ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

ぶつぞうな日々Part II (バックナンバー)はこちらです!

仏像のブログを書き始めたのは、2005年の年末でした。最初の投稿はこんな感じ。

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10年以上が過ぎてもこの気持ちに変わりありません。ますます仏像に魅了されています。

上記のブログは「ココログ」で書いていたのですが、投稿に無駄な手間暇がかかるのが悩みでした。

これからこちらの「はてなブログ」でお世話になろうと思います。

過去の記録は以下からご覧ください。

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com




ブログを書いている「はらぺこヒヨドリ」さんのプロフィールは

はらぺこヒヨドリ をご覧ください。


素人の雑文ですが、これからも仏像への愛を叫んでいければと思っています。平凡な中にも山あり谷ありの人生ですが、仏像が好きなおかげでとても救われています。

仏像好きなみなさん、一緒に「仏像大好き~♪」と叫びましょう。仏像とそれを守られてきた皆様に感謝を伝えたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

【来迎会】One and Only! 弘法寺の踟供養が特別なわけ

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 ここ数年、二十五菩薩来迎会の追っかけにいそしんできたが、コロナ禍のため2年連続で活動を停止せざるをえなくなった。今日5月5日といえば、岡山県弘法寺の踟(ねり)供養の日だが、去年に続き今年も中止だという。自宅にこもっていても、弘法寺踟供養の様子は鮮明に思い出される。瀬戸内市牛窓の温かく明るい日差しのもと、菩薩様と阿弥陀如来様がいきいきと目の前を歩かれた。2年前に弘法寺の来迎会を訪れたときに書いた文章に加筆し、写真と動画を加えたので、よろしければお目通しください。

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千手山弘法寺の踟供養はなぜ特別なのか!

 二十五菩薩来迎会の追っかけ活動、2019年春の部の最後として、岡山県瀬戸内市牛窓へ向かった。千手山弘法寺(せんずさんこうぼうじ)である。
 弘法寺の踟供養(ねりくよう)は、當麻寺奈良県葛城市)および美作誕生寺(岡山県久米南町)と並ぶ日本三大練供養の一つ。(※弘法寺では、練供養ではなく、踟供養と表記する)
 練供養ファンの私は思う。今まで訪れた練供養はすべてストーリーや運営が異なり、どれも素晴らしい。しかし、あえて言うならば、弘法寺踟供養は、日本一、いや、世界一素晴らしい練供養ではないだろうか...
 その理由として、以下の3点を特筆したい。

1) 被仏が歩くのは弘法寺だけ!

 木彫仏の阿弥陀如来立像(迎講阿弥陀如来、いわゆる、被仏=かぶりぼとけ)の中に人が入るのは弘法寺のみ。古い形の来迎会を今に伝えている。この阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期の特徴を示し、彫刻的にも貴重。この鎌倉仏が今も現役で行事に使われている。胴体部分が空洞となっており、そこに人が入るのである。
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2) 30年の中断を経て復活!

 昭和42年の火災で本堂などを焼失し、途絶えていた踟供養を關信子先生と関係者の皆様のご尽力により、平成9年に再興。常行堂に安置されていた迎講阿弥陀如来像を再発見・修復し、踟供養の再興に尽力された關先生のご功績はもっと注目されるべきだろう。踟供養の始まる前には、遍明院本堂で關先生自らがパワポで説明してくださった。弘法寺踟供養の歴史や式次第などを詳しく教えていただき、その日の踟供養がより一層楽しくなった。このありがたさをなんと言葉にできよう。
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3) 静の弘法寺

 中将姫様を引接する際の菩薩様の所作が静かでエレガント弘法寺の踟供養は、いわゆる二十五菩薩の編成ではなく、天道2、地蔵菩薩2、観音6が登場する。このうち観音の一人が中将姫様の像に向かって、まずは3回膝を曲げる。次に、合掌した手を円を描くよう擦り合わせる所作を3回行う。さらに、3歩進んで2歩下がるこの所作を1セットとして3回行ってから、中将姫像に近づき、中将姫像を手にする。そして、もう一人の観音が手に持つ蓮台に中将姫像を載せる。この一連の動きが静かで、感動的である。"動の當麻寺、静の弘法寺"と呼ばれる所以である。
 この静かな動きを堪能していただきたく、6分間弱の映像をノーカットでインスタに上げた。瀬戸内の明るい陽射し。菩薩様のエレガントだが、少しぎこちない動き。静けさを引き立てる鳥の声。その辺りをぜひご覧ください(↓)。

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最後にみんなで般若心経を。そして、なんと種明かしも...!

 なお、以前までは遍明院と東寿院という塔頭二つを結んで踟供養が行われていたが、今では、遍明院を出発し、下の広場で中将姫様を引接して、遍明院に戻るルートに変更されている。迎講阿弥陀さまは遍明院で菩薩様を迎えてくださるようになった。
 弘法寺の体制の変更によるルート変更なのかもしれないが、練供養のストーリーとしてはわかりやすいルートになったのではないだろうか阿弥陀様が遍明院の本堂で菩薩様にお辞儀して迎え入れ、遍照閣まで一緒に歩いてくださるのは、なんとも心温まる光景だ。
 最後にみんなで般若心経をお唱えする。種明かしとして、阿弥陀様の中から、中の人が出てきて終了となる。

 もうすべてがたまらなく愛おしい!

 弘法寺の踟供養は現在、岡山県無形文化財に指定されているが、国の重要文化財になるという話も聞こえている。當麻寺でもそういう話を聞いたので、練供養行事がいくつかまとめて重文指定になるのかもしれない。素晴らしいことだと思う。
 なにより望むのは「末長く続いてほしい」ということ。その一点につきる。

(↓ 遍明院本堂前で菩薩様を待ち受け、お辞儀をする阿弥陀如来様)

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(↓ 菩薩様とともに、極楽浄土へ見立てた遍照閣へと歩き出す阿弥陀如来様)
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(↓ 遍照閣の前に集合。見物客も声を揃えて般若心経をお唱えする。感動的)
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(↓ 種明かし! 大役を務められた千手地区の男性の笑顔がまぶしい)
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踟供養のルート。遍明院から階段を下りて、広場で中将姫様をお迎えし、また遍明院に戻るルート。以前のように東寿院は通らない。

【拝観案内】

千手山弘法寺(せんずさん こうぼうじ)
高野山真言宗
昭和42年の火災で本堂は焼失。現在は、遍明院と東寿院の塔頭二つが残る。
遍明院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
東寿院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手196
播州赤穂西大寺駅から神崎経由牛窓行きバスに乗り、「千手弘法寺下」下車。バス停からすぐだが、バスの本数が限られているので注意。1回目に行ったときは、帰りのバスの待ち時間が長く日が暮れてしまいそうだったので、タクシーを呼んだ。

踟供養の日時

 毎年5月5日14時から法要、15時から菩薩渡御。

弘法寺の仏像

 山号のとおり、本尊は千手観音立像だが、弘法寺本堂が焼失したため、今は遍明院本堂の裏手にある収蔵庫に安置される。厨子の中に収められており、非公開。この遍明院の収蔵庫は横長の建物で、平安後期の五智如来坐像を横一列に安置する。
 遍明院から少し山を登ったところに、かつての弘法寺本堂の跡地がある。かつてはそこで練供養が行われていた。本堂跡地の近くに、焼けずに残った常行堂があり、そのお堂いっぱいに丈六の阿弥陀如来坐像が現存する。八角裳懸座の立派なお像である。
 踟供養に登場する被仏(迎講阿弥陀如来像)は關先生が調査し、その存在を確認したお像である。調査に入った關先生が、常行堂で倒れるようにしていた像を発見。後補の塗装が剥がれかけており、そこを触るとぺりっとめくれ、運慶の無着世親像(奈良・興福寺)を想起する鎌倉彫刻の衣文が見えたそうだ。この被仏は關先生のご尽力で修理され、現在は遍明院の収蔵庫にまつられている。年に一度、踟供養でご活躍されるのは上記のとおりである。
 東寿院の本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。頭部に補修のあとがあるものの、快慶らしい三尺の阿弥陀立像である。胎内文書のみが奈良博の快慶展(2017年)に出展された。
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(↑遍明院の五智如来の中尊、大日如来。優しく穏やかな印象がたまらない)
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(↑常行堂に残された丈六阿弥陀如来坐像。写真はゆう1さん撮影)

※最後に、2015年に弘法寺練供養を訪れた際の記録はこちらです。この時とはルートが変更になっています。ご参考まで。
岡山県瀬戸内市 弘法寺の踟供養(阿弥陀来迎会) : ぶつぞうな日々 PARTII

【独り言】コロナ対策が進む美術館を閉めるなんて! 2年連続ステイホームのGWはつらいよぉ

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ご開帳中止のうえ、美術館まで閉める? これ以上の自粛はつらいよー!

