ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

ぶつぞうな日々Part II (バックナンバー)はこちらです!

仏像のブログを書き始めたのは、2005年の年末でした。最初の投稿はこんな感じ。

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10年以上が過ぎてもこの気持ちに変わりありません。ますます仏像に魅了されています。

上記のブログは「ココログ」で書いていたのですが、投稿に無駄な手間暇がかかるのが悩みでした。

これからこちらの「はてなブログ」でお世話になろうと思います。

過去の記録は以下からご覧ください。

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com




ブログを書いている「はらぺこヒヨドリ」さんのプロフィールは

はらぺこヒヨドリ をご覧ください。


素人の雑文ですが、これからも仏像への愛を叫んでいければと思っています。平凡な中にも山あり谷ありの人生ですが、仏像が好きなおかげでとても救われています。

仏像好きなみなさん、一緒に「仏像大好き~♪」と叫びましょう。仏像とそれを守られてきた皆様に感謝を伝えたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

【広島】明王院(福山市)十一面観音菩薩さまご開帳~33年ぶりご開帳に泣き、令和の印仏に参加~

明王院広島県福山市
秘仏十一面観世音菩薩さまご開帳
2024/11/1-11/4

1) 序文~穏やかな照明のもと秘仏観音様にお会いする~

 秘仏十一面観音菩薩さま33年ぶりのご開帳にお参りした。
 穏やかな照明のもと、お厨子の近くで憧れの観音さまにお会いできた。泣いた。写真で拝見していた印象の何百倍も神々しい。ありがたくて、ありがたくて、ありがたい。
 お腹から下の衣文は平安前期に特有の深いもの。膝下には明らかな翻波式衣文。その一方、この時期だとご尊顔が厳しかったりするのだが、明王院の観音様は伏目で、慈愛に満ちている。ただ見惚れる。
 照明の当て方が愛に満ちていた。お厨子の下から小さなスポットライトが二つ。さらに、内陣と外陣の境の壁の上から大きなライトが二つ。観音様が美しく見えるように工夫したに違いない。
 春日厨子も美しい。脇侍の毘沙門天不動明王の立像の穏やかな佇まいもよい
。つまりは極楽のような空間だった。
 昨年、五重塔弥勒菩薩坐像の頭部から、釈迦如来薬師如来地蔵菩薩の三尊のハンコを押した紙がたくさん見つかった。ご結縁の方々が奉納した、いわゆる印仏である。今回のご開帳では、これと同じデザインのハンコが作られており、一般参拝者も押すことができた。私はもちろん参加。
 明王院五重塔は中世の方々が少額寄進して建てたという銘が残る。その皆様の思いを後世に伝えるため、私の少額のお納めが少しでもお役に立ちますよう。

2) 明王院のみほとけ!

 秘仏の観音様を含め、明王院では思いのほか多くの仏像にお会いできたので、以下に書き留めたい。

2-1) 本堂

秘仏十一面観音菩薩立像(重文)

明王院秘仏本尊十一面観音菩薩立像(写真は1991年の展示図録より)
観音様の深い表情に魅了される(写真はふくやま美術館前の看板。大雨の中で撮影)

 33年に一度ご開帳の秘仏一木造り。像高149.2cm。本体と共木で造られた蓮肉部を含む総高は171.7cm。一木造りの木取りは、両腕内側の天衣遊離部を含め、右手上膊の半ばまでと、左手首までを含む。蓮華座に立つ左足の親指が上に向いているが、これも一材から彫出されているというから、驚きだ。着衣の衣文は深く、美しく、複雑に流れる。膝から下には、はっきりとした翻波式を刻む。
 観音様はお厨子の中におられるため、側面と背面は見えない。展覧会図録に掲載の写真を拝見すると、どっしりと量感がある。特に、背面の美しさに魅了された。背面にも翻波式衣文がある。
 こうした平安前期の特徴があると、ご尊顔は厳しく強烈な印象があってもおかしくない。しかし、この明王院の十一面観音様のご尊顔は森厳でありながら、慈しみに満ちている。私はそう感じた。照明はお顔に特に白めに当てているので、それが観音様の見え方に大きく影響を与えているとは思う。お顔だけ白く浮かび上がっているように見えた。そのためなのかどうなのか、ご尊顔は伏し目がちで、厳しめでありながら、なぜかお優しい。ご一緒に参拝した女性数名から、「なんて優しいお顔なの...」というため息も聞こえてきた。
 この厳しくも優しくも見えるご尊顔は、この観音様の大きな特徴の一つなのではないか。「ふくやまの仏さま」展図録(2024年)では、このご尊顔について、かなり主観的な文章が掲載されており、その思いを強くした。以下に引用する(同図録p124上段より)。

>引用始め>この観音像の最大の魅力は、柔らかく、慈愛に満ちており、それでいて芯の通った強さを感じさせる面貌にあります。まっすぐ正面を見据える眼差しは、祈りを捧げるものを包み込む慈悲を湛え、引き結んだ唇は、弱い心を打ち滅ぼし、正しい道へと導こうとする強い意志を表出しています。<引用終わり

 図録といえば、寸法だったり制作年代だったり、サイエンスベースで記述するものだ。それなのに、上記のようにお像の"意志"にまで踏み込んだ書き方をしている。筆者の先生も観音様のご尊顔に強く魅了された証であろう。

毘沙門天立像と不動明王立像

秘仏観音様の脇侍。像高は毘沙門天が88.3cm、不動明王が66.5cm。どちらも平安後期かと思ったが、平成3年の図録「明王院ーその歴史と文化財ー」には、毘沙門天が平安末期、不動明王が室町前期とあった。

阿弥陀如来立像

本堂の脇侍に安置される、像高183.0cmの大きな阿弥陀様の立像。鎌倉後期の地方作。かつてあった阿弥陀堂にまつられていたか。

2-2) 五重塔

弥勒菩薩坐像および両脇侍坐像(県指定)

五重塔弥勒菩薩坐像及び両脇侍坐像(写真は「ふくやまの仏さま」展図録より)

 明王院の国宝五重塔弥勒菩薩坐像、不動明王坐像、愛染明王坐像の三尊がまつられる。五重塔の伏鉢(貞和4年 1348)には、兜率天上詣の願望を遂げ、弥勒菩薩と縁を結ぶため、一文勧進の小資を募って建立されたことを示す銘がある。明王院の門前に流れる芦田川の中州、草戸千軒の民衆が、少額を寄進したことを伺わせる貴重な銘文である。(同伏鉢のレプリカが、福山駅近く、広島県立歴史博物館<ふくやま草戸千軒ミュージアム>で展示されている。草戸千軒の街並み復元もあるので、明王院と合わせて訪問するのも悪くない!)
 弥勒菩薩、不動、愛染とも、造立時期は五重塔建立の貞和4年(1348)頃。どの像も一木割矧ぎで、玉眼嵌入。
 この弥勒菩薩坐像は実に興味深い。2022年度から2023年にかけて保存修理が行われ、頭部内の空洞に紙状の納入品が納められていることが判明したのである。紙縒(こより)でつながれた印仏2点と、折紙の書状(断片・印仏含む)1点だった。印仏は地蔵菩薩、釈迦如来薬師如来の三尊を一つの版とし、紙の表と裏に捺印され、紙縒で閉じられていた。一文寄進によるご結縁の証として、弥勒菩薩坐像の頭部に納入されたと考えられる。
今回のご開帳では、この印仏のデザインを模ったハンコが用意されており、それを参拝者が押すことができた。令和の印仏として、五重塔に納めていただけるという。印仏に憧れていたので、一瞬の迷いもなく、志納のうえ、この印仏に参加させていただいた。ありがたい!

境内に掲示されていた印仏の説明
私が奉納させていただいた令和の印仏。中世の本物よりだいぶ大きめ。裏面に住所氏名、願いごとを書きました。

 なお、明王院五重塔弥勒菩薩から印仏が見つかったというニュースは昨年拝見していたのだが、その際、五重塔なのだから弥勒菩薩ではなく、大日如来なのではないか、と素朴な疑問を感じた。今回の旅で、五重塔兜率天におられる弥勒菩薩との結縁を願って建立されたことを知り、なるほどと思った。
 これに関連して驚いたことがある。33年前、1991年の展覧会図録を拝見すると、この弥勒菩薩坐像が、なんとなんと、胎蔵界大日如来坐像として掲載されていたのである! 当時の写真を見ると、今のように宝塔をお持ちではない。さらに、明王院公式ホームページの文化財欄にも、まだ大日如来として掲載されている。むむむ、つまりは、わりと最近まで胎蔵界大日如来として認識されており、その後の研究によって弥勒菩薩坐像と特定されたのだろう。
 調べてみると、2016年に福山市教育委員会大日如来から弥勒菩薩へと名称変更したことがわかった。
濱田宣先生の論文によると、その理由は三つある。
i) 掌上に柄穴が確認され、弥勒菩薩の持つ宝塔があった可能性が高いと考えられること、
ii) 五重塔屋根上の伏鉢印刻銘に弥勒菩薩と結縁するために同塔を建立したとあること、および、
iii)五重塔内四天柱に描かれた三十六の尊像に弥勒菩薩を加えることによって金剛界三十七尊が揃うこと。

とてもとても興味深い。お像の尊名が変わったのは、研究の進歩によるもの。敬意を表したい。
 さらに、もう一点付記すると、五重塔弥勒菩薩不動明王愛染明王は、「各像に共通する文様表現と五重塔内荘厳画との類似から、三躯共に南北朝時代五重塔 建立当初(1348年)頃の制作であるとされた」とのこと。1348年の状況をこうして解明していく仕事に敬服する。

2-3) 護摩

不動明王立像(市指定)

 護摩堂の不動明王立像は寄木造りで玉眼嵌入。像高98.0cm。室町から江戸時代。
 護摩堂では、矜羯羅童子・制吒迦童子が二組まつられる。奥の二童子が本不動明王像と一具で、手前の二童子は他所から移安されたものとみられる。両脇侍像はいずれも江戸時代。

2-4) 書院

不動明王立像(市指定)

 書院に小さな仏像がまとめられており、参拝者がお参りできるようになっていた。市指定文化財が二つ含まれており、この不動明王立像はその一つ。
 像高94.0cm。平安末期の上品な感じのするお不動さま。明王院裏山中腹に愛宕神社があり、その本尊としてまつられていたと伝わる。

阿弥陀如来立像(市指定)

