ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

ぶつぞうな日々Part II (バックナンバー)はこちらです!

仏像のブログを書き始めたのは、2005年の年末でした。最初の投稿はこんな感じ。

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10年以上が過ぎてもこの気持ちに変わりありません。ますます仏像に魅了されています。

上記のブログは「ココログ」で書いていたのですが、投稿に無駄な手間暇がかかるのが悩みでした。

これからこちらの「はてなブログ」でお世話になろうと思います。

過去の記録は以下からご覧ください。

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com




ブログを書いている「はらぺこヒヨドリ」さんのプロフィールは

はらぺこヒヨドリ をご覧ください。


素人の雑文ですが、これからも仏像への愛を叫んでいければと思っています。平凡な中にも山あり谷ありの人生ですが、仏像が好きなおかげでとても救われています。

仏像好きなみなさん、一緒に「仏像大好き~♪」と叫びましょう。仏像とそれを守られてきた皆様に感謝を伝えたいのです。

どうぞよろしくお願いいたします。

【多摩の仏像】高尾山不動堂の不動明王と二童子像~28日の朝に拝めるかも~

高尾山薬王院不動堂 不動明王および二童子

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薬王院不動堂の不動明王像(写真は東京都文化財サイトより)


 東京の西の端、高尾山に登る人は多い。身近な観光地だ。しかし、山頂近くに、東京都文化財の木彫仏がまつられることは知られていない。高尾山薬王院奥の院、不動堂のご本尊、不動三尊である。高尾山の日本遺産認定に奔走した八王子市も広報していない。不動堂の扉はいつも閉まっている。

 拝観が可能なのか何度かお寺にお電話してみたが、すっきりした返答が得られないまま時が過ぎてしまった。お不動さんのご縁日である28日の午前中に開くと聞いて出かけたこともあるが、11時に到着するとお堂は既に閉まっていた。八王子市内に都文化財の仏像は多くない。市民の誇りとして、なんとか拝観したいと思ってきた。

 今回、偶然による幸運が重なり、初めて不動三尊のお姿を拝むことができた東京都の文化財ホームページには以下のように記述される。

構造及び形式 寄木造・彩色・玉眼 不動明王112.7cm 矜羯羅童子56.4cm 制吨迦童子 57.6cm

時代/年代 中世・室町時代以前(推定)

解説文  3像とも寄木造り、彩色、玉眼。像高は不動明王像が112.7cm、左脇侍の矜羯羅童子(こんがらどうじ)像56.4cm、制吒迦童子(せいたかどうじ)像57.6cm。作者は不詳。不動像と両脇侍像とは別手の作であり、制作年代は室町時代以前と思われます。三尊構成として、童子像の形に興趣が多分になっているあたり、鎌倉期を下降した年代様を示しながら、童子像に優る中尊像においての技巧によく三尊の価値を保持している点は称揚され、優秀な作です。(昭和37年指定説明書)

 実際の不動明王立像は、この東京都のサイトの写真より、ずっと立派なお像だった。中尊不動明王立像は112.7cmとあるが、もっと大きく力強く感じた。前に飛び出すような迫力。体躯はがっしりするが、衣文は薄くひらひらと優美に動く。写真より何倍もかっこよい。

 昭和37年に都宝に指定された時の説明では室町以前の作となっているが、遠目から拝した印象では、鎌倉時代を念頭に検討してもよいのではと思った(地元民の期待も込めて)。文化財指定から60年も経っているのだから、再調査し、新たな知見のもとに制作年代を考えていただければと願う。
拝観日2021.2.28

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不動堂の不動三尊 ※写真は東京都の文化財サイトより

【拝観案内】

高尾山薬王院不動堂
不動明王のご縁日、28日の午前中(本堂護摩9:30か11:00のいずれかの後)に法要がある。法要前の朝早く、準備をする間だけ扉が開くということだった。法要が始まると扉は閉まってしまう。基本的に秘仏扱いとなっているようで、ご開帳とか公開という感じではない。何度かお電話しても、なかなか具体的な拝観情報が得られにくかったのは、そういう事情によるのだろう。またいつか28日の朝に高尾山に登ってみたい。

【参考資料】

薬王院不動堂の木造不動明王及び二童子立像(東京都指定有形文化財
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=266
本稿の仏像写真2枚はこのサイトから
薬王院の木造地蔵菩薩立像(東京都指定有形文化財
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=267
この地蔵菩薩様もいつか拝観したい。
〇日本遺産「霊気満山 高尾山」ストーリーの構成文化財
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/takaosann/p026874.html
「構成文化財(11)御前立御本尊 飯縄大権現像」(文化財未指定)は本堂の奥にまつられており、護摩法要に参列すると最後に近くで拝むことができる。ただ、今はコロナ感染予防のため、護摩参列者の人数を減らしているようだったので(護摩を申し込んだ人のみ)、今回は参列をご遠慮した。

【おまけ=不動堂周辺の写真】

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2月28日朝9時半頃に到着すると、普段閉まっているお堂の扉が開いていた。中ではお護摩の準備をされていた。
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不動堂の前に建物に関する説明はあるが、不動三尊だけを開設する看板は設置されていない。
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不動堂からもう少し登ると高尾山の山頂。きれいな富士山が拝めた
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白雪に覆われる富士山♡
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山頂から戻ると、不動堂の扉が閉められ、法要が始まっていた。堂内をのぞけるのは法要前の準備の間だけ

【福島】会津・勝常寺の薬師如来坐像に圧倒される私(トーハクみちのくの仏像展にて)

※2015.4.13投稿記事を再掲します

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写真=『勝常寺の仏たち』(平成28年)より

  東京国立博物館「みちのくの仏像」展(2015年1月14日~4月5日)を2度観覧(というか拝観)した。

 小規模ながら、天台寺のなた彫りの観音様、成島毘沙門堂の伝吉祥天、小沼神社の観音像、円空仏など、見どころ満載の展覧会だった。

 しかし、私は勝常寺薬師如来さまの前から一歩も動けなくなってしまった。

 世界にどれだけ立派な男性がいたとしても、目の前のたった一人の人に心を奪われて動けない、そんな感覚。いや、そんな陳腐な表現ではまったくもって物足りない。いったい何なのだろう、私の胸を激しくつかむものは。

 勝常寺薬師如来坐像は、とにかくお体全体がどっしり、ボリューム感たっぷり。頭のらほつもお顔つきも安定感がある。

 施無畏を差し出す右の腕が少しだけ衣からのぞくのだが、その腕がまた太くて力強い。

 力強いだけではない。美しさも半端ない。ゆっくりとドレープを描く衣文はその流れの最後に左足に巻き付く。その巻き付き方のあまりのチャーミングさに胸が弾む。

 ここまで絶対的な安定感と美しさを示しているのに、左手のあの薬壷の持ち方は何なのか。斜めに下げた手のひらにちょこんと薬壷を載せているだけではないか。まるで「ほら、さっさと飲みなさい」と薬壷ごと患者に放り投げるかのようだ。