 コロナ禍で遠出はだいぶ控えてきた。2020年は9月と10月前半に出かけたが、10月後半からまた自粛していた。その当時は冬は空気が乾燥するから飛沫感染が増えるという説明だった。よって、冬さえ我慢すれば、翌2021年の春にはまた、たくさん出歩けると思い込んでいた。
 ところが、変異株とやらのせいで、さらに感染拡大が続いている。「マンボウって何?」と思っているうちに、4月に入って緊急事態宣言が発出。関西のご開帳が相次いで中止となり、私もゴールデンウィークの予定を変更せざるをえなくなった。まずは、紀三井寺を含め関西エリアを幅広く回るプランAから、奈良にしぼったプランBへと変更。しかし、奈良の興福院のご開帳が中止となったこともあり、結局関西行きは断念することに。首都圏内で美術館を中心にのんびり過ごすプランCに変更した。ところが、ところが...! 1月の緊急事態宣言時とは異なり、今回は美術館の多くも休館となってしまった!
 美術館は予約制導入や入場制限などにより、この1年間でコロナ対策が大きく進んでいる。入場者数を絞り、館内での私語を避ければ、何の問題もないではないか! 突然の休館の知らせに私はかなり落ち込んだ。予約キャンセルメールが実際に届き、呆然とした。私もつらいが、開催に関わられた方々はもっとつらいだろう。動く歩道まで設置して開催にこぎつけた鳥獣戯画展の努力をどうしてくれよう。京都で凡夫とまみえる機会を奪われた鑑真和上様をどうしてくれよう。
 命より大切なものはないし、ステイホームで感染機会が減らせることも理解できる。しかし、「仏像に会う」「美術館に行く」という行為は、生きていくうえで必要不可欠なのである。特に、不安と緊張の続くコロナ禍だからこそ、不要不急と切り捨てられないのではないか。オリンピックはやるのに、美術館閉めるとはどういうことか。
 そういうわけで、2年連続でGWに外出を自粛せざるをえないこの状況について、私は頭で理解できても、心と体が受け付けなくなってしまった。出かけたい。でも、出かけてはいけない。4月24日から数日間、私はそうしたアンビバレントな感情を抱え、気持ちが沈みがちとなった。自らの混乱を収める一つの方法として、美術館やご開帳の開催状況をまとめてみた。感情がもやもやするときは、まずは目の前の事実を整理してみるのが効果的だ。おかげでやっと少し落ち着いたので、これを書いている。これからGWのプランDを検討しなくては。遠出できなくても、きっと何か楽しいことができるはず。
 

美術館等の休館情報まとめ

 
(※2021.4.27現在の情報です)
(※個人調べのため間違いがあるかもしれませんし、今後また急な変更もあるかもしれません)

閉まっているのはつらい。だけど、紀三井寺石山寺のように、開いているのに、遠いから自粛しないといけないのもつらい。。。

1) 休み

・八王子夢美術館 4/26-5/11休(北斎展当初予定6/6まで)
東京富士美術館 4/25-5/11休
府中市美術館 4/25-5/11休(与謝蕪村展が5/9までだった)
五島美術館 4/25-5/14休
・八王子市郷土資料館 図書閲覧停止 4/26-(郷土資料館が3/31閉館後も同館内で続けられていたサービス)
・桑都日本遺産センター八王子博物館 4/29オープンが延期
・八王子市図書館 4/27-5/11閉館
多摩森林科学園 4/24-閉鎖
根津美術館 4/25-5/11閉館、5/11-16夜間開館中止(国宝燕子花図屏風は5/16まで)
新国立美術館 4/25-5/11閉館、佐藤可士和展中止
あべのハルカス グランマ・モーゼス展 4/25-当面閉館(当初予定6/27まで)
東京国立博物館4/24-当面の間休館、鳥獣戯画展の当初予定は5/30まで
京都国立博物館鑑真和上と戒律4/25-5/11閉館(当初予定5/16まで)
九品仏浄真寺 5/5お面かぶり延期/千部法要を僧侶のみで
・大念仏寺 5/1-5万部おねり お勤めのみ山内職員で厳修。二十五菩薩の練供養と伝供を自粛。来山参詣ご遠慮ください。
パナソニック汐留 クールベと海 4/28-当面休み(ただし解説動画配信4/26, 5/6, 5/9)
・Play! Museum 4/26-緊急事態宣言終了まで休み(酒井駒子展-7/4, ぐりとぐら-2022/3末)

2) まあやってる

高幡不動尊 不動堂と五重塔無料休憩所への入堂禁止(緊急事態宣言中)
・高尾山 4/25- ケーブルカーとリフトは営業。一部店舗で酒類提供休止。高尾さる園野草園は休園

3) 開いてる

紀三井寺よみがえりご開帳 5/29まで○(※「なるべく緊急事態宣言停止後にご来山ください」HPより)
奈良国立博物館 聖徳太子法隆寺 4/27-6-20 ○ 事前予約優先(国宝聖徳太子絵伝全十面一挙公開と国宝塔本塑像羅漢坐像は奈良会場のみ)
・塩船観音寺 5/1-3秘仏本尊ご開帳○(特に中止情報なし。入堂拝観可能かは不明)
山梨県立歴史博物館 武田信玄の生涯5/10まで○
金沢文庫 鶴見寺尾郷絵図の世界 5/23まで予約制
・鎌倉国宝館 鎌倉の至宝5/9まで○ 予約不要
・大磯町郷土資料館 「旧高麗寺ゆかりの神像・仏像修理」 6/20まで○
・大岩山毘沙門天 ご本尊出開帳 5/9まで○
石山寺光堂公開

【奈良】十輪院護摩堂の不動明王及び二童子像を拝む

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護摩堂内部(※堂外から筆者撮影)

十輪院の石仏龕(重要文化財

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 奈良市内ならまちエリアの十輪院といえば、本堂のご本尊の石仏龕(重文、平安中期から鎌倉前期)が有名だ。石仏の地蔵菩薩立像の両脇に釈迦如来弥勒菩薩が浮彫で表される。さらに、仁王、聖観音不動明王、十王、四天王、五輪塔、観音・勢至菩薩の種子などがめぐらされる。龕の上部、左右には北斗七星などの星座も。お参りするたびに、親切で詳しい説明をしていただける。元興寺の境内にあった石仏のお地蔵さんをまつるため、石のお厨子が造られ、さらにそれに合わせたお堂ができた。そのお堂、つまり今の十輪院の本堂は、石仏龕を拝むための礼堂として建立されたもので、国宝に指定されている。

十輪院護摩堂の不動三尊像(重要文化財

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 今回初めて拝観させていただいたのは、本堂手前の護摩堂にまつられる不動明王及び二童子だ。護摩堂は普段は閉まっているのだが、7月、8月および12月をのぞく28日の午後2時から法要が行われ、不動三尊を拝むことができる。やっと28日に奈良に行ける機会が得られたので、迷わずお参りした。
 事前にお電話して時間を確認し、2時前に到着したのだが、すでにお堂は開いて法要が始まっていた。入堂し、法要を拝見する。導師は十輪院住職の橋本昌大様。不動三尊像の前で、護摩木を積んでどんどん燃やしていく。十輪院真言宗醍醐派に属すそうで、とても力強い護摩法要だった。
 護摩堂ご本尊の不動明王立像は智証大師円珍の作と伝わり、一願不動尊として信仰を集めてきた。弁髪で、右眼は天を見つめ、左眼は地をにらむ。右手に利剣を、左手に羂索を握る。顔は忿怒形でありながら、穏やかな感じもするのは、平安後期の造像だからだろうか。向かって右の矜羯羅童子、左の制吒迦童子は上半身をひねり、不動明王を見上げる。不動明王像は寄木造りで、それより小さい二童子像は一木造り。
 法要のあと、お札を申し込んだ人にはお札が配られる。これは当たり前なのだが、十輪院様では、お札を申し込みそびれた私のような一介の参拝者にまで、仏様のお下がりのお菓子を分けてくださった。温かいお茶が用意され、住職を中心に少しだけ歓談の時間が設けられた。これがまた穏やかで和やかで、とても感動した。また28日にお参りできたら、今度はお札をお願いしよう。28日に行けなくても、きっとまた十輪院さんをお参りするだろう。奈良は東大寺法隆寺といった大寺院が有名だが、実は、こういう小さなお寺もとてつもなくよいのだ。

【拝観案内】

十輪院
奈良市十輪院町27
0742-26-6635
公式サイト www.jurin-in.com
石仏龕 南都 十輪院 (真言宗醍醐派)|拝観|石仏龕
不動明王および二童子南都 十輪院 (真言宗醍醐派)|拝観|不動明王および二童子立像
護摩堂の不動三尊の拝観は、7月、8月および12月を除く、毎月28日。14時頃に始まる法要の際に、お堂が開いて不動三尊を拝観できる。ただ、イレギュラーなこともあるでしょうから、事前にお電話でご確認ください。

