仁勝寺(山梨県甲府市)
2022/11/25-26 特別公開
木造聖徳太子立像
鎌倉時代後期 桧寄木造 像高114.5cm 重文
甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が京都からもたらしたと伝わる聖徳太子像。武田家が代々守り伝え、躑躅ヶ崎館にまつられていた。天正10年(1582)、織田・徳川軍の侵攻により戦線維持が不可能となった武田勝頼が、岩殿城に退避しようとした際、家臣中沢氏に託し、仁勝寺本尊として大切にまつられてきた。
父親の闘病平癒を願う聖徳太子16歳のお姿で、孝養像と呼ばれるもの。太子像は厳しい眼差しで理知的な印象のもが多いが、この像は眼差しが穏やか。美豆良が初々しく、ふっくらした頬などから子どもらしささえ感じてしまう。病の父親を案じるお心が伝わってくるようだ。衣には随所に切金で鳳凰が描かれ、高貴なお姿を引き立てている。
市職員さんのお話によると、京都仏光寺の聖徳太子像に似ているだそう。気になって調べてみると、確かに似ていた。円光院など、京風の仏像が残るのも甲府の仏像の魅力のひとつだと思う。
聖徳太子は甲斐の黒駒に乗って富士山に降り立ったと伝わり、甲斐の国の人にとって大切な存在なのだろう。2年ほど前から聖徳太子御遠忌1400年の展覧会やご開帳に接してきたが、古来より日本各地で太子様が信仰されてきたことを改めて実感した次第である。