ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【滋賀】元龍寺(甲賀市)〜在所の皆様のたいせつな観音さま〜

元龍寺(滋賀県甲賀市
十一面観音菩薩立像
平安中期 市指定文化財

元龍寺の観音様。お供物は民の信仰の証

 毎年8月10日にご開帳という情報があったので、甲賀市から管理者の方の連絡先を教えていただき、電話するも、まったくつながらなかった。

 当日、半信半疑で現地に伺うと、お堂が開いており、気品あふれる穏やかな観音様が迎えてくださった。桧による等身大の立像で、平安時代中期の作とされる。

 小さなお堂内には、観音様をお守りされている在所の方々がおられた。私よりもかなり年上のおじさまとおばさまだった。

 これまで在所7軒ほどでお守りしてきたが、高齢化で難しくなり、近くのお寺様に観音様にお預けする予定だという。元龍寺でのご開帳はこれが最後なのかも。

 預け先のお寺様のお名前を教えていただいたが、ここでは伏せておく。きっとそこで大切におまつりされるに違いない。信仰は続く。

 Nothing is permanent. But life is going on with Kannon-sama.

【展覧会】奈良・東北のみほとけ展@東北歴史博物館〜私は祈らなければ生きていけない弱い人間なのです〜

鑑真和上と会津勝常寺薬師如来。ありえない最強のツーショット

特別展「東日本大震災復興祈念 悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」
2023/4/11-6/11
東北歴史博物館宮城県多賀城市


 はからずも会場で泣いた。

 震災から12年を経て、東北の地で開催される仏教美術の展覧会は、「苦難に立ち向かった人々の『祈りの形』」を提示するもの。開催趣旨は、「震災から13回忌となる年に開催する本展が今を生きる人々の喜びや,これからの営みの“よすが”となることを切に願う」とうたう。

 私は思う。仏像はただの彫刻ではない。そこに祈りがあるから特別なのだ。それをつくらざるをえず、それに祈らざるをえなかった、過去の多くの人々の思いがあるから、尊いのだと。

 そして、私は祈りがなければ生きていけない、どうしようもなく弱い人間である。会場で涙がこぼれたのは、提示された諸像が彫刻として優れているからではなく、祈らざるをえないのは私だけではないことを堂々と示してくれたからかもしれない。

 特に印象的だった展示について語りたい。

薬師三尊(勝常寺

 勝常寺福島県湯川村)の薬師如来坐像は、平安初期に徳一菩薩が会津の地につくらせた、とんでもなく美しくて強くて優しいお像。強力な磁石で引き寄せられてしまう。
 この薬師さまになぜこんなに惹かれるのか、言葉にするのは難しい。言葉にしようとすればするほど、変人の愛の告白のようになってしまう。今回5回目にお会いして思ったのだ。この薬師さまは、自分の中にある、でも、自分でも気づかずにいた、寂しくて満たされない部分を、優しく強く撫でてくださるのだと。そして、その慈しみで私の欠損を埋めてくださるのだと。。。ダメだ、やっぱり変態の独り言になってしまった。
 勝常寺に二度お参りしたが、その時は薬師さまが本堂におられ、両脇侍像は収蔵庫におられた。この展覧会では、三尊お並びのところを拝めた。両脇侍も独特なお姿で、魅了される。眼福という言葉がある。心も幸福で満たされたのだが、心福という言葉はあるのだろうか。

菩薩立像(十八夜観音堂

 勝常寺薬師三尊の横に、スレンダーでかわいらしい観音菩薩像が立っておられた。藤森武の写真で拝見して以来憧れてきた十八夜観音堂宮城県仙台市)の観音像にやっとお会いできた。カヤの一木造りで、奈良時代の終わり頃に都でつくられたと考えられる。台座まで一木であることなど、大安寺諸像と似ている部分もあるが、全体としてこちらはもっと細身で、かわいらしさが爆発している。小沼神社の観音像とお並びのところをいつか拝見したいと思った。

写真は仙台市文化財ホームページより

唐招提寺如来形立像

 展覧会の最後、小さなスペースの真ん中に、唐招提寺トルソーが置かれていた。そして、その背後に、2012年以降の3月11日の映像が3つのスクリーンで流される。お顔と手先を失っても奈良時代から変わらず人々の祈りを受け止めてこられたトルソーに、今を生きる人々の祈りが重なる。こみあげる涙を抑えることができなかった。

何度お会いしたかわからない唐招提寺トルソー。初めてその前で泣いた

心を込めて合掌。

※国宝鑑真和尚像の展示はすでに終了(そういえば今日6/6は鑑真和上のご命日。奈良の唐招提寺でこの像が公開される日である)


【参考】
・展覧会公式https://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/6603/
・十八夜観音堂仙台市)菩薩立像木造菩薩立像 - 仙台市の指定・登録文化財
【福島】会津・勝常寺の薬師如来坐像に圧倒される私(トーハクみちのくの仏像展にて) - ぶつぞうな日々 part III

【宮城】保昌寺(蔵王町平沢)阿弥陀如来坐像

保昌寺の丈六阿弥陀如来坐像

保昌寺(宮城県蔵王町平沢)
丈六阿弥陀如来坐像
総高379cm 像高288cm 県指定文化財


 仏像というのは多くの人の強い思いで後世に伝えられるものなのだ。そんなことをしみじみ感じる機会をいただいた。

 この阿弥陀如来様はいつの時代のものに見えるだろうか。頭部前面と体幹部前面のみ平安後期の造立時のもので、それ以外は享保3年(1718)に修復したものなのだそうだ。こういう場合、修復という言葉が正しいのかわからない。当初の像を想定して、体部をつくってあげたという感じなのだろう。激しく傷んだ像をなんとか元の美しいお姿に戻してあげたい。そんな当時の人の思いが強く伝わってくる。