 ぐたぐたと書いてしまった。

 一言でまとめるなら、絶対的な安定感と美しさと若干のやんちゃさを合わせもった、薬師の中の薬師だと思う。

 徳一上人が作らせたという、都ぶりのするお姿。会津の厳しい自然の中を生きる人々をどれだけ励ましたのか―――浅学の身には想像さえしかねる。

 けれど、私自身はとてつもなく励まされた。恋に落ちて、救われたとも言えるかも。南無薬師如来とはこういう心境を言うのだろうか。


【参考資料】
勝常寺の仏たち』勝常寺薬師如来三尊国宝指定20周年記念事業実行委員会・発行(平成28年10月)
(2017年秋に参拝した際、勝常寺で購入。若林繁氏監修。写真入りで各仏像の解説がある。勝常寺ファン必携の一冊)

【後記】
 2015年にこれを書いたあと、会津湯川村勝常寺を2度お参りした。大きくて武骨な本堂。その中央に坐す薬師如来様。間近で拝観し、恋心はさらに激しく燃え上がった。じっくりと時間を取って、またお参りしたい。収蔵庫の諸像も平安前期の素晴らしい仏像ばかり
 なお、現在、東京の八王子市夢美術館で「土門拳×藤森武 写真展 みちのくの仏像」が開催中(2021.2.11-3.28)。藤森武による勝常寺の仏像の写真も10点展示されている。お近くの方はぜひ。
 昨夜、東北でまた大きな地震があった。10年前の大震災の余震だという。10年たって、また震度6強とは。コロナもあるなかでの対応、考えただけで気が遠くなる。どうか神仏のご加護がありますように。どうか人々をお守りください。2021.2.14記。

【展覧会】横浜の仏像@横浜市歴史博物館〜地域限定の仏像展は素敵です!〜

横浜の仏像
横浜市歴史博物館
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 横浜はサイクリング拝観の圏外なのだが、会場である横浜市歴史博物館のすぐ近くで所用があり、出かけてきた。こんなに気持ちのいい博物館が都筑区にあるとは知らなかった。
 「横浜の仏像」展の会場では、ほどよい照明のもと、とてもよい距離を保って、魅力あふれる仏像が並んでおられた。一瞬にしてめまいがした。仏像に当てられてしまったのだ。展覧会場やお寺で仏像の迫力を強く感じてしまい、一時的に呼吸困難になったりする症状をなんと言ってよいかわからないので、私はそれを「仏像に当てられる」と呼んでいる。こういう症状は2017年の「島根の仏像」展以来だ。息絶え絶えに、まずは会場内を一周。そして、いったん会場外に出て一息ついた。やっと正気を取り戻し、また会場へ。結局3時間、ただただ興奮しながら仏像を観て過ごした。地域限定の仏像展は素敵だ!

 100年に一度のパンデミックで、目に見えないストレスを受けている。それが私の仏像の受け止めかたに何らかの形で影響を及ぼしているのかも。そんなことも思いつつ、みほとけを拝した。

 私が特に惹かれたのは、「12. 菩薩立像(伝千手観音像)真福寺青葉区)」である。
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 とにかく不思議なお姿だ。腕は8本で、後方の2臂は後補だという。腕2本を足したほうがかっこよいと思った人がいたのだろう。穏やかで素朴なように見えて、身体の奥底から不気味な力を発しているようだ。お顔は真ん丸で、安心感がある。一方で、口元は強い意志を秘めたように閉じており、両耳も固く張り出している。なにより特徴的なのは、瞳を閉じたかのような両目だと思う。薄めを開けているのか、それとも完全に目をつむっているのか。大法寺(長野)と千原観音堂大阪府泉大津市)の観音立像が目をつぶっておられたのを思い出した。いずれも静かな興奮を覚える観音像である。なぜ目をつぶる観音像が造られたのだろう。瞳を閉じた観音様は、視覚以外の五感を使って、何を感じようとしているのか。目をつむって何を観ようとしているのだろうか。そんなことを考えながら、しばらくこのお像を見上げていた。

 次に心を奪われたのは、「17.十一面観音立像 西方寺(港北区)」。とにかくかわいい。2011年の震災時に破損したのだが、その後修理の完了時に、西方寺観音堂でご開帳されたのを覚えている。その時は外陣からの拝観で、少し距離があった。近くで拝むと、想像していた以上に優しく、とにかくチャーミングであられた。近くで拝観できると、お像のよさがもっとよくわかるのだと実感する。若干腕が短めのように感じられるのだが、それがかわいらしさをさらに引き立てているのだろうか。また、気になっていた頭頂の化仏が後補らしいことも、今回目視で確認できた。化仏は目や鼻を彫り出さない、のっぺらぼうのお顔である。造立当初の化仏ものっぺらぼうだったのだろうか。気になる。子年開帳の秘仏だ。次はいつお会いできるだろうか。

 「33. 阿弥陀如来立像と装着面 永勝寺(戸塚区)」には驚いた。かわいい系の阿弥陀如来立像かと思いきや、その隣にお面が展示されており、来迎会練供養ファンの血が騒いだ。解説によると、戦国時代にお堂の前を通った人が落馬したり、失礼な態度を取った人が倒れたりしたことから、お面を被せたところ、そのような祟りがおさまったという。通称、面掛阿弥陀如来。なんと素敵なネーミングだろう。お面は僧形像の面部としてつくられた可能性があるとのこと。

 「22. 阿弥陀如来坐像および両脇侍像 真照寺(磯子区)」。1年前にお寺をお参りした際、「阿弥陀三尊はまだ一般拝観できる環境ができていない。展覧会に出すので、その時にぜひ」と言われた阿弥陀三尊についにお会いできた。近年の修理で金ピカのお姿ではある。その金色の下に、平安後期の特徴を見出せる専門家に敬意と感謝を捧げたい。2/7までの期間限定展示!

 「25. 薬師如来坐像 東光禅寺(金沢区)」。お会いしたかった薬師如来様についにお会いできた。私はコロナが始まってから、Zoom坐禅会に毎週参加しているのだが、その坐禅会に東光寺の住職が一度ご参加くださった。流暢な英語を話される方で、お寺のホームページも超絶にかっこよい。サイトに掲載された薬師如来様の写真もかっこよくて、いつか拝観できればと思っていた。像高28cmと小さいが、小さいものにこそ仏師の匠の技は引き立つもので、その最たる例だと思う。

 「30. 釈迦如来立像 真福寺青葉区)」。12番の菩薩立像と同じお寺からお出まし。本展覧会のメインビジュアルを務められる。162cmの堂々としたお姿。衣文の流れに見入ってしまう。お顔もなぜか惹きつけられる。この不思議な瞳はなんなのだろうと思っていたら、銅板が貼ってあるのだそうだ。何時間でも見上げていたくなるお姿である。(※その後、瞳は銅板ではなく、本体から彫り出したものと判明→https://twitter.com/hphiyodori/status/1359846128854790146?s=20 いずれにしても、不思議な瞳であることに変わりはない)
 個人的な話になるが、この釈迦如来立像を大きくデザインした本展覧会の広告を目にするたび、少し胸が苦しかった。このお寺のすぐ近くの病院に、父が入院していたからだ。救急車で運ばれたときのこと、手術を待つ間のことなど、つらい記憶が蘇ってしまうのだ。その当時は、そばにお寺があることも、こんなに立派な仏像がおられることも知らなかった。知っていたら、お見舞いの際にお散歩して、心が和らいだかもしれない。
 この釈迦如来様に実際にお会いでき、ここ数か月のもやもやは解消できた。そっと合掌した。

 そのほか、書きたいことは山ほどあるが、とりあえずここまで。魅了された仏像は他にもたくさんある!