【滋賀】石山寺で十一面観音立像の特別公開 ~石山寺の諸像をゆっくり拝む~

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1) 石山寺で十一面観音立像の特別公開

 石山寺の本堂で特別公開中の十一面観音様を拝ませていただいた。勅封秘仏のご本尊様の真後ろに、穏やかな観音様が立っておられる。こちらが後退りしてしまうほど近かった。間近で静かに手を合わせた。像高約170cm。平安後期12世紀。湖北から来たと伝わるそうだが、それ以上の情報は聞こえてこない。石山寺にまだこれほどの仏像がおられたとは驚きである。文化財未指定なのだろうか。桜が満開で境内は賑やかだったが、本堂の内陣拝観は人が少なく、ゆっくりとお参りできた。
 石山寺のご本尊如意輪観音様は筆舌に尽くしがたい魅力があるが、この日は非公開。残念だが、その分、それ以外の素晴らしい仏像を拝む余裕ができた。以下で、石山寺の仏像を振り返ってみる。

2) 石山寺の創建に東大寺大仏との関わり

 「石山寺縁起絵巻」によると、石山寺天平19年(747)、聖武天皇の勅願により、東大寺の良弁僧正が創建。聖武天皇が大仏を荘厳する黄金の産出を祈願するよう良弁に命じた。良弁は最初吉野で祈願するが、蔵王権現の夢告により石山の地にたどり着く。石山の岩の上に観音像を置いて祈ったところ、陸奥の国で金が見つかった。その際、観音像は石山の岩から離れなくなったため、そこに草庵を建てたのが始まりとされる。

3) 石山寺本堂の仏像群

 本堂中央の宮殿に、勅封秘仏のご本尊如意輪観音様がまつられる。その前にお前立像。
 正面左側に不動明王坐像(重文)。像高86.7cm。平安10世紀後半。檜材の一木造り。お不動様の辺りはなぜか暗く、目をこらなさいとよく見えないのだが、大変立派なお像である。総髪で、目を見開いて、上歯で下唇をかむ、大師様。
 右側に薬師如来坐像。その周りに板彫十二神将興福寺の板彫像を思い出す、ユニークで生き生きした十二神将だ。その裏側に、良弁像吉祥天像、そして、塑像金剛蔵王権現の心木
 石山寺創建当初、ご本尊の脇侍として、金剛蔵王権現と執金剛神の二柱がまつられた。本堂に現在安置される蔵王権現の心木は創建当初のもので、右脚を上げる蔵王権現独特のポーズを取る。しかし、台座に右足を置く跡が残ることから、創建当初は右脚を下ろしていたと考えられている。良弁は吉野の蔵王権現から夢告を受け、また、東大寺には良弁の念持仏執金剛神像が残る。良弁にかかわる神像二柱が本尊の脇侍であることは興味深い。
 お堂の右奥に巨大な毘沙門天とそれより少し小さめな増長天持国天。何気なくまつられているが、いずれも平安時代の作で、この3像で一括して重要文化財に指定されている。毘沙門天は像高262.1cmの巨像。瀬田にあった毘沙門堂から移されたと伝わる。持国天(像高162.1cm)と増長天(158.8cm)は一具で、毘沙門天とは別に制作された。
 また、宮殿の両脇に14体ずつ並ぶのは二十八部衆だろうか。よいお像だと思うのだが、情報がない。

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石山寺本堂の不動明王坐像(※写真は『大津の文化財』より)
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石山寺本堂の毘沙門天持国天増長天(※写真は『大津の文化財』より)

4) 他のお堂にも重文のみほとけが

 それにしても、石山寺の美しさにはいつも息をのむ。琵琶湖から流れる瀬田川のほとり、硅灰石の上に堂宇がある。国宝の美しい多宝塔を覗き込むと、快慶さんの大日如来。なぜにあれほど美しいのか。像高101.7cm。像内頭部に墨書に「アン阿弥 陀(快慶)」ほか、快慶工房の仏師の名前がある。像表面に江戸時代の修理が残るそうだが、それでも快慶さん独特の美しさが満ちている。私は多宝塔を覗き込むたびに息が荒くなり、「惚れてまうやろ~」と心の中で叫んでいる。
 毘沙門堂を何の気なく覗くと、兜跋毘沙門天は平安の重要文化財だ。像高174.2cm。地天女の掌上に立ち、尼藍婆毘藍婆を足元のおく。この地天女と尼藍婆毘藍婆を含めて、一材から彫り出す。内刳りなし。

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毘沙門堂を覗き込む(※筆者撮影)

 また、2021年4月29日〜5月17日にまた光堂の特別公開があるそうだ。困った。また行けるだろうか。ここの大日如来坐像は平安前期の重量感あるお姿で、私は一目拝して腰が砕けてしまった。多宝塔の旧本尊だったそうで、今の快慶さんの大日如来様も脳裏に浮かび、平静を保つことが難しくなってしまう。光堂本尊は阿弥陀如来坐像鎌倉時代の作。淀君寄進による如意輪観音半跏像(慶長年間1596-1615)も美しい。
滋賀県大津の古刹 石山寺・三井寺 あお若葉 もみじの競演 | 大本山 石山寺 公式ホームページ

5) ご本尊様にお会いしたい

 本堂にまつられるご本尊様は勅封秘仏の二臂の如意輪観音33年に一度、または、天皇陛下ご即位の翌年に、勅使によってのみ開扉される。令和2年の春にご開扉があったが、私を含め、自粛された方も少なくないのでは。私は2016年に拝観したが、あの感動は言葉に表せない。
 天平宝字6年(762)に造立された塑像が承暦2年(1078)に焼失したあと、木造で再興されたお像である。奈良時代に観音とされていたが、平安時代真言密教寺院となる過程で如意輪観音として礼拝されるようになったと考えられる。像高293.9cmと巨大ではあるが、愛くるしいご尊顔に打ちのめされる。岩の上の蓮華に座り、左脚を下げるさまは、やんちゃな感じがしてたまらない。高貴な像であるのに、親近感も覚えてしまうのだ。
 感染が落ち着いたら、特別に開けていだけないだろうか。
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拝観日=2021.3.27

【拝観案内】

西国三十三所観音霊場第十三番札所
大本山石山寺
滋賀県大津市石山寺1-1-1
公式ホームページに縁起等が詳しく説明されているので、必読。
www.ishiyamadera.or.jp

参考資料

大津市制100周年記念 大津の文化財大津市教育委員会(平成10年)

【展覧会】鑑真和上と戒律のあゆみ@京都国立博物館~鑑真和上は生きている~


凝然国師没後700年 特別展
鑑真和上と戒律のあゆみ
京都国立博物館

前期展示:2021年3月27日(土)~4月18日(日)
後期展示:2021年4月20日(火)~5月16日(日)
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鑑真和上は生きている!

 鑑真和上に久しぶりにお会いしたく、展覧会初日に出かけてきた。
 天平の乾漆像は生き生きとしたお像が多いが、この鑑真和上像は特別だ。穏やかに微笑み、まるで息をしているかのようだ。穏やかでお優しいお人柄が全身からあふれ出ている。おそばに行って、お話したくなってくる。あわよくば、悩みを聞いてもらいたい。私のようなダメ人間でも、きっと温かく話を聞いてくださるような気がする。
 静かに閉じた両眼は左右が若干アシンメトリーなところが魅力的だ。日本に到着した時には視力を失ったとされる鑑真和上だが、実は少しだけ見えていたのではないかとまで思ってしまう。今にも薄目を開けて、こちらを覗いてきそうだ。描かれたまつ毛が愛おしい。
 お腹の前で組んだ両手は正面より少し右側に寄っている。おそらくそれが鑑真和上の癖だったのだろう。高尚な人格がにじみ出るのに、親しみを覚えてしまうのは、こうした点にあるのだろう。
 教科書に載っていて、日本人なら誰もが見たことのあるお像だと思う。しかし、実際に間近でお会いしないと、お像の息遣いまでは聴こえてこない。
 唐招提寺では、和上の御命日を挟んだ6月の3日間のみ、ご開帳される秘仏である。京都国立博物館で2か月近く公開されるのは大変ありがたい。初日の夕方、館内はガラガラで、ゆっくり拝観できた。

眉間寺阿弥陀如来坐像

 展覧会は戒律に関する文書や絵画が多く、仏像の展示は少ない。しかし、眉間寺伝来の阿弥陀如来坐像がとてつもなく美しかった。安祥寺五智如来と対面する形で展示されている。眉間寺伝来の阿弥陀如来坐像は今は東大寺の所有なのだそうだ。東大寺で前に拝観したことがあっただろうか。

 個人的には、大山崎の大念寺の阿弥陀如来立像の胎内納入物が見られて嬉しかった。昨年阿弥陀如来様をお参りさせていただいた際、一部を写真で拝見していた。ご住職はお元気でおられるだろうか。

MJTシャツ売ってる

 ミュージアムショップで、みうらじゅんデザインのTシャツが売ってた。恐る恐る買ってしまったが、私似合うかな? きっと多くの仏友さんとお揃いになりそう。

【展覧会】「みほとけのキセキー遠州・三河の寺宝展ー」は仏像展の夜空ノムコウ!?