 こちらの阿弥陀如来坐像には、艱難辛苦を乗り越えてきた歴史がある。

・平安後期、安養寺の本尊としてまつられた。奥州藤原氏による造立と考えられるそうで、優美な定朝様のお姿であったに違いない。

・しかし、戦国時代の始まる頃に安養寺は火災に遭い、江戸初期まで無住となって、荒れ果ててしまう。

阿弥陀像は享保年間に大幅に修復されるが、その後30年足らずで安養寺は再び焼失。

・明治初めに廃寺となり、本阿弥陀如来像は清立寺の管理下となる。ところが、明治40年阿弥陀堂が倒壊し、阿弥陀像は平沢区民に預けられたあと、保昌寺に遷座

・さらに、戦後に仙台の寺院に貸し出されたあと、返還交渉を経て、昭和47年にやっと保昌寺に戻る。宮城県文化財指定を受けるのは、返還から2年後のことだった。

・2019年、収蔵庫にシロアリ被害を確認。収蔵庫の修理に伴い、2021-2022年にかけて阿弥陀如来坐像は解体保管され、再度組立。

 平等院鳳凰堂阿弥陀如来のように、造立当時のお姿がほぼそのまま残っているのは尊いことだ。しかし、お像自体が壊れても、お堂がなくなっても、その時々の人の手によって守り伝えられてきた保昌寺の阿弥陀如来も、この上なく尊い
 この大きな阿弥陀様のもとで、祈りは続いていく。そう信じている。

【拝観案内】
高田山保昌寺(曹洞宗
阿弥陀如来坐像は本堂横の収納庫に。正面のガラス窓越しに拝観可能。窓を開けてほしい時はお寺に声をかけてくださいとのこと。
https://maps.app.goo.gl/HVtGb1hffwT7mT6S7?g_st=ic

【参考】
曹洞宗高田山 丈六阿弥陀如来座像
https://www.dokitan.com/sitei/03.html
丈六阿弥陀如来坐像 (じょうろく あみだにょらい ざぞう)|寺社・歴史|蔵王町観光物産協会
解体・再組立レポート(2021年)←PDFが開きます

【京都府】永明寺(福知山市)の丸山仏と諸像に魅了される!

永明寺(京都府福知山市牧)

光泰山永明寺(ようめいじ)は、文正元年(1466)に円通寺(兵庫県丹波市氷上町)の大極和尚を開山とし、如意輪観音像を本尊として創建したと伝わる曹洞宗寺院である。由良川牧川が交わる近く、牧という集落に位置する。

1) 本堂の奥の諸像

昭和42年(1967)、廃寺となった近くの大谷寺西方院から移された諸像が、永明寺本堂の奥にまつられる。西方院は真言宗の尼寺だったそうで、最後の庵主様のお写真もご一緒にご安置されていたのが印象的だった。

1-1) 十一面観音菩薩立像

最近、本地仏の十一面観音立像に惹かれるのだが、この十一面観音像にもなぜか強力に吸い寄せられた。あとで教えていただき丸山尚一さんの本を読み返すと、西方院は近くの一宮(いっきゅう)神社の社僧を務めており、この十一面観音像は一宮神社の本地仏だったと書かれていた。不思議な魅力はそれゆえか。優美かつ森厳なご尊顔、頭頂に一列に並ぶ丸顔の化仏、力強く水瓶を握る姿勢に特に惹かれた。なんと文化財未指定。

一宮神社本地仏として丸山尚一『地方仏を歩く』に掲載される十一面観音菩薩立像
不思議な魅力に惹かれた

1-2) 地蔵菩薩立像

像高65.5cm 市指定文化財
十一面観音像に魅了されて、あぶなく見逃すところだったが、なんと、右手で袖の一部をつまんでおられる。仏友さんに指摘されるまで、気がつかなかった。しかも、なんと、福知山市文化財サイトを拝読すると、あの旧威徳寺観音堂仏像群のうち、同様のものが少なくとも7躯が確認されているのだそうだ。「(永明寺の)本像を含めてこれらの像は、平安時代後期の作例と考えられ、当地域における一つの歴史的特色を示すものと考えられる」。あー、あー、あらためて、旧威徳寺観音堂に行きたい! どうしたら拝観できるのだろう! 

かわいらしい地蔵菩薩立像
右手で衣をつまむ
衣をつまむ御手が見えるだろうか

1-3) 馬鳴菩薩像

養蚕の歴史を物語る馬鳴菩薩像。時々お見かけするが、これほど美しいのは初めてかも。

美しい馬鳴菩薩
多臂のバランスがよく、馬に乗る姿勢が美しい

2) 観音堂

2-1) 如意輪観音

像高65.3cm 市指定文化財
さらに、立派な観音堂にて、室町時代と思われる如意輪観音像を拝ませていただく。三十三観音が賑やかに並ぶ空間。

観音堂の観音様たち
如意輪観音像(福知山市指定文化財

3) 仁王像

仁王像も旧大谷寺由来のもの。その由来を記す大正10年の文章が仁王門のそばに。貴重な尊像と歴史と文化を今日まで伝えくださる方々に感謝を伝えたい。

仁王さんの勢いが伝わるだろうか! (フェンスに負けた写真がこちらになります)

【拝観案内】

永明寺
〒620-0913 京都府福知山市牧282
0773-33-2153

【参考】

・丸山尚一『地方仏を歩く 一 近畿編』日本放送出版協会2004年より、「丹後山地の仏たちp36-37に永明寺十一面観音像の記載あり
永明寺 木造地蔵菩薩立像 - 福知山市オフィシャルホームページ
永明寺 木造如意輪観音菩薩坐像 - 福知山市オフィシャルホームページ
牧(福知山市)

【京都市】遣迎院ご開帳に合わせて予定を組んだら、とんでもない山奥にとんでもない仏像がおられました

京都市の北の仏像を巡る

 快慶の若い頃の傑作の一つ、遣迎院京都市北区阿弥陀如来立像はお釈迦様の誕生日、4月8日にのみ公開される。この機会に京都市の北のほうの仏像をお参りしてきた。
 北山や京北と呼ばれるエリアに、京都市内とは思えない長閑な風景が広がり、次々と古仏にお会いすることとなった。無住寺や兼務寺も多く、拝観予約は難しかったが、地元の方々と友達のお力添えのおかげで、9か寺を巡り、みほとけを拝むことができた。枝垂れ桜も美しかった。感謝を込めて合掌