 来迎印を結ぶ、鎌倉時代阿弥陀如来立像。像高78.0cmと、三尺より小さいが、端正な表情で、衣文も流麗。

3) 拝観順路

 ご開帳中、境内の拝観順路が以下のとおり決められていた。僧侶や係の方々のご案内により、気持ちよくスムーズに拝観できた。

五重塔 

本堂 

護摩堂 

書院 

令和の印仏

4) 感想まとめ

 実はいろいろあって、11/1と11/2の二日連続でお参りしてしまった。どちらも大雨の中での拝観だった。特に、11/2は福山より西側の大雨の影響で、午前中は新幹線がストップ。私もそれに巻き込まれて福山を脱出できなくなり、ありがたいご縁により11/2も明王院にお参りすることになったのだった。当日はいろいろハラハラしたし、大変だった。が、今これを書きながら振り返ると、すべてが何かのお導きだったような気がしてくる。33年に一度、4日間のみのご開帳。そのうち2日も通ってしまった。本当にありがたい。
 また、印仏という作善に憧れていたので、令和の印仏に参加できたこともありがたい。
 この秘仏の観音様はなんと11/12からふくやま美術館「ふくやまの仏たち」展にお出ましになる。五重塔の三尊(上記の印仏が初公開)、護摩堂の不動明王と矜羯羅制吒迦二組など、明王院の仏像が美術館に集結する。秘仏観音様は、お堂とは別の照明のもと、お堂とはまた別の見え方になるのではないだろうか。お寺のご開帳と、展覧会、その両方に行かれる方も多いのでは。私は展覧会に行く予定は確保できていない。展覧会の様子を漏れ聞くことを楽しみにしている。

【参考文献】

・「ふくやまの仏さまー国宝明王院本堂本尊三十三年ぶり特別公開記念ー」展覧会図録(ふくやま美術館/2024年)
・「明王院ーその歴史と文化ー」展覧会図録(広島県立歴史博物館/1991年)

・「五重塔三尊仏《弥勒菩薩不動明王愛染明王》-各尊像の仏像史上の位置付けと西大寺律宗との関連性-」徳島文理大学文学部  教授  濱田 宣 明王院五重塔ご本尊弥勒菩薩解体中に見つかった「印仏」に関する講演 - 明王院を愛する会 福山市 国宝明王院
・TBSニュース「675年前の仏像内にあった紙 描かれていたのは3体の仏 民衆の願いの表れか 広島・福山市の国宝・五重塔の本尊」
newsdig.tbs.co.jp

【参拝案内】

明王院
住所 広島県福山市草戸町1473
公式サイト 国宝 明王院 オフィシャルホームページ

五重塔とその奥の本堂が国宝建築。秘仏ご開帳の日の境内です!

【京都】国立博物館1階の彫刻展示「如来と菩薩」

京都国立博物館1F-1展示室
彫刻「如来と菩薩」
2024年6月18日(火)~ 9月8日(日)

京都国立博物館新館の1階、最初のお部屋に平安時代を中心とした古像が並ぶ。展示解説をメモしながら拝観すると、あっという間に1時間が過ぎた。本稿は、そのメモを文字お越しし、さらに感想や関連リンク等を少しだけ追記したもの。
初見の像はほぼなかったと思う。が、よいお像は何度お会いしても感動する。さらに調べてみると新たな発見もあって、感動が倍増する。

薬師如来立像(京都・長源寺)

10世紀 重要文化財
長源寺のある京都市左京区岩倉は10世紀後半には天台寺院が多かった。本像ももとは天台宗寺院のものだったと考えられる。比叡山延暦寺根本中堂最澄自刻像と共通の特徴をもつ、いわゆる天台薬師の作例。

10世紀の"天台薬師"(京都・長源寺)

最澄自刻の薬師如来像は、鎌倉時代慈円によると、右手を挙げて親指と中指を結び、左手は掌を上に向けて全指を前に伸ばし、薬壺を持たないお姿だった。これを模した天台薬師は10世紀後半以降、数多く造立されるようになる。
長源寺は1463年創建の浄土宗寺院。10世紀の作である本像は、明治5年(1872)に当寺と合併した恵尊寺の旧仏だったという説がある。
(感想:2022年の天台展(京博)でもお会いしたが、こういう10世紀の天台薬師は感動する)
(写真は京博サイトより)

阿弥陀如来坐像(京都・心光院)

12世紀前半
定朝様。主要部門は前後左右四材の寄木造り。後頭部は体部と共木から彫出。
(感想:お背中まで拝めて♡♡♡)

十一面観音菩薩立像(京都・妙傳寺)

10世紀 重要文化財
10世紀末の和様彫刻の夜明けの時期の様相をよく示す。丸顔。まなじりの短い目。少しめくれる唇。

妙傳寺(京都八瀬)十一面観音立像

(感想:耳に髪がかかる感じとか、臂釧の感じなど、同じようなお像をどこかで拝見したなぁ…と思った。今、調べてみたら、滋賀県大津・九品寺の聖観音菩薩立像とそっくりだった! しかも、前にTwitterに同じことを書いていた!→
https://x.com/hphiyodori/status/1551315092611837952
(写真は京博サイトより)

千手観音菩薩立像(京都・光明寺

8-9世紀 重要文化財
長岡京市粟生の光明寺の千手観音像。深い眼差しや天衣の柔らかな表現は奈良時代の塑像や乾漆像の特徴。一方、裳裾の力強い衣文や量感ある体躯は平安初期の特徴を示す。
(感想:♡♡♡ 前にもお会いしているはずなのだが、今回は特に感動。奈良時代と平安初期の特徴が混ざってるなんて、最高の中の最高!)

如意輪観音菩薩坐像(京都・廬山寺)

13-14世紀 重要文化財
杏仁形の眼、規則的に折りたたまれた着衣のしわは飛鳥時代の特徴。四天王寺の救世観音像(現存せず)を鎌倉時代に模刻したか。

地蔵菩薩立像(京都・常念寺)

鎌倉時代13世紀
木津川市加茂町、常念寺の2メートルほどの地蔵菩薩立像
(私の感想:衣文は運慶っぽい? 横須賀満願寺の菩薩・地蔵立像を想起する。助けに来てくれるお姿の大きな地蔵菩薩立像で、最初にお会いした時に感動したことを思い出した)

地蔵菩薩踏下像(滋賀・御影堂新善光寺

13世紀 重要文化財
片足を下におろす、いわゆる踏下像。唐末から五代の敦煌絵画、高麗時代の仏画などに多く見られ、日本では平安後期から違例がある。鎌倉時代以降に盛行。若々しい表現は鎌倉前期の特徴。

長浜の御影堂新善光寺地蔵菩薩像。写真は2019年時宗の名宝展図録より

如意輪観音菩薩坐像(京都・透玄寺)

重要文化財
装飾的な髪の表現や長い爪は宋風。肥後定慶の弟子筋の作。像内から銅製経筒に納められた経巻が見つかり、その奥書に建長8年(1256)に円空によって八条院大慈恩寺において書写された旨が記載。
(感想:天冠に髪の毛が巻き付いているぞー!)
参考 木造如意輪観音坐像 文化遺産オンライン

観音菩薩勢至菩薩立像(京都・清水寺

12-13世紀 重要文化財
丸顔で腰を捻る点、衣文の畳方などが、1189年開山の浄楽寺(神奈川県横須賀市)の運慶作の菩薩立像と似る。浄楽寺像よりやや細身であることなどから、作者についてはなお検討が必要だが、初期慶派の作例として重要。

十一面観音菩薩立像(京都・宝積寺)

10-11世紀
京都・大山崎町の宝積寺の立像。一木造り。かつて天台の寂照(じゃくしょう)が当寺を中興した際に造像したもの。
(感想:宝積寺本堂本尊は院派の大きな十一面観音立像。それよりも前の十一面観音像がおられたとは...)

十一面観音菩薩立像(京都・常泰寺)

10世紀
伏見区の浄土宗寺院、常泰寺の十一面観音立像。榧の一木造り。内刳りなし。技量と量感のある肉身表現は平安初期に通じるが、表情や衣の襞の表現が比較的穏やかで10世紀中頃か。
(感想:♡♡♡)
参考 木造十一面観音立像

地蔵菩薩立像(京都・新町地蔵保存会)

9世紀 重要文化財
榧の一木造り。
(感想:背中の左右から下に垂れる衣文が立体的。背中にも照明当ててー!)
参考 木造地蔵菩薩坐像 文化遺産オンライン

菩薩坐像(大阪・清泰寺)

9世紀前半から半ば 重要文化財
三尊の脇侍の一対で、文殊菩薩普賢菩薩と伝わる。
(感想:平安初期の感じがたまらない)
参考 清泰寺木造菩薩坐像2体 - 枚方市 - LocalWiki
参考 https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/00011714
参考 木造菩薩坐像 文化遺産オンライン

清凉寺式釈迦如来立像(文化庁

13世紀 重要文化財
仁和寺の一院だった京都・常楽院に伝来。伝承では、明恵上人が京都槙尾西明寺の釈迦如来像像と同じ木で造らせたという。作者は、常楽院創建のために土地を寄進した、仏師院賢。
(感想:前日に槙尾西明寺をお参りしたばかりだったので、鳥肌がたった。衣文表現が細かい。2010年に常楽院住職が借金の担保に入れたことが判明したが、その後文化庁が購入。付属する十大弟子像も院賢の作か)

薬師如来立像(京都府城陽市阿弥陀寺

9世紀 重要文化財
枇杷庄(びわのしょう)天満宮社の神宮寺薬師院の本尊。木津川地域において、河川氾濫の難を逃れるため、薬師如来像が多く造られた。厳しい表情、鋭い彫りなど、霊威による除災を祈願した。
(感想:去年の南山城展での記憶が新しい。今、東京国立博物館で公開中の神護寺本尊に迫力負けてない)

地蔵菩薩立像(奈良・秋篠寺)

9世紀 重要文化財
(感想:このあたりで時間切れ。。。この地蔵菩薩立像は何度かお会いしているが、相変わらず強烈な印象だった)

【千葉】不思議な薬師如来立像との不思議な出会い

千葉県某所 薬師如来立像(鎌倉時代

1) 見知らぬ薬師如来像との出会い!

事前に写真を拝見せず、拝観に伺う…。そんなやんちゃなことを久しぶりに行ってしまった。

ことは某役所へのお電話に始まる。ある古像の拝観についてご相談すべく、お電話したのだった。過疎化などで廃寺となり、地元の方々が管理されているお堂は思いのほか多い。そういう場所の拝観については、まずは、役所に問い合わせるのが鉄則なのである。

結果的に、お目当てのお堂は管理者が高齢のため、個人拝観は不可とのことだった。しかし、それらとは別に、公民館に保管されている鎌倉仏がおられるのだという。

な、なんですと!?

鎌倉仏さまのご尊名を伺うと、薬師如来さまだとおっしゃる。千葉県は不思議と薬師如来が多い。まだおられるんですか、千葉の薬師如来像… 

胸がふるえた!

あーー、と、電話口で思わず、息を吐き出したと思う。

そして、続け様に拝観のお願いをした。

希望日を告げると、なんと、拝観させていただけるという。

「公民館」。「鎌倉時代」。「千葉の薬師如来」。
この三つのワードだけで、伺うことを即決したのだった。

逆に言うと、それ以上のことはまったく知らない。電話口で根掘り葉掘り質問したら、もっと教えていただけたのかもしれない。しかし、それはご迷惑だし失礼なような気がして、あえて詳しくは伺わず電話を切った。

とはいえ、その後、ネット検索はしてみた。が、それらしき薬師如来像の情報は出てこなかった。写真はおろか、文字情報さえ出てこない。立像なのか、坐像なのか、それさえもわからないまま、拝観当日を迎えた。

2) 天台薬師様 or 清凉寺式釈迦様 or 一日造立仏?

