ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

ぶつぞうな日々Part II (バックナンバー)はこちらです!

仏像のブログを書き始めたのは、2005年の年末でした。最初の投稿はこんな感じ。

f:id:butsuzodiary:20180212015258j:plain


10年以上が過ぎてもこの気持ちに変わりありません。ますます仏像に魅了されています。

上記のブログは「ココログ」で書いていたのですが、投稿に無駄な手間暇がかかるのが悩みでした。

これからこちらの「はてなブログ」でお世話になろうと思います。

過去の記録は以下からご覧ください。

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com




ブログを書いている「はらぺこヒヨドリ」さんのプロフィールは

はらぺこヒヨドリ をご覧ください。


素人の雑文ですが、これからも仏像への愛を叫んでいければと思っています。平凡な中にも山あり谷ありの人生ですが、仏像が好きなおかげでとても救われています。

仏像好きなみなさん、一緒に「仏像大好き~♪」と叫びましょう。仏像とそれを守られてきた皆様に感謝を伝えたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうtさん

 訃報を聞く。悲しい。

 今年3月、仏像オフ会で、一緒にお昼をいただいたのが最後になってしまった。参加者大勢で貸切った食堂は狭く、窓の向こうは雨で煙っていた。メニューはみんな同じで、大きなアジフライ。そんなざわざわした状況の中でも、彼女の佇まいや話し方には上品さがにじみでていた。この時、彼女から、今年1月に醍醐寺理性院・三宝院の特別公開に行かれたと伺った。美しい快慶仏を見上げる彼女も美しかったに違いない。

 思えば、SNSを通じて、仏像が好きな人たちと知り合うことができた。たかがSNS。しかし、長く続けると、「されどSNS」となる。仏像ブログを18年、仏像Twitterを13年、ゆるゆると続けるなかで、素晴らしい出会いに恵まれてきた。

 だからこそ、お別れはつらい。

 彼女が好きだとおっしゃっていた仏像の写真を添えて、故人を偲びたい。そして、お礼を申し上げたい。ありがとうございました、と。

【兵庫】薬仙寺の観音様ご開帳に伺ったら、薬師如来が平安! しかも、法然上人のご霊跡で、近くの元祖教会に石碑が!

1) 薬仙寺(兵庫県神戸市)

 浄土門時宗の薬仙寺で毎年8月8日と9日に十一面観音像がご開帳されると伺い、お参りした。四万六千日と呼ばれる観音様のお祭りである。
 神戸の薬仙寺は行基創建と伝わる古刹。行基が開き、平清盛が修築した大輪田泊(おおわだのとまり)に近い。ご本尊の薬師如来坐像は平安中期だろうか、古い感じで驚いた。そして、法然上人が讃岐配流の際に滞留されたご霊跡でもあった。

薬仙寺本堂の前に四万六千日の幟が立つ

薬師如来坐像

像高88.7cm 桧の一木造り 重文
薬師如来坐像がおられるとは聞いていた。しかし、内陣中央に坐すこのご本尊を仰ぎ見て、一瞬にしてぶったまげた。襟が立っているし、螺髪は一つ一つが尖ってる。薬仙寺リーフレットを読むと、「肉どりがたっぷりした重厚な作風で貞観彫刻の要素が多い」とあった。やはり、そうですよね。襟が立ってる如来像はやんちゃな番長さんという感じで、大好き。そして、肉髻と地髪の境目が曖昧な感じも気になった。

重厚感ある薬師如来さま
襟が立って、お耳が外にはねている!

十一面観音菩薩立像

像高86.3cm 桧の寄木造り 

 大和長谷寺の観音像を造るにあたり、試し彫りした像だとの伝承がある。長谷試十一面観世音と呼ばれる由縁である。伝承はさておき、弘安元年(1278)11月の銘がある、見事な鎌倉仏である。丸く若々しいご尊顔、全身のプロポーション、美しく流れるような衣文。もう全身の美しさが完璧すぎて、言葉が出ない。四万六千日のご開帳が毎年8月8日と9日に行われる。
 山本勉先生から教えていただいたのだが、寿福寺(神戸市北区)の薬師如来像(建治元年〔1275〕)・阿弥陀如来像(建治4年)と銘記の形式、像の作風・品質構造が酷似することから、同じ仏師の作と考えられているとのこと。(参考資料『日本彫刻史基礎資料集成』鎌倉時代造像銘記篇:薬師如来像は12巻、阿弥陀如来像・十一面観音菩薩像は13巻)。ご教授大変ありがたく、ここで共有する。自分もっと勉強しなければ。

 なお、薬仙寺は沿革は以下のとおり。謂れの多い古刹である。
天平18年(746)行基創建と伝わる古刹。法相宗から9世紀に天台宗へ転じる。
・建永2年(1207)、法然上人が讃岐に配流の際、滞留され、源平合戦の戦死者や近くの和田岬沖水難死者の供養をされた。その時の名号を刻んだ大きな石碑が今も近くの元祖教会に残る。
・元弘3年(1333)、後醍醐天皇隠岐より還幸の途中体調を崩し、薬師如来が出現した当寺の霊水を献納したところ、たちまち快復された。その井戸が本堂前に残る。
・延文元年(1356)、住僧の真如は、時衆国阿が当寺で念仏修行したとき弟子となり、名を直阿と改め、当寺を時宗に改宗して中興開基となる。
文久元年(1861)、イギリス初代公使オールコック一行が兵庫港視察時に薬仙寺に宿泊
・昭和20年3月17日未明の神戸大空襲で経蔵一棟のみ残して、焼失。戦後檀信徒の浄財により復興。
・平成7年1月17日の阪神・淡路大震災により、本堂半壊するほか、客殿庫裏、地蔵堂、経蔵が全壊。檀信徒7割も被災。平成12年に復興。
・1998年、戦災・震災のモニュメントが本堂横に設置される。

続きを読む

【東京】【多摩仏】いらっしゃいませ 謎の真慈悲寺「仏ゾーン」へ=東京都日野市の重文・阿弥陀如来像と百草観音堂

※4年ぶりのご開帳を祝し、2010年当時の拙ブログ投稿記事を再投稿(ただし、写真のみ差替え)※
※2023年9月17日(日)10-15時に阿弥陀如来さま公開予定!※