1) 桜本寺(京都市北区)菩薩立像 12世紀 市指定

152.8cm 寄木造り 漆箔 十一面観音としてまつられていたが、平成2年の修理の際、当初は観音菩薩像であったと判明。頭頂の化仏を取り除き、当初の形に戻された。

2)龍澤寺(北区)ご本尊は宝冠観音菩薩像 室町


3) 安楽寺(北区大森東町)

周山の登り口にある、小野という集落に安楽寺はある。文徳天皇の第一皇子惟喬親王が隠棲したと伝わる場所に立つお堂に、古仏がまつられる。

薬師如来坐像 平安前期 市指定 114.7cm 檜材 一木造り
如来立像 平安前期 市指定 161.2cm 檜材 一木造り
僧形坐像 平安前期 市指定 59.3cm 檜材 一木造り 
天部像 平安前期 市指定 102.2cm 檜材 一木造り

4) 福徳寺(京都市右京区下中町)

薬師如来坐像 平安後期 重文
二天像 平安後期 重文
薬師如来坐像 市指定
地蔵菩薩立像 市指定
如来立像 市指定
阿弥陀如来坐像 市指定(平安中期?)
如来坐像 市指定
かすみ桜

間近で拝ませていただきました。写真は福徳寺リーフレットより
福徳寺リーフレットより

5) 宝泉寺(右京区京北下熊野町

阿弥陀如来坐像 平安後期 市指定
二天像 平安
明智光秀ゆかりの不動明王坐像

6) 慈眼寺釈迦堂(右京区周山町)

黒塗り明智光秀像(くろみつ大雄尊) 市指定 墨で黒く塗り潰し、光秀像を守った。丹波に行くと、光秀は善政の人として今も尊敬されているように感じる。
釈迦如来坐像
文殊菩薩騎獅像
釈迦堂本尊烏枢沙摩明王秘仏

慈眼寺釈迦堂。写真は慈眼寺リーフレットより
お寺で有償頒布の写真より。目力の強い、凛々しい光秀像

7) 常照皇寺(右京区京北井戸町)

阿弥陀三尊 重文
阿弥陀如来51.3cm 観音勢至43.9cm
院政期の来迎像で「これほどの動きと臨場感のある例は珍しい」(『院政期の仏像』1991年より)

8) 遣迎院(北区)

阿弥陀如来立像 快慶 重文
釈迦如来立像 重文
発遣の釈迦と来迎の弥陀が並び立つ 。阿弥陀如来像は快慶の初期の傑作。憧れの遣迎院は4月8日のみ公開。

9) 神光院(北区)

如来立像 平安前期
地蔵菩薩立像 鎌倉
十一面観音菩薩立像 平安 他
上賀茂神社神宮寺におられた薬師如来立像がすごいと聞いていたのだが、神宮寺本尊だったという十一面観音立像もインパクトあって震えた。そして、その横の地蔵菩薩立像が見事な鎌倉仏で驚いた。薬師如来立像は上記安楽寺如来立像ににていた。



【拝観情報】

遣迎院は毎年4/8のみのご開帳。ガラス越しだが、明るくよく拝める。撮影も可能。
・福徳寺は事前にお電話で予約が必要。撮影は不可。
安楽寺は近くのオオモリ・サンバレイに問い合わせ。オオモリ・サンバレイはお食事処だそうなので、お食事とセットでぜひ。
・桜本寺は近くの龍澤寺が管理。事前にお願いする必要あり。
・慈眼寺釈迦堂は土日と月曜は予約なしで拝観可能。それ以外は予約が必要。
・なお、今回は予定が合わなかったが、鳥居構造改善センターの千手観音像は京都市文化財課から管理者につないでいただける。
・また、福徳寺の近く、平安の増長天(重文)や鎌倉仏(市指定)をまつるお寺様は無住となり、拝観への対応はされておられない。一部ネットに春秋の彼岸が望ましいと書いてあったが、その時期でも難しいとのことで、残念でならない。
・同じく京北地区の薬師寺は12月8日にご開帳とHPに記載あり(年末多忙期ではないか…。どうする!)。
阿弥陀部として拝観希望していたお寺様は一般拝観は一切行っていないとのこと。

貴重な尊像を拝ませていただき、ありがとうございました。予約拝観でお世話になった皆様には、特にお礼を申し上げます。

【福井】二上観音〜愛にあふれる33年に一度のご開帳〜

二上観音堂福井県福井市
十一面観音菩薩立像ご開帳
2023.5.4-5.5

二上観音堂

 福井・文殊山の登山口にある小さな観音堂で、十一面観音菩薩立像が33年ぶりに公開された。

 福井市立郷土歴史博物館に寄託されているにも関わらず、秘仏のため公開されずにきた。福井の秘仏が多数お出ましになった2016年「福井の仏像」展の時も、この二上の観音様だけは写真パネルでの展示となっていた。

 つまり、ご開帳は33年に一度というルールをひたすらに守り続けておられるのである。

 今回、この2日間のためだけに、観音堂にお像がお戻りになった。さらに、大きな幟を立て、資料を用意し、参拝者の便宜のために足場まで設けてくださった。繰り返すが、たった2日間のためだけに、ここまで準備されたのである。在所でお守りされる小さな観音堂には、大きな愛があふれていた! 

 そして、驚いたことに、関東や関西から仏像好きのお友達が次々と集まってきた。「あー、◯◯さん!」という感じで、もはや同窓会のような状態に。

 初日5月4日の午後にNHK福井のニュースで取り上げられたそうで、2日目の今日はさらに多くの方々がお参りされることだろう。

古仏とパイナップル

【十一面観音菩薩立像】
 像高180cmほど。檜の一木造り。内刳りなし。重要文化財
 二上には、奈良東大寺の初期の荘園(糞置荘)が置かれていたことから、この観音像の制作時期を8世紀半ばとする説もあり、今回のご開帳時に配布される資料にもそう書かれていた。
 一方、文化庁のサイト文化遺産データベース
では、広島の龍華寺の十一面観音菩薩立像と和歌山の慈尊院弥勒仏坐像を引き合いにしたうえで、二上観音像を10世紀初めの作と説明する。いずれにしても、大変貴重な古仏の尊像であることに間違いない。 