当日、一抹の不安とそれ以上の大きな期待を胸に、現地に到着した。そして、建物の奥、木製の箱の前まで案内された。

それは、明らかに手作りの、大きな木箱だった。それでも、扉には鍵らしきものが付いている。それをぱんぱんと外し、扉を開けてくださった。

思わず、わーっと声が出てしまった。

突然、目の前に、思いのほか大きな立像が現れたのだ。

端正なご尊顔は静かに目を伏せる。

右腕を曲げて胸の前に掲げ、中指と親指を捻る。左腕は腰の上辺りで曲がり、手のひらを上にして前に出す。手首から先は明らかに後補で、左手が前に突き出ているのか、横向きなのか、わかりにくい。そして、左手には薬壺を持たない。

この左腕の感じだけを見ると、天台根本薬師の系列なのかなぁと思った。しかし、びっくりなのが、頭部である。螺髪ではなく、網目のような形になっている。清凉寺式釈迦如来に見られるもので、薬師如来像では一日造立仏で見かけたことがある。かといって、一日造立仏ほど簡素な造りでもない。うーん、とても不思議な像容だ。

衣文も不思議だ。おへそ辺りから足元に落ちる衣文はシャープに直線状に刻む。その一方で、右脇から左に流れ、下に落ちる衣文は、うねうねして、重い。箱の中に入っているので、腰から下の辺りは見えにくかったが、そんな感じは見て取れた。

うーん、ご尊顔は端正で鎌倉中期? 衣には上記のように重たい部分があることを考えると、もう少し時代がくだるのかなぁ? それが素人の感想だった。

実は、現地に到着してすぐ、専門家によるメモ書きを頂戴していた。改めて読み返すと、こう書かれていた。

〈引用初め〉
構造・彩色: 一木割矧造、頭髪に同心円状の刻線、漆下地金泥塗り

様式: 豊満かつバランスのとれた類例の少ない清凉寺式釈迦如来像の一様式

年代: 鎌倉後期
〈引用終わり〉

むむむ、清凉寺式釈迦如来の一様式? そんなのあるのか? 左手が前に出るので、比叡山根本中堂を模した薬師と言えないのか?? 

こんなふうに様々に考え、悩みながら、拝観させていただいた。

でも、それ以上に、これだけ立派な古像が、小さな木箱に収められていることに心が震えっぱなしだった。

何か事情があるに違いない。

しかし、愛と信仰があるからこそ、ここに安置されているのだろう…

3) もともと安置されていたお堂に泣く!

古びたお堂には薬師如来様の写真が掲げられていた

上記のメモには、この薬師如来像がもともとまつられていたお堂の名前が書かれていた。

Google地図で検索するも、そのお堂の名前は載っていなかった。地名で検索しても出てこない。

うーん、と頭を捻り、あるワードで検索すると、それらしき場所が出てきた! 急きょそちらに向かった。

そこは秘境のような場所だった。

お堂は内陣と外陣とを格子で区切る、立派なもの。しかし、いかんせん、現状はぼろぼろだった。雨風が容易に入り込むよう有様。鎌倉仏を安置するには心もとない。防犯上の心配もある。

そうか。つまりは、この薬師如来立像は公民館へ避難されたのだろう。あの木箱を拝見した瞬間よぎった疑念は確信へ変わった。大切なお像だからこそ、今、別の場所に移られたのだ。大切なお像だからこそ、誰かが木箱を奉納したのだろう。

堂内の格子に、薬師如来像の写真が掲げられていた。その写真を堂外から撮らせていただいた。公民館では撮影禁止だったので、ありがたかった。

在地の皆様は今もこのお写真に手を合わせられるのだろう。そう思うと胸の奥が熱くなった。

4) やはりこれは運命の出会い?

拝観の翌日、偶然読み返した資料に掲載されていた

感動の出会いの翌日、とある仏像資料を読み返していた。天台根本薬師に関する記述を読み進めていると、見覚えのあるお像が...。

なんと、あの薬師如来立像だった。

白黒写真なので金泥の感じはわからない。しかし、私が前述した、端正なご尊顔や衣の感じがよくわかるものだった。しかも、拝観時には手ぶらだったのに、この写真では左手に薬壺を持っているではないか。

この仏像資料、だいぶ前から持っていて、何度か読み返していたのにまったく気づかなかった。

もうこれは運命の出会いと呼びたい!

清凉寺式釈迦如来に似た髪型をした薬師如来像。これは清凉寺式と同じく、生身仏を求めたものなのか。そして、天台根本薬師も求めたものなのか。一日造立仏との関りは? 

感動のあと、こうした「はて?」「はて?」「はて?」が楽しくてならない。

この不思議な出会いに感謝申し上げたい。本当に本当にありがとうございました。

【千葉県】いすみ市山田大門区の「鉄造仏頭」は仏頭ではなくご尊顔と呼びたいほどに美しい

鉄造仏頭(千葉県いすみ市
高さ113cm 鎌倉時代 県指定
山田大門区の大日堂にまつられる鉄仏さまである。市の文化財課から管理者の方にご連絡いただき、間近で拝観させていただいた。
これほど美しく、大きなご尊顔にここまで近づけるとは。大きさに圧倒されつつも、その穏やかな微笑みに私の頬が緩んだ。
日本橋人形町・大観音寺にも鎌倉の鉄造仏頭があることを思い出した。どちらも美しいが、いすみの方が親しみ深く感じるのはなぜだろう。
鍵を開けて迎えてくださった管理者の方に心からのお礼を申し上げた。


【拝観案内】
大日堂
千葉県いすみ市山田4047
いすみ市の文化財サイトには毎月第一日曜日にご開帳と書いてあるが、最近は行われていない。いすみ市文化財課から管理者の方にご連絡いただき、ご都合がよろしければ拝観させていただける。

【千葉】長福寺(いすみ市)薬師如来坐像~近くの釈迦谷の遺宝~

硯山長福寺(千葉県いすみ市

 天台宗の南総地区の仏像調査がとんでもなく本格的である。調査結果が『南総天台の仏像・仏画』という冊子にまとめられており、私の知る限り、それは第7部まで刊行されている。その第1部に登場するのがいすみ市の長福寺である。念願かなって、拝観のお許しをいただき、寺庭様にご案内いただくことができた。

長福寺本堂の脇の壇上にまつられる薬師如来坐像不動明王像、毘沙門天

硯山長福寺の来歴

大同2 年(807)、伝教大師最澄が自ら建立されたと伝わる。末寺に伝来した平安時代薬師如来像などが残るが、度重なる罹災により古代・中世の詳しい寺歴は不明。硯山の山号は、石橋山の戦いの後房総に逃れた源頼朝に差し出した硯が優れていたため、頼朝から賜った伝わる。

ご本尊阿弥陀三尊

 まずはご本尊様を拝んでいただきたい。室町頃の作だというが、なんという優美さだろう。台座の下に組み込まれた、波の伊八の彫刻も見事である。下の波が師匠のもので、上のうねうねした波が伊八のものだという。近くの行元寺にある「波に宝珠」が葛飾北斎の神奈川沖浪裏のモデルとされて有名だが、長福寺のこの波は師弟共作であることから、もっと若い頃の作品だという。本堂の内陣と外陣を区切る欄間にも伊八の作品が残る。

長福寺ご本尊阿弥陀三尊

薬師如来坐像

薬師如来坐像 平安後期 103.1cm 県指定

薬師如来坐像

とにかく感動した! 『南総天台の仏像・仏画 I』を拝読し、長福寺様に拝観をお願いしたのがこちらの薬師如来像である。
 みほとけとしての気品にあふれつつ、大らかな温かみに満ちたお姿が印象的である。檜の一木造りで、粗い内刳りがある。平安後期にしては古様な造りであるのは、この地方の作の特徴でもあるという。同時期の中央作と比べると素朴で、温かみのあるお姿が愛おしくてならない。坐像で100cm。その数字以上に大きな存在感があった。
 脚部の同心円状の衣文に少し違和感を覚えたのだが、建長2年(1250)に修理された旨の墨書が脚部に残ることから、その際に補修された可能性が高いとの説明(※)を読み、なるほどと納得した。脚部は本体より少し後の時代のものなのだ。
 この薬師如来像は、長福寺の裏の山中にある釈迦谷寺から遷座されたことがわかっている。釈迦谷寺は長福寺の隠居寺だったが、明治に入って廃寺に。釈迦谷寺の跡には、等身大の磨崖仏が今も残る。

不動明王立像と毘沙門天立像

不動明王立像 102.3cm 市指定
毘沙門天立像 101.4cm 市指定
いずれも平安後期

不動明王立像と毘沙門天立像については、由来が不明。しかし、推定制作時期や像高のバランスから、薬師如来と一具だった可能性も否定できないとのこと(※)。

毘沙門天
不動明王

金剛力士

 薬師如来像と同じく、釈迦谷寺から移されたお像だという。平安中期から後期に遡る可能性もあるとのこと。体部が薄いのが特徴。仁王さんの身体をさすると、自分の身体の痛みが消えると言われているそう。柵が一本はずされていて、そこから手を入れて、仁王さんの御足をすりすりさせていただいた。

磨崖仏

ここまで学んでしまうと、どうしても釈迦谷の磨崖仏を拝みたくなる。雨上がりで途中の道はぬかるんでいたが、なんとかたどり着くことができた。新しいお花がお供えされたばかりで、信仰が今も続いてることを実感した。文化財指定は釈迦如来だが、南総天台宗の調査報告書には薬師如来ではないかとあった。磨崖仏のそばに十二神将と思われる像もまつられている。

釈迦谷の磨崖仏
この美しさ!

長福寺には上記以外にも仏像があり、ここに書ききれていない。あえて写真を載せていないお像もある。仏像愛好家の皆様には、近くの釈迦谷の摩崖仏も含め、実際に拝観をお勧めしたい。なぜ私がすべてを書ききれずにいるのか、お分かりいただけるのではないかと思う。

最後に、予約のお電話から当日の拝観まで、住職様や奥様に大変お世話になった。心から感謝を申し上げたい。ありがとうございました。

※参考文献 『南総天台の仏像・仏画 I』

【拝観案内】

天台宗 硯山長福寺
〒298-0017 千葉県いすみ市下布施757
拝観は要予約

【神奈川】寅年ご開帳で半信半疑で出かけたら、本当に平安仏で驚きました(秦野市・天徳寺 薬師如来立像)

【相模二十一薬師2022年寅年ご開帳】
第16番 天徳寺(神奈川県秦野市文京町)

事前に写真が見つからないまま出かけたら、見事な平安仏がおられて仰天!