浜松市美術館
みほとけのキセキ-遠州三河の寺宝展-
令和3年3月25日(木)~4月25日(日)

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普門寺の阿弥陀如来坐像と釈迦如来坐像(2階会場)

 「みほとけのキセキ」という、なんとも物騒なタイトルの展覧会である。この仮名表記が私は気になってしまう。ひらがなの「みほとけ」は美しい。数年前の仁和寺展あたりから浸透した表記だと思う。しかし、なぜに「キセキ」がカタカナなのか。スガシカオか? 夜空ノムコウ
 「みほとけの奇跡と軌跡」なら、私のような捻くれ者でもすっと理解できる。カタカナにしてしまうと抽象的になってしまう。展覧会のタイトルとして、非常識だ!

 しかし、実際に会場を訪れると、展覧会自体が非常識極まりなかった! ゆったりスペースを取って仏像を配置し、しかも、すべて写真撮影できるのである!

 仏像を出陳された寺院の中には、お寺での仏像の撮影が可能なところもあり、実際に私も撮影させていただいたことがある。しかし、この展覧会では、お寺では拝めないお背中の撮影もできてしまう。幸せをかみしめながら、お背中を見上げてきた。摩訶耶寺の千手観音立像、普門寺の伝教釈迦如来坐像と阿弥陀如来坐像がそれである。携帯電話での撮影ではあるが、変な汗をかいた。間近で拝し、写真を撮ることへの畏れ多さを感じたのだと思う。

 会場内には、仏像に馴染みのない一般の人に向けて、易しい言葉で解説がある。一方、図録には仏像に関する専門的な論文が掲載されており、写真も豊富だ。仏像に詳しい人もそうでない人も存分に楽しめるような配慮がある。

 地域限定の仏像展であるという点もありがたい。仏像を通して地域の歴史を知ることができるからだ。

 私が大好きなのは、普門寺の阿弥陀如来だ。2階の会場に入った瞬間に、伝釈迦如来像とお並びで目の中に入ってきた。おいおい、心の準備をさせてくれよ、と思った。お隣の釈迦如来像が絵にかいたような端正な容姿であるのに対し、阿弥陀様はお顔の輪郭がぼてっとしていて、耳の下が外側にはねている。そこが好き。下から見上げている私は恋する乙女以外の何者でもなくなってしまう。摩訶耶寺の千手観音立像は一つのスペースに1点展示で、360度から拝観可能。ピュアでイノセントなお姿に打ちのめされる。長楽寺の馬頭観音は初めてお会いしたと思うのだが、写真で見ていたより、お顔の表現がずっと立体的で力強く、とても良いと思った。

 結論。夜空ノムコウは名曲だ。「みほとけのキセキ」展は仏像の展覧会の夜空ノムコウだ。

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妄想拝観ツアー〜春の夜の十一面観音立像編〜

床に突っ伏して妄想拝観

 3月半ばのある夜。洗濯物を干さないといけないのに、疲れて床(ゆか)に倒れたまま、立ち上がれなくなってしまった。なんだかつらい。そういえば、去年の春のお彼岸は三連休だったのに、大阪で感染者が急増したというニュースが入り、関西への秘仏の旅を直前にキャンセルしたのだった。今年は緊急事態宣言が長引き、はなから諦めていたのだが、この時なぜか急にせつない思いが込み上げてきた。
 この混乱と苦しみはいつ終わるのか。洗濯機は仕事を終えて止まっているのに、私には立ち上がって洗濯機まで歩く力が湧いてこなかった。 
 要するに、眠いし、疲れていた。できることは妄想だけ。カーペットに突っ伏して、半分うとうとしながら、十一面観音立像を巡る旅をしてみた。緊急事態宣言だろうがなんだろうが、私の妄想を止めることはできないのだ。
 妄想拝観は地理的制約を受けない。瞬時にお寺からお寺へと移動できる。北海道から九州まで縦横無尽に美仏を堪能した。とにかく、平安の十一面観音立像を巡りたいのだ!
 さっき携帯電話の中を探ってみると、その時のメモ書きが残っていたので、ここに自らの赤恥を晒してみる。春先の夜、うとうとしながら、私の脳裏によぎった十一面観音菩薩様たち。よろしければ、皆様も思い浮かべてくださいませ。

妄想拝観
平安の十一面観音立像巡礼

旅した日=2021.3.17

法華寺→嵯峨遍照寺→北海道苫前→當麻寺織姫→長野千曲智識寺→横浜弘明寺城崎温泉寺→斑鳩勝林寺(奈良博)→島根安来清水寺→岐阜美江寺→福岡鞍手長谷寺→再び奈良の法華寺六波羅蜜寺本尊→尾道浄土寺本尊→和歌山慈光円福院→薬師寺東博)→白洲正子旧蔵→河津善光庵→秋田小沼神社→四国のどこだっけ→奈良の法輪寺→羽賀寺→聖林寺→また法華寺

 …と奈良の法華寺に3回お参りしたところで、私は力尽きた…。

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(↑ 智識寺)
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(↑ 慈光円福院)
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(↑ 善光庵)

妄想旅を振り返って

 今、見返してみると、素敵な観音様ばかりで、つい口元がゆるんでしまう。少しだけスッキリした頭で、少し補足したい。

1)「四国のどこだっけ」は、翌朝検索してみたら、愛媛県松山市太山寺だった。平安の十一面観音立像が6躯。堂内の大きな厨子に3躯ずつ安置される。仏像リンクのオフ会でお参りした記憶あり。下記サイトに「後冷泉天皇以降の歴代天皇が勅納の仏像」とあるが、天皇直々というのも納得できるほど、pureでinnocent でgracefulなお姿であられた。日本語にしにくいのだが、うぶで無垢で優しい気品に満ちていた…と言えるだろうか。いやいや、つまりは、私の語彙力では表現できない感動なのであった。
木造 十一面観音立像 6躯 松山市公式スマートフォンサイト

2) 平安仏で埋め尽くそうと思ったのに、北海道苫前の観音様だけ鎌倉仏。死ぬまでにどうしてもお会いしたいので、確信犯的に組み込んでしまった。私は北海道生まれだが、苫前町は聞いたことがなかった! とんでもない僻地(苫前の皆さんごめんなさい)にこのような美仏がおられるとは。羨ましくて涎が止まらない! 
木造十一面観音立像 文化遺産オンライン

3) 法華寺が3回入っているのはタイプミスではない。妄想拝観では何度でも拝観が可能なのだ! 

4) あ、聖林寺は平安仏ではなく、天平仏? まあ、いいか、大好きだから。

5) よくよく見直すと、うとうとしながら思い浮かべていたのにメモに残っていないお像があることに気づいた。会津の明光寺のかわいらしい十一面観音立像が入っていない。寝ぼけてたので、お寺の名前を思い出せなかったのかも。兵庫や大阪、福井などの十一面観音立像も思い浮かべてたのに、お寺の名前が思い出せない。調べ直して、第二弾の妄想拝観ツアーを断行せねば。

 はぁー、妄想旅楽しい! でも、少しずつでも現地でお参りしたい!!


※ 写真はすべて許可を得て筆者撮影

【石仏】徳本名号塔をめぐる〜八王子編5 小仏山宝珠寺〜

八王子市・徳本上人名号塔No.18
仏山寶珠寺(宝珠寺)(八王子市裏高尾町)
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小仏トンネルの近く、宝珠寺に徳本名号塔

 久しぶりに市内の徳本上人名号塔の調査へ。旧甲州街道沿い、小仏山宝珠寺でまた一つ見つけることができた。これまで市内18か所を巡って、15基目を確認できた。
 宝珠寺に徳本名号塔があるらしいという情報は得ていたのだが、ネットで調べても一切情報がなく、近くの常林寺では見つからなかったことから、宝珠寺の徳本名号塔も今は存在しなくなってしまったのだろうと思っていた。ないことを確認するために訪ねてみたのだが、なんと、お寺の前に1メール超の立派な徳本上人名号塔がおわした。
 嬉しい誤算である。瓢箪から駒ならぬ、小仏山に徳本名号塔だ。
 小仏山宝珠寺の徳本名号塔は、ごつごつした大きな自然石に刻まれたもので、温かみを感じる。石碑の背面の緑の苔が愛おしい。徳本独特の流麗な文字はやや摩耗しているが、南無阿弥陀佛とはっきりと読み取れる。「徳本(花押)」はかなり見えにくいが、「陀佛」の横あたりにうっすらと確認できた。制作年度などの銘文は私では確認できなかったので、さらに調査が必要だ。
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八王子市内の徳本名号塔をなんとかしたい!