左右の眉がつながる(連眉)。大きな耳。若々しい胸の筋肉。左肩から右脇腹に垂れる衣のやわらかさ
この複雑な衣文に惹かれる
膝から下の衣文もしびれる

【奈良】【展覧会】不退寺聖観音菩薩立像〜観音さま、おリボンが〜

特別公開 不退寺聖観音菩薩立像
2023/3/21(火)~5/14(日)
奈良国立博物館(なら仏像館 第7室)

 奈良佐保路、不退寺。平安時代歌人在原業平が開いたと伝わる古刹のご本尊は、業平自らが刻んだとされる聖観音立像。胡粉を塗った白いお姿とお顔の両側の大きなリボンが印象的で、美男子だった業平自身か、業平の理想の女性を彫ったものではないかと言われている。

 というか、今となっては、「言われていた」と過去形にせざるをえない…。

この大きなおリボンがアイコンだった…。ああ、どなたですか、こんな素敵なおリボンを付けたのは…! (写真はいざ奈良より https://nara.jr-central.co.jp/kankou/article/0006/


 というのも、この観音像の保存修理が終わり、奈良国立博物館で特別公開されているのだが、ご覧のとおり、おリボンが取り外されているからだ。

保存修理が終わり、なら仏像館で特別公開中の不退寺本尊聖観音菩薩さま。おリボンが取り外されている(筆者撮影)

 不退寺聖観音像は、文化庁所蔵で奈良博寄託の観音立像ともともと一対だったことが近年の調査で判明したそうで、この両像が並んで展示されている。それがこの展示の最大の見どころである。

文化庁所蔵となった菩薩さま。のどかでお優しいこのお姿からは想像しがたいが、奈良→東京→軽井沢→奈良と流転の過去をもつ(写真はhttps://www.narahaku.go.jp/exhibition/usual/202302_mei_futaiji/より)

 両像は像高がほぼ同じで、腰の捻りが左右対称。さらに、三重の渦を巻いて髪の毛が耳にかかるところや、天冠台の模様、両足裾の表現などが酷似する。三尊像の両脇侍として造られたのであろう。

 もともと一対であったはずなのに、本尊としてまつられてきた不退寺像と文化庁像の運命は異なっていた。文化庁像は東京の美術館の所蔵となったあと、軽井沢へ。その後、文化庁が買い上げて、奈良国立博物館に寄託されたという経歴をもつ。最近は奈良博第7室の常連であるので、私は何度もお会いしているのだが、こののんびりとした穏やかな観音様がそんな流転の像だとは思いもよらなかった。

 離れ離れになった一対の像が今、奈良博で再会を果たしている。感動の再会である。詳しい解説もあり、知的好奇心もかき立てられる。

 しかし、しかし、である。どうしても気になってしまうのは、不退寺像のおリボンである。今の不退寺像には、あのアイコニックなおリボンがない。

 私が最初に不退寺の聖観音像にお会いしたのが20年ほど前。その時からずっと、おリボンの観音様だと刷り込まれてしまっている。なんとも不安でしかたない! 古参の仏像ファンの皆様はどんな思いでおられるのだろう…。

www.narahaku.go.jp

【京都】ついに上徳寺阿弥陀如来立像を間近で拝む! 

 「令和5年新指定国宝・重要文化財展」(東京国立博物館)にて、憧れの上徳寺阿弥陀如来を拝む!! 生身信仰の阿弥陀仏は王子様だった!!

上徳寺で見入ってしまった新聞記事

1) 憧れの阿弥陀仏

 あれは2017年の春。朝早く、京都市内のお寺様の前を通り過ぎた。寺内に掲示された新聞記事(↑)によると、な、なんと、市の文化財に指定されたばかりの阿弥陀如来様がおられるという。なになに、ふむふむ。記事を読めば読むほど、お会いしたくなるではないか。お寺の前で15分ぐらい逡巡し、思い切ってお寺の呼び鈴を鳴らし、拝観のお願いしてみた。残念ながら、あっけなく断られた。”突然ピンポン”は失礼なのだから、致し方ない。非礼を詫びるしかなかった。そもそも、ご本尊阿弥陀如来様は非公開で、一般の拝観には対応していないとのことだった。

 それが上徳寺のご本尊阿弥陀如来立像との出会いだった。

 翌年の秋、京都浄土宗寺院公開があり、再訪した。ところが、公開と銘打ってはいたものの、実際に訪ねてみると、堂外から遠目にお姿をのぞくことしかできなかった。いつもの野鳥観察用の双眼鏡を取り出し、うつむいた穏やかなご尊顔をかろうじて拝することができた…。ありがたかった…。しかし…

2) 率直な感想「目の前に阿弥陀界の貴公子が!」

 しかし、できればいつか間近で拝観したい…。そう思って機会を伺っていたところ、突然に朗報がもたらされた。国の重要文化財に指定されたことから、東京国立博物館で展示されるというのである!

 喜び勇んで、出かけてみると、想像を大幅に上回る美しさだった!

 生身信仰の阿弥陀如来はぬるっとした感じの像が多いように思うのだが、こちらはシュッとして、まるで王子様のようではないか!!

 この喜びと感動を大声で表現したかったが、博物館でそんなことができるはずもない。代わりに、現地でノートにかきなぐったのが、以下の内容である。

上徳寺阿弥陀如来さま! 写真は京都市文化観光資源保護財団のサイトより

上徳寺 阿弥陀如来立像
像高97.3cm
鎌倉時代13世紀前半

 丁寧に積み上げられた螺髪の下に、つるっつるっのお肌の美しいご尊顔
 頬はふっくらと優しい線を描く。
 柔らかくほわっと彫り出したの下には、少しだけ目尻を上げた理知的な両眼が斜め下を見据えている。
 鼻筋の通った整った鼻。
 その下の小さな口は、わずかに開いて、何かを語りかけてきそうだ。唇を水晶で表す玉唇という手法が取られているという。ただ、下から見上げても、左右から凝視してみても、水晶らしき光は見当たらなかった。このため、残念ながら、玉唇を持つトーハクの菩薩像のような、濡れたような生々しさは感じられなかった。それでも、そこには、静かにすぼめた上品なお口があった。(照明の工夫があれば、玉唇はもっとわかりやすかったのではないだろうか)