※2022年4月10日の参拝記録です

 天徳寺秘仏薬師如来様の寅年開帳を参拝。
 事前情報が不充分だった(写真が見つけられず、文化財未指定のようだった)ので、本当に平安仏なのか半信半疑で出かけたのだが、お寺に到着するなり驚いた! 見事な平安後期の御像だった!!
 身体に厚みはなく、衣文は薄く穏やか。お腹はぽっくり。肩の力を抜いてゆったりと立つ。螺髪は粗雑だが、お椀をひっくり返したような高い肉髻には気品がある。後の時代の手直しはあるようだが、これは紛れもなく定朝様では?? 
 住職のお話によると、もともと近くの薬師堂にまつられていたが、関東大震災でお堂が被災。それ以降は天徳寺に秘仏として安置されているのだという。
 定朝様の立像にとても惹かれる。心の奥からたくさんの♡♡♡を飛ばしてしまった私をどうかお許しください

※相模二十一薬師は寅年にご開帳。前回2022年のご開帳は4/8~4/12に実施

穏やかな全身を間近で拝めたことがありがたくて、ありがたくて...
この台座も当初のものか?

【参拝案内】
天徳寺
開創は薬師如来立像の造立よりだいぶ時代が下り、文禄2年(1593)。薬師如来立像の像高は98cm
神奈川県秦野市文京町6-22(地図

※参拝当時のTwitterはこんな感じ(↓)

【茨城】平安末の阿弥陀如来像は"義侠"により修復され、令和の今も神々しく優しくひっそりと立たれる(水戸市吉沼町)

吉沼観音堂茨城県水戸市
阿弥陀如来立像
像高97.5cm 12世紀 市指定


阿弥陀如来立像は水戸市吉沼の小さなお堂の客仏

うれしい出会い

平安末期の如来立像が好きだ。丸顔で、全身の力を抜き、穏やかに立つ御姿に惹かれる。しかし、作例はさほど多くないように感じる。関東であれば、行元寺の阿弥陀如来立像(千葉県いすみ市)、天徳寺の薬師如来立像(神奈川県秦野市)、医王寺の薬師如来立像(神奈川県横浜市)ぐらいしか思いつかない。鎌倉時代に入ると三尺の阿弥陀立像が増えてくるが、その直前の時代の雰囲気をもった立像にはなかなかお目にかかれない。

 そんななか(どんななか?)、オフ会で出かけた茨城県で、同時代の雰囲気をもつ稀有な如来立像に出会ってしまった!

 場所は水戸市吉沼町にある小さな観音堂。お堂の中央には、平成に入って再興された本尊千手観音立像を安置。

 阿弥陀如来立像は、その観音像の斜め後ろ、シンプルなケースの中に、ひっそりとまつられていた。ひっそりとと言うか、隠れるようにと言っがほうがよいかもしれない。まったく目立っていない。"シンプルなケース"と書いたものは、本当は厨子と呼ぶべきなのかもしれないが、あまりに素朴な造りだったので、そのような表現となってしまった。しかも、そのケースは正面がガラス張りになっているため、堂内の照明の反射がきつく、ぱっと見る限りでは尊像の全容が見えにくい。しかし、目を凝らしてみると、まさに私が魅了される穏やかな如来立像の御姿が浮かび上がってきた!!

肩の力を抜いた穏やかな立ち姿

神々しくて、でも、親しみやすい、そんな優しさに満ちて

 水戸市文化財サイトによると、像高97.5㎝で、彫眼、漆箔。丸顔で穏やかな面相、粒の細かい螺髪、浅くおとなしい衣文などから、平安時代末期、12世紀末の制作と考えられる。檜材の頭部と体部を前後二材矧ぎつけ、割首とする。水戸市指定文化財

 お身体前面のひび割れなど痛々しい点もあるが、適切な保存修理を施せば、見違えるようになるだろう。造立当時の御姿を想像し、胸を熱くした。神々しさに親しみやすさを掛け合わせたような、そんな優しさに満ちていたのではないだろうか!

明治の暴風被害から”義侠”により修復

 優しい微笑みをたたえるこの阿弥陀如来像は、実は大変なご苦労をされている。もともと近くの吉沼阿弥陀院にまつられていたのだが、明治35年(1902)8月、暴風によりお堂が倒壊。阿弥陀像も大破してしまったのだ。

 なすすべもなく月日は過ぎ、人々に焦りが募るなか、水戸出身の彫刻家の後藤清一(1893-1984年)が「義侠的に」修復を申し出る。「阿弥陀尊の霊を慰めよう」と。一年かけて修復は完了。「破損個所は悉く補修」された。

 しかし、阿弥陀院の堂宇の復興は叶わず、大正15年(1926)8月15日(旧暦7月10日縁日)、一時的に観音堂に奉安することになったのだという。後藤清一、この時33歳。

 堂内に大正15年の文書『弥陀像修理奉安記』(以下に写真あり)が額装で掲げられており、上記の事情が記されていた。原文を改めて読み直すと、特に胸を打つのが次の一節である。「特志彫刻家後藤清一君之ヲ慨シ霊像ノ為メニ義侠的ニ之ヲ修理シ阿弥陀尊ノ霊ヲ慰セント請ハル」。破損した阿弥陀如来像を目にした若き彫刻家のいてもたってもいられない気持ちが伝わってくる。そして、後藤の申し出を「義侠的」と称するところに時代が垣間見え、興味深い。今時使わない言葉なので、辞書を引いてみる」と、「義侠=正義を重んじて、強い者をくじき、弱い者を助けること。おとこだて。 [類語]男気・侠気・任侠・一本気・きっぷ」(デジタル大辞泉)とあった。「おとこだて」とか「男気」とか、ジェンダーフリーの現代では使わない言葉がオンパレードで出てきて、頭がふらふらする(笑)。が、ともあれ、後藤に対する尊敬と感謝は大きく伝わる。この場合の”義侠”を今の言葉に翻訳をすると、「修理できずに困っている尊像を心ある彫刻家が慈しみの心で修理してくださるなんて! かっこいいです、後藤くん! 心から感謝です!!」という感じになるのだろうか。修理費用について言及はないが、文面から拝察する限り、ほぼほぼボランティアだったのではないだろうか。この文書自体が、ことの経緯を記しつつ、後藤への感謝状となっている点に注目したい。

 また、文中の「阿弥彌院ノ堂宇ハ之ヲ復スルヲ得ズ・・・一時観音堂ニ奉安」という言葉が私の胸を締め付ける。阿弥陀院のお堂は令和の今も復興されておらず、阿弥陀如来像は今も、こんな風に観音堂に安置されたままだからだ。

 しかし、そんな逆境のなかであっても、この阿弥陀如来像は令和の今まで伝えられてきた。その事実が私の胸を熱くする。ひっそりと立ち続ける阿弥陀様に静かに手を合わせたい。阿弥陀様のお像をこれまで伝えてこられた人々の行動と祈りに、心からの敬意を捧げたい。

堂内に掲げられた阿弥陀像修復の経緯が泣ける

【拝観案内】
吉沼観音堂
中世、この地には、水戸十寺の一つ、光明院観音院があったが、水戸光圀公の時代に廃寺に。その跡地に川崎(※水戸市内の古い地名だろうか)から観音寺が移されるも、幕末に火災で焼失し、仮堂のまま現在に至る。現在は無住で、地域の方々が管理されている。現本尊は千手観音菩薩立像で、平成に入って開眼。本稿記載の阿弥陀如来立像は客仏で、近くの阿弥陀院から大正15年に遷座した。(無住のお堂なので、住所等の連絡先はあえて省略)

【参考文献】
水戸市文化財サイト 木造阿弥陀如来立像(吉沼観音堂)
水戸商工会議所「吉沼観音寺跡
・『開館三十周年記念特別展I 茨城の仏教遺宝ーみほとけの情景とまなざしー』編集・発行 茨城県立歴史館 2004年10月
(※ちなみに、この本の序文「茨城仏像彫刻の流れ」を書かれた後藤道雄氏は、"義侠"をもって阿弥陀像を修復された後藤清一氏のご子息)
【参照】
本稿冒頭で言及した平安後期の如来立像については、(もしとんでもなくお暇でしたら)以下の拙文をご参照ください。
・行元寺阿弥陀如来立像(千葉県いすみ市
butsuzodiary.hateblo.jp

・天徳寺薬師如来立像(神奈川県秦野市
butsuzodiary.hateblo.jp

・旧医王寺薬師如来立像(神奈川県横浜市青葉区
※写真は『特別展 横浜の仏像ーしられざるみほとけたちー』横浜市立歴史博物館2021年より。
※医王寺薬師堂は12年に一度、寅年にご開帳される武相寅歳薬師如来霊場の第15番。前回のご開帳は2022/4/9/5/8で、お像のすぐそばで拝観できた

横浜市青葉区恩田にまつられる薬師如来立像。写真ではわかりにくいが、側面から見ると体躯が薄かったように思う

某公民館の仏像群〜おいしょっと開けてくださった押入れの中のみほとけ様が尊い!〜

襖が開くとこの仏像群 尊い

小さな公民館の一室に大きな押入れがあり、大きな鍵がかけられていた。管理者の方が「おいしょっ」と鍵を開け、襖を開けくださった。多くの石仏や木彫仏が目の前に。わぁ。なんだかほんわか。この感動は何なのだろう。

仏像群の来歴はよくわからないそうだ。素人目に見る限りでは、上段の十王像の一群はおそらく、近代以降に一組として造立されたのかなぁ…。一方、それ以外の諸像は、近くの道端やお堂から個別に移されたのだろう。ユニークな石仏は金剛界大日如来像と養蚕の守り仏だろうか。ほのかに残る色彩に村人の愛を感じる。端正な阿弥陀如来坐像と千手観音立像にも惹かれる。江戸時代に遡るものもある。

これらの尊像が地域のみほとけとして大切に伝えられてきたことは一目瞭然である。今でも、お彼岸の時に、この一室の窓を開けるのだという。墓参の人々が窓の外から手を合わせていかれるのだと伺った。

たとえば、薬師如来であれば日光菩薩月光菩薩十二神将を組み合わせるのだが、ここには、そんな流儀に沿った統一感はない。しかし、なぜだろう、ここでは、バラバラなみんなが仲良く暮らしているようにしか思えないのだ。民にまもられ、民をまもろうとしているようにしか感じられないのだ。

映画『トイ・ストーリー』に登場するアンディのおもちゃ箱を思い出した。どちらも尊い。そして、愛おしくてならない!

端正な阿弥陀如来さま
千手観音菩薩立像 小さなお像でこの存在感
宝暦年間の銘のある馬頭観音さま
養蚕の女神さまだろうか
こちらも養蚕の女神さまだろうか

智識寺さまのクラファンにぜひご協力を!