阿弥陀如来坐像(百草八幡神社) ※写真は日野市の公開チラシより

訪れた日: 2010年9月19日(日)
訪れた場所: 東京都日野市の百草八幡神社(重文・阿弥陀如来坐像のご開帳)
         百草観音堂(観音さまなどの諸像)

<謎の真慈悲寺と阿弥陀如来坐像>

 2010年9月19日、日野市百草にある八幡神社阿弥陀如来座像(国の重要文化財鎌倉時代)のご開帳に行ってきた。
 八幡神社は、梅の名所、京王百草園に隣接する。その一帯は小高い山になっており、一番高い場所からは、近くを流れる多摩川とその支流の浅川が合流する地点が見える。小説家の田山花袋も感動した眺めだそうだ。
 この一帯には歴史の謎がある。鎌倉幕府の御祈祷所として大きな勢力を誇った台密系の真慈悲寺(しんじひじ)があった場所だと考えられているのだ。しかし、真慈悲寺はおそらく元弘の後、鎌倉幕府の衰退とともに、歴史からきれいに姿を消してしまった。
 江戸時代に入って同じ場所に黄檗宗の松連寺(しょうれんじ)が置かれたが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。地元の豪商が同地を買い取って百草園とし、さらに京王電鉄に売却されて今に至ると聞く。

 東京都日野市では、この幻の寺、真慈悲寺の発掘調査を行っている。そして、毎年、百草の阿弥陀如来坐像のご開帳に合わせて、百草園での講演会と周辺のガイドツアーを開催している。この銅製の阿弥陀如来坐像も、鎌倉時代に源氏に近い人物によって造立されたもので、真慈悲寺の阿弥陀堂にまつられていたと考えられている。

 私がお会いするのは今回で二度目。今回は日野市の企画に参加せず、じっくり阿弥陀さまと向き合うことにした。
 いつまでも阿弥陀さまのそばを離れず、遂には双眼鏡を取り出して、阿弥陀さまを凝視していると、近くにいた男性に話しかけられた。
 写真撮影禁止なのに、怪しげなもの(実際はただの双眼鏡なのだが)で阿弥陀さまをのぞいている怪しい女がいると思われたのかもしれない。
 しかし、偶然かつ幸運なことに、その方は日野市教育委員会の清野氏だった。
 私が「鎌倉大仏さまと印の形が似ていると聞いたのですが、暗くてよく分からなくて…」と言うと、ご自分で印の形をつくって説明してくださった。少しお話をしているうちに、「詳しいですね。仏像が好きなのですか」と聞かれた。はい、大好きです!
 ともかく、専門家から興味深い話をたっぷり伺うことができた。印についてだけでなく、この地域における仏教宗派の流れや、元寇に対する仏教の動きに連携するように真慈悲寺の推定跡地でも瓦が出土すること、鎌倉幕府滅亡直後の1353年の台風で鎌倉大仏高幡不動さまも大きな被害を受けたと考えておられること、多摩地域では14世紀前半で遺跡が途絶えた例が多いことなど。
 清野さんが阿弥陀さまを抱っこしたことがあると聞き、思い切り羨ましがってしまった。銅製だが、さほど重くはなく、人間の赤ちゃんぐらいにすっぽり腕で抱えられる大きさなのだそうだ。
 清野さんのお話と阿弥陀さまの可愛らしさで、すっかり満腹になった。なんともありがたいことだ。

<百草観音堂

 今日の目的はもうひとつある。近くの百草観音堂だ。八幡神社のある山を駅と反対方向に少しだけ下りた場所にある。
 小さなお堂で無人だが、お堂の外からガラス越しにそっとのぞきこむと、観音さま、大日如来さま、阿弥陀さま、僧形像などが浮かびあがり、仏像好きのテンションは必然的に高まる。
 阿弥陀さまご開帳日の八幡神社は人が多いが、ここまで来ると、仏さまと野鳥と私しかいない。私が訪れた日はヒヨドリが群れてピーピー騒いでいた。

<まとめ 日野市が好き!>

 私は日野が好きだ。
 日野市には、高幡不動さまなど、ハートをしびれさせる仏像がいらっしゃる。今回紹介した百草地区は石仏も多く、知られざる「仏ゾーン」だ。
 その一方、多摩川や浅川などの水資源が豊富で、里山も残っており、大好きな野鳥も多い。
 それでいて、東京多摩の大都市、立川と八王子に挟まれた便利な場所にある。
 ミシェラン効果で盛り上がる高尾山の次は、日野ブームが起こるのでは!?
 日野市ブームか…。いやいや。今のまま知られざる「仏ゾーン」であり続けてほしいというのが私の本音かもしれない。

【関連資料】

・百草八幡神社阿弥陀如来さま(過去の公開時のパネル展示を撮影)


・百草観音堂

秘仏観音立像のご開帳は卯年4月のみだが、その他の仏像群はガラス越しに拝観可能)

【滋賀】宗泉寺(野洲市)薬師如来坐像など8月8日に公開

日陽山宗泉寺(滋賀県野洲市/浄土宗)

近江富士と呼ばれる三上山の隣、妙光寺山。その一帯に、古代から中世にかけて、大伽藍を擁する東光寺があった。比叡山との争い(1460)、そして、戦国時代の兵火(1524)を経て廃絶となったが、その仏像が今も、宗泉寺に残る。平安と鎌倉に遡る貴重な尊像で、国の重要文化財にも指定される。宗泉寺に伺ったところ、毎年8月8日に公開されると伺い、お参りした。

【薬師堂】

東光寺に伝来した以下の尊像が宗泉寺の薬師堂に安置される。

木造薬師如来坐像

像高87.0cm 一木造り 平安後期 重文
お椀をひっくり返したような大きな肉髻。細かな螺髪。ふっくらしたお顔。力を抜いてゆったりと坐す。足元の衣文は同心円の弧を描く。正統派の仏師によるのであろうか、美しく穏やかでありながら、堂々としたお姿であられる。