 両手は通常の阿弥陀如来とは異なり、右手を下に、左手を上げる。いわゆる逆手の阿弥陀仏だ。左手は手首を上に指を少し下に向け、親指と人差し指の先をそっとふわっと合わせる。
 通肩である。そして、胸から下腹部へ下りる衣文は、静謐なご尊顔とは異なり、激しく、ドラマチックだ。胸元の衣はU字型で、それが同心円状に太く激しく下へと伸びる。そして、その流れは膝下へと向かうにつれ、穏やかになっていく。
 小さな足がすっぽり収まる程度の小さめの蓮台に立つ。全身はすっと前に傾く。左右両側面から見る衣文は激しすぎず、かと言って、単調ではなく、阿弥陀仏の気品を引き立てている。  

 …と、ここで私のメモは終わっている。頭から足元まで順に拝観していったことがわかる。行間には♡マークが飛び散っている。

3) 真面目に解説読む!

 ♡♡のお目目での拝観をいったん終了し、今度は真面目に解説を読み、勉強する。(参考資料は末尾に記載)

阿弥陀如来立像のいわれ

 上徳寺は慶長8年(1603)年、徳川家康によって建立され、側室の阿茶局を開基とする。『塩竃山上徳寺本尊縁起』(宝暦9年(1759))によれば、本尊である木造阿弥陀如来立像は、家康が鞭崎(むちさき)八幡宮(現在の滋賀県草津市矢橋)から招来したとされる。
 後鳥羽天皇の時代、木曾義仲による進軍に苦しむ近江の国主が八幡宮に参籠して祈ったところ、八幡神があらわれ、西方極楽浄土の教主である我を彫刻するよう告げた。国主は仏工安阿弥(つまり快慶さん)を呼び、安阿弥も八幡宮に参籠したところ、光明の中に西方の三尊があらわれ、これを写して彫刻した。人々は歓喜し、再びこの地が治まった。時を経て、慶長8年、徳川家康が鞭崎八幡宮に参詣した際にこの縁起を聞き、中尊を乞い求めて上徳寺に寄付をした。感動的な伝承である!

生身信仰の表現

 一方、彫刻史の観点からみると、本像の制作年代は上記の伝承とは異なり、木曾義仲より後の時代と考えられている。播磨の浄土寺と同様、右手を下に、左手を上にした、いわゆる逆手の阿弥陀如来であることなどから、宋代絵画の影響を受けた、鎌倉時代、13世紀前半の作とみられている。
 さらに、特徴的なのは、生身信仰の表現である。上記のように、朱を塗った唇の上に水晶を嵌める、玉唇の手法だけではない。螺髪の一つ一つが金属製の釘で留められている。また、脚下の構造をみると、衣に隠れて見えない足首から膝下までが造り出されており、それを像底にあけた孔に深く差し込む形となっている。こうした表現は、阿弥陀如来をより現実的な形で現れたものとしたもので、生身信仰を背景としたものとみられる。

拝観案内

上徳寺(世継地蔵)
京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556
上記の通り非公開と聞いていたが、仏友さん情報によると、東京国立博物館からお戻り後、外陣から拝観可能のこともあるらしい。ただ、観光寺院ではないので、事前にお寺様に確認されたい。
上徳寺|【京都市公式】京都観光Navi

【展覧会】新指定国宝・重要文化財展2023/1/31-2/19@東京国立博物館

上徳寺阿弥陀如来立像にお会いできて感激いたしました

東京国立博物館「新指定国宝・重要文化財展」2023/1/31-2/19

上徳寺の阿弥陀さま!!!

 4年ぶりの新指定文化財展!!
 会場規模はかなり小さめだったが、前からお会いしたかった上徳寺(京都市)の阿弥陀如来様にお会いできて、ありがたかった。
 思い起こせば、2017年春、上徳寺の前を通った際、ご本尊阿弥陀如来立像が京都市文化財に指定されたことを伝える新聞記事が掲示されていた。唇に水晶を当てる特殊な生身信仰のお像と知り、すぐに拝観のお願いをするも、基本的に非公開のため対応できないとのことだった。翌年、京都の浄土宗寺院公開の日に再訪したのだが、かなり遠目からの拝観だった(泣)。
 今回、念願かなっての間近での拝顔となった! 
 生身信仰の阿弥陀仏は生々しい感じがしたりするのだが、上徳寺の阿弥陀様はご尊顔が穏やかで、まるで貴公子のようだった! 阿弥陀様は紫雲に乗って来迎されるのだが、上徳寺の尊像は白馬に乗った王子様のようだった! 本当に素敵だった! 上徳寺さま、ありがとうございました!!

新指定文化財の彫刻部門(仏像と神像)は以下のとおり!

上徳寺 阿弥陀如来立像(京都市
 鎌倉 玉唇 善派か
聞名寺 阿弥陀三尊像(京都市 
 鎌倉 行快の作(京博の一遍上人展以来の拝観、感涙いたしました)
乙訓寺 十一面観音菩薩立(京都府長岡京市
 文永5年(1268)7月18日、一日造立仏。後期はその旨の記載のある胎内文書も合わせて展示
 写真よりずっと素敵な観音様でした! 一日造立という思いの強さに心打たれます!
観音寺 不動明王立像(京都府福知山市
 小さいけれど、かっこよかった! 
丹生川上神社 神像(奈良県東吉野村
 前期は主祭神罔象女神(みづほのめのかみ)と女神坐像(その1)。後期は罔象女神のほか、一具と見られる男神像、女神像および童子
瀧山寺 日光月光菩薩十二神将(愛知県岡崎市 
 展示は前期に十二神将一体のみ
 瀧山寺の本堂でお会いしたことがあります! 勢ぞろいのところをまた拝みにいきたいです!