【石仏】徳本名号塔をめぐる~八王子編4~(寺田町)

八王子市・徳本上人名号塔 No. 11) ~寺田町路傍~

 八王子市の徳本名号塔 11番目として、寺田町で見つけたものをご紹介したい。

場所 八王子市寺田町(中寺田の美代田橋近く)
造立年 文政6年(1823)
銘文 正面=南無阿弥陀仏 徳本、右=文政六年癸未、左=七月吉日村講中(注※1)(注※2)
(調査日 2020年11月29日)
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1) 探すの大変! やはり地元の大家さんはさすが

1-1) 過去の調査記録にあたる

 グリーンヒル通りから分岐する小さな道沿いにある徳本名号塔。近所の方々に伺って、やっと見つけることができた。
 まずは、『旧横山村石仏調査報告書』(八王子石仏の会、1998年)の以下の記述を頼りに、調査を開始した。

87.9.13調査 
旧中寺田 
代田橋より上寺田方面道路わきにNo.18 19 20がブロック塀内に安置されている

 このNo.20が徳本上人名号塔である。No.18とNo.19は石仏の観音像と庚申塔だという。1987年の時点では、この3つが道路沿いのブロック塀の中に存在していたことになる。まだ同じ場所にあるのだろうか、また、あったとしても、見つけられるのだろうか。半信半疑で調査を開始した。

1-2) 橋オタクさんのサイトに感謝

 まずは、美代田橋を探した。実は、上記の記述を目にしたとき、これは大変だと思った。多摩川の支流の支流の支流みたいなのがいくつか流れている地域なので、橋もたくさん架かっている。一つ一つの橋の名前など地域の人も把握していないだろうと思っていた。しかし、橋の場所は思いのほか簡単に見つかった。「東京の橋」というマニアックなサイト(こちら東京の橋:美代田橋)に位置情報付きで紹介されていたのだ。橋オタクさんの作成されたであろうサイトに敬意と感謝を表したい。
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1-3) 最後は地元の方のご協力のおかげ

 美代田橋(ミヨタハシ)までいくと、すぐ近くに「中寺田」というバス停があった。バス停の時刻表を見ると、一日に数本しかバスの運行がない。大通りから一本入っただけなのだだが、かなり静かな住宅地だった。このあたりが確かに「中寺田」だったのだろう。上述の資料から「美代田橋より上寺田方面」の「道路わきのブロック塀内」を探す。しかし、「寺田町」という地名は今も残るが、「中寺田」「上寺田」という住所は今はない。
 したがって、上寺田方面がどちらの方向なのかわからない。やみくもに周辺を往復してみると、高台に榛名神社があって石仏や石碑があり、また、小さな牧場の片隅にも石仏が並んでいた。石仏密度がかなり高い地区のようだ。
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 しかし、徳本上人名号塔はなかなか見つからない!
 また美代田橋まで戻って、周辺をうろうろしていると、近くの方が外に出てきた。アヤシイ人がいると思ったのだろう。不審がらせてしまったのは大変申し訳ないが、これは私にとっては絶好のチャンス。私から話しかけてみた。そして、そのおかげで、ご近所の年配の男性にお話を伺うことができた。「200年前の石碑を探しているんです」と必死にアピールをしたところ、ふんふんと話を聞いてくださった。しかし、この男性も「上寺田方面」とはどの方角かわからないとのこと。「大家さんに聞いてみましょうか」とおっしゃった、ちょうどその時、なんと大家さんが車で通りかかった。大家さんいわく、「あー、それたぶんわかる。〇〇さん家のところだよ、たぶん。ちょうど上寺田方面だし。ここからすぐそばよ」とのこと。さすが大家さんは地域の事情に詳しい。「でも、石碑は3つもあったかなー」と首をひねりながら、大家さんは車で立ち去られた。
 私は、「わかりました、探してみます!」と言って、自転車を漕ぎだした。すると、少し離れた先で、大家さんが車を停めて、手を振ってくださっていた。「ここよ! 本当だ、三つあったわね」とおっしゃった。大家さんの指さす先に、探していた徳本上人の独特の文字があった!
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2) 自然石のゆがみの上に刻まれる南無阿弥陀仏の文字

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 小さな冒険のあと、私の目に飛び込んでくる徳本上人の南無阿弥陀仏の文字。この感動と幸せをどう表現すればよいのか。
 寺田町の名号塔は大きな太い自然石のもので、かなり黒ずんでいた。しかし、徳本上人の独特の文字ははっきりと読み取れる。幸せを感じさせる、流れるような六文字だ。
 ここ美代田橋近くの徳本名号塔の特徴は、凹凸のある正面に名号を刻んだ点だろう。南無阿弥陀仏の文字はかなりうねっている。
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 これまでに見つけた八王子の名号塔はすべて自然石に刻まれていたが、正面は比較的、平らになっていた。自然石のゆがみにも心惹かれてしまう。
 過去の石仏調査書を頼りに、地元の人のご協力を得て、200年前のお念仏の証を探し出せるとは、なんとありがたいことだろう。

注※
1) 『旧横山村石仏調査報告書』(八王子石仏の会、1998年)より
2) 住宅地のため、住所の記載は控えています。徳本名号塔を調査されている方で、正確な場所を知りたい方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。
butsuzodiary.hateblo.jp

【石仏】徳本名号塔をめぐる~八王子編3~(めじろ台)

八王子の徳本上人名号塔 No.10
所在地 八王子市めじろ台1丁目(旧福泉寺跡地)
文政7年

 閑静な住宅街の片隅に、お寺の跡地が墓地として残る。その小さな一画の隅に、時間が止まったままのように、徳本上人名号塔があった。
 傾斜地に一本、木が立つ。その両脇に石仏の地蔵菩薩立像と徳本上人名号塔。木は育ち、名号塔を圧迫し、やがて包み込んでいくように見えた。
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 八王子市の横山地区と東浅川地区を中心に、徳本名号塔10基を巡ったが、この名号塔がおそらく最も大きい。高さ110cm、幅67cm、奥行き40cm(※ 八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年 より)。保存状態も良好で、名号の文字もはっきりと目視できる。
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 造立年度などの銘文は私は確認できなかったが、前掲書によると、名号塔の左側に「文政甲甲四月 中散田」と銘があるそうだ。文政甲甲とは、調べてみると、文政7年。また、散田という地名は今も残るが、中散田という住所は今は聞かない。
 冒頭に現在の位置を「めじろ台」と書いたのは、現在の墓地がめじろ台一丁目の端にあるからで、そこは散田地区と接している。そもそも、めじろ台は、昭和40年代に京王電鉄が宅地造成して分譲した際に作られた地名であり、徳本上人が入られた頃には存在しない地名である。
 徳本上人名号塔を巡り始めたばかりの私だが、この名号塔には本当に感動した。次世代に承継したい遺産である。
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(↑ 横から見ると、かなり奥行きのある石であることがわかる)
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(↑ 裏手から見る)

【神奈川】足柄地蔵尊(南足柄市)150年ぶりのご開帳

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1) 足柄地蔵尊、150年ぶりのご開帳! さてお像は無事なのか!?