お優しくて堂々とした薬師如来さま

木造不動明王及び両童子立像

不動95.1cm 両童子42.1cm 鎌倉 重文
三井寺の黄不動を写した貴重な彫像。大きな螺髪。下唇を噛んで牙を出す。両目を見開き、睨みつける。

木造毘沙門天立像

像高66.7cm 一木造り 平安 重文
小さいお像ながら、上品で力強く、動きも感じられる。

(なお、2013年、薬師堂の裏手で台風による山崩れがあった。これら仏像は無事だったが、山の復旧工事の間、野洲市立歴史民俗博物館に預けられ、2015年に公開されている)

ネットより拾ってきた画像です

【本堂の阿弥陀如来さま】

さらに、本堂のご本尊阿弥陀如来坐像は、胎内に元亨元季(1321)の墨書がある古像。造立願文には、胎蔵界金剛界の諸尊の種子(梵字)が記され、末尾に薬師如来像として造立されたと書かれている。今は来迎印を結ぶお姿となっているが、野洲市文化財サイトを見ると「木造薬師如来坐像 附造立願文」として市の文化財に指定されているようだ。本堂外陣より拝ませていただいた。薬師堂の薬師如来様よりだいぶ小さめのお像であった。

石灯籠

また、薬師堂の前の一見大変地味な石灯籠は、建久元年(1190)、源頼朝が鎌倉から上洛にあたり近江守護佐々木定綱に寄進させたと伝わり、重要美術品に指定。


最後に、一番大切なこと。宗泉寺に残る貴重な諸像を拝ませていただけたことに心から感謝を申し上げたい。至心合掌。

【拝観案内】

日陽山宗泉寺
〒520-2332 滋賀県野洲市妙光寺234番地
http://otera.jodo.or.jp/temple/28-182/
一般公開は8月8日のみ。それ以外の日は非公開とのことである。ただ、時々地元のツアーに組み込まれていたりするようなので、チェックしてみる価値はあるかと。

【千葉】【展覧会】行元寺の全て@いすみ歴史資料館〜阿弥陀如来様を間近で拝む〜

いすみ市歴史資料館(千葉県)
「波の伊八と密教美術 行元寺の全て」展
2023/4/22-6/25

展覧会チラシ表に秘仏善光寺如来の脇侍さま
展覧会チラシの裏面。阿弥陀様は斜め横からのショット!

1) 最終週にご本尊阿弥陀如来様がお出まし

 行元寺と言えば、葛飾北斎の神奈川沖浪裏に影響を与えたとされる”波の伊八”の彫刻が有名。激しい波に宝珠が乗る欄間彫刻はとても不思議で、私も引き込まれる。しかし、しかし、である。私は、行元寺の本尊阿弥陀如来立像が大好きなのだ。鎌倉時代初期に快慶さんが安阿弥様を確立して一世風靡(!)するのだが、この阿弥陀如来立像はその少し前の時代の雰囲気を伝える貴重な像だと思う。

『南総天台の仏像・仏画 I』より

 この阿弥陀様が、2か月に及ぶ本展会期の最終週に、満を持して、お出ましなのである。6/20から6/25までの6日間のみの限定公開なのである。

 過去に行元寺にお電話で拝観について伺った際、「阿弥陀様ですか? 伊八ではなく?」と聞かれたこの私。いすみ市はとてつもなく遠いのだが、なんとしても行かなければならない。いすみ鉄道だってがんばっているのだし。

 行元寺本堂では、阿弥陀如来様は高い位置におられ、かなり遠くからの拝観となる。双眼鏡か単眼鏡が必携なのだ。しかし、本展覧会では、なんと、なんと、ガラス越しではあるものの、私の目の高さで、私の目の前に立っておられたのであった! 両脇侍である室町の不動明王立像と毘沙門天立像もご一緒にお並びであった!

 展示解説によると、阿弥陀如来像は洗練された定朝様であるものの、厳しめの面貌などから平安末から鎌倉初か、とのこと。こういう造形も構造も洗練された平安後期の仏像は下総にはいくつか例があるが、上総には少ないそうだ。中世に入ってから他所から移された可能性があるとのこと。

 天台宗南総教区研修所の仏像仏画調査も私の知らない間に進んでいて、調査報告書はすでにvol.7まで出版されていた。我が家になかったvol.3以降を歴史資料館で買い込んだ。カバンの中の重みととともに、幸せな気持ちで帰路に着いた。

••••••••••••••••••••••

2) 拝観できた尊像

展覧会にて、仏像と僧像は一列にお並びだった。以下、展示場の正面左から順に記載する。

善光寺阿弥陀三尊

金銅 鎌倉後期 県指定
阿弥陀51.8cm 観音33.4cm 勢至30.0cm

『南総天台の仏像・仏画 I』より

不動明王立像

ご本尊脇侍 室町

ご本尊阿弥陀如来立像

平安末から鎌倉初期 県指定 97cm 檜の一木造り 

毘沙門天立像

ご本尊脇侍 室町

不動明王立像

厚い色彩のため制作時期の判定は難しいが、平安後期の可能性も。像高71.0cm

僧形像

像高26.1cm。文禄年間(1593-1596)。虫食いの穴が残る。

慈恵大師像

厳重秘仏で、本展で初の寺外公開。本展の事前調査で銘が見つかり、慶長18年(1613)の造立と判明。濃い眉。額と眉間の細かい皺。厳しく凛とした老僧の坐像。像高59.3cm

舜海像

行元寺を再興した舜海法印の坐像。像高44.2cm。天正17年(1589)、鎌倉法眼越中弟子伊勢守の作。市指定

【拝観案内】

行元寺
かつては、土日祝日の10:00から15:30頃まで、伊八の彫刻と本堂の阿弥陀如来さまを公開。ボランティアガイド付きだった。しかし、旧書院の改修に伴い、すべての彫刻は2023年4月から2024年8月までいすみ歴史資料館に寄託。
行元寺-HOME

