくなった。
薬師如来坐像
西念寺薬師堂の大きなお厨子にまつられる。穏やかな平安後期の作で、京都府指定文化財。像高50.7cm。桧の割り矧ぎ造り。
江戸期の『東大寺雑集録』に、「薬師は木津鹿背山にこれ在る由、薬師の仏足裏に中川山と書付けるの由、村老申し伝えて云う」とあることから、文明10年(1478)に焼失した中川寺の成身院(じょうしんいん)の本尊だったと考えられる。
日光菩薩・月光菩薩立像
薬師如来の脇侍としておなじ厨子に安置。像高は日光菩薩が46.3cm、月光菩薩が45.6cm。月光菩薩の台座底面に永正11年(1514)とある。室町ながら、気品のある立ち姿が好印象。
本堂のご本尊阿弥陀如来坐像
台座に延宝5年(1677)と墨書があり、その当時の作だという。外陣から拝観した限りでは平安仏かと見紛う美しさだった!
裏堂の阿弥陀如来
本堂の向かって右奥に、法然上人、善導上人とともに阿弥陀如来坐像がまつられている。面相部のみが平安後期のもので、体部は江戸時代のもの。本尊よりさらに遠目からの拝観であったが、頭部だけ色が黒っぽく、明らかに作風が異なるように思った。資料には面相部のみ平安と書いてあるが、肉髻の豊かな盛り上がりも平安後期風では? 法然上人と善導上人は江戸時代の作。
「鹿山寺略縁起」版木 享保5年(1720)
鹿3頭を射止めた猟師に出会った行基さんが殺傷はいかんと説くも、聞いてもらえない。すると、行基さんはなんとその鹿をことごとく食べてしまう。そして、近くの川で口をすすぐと、生きた鹿3頭を口から吐き出した…というストーリーの版木が本堂で展示されていた。大智寺にこの縁起の絵巻があるそうで、そのコピーも一緒に展示。わかりやすい物語に行基さんの偉大さが凝縮されている!