白洲正子が著書『十一面観音巡礼』で絶賛した智識寺の十一面観音菩薩立像は、霊木感あふれ、私は言葉を失いました。他に比べるべきもののない、one and onlyな観音像だと私は思っています。

その智識寺さまがお寺の管理維持に苦心されており、クラウドファンディングを立ち上げられました。檀家ゼロ。住職様は他のお寺と兼務されておられます。

クラファン目標額160万と控えですのに、残り1週間ほどの現時点で、達成率も54%と控えめです。まだ86万しか集まっていません!

あの白洲正子を感嘆させた十一面観音様がおられるというのに、なぜこんな状況なのでしょう! 信じられません! 

そして、お忙しい中、お堂を開けて拝観の機会をくださったお寺様の優しさも忘れられません!

皆さんぜひご支援と情報拡散にご協力お願いいたします!! 

2024年5月23日朝
智識寺十一面観音様の大ファンより

camp-fire.jp

【山梨県】仁勝寺(甲府市)~こどもらしさを感じる聖徳太子孝養像~

仁勝寺(山梨県甲府市
2022/11/25-26 特別公開

木造聖徳太子立像
鎌倉時代後期 桧寄木造 像高114.5cm 重文

仁勝寺の聖徳太子像(写真はNHK山梨ニュースより)


 甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が京都からもたらしたと伝わる聖徳太子像。武田家が代々守り伝え、躑躅ヶ崎館にまつられていた。天正10年(1582)、織田・徳川軍の侵攻により戦線維持が不可能となった武田勝頼が、岩殿城に退避しようとした際、家臣中沢氏に託し、仁勝寺本尊として大切にまつられてきた。
 父親の闘病平癒を願う聖徳太子16歳のお姿で、孝養像と呼ばれるもの。太子像は厳しい眼差しで理知的な印象のもが多いが、この像は眼差しが穏やか。美豆良が初々しく、ふっくらした頬などから子どもらしささえ感じてしまう。病の父親を案じるお心が伝わってくるようだ。衣には随所に切金で鳳凰が描かれ、高貴なお姿を引き立てている。
 市職員さんのお話によると、京都仏光寺聖徳太子像に似ているだそう。気になって調べてみると、確かに似ていた。円光院など、京風の仏像が残るのも甲府の仏像の魅力のひとつだと思う。
 聖徳太子は甲斐の黒駒に乗って富士山に降り立ったと伝わり、甲斐の国の人にとって大切な存在なのだろう。2年ほど前から聖徳太子御遠忌1400年の展覧会やご開帳に接してきたが、古来より日本各地で太子様が信仰されてきたことを改めて実感した次第である。

【東京】勝國寺(世田谷区)秘仏薬師如来立像と日光菩薩立像~室町時代、吉良氏ゆかりの尊像~

青龍山勝國寺(東京都世田谷区/真言宗豊山派
薬師如来及び両脇侍立像


勝國寺薬師三尊

勝國寺薬師堂にまつられる秘仏薬師三尊を拝観。

勝國寺は室町から桃山時代に世田谷を治めた吉良氏による創建とみられ、中尊薬師如来立像と脇侍日光菩薩立像の制作時期は、1530年に世田谷城が落城した後、吉良頼康による勝國寺中興時(天文末から弘治)を想定する説がある。区の文化財サイトには、頼康に小田原北条氏から嫁いだ室の念持仏だったとある。

薬師如来像(像高53.2cm)頭部が大きく、なで肩で、ずんぐりした体躯が印象的。写真で拝見する以上に優れた造形だと感じた。まるっぽいフォルムでありながら、ご尊顔の表情は複雑。瞳が輝いていて、薬師様の意思のようなものが感じられた。構造的には、体部前面や頭部を正中矧ぎ。体部前面材の下部に、階段状の内刳りがあるが、独特の手法なのだとか。

薬師如来立像は2000年に世田谷区文化財に指定。2005年の解体修理時に、日光菩薩立像(像高28.4cm)も薬師と同時期・同一仏師の作と判断され、2006年に区指定文化財に追加。天正20 年(1592)に修理されたことを示す納入文書あり。現存する月光菩薩は現代の補作で、文化財指定から外れている。

ご開帳は1月の初薬師!

毎年1月12日の初薬師の法要の後、短時間だけご開帳となる。12日が日曜でない場合には、それ以降の最も早い日曜日に行う。法要は13時に始まり、法要の途中で厨子の扉が開かれる。扉がゆっくりと開いて、三尊のシルエットが見えた。開扉の瞬間は感動する。1時間ほどの法要の後、各自順番に堂内にあげていただき、間近で拝観できる。開扉は終日ではない。今後お参りされるなら、時間を確認することをお勧めする。

【参考文献】

・鈴木泉「世田谷・勝國寺木造薬師三尊像再考」(東京家政大学博物館紀要第20集、p137-147、2015)
https://tokyo-kasei.repo.nii.ac.jp/record/10373/files/2015_h_0010.pdf(←PDFです)
・世田谷区の文化財サイト「勝國寺の木造薬師如来及び脇侍日光菩薩立像」
勝國寺の木造薬師如来及び脇侍日光菩薩立像(しょうこくじのもくぞうやくしにょらいおよびわきじにっこうぼさつりゅうぞう) | 世田谷区ホームページ

【写真】

薬師三尊の写真は上記鈴木泉氏の論文より転載。

【拝観案内】

青龍山勝國寺 https://seiryuzan.jp/
住所 世田谷区世田谷4丁目27-4
最寄り駅は東急世田谷線世田谷駅または松陰神社前駅など
本堂本尊は不動明王立像。近くの廃寺におられたという不動明王像を合わせ、合計3躯の不動明王像が並ぶ。

2023年感謝状と仏像拝観リスト

はらぺこヒヨドリ感謝状2023
~感動をありがとう~

今年ももうすぐ終わる。たくさん仏像にお会いし、たくさんときめいて、たくさん感動した一年だった。
尊敬するみうらじゅんさんのみうらじゅん賞にならって、一年を振り返ろうと思う。
ただ、どの出会いも素晴らしく、賞というのは私にはおこがましいので、以下、感動への感謝を書き残しておきたい。

【感謝状~信仰はこうして続く~】

龍福寺(滋賀県甲賀市)十一面観音菩薩立像

元龍寺から龍福寺に移られた十一面観音さま

今年の感動は去年に遡る。去年8月10日、甲賀市の元龍寺をお参りしたところ、在所7軒で十一面観音菩薩様を御守してきたが、高齢化のため、近くの龍福寺にお遷しすることになったと伺った。本当に遷座されたのかなぁ...、どんな感じになってるのかなぁ...と思っているうちに早一年が過ぎ、今年の8/10も甲賀へ行くことにした。
おりからの雨と強風のなか、龍福寺のお堂に上げていただくと、なんと、元龍寺の十一面観音様が内陣の右側に立っておられるのが見えた。ご本尊のすぐ隣に、きれいな照明を浴びて、静かに立っておられらた。とても美しかった。お寺のかたに伺うと、たまたま空いていたその場所に観音様がぴったりとはまったので、特に大きな工事などはしていないのだという。
去年ご開帳の時にお会いした元龍寺の在所の皆様も来られており、観音様を見上げておられた。
さすが観音様! さすが在所の皆様である! もうこの時の感動が忘れられない。観音様の信仰が末永く続きますように。
感動をありがとうございました。
(旧元龍寺の十一面観音様は8/10ご開帳だったが、来年以降は別日になる可能性が高いとのこと。来年以降の日程は要確認である)

【感謝状~新発見も続く~】

2023年に新発見された仏像を二つ拝見した。一つが埼玉県白岡市、青雲寺の阿弥陀如来坐像。もう一つが静岡県三島市、成覚寺の薬師三尊である。どちらもお寺で長くおまつりされてきた仏像なのではあるが、前者は市の悉皆調査、後者は上原美術館の調査で見いだされたのだという。令和の世になっても、こういうことがあるから、仏像が楽しくてしかたない。三島の薬師三尊は箱根神社から明治2年に移されたものだという。箱根神社の仏像の一部は箱根の興福院におられるのだが、まさか三島にも残っておられたとは。
ちなみに、東京都日野市の百草八幡神社では、今年初めの掃除の際、中世の下向き剣頭文の瓦が出てきたのだそうだ。中世の大寺院、真慈悲寺の解明につながるかもしれず、期待が高まる。
感動をありがとうございました。
butsuzodiary.hateblo.jp

成覚寺(静岡県三島市)薬師三尊が上原美術館で寺初公開


他にもたくさん感動があったのだが、全部書いているともうすぐ年が明けてしまう。拝観リストを以下に書き記し、後日記憶を引き出すよすがとしたい。

【2023年仏像拝観リスト(一部かき氷など)】

1月
1/22 高幡不動尊
1/28 桑原詠子展@町屋カフェ金多屋


2月
2/4
〇新指定国宝重要文化財展1回目@東京国立博物館
・丹生上川神社の神像
・乙訓寺の十一面観音菩薩立像一日造立仏
・上徳寺阿弥陀如来立像(前期)
・観音寺の不動明王立像(前期)
・長く滝山寺十二神将少しだけ(前期)
〇大安寺展 東京国立博物館1回目@東京国立博物館

2/19
〇新指定国宝重要文化財展2回目@東京国立博物館
・聞名寺阿弥陀如来立像及び両脇侍立像(後期)
〇大安寺展2回目 @東京国立博物館
エゴン・シーレ展@東京都美術館
佐伯祐三展1回目(前期)@東京ステーションギャラリー
〇東京長浜観音堂 冷水寺(高月町宇根)十一面観音菩薩坐像(客仏)

2/26
横浜市令和4年度指定登録文化財展@横浜市歴史博物館
〇活字 近代日本を支えた小さな巨人たち 展@横浜市歴史博物館
薬王寺 地蔵菩薩像 法衣垂下
・證菩提寺 薬師如来立像 地元仏師

3月
3/4 
群馬県
正法寺太田市)仁王像 1685年、康祐の作 吉備研による修復が終わった翌日。ご本尊聖観音菩薩立像(鎌倉、県指定)ご開帳に行きたい
〇東光寺(太田市) 前を通過
大光院太田市) 子育て呑竜様をお参り
〇長楽寺(太田市世良田) 三仏堂の三尊仏 釈迦如来阿弥陀如来弥勒菩薩 県指定

3/5
群馬県高崎市
〇大信寺の前を通過  駿河大納言(徳川忠長/秀忠次男)の墓(高崎市
〇善念寺(高崎市阿弥陀如来立像 鎌倉 県指定
〇光徳寺(高崎市) 旧威徳寺内陣

3/10
〇館蔵 中国の陶芸展@五島美術館  愛染明王坐像 重文

3/11
東福寺展@東京国立博物館
〇大安寺展@東京国立博物館 3回目
佐伯祐三展2回目(後期)@東京ステーションギャラリー

3/18
仏像リンクさんのオフ会
〇朝日山慈眼院千手寺須賀神社かすみがうら市千手観音菩薩立像
〇宝蔵院(かすみがうら市阿弥陀如来立像 平安後期風だけど鎌倉初期と書いてある
〇法蔵寺(かすみがうら市)十一面観音菩薩坐像 四臂! 鎌倉 県指定
〇西蓮寺(行方市薬師如来坐像 県指定
〇福泉寺(鉾田市清凉寺式釈迦如来立像 重文
〇華徳院(鉾田市)汲上如意輪観音菩薩坐像、秋葉権現馬頭観音立像、聖観音立像など個性的