 「♪まさかりかついで金太郎〜」こと、坂田金時の生地の近く、足柄地蔵堂でご開帳があり、お参りしてきた。

足柄山誓光寺 足柄地蔵堂(神奈川県南足柄市
秘仏地蔵菩薩様ご開帳
ご開帳日 2020.11.21-22

 足柄地蔵尊のご開帳は150年ぶりだという。150年も開扉しないで、お像の傷みはないのだろうか。そう思って調べてみると、1979年に神奈川県の文化財に指定された木彫像だとわかった。少なくとも誰か専門家が像の状態を確認した証である。しかも、ご開帳日を前にした神奈川新聞の報道によると、昨年11月に、東京国立博物館の浅見先生が調査されたのだという。
 事前に写真でお姿を拝することはできなかったが、きっと立派なお像であろう。期待に胸を躍らせながら出かけた。

2) 温かみのあるご開帳

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 2020年11月22日、朝9時に現地に到着。早くも多くの参拝者がおられた。朝8:30からの開帳法要が終わった直後のためか、団体参拝の方々がちょうど帰られるところだったようだ。
 受付で検温を済ませ、お檀家様が手作りされた説明の冊子(200円)、お地蔵様のブロマイド(確か300円)、書き置きのご朱印(確か500円)を購入。文化財保護の支援の気持ちも込めて、すべて拝受させていただいた。
 小さなお寺のご開帳といえば、地元の方々が手弁当で準備され、善男善女がにこやかに集う印象がある。秘仏を中心にした、そうしたご縁つなぎのイベントがご開帳なのだと私は認識している。足柄地蔵尊のご開帳はまさにそうした温かみのあるものだった。今年はコロナでご開帳の中止や規模縮小が多かったため、こういう光景を見るのは、ものすごく久しぶりな感じがする。泣けてくる!
 おりしも、ご開帳をお祝いするような快晴。澄み渡った青空のもと、モミジの葉は黄色から紅色への見事なグラデーションで参拝者を歓迎する。お地蔵様のご真言が流れる中、秘仏本尊地蔵菩薩様の拝観の列に並んだ。

3) 土下座拝観!? みんなで膝をつき、かがみ込んで見上げる!

 小さな本堂の裏手に、秘仏本尊地蔵菩薩立像を収める収蔵庫が立つ。収蔵庫の中には入れず、外から拝観させていただく。お地蔵様は、収蔵庫内の大きなお厨子に安置されているため、お顔がよく見えない。
 このため、参拝者は3人ずつ収蔵庫の前に並んで膝をつき、かがみ込んだ上で、お地蔵様を見上げる形での参拝となった。大きな地蔵菩薩様に見下ろされるこの状況、私は決して嫌いではない。もはや土下座拝観と名付けてもよいだろうか?

4) 秘仏 足柄地蔵尊

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(ご開帳時に有料配布された、いわば公式写真)
神奈川県指定文化財
像高160.5cm
13世紀後半
檜の寄木造
玉眼
頭部と肉身部は黒漆塗り
着衣は朱漆塗地に銀泥で文様を描く

 土下座の姿勢で見上げてみると、地蔵菩薩様は、たくましく、がっしりとした印象だった。160cmという像高もさることながら、体躯も太い。力強いお姿だ。若干むちっとした感じもある。おそらく運慶好きな人にはたまらないのではないだろうか。
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(↑檀家様手作りの冊子より)

 この冊子の写真のほうが、先に貼った"公式写真"よりも実際のイメージに近いような気がする。大きな頭部に嵌められた玉眼は鋭いが、私達を威圧するわけではない。太い体躯と複雑な衣文もあいまって、安心して頼りたくなるお姿だった。いずれにしても、写真より数百倍素敵であるので、その旨力説しておきたい!

 なお、今年の春、箱根の正眼寺曽我堂で、鎌倉時代地蔵菩薩立像2躯が並び立つのを拝観させていただいたので、そちらとの比較も実は楽しみにしていた。正眼寺地蔵菩薩ツイントップもとても素敵なので、ぜひともお参りされたい。こちらは春と秋のお彼岸にご開帳である。

 足柄地蔵堂では、次のご開帳は考えていないと伺った。もったいないことである。ご尊像の安否確認も兼ねて、年一ぐらいで拝ませていただけないだろうか。

5) 拝観案内

足柄山誓光寺 地蔵堂
大雄山駅から1時間に一本ぐらいでバスがある。足柄山への登山者も多く利用するバスのようである。
地方のお寺はアクセスが厳しいことが多いが、今回のご開帳は南足柄市がホームページでバスの時間まで案内してくださり、大変助かった。法要時間も記載されており、拝観スケジュールを立てるのに役立った。
goo.gl

【石仏】徳本名号塔をめぐる〜八王子編2〜

徳本上人名号塔
場所 八王子市長房町・船田町会会館
調査日 2020.11.21

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1) 調査番号5) の長房町・船田町会会館の徳本名号塔、ついに発見!

 11/15の調査で見つからなかった船田町会会館を再訪。私のFacebookをご覧くださったお近くの龍泉寺副住職様から情報を得て、低木の中に隠れていた徳本上人名号塔を見つけることができた。発見というか、発掘というか、そういう仰々しい言葉を使いたくなるほどの感動である。

2) 植栽カットでinvisibleからvisibleへ!

 新たな進展もあった。たまたま通りかかった地元の方が、低木を少しだけカットしてくださったのである。以下の写真1枚目が植栽カット前で、2枚目がカット後。小さな祠の正面向かって右側に低木の植栽がある。写真1枚目では植栽しか見えないが、2枚目では小さな石碑が見えるのがお分かりいただけるだろうか。それが徳本名号塔である。
 高さ60cmほどの小さな名号塔で、文字もかなり薄れている。しかし、徳本上人の独特な筆跡で南無阿弥陀仏と書かれており、左下の徳本という文字も見える。
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 植栽を切っていただいた経緯はこうだ。
 私が再訪した11月21日、船田会館では、研ぎ師の方々が出張に来られて、ひたすら刃物を研いでおられた。私はそのすぐそばで、低木の茂みを必死でかき分けていた。すると、一人の男性が通りかかった。偶然にも、手には大きな植木鋏を持っている。後から冷静になって思い返すと、研ぎ師さんに預けていた刃物類を取りに来られたのだろう。
 「町会会館前の茂みに座り込むアヤシイ女性」と「大きな植木鉢を持った地元の男性」。この構図に潜む危険性をとっさに嗅ぎ取った私は、自分の「アヤシイ」部分を払拭しようと、思わず男性に話しかけた。まず飛び出した言葉が「徳本上人名号塔をご存知ですか?」だった!!
 「はっ?」と首を捻る男性に私は話し続けた。「200年前の石碑を調べているんです。徳本上人という方が200年前に八王子に来られて、その方の独特な文字を刻んだ御念仏の石碑なんです。植木に隠れて、見えなくなっているんです」。
 変なテンションで話す私に対して、その男性はいたって冷静だった。「あー、そういうことでしたか。そういう歴史的価値があるものだとは認識してませんでした」と静かにおっしゃった。そして、研がれたばかりの植木鉢で、ざくざくと名号塔の周りの低木を刈り込んでくださったのだった。
 丸腰のおばさん(=私)のほうが興奮気味で、危険な武器(=植木鋏)を持った男性のほうが冷静だった! なんともありがたい。そして、なんと未熟な自分だろう。
 船田会館は年に2回、地元の方々が整備をされているそうで、写真を見返しても、きれいに植木の管理がなされていることがわかる。
 船田町会会館は、近くの慈眼寺の隠居庵の跡地に建つと聞いた。徳本上人名号塔がこの地に残るのことの意義は大きいと思う。