【参考】

・過去の行元寺参拝ログ
butsuzodiary.hateblo.jp

【滋賀】元龍寺(甲賀市)〜在所の皆様のたいせつな観音さま〜

元龍寺(滋賀県甲賀市
十一面観音菩薩立像
平安中期 市指定文化財

元龍寺の観音様。お供物は民の信仰の証

 毎年8月10日にご開帳という情報があったので、甲賀市から管理者の方の連絡先を教えていただき、電話するも、まったくつながらなかった。

 当日、半信半疑で現地に伺うと、お堂が開いており、気品あふれる穏やかな観音様が迎えてくださった。桧による等身大の立像で、平安時代中期の作とされる。

 小さなお堂内には、観音様をお守りされている在所の方々がおられた。私よりもかなり年上のおじさまとおばさまだった。

 これまで在所7軒ほどでお守りしてきたが、高齢化で難しくなり、近くのお寺様に観音様にお預けする予定だという。元龍寺でのご開帳はこれが最後なのかも。

 預け先のお寺様のお名前を教えていただいたが、ここでは伏せておく。きっとそこで大切におまつりされるに違いない。信仰は続く。

 Nothing is permanent. But life is going on with Kannon-sama.

【展覧会】奈良・東北のみほとけ展@東北歴史博物館〜私は祈らなければ生きていけない弱い人間なのです〜

鑑真和上と会津勝常寺薬師如来。ありえない最強のツーショット

特別展「東日本大震災復興祈念 悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」
2023/4/11-6/11
東北歴史博物館宮城県多賀城市


 はからずも会場で泣いた。

 震災から12年を経て、東北の地で開催される仏教美術の展覧会は、「苦難に立ち向かった人々の『祈りの形』」を提示するもの。開催趣旨は、「震災から13回忌となる年に開催する本展が今を生きる人々の喜びや,これからの営みの“よすが”となることを切に願う」とうたう。

 私は思う。仏像はただの彫刻ではない。そこに祈りがあるから特別なのだ。それをつくらざるをえず、それに祈らざるをえなかった、過去の多くの人々の思いがあるから、尊いのだと。

 そして、私は祈りがなければ生きていけない、どうしようもなく弱い人間である。会場で涙がこぼれたのは、提示された諸像が彫刻として優れているからではなく、祈らざるをえないのは私だけではないことを堂々と示してくれたからかもしれない。

 特に印象的だった展示について語りたい。

薬師三尊(勝常寺

 勝常寺福島県湯川村)の薬師如来坐像は、平安初期に徳一菩薩が会津の地につくらせた、とんでもなく美しくて強くて優しいお像。強力な磁石で引き寄せられてしまう。
 この薬師さまになぜこんなに惹かれるのか、言葉にするのは難しい。言葉にしようとすればするほど、変人の愛の告白のようになってしまう。今回5回目にお会いして思ったのだ。この薬師さまは、自分の中にある、でも、自分でも気づかずにいた、寂しくて満たされない部分を、優しく強く撫でてくださるのだと。そして、その慈しみで私の欠損を埋めてくださるのだと。。。ダメだ、やっぱり変態の独り言になってしまった。
 勝常寺に二度お参りしたが、その時は薬師さまが本堂におられ、両脇侍像は収蔵庫におられた。この展覧会では、三尊お並びのところを拝めた。両脇侍も独特なお姿で、魅了される。眼福という言葉がある。心も幸福で満たされたのだが、心福という言葉はあるのだろうか。

菩薩立像(十八夜観音堂

 勝常寺薬師三尊の横に、スレンダーでかわいらしい観音菩薩像が立っておられた。藤森武の写真で拝見して以来憧れてきた十八夜観音堂宮城県仙台市)の観音像にやっとお会いできた。カヤの一木造りで、奈良時代の終わり頃に都でつくられたと考えられる。台座まで一木であることなど、大安寺諸像と似ている部分もあるが、全体としてこちらはもっと細身で、かわいらしさが爆発している。小沼神社の観音像とお並びのところをいつか拝見したいと思った。

写真は仙台市文化財ホームページより

唐招提寺如来形立像

 展覧会の最後、小さなスペースの真ん中に、唐招提寺トルソーが置かれていた。そして、その背後に、2012年以降の3月11日の映像が3つのスクリーンで流される。お顔と手先を失っても奈良時代から変わらず人々の祈りを受け止めてこられたトルソーに、今を生きる人々の祈りが重なる。こみあげる涙を抑えることができなかった。

何度お会いしたかわからない唐招提寺トルソー。初めてその前で泣いた

心を込めて合掌。

※国宝鑑真和尚像の展示はすでに終了(そういえば今日6/6は鑑真和上のご命日。奈良の唐招提寺でこの像が公開される日である)


【参考】
・展覧会公式https://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/6603/
・十八夜観音堂仙台市)菩薩立像木造菩薩立像 - 仙台市の指定・登録文化財
【福島】会津・勝常寺の薬師如来坐像に圧倒される私(トーハクみちのくの仏像展にて) - ぶつぞうな日々 part III

【宮城】保昌寺(蔵王町平沢)阿弥陀如来坐像

保昌寺の丈六阿弥陀如来坐像

保昌寺(宮城県蔵王町平沢)
丈六阿弥陀如来坐像
総高379cm 像高288cm 県指定文化財


 仏像というのは多くの人の強い思いで後世に伝えられるものなのだ。そんなことをしみじみ感じる機会をいただいた。

 この阿弥陀如来様はいつの時代のものに見えるだろうか。頭部前面と体幹部前面のみ平安後期の造立時のもので、それ以外は享保3年(1718)に修復したものなのだそうだ。こういう場合、修復という言葉が正しいのかわからない。当初の像を想定して、体部をつくってあげたという感じなのだろう。激しく傷んだ像をなんとか元の美しいお姿に戻してあげたい。そんな当時の人の思いが強く伝わってくる。