3/19
〇八王子 大光寺、龍泉寺(ぽっくり観音様ご開帳)、宝樹寺、極楽寺日枝神社地蔵堂
ますむらひろし銀河鉄道の夜展@八王子夢美術館 

3/21
〇心行寺(横浜市)十一面観音菩薩立像ご開帳

4月
4/8
京都市の北のほう
〇桜本寺 聖観音菩薩立像 平安 市指定
〇龍澤寺 観音菩薩坐像 室町
安楽寺 薬師如来坐像如来形立像、僧形坐像、天部形立像、いずれも平安仏
〇福徳寺
薬師如来坐像103.6cm定朝様 もかけ座 重文
持国天増長天 重文
・小さい如来坐像のほうが平安でももう少し古い感じがした。市指定。
〇宝泉寺 
阿弥陀如来坐像 平安 
・二天像 平安 
不動明王坐像
〇慈眼寺 くろみつ大雄尊(明智光秀坐像)、
〇常照皇寺 阿弥陀三尊、他
遣迎院 快慶阿弥陀如来、釈迦如来の二尊 4/8ご開帳
〇神光院 
薬師如来立像 平安前期 
地蔵菩薩立像 鎌倉 
・十一面観音菩薩立像 
大日如来金剛界
不動明王坐像、他
4/9
〇奈良・不退寺本尊聖観音菩薩立像@なら仏像館
□春氷@ほうせき箱
東大寺徳川家康展@東大寺ミュージアム
戒壇院四天王像@東大寺ミュージアム
戒壇院千手堂と大仏殿@東大寺
親鸞展@京都国立博物館 
阿弥陀如来立像快慶(奈良光林寺
聖徳太子孝養像(京都仏陀寺)
□奈良のイチゴ ゆめのか なのか

4/11
〇快慶ひかりを刻む 佐々木香輔写真展@キヤノン銀座ギャラリー

4/15
〇日本仏像史講義(山本勉)@清泉ラファエラ

4/19
春の優位展 古今和歌集を愛でる@五島美術館 

4/22
〇勝林寺(豊島区)はるすなお展3
〇大悲願寺(あきるの市)阿弥陀三尊ご開帳

4/29
〇宝生寺(八王子市)毘沙門天立像ご開帳 鎌倉 都指定

武相観音霊場(卯年卯月開扉)を満願。12年ぶり4/1-30にご開帳
1 観音寺 十一面観音立像 地蔵菩薩坐像他 4/15
2 長津田随流院 4/15
3 松岳院 4/23
4 観性寺 4/23
5 養運寺 4/23
6 千手院 4/23
7 観音寺 4/29
8 真照寺 4/22 本堂にご本尊大日如来
9 松連寺百草観音堂 4/22
10 清鏡寺 4/23?
11 大泉寺 4/1
12 保井寺 4/30
13 玉泉寺 4/29
14 永泉寺 4/16
15 福伝寺 4/16
16 金剛院 4/16
17 泉龍寺415
18 高乗寺 4/16
19 福昌寺 4/23
20 喜福寺 4/29
21 長安寺 4/16
22 真覚寺 4/16
23 興福寺 4/16
24 祐照庵大戸観音堂 正観音菩薩地蔵菩薩聖徳太子 4/1
25 普門寺 聖観音菩薩立像 平安後期 4/1
26 長徳寺 4/1
27 清水寺 4/1と4/30
28 福生寺 4/1と4/2
29 福生寺 4/1と4/2
30 上溝 高厳寺 4/2
31 当麻 観心寺 4/2
32 清水寺 4/2
33 覚円坊 4/2
34 泉蔵寺 4/30
35 上柚木観音堂 4/16
36 養樹院 4/1
37 祥雲寺 4/23
38 大悲山慈眼寺 4/1
39 宗保院 4/15
40 永昌院 4/16
41 永林寺 4/29 三重塔の聖観音菩薩 脇侍が毘沙門天と不動
42 白華山慈眼寺 4/1
43 信松院 4/16
44 宗印寺 4/27
45 観泉寺 4/23
46 吉祥院 4/29
47 定方寺 4/15
48 龍像寺 4/2

5月
5/3
長谷寺塔頭普門寺(桜井市) 不動明王坐像 平安 重文
長谷寺桜井市) 特別拝観 久しぶりに宝物館が開いていた!
當麻寺(葛城市) 奥院 金堂 講堂 曼荼羅堂 仁王さんは阿形さんが修復からお戻りで、吽形さんはご不在
久米寺橿原市) 二十五菩薩練供養大会式
□かき氷 いちご(堀内果実園奈良)

5/4
〇安養寺(福井市)説法印の阿弥陀如来 阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図(写真のみ)平安、重文
〇東雲寺(福井市)丈六阿弥陀如来坐像、聖観音菩薩坐像 平安?
二上観音堂福井市二上観音立像 平安前期 重文 ご開帳 二天立像
五智如来堂(福井市滝波町)五智如来坐像 平安 県指定、二天像
〇朝日観音福通寺(福井県越前町千手観音菩薩立像 鎌倉 県指定、他

5/5
弘法寺岡山県瀬戸内市牛窓)お練供養
〇遍明院 五智如来、丈六阿弥陀如来坐像

5/6
〇大福寺(兵庫県養父市) 但馬西国霊場ご開帳
〇満福寺(兵庫県養父市) 但馬西国霊場ご開帳 千手観音菩薩立像(室町?)、中井権治
〇瑠璃光殿(養父市上野区)日光月光菩薩立像が平安っぽい、市指定
延命寺兵庫県朝来市) 聖観音菩薩坐像 室町? 四角ぽいフォルムが院派っぽいが、木目を生かした感じは宿院っぽくも?
〇国清寺(兵庫県朝来市阿弥陀如来立像
〇大智寺(京都府福知山市)破損仏、阿弥陀如来坐像、天部形立像、やばい!
〇永明寺(京都府福知山市)十一面観音立像が本地仏っぽくてやばいと思ったら丸山仏。地蔵菩薩立像は平安後期で市指定

5/6
□ベリーベリーヨーグルト(ほうせき箱)
興福寺北円堂(奈良市) 雨で人がいなくて、ゆっくり拝観
平等寺京都市) 因幡薬師ご開帳
壬生寺京都市) 本堂地蔵菩薩立像 平安 重文ほか 思いのほか平安仏がおられてびっくり。でも、雨で大変
真宗聖徳太子@龍谷ミュージアム 聖徳太子童形立像(1341、東京西光寺)

5/20
仏像リンクさんオフ会
〇泉福寺(埼玉県滑川町阿弥陀三尊 重文
華厳寺(埼玉県深谷市)新田義兼開基。渋沢栄一ゆかりのお寺 胎蔵界大日如来坐像93.8cm 12世紀後半 県指定。円空阿弥陀如来立像 41.5cn 市指定
〇光恩寺(群馬県千代田町阿弥陀三尊 鎌倉 県指定
〇光了寺(茨城県古河市聖徳太子立像(松葉太子像)14世紀前半(鎌倉末期から南北朝前半) 県指定
〇西蓮寺(茨城県坂東市) 阿弥陀如来坐像 平安末期 定朝様 県指定

6月
6/3 
日本仏像史講義(山本勉先生)@清泉ラファエラ

6/4 
〇保昌寺(宮城県蔵王町)丈六阿弥陀如来坐像 お顔と胸板が平安、それ以外は江戸時代 県指定
〇清立寺(宮城県蔵王町) 安養寺金堂(丈六阿弥陀堂)の棟上にあった宝珠
〇悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展@東北歴史博物館宮城県多賀城市
・菩薩立像(十八夜観音堂)、勝常寺薬師三尊、唐招提寺トルソー他
□牛タン 伊勢屋。宮城県産銀鮭のはらこめし(お弁当)
ままどおる

6/8
〇某寺(東近江市)十一面観音菩薩立像、他
〇福寿寺(東近江市) 十一面観音菩薩立像、他
興福寺東近江市五智町五智如来聖観音菩薩立像
〇石馬寺(東近江市秘仏本尊観音菩薩立像ご開帳、毘沙門天立像、地蔵菩薩立像。収蔵庫の仏像群
〇広照寺(滋賀県愛荘町聖観音菩薩立像 90.2cm 像内に阿弥陀如来立像 町指定
〇吉祥寺(滋賀県竜王町阿弥陀如来坐像83.0cm 平安後期 重文
〇薬師堂(滋賀県竜王町)前を通っただけ 阿弥陀如来立像94.2cm 平安末期の作風を留める鎌倉初期の作か。町指定。
〇東光寺(守山市) 幸津川地蔵菩薩坐像 108.3cm 平安末期 市指定 (11/4-5に十一面観音菩薩ご開帳の案内が出ていた)

6/9
〇矢田寺(奈良県大和郡山市)十一面観音菩薩立像ご開帳
〇東明寺(大和郡山市薬師如来坐像ご開帳 平安
奈良国立博物館なら仏像館 一部の像について写真撮影が可能に
□赤くま君(堀内果実園奈良三条通り店)
□さくらバーガー

6/15
〇仁王写真家 渡仁写真展 残像2020-2023@ギャラリー世田谷233

6/20
〇行元寺の全て@いすみ市郷土資料館 
〇行元寺本尊阿弥陀如来立像 平安 県指定 両脇侍毘沙門天不動明王、他
〇閻魔堂(いすみ市) 石造地蔵菩薩椅像 像高1m 台座二段46cm 貞享5年(1688) 市指定
坂東の車地蔵 市指定
大聖寺不動堂 重文

6/29
〇館蔵 古鏡展 めでたい鏡の世界@五島美術館

7月
7/8
□八王子みるく氷@金多屋

7/30
〇唐沢阿弥陀寺(長野県諏訪市) 絶壁に大きな徳本上人の名号

8月
8/5
〇慈悲のほとけー観音と古寺の名宝ー@岡山県立博物館
聖観音菩薩立像(法界院
観音菩薩立像(余慶寺)他
□シャインマスカットミルミルクス@おまち堂FRUTAS北長瀬店

8/6
〇東鳴川観音堂奈良市不空羂索観音坐像
〇福智院(奈良市
〇聖地南山城展1回目(前期)@奈良国立博物館
〇なら仏像館
東大寺南大門 夜間(なら燈花会
カシューベリー@ほうせき箱