【群馬】徳川発祥の地、太田市世良田、長楽寺で大きな三世仏を拝む

長楽寺(群馬県太田市世良田)三仏堂の三世仏

 群馬県太田市世良田。東関最初禅窟であり、兼学の寺として栄えた長楽寺は、徳川氏発祥の地でもある。その広い境内に坐しておられる、大きな三世仏を訪ねた。

長楽寺三仏堂内陣に丈六の三世仏

 釈迦如来(過去)、阿弥陀如来(現在)、弥勒菩薩(未来)の三世仏。像高2m超の大きな丈六仏がゆったりと坐していらっしゃった。

 三仏堂内、向かって右から
釈迦如来(過去)像高2.20m
阿弥陀如来(現在)像高2.53m
弥勒菩薩(未来)像高2.24m
(県指定文化財

向かって一番右、釈迦如来坐像
中央、阿弥陀如来坐像。頭部が大きめで、おおらかな印象
一番左、弥勒菩薩坐像。釈迦如来像と似て、キリリとした正統派の印象

 数年前、群馬県立歴史博物館「大新田氏」展で、新田氏のふるさとである太田市に興味をもった。その文化財を調べる中で出会ったのが、こちらの世良田の丈六仏である。

 事前にお電話で拝観のお願いをして訪れると、住職様がお堂を開けて待っていてくださった。

 おそれおおく、ありがたい。

三仏はいずれも寄木造り玉眼の漆塗金泥仕上げの坐像で、昭和59年から60年の三仏堂修理の際、釈迦如来の胎内から寛文10年(1670)の銘札が見つかっている。

 現在の三仏堂は三代目のお堂で、慶安4年(1651)3代将軍徳川家光の命により再建された。住職様によると、その建立に合わせて、釈迦如来像と弥勒菩薩が造られたのではないかとのこと。

太田市のホームページより

 また、中尊の阿弥陀如来だけ漆の成分が違うことも調査でわかったそうで、阿弥陀様だけさらに200年ほど遡る可能性があるのだという。二代目の三仏堂から引き継いだお像ではないかとのことだった。

 近くでよく見ると、釈迦如来様と弥勒菩薩様はきりりとした正統派の印象なのに対し、阿弥陀如来様は頭部が大きめで、衣文の流れなども大らかなように感じた。

 阿弥陀如来様は元々大きな台座に坐しておられたと考えら、下から見上げた時のバランスを考えて頭部が大きめになっていたのだろう。つまり、二代目の三仏堂は三代目のそれよりも規模が大きかったと考えられる。

この角度から見ると確かに、阿弥陀様は天井ぎりぎりな感じで座っておられる!

 それにしても、熊谷の平戸の大仏といい、江戸時代の大きなお仏像は、拝観者を大きく包み込んでくれるようだ。あたたかな包容力に身を委ねて、じっくり見上げたい。

 三仏堂は基本的に非公開だが、時々ボランティアの方の案内により公開しているのだそう。次はそうした機会を利用して、もっとゆっくり世良田を散策したい!

Everything will be all right! という阿弥陀様のサイン♡

【拝観案内】

世良田山長楽寺天台宗
新田氏の祖新田義重の子、徳川(新田)義季が、臨済宗開祖栄西の高弟栄朝を開山として、承久3年(1221)に創建した「東関最初禅窟」。約6万坪の境内に塔頭寺院が並ぶ、三宗兼学の寺として栄え、室町時代初期には日本五山十刹の第7位となるも、新田氏の衰退とともに荒廃。天正18年(1590)関東の地を与えられた徳川家康は、祖先開基の寺である長楽寺の再興を天海大僧正に当たらせる。天海により臨済宗から天台宗に改宗。世良田東照宮が境内に建立され、明治初めまでその別当寺だった。広い境内と豊富な文化財からその歴史が偲ばれる。
三仏堂は普段は閉まっており、時々ボランティアの方の案内により公開。
公式HP  世良田山 長楽寺 | 天台宗準別格大寺

長楽寺三仏堂(県指定文化財

【参考資料】

太田市文化財課サイト
長楽寺の概要と関連する指定文化財一覧 - 太田市ホームページ(文化財課) ←長楽寺の豊富な文化財の数々はこちらから
長楽寺三仏堂三尊仏 - 太田市ホームページ(文化財課) ←三世仏に関する説明はこちらから。上記の銘文の表はこのサイトより引用
〇境内の看板

【滋賀】正福寺(甲賀市)秘仏十一面観音菩薩立像〜霊木を感じる〜


正福寺(滋賀県甲賀市臨済宗妙心寺派

滋賀県甲賀市の正福寺。聖徳太子開基と伝え、平安以降は天台宗寺院として栄えた。1572年元亀・天正の乱で七堂伽藍を焼失するも、江戸時代初期、寛文年間に、実堂大和尚により臨済宗妙心寺派として再興。
令和の今、正福寺の禅寺らしい静謐な境内に、天台宗だった頃の貴重な平安仏が残る。特に、秘仏十一面観音菩薩立像は、霊木から現れたかのような尊いお姿で、とてつもなく引き込まれてしまった。木の中にみほとけを感じられた時代にのみ彫り出すことができる尊像だと思う。可愛らしくも、神々しい。神々しいのに、可愛らしい。私にはとんでもなく魅力的なのだ。毎年8月10日午前中に拝観できる。2022年に続き、2023年もお参りしてきたので、少し追記のうえ、再投稿する(2023.8.12)

ご本尊十一面観音菩薩立像(秘仏

像高126cm/平安/重文
ふっくらとした穏やかなご尊顔。浅い衣文。正面にから拝すると細身で、胸の辺りに木芯のようなものが見える。頭頂とその下に一列に並ぶ化仏まで一木で彫り出していると伺った。平安後期の作とされながらも、古様で、霊木を活かしたように感じる。隠れ里のような場所の静かな古寺には、厨子の中に霊力を閉じ込めているような秘仏がおられるものだ。
千日会の8月10日午前中にご開帳だが、膝から下は隠れて見えない。33年に一度の本開帳の時のみ全身を拝めるのだそうだ。10年後ぐらいに中開帳があるかもとお寺様はおっしゃっていた。機会があればまた拝観したい。

釈迦如来坐像

像高140cm/平安/重文
穏やかで気品あふれる。お身体は思いのほかどっしり。寄木造り。彫眼。定印を結ぶ。足元の衣文は同心円上に流れる。後補は少ない。

地蔵菩薩坐像

像高159cm/平安/市指定
寄木造り。彫眼。左手に錫杖、右手に宝珠。
秘仏十一面観音の両脇に、これだけの大きさの立派な釈迦如来坐像と地蔵菩薩坐像がおられる。みほとけの力があふれる本堂をぜひお参りいただきたい。