 こちらの阿弥陀如来坐像には、艱難辛苦を乗り越えてきた歴史がある。

・平安後期、安養寺の本尊としてまつられた。奥州藤原氏による造立と考えられるそうで、優美な定朝様のお姿であったに違いない。

・しかし、戦国時代の始まる頃に安養寺は火災に遭い、江戸初期まで無住となって、荒れ果ててしまう。

阿弥陀像は享保年間に大幅に修復されるが、その後30年足らずで安養寺は再び焼失。

・明治初めに廃寺となり、本阿弥陀如来像は清立寺の管理下となる。ところが、明治40年阿弥陀堂が倒壊し、阿弥陀像は平沢区民に預けられたあと、保昌寺に遷座

・さらに、戦後に仙台の寺院に貸し出されたあと、返還交渉を経て、昭和47年にやっと保昌寺に戻る。宮城県文化財指定を受けるのは、返還から2年後のことだった。

・2019年、収蔵庫にシロアリ被害を確認。収蔵庫の修理に伴い、2021-2022年にかけて阿弥陀如来坐像は解体保管され、再度組立。

 平等院鳳凰堂阿弥陀如来のように、造立当時のお姿がほぼそのまま残っているのは尊いことだ。しかし、お像自体が壊れても、お堂がなくなっても、その時々の人の手によって守り伝えられてきた保昌寺の阿弥陀如来も、この上なく尊い
 この大きな阿弥陀様のもとで、祈りは続いていく。そう信じている。

【拝観案内】
高田山保昌寺(曹洞宗
阿弥陀如来坐像は本堂横の収納庫に。正面のガラス窓越しに拝観可能。窓を開けてほしい時はお寺に声をかけてくださいとのこと。
https://maps.app.goo.gl/HVtGb1hffwT7mT6S7?g_st=ic

【参考】
曹洞宗高田山 丈六阿弥陀如来座像
https://www.dokitan.com/sitei/03.html
丈六阿弥陀如来坐像 (じょうろく あみだにょらい ざぞう)|寺社・歴史|蔵王町観光物産協会
解体・再組立レポート(2021年)←PDFが開きます

【京都府】永明寺(福知山市)の丸山仏と諸像に魅了される!

永明寺(京都府福知山市牧)

光泰山永明寺(ようめいじ)は、文正元年(1466)に円通寺(兵庫県丹波市氷上町)の大極和尚を開山とし、如意輪観音像を本尊として創建したと伝わる曹洞宗寺院である。由良川牧川が交わる近く、牧という集落に位置する。

1) 本堂の奥の諸像

昭和42年(1967)、廃寺となった近くの大谷寺西方院から移された諸像が、永明寺本堂の奥にまつられる。西方院は真言宗の尼寺だったそうで、最後の庵主様のお写真もご一緒にご安置されていたのが印象的だった。

1-1) 十一面観音菩薩立像

最近、本地仏の十一面観音立像に惹かれるのだが、この十一面観音像にもなぜか強力に吸い寄せられた。あとで教えていただき丸山尚一さんの本を読み返すと、西方院は近くの一宮(いっきゅう)神社の社僧を務めており、この十一面観音像は一宮神社の本地仏だったと書かれていた。不思議な魅力はそれゆえか。優美かつ森厳なご尊顔、頭頂に一列に並ぶ丸顔の化仏、力強く水瓶を握る姿勢に特に惹かれた。なんと文化財未指定。

一宮神社本地仏として丸山尚一『地方仏を歩く』に掲載される十一面観音菩薩立像
不思議な魅力に惹かれた

1-2) 地蔵菩薩立像

像高65.5cm 市指定文化財
十一面観音像に魅了されて、あぶなく見逃すところだったが、なんと、右手で袖の一部をつまんでおられる。仏友さんに指摘されるまで、気がつかなかった。しかも、なんと、福知山市文化財サイトを拝読すると、あの旧威徳寺観音堂仏像群のうち、同様のものが少なくとも7躯が確認されているのだそうだ。「(永明寺の)本像を含めてこれらの像は、平安時代後期の作例と考えられ、当地域における一つの歴史的特色を示すものと考えられる」。あー、あー、あらためて、旧威徳寺観音堂に行きたい! どうしたら拝観できるのだろう! 

かわいらしい地蔵菩薩立像
右手で衣をつまむ
衣をつまむ御手が見えるだろうか

1-3) 馬鳴菩薩像

養蚕の歴史を物語る馬鳴菩薩像。時々お見かけするが、これほど美しいのは初めてかも。

美しい馬鳴菩薩
多臂のバランスがよく、馬に乗る姿勢が美しい

2) 観音堂

2-1) 如意輪観音

像高65.3cm 市指定文化財
さらに、立派な観音堂にて、室町時代と思われる如意輪観音像を拝ませていただく。三十三観音が賑やかに並ぶ空間。

観音堂の観音様たち
如意輪観音像(福知山市指定文化財

3) 仁王像

仁王像も旧大谷寺由来のもの。その由来を記す大正10年の文章が仁王門のそばに。貴重な尊像と歴史と文化を今日まで伝えくださる方々に感謝を伝えたい。

仁王さんの勢いが伝わるだろうか! (フェンスに負けた写真がこちらになります)

【拝観案内】

永明寺
〒620-0913 京都府福知山市牧282
0773-33-2153

【参考】

・丸山尚一『地方仏を歩く 一 近畿編』日本放送出版協会2004年より、「丹後山地の仏たちp36-37に永明寺十一面観音像の記載あり
永明寺 木造地蔵菩薩立像 - 福知山市オフィシャルホームページ
永明寺 木造如意輪観音菩薩坐像 - 福知山市オフィシャルホームページ
牧(福知山市)

【京都市】遣迎院ご開帳に合わせて予定を組んだら、とんでもない山奥にとんでもない仏像がおられました

京都市の北の仏像を巡る

 快慶の若い頃の傑作の一つ、遣迎院京都市北区阿弥陀如来立像はお釈迦様の誕生日、4月8日にのみ公開される。この機会に京都市の北のほうの仏像をお参りしてきた。
 北山や京北と呼ばれるエリアに、京都市内とは思えない長閑な風景が広がり、次々と古仏にお会いすることとなった。無住寺や兼務寺も多く、拝観予約は難しかったが、地元の方々と友達のお力添えのおかげで、9か寺を巡り、みほとけを拝むことができた。枝垂れ桜も美しかった。感謝を込めて合掌

1) 桜本寺(京都市北区)菩薩立像 12世紀 市指定

152.8cm 寄木造り 漆箔 十一面観音としてまつられていたが、平成2年の修理の際、当初は観音菩薩像であったと判明。頭頂の化仏を取り除き、当初の形に戻された。

2)龍澤寺(北区)ご本尊は宝冠観音菩薩像 室町


3) 安楽寺(北区大森東町)

周山の登り口にある、小野という集落に安楽寺はある。文徳天皇の第一皇子惟喬親王が隠棲したと伝わる場所に立つお堂に、古仏がまつられる。

薬師如来坐像 平安前期 市指定 114.7cm 檜材 一木造り
如来立像 平安前期 市指定 161.2cm 檜材 一木造り
僧形坐像 平安前期 市指定 59.3cm 檜材 一木造り 
天部像 平安前期 市指定 102.2cm 檜材 一木造り

4) 福徳寺(京都市右京区下中町)

薬師如来坐像 平安後期 重文
二天像 平安後期 重文
薬師如来坐像 市指定
地蔵菩薩立像 市指定
如来立像 市指定
阿弥陀如来坐像 市指定(平安中期?)
如来坐像 市指定
かすみ桜

間近で拝ませていただきました。写真は福徳寺リーフレットより
福徳寺リーフレットより

5) 宝泉寺(右京区京北下熊野町

阿弥陀如来坐像 平安後期 市指定
二天像 平安
明智光秀ゆかりの不動明王坐像

6) 慈眼寺釈迦堂(右京区周山町)

黒塗り明智光秀像(くろみつ大雄尊) 市指定 墨で黒く塗り潰し、光秀像を守った。丹波に行くと、光秀は善政の人として今も尊敬されているように感じる。
釈迦如来坐像
文殊菩薩騎獅像
釈迦堂本尊烏枢沙摩明王秘仏

慈眼寺釈迦堂。写真は慈眼寺リーフレットより
お寺で有償頒布の写真より。目力の強い、凛々しい光秀像

7) 常照皇寺(右京区京北井戸町)

阿弥陀三尊 重文
阿弥陀如来51.3cm 観音勢至43.9cm
院政期の来迎像で「これほどの動きと臨場感のある例は珍しい」(『院政期の仏像』1991年より)

8) 遣迎院(北区)

阿弥陀如来立像 快慶 重文
釈迦如来立像 重文
発遣の釈迦と来迎の弥陀が並び立つ 。阿弥陀如来像は快慶の初期の傑作。憧れの遣迎院は4月8日のみ公開。

9) 神光院(北区)

如来立像 平安前期
地蔵菩薩立像 鎌倉
十一面観音菩薩立像 平安 他
上賀茂神社神宮寺におられた薬師如来立像がすごいと聞いていたのだが、神宮寺本尊だったという十一面観音立像もインパクトあって震えた。そして、その横の地蔵菩薩立像が見事な鎌倉仏で驚いた。薬師如来立像は上記安楽寺如来立像ににていた。



【拝観情報】

遣迎院は毎年4/8のみのご開帳。ガラス越しだが、明るくよく拝める。撮影も可能。
・福徳寺は事前にお電話で予約が必要。撮影は不可。
安楽寺は近くのオオモリ・サンバレイに問い合わせ。オオモリ・サンバレイはお食事処だそうなので、お食事とセットでぜひ。
・桜本寺は近くの龍澤寺が管理。事前にお願いする必要あり。
・慈眼寺釈迦堂は土日と月曜は予約なしで拝観可能。それ以外は予約が必要。
・なお、今回は予定が合わなかったが、鳥居構造改善センターの千手観音像は京都市文化財課から管理者につないでいただける。
・また、福徳寺の近く、平安の増長天(重文)や鎌倉仏(市指定)をまつるお寺様は無住となり、拝観への対応はされておられない。一部ネットに春秋の彼岸が望ましいと書いてあったが、その時期でも難しいとのことで、残念でならない。
・同じく京北地区の薬師寺は12月8日にご開帳とHPに記載あり(年末多忙期ではないか…。どうする!)。
阿弥陀部として拝観希望していたお寺様は一般拝観は一切行っていないとのこと。

貴重な尊像を拝ませていただき、ありがとうございました。予約拝観でお世話になった皆様には、特にお礼を申し上げます。

【福井】二上観音〜愛にあふれる33年に一度のご開帳〜

二上観音堂福井県福井市
十一面観音菩薩立像ご開帳
2023.5.4-5.5

二上観音堂

 福井・文殊山の登山口にある小さな観音堂で、十一面観音菩薩立像が33年ぶりに公開された。

 福井市立郷土歴史博物館に寄託されているにも関わらず、秘仏のため公開されずにきた。福井の秘仏が多数お出ましになった2016年「福井の仏像」展の時も、この二上の観音様だけは写真パネルでの展示となっていた。

 つまり、ご開帳は33年に一度というルールをひたすらに守り続けておられるのである。

 今回、この2日間のためだけに、観音堂にお像がお戻りになった。さらに、大きな幟を立て、資料を用意し、参拝者の便宜のために足場まで設けてくださった。繰り返すが、たった2日間のためだけに、ここまで準備されたのである。在所でお守りされる小さな観音堂には、大きな愛があふれていた! 

 そして、驚いたことに、関東や関西から仏像好きのお友達が次々と集まってきた。「あー、◯◯さん!」という感じで、もはや同窓会のような状態に。

 初日5月4日の午後にNHK福井のニュースで取り上げられたそうで、2日目の今日はさらに多くの方々がお参りされることだろう。

古仏とパイナップル

【十一面観音菩薩立像】
 像高180cmほど。檜の一木造り。内刳りなし。重要文化財
 二上には、奈良東大寺の初期の荘園(糞置荘)が置かれていたことから、この観音像の制作時期を8世紀半ばとする説もあり、今回のご開帳時に配布される資料にもそう書かれていた。
 一方、文化庁のサイト文化遺産データベース
では、広島の龍華寺の十一面観音菩薩立像と和歌山の慈尊院弥勒仏坐像を引き合いにしたうえで、二上観音像を10世紀初めの作と説明する。いずれにしても、大変貴重な古仏の尊像であることに間違いない。 

左右の眉がつながる(連眉)。大きな耳。若々しい胸の筋肉。左肩から右脇腹に垂れる衣のやわらかさ
この複雑な衣文に惹かれる
膝から下の衣文もしびれる

【奈良】【展覧会】不退寺聖観音菩薩立像〜観音さま、おリボンが〜

特別公開 不退寺聖観音菩薩立像
2023/3/21(火)~5/14(日)
奈良国立博物館(なら仏像館 第7室)

 奈良佐保路、不退寺。平安時代歌人在原業平が開いたと伝わる古刹のご本尊は、業平自らが刻んだとされる聖観音立像。胡粉を塗った白いお姿とお顔の両側の大きなリボンが印象的で、美男子だった業平自身か、業平の理想の女性を彫ったものではないかと言われている。

 というか、今となっては、「言われていた」と過去形にせざるをえない…。

この大きなおリボンがアイコンだった…。ああ、どなたですか、こんな素敵なおリボンを付けたのは…! (写真はいざ奈良より https://nara.jr-central.co.jp/kankou/article/0006/


 というのも、この観音像の保存修理が終わり、奈良国立博物館で特別公開されているのだが、ご覧のとおり、おリボンが取り外されているからだ。

保存修理が終わり、なら仏像館で特別公開中の不退寺本尊聖観音菩薩さま。おリボンが取り外されている(筆者撮影)

 不退寺聖観音像は、文化庁所蔵で奈良博寄託の観音立像ともともと一対だったことが近年の調査で判明したそうで、この両像が並んで展示されている。それがこの展示の最大の見どころである。

文化庁所蔵となった菩薩さま。のどかでお優しいこのお姿からは想像しがたいが、奈良→東京→軽井沢→奈良と流転の過去をもつ(写真はhttps://www.narahaku.go.jp/exhibition/usual/202302_mei_futaiji/より)

 両像は像高がほぼ同じで、腰の捻りが左右対称。さらに、三重の渦を巻いて髪の毛が耳にかかるところや、天冠台の模様、両足裾の表現などが酷似する。三尊像の両脇侍として造られたのであろう。

 もともと一対であったはずなのに、本尊としてまつられてきた不退寺像と文化庁像の運命は異なっていた。文化庁像は東京の美術館の所蔵となったあと、軽井沢へ。その後、文化庁が買い上げて、奈良国立博物館に寄託されたという経歴をもつ。最近は奈良博第7室の常連であるので、私は何度もお会いしているのだが、こののんびりとした穏やかな観音様がそんな流転の像だとは思いもよらなかった。

 離れ離れになった一対の像が今、奈良博で再会を果たしている。感動の再会である。詳しい解説もあり、知的好奇心もかき立てられる。

 しかし、しかし、である。どうしても気になってしまうのは、不退寺像のおリボンである。今の不退寺像には、あのアイコニックなおリボンがない。

 私が最初に不退寺の聖観音像にお会いしたのが20年ほど前。その時からずっと、おリボンの観音様だと刷り込まれてしまっている。なんとも不安でしかたない! 古参の仏像ファンの皆様はどんな思いでおられるのだろう…。

www.narahaku.go.jp

【京都】ついに上徳寺阿弥陀如来立像を間近で拝む! 

 「令和5年新指定国宝・重要文化財展」(東京国立博物館)にて、憧れの上徳寺阿弥陀如来を拝む!! 生身信仰の阿弥陀仏は王子様だった!!

上徳寺で見入ってしまった新聞記事

1) 憧れの阿弥陀仏

 あれは2017年の春。朝早く、京都市内のお寺様の前を通り過ぎた。寺内に掲示された新聞記事(↑)によると、な、なんと、市の文化財に指定されたばかりの阿弥陀如来様がおられるという。なになに、ふむふむ。記事を読めば読むほど、お会いしたくなるではないか。お寺の前で15分ぐらい逡巡し、思い切ってお寺の呼び鈴を鳴らし、拝観のお願いしてみた。残念ながら、あっけなく断られた。”突然ピンポン”は失礼なのだから、致し方ない。非礼を詫びるしかなかった。そもそも、ご本尊阿弥陀如来様は非公開で、一般の拝観には対応していないとのことだった。

 それが上徳寺のご本尊阿弥陀如来立像との出会いだった。

 翌年の秋、京都浄土宗寺院公開があり、再訪した。ところが、公開と銘打ってはいたものの、実際に訪ねてみると、堂外から遠目にお姿をのぞくことしかできなかった。いつもの野鳥観察用の双眼鏡を取り出し、うつむいた穏やかなご尊顔をかろうじて拝することができた…。ありがたかった…。しかし…

2) 率直な感想「目の前に阿弥陀界の貴公子が!」

 しかし、できればいつか間近で拝観したい…。そう思って機会を伺っていたところ、突然に朗報がもたらされた。国の重要文化財に指定されたことから、東京国立博物館で展示されるというのである!

 喜び勇んで、出かけてみると、想像を大幅に上回る美しさだった!

 生身信仰の阿弥陀如来はぬるっとした感じの像が多いように思うのだが、こちらはシュッとして、まるで王子様のようではないか!!