 裏高尾町の旧甲州街道沿いでは、小仏関所跡近くの念珠坂にも同規模の徳本上人名号塔がある。西八王子駅から高尾山の西、小仏山までの間の甲州街道沿いだけで9基(※注)もある。徳本上人の亡くなられた後、文政年間のものが多い。
 宝珠寺は交通渋滞で有名な中央道小仏トンネルの近く。そもそも小仏という地名は宝珠寺のご本尊様にちなむと聞く。高尾山から足を伸ばせる距離であり、今も登山客が通り過ぎて行く場所であるためか、ネット検索すると、宝珠寺の写真もいくつか上がっている。しかし、徳本名号塔を写したものは見当たらなかった。こんなに美しく温かみのおる石塔なのに!
 市内では、徳本名号塔を管理されているのに、それを徳本名号塔と知らずにおられる方々ともお会いした。徳本名号塔の知名度が低いのは、なんとももったいない。八王子の文化遺産として保護すべきではないか。まとめて文化財指定した相模原市が羨ましい。八王子では30年前の石仏調査を頼りに、素人の私が訪ね歩いている。それも楽しいが、文化財保護の観点では非常に心許ない。
 徳本上人は八王子の大善寺のあと、相模原の無量光寺に向かわれた。21世紀の今、なぜこんなに差が開いてしまったのか。

【拝観案内】

仏山寶珠寺(宝珠寺)
臨済宗南禅寺派
八王子市裏高尾町1785
入り口の風景(↓)


徳本名号塔の前の馬頭観音碑は小仏宿と銘があり、興味深い。


甲州街道”沿い”の範囲を定めるのは難しいが、ここでは長安寺、長泉寺、船田会館、真覚寺、めじろ台墓地、原家墓地、原宿会館、念珠坂、宝珠寺の9か所とした。

【山梨県】永源寺(中央市下河東)聖観音立像~都の香りのする穏やかな観音さま~

永源寺山梨県中央市
聖観音菩薩立像

重要文化財
平安10世紀
像高97cm
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1) 甲府盆地の真ん中に優雅な観音立像

 甲府盆地の真ん中に不思議な一画がある。わずか1キロ圏内に、国の重要文化財指定を受ける平安時代の木彫仏が2駆もおわす。しかし、なぜかコンビニはない。最寄りの小井川駅は無人駅で、PASMOも使えない。のどかな風景のなか、一流の仏像がおわす、夢のような地区である。
 2躯ある重文の平安仏のうち、永源寺聖観音菩薩立像を拝観させていただいた。
 永源寺では、毎年3月の第1日曜日に初午観音祭りがあり、聖観音菩薩様が公開される。観音様のお姿を拝めるのは年に一回、この日だけだ。
 緊急事態宣言が延長されるなか、東京の西端から出かけるのは気が引けたが、事前にお寺にお電話すると、どうぞとおっしゃってくださった。蜜を避けるため、中央本線の鈍行電車に揺られ、お参りしてきた。本堂でご挨拶すると、住職が「お電話くださったかたですね。解説します」とおっしゃってくださり、観音堂にご案内くださった。
 聖観音菩薩様は小さな観音堂の奥にまつられていた。お厨子自体が、大きな保管庫に収められているため、お像まで少し距離がある。しかし、明るいので、お姿はよく拝める。とても優美なお姿だ。右腕を下にし、左手で蓮花を持つ。わずかに腰を捻る。腹部から足先へ向かう衣文の流れは、彫りが薄く、優美で穏やかだ。一瞬にして私はとろけてしまった。駅から甲府盆地ののどかな風景のなかを歩き、京都におられるような雅なお姿の観音様に出会うーーそのギャップにも心が震えた。

2) 国の重要文化財

 この優美な観音様は重要文化財に指定されており、山門前に中央市教育委員会が設置した看板には、次のように記される。

 本像は、側面で縦矧ぎされた頭体部に、耳後前後矧ぎの頭部を挿入、両臂(ひじ)、両手首、両足先、天衣等を矧ぎ付けた檜材寄木造、漆箔の立像である。像高は、九七cm、二段框座(後補)上の蓮華座の上に、光心に八葉をとどめる日輪後光(後補)の光背を背にして立つ。
 掌(てのひら)を前にした右手を下に伸ばし、左手は屈臂(くっぴ)している。往時はその手に蓮華を持していたが昭和二十四年の盗難で紛失した。左肩から右に条(じょうはく)をかけ、裳をつけ、わずかに腰を左にひねる姿は豊かで引き締まり、鷹揚は乏しいが、静的で優しく、落ち着いた気品があって、藤原時代造顕を思わせる。

 藤原時代に、京都周辺で制作されたのだろうか。腰をわずかに捻る姿勢から、単独像ではなく、如来の脇侍だった可能性も考えうる。聖観音立像は100センチ弱なので、半丈六の坐像と合わせるのにぴったりのサイズだ。藤原時代の阿弥陀三尊であれば、さぞかし優美であったことだろう。せめてどこかのお寺に片割れの脇侍が隠れていないのだろうか。

3) 災難をくぐりぬけた観音様

 永源寺はもともと真言宗で、さらに現在の曹洞宗となったそうだ。真言宗の前は華厳宗だったという伝承もあるという。つまりは、古い歴史のあるお寺だ。この地域は、笛吹川釜無川、荒川に挟まれ、水害が多かったそうで、この観音様も水害にあったことをうかがわせる伝承があるそうだ。その昔、現在の下河東と三之条の境に、人や馬が突然転んだり、足がつったりする場所があった。そこを掘ってみると、この観音様が出てきたという。住職がおっしゃるには、おそらく川の氾濫で流されて、土の中に埋もれてしまったのではないかということだった。発掘された観音様は、永源寺の末寺、普明寺にまつられていたという。『甲斐国志』(1814年、甲府勤番松平定能による歴史書)には「永源寺末普明寺の観音は、弘法作で本州巡礼第二番の札所」と記載される。普明寺が廃寺になり、永源寺遷座されたという。
 また、昭和24年9月には、観音様が盗み出された。犯人は自転車の荷台に観音様を載せて運ぶ途中、足の甲が腫れあがって動くなくなってしまった。国母まで来たところで、近くの家に「質屋から買ったものだ」と預けたが、新聞報道で盗難事件を知った家の者が警察に通報し、無事に永源寺に戻された。甲府から列車で横浜まで運び、そこから外国船に載せる計画だったという。70万円で売り渡す三段はついていたそうで、まさに危機一髪の生還だった。この際に、左手薬指と蓮華の花が失われてしまったが、今は無事に修復されている。観音様は左頬の金箔がはがれている。甲府警察署に観音様を引き取りに行った当時の檀家総代は、それを「まるで、お観音さんがうれしくて泣いているように見えた」と語ったという。
 盗難事件を受けて、昭和32年に国の補助で鉄筋コンクリート製の防火保管庫が完成。昭和59年には、檀信徒・近隣の人々の手により、観音堂全体の改築が行われている。
 平成25年10月、山梨県立博物館で展示されるに伴い、観音像の補修の話が持ち上がり、平成27年5~10月に京都美術院国宝修理所で保存修理が施された。盗難前の写真がなく、失われた左手薬指と蓮華の復元は難しいと思われていたが、昭和5年の修理時の記録(詳細なスケッチ)が美術院に残っていたことから、現在のように無事に復元が可能となった。

4) コロナ禍での公開

 私がお参りしていると山梨日日新聞が取材に来られた。コロナ禍において聖観音様を公開したことについて、住職は、「人の努力ではどうにもならないことがある。だからこそ、多くの人に観音様を拝んでいただきたい。お参りに来られる方のために、お堂を開けてあげたい」と答えられた。八王子から訪ねてきた私を温かく迎えてくださった裏に、そういう思いがあったのだと知った。ありがたくて、泣きそうになった。例年では、13:30から本堂で大般若経の転読を行っているそうだが、今年はそれは中止となった。永源寺の初午観音祭りは江戸時代から続く。来年以降は通常通り初午祭りが執り行われますように。多くの方々が観音様とご縁を結べますように。

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秘仏と住職と私…

5) 普化禅師坐像

 普化宗の開祖、普化(ふけ)禅師の坐像が本堂に安置される。毎年11月3日の中央市ふるさとまつりの際にご開帳。明暗寺、通称、虚無僧寺に安置されていたのだが、明暗寺が明治に廃寺となったため、永源寺でまつられるようになった。虚無僧さんにあやかって、ご開帳日には尺八の演奏も行われるのだそうだ。中央市文化財サイトに虚無僧さんのイラストが出てくるので、不思議に思っていたのだが、そういう歴史があったのだと知り納得した次第である。ふるさとまつりの時には、虚無僧さんの行列も行われるのだとか。ご開帳と合わせて、またこの地を訪ねたい。