金剛力士

像高約197.6cm/平安/県指定


平安後期の仁王さん。欅の一木造りで内刳りなし。像高197.6cm。平安の仁王さんは珍しいと思うのだが、それでも県下3番目の古さとは。近年の保存修理を経て、2022年に仁王門に戻られ、2023年に文化財指定が市指定から県指定へ変更された。

以下は2022年拝観時のTwitter投稿

【京都】東福寺の仏像~近畿文化会の臨地講座にて非公開の仏像を拝む~

 2022年2月、近畿文化会の臨地講座「東福寺の仏像」に参加。時折雪の舞い散る中、龍谷大学の神田政章先生の解説のもと、東福寺に残る多くの仏像を拝観させていただいた。「京都冬の旅」で公開中だった法堂と三門に加えて、普段非公開の光明宝殿、国宝龍吟庵、永明院、南明院などを参拝。平安以降の仏像や頂相など、多様な尊像を拝ませていただいた。

 「東福寺に仏像? 紅葉ではなく?」と思う方もおられるかと。東福寺といえば、通天橋の紅葉。そして、明兆の涅槃図や堂本印象の天井の蒼雲龍図が有名だ。

 しかし、実は、仏像の宝庫だったのである! その理由として、創建時の東福寺が禅、真言、天台の三宗兼学の道場だったこと、また、法性寺や万寿寺、三聖寺の仏像が残ることを神田先生は指摘された。度重なる火災で失われた宝物も多いが、残されたものも多いのだった。

 以下、神田先生が近畿文化会の会報に寄せられた論文と当日の解説内容をぎゅぎゅっとまとめて、自らの復習としたい。

東福寺とは】

 京都五山の一つ。臨済宗東福寺派大本山。嘉禎2年(1236)、摂政九条(藤原)道家が法性寺の寺地に新たに寺院の建立を発願。寺号は南都の東大寺興福寺からそれぞれ一字を取り、大寺の造営を目指した。寛元元年(1243)、円爾弁円(聖一国師 1302-80)を開山に迎え、建長7年(1255)に仏殿が落慶。五丈の釈迦如来像を中尊とし、二丈五尺の観音・弥勒菩薩像を脇侍とする。その大きさから「新大仏」と呼ばれた。文永10年(1273)大伽藍が完成。禅僧だけなく、天台・真言僧もおく、三宗兼学の道場として栄えた。
 14世紀に3度にわたり火災があり、創建時の伽藍は灰燼に帰すが、貞和3年(1347)に前関白の一条経通が仏殿を再興。さらに足利義持豊臣秀吉徳川家康などによって伽藍は堅持された。明治14年に仏殿と法堂が焼失。昭和9年に、仏殿と法堂を兼ねた現在の本堂が完成。

【本堂(法堂)】

・釈迦如来及び迦葉・阿難尊者立像
 重要文化財 釈迦263.5cm、迦葉189.0cm、阿難193.08cm
 旧塔頭の三聖寺(さんしょうじ)仏殿の本尊で、明治の復興時に東福寺へ。釈迦如来立像は宋風で、泉涌寺塔頭戒光寺の釈迦如来立像(重文 540cm)と類似する。ゆったりと伸ばした左手の表現など戒光寺像のほうが宋風が顕著で、東福寺像は幾分和様化が認められる。
・四天王立像(鎌倉時代
 多聞天は他の三像よりも古く、鎌倉前期に遡る慶派の優品。四天王像は修理中で拝観できず、残念。
・仏手(木造漆箔 全長216.5cm
 罹災した東福寺大仏の片手。法堂の端に安置

伽藍神像4躯 像高1m余 立像で筆と巻子をもつ感応使者像は像内墨書から嘉吉元年(1441)、四条高倉に仏所を構える定祐の作と判明。
梵天と帝釈の椅像 院派の作風を示す南北朝の作
愛染明王
・堂本印象による天井の蒼雲龍図(実は泣き龍だそう)と、毎年涅槃会(3/14-16)に掲げられる明兆の涅槃図が有名。

普段は本堂の右手に安置される仏手。旧本尊釈迦如来坐像の左手で、膝の上で与願印を結んでいた。写真は東福寺展(2023年東京国立博物館)にて撮影

【愛染堂】

愛染明王像 未調査だが鎌倉時代とみられるとのこと。堂外からの拝観だったが、堂内照明によりよく見えた。

【三門】

 元応元年の罹災後に再建。禅宗の三門として最古。扁額「妙雲閣」は足利義持の揮毫で、応永32年(1425)の墨書あり。楼上の中央に宝冠釈迦如来坐像、その左右に善財童子と月蓋長者、十六羅漢像が並ぶ。天井や梁、柱には画僧吉山明兆(きっそんみんちょう)(1352‐1431)とその弟子らにより迦陵頻伽や宝相華文が描かれる。
・釈迦如来坐像 像高150.4cm 南北朝時代の院派の作風だが、肉付きや衣の厚みが増し、院吉や院広など14世紀の院派仏師の作風とは異なることから、三門再建時15世紀の作とみられる。等身大の十六羅漢像は釈迦如来像と一具の可能性も考えられ、それであれば十六羅漢が一具として伝わる我が国最古の例。善財童子と月蓋長者は本来観音菩薩の脇侍であるので、この釈迦如来像が観音菩薩とみなされていた時期があると考えられる。

【光明宝殿】

光明宝殿には、東福寺の伽藍伝来、旧法性寺関連、万寿寺伝来および三聖寺(さんしょうじ)伝来の仏像が安置される。

万寿寺と三聖寺の歴史] 
六条御堂(白河天皇が永長元年(1096)、皇女郁芳門院の追善のために創建。鎌倉時代法然の弟子、湛空→十地覚空が住持)→正嘉年間(1257-59)に十地覚空と弟子の東山湛照が東福寺円爾弁円に帰依して臨済宗に改宗し、万寿禅寺となる→室町時代京都五山→永享6年(1413)火災、天正年間に三聖寺(十地覚空と東山湛照が開基)の隣地に移転→明治6年(1873)に三聖寺が万寿寺に合併