参考資料

この徳本名号塔については、八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年に記載がある。
前回の拙調査の報告は下記のポストのとおり。
butsuzodiary.hateblo.jp

【山梨】逍遥院(甲府市)地蔵菩薩立像と東禅寺(甲府市)宝冠釈迦如来坐像

向富山逍遥院(山梨県甲府市

地蔵菩薩立像
市指定 91cm 一木造り 
 だいぶ磨耗している。両手・両方の袖先、両足先は後補。正面から拝観しても素敵だが、私はこのお背中に惹かれた。木は朽ちても、それでもなお、すっとお立ちで、胸が熱くなる。
 普段は庫裡に安置し、非公開だという。甲府市による特別公開が2020年10月30日と31日に行われ、その際に拝観させていただいた。
 逍遥院本堂の端っこが公文の教室になっていた。寺子屋は公文なのである。こんな公文なら通いたい。
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※写真は許可を得て撮影

鳳凰山東禅寺山梨県甲府市

宝冠釈迦如来坐像
県指定
105cm 檜の寄木造り。玉眼。宝髻の矧目の墨書を「辛亥」と読めば建長3年(1251)のものと想像できる。ただ、そこまで古いものかどうかは不明。(甲府市の配布資料より)
堂内外陣から拝観させていただいたが、ご尊顔が美しく、衣文も流麗。「畿内の仏師によると想定」(甲府市)というもの納得
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※写真は甲府市のサイトより
甲府市/木造釈迦如来坐像

【石仏】徳本名号塔をめぐる〜八王子編1〜


 先日、相模原市立博物館で、相模原市内に徳本名号塔が多数残っており、すべて市の文化財に指定されていることを知った。八王子市内にも残っているようなので、八王子郷土資料館に行き、下調べしたうえで、市内を巡ってみた。

徳本上人が八王子にやってきた

 徳本上人(1758-1818年)は、文化14年(1817)11月15日からの19日の5日間、八王子の大善寺に滞在したことが、『石川日記』に記されている。当時の大善寺は現在の大横町にあり、関東十八壇林の一つだった。『桑都日記』(巻之十四下編)には、「念仏行者徳本、桑都に来たり強化大いに行はる。徳本は紀州の人、念仏を専修し、郡国を周流し大善寺に寄寓すること数日。土人大いに化す。爾来、徳本講と称し、一派の念仏会あり」とある。
 徳本上人に因んだ念仏講の際に造立されたのが徳本念仏塔で、自然石の正面に「南無阿弥陀仏」と刻む。徳本上人の流れるような筆跡が特徴である。石の裏側には、造立年度や講の名称が刻まれる。

 私が八王子の徳本名号塔を巡ったのは2020年11月15日。徳本上人が桑都、八王子に入られてからちょうど203年後のことだった。旧暦と新暦の違いはあるものの、この偶然に胸が震える私である。

1) 八王子市裏高尾町(駒木野の小仏関所跡近く)

文政4年
35°38'28.0"N 139°15'52.3"E

 旧浅川町の石仏をまとめた資料において、裏高尾町駒木野514神明社の欄に掲載されていた名号塔である。神明社は見つからなかったが、幸いなことに、徳本名号塔は道端で偶然見つかった。当該資料の写真と同じ場所に今も安置されているようだ。保存状態もよい。
 小仏関所跡前のこの細い道は、高尾駅北口から出発する路線バスの通り道になっている。高尾山への登山者が使うバス という印象である。駅から蛇滝の登山口まで歩く人もいるようで、この日も登山客が何人か、徳本名号塔の前を通り過ぎていった。小仏関所を過ぎると、この石仏群の辺りから緩い下り坂になっており、これを念珠坂と呼ぶようである。
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2) 八王子市東浅川町・原宿会館前

文政4年
35°38'46.9"N 139°17'19.7"E

 資料に比べると、徳本名号塔も木喰正観もだいぶ摩耗してしまっていることがわかる。甲州街道の銀杏並木に面した、車の往来の多い場所にある。何度も通っているはずだが、これまでまったく気づかなかった。
 ちなみに、この石仏群のすぐ後ろは個人のお宅。徳本名号塔のすぐ後ろに、黒いスニーカーが干してあった。
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3) 八王子市東浅川町・原家墓地内

文政4年
35°38'31.3"N 139°17'33.2"E

 資料の「東浅川町三田775古道脇(原家墓地)」という情報のみを頼りに探した。この墓所の裏手は急な坂になっており、今は大きなマンションが立っている。最初そのマンションの方を探したが見つからなかったので、再度坂を下りて、西側のスターレーン(ボーリング場)の方に回り込むと、この墓所が見つかった。ちなみに、三田という地名は今はないが、近くに「三田町会」の掲示板はあった。
 原家墓所内、メインの墓石のすぐ横(正面右)に、この徳本名号塔は立っていた。墓所への畏怖と敬意から、墓地全体の写真は自粛し、徳本名号塔のみ写真を掲載する。
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4) 長泉寺(八王子市長房町1258)

文政7年
 長泉寺は多摩御陵の近くの高台にある、臨済宗南禅寺派のお寺。徳本名号塔は本堂前に静かに安置されていた。境内は狭いが清潔で、静かに落ち着いてお参りできる。一番下の「徳本」というところがかわいい。
 石平道人坐像(正三坐像)が市の文化財に指定されている。拝観させていただけるのだろうか。今度伺ってみたい。
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5) 船田町会会館(八王子市長房町)

 船田町会会館の敷地内にあるようなのだが、それらしきものが見つからなかった。事前に調べた資料に最も近いのがこの写真。今ひとつ文字が読み取れないし、しかもなぜか、今流行りのフィギュアがお供えしているようだった。
 資料のNo.68の徳本名号塔をご存知の方がおられたら、ぜひ所在を教えてください。よろしくお願いします。
(No.69-71の石仏は会館横の社に祀られていた)
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6) 長安寺(八王子市並木町)