6) 愛染明王と摩利支天の石仏像

 永源寺山門の前、向かって左手に、大きな石仏がまつられる。元禄年間1697年の愛染明王と摩利支天の立像である。愛染明王の立像は珍しいのではないだろうか。生彩に富むお姿で、とても魅力的である。永源寺の本堂も元禄年間に建てられたものなので、その時に一緒に造立されたお像なのかもしれない。山門をくぐると、人手不足の際に田植えを手伝ってくれたという石仏の地蔵菩薩像「田植え地蔵」もおられた。

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正面左が愛染明王、右が摩利支天

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7) 天白伊豫大権現さま

 山門の右手には、小さな石の祠がある。江戸時代、疫病が蔓延し、多くの人が亡くなり、特に子供の被害が大きかった。ある時、白衣の老人が現れ、「疫病神を退散させ、日頃の信仰に応えよう。余は天白伊豫大権現である」と言い残し、姿を消した。その後、疫病は消え、子供たちも元気で育つようになった。白キツネが石の祠に現れ、地区を眺めたあと、消えて去った。人々はあの白キツネこそ天白伊豫大権現様の化身だといって、キツネの好物を祠に捧げ、感謝の祭礼を続けてきたと言われる。明治に入って、祠が永源寺に移されたあとも毎年祭礼は行われている。天白祭は毎年9月第1土曜日の夜。祭りの夜には、誕生した子供の健やかな成長を願い、子供の名前を書いた提灯が奉納されるのだそうだ。コロナ終息を願って、小さな祠にそっと手を合わせた。
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【拝観案内】

豊田山永源寺
山梨県中央市下河東880
身延線小井川駅または東花輪駅から2キロほど
甲斐国音霊場第2番札所
聖観音菩薩立像(重文)は毎年3月第1日曜日9~15時に観音堂にて公開。この日は初午祭りで、13:30-14:30に本堂で大般若会がある。
www.city.chuo.yamanashi.jp
普化(ふけ)禅師坐像(中央市指定有形文化財)は11月3日の中央市ふるさと祭りの際に公開。虚無僧にあやかって、尺八の演奏も。
木造普化禅師座像(永源寺) [市指定]/山梨県中央市公式ホームページ

なお、永源寺のすぐ近く(1キロ圏内)に
富田山歓盛院(かんせいいん)がある。
永源寺と同じ曹洞宗。注目すべきは藤原時代の薬師如来坐像重要文化財)で、毎年10月に公開日があるそうだ。なんとしてもお参りしたい。
www.city.chuo.yamanashi.jp
なお、ご本尊は宝冠釈迦如来坐像で、中央市指定有形文化財
木造釈迦如来坐像(歓盛院) [市指定]/山梨県中央市公式ホームページ

【山梨県】立川不動尊(笛吹市春日居町熊野堂)~2月28日の特別公開~


立川不動尊山梨県笛吹市春日居町熊野堂)
平成4年、春日居町文化財に指定。
平成14年、山梨県指定有形文化財に指定。
檜材。一木造り。像高255センチ。髪際高231センチ。
体幹部を直径160cmの巨材から彫り出し、両脚部にも一材を使用。
平安時代11世紀の作と推定。
[参拝日=20201年2月28日など]

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立川不動尊。2月28日は格子戸が開かれ、紅白幕がひかれている

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2月28日のお祭りで格子扉が開く

 中央本線石和温泉駅と春日居駅の真ん中あたり、熊野堂という名の桃の里に、開けっ放しの小さなお堂がある。中に入るとまあびっくり。丈六の大きなお不動さまが坐しておられる。思わず「ごめんなさい」と呟いてしまうほど恐ろしいお姿。それでいて、太い腕やお体を見ていると、心がほくほくしてくる。地方の木彫仏はあたたかい。私はこのお不動さまが大好きで、何度かお参りしている。昨年夏にもお会いしたばかりだが、毎年2月28日にお祭りがあると聞き、再び出かけてきた。

 お不動様はいつもは大きな木製の格子扉の中におられる。しかし、2月28日の公開では、この扉が開かれていた。紅白幕を背に、堂々したお姿が目の前に現れた。いつもと違って、正装のお不動さまと言ってよいのか。格子に阻まれず、いつもと違うアングルでじっくりとお姿を拝むことができた。撮影許可もいただき、何枚も撮らせていただいた。
 地元の人々に愛される大きな木彫仏は素敵だ。傷みや摩耗、拙い補修の跡も愛おしい。大きな腕にかすかに残る臂釧に心が震える。

近隣の仏像と関係性はあるのか?

 春日居駅の反対側、桑戸地区には、やはり平安後期の五大明王像(県指定文化財)がまつられる。等身大の迫力ながら、平安後期の気品も漂うお像だ。平成に入って修理されたあと、しばらく東京国立博物館におられたが、今は桑戸地区の新しい建物に戻られ、地元の民を護っておられる。熊野堂の立川不動尊は今は単独像だが、かつては桑戸と同様、五尊でまつられていたのだろうか。春日居駅を挟んだ数キロ圏内にこれほど大規模な力強い不動明王像と五大明王像が残るとは、興味深い。
 そして、立川不動尊を見上げていると、東京都日野市の高幡不動尊不動明王像(重要文化財)が想起される。こちらも丈六の大きな木彫仏で、平安後期の作とされている。像の規模をみると立川不動尊はまったく遜色がない。
 そもそも立川不動尊という名前は、東京西部・立川市の立川氏と関係があるのだろうか。多摩地区とのつながりはあるのだろうか。

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笛吹市春日居町桑戸の五大明王像(2020年9月)

コロナ禍での祭りと拝観について

 今回のお参りにあたり、事前に笛吹市観光課に問い合わせたところ、「コロナ禍のため、いつものように露店の出店はない。前日の2月27日に神事のみを行い、28日の9~15時に不動明王像の公開を行う」ということだった。28日の"公開"というのは、"格子扉を開ける"という意味のなのか聞いてみたが、観光課ではそこまではわからないと言われてしまった。そこは仏像ファンとしては重要なポイントである。半信半疑ではあったが、2月28日が日曜日だったので、とりあえず出かけてみたところ、写真のような見事な「公開」であった。
 私の住む東京の西端は緊急事態宣言下であったので、登山客で混みあう時間帯を避け、中央本線を鈍行電車で移動した。八王子からさほど遠くない。
 現地に着くと、十数名ほどの人が集まっていた。皆さん地元の関係者のようだった。コロナ禍なので、地元の方々とおしゃべりするのは気が引けた。それでも、明らかに私だけ部外者の感じだった(小規模なご開帳ではよくある)ので、「市役所に電話で伺って、お参りにきました」と小声で伝えたところ、「あー、聞いてましたよー。おいでくだっさって、ありがとうございます」と大きな声でおっしゃってくださった。少し気まずい。でも、ありがたかった。お土産にお餅とみかんを手渡された。そして、「あとお札もあるのですが、いりますか?」と言われた。ありがたくいただいたこのお札が、私にはとてもとてもうれしかった。このお不動様のたくましくもかわいらしいお姿がたまらない。このお札は今、自室に大切におまつりしている。本当にありがとうございました。
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 地元の人々に愛され、勇気づける大きなお不動さま。そんな光景に出会えるこの国はやはり素敵だ。来年の2月28日はもっと盛大にお祭りが開催されますように。またお参りさせてください。

【拝観案内】

立川不動尊
〒406-0012 山梨県笛吹市春日居町熊野堂135-1
2月28日以外でも、格子戸越しの拝観は可能。
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2021.2.28は晴天。白い雪を被った富士山が見えた。桃の花はまだつぼみだった

【多摩の仏像】高尾山不動堂の不動明王と二童子像~28日の朝に拝めるかも~

高尾山薬王院不動堂 不動明王および二童子

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薬王院不動堂の不動明王像(写真は東京都文化財サイトより)


 東京の西の端、高尾山に登る人は多い。身近な観光地だ。しかし、山頂近くに、東京都文化財の木彫仏がまつられることは知られていない。高尾山薬王院奥の院、不動堂のご本尊、不動三尊である。高尾山の日本遺産認定に奔走した八王子市も広報していない。不動堂の扉はいつも閉まっている。

 拝観が可能なのか何度かお寺にお電話してみたが、すっきりした返答が得られないまま時が過ぎてしまった。お不動さんのご縁日である28日の午前中に開くと聞いて出かけたこともあるが、11時に到着するとお堂は既に閉まっていた。八王子市内に都文化財の仏像は多くない。市民の誇りとして、なんとか拝観したいと思ってきた。

 今回、偶然による幸運が重なり、初めて不動三尊のお姿を拝むことができた東京都の文化財ホームページには以下のように記述される。

構造及び形式 寄木造・彩色・玉眼 不動明王112.7cm 矜羯羅童子56.4cm 制吨迦童子 57.6cm

時代/年代 中世・室町時代以前(推定)