8/7
東大寺 大仏様のおみぬぐい 大仏殿の放水
東大寺ミュージアム 
〇法華堂→念仏堂→指図堂(指図堂修理落慶参拝のご朱印を受け取りにいく)→千手堂
〇五劫院 五劫思惟阿弥陀如来ご開帳
〇伝香寺(奈良市地蔵菩薩立像 南無仏太子像
極楽寺(安堵町)
・本尊阿弥陀如来立像138.4cm 平安 重文 
聖観音菩薩立像 85.6cm 平安前期 町指定(阿弥陀様の両脇侍に向かって左)
・二天像(増長天毘沙門天
・広島大仏 阿弥陀如来坐像
□丸ごとすいか@堀内果実園奈良三条通り店
□さくらバーガー

8/8
〇宗泉寺(滋賀県野洲市) 薬師堂のご開帳
薬師如来坐像 平安 重文 
毘沙門天立像 平安 重文 
不動明王立像及び両脇侍立像 平安 重文
十二神将
・本堂のご本尊阿弥陀如来坐像は鎌倉?
書写山円教寺兵庫県姫路市
・摩尼殿奥秘伝如意輪観音菩薩坐像 ご開帳 新長史(住職)晋山記念
・大講堂 釈迦三尊像 四天王像
常行堂 丈六阿弥陀如来坐像 安珍の作
・食堂 2階の諸仏 1階でTeam Labの展示
姫路おでんテイクアウト

8/9
〇聖地南山城展2回目(後期)@奈良国立博物館
〇薬仙寺(兵庫県神戸市)
・十一面観音菩薩立像ご開帳
・本尊薬師如来坐像
〇元祖教会(神戸市)法然上人名号碑
〇特別展「神戸の文化財Ⅲ ~今伝えたい、私たちの宝・街・心・技~」@神戸市立博物館
石峯寺薬師如来坐像 
如意寺 十一面観音菩薩坐像
太山寺(神戸市西区)四天王立像 13c
太山寺 伝三所権現坐像 平安12c後半 白山権現(女神)、熊野権現(男童子)、吉野明神(女神)
・転法輪寺 四天王立像 11c
・善福寺 聖徳太子二歳像 湛幸・湛賀 13-14世紀 重文
〇快慶ひかりを刻む 佐々木香輔写真展@キヤノン大阪ギャラリー
〇如願寺(大阪 喜連瓜破)千日会ご開帳
・十一面観音菩薩立像
地蔵菩薩立像

8/10
〇正福寺(滋賀県甲賀市)千日会ご開帳
〇龍福寺(甲賀市) 
・元龍寺におられた観音菩薩立像が龍福寺に移られて初めての千日会ご開帳
・龍福寺本尊薬師如来坐像、他

8/16
九品仏浄真寺 
・虫干し
・双盤念仏

8/26
御射山社(長野県富士見町) 諏訪大社上社の御射山社祭り はら山様(原山)が始まる

8/27
八ツ手虚空蔵堂(長野県原村) 御射山社祭りで諏訪大社から神様が移動される途中、この八ツ手の虚空蔵堂に立ち寄り、虚空蔵菩薩本地仏)に祈りをささげる。早朝の行事を見学させていただいた。

8/28
〇乙事区役所(長野県富士見町)
隣の法隆寺の尊像が乙事区役所の2階に安置されている。平日であれば電話予約で拝観可能。
・釈迦如来坐像(文明17年=1485年)
金剛界大日如来坐像
不動明王坐像(江戸後期)
・制吒迦童子立像(江戸末期)
不動明王立像(江戸後期)
毘沙門天立像(江戸後期)
・興教大師坐像(江戸後期~明治)
法隆寺本尊 十一面観音菩薩立像(江戸後期)
法隆寺十一面観音堂本尊 十一面観音菩薩立像(江戸後期)
普賢菩薩坐像(天明6年=1786年/木喰行道)
法隆寺十一面観音堂(長野県富士見町)
上記のとおり、ほとんどの尊像が乙事区役所に遷座されているが、それでもまだ、法隆寺十一面観音堂内に仏像があった。
観音菩薩立像
薬師如来坐像
・僧形像?神像?
三十三観音


9月
9/12
〇白・黒・モノクローム@五島美術館

9/16
〇京都南山城展@東京国立博物館 1回目
〇あの世の探検―地獄の十王勢ぞろい― 静嘉堂美術館
舟越桂 私は街を飛ぶ 2022年 近くの路上

9/17
〇清野利明講演~幻の真慈悲寺に瓦が葺かれていた頃~@百草園
〇百草八幡神社阿弥陀如来坐像ご開帳
〇百草観音堂
高幡不動尊(講演に出てきた鰐口を熟視) 骨董市


9/23
〇めぐりあう大津絵展@八王子夢美術館
〇金剛院骨董市
極楽寺阿弥陀如来立像 市指定
龍泉寺ぽっくり観音ご開帳

9/24
〇勝林寺阿弥陀如来様開眼法要
〇常盤山文庫の名宝@東京国立博物館
〇京都南山城の仏像展@東京国立博物館 2回目
本歌取り 杉本博司展 松濤美術館

10月
10/3
大善寺山梨県甲州市勝沼)ご開帳
〇放光寺(山梨県甲州市塩山)
ほうとう@皆吉

10/7
〇足柄の仏像 神奈川県立歴史博物館

10/8
〇いちはらのお薬師様 市原歴史博物館
〇運慶と快慶 六田知弘佐々木香輔写真展 相田みつおミュージアム
浄瑠璃寺十二神将 佐々木香輔写真 奈良まほろば館

10/14
〇千年の秘仏と近江の情景 滋賀県立美術館
・正福寺(湖南市秘仏本尊大日如来坐像 
・同、観音菩薩立像 
善水寺不動明王坐像
東大寺(奈良)
・良弁僧正1250年御遠忌法要@大仏殿
東大寺ミュージアム
・法華堂執金剛神ご開帳
戒壇堂四天王立像 戒壇堂修復後初めて
興福寺国宝館
唐招提寺 御御影堂特別拝観で鑑真和上像 宝物館 金堂諸仏 講堂は改修工事中
□ほうせき箱 シャインキュウイヨーグルト
□さくらバーガー

10/15
〇瓦屋禅寺(東近江市
秘仏本尊千手観音菩薩立像ご開帳
・四天王立像
地蔵菩薩坐像
・その他 山岳修験系の諸仏
〇善明寺(東近江市
・丈六阿弥陀如来坐像 重文
阿弥陀如来坐像 1133年河内講師快俊の作 重文
〇昌善寺(東近江市
・丈六阿弥陀如来坐像 平安 市指定
地蔵菩薩立像 平安 市指定
〇山村神社観音堂滋賀県甲賀市) 
・十一面観音菩薩立像 毘沙門天立像 不動明王立像
正法寺滋賀県蒲生郡日野町) 
・十一面観音菩薩立像 毘沙門天立像 不動明王立像

10/28
長安寺(神奈川県横須賀市
不動明王坐像 市指定(10/28ご開帳)
・本堂 阿弥陀三尊 地蔵菩薩立像(三浦地蔵第6番) 六字詰双盤念仏之碑
〇金剛三昧院展@鎌倉歴史文化交流館 
地蔵菩薩立像 
・弁財天坐像
〇特集展示 洪鐘祭こうしょうさい/おおがねまつり@鎌倉歴史文化交流館
〇宝金剛寺密教美術の宝庫ー 鎌倉国宝館
地蔵菩薩立像
大日如来坐像、他
〇宝戒寺(鎌倉市

10/30
龍見寺(東京都八王子市) 大日如来坐像

11月
11/3
〇拝島山大日堂 
大日如来 平安、釈迦如来 平安、阿弥陀如来 江戸、仁王 鎌倉
日吉神社

11/4
〇館蔵品でみる宗教美術の造形@世田谷区立郷土資料館 1回目
〇栖岸院阿弥陀三尊
〇日本遺産フェスティバルin桑都八王子

11/7
〇古伊賀 破格の焼き物 展@五島美術館

11/10
〇やまと絵ー受け継がれる王朝の美ー@東京国立博物館
〇京都南山城展@東京国立博物館 3回目
川端龍子旧蔵の毘沙門天立像(南山城、旧中川寺)@東京国立博物館

11/12
〇みほとけのキセキII@浜松市立美術館
〇初山宝林寺(静岡県浜松市
・釈迦如来坐像及び両脇侍像県指定 
達磨大師坐像
・伝武帝椅像県指定 
・二十四善神立像 県指定 
阿弥陀三石仏 
・石仏五智如来坐像 
西方浄土曼荼羅図(當麻曼荼羅の写し) 
・独湛性榮禅師像 県指定
龍潭寺静岡県浜松市
・丈六釈迦如来坐像 
・琵琶湖から引き上げられたと伝わる十一面観音菩薩立像
□八百徳お櫃うなぎ茶漬け

11/14
九品仏浄真寺 十夜法要 林田康順法話

11/18
〇弓削阿弥陀寺滋賀県竜王町
・釈迦如来坐像
〇須恵八幡神社
〇須恵観音堂竜王町) 
十一面千手観音菩薩立像
〇駕與町地蔵堂竜王町) 
地蔵菩薩立像 
阿弥陀如来坐像 
不動明王立像 
・弁財天坐像 
・廃福田寺七重塔
〇吉祥寺(竜王町
阿弥陀如来坐像 重文 
千手観音菩薩立像(岡谷の氏仏)
竜王観音寺(竜王町
秘仏千手観音菩薩立像 
・異形の聖徳太子坐像
〇正明寺(滋賀県日野町)
秘仏千手観音菩薩立像、不動明王立像、・毘沙門天立像ご開帳 
聖徳太子立像 
大日如来坐像
達磨大師坐像
地蔵菩薩立像
・徳本上人名号塔
□さくらバーガー(奈良市
興福寺奈良市)中金堂夜間拝観
笑い飯哲夫のおもしろ社寺めぐり 漢國神社(奈良テレビ

11/19
東大寺
東大寺ミュージアム 良弁僧正と東大寺
・大仏殿
・念仏堂 地蔵菩薩坐像 1237年
・法華堂 良弁僧正像法華堂移座特別公開
・二月堂御正体
奈良国立博物館 長谷寺塔頭普門院不動明王坐像♡特別展示
□ほうせき箱 栗氷 
〇乙訓寺(京都府長岡京市
・十一面観音菩薩立像(一日造立仏)と毘沙門天立像公開
光明寺京都府長岡京市
観音堂千手観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、不動明王立像
阿弥陀堂阿弥陀三尊立像、他

11/23
〇青雲寺(埼玉県白岡市
阿弥陀如来坐像特別公開
地蔵菩薩坐像 不動明王立像 他
・薬師堂 薬師三尊 十二神将
〇興善寺(埼玉県白岡市
達磨大師像 鎌倉 市指定
・子生神社(東京都あきる野市
〇五日市資料館(東京都あきる野市)月待供養塔、板碑、獅子頭
〇上町地蔵堂(東京都あきる野市
〇下町地蔵堂(東京都あきる野市)子育地蔵1669年 恵比寿

11/25
〇祐天寺 本堂 阿弥陀堂 地蔵堂

11/26
〇東京長浜観音堂 薬師如来立像両脇侍像

12月
12/9
〇日中平和友好条約45周年世界遺産シルクロード展 東京富士美術館
〇聴講→東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター2023年公開講座文化財調査・研究をめぐる諸相や課題」第3回「居場所を失う神仏 廃村や廃堂に伴う文化財保存の問題」宮本晶朗准教授

12月某日
〇中世瓦が語る寺と神社ー日野の真慈悲寺と百草八幡神社ー@日野市郷土資料館

12/16
〇伊豆仏と出逢う@上原美術館静岡県下田市
〇福泉寺(静岡県熱海市) 首大

12/17
谷保天満宮(東京都国立市
・血文の阿弥陀如来市指定 
・兜薬師 十一面観音菩薩立像 
狛犬(鎌倉、重文)
〇滝乃院 
・血文阿弥陀如来の石碑

12/24
〇みちのくのいとしい仏たち 東京ステーションギャラリー

12/28
〇館蔵品でめぐる宗教美術の造形@世田谷区郷土資料館 2回目

以上

【埼玉】青雲寺(白岡市)説法印の阿弥陀如来が新発見!!!