文化14年
 今日お参りした徳本名号塔の中で最も古く、唯一徳本上人の存命中のものである。
長安寺は甲州街道沿い、西八王子駅高尾駅の間に位置する。曹洞宗のお寺であり、武相観音霊場の札所である。秩父から移されたと伝わる観音像がおられ、武相観音霊場のご開帳の際にお参りさせていただいた記憶がある。
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7) 真覚寺(八王子市散田町)

 境内の池の手前、石仏の並ぶ一角に安置。名号の上に円形の刻印があるが、これはなんだろう。しかも、造立年度がわからないので、また資料館に調べに行かなくては。現地では、塔の裏側に覆いがあるため、塔の裏側は確認できなかった。
なお、真覚寺の白鳳仏、薬師如来椅像(八王子市文化財)は、八王子郷土資料館で拝める。せっかくなので、薬師如来様の写真も合わせて添付する。
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8) 八王子郷土資料館(八王子市千人町・興岳寺)

文政10年
 興岳寺(八王子市千人町)の徳本名号塔が八王子郷土資料館の庭に安置されている。昭和25年以降に登場した赤い郵便ポストの前に置かれていて、少しシュールではある。郷土資料館は来年3月に移転する。資料館の庭には、これ以外にも庚申塔二宮金次郎像などが展示されているので、すべて無事にお引越しされることを願う。
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9) 龍見寺(八王子市館町)

文政4年
 龍見寺といえば、大日如来坐像(東京都文化財)が大好きで何度もお参りしている。しかし、まさにその大日堂に登る階段の手前にあるのが、徳本名号塔だとは知らなかった。手入れの行き届いた、美しい名号塔である。
 こちらの名号塔の写真は、さる10月30日に大日如来坐像が公開された際、撮影したもの。せっかくなので、大日如来様の凛々しいお姿も貼りつけておく。その美しさに唸るべし。
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また調査に行きたい

 南無阿弥陀仏と書かれた石をただ巡るだけ。それだけなのだが、とても癒された。あの流れるようなお茶目な名号を見ると、思わずにっこりしてしまう。そして、十円玉をお供えし、お十念をつぶやく。
 八王子市内にはまだこれ以外にも徳本名号塔は存在する。○○橋の近く、というような曖昧な情報もキャッチしている。なんとか見つけたい。
 今度はできれば少しのお花をお供えしたい。そして、メジャーを持っていって、石の採算をしたい。

参考資料

○紺野英二「屋外展示の石造物”徳本念仏塔”」
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○縣敏夫 編著『八王子市 旧浅川町の石仏と地誌』
○八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年
相模原市文化財には、市内の徳本名号塔が詳しく紹介されている。例えば、このサイトを見ると、上人が1817年11月19日に原当麻無量光寺に到着したことがわかる。八王子市の資料とよみあわせると、八王子の大善寺を出立して、無量光寺に向かったことがわかる。
38.無量光寺の徳本念仏塔(むりょうこうじのとくほんねんぶつとう)|相模原市

【栃木】鹿沼まるごと博物館「とちぎの宝 医王寺の至宝」~市が主催して寺で開催する画期的な展覧会~


鹿沼まるごと博物館第6回企画展「とちぎの宝 医王寺の至宝」
会場 東高野山 医王寺
会期 2020年10月31日~11月8日
観覧料 500円(中学生以下無料)
主催 鹿沼市鹿沼市教育委員会・とぎの宝医王寺展実行委員会

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医王寺の至宝展チラシ表
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医王寺の至宝展チラシ裏

1) 市が主催して寺で開催する画期的な展覧会

 「鹿沼まるごと博物館」とは、「市域全体を博物館として捉え、中央館を中心に各地の地域資源をネットワーク化し、様々な分野で活用を図ることで、地域の教育・文化の向上などに活かしていくもの」(市のサイトより)。
 仏像ファンの間でよく話題になるのは、「仏像は展覧会だと明るい照明で間近で拝める。でも、信仰の対象なのだから、お寺で拝むのが一番」というジレンマだ。それを難なく克服したのが、今回の医王寺の「まるごと博物館」なのではないだろうか。
 医王寺は山門、金堂、唐門、講堂と縦長にのびる境内を歩くだけでも神聖な気持ちになる。鎌倉時代の仁王さんにご挨拶したあと、金堂に入ると、たくさんの仏像にお会いできる。どのお像にも間近でお会いできる。ガラスケースもない。
 今回の「鹿沼まるごと博物館 医王寺の至宝」展では、金堂が第一会場、講堂が第二会場と呼ばれている。第一会場の入り口でチケット(500円)を購入すると、詳細な作品解説とカラー写真が掲載された冊子(全14ページ)がもらえる。この冊子を読み込みながら、間近で仏像を拝観できるのだ。お寺なので、躊躇なく合掌もできる。まずは仏様に手を合わせる。そして、冊子の解説を読みながら、お姿を鑑賞できる。なんと幸せなことだろう。前述の仏像ファンのジレンマを解消する手段として、画期的だと思う。

2) 金堂の薬師三尊~月光菩薩様に心奪われる~

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写真は当日配布の冊子より

薬師如来及び両脇侍像 薬師如来 83.0com 左脇侍107.8cm 右脇侍110.1cm 鎌倉時代13世紀 県指定文化財

 仏像の多くは第一会場である金堂に集められている。実は目当ての平安仏があって出かけたのだが、最も心を奪われたのは、金堂の内陣の宮殿にまつられた薬師三尊だった。こちらの月光菩薩に心を奪われてしまった。
 金堂本尊であるこの薬師三尊は、江戸時代には、金堂宮殿の薬師如来(現在の講堂本尊で、60年に一度の秘仏。県指定文化財)のお前立として、宮殿前に安置されていたという。これほどの鎌倉仏がお前立だったとは。
 特に、月光菩薩は身体を斜めに傾け、衆生を見下ろす感じがたまらない。宮殿厨子内の高い位置におられる薬師三尊の真下に屈むと、薬師如来月光菩薩と目が合うポイントがあるので、ぜひ現地で体感してほしい。
 十二神将は後補の塗装をはがす保存修理が行われたそうで、ビフォーアフターの写真が掲示されていた。奈良・室生寺十二神将像に似たポーズのものがあるそうだ。室生寺像よりは小さめだし、動きもかたい感じがしたが、それでも十二体そろって堂内に並ぶさまは壮観。

3) 十一面観音立像~大津の聖観音菩薩立像に似ている!?~

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間近で拝観できた。写真は当日配布の冊子より

十一面観音立像 146.6㎝ 平安時代 県指定有形文化財

 平安中期の十一面観音立像。普段は講堂の収蔵庫におられ、非公開だと伺った。本展では、間近で拝観できた。冊子によると、滋賀県大津の九品寺の聖観音立像(10世紀後半)との類似が多く認められるという。同じ時期に近畿地方でつくられた可能性が指摘されていた。大津の九品寺の聖観音像といえば、去年の秋の大津歴博の展覧会に参考展示され、撮影可能だったお像である。さっそく写真を引っ張り出してみると、像の優劣は感じてしまうものの、確かに雰囲気は似ている。医王寺のほうが少し表現がかたいような気がしたが、平安中期に遡る等身大の立像が関東で拝めるとはありがたい。