解説文  3像とも寄木造り、彩色、玉眼。像高は不動明王像が112.7cm、左脇侍の矜羯羅童子(こんがらどうじ)像56.4cm、制吒迦童子(せいたかどうじ)像57.6cm。作者は不詳。不動像と両脇侍像とは別手の作であり、制作年代は室町時代以前と思われます。三尊構成として、童子像の形に興趣が多分になっているあたり、鎌倉期を下降した年代様を示しながら、童子像に優る中尊像においての技巧によく三尊の価値を保持している点は称揚され、優秀な作です。(昭和37年指定説明書)

 実際の不動明王立像は、この東京都のサイトの写真より、ずっと立派なお像だった。中尊不動明王立像は112.7cmとあるが、もっと大きく力強く感じた。前に飛び出すような迫力。体躯はがっしりするが、衣文は薄くひらひらと優美に動く。写真より何倍もかっこよい。

 昭和37年に都宝に指定された時の説明では室町以前の作となっているが、遠目から拝した印象では、鎌倉時代を念頭に検討してもよいのではと思った(地元民の期待も込めて)。文化財指定から60年も経っているのだから、再調査し、新たな知見のもとに制作年代を考えていただければと願う。
拝観日2021.2.28

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不動堂の不動三尊 ※写真は東京都の文化財サイトより

【拝観案内】

高尾山薬王院不動堂
不動明王のご縁日、28日の午前中(本堂護摩9:30か11:00のいずれかの後)に法要がある。法要前の朝早く、準備をする間だけ扉が開くということだった。法要が始まると扉は閉まってしまう。基本的に秘仏扱いとなっているようで、ご開帳とか公開という感じではない。何度かお電話しても、なかなか具体的な拝観情報が得られにくかったのは、そういう事情によるのだろう。またいつか28日の朝に高尾山に登ってみたい。

【参考資料】

薬王院不動堂の木造不動明王及び二童子立像(東京都指定有形文化財
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=266
本稿の仏像写真2枚はこのサイトから
薬王院の木造地蔵菩薩立像(東京都指定有形文化財
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=267
この地蔵菩薩様もいつか拝観したい。
〇日本遺産「霊気満山 高尾山」ストーリーの構成文化財
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/takaosann/p026874.html
「構成文化財(11)御前立御本尊 飯縄大権現像」(文化財未指定)は本堂の奥にまつられており、護摩法要に参列すると最後に近くで拝むことができる。ただ、今はコロナ感染予防のため、護摩参列者の人数を減らしているようだったので(護摩を申し込んだ人のみ)、今回は参列をご遠慮した。

【おまけ=不動堂周辺の写真】

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2月28日朝9時半頃に到着すると、普段閉まっているお堂の扉が開いていた。中ではお護摩の準備をされていた。
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不動堂の前に建物に関する説明はあるが、不動三尊だけを開設する看板は設置されていない。
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不動堂からもう少し登ると高尾山の山頂。きれいな富士山が拝めた
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白雪に覆われる富士山♡
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山頂から戻ると、不動堂の扉が閉められ、法要が始まっていた。堂内をのぞけるのは法要前の準備の間だけ

【福島】会津・勝常寺の薬師如来坐像に圧倒される私(トーハクみちのくの仏像展にて)

※2015.4.13投稿記事を再掲します

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写真=『勝常寺の仏たち』(平成28年)より

  東京国立博物館「みちのくの仏像」展(2015年1月14日~4月5日)を2度観覧(というか拝観)した。

 小規模ながら、天台寺のなた彫りの観音様、成島毘沙門堂の伝吉祥天、小沼神社の観音像、円空仏など、見どころ満載の展覧会だった。

 しかし、私は勝常寺薬師如来さまの前から一歩も動けなくなってしまった。

 世界にどれだけ立派な男性がいたとしても、目の前のたった一人の人に心を奪われて動けない、そんな感覚。いや、そんな陳腐な表現ではまったくもって物足りない。いったい何なのだろう、私の胸を激しくつかむものは。

 勝常寺薬師如来坐像は、とにかくお体全体がどっしり、ボリューム感たっぷり。頭のらほつもお顔つきも安定感がある。

 施無畏を差し出す右の腕が少しだけ衣からのぞくのだが、その腕がまた太くて力強い。

 力強いだけではない。美しさも半端ない。ゆっくりとドレープを描く衣文はその流れの最後に左足に巻き付く。その巻き付き方のあまりのチャーミングさに胸が弾む。

 ここまで絶対的な安定感と美しさを示しているのに、左手のあの薬壷の持ち方は何なのか。斜めに下げた手のひらにちょこんと薬壷を載せているだけではないか。まるで「ほら、さっさと飲みなさい」と薬壷ごと患者に放り投げるかのようだ。

 ぐたぐたと書いてしまった。

 一言でまとめるなら、絶対的な安定感と美しさと若干のやんちゃさを合わせもった、薬師の中の薬師だと思う。

 徳一上人が作らせたという、都ぶりのするお姿。会津の厳しい自然の中を生きる人々をどれだけ励ましたのか―――浅学の身には想像さえしかねる。

 けれど、私自身はとてつもなく励まされた。恋に落ちて、救われたとも言えるかも。南無薬師如来とはこういう心境を言うのだろうか。


【参考資料】
勝常寺の仏たち』勝常寺薬師如来三尊国宝指定20周年記念事業実行委員会・発行(平成28年10月)
(2017年秋に参拝した際、勝常寺で購入。若林繁氏監修。写真入りで各仏像の解説がある。勝常寺ファン必携の一冊)

【後記】
 2015年にこれを書いたあと、会津湯川村勝常寺を2度お参りした。大きくて武骨な本堂。その中央に坐す薬師如来様。間近で拝観し、恋心はさらに激しく燃え上がった。じっくりと時間を取って、またお参りしたい。収蔵庫の諸像も平安前期の素晴らしい仏像ばかり
 なお、現在、東京の八王子市夢美術館で「土門拳×藤森武 写真展 みちのくの仏像」が開催中(2021.2.11-3.28)。藤森武による勝常寺の仏像の写真も10点展示されている。お近くの方はぜひ。
 昨夜、東北でまた大きな地震があった。10年前の大震災の余震だという。10年たって、また震度6強とは。コロナもあるなかでの対応、考えただけで気が遠くなる。どうか神仏のご加護がありますように。どうか人々をお守りください。2021.2.14記。

【展覧会】横浜の仏像@横浜市歴史博物館〜地域限定の仏像展は素敵です!〜

横浜の仏像
横浜市歴史博物館
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 横浜はサイクリング拝観の圏外なのだが、会場である横浜市歴史博物館のすぐ近くで所用があり、出かけてきた。こんなに気持ちのいい博物館が都筑区にあるとは知らなかった。
 「横浜の仏像」展の会場では、ほどよい照明のもと、とてもよい距離を保って、魅力あふれる仏像が並んでおられた。一瞬にしてめまいがした。仏像に当てられてしまったのだ。展覧会場やお寺で仏像の迫力を強く感じてしまい、一時的に呼吸困難になったりする症状をなんと言ってよいかわからないので、私はそれを「仏像に当てられる」と呼んでいる。こういう症状は2017年の「島根の仏像」展以来だ。息絶え絶えに、まずは会場内を一周。そして、いったん会場外に出て一息ついた。やっと正気を取り戻し、また会場へ。結局3時間、ただただ興奮しながら仏像を観て過ごした。地域限定の仏像展は素敵だ!