青雲寺(埼玉県白岡市
説法印を結ぶ平安後期の阿弥陀如来坐像が新発見!
2023年11月23日、初の一般公開に伺った!!

日本の仏像の世界は奥深くて、令和の世になってなお、平安時代のお像の「新発見!」という事態が発生する。平安仏さまは長い年月をただ過ごしてこられただけなのに、「新発見!」とは物騒な物言いではある。

つまりは、こういうことである。現在、埼玉県白岡市と呼ばれるところに、いつの頃からか阿弥陀如来様の坐像がおまつりされていた。人々の記憶によると、かつては篠津須賀神社付近にあった西光庵に安置されていたが、いつの頃か青雲寺近くの阿弥陀堂に移される。やがてそこが廃寺となってしまい、以来、この阿弥陀如来坐像は青雲寺にひそかにまつられてきた。矢のように時は過ぎ、白岡市では2022年から仏像調査が始まる。同年6月、青雲寺を訪れた調査団は、本堂の正面左側の間に坐しておられる阿弥陀如来を目にする。暗がりの中、目を凝らしたその瞬間、平安末期の特徴を示す阿弥陀如来様のお姿が浮かび上がった。おお、びっくり仰天、驚いた…。お寺や地元の檀信徒さまもびっくり。えー、昔から手を合わせてきた阿弥陀さまにそんな文化的な価値が…? まぁどうしましょう…? と、まあ、こういうことを仏像調査の世界では「新発見!」と呼ぶようだ。繰り返すが、阿弥陀如来様は造立以来、人々の祈りをうけとめ、無限の光を照らしてくださってきたわけなので、阿弥陀様目線でいえば「新発見!」とは、こそばゆいに違いない。 阿弥陀様におかれては、いやいや、ずっとここ、あなたのそばにおりましたよ、というお気持ちに違いないのだ。

そういうわけで、「新発見!」とは物騒な物言いではあるもの、「新発見!」の阿弥陀如来坐像が初公開されると聞けば、伺わざるをえない。それが仏像大好きおばちゃんの習性である。しかも、説法印の阿弥陀様であれば、万難を排して出かけなれば。仏友さんから情報を得たおばちゃんは早速白岡市に電話をし、拝観の許可を取り付けたのであった。

白岡駅から2kmあまり。静かな街道沿いに青雲寺はあった。11月23日、阿弥陀如来様の初の一般公開は、市の文化財課の主催により、10時、11時、13時半、14時半の4回にわけて予定された。各回45分間で、住職や文化財担当者による解説のあと、各参加者が阿弥陀如来様のお近くにいって拝観するという流れだった。私は10時の回に参加した。

青雲寺 阿弥陀如来坐像
胸の前で説法印を結ぶ
美しい衣文


近くで見上げると、やはり、写真よりずっと見事なお像だった。像高108.5センチメートル。幅87.2センチメートル。前後割矧ぎ。胎内銘なし。螺髪や肉髻の形、丸いお顔、結跏趺坐した膝の厚みが薄いところは平安後期、定朝様の特徴を示すが、胴が長めで、表情が少し固めなことから、定朝様の全盛期から少し時代がくだった院政期の作ではないかとのこと。構造についても解説があったが、内繰りの丸鑿のあとの様子や、前後割矧ぎした右側に三角形の材を入れる点なども当時の特徴だという。

解説は、近くの宮代町の西光院の阿弥陀如来坐像にも及んだ。宮代町西光院の阿弥陀三尊も平安後期の作。安元2年(1176)の銘があり、国の重要文化財に指定されている。東京国立博物館に寄託されおり、時々常設展にお出ましである。調査された先生によると、宮代町の阿弥陀如来坐像は地方色が出ているのに対し、青雲寺の阿弥陀如来像はもっと都ぶりがするという。 青雲寺像は、都の仏師か、中央の仏像を学んだ地方仏師によるのではないかとのこと。

それにしても、仏像大好きおばちゃんが気になるのは、説法印である。おばちゃんがある本で読んだところでは、説法印の阿弥陀如来は當麻曼荼羅にみられ、奈良時代に例が多いらしい(奈良・興福院など)。鎌倉時代に入り、奈良の古仏に学んだ慶派の制作による例もあるという(京都・西念寺など)。という説明を読むと、平安時代には、説法印の阿弥陀如来は少ないのだろうと推測できるのだが、本当のところはいったいどうなのだろう。奈良の法隆寺で、説法印の阿弥陀如来坐像を拝見したことがある。大神神社伝来の地蔵菩薩立像が聖林寺十一面観音菩薩立像と一緒に東京国立博物館にお出ましだったとき、法隆寺では、この地蔵菩薩立像がおられた場所に、説法印の阿弥陀如来坐像がお出ましだったのだ。この阿弥陀如来像は平安時代のものだったと思う。で、ここにきて、青雲寺の説法印の阿弥陀如来像が「新発見!」である。平安時代にも説法印の阿弥陀如来像は少なからず造立されていたと考えてよいのだろうか。いずれにしても、来迎印や弥陀定印の像が多いことには変わりなく、説法印の阿弥陀如来は稀少だと思われる。

感動と興奮のあまりいろいろ書いてしまったが、最後に、拝観時に印象的だった出来事をひとつ。訪れたおじいさんが「久しぶりにご本尊様にお会いできた…。うちのお寺、西光庵だったから…」と呟いておられたのである。おじいさんの純粋な思いが伝わってきた。 おじいさんの前では、自分などただのよそ者にすぎない。そんな自分が拝観させていただいているという自覚を忘れずにいたい。「新発見!」の物騒な響きの中、このおじいさんのピュアな言葉(ことのは)がひらひらと上空に舞い上がっていくのを感じた。

彫刻史の観点からの解説もしっかり聞けたし、おじいさんの感動も聞けた。本当にありがたく、関係の皆様にお礼申し上げたい。
青雲寺の阿弥陀如来さまよ、永遠に!

【参考資料】
白岡市による青雲寺阿弥陀如来の解説=木造阿弥陀如来坐像/白岡市
白岡市のサイト=青雲寺の木造阿弥陀如来坐像が市指定文化財に指定されました!/白岡市
宮代町のサイトより西光院(埼玉県宮代町)阿弥陀三尊の解説=テキスト / 西光院阿弥陀三尊像
阿弥陀三尊の画像=西光院木造阿弥陀如来及び両脇侍像


【拝観案内】
青雲寺(しょううんじ)
埼玉県南埼玉郡白岡町大字篠津672
阿弥陀如来さまの予約拝観が可能かは不明。今回の初公開は、今年7月に発足したばかりの白岡遺産保存活用市民会議が市教委、青雲寺とともに初めての事業として企画したものなのだそう。今後の公開にも期待がもてる。
青雲寺ご本尊は不動明王坐像。今回は公開されなかったが、境内に薬師堂もあり、薬師三尊と十二神将がまつられていた。薬師堂については、堂外からガラス越しに拝観した。

【滋賀】昌善寺(東近江市)暗がりに浮かび上がる丈六の阿弥陀如来さまにお念仏

昌善寺(浄土宗/東近江市菩提寺町)

 何度か書いたかもしれないが、滋賀県の丈六阿弥陀仏にお会いしにいくという活動を細々と続けている。今回は東近江市の昌善寺をお参りした。昨年投稿した東近江市横溝町の善明寺のすぐ近くである。その距離はわずか500mほど。ご近所と呼べる場所に、平安時代の丈六阿弥陀如来様がお二人もいらっしゃる。おそるべし、東近江市。善明寺が10月第三日曜にご開帳なのに対し、昌善寺は事前連絡でご都合があえば拝観させていただけるとのこと。せっかくなので、お友達を誘って、善明寺と合わせてお参りしてきた。事前に写真で拝見した以上に立派な阿弥陀如来さまだった。
 拝観の最後に、住職様がお堂のカーテンを閉めて暗くし、静かな照明のもとで、お十念を申し上げる機会をくださった。丈六の大きな阿弥陀如来様が薄暗がりに浮かび上がる。お寺様に私がお願いしたのは仏像拝観。それなのに、それ以上の体験をさせていただいた。あの時のあの感覚忘れずにいたい。

阿弥陀如来坐像

平安後期 像高223cm 市指定
昌善寺ご本尊。丈六仏に合わせて明治15年に建てられた本堂にどっしりと坐しておられる。
事前に上半身のみのお写真をどこかで拝見していて、その限りではわかりにくかったが、実際に間近で拝見すると、見事な定朝様の丈六仏であった。丸いご尊顔。肩の力を抜いて、ゆったりと坐す。側面観は細み。安定感があり、とても上品なお姿。
気になるのは500mほどの至近距離にも平安後期の丈六阿弥陀仏が残るという点である。

地蔵菩薩立像

平安後期 市指定
お身体が薄く、衣文を彫り出さない。像高は50-60cmぐらいだろうか。頭部の色が体部と違っているのが気になる。平安後期のお像として、東近江市文化財に指定される。このように衣文を彫り出さないお像は時々お見かけするが、江戸時代だったりして、時代の見極めが私には難しい。
法然上人、善導上人とご一緒におられるところが、両上人のファンとしてはうれしかったりする。地獄の苦しみの中に現れて救ってくれるに違いない。

聖光上人像と良忠上人像

浄土宗第二祖聖光上人と第三祖良忠上人が同じお厨子にお並びであられた。珍しい、すごい、と喜んでいたら、このお像について質問される方も珍しいです、と言われる。浄土宗の法脈を辿る法要の際にお出しするお像なのだと伺った。

ご本尊阿弥陀如来さま
お身体が薄く、衣文を彫り出さない。平安後期。市指定
聖光上人像と良忠上人像であられると伺った

【拝観案内】

菩提樹山解脱院昌善寺
〒527-0136 滋賀県東近江市南菩提寺町680番地
電話 0749-45-2247
拝観は要予約。お寺様のご都合がよければ拝観可能。