ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【大阪】千日会でご開帳の観音様を拝む~大阪編2 如願寺と四天王寺~


 大阪の千日会のご開帳めぐり、大林寺の次は大阪市の如願寺と四天王寺をご紹介したい。

如願寺(大阪府大阪市平野区

 坂東武者の私(笑)にとって、かなり不思議な地名、喜連瓜破(キレウリワリ)。その駅の近くに如願寺はあった。喜連(キレ)は『古事記伝』にも登場する古い地名だそうで、如願寺は元々は聖徳太子が喜連寺として創建したのが始まりだという。一時は大伽藍を構えるもの、次第に堂宇は縮小。弘仁年間に弘法大師空海が再興して如願寺と改め、脇侍不動明王毘沙門天を自作安置したと伝わる。
 そんな由緒正しい古刹を訪ねるとなんと、ロシア人の副住職、慈真さまが迎えてくださった。日本語が堪能で、昔の日本人のように気配りされる、お優しい方だった。お話を伺うと、副住職はウラジオストク出身で、現地の大学で日本文化を学んだあと、大阪の大学に留学。ウラジオストクに戻って、日本語通訳などの仕事をしていたとき、ツアーガイドとして訪れた如願寺住職の娘さんと出会い、恋に落ちてしまい、仁和寺で修業し、現在に至るのだそうだ。ウラジオストクでは空海について研究したのだそう。人生とはどこまでが偶然で、どこからが必然なのか、不思議なものだ。義父である住職はウクライナカラーのマスクをされ、副住職の質問に優しく応じておられた。副住職の奥様はご本尊十一面観音様を版画で描き、参拝者に蓮茶をふるまう。如願寺ファミリーの温かさが伝わってきて、一瞬にしてファンになってしまった。

 そんな如願寺の仏像をご紹介する。内陣に上げていただき、厨子の前まで進んで拝観させていただいた。

如願寺内陣

ご本尊 聖観音菩薩立像

 ケヤキの一木造り。平安前期の末頃の作とされ、総高205cm。大阪府指定有形文化財
 本堂内陣中央、お厨子の近くに進むと、膝下に緩やかな翻波式衣文が見えた。その上に控えめな渦文。下腹部に流れる衣文も美しい。解説によると、右手の指端と腕の関節から手掌までの部分が後補であるが、それ以外は当初のまま。脇侍は毘沙門と不動明王の立像。
 8月9日と10日の千日会の日のみ開扉される。開扉時間は朝9時から夜19時までと長い。私は夕方に伺ったが、もしまた次にお参りできるのなら、日が落ちた夜の時間帯に照明による光の荘厳のもとでお参りしたい。

ご本尊聖観音菩薩さま

地蔵菩薩立像

 寄木造りだが、体部の根幹はほぼ一木造り。平安時代後期12世紀後半。大阪市指定有形文化財
 丸顔で、なで肩。衣文は浅く上品で、全体的に穏やかな印象ながら、腹帯を締め、錫杖を持ってしっかりと立つ。

厨子の前で見上げる地蔵菩薩様は神秘的だった

四天王寺の千日会

 如願寺と合わせて、四天王寺も参拝。千日会の際、聖霊院にて、聖徳太子本地仏救世観音で秘仏の「試みの観音」像がご開帳。8月9日と10日、9-17時。ご開帳の観音様は小さめで、外陣から拝観のためかなり距離があり、坐像のシルエットが伺えるのみだった。なぜか千日会のときに鬼大師のお札が授与される。列に並んで、ありがたく拝受した。せっかくなので、金堂と講堂も参拝。昭和の空襲後の再建ながら、聖徳太子の息遣いが感じられる空間は居心地がよい。

【拝観案内】

〇霊峰山如願寺(真言宗御室派
住所 〒547-0027 大阪市平野区喜連6-1-38
電話 06-6709-2510
摂津国三十三ヶ所第32番札所
摂津国八十八箇所第37番札所

〇総本山四天王寺
住所 〒543-0051 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
電話 06-6771-0066