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【参考】九品寺(滋賀県大津市聖観音立像 2019年に大津歴博にて筆者撮影

 九品寺像と異なるのは、聖観音ではなく、十一面観音立像だということ。医王寺像は化仏の菩薩面がお顔を彫り出さず、のっぺらぼうになっていた。私の好きな表現であり、胸がきゅんきゅんした。係の方に伺ったところ、正面の如来立像は後補であろうが、菩薩面は当初のものである可能性があるとのことだった。

4) その他の諸像

 そのほか、平安後期の不動明王立像(像高96.5cm)と鎌倉初期の二童子像(矜羯羅46.7cm、制吒迦45.2cm)は小さいながら、表現豊かで見入ってしまった。鎌倉時代弥勒菩薩坐像の両脇には、やはり鎌倉時代毘沙門天と吉祥天の立像を安置。毘沙門天と吉祥天は普段は栃木県立博物館に寄託されており、今回の展覧会のために特別に里帰りされたのだそう。今回だけの特別な三尊構成ということらしい。
 また、特別展示として、同じ鹿沼市の宝城寺の阿弥陀如来立像が金堂の脇に置かれていた。前述の十二神将と同じく、明古堂で修理されたのだという。修復前の痛々しいお姿の写真が横に掲示されていた。修理してもなお、右腕の位置がおかしい感じがするが、それさえもいとおしい。
 なお、山門の仁王像は鎌倉時代(13世紀)のもの。シャトルバスから直行してしまうと見逃してしまうので、ご注意ください。山門に至るアプローチも素敵なので、少しだけ足をのばして、山門をくぐってからお参りすることをお勧めしたい。
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仁王さんは鎌倉時代。ガラス越しなので写真は難しいが、お姿はよく拝見できる

 

【滋賀】岩間寺(大津市)の諸像~ご本尊は千手観音・吉祥天・婆藪仙人の三尊~

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岩間寺文化財指定のある仏像(写真は湖信会HPより)

湖信会サイト→岩間寺(岩間山正法寺) 湖信会

1) 岩間山正法寺

 
 岩間寺は大津と宇治との間の岩間山(標高445m)の山腹にあり、アクセスが厳しい。毎年17日に石山駅からシャトルバスが出るので、これを利用してお参りした。2020年10月17日、朝から冷たい雨が降っていた。秋雨で霞む山の中に、静かに岩間寺はあった。早朝の山寺の空気を胸いっぱいに吸い込み、堂内へ上がらせていただいた。雨にも関わらず、多くの参拝者が訪れていた。

2) 本堂

2-1) 千手観音と吉祥天・婆藪仙人という組み合わせ

 ご本尊(金銅仏)は秘仏で、お前立として、小さめ(60cm?)の千手観音立像をまつる。脇侍が等身大の吉祥天(大弁功徳天)と婆藪仙人で驚いた。千手観音の眷属である二十八部衆の中の二人だ。リアルな表現で、彫刻としても優れていると感じた。
 こういうマニアックな尊格が気になるのは、2年前に三十三間堂二十八部衆の配置替えが行われたことと関係する。三十三間堂では、千体の千手観音の国宝指定を機に二十八部衆の配置を見直し、中央の千手観音坐像(湛慶)の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人がまつられることになったのだった。新たな配置で拝観すると、二十八部衆の一部に過ぎなかった二尊が、一気に表舞台に出たような感覚になる。私は大弁功徳天様びいきなので、なんとも晴れ晴れしい気持ちになった。その一方で、婆藪仙人というおじいちゃまの像と組み合わせられたことに仰天したのだった。二人の関係が気になってしかたない。
 そんな二尊が、ここ岩間寺では、千手観音立像との三尊でまつられている。二十八部衆の他のメンバーはおられないようだ。あとで調べてみると、この二尊について、大津市歴史博物館ニュースの記事が見つかった。最初から千手・吉祥天・婆藪仙人の三尊だった可能性も考えうるとのこと。2002年と昔の記事なので、ここにスクショを貼っても許されるだろうか。興味深いのでぜひご一読を。

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寺島典人「学芸員のノートからー岩間寺の脇侍についてー」(大津歴博だより2002No.48)
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三十三間堂の中央の千手観音坐像の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人が並ぶ(写真は『千体仏国宝指定記念 無畏』より)

2-2) 地蔵菩薩立像(重要文化財

 本堂の奥、正面右脇に地蔵菩薩立像をまつる。雨の日の朝の堂内は暗く、照明もなく、ほとんど見えなかった。拝観位置からさほど遠くないので、明るささえあれば、目視で拝観できたはず。像高69.1㎝。12世紀初め。重要文化財。2018年秋、大津歴博の企画展「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」に出陳。図録をながめていたら、頭部が大きめなお姿だったことを思い出した。

2-3) 十一面観音立像(大津市指定文化財

 本堂におられたようだが、確認できず。あとで調べたところ、前述の「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」展に出陳されていた観音様だった。像高89.0cm。12世紀。お寺でもお会いしたかった。

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写真は『大津市制100周年記念 大津の文化財』(平成10年)より

3) 不動堂

 不動護摩供が毎月17日に行われ、不動三尊のお厨子が開く。私が訪れた早朝の時間帯は、不動堂は開いているものの、人はほとんどおらず、以下の仏像をすぐそばで拝観できた。

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岩間寺不動堂内を堂外からのぞむ。正面左から薬師如来坐像不動明王童子立像、阿弥陀如来坐像
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写真は『大津市制100周年記念 大津の文化財』(平成10年)より

3-1) 不動明王童子像(重要文化財

 不動明王 97.6cm 矜羯羅童子66.4cm 制吒迦童子63.4cm 平安中期?
 上の写真では全体が黒っぽくてわかりにくいが、お堂で拝観すると、お厨子の中の金色を背景にして、各像の自然な表情が見て取れる。不動明王には赤い火炎光背。二童子は上の写真よりもっと不動明王に近い位置に立つ。

3-2) 薬師如来坐像大津市文化財

 像高84.5cm 不動明王以外に事前情報がなかったので、これほど穏やかで美しい平安仏がおられるとは知らず、うれしい驚きだった。像の横の説明書きによると、享保年間に完成した『近江輿地志略』に、薬師堂に奉安される薬師如来について記載があり、この像がそれに当たるということだった。何かの理由で薬師堂がなくなり、不動堂に安置されるようになったということなのだろうか。
 定印を結んだ両手に薬壺をもつ。この少し変わったポーズが気になる。『大津の文化財』では、両手の肘から先と薬壺は後補のため、当初は釈迦如来阿弥陀如来として造立された可能性あると指摘する。
 阿弥陀様ファンの私としては、もはや阿弥陀如来でよいのでは、と思ってしまう。それほど素敵なのだ。下から見上げると、薬壺を抱えているような感じに見え、その安定感と気品にさらに惹かれる私なのだった。(※阿弥陀如来以外の美しい如来像を拝するとき、私は時々「もはや阿弥陀如来」と申し上げるが、それは最上級の誉め言葉である。その旨ここに申し添えるw)