 100年に一度のパンデミックで、目に見えないストレスを受けている。それが私の仏像の受け止めかたに何らかの形で影響を及ぼしているのかも。そんなことも思いつつ、みほとけを拝した。

 私が特に惹かれたのは、「12. 菩薩立像(伝千手観音像)真福寺青葉区)」である。
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 とにかく不思議なお姿だ。腕は8本で、後方の2臂は後補だという。腕2本を足したほうがかっこよいと思った人がいたのだろう。穏やかで素朴なように見えて、身体の奥底から不気味な力を発しているようだ。お顔は真ん丸で、安心感がある。一方で、口元は強い意志を秘めたように閉じており、両耳も固く張り出している。なにより特徴的なのは、瞳を閉じたかのような両目だと思う。薄めを開けているのか、それとも完全に目をつむっているのか。大法寺(長野)と千原観音堂大阪府泉大津市)の観音立像が目をつぶっておられたのを思い出した。いずれも静かな興奮を覚える観音像である。なぜ目をつぶる観音像が造られたのだろう。瞳を閉じた観音様は、視覚以外の五感を使って、何を感じようとしているのか。目をつむって何を観ようとしているのだろうか。そんなことを考えながら、しばらくこのお像を見上げていた。

 次に心を奪われたのは、「17.十一面観音立像 西方寺(港北区)」。とにかくかわいい。2011年の震災時に破損したのだが、その後修理の完了時に、西方寺観音堂でご開帳されたのを覚えている。その時は外陣からの拝観で、少し距離があった。近くで拝むと、想像していた以上に優しく、とにかくチャーミングであられた。近くで拝観できると、お像のよさがもっとよくわかるのだと実感する。若干腕が短めのように感じられるのだが、それがかわいらしさをさらに引き立てているのだろうか。また、気になっていた頭頂の化仏が後補らしいことも、今回目視で確認できた。化仏は目や鼻を彫り出さない、のっぺらぼうのお顔である。造立当初の化仏ものっぺらぼうだったのだろうか。気になる。子年開帳の秘仏だ。次はいつお会いできるだろうか。

 「33. 阿弥陀如来立像と装着面 永勝寺(戸塚区)」には驚いた。かわいい系の阿弥陀如来立像かと思いきや、その隣にお面が展示されており、来迎会練供養ファンの血が騒いだ。解説によると、戦国時代にお堂の前を通った人が落馬したり、失礼な態度を取った人が倒れたりしたことから、お面を被せたところ、そのような祟りがおさまったという。通称、面掛阿弥陀如来。なんと素敵なネーミングだろう。お面は僧形像の面部としてつくられた可能性があるとのこと。

 「22. 阿弥陀如来坐像および両脇侍像 真照寺(磯子区)」。1年前にお寺をお参りした際、「阿弥陀三尊はまだ一般拝観できる環境ができていない。展覧会に出すので、その時にぜひ」と言われた阿弥陀三尊についにお会いできた。近年の修理で金ピカのお姿ではある。その金色の下に、平安後期の特徴を見出せる専門家に敬意と感謝を捧げたい。2/7までの期間限定展示!

 「25. 薬師如来坐像 東光禅寺(金沢区)」。お会いしたかった薬師如来様についにお会いできた。私はコロナが始まってから、Zoom坐禅会に毎週参加しているのだが、その坐禅会に東光寺の住職が一度ご参加くださった。流暢な英語を話される方で、お寺のホームページも超絶にかっこよい。サイトに掲載された薬師如来様の写真もかっこよくて、いつか拝観できればと思っていた。像高28cmと小さいが、小さいものにこそ仏師の匠の技は引き立つもので、その最たる例だと思う。

 「30. 釈迦如来立像 真福寺青葉区)」。12番の菩薩立像と同じお寺からお出まし。本展覧会のメインビジュアルを務められる。162cmの堂々としたお姿。衣文の流れに見入ってしまう。お顔もなぜか惹きつけられる。この不思議な瞳はなんなのだろうと思っていたら、銅板が貼ってあるのだそうだ。何時間でも見上げていたくなるお姿である。(※その後、瞳は銅板ではなく、本体から彫り出したものと判明→https://twitter.com/hphiyodori/status/1359846128854790146?s=20 いずれにしても、不思議な瞳であることに変わりはない)
 個人的な話になるが、この釈迦如来立像を大きくデザインした本展覧会の広告を目にするたび、少し胸が苦しかった。このお寺のすぐ近くの病院に、父が入院していたからだ。救急車で運ばれたときのこと、手術を待つ間のことなど、つらい記憶が蘇ってしまうのだ。その当時は、そばにお寺があることも、こんなに立派な仏像がおられることも知らなかった。知っていたら、お見舞いの際にお散歩して、心が和らいだかもしれない。
 この釈迦如来様に実際にお会いでき、ここ数か月のもやもやは解消できた。そっと合掌した。

 そのほか、書きたいことは山ほどあるが、とりあえずここまで。魅了された仏像は他にもたくさんある!

【石仏】徳本名号塔をめぐる~八王子編4~(寺田町)

八王子市・徳本上人名号塔 No. 11) ~寺田町路傍~

 八王子市の徳本名号塔 11番目として、寺田町で見つけたものをご紹介したい。

場所 八王子市寺田町(中寺田の美代田橋近く)
造立年 文政6年(1823)
銘文 正面=南無阿弥陀仏 徳本、右=文政六年癸未、左=七月吉日村講中(注※1)(注※2)
(調査日 2020年11月29日)
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1) 探すの大変! やはり地元の大家さんはさすが

1-1) 過去の調査記録にあたる

 グリーンヒル通りから分岐する小さな道沿いにある徳本名号塔。近所の方々に伺って、やっと見つけることができた。
 まずは、『旧横山村石仏調査報告書』(八王子石仏の会、1998年)の以下の記述を頼りに、調査を開始した。

87.9.13調査 
旧中寺田 
代田橋より上寺田方面道路わきにNo.18 19 20がブロック塀内に安置されている

 このNo.20が徳本上人名号塔である。No.18とNo.19は石仏の観音像と庚申塔だという。1987年の時点では、この3つが道路沿いのブロック塀の中に存在していたことになる。まだ同じ場所にあるのだろうか、また、あったとしても、見つけられるのだろうか。半信半疑で調査を開始した。

1-2) 橋オタクさんのサイトに感謝

 まずは、美代田橋を探した。実は、上記の記述を目にしたとき、これは大変だと思った。多摩川の支流の支流の支流みたいなのがいくつか流れている地域なので、橋もたくさん架かっている。一つ一つの橋の名前など地域の人も把握していないだろうと思っていた。しかし、橋の場所は思いのほか簡単に見つかった。「東京の橋」というマニアックなサイト(こちら東京の橋:美代田橋)に位置情報付きで紹介されていたのだ。橋オタクさんの作成されたであろうサイトに敬意と感謝を表したい。
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1-3) 最後は地元の方のご協力のおかげ

 美代田橋(ミヨタハシ)までいくと、すぐ近くに「中寺田」というバス停があった。バス停の時刻表を見ると、一日に数本しかバスの運行がない。大通りから一本入っただけなのだだが、かなり静かな住宅地だった。このあたりが確かに「中寺田」だったのだろう。上述の資料から「美代田橋より上寺田方面」の「道路わきのブロック塀内」を探す。しかし、「寺田町」という地名は今も残るが、「中寺田」「上寺田」という住所は今はない。
 したがって、上寺田方面がどちらの方向なのかわからない。やみくもに周辺を往復してみると、高台に榛名神社があって石仏や石碑があり、また、小さな牧場の片隅にも石仏が並んでいた。石仏密度がかなり高い地区のようだ。
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 しかし、徳本上人名号塔はなかなか見つからない!
 また美代田橋まで戻って、周辺をうろうろしていると、近くの方が外に出てきた。アヤシイ人がいると思ったのだろう。不審がらせてしまったのは大変申し訳ないが、これは私にとっては絶好のチャンス。私から話しかけてみた。そして、そのおかげで、ご近所の年配の男性にお話を伺うことができた。「200年前の石碑を探しているんです」と必死にアピールをしたところ、ふんふんと話を聞いてくださった。しかし、この男性も「上寺田方面」とはどの方角かわからないとのこと。「大家さんに聞いてみましょうか」とおっしゃった、ちょうどその時、なんと大家さんが車で通りかかった。大家さんいわく、「あー、それたぶんわかる。〇〇さん家のところだよ、たぶん。ちょうど上寺田方面だし。ここからすぐそばよ」とのこと。さすが大家さんは地域の事情に詳しい。「でも、石碑は3つもあったかなー」と首をひねりながら、大家さんは車で立ち去られた。
 私は、「わかりました、探してみます!」と言って、自転車を漕ぎだした。すると、少し離れた先で、大家さんが車を停めて、手を振ってくださっていた。「ここよ! 本当だ、三つあったわね」とおっしゃった。大家さんの指さす先に、探していた徳本上人の独特の文字があった!
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2) 自然石のゆがみの上に刻まれる南無阿弥陀仏の文字

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 小さな冒険のあと、私の目に飛び込んでくる徳本上人の南無阿弥陀仏の文字。この感動と幸せをどう表現すればよいのか。
 寺田町の名号塔は大きな太い自然石のもので、かなり黒ずんでいた。しかし、徳本上人の独特の文字ははっきりと読み取れる。幸せを感じさせる、流れるような六文字だ。
 ここ美代田橋近くの徳本名号塔の特徴は、凹凸のある正面に名号を刻んだ点だろう。南無阿弥陀仏の文字はかなりうねっている。
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 これまでに見つけた八王子の名号塔はすべて自然石に刻まれていたが、正面は比較的、平らになっていた。自然石のゆがみにも心惹かれてしまう。
 過去の石仏調査書を頼りに、地元の人のご協力を得て、200年前のお念仏の証を探し出せるとは、なんとありがたいことだろう。

注※
1) 『旧横山村石仏調査報告書』(八王子石仏の会、1998年)より
2) 住宅地のため、住所の記載は控えています。徳本名号塔を調査されている方で、正確な場所を知りたい方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。
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