東京都美術館開館100周年記念
「大英博物館日本美術コレクション
百花繚乱〜海を越えた江戸絵画」
2026/7/25-10/18 東京都美術館
(9/4鑑賞記録)
確か去年だったと思う。偶然目にした青森のローカルニュース映像に衝撃を受けた。青森県中泊町の旧家にある襖絵が大英博物館所蔵のそれと一連の作品であると判明したという。画面に映るのは豪華絢爛な狩野派の画。そして、なにより感嘆したのは、150年前に離散したこの二つの作品を結びつけた研究者の慧眼だった。その短い映像を私は何度も繰り返し観た。
ここまで気になるのであれば、現地に行って実物を拝見しなければなるまい。いや、しかし、どちらも遠い。そう逡巡するうち、日々の忙しさにかまけ、その存在を忘れかけた頃(忘れるんかい!)、とんでもないニュースが飛び込んできた!
当該襖絵がイギリスから里帰りし、東京都美術館の特別展に出展されるというではないか。しかも、青森の襖絵も一緒に展示されているいう。
もう、これは、行かなければ…! 行かないという選択肢はない。
というわけで、ちょっと出遅れたが、一瞬の閑を絞り出し、やっとこの展覧会に行くことができた!
行ってみると、想像した以上に感動ポイントが満載だった!
1) この一連の襖絵は、もともと奈良の多武峰妙楽寺という神仏習合の寺院にあった。戦国時代に荒廃した寺を立て直すべく、1612年、徳川家康が賢盛法印を妙楽寺のトップ、初代学頭に指名する。この襖絵はその学頭の屋敷、竹林坊に収められたものだった。しかし、明治初めになると、神仏分離によって妙楽寺は談山神社に変わり、学頭屋敷は破壊され、襖が流出してしまう(仏像愛好家の宿命として、旧妙楽寺の仏像のお姿が脳裏を横切ってしまうのだが、その話はまたの機会に)
2) 時は移り、1922年、 一連の襖絵のうち春を描いた4枚《春景花鳥図襖》が東京美術倶楽部で競売にかけられる。購入したのは、青森県中泊の宮越家第9代当主宮越正治だった。正治が妻イハの数え33歳の誕生祝として建てた自宅離れ、詩夢庵(しむあん)を飾るためだった。購入の翌年、関東大震災があり、美術商のあった近辺は大火に包まれたという。妻への愛があったからこそ、そして、青森に移動したからこそ、生き残った襖絵だとも言える。

3) 2023年、この宮越家の襖絵の写真が狩野派の研究者山下善也氏のもとにメールで届いた。それを見た山下氏は、1987年、自身が28歳のとき、東京国立博物館の特別展で観た大英博物館所蔵の襖絵と似ていると直感する。当時の図録を引っ張り出して見比べたとういう。それが《秋冬花鳥図襖》だった。山下氏はロンドンへ飛び、この作品と再会。鳥の飛ぶ方向など、二つの絵が繋がること、引手金具がまったく同じであることなどから、宮越家の作品と一連のものであることを確認した。

4) ロンドンに渡った《秋冬花鳥図襖》の裏側には、《琴棋書画仙人図襖》が描かれていた。これは1930年代に切り離され、1951年からシアトル美術館の所蔵となっている。なんとこの作品もシアトルから里帰りし、本展覧会で展示されている。中国の文人が重要視した四つの教養、琴、囲碁、書、絵画がモチーフとなっており、四季の美しさを描いた上記二作品《秋冬花鳥図襖》《春景花鳥図襖》とは趣きが異なるのも見どころ。右端には仙人である張果老が瓢箪から駒を取り出すシーンがあり、この襖の左右には仙人を描いた絵が続いていたと推測されるのだという。その絵はどこかに現存するのだろうか。今後の発見に期待したい。

5) そして、宮腰家の《春景花鳥図襖》の裏側には《名所風俗図(清見寺・三保松原)襖》が描かれる。賢盛法印が家康から学頭に指名された駿府の風景を描いたものである。家康の威光を示す意図もあったのだろう。個人的には、絢爛豪華な花鳥図と文人画より、こちらの柔らかく牧歌的なタッチに癒される。

6) 談山神社の古い資料に、学頭屋敷の間取りが記される。「花鳥の間」と呼ばれる部屋に《秋冬花鳥図襖》《春景花鳥図襖》が、その隣の「富士の間」に、《名所風俗図(清見寺・三保松原)襖》が収められたとみられる。この展覧会では、当時の配置を再現する形で、これら一連の襖絵が展示される。
7) 気になる襖絵の作者は誰かという点である。山下氏によると、狩野永徳の弟 宗秀の弟子、狩野宗眼重信だと考えられている。静岡県美術館の重信の作 《帝鑑図・咸陽宮図屏風》と点苔の描き方などが同じなのだという。
奈良の多武峰から青森、ロンドン、シアトルへ流れた狩野派の名作が今、150年ぶりに東京で再会しているのである。時空を越えたこの同窓会に立ち会える幸せ。今なら東京都美術館でその幸せを感じられる!
(大阪中之島美術館に巡回予定。期間は2026/10/31-2027/1/31)