阿弥陀如来坐像 像高283.0cm 重要文化財 
 白河天皇が皇女郁芳門院の追善のために建立した六条御堂の本尊とする説と、永万元年(1165)に九条忠通の追善のために建立された法性寺浄光明院の本尊とする説がある。平等院阿弥陀如来坐像(国宝 像高277.2cm 天喜元年1053)と同じく、丈六で弥陀定印を結び、結跏趺坐する。平等院像より伏し目で、肉取りがやや単調で総じて硬い。像内の全面に漆箔あり。院政期の像内漆箔の例として、保延5年(1139)頃の鳥羽上皇ゆかりの安楽寿院の阿弥陀如来坐像(重要文化財 像高87.6cm)がある。

金剛力士像 重要文化財 像高 阿形203.0cm 吽形207.3cm
 万寿寺伝来の像。木造彩色で玉眼嵌入。阿吽の左右が通常の配置と異なる(東大寺南大門と同じ)。

・二天王立像 重要文化財 像高 阿形336.8cm、吽形332.5cm
 三聖寺の二天門に伝わり、明徳2年(1391)焼失したものの再興像とされる。『東福寺誌』は天文11年(1542)に仏師康秀が三聖寺中門に持国天増長天を制作したと伝えるが、室町彫刻特有の鈍重さを感じさせない躍動感ある力強い彫技から、鎌倉時代に遡る可能性も十分検討に値する。

地蔵菩薩坐像 重要文化財 像高85.2cm
 仏殿に伝わったが、詳しい伝来は不明。鎌倉前期の様式だが、総じて保守的な作風をみせ、慶派とは別の系統の仏師によるとみられる。

・僧形坐像 重要文化財 像高82.8cm
 ほかの肖像彫刻とともに禅堂に伝わる。合掌して坐す僧形像。鎌倉前期。

・傅大士(ふだいし)及び二童子像 鎌倉~南北朝
 京都の大報恩寺に伝わる応永25年(1418)院隆作の像(重要文化財 像高各約70cm)より古く、傅大士の最古級の作例とみられる。

【永明院(ようめいいん)】

・円鑑禅師坐像 重要文化財 像高70.3cm
 丸顔で目じりを下げる。量感豊かな貫禄ある姿。像内の経巻の包み紙に正和5年(1316)の墨書があることから、円鑑禅師の七回忌にあわせた造像と推定。
・大道和尚坐像 重要文化財 像高74.8cm
 円鑑禅師像の左隣に安置。大道順空(1292-1370)は東福寺第28世で、明兆の師。寄木の木彫像に塑土を盛りつける。やや目じりを挙げて、「へ」の字に口を結ぶ。
・釈迦如来坐像 重要文化財 像高53.5cm
 円鑑禅師像の右隣に安置。宝冠釈迦如来坐像。像底の銘文より元享4年(1324)に西園寺大仏師法印性慶が永明庵本尊として造立したことが判明。性慶の他の作例として、志那神社(滋賀県草津市志那町)普賢菩薩坐像(建武元年、像高44.5c)など、三例が知られる。端正な表情で、頭体の比例は整い、なで肩で力みがなく、衣の折り畳みを装飾的に随所に表すなど、作風はまとまりのよい洗練さをみせる。

【南明院(なんめいいん)】

・本尊釈迦如来坐像 東福寺大仏の化仏の一つだったとされる。大正時代に火災に遭い、化仏の一つを譲り受け、本尊とした。その際の修復により現状は金ぴか。大きな化仏から、今はなき東福寺大仏の威容を想像する機会がいただけてありがたかった。

東福寺旧本尊の光背化仏だったとみられる釈迦如来坐像。今は塔頭南明院のご本尊である尊像の向こうに、焼け残った旧本尊の左手を仰ぐ。写真は東福寺展(東京国立博物館2023年)にて
南明院ご本尊。写真は東福寺展(東京国立博物館2023年)にて撮影

【龍吟庵】

・無関普門(大明国師1212-91)像

【同聚院】

※閉堂中のため、解説のみ
康尚の不動明王坐像(重要文化財 像高265.1cm)
左耳前に垂れる辮髪に結節がないのは、智証大師円珍請来の図像と一致。頭上に頂蓮ではなく沙髻を表し、腰にベルト状のものを着ける。

六波羅門】

 大きな三門のすぐそばの小さな門。この一見何でもない小さな門が六波羅探題のものを移築したと聞き、京都の奥深さに坂東武者の私は恐れ入った。

 最後に、今回の行き先に入っていなかった、東福寺塔頭の勝林寺の諸仏像を私はお勧めしたい。毎年紅葉の時期に公開があり、特に、夜間拝観がお勧めである。

参考文献

『近畿文化』855号(2021年2月)神田政章「東福寺の仏像」

達身寺クラファンに協力しませんか

達身寺クラファンに協力して
達身寺を自分の心に留めませんか

readyfor.jp

 数多くの仏像をおまつりする丹波正倉院、達身寺様(兵庫県丹波市)が、茅葺き屋根の修復費1600万円のうち、800万円をクラウドファンディングで募っています。all or nothing 方式のため、今月中にあと160万集まらなければ、成立しない状況です。

 しみじみ思うのですが、法隆寺聖林寺など超有名なお寺はあっという間に目標額を達成されるのに対し、それほど知られていないお寺は苦戦されることがあります。無名なお寺にとんでもない仏像や仏画などの文化財が伝えられていることを忘れてはいませんか。忘れてしまってよいのでしょうか。

 まずは達身寺さんのクラウドファンディングのサイトをのぞいてみてください。見事な仏像群の写真をご覧ください。一緒に協力しませんか。一人が100万寄付するよりも、多くの人が少しずつ参加して達身寺様を心に留めることに意味があると私は思うのです。


※過去参拝時のツィートです

【滋賀】岩間寺秘仏本尊千手観音ご開帳

岩間寺開山1300年記念
秘仏本尊千手観音ご開帳
2022/10/15-12/4

ご開帳のパンフと御朱印。写真右、散華の写真はお前立像

 岩間寺では、お