 この喜びと感動を大声で表現したかったが、博物館でそんなことができるはずもない。代わりに、現地でノートにかきなぐったのが、以下の内容である。

上徳寺阿弥陀如来さま! 写真は京都市文化観光資源保護財団のサイトより

上徳寺 阿弥陀如来立像
像高97.3cm
鎌倉時代13世紀前半

 丁寧に積み上げられた螺髪の下に、つるっつるっのお肌の美しいご尊顔
 頬はふっくらと優しい線を描く。
 柔らかくほわっと彫り出したの下には、少しだけ目尻を上げた理知的な両眼が斜め下を見据えている。
 鼻筋の通った整った鼻。
 その下の小さな口は、わずかに開いて、何かを語りかけてきそうだ。唇を水晶で表す玉唇という手法が取られているという。ただ、下から見上げても、左右から凝視してみても、水晶らしき光は見当たらなかった。このため、残念ながら、玉唇を持つトーハクの菩薩像のような、濡れたような生々しさは感じられなかった。それでも、そこには、静かにすぼめた上品なお口があった。(照明の工夫があれば、玉唇はもっとわかりやすかったのではないだろうか)

 両手は通常の阿弥陀如来とは異なり、右手を下に、左手を上げる。いわゆる逆手の阿弥陀仏だ。左手は手首を上に指を少し下に向け、親指と人差し指の先をそっとふわっと合わせる。
 通肩である。そして、胸から下腹部へ下りる衣文は、静謐なご尊顔とは異なり、激しく、ドラマチックだ。胸元の衣はU字型で、それが同心円状に太く激しく下へと伸びる。そして、その流れは膝下へと向かうにつれ、穏やかになっていく。
 小さな足がすっぽり収まる程度の小さめの蓮台に立つ。全身はすっと前に傾く。左右両側面から見る衣文は激しすぎず、かと言って、単調ではなく、阿弥陀仏の気品を引き立てている。  

 …と、ここで私のメモは終わっている。頭から足元まで順に拝観していったことがわかる。行間には♡マークが飛び散っている。

3) 真面目に解説読む!

 ♡♡のお目目での拝観をいったん終了し、今度は真面目に解説を読み、勉強する。(参考資料は末尾に記載)

阿弥陀如来立像のいわれ

 上徳寺は慶長8年(1603)年、徳川家康によって建立され、側室の阿茶局を開基とする。『塩竃山上徳寺本尊縁起』(宝暦9年(1759))によれば、本尊である木造阿弥陀如来立像は、家康が鞭崎(むちさき)八幡宮(現在の滋賀県草津市矢橋)から招来したとされる。
 後鳥羽天皇の時代、木曾義仲による進軍に苦しむ近江の国主が八幡宮に参籠して祈ったところ、八幡神があらわれ、西方極楽浄土の教主である我を彫刻するよう告げた。国主は仏工安阿弥(つまり快慶さん)を呼び、安阿弥も八幡宮に参籠したところ、光明の中に西方の三尊があらわれ、これを写して彫刻した。人々は歓喜し、再びこの地が治まった。時を経て、慶長8年、徳川家康が鞭崎八幡宮に参詣した際にこの縁起を聞き、中尊を乞い求めて上徳寺に寄付をした。感動的な伝承である!

生身信仰の表現

 一方、彫刻史の観点からみると、本像の制作年代は上記の伝承とは異なり、木曾義仲より後の時代と考えられている。播磨の浄土寺と同様、右手を下に、左手を上にした、いわゆる逆手の阿弥陀如来であることなどから、宋代絵画の影響を受けた、鎌倉時代、13世紀前半の作とみられている。
 さらに、特徴的なのは、生身信仰の表現である。上記のように、朱を塗った唇の上に水晶を嵌める、玉唇の手法だけではない。螺髪の一つ一つが金属製の釘で留められている。また、脚下の構造をみると、衣に隠れて見えない足首から膝下までが造り出されており、それを像底にあけた孔に深く差し込む形となっている。こうした表現は、阿弥陀如来をより現実的な形で現れたものとしたもので、生身信仰を背景としたものとみられる。

拝観案内

上徳寺(世継地蔵)
京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556
上記の通り非公開と聞いていたが、仏友さん情報によると、東京国立博物館からお戻り後、外陣から拝観可能のこともあるらしい。ただ、観光寺院ではないので、事前にお寺様に確認されたい。
上徳寺|【京都市公式】京都観光Navi

【展覧会】新指定国宝・重要文化財展2023/1/31-2/19@東京国立博物館

上徳寺阿弥陀如来立像にお会いできて感激いたしました

東京国立博物館「新指定国宝・重要文化財展」2023/1/31-2/19

上徳寺の阿弥陀さま!!!

 4年ぶりの新指定文化財展!!
 会場規模はかなり小さめだったが、前からお会いしたかった上徳寺(京都市)の阿弥陀如来様にお会いできて、ありがたかった。
 思い起こせば、2017年春、上徳寺の前を通った際、ご本尊阿弥陀如来立像が京都市文化財に指定されたことを伝える新聞記事が掲示されていた。唇に水晶を当てる特殊な生身信仰のお像と知り、すぐに拝観のお願いをするも、基本的に非公開のため対応できないとのことだった。翌年、京都の浄土宗寺院公開の日に再訪したのだが、かなり遠目からの拝観だった(泣)。
 今回、念願かなっての間近での拝顔となった! 
 生身信仰の阿弥陀仏は生々しい感じがしたりするのだが、上徳寺の阿弥陀様はご尊顔が穏やかで、まるで貴公子のようだった! 阿弥陀様は紫雲に乗って来迎されるのだが、上徳寺の尊像は白馬に乗った王子様のようだった! 本当に素敵だった! 上徳寺さま、ありがとうございました!!

新指定文化財の彫刻部門(仏像と神像)は以下のとおり!

上徳寺 阿弥陀如来立像(京都市
 鎌倉 玉唇 善派か
聞名寺 阿弥陀三尊像(京都市 
 鎌倉 行快の作(京博の一遍上人展以来の拝観、感涙いたしました)
乙訓寺 十一面観音菩薩立(京都府長岡京市
 文永5年(1268)7月18日、一日造立仏。後期はその旨の記載のある胎内文書も合わせて展示
 写真よりずっと素敵な観音様でした! 一日造立という思いの強さに心打たれます!
観音寺 不動明王立像(京都府福知山市
 小さいけれど、かっこよかった! 
丹生川上神社 神像(奈良県東吉野村
 前期は主祭神罔象女神(みづほのめのかみ)と女神坐像(その1)。後期は罔象女神のほか、一具と見られる男神像、女神像および童子
瀧山寺 日光月光菩薩十二神将(愛知県岡崎市 
 展示は前期に十二神将一体のみ
 瀧山寺の本堂でお会いしたことがあります! 勢ぞろいのところをまた拝みにいきたいです!