3-3) 阿弥陀如来坐像

 薬師如来とほぼ同じ大きさの坐像。文化財指定はないようだが、お堂前の看板の説明によると、こちらも藤原時代の作。
 岩間寺の不動堂は、重文の不動明王両脇侍像を中心として、その両脇に定朝様の坐像をまつる、なんとも素敵な場所だった。

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不動堂前の看板

拝観案内

岩間山正法寺 
住所 大津市石山内畑町82
tel 077-534-2412
 岩間山正法寺岩間寺)は養老6年(722) 、加賀の白山を開いた泰澄(たいちょう)法師が元正天皇の病を法力で治したことから、泰澄を開基として建立。寺伝では、泰澄が感得し、自ら刻んだ桂の木の千手観音像を本尊とし、元正天皇の金銅製の念持仏をその胎内に納めたという(寺伝の木彫仏は現存せず)。
 毎月17日の午前中、石山駅(JRと京阪)から無料のシャトルバスが出る。私が訪れた2020年10月はコロナ対策も取ってくださっていた。乗る前に手指消毒。そして、バス内の混雑を避けるよう、全員着席したところでバスは出発した。

参考資料

岩間寺ホームページ 岩間山正法寺(岩間寺)オフィシャルホームページ
〇『大津歴博だより 2002 No.48』寺島典人「学芸員のノートからー岩間寺の脇侍についてー」
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/file/tayori/tayori_048_2002.pdf
〇『大津市制100周年記念 大津の文化財大津市教育委員会(平成10年)
○ 「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」展覧会図録(大津市歴史博物館、
2018年)
〇湖信会ホームページ 岩間寺(岩間山正法寺) 湖信会

【展覧会】西七条のえんま堂ー十王と地獄の美術ー(龍谷ミュージアム)

特集展示「西七条のえんま堂 -十王と地獄の美術-」
龍谷ミュージアム(2020.9.12-11.3)
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えんま堂の諸仏は実際に間近で拝むべし

 龍谷ミュージアムの近く、西七条えんま堂から諸仏がお出ましである。メイン展示は、このお堂の閻魔坐像(鎌倉時代)、十王坐像(南北朝室町時代)および不動明王立像(鎌倉時代。閻魔像も不動明王像もそれほど大きくはないが、写真より実物のほうが断然いい。写真よりもっと凹凸があるし、動きもあり、怒りの表情に力もある。えんま堂の木造檀荼幢と木造浄玻璃鏡はいずれも昭和10年の作。近年にも新たな仕掛けを加えた人々がいたのだ。その熱意に脱帽である。

 さらに、展覧会場では、これらえんま堂の諸仏と同じスペースに、京都・鍛冶町町内会の木造地蔵菩薩立像(平安後期)を配置する。これがよくマッチし、好印象。地蔵菩薩様は閻魔様の化身なのだ。このお像も写真より実物のほうが素敵だった。写真ではわかりにくいが、側面からみると、前傾した姿勢を取っていた。来迎の地蔵菩薩なのだろう。

 十王像や地獄絵を観るとき、私は少し気構える。その時の自分の体調によっては、観るだけで体力と気力を消耗してしまうことがあるからだ。その点を心配しつつ鑑賞したのだが、この展覧会では、地蔵来迎図(後期展示は岡山・安養寺のもの)阿弥陀三尊来迎十仏図(岡山・木山寺、後期展示)も一緒に展示してくれていたので、助かった。やはり地獄と極楽はセットでないと。

 また、地蔵盆の設えを再現展示(京京都・壬生寺しているのも興味深い。私は京都の地蔵盆に憧れる田舎者である。

 なお、この特集展示は、シリーズ展8「仏教の思の想と文化 -インドから日本へ-」の一部という位置づけのようだ。このシリーズ展は、大きなテーマの中で、ガンダーラから法然上人や親鸞上人まで網羅。美しい阿弥陀如来像や来迎図も登場する、癒し空間だった。

ぼっちに優しい

 最後に、もう1点追記したい。会場内に、閻魔様のポスターをバックに写真が撮れるコーナーがある。私は基本的にいつも一人で行動するので、こういうのは使えない。展覧会スタッフが近くにいてくれれば、シャッターを押してもらえる。しかし、会場が混み合っていたりすると、スタッフさんにお手間をかけられない。そもそも人見知りなので、スタッフさんに声をかけるのも気が引ける。
 それがなんと、ここ龍谷ミュージアムでは、一人でも写真が撮れるように、スマホを置く台を設置してくれていた。なんと素敵なギミックだろう。このおかげで、今回初めて高度な自撮りに成功した。おひとり様(通称”ぼっち”)へのお心遣いに心より感謝を申し上げる。(自撮り写真の掲載は自重w)

【和歌山】慈光円福院の十一面観音立像

慈光円福院(和歌山県和歌山市)十一面観音立像
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 平安前期の美しく強い観音様。像高149.7cm 。重要文化財和歌山市文化財サイト
木造十一面観音立像 | 和歌山市の文化財
には次のような説明がある。

(引用始め)
 慈光円福院は戦災で焼失した円福院を再建する際に、無住になっていた和佐八幡宮別当寺であった観音院慈光寺を移築し現在の寺名に改称したもので、本像もその際に移されました。
 本像(像高149.7cm)は内刳りを持たない檜の一木造の十一面観音立像です。装飾的な天冠台や翻波式衣文、目鼻立ちがはっきりと表した面貌、わずかに残る彩色からいわゆる彩色檀像であったと考えられます。肉感的でありながら瑞々しいその面貌表現は大阪府観心寺如意輪観音像等とも共通することから、平安時代前期の真言密教との関わりが伺われます。(引用終わり)


 観心寺河内長野)の如意輪観音像との類似性が指摘されている。垂直に下げた右腕が長めで、法華寺(奈良)の十一面観音立像に似ているようにも思う。同じ頃に、同じ工房で造られたのだろうか。上記サイトには檜とあるが、せきどさんをはじめ、カヤと明記するサイトも少なくない。観心寺像も法華寺像もカヤの一木造。

 前回、仏像リンクのオフ会でお参りした。夕方遅く、すでに日が落ちたあとでの拝観だった。今回、二度目の拝観は、秋の日の昼間。約束の時間に訪れると、年配の女性がお厨子を開けてくださった。昼間に一人で訪れると、思っていたより堂内が広く感じた。
 そして、一人で観音様に対面していると、なんだか叱られているような気がしてきた。叱られつつも、励まされる。叱咤激励されてような感じだった。はい、観音さま、私もう少しがんばります。
 貞観の香り漂う美しい観音像。またいつか再訪したい。その時は何を感じるのだろう。

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近くで拝ませていただく
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見事な翻波式衣文

拝観案内

慈光円福院
〒640-8012 和歌山県和歌山市北新金屋丁31
JR和歌山駅または南海和歌山市駅から徒歩20分ほど。(JR紀和駅が一番近い)
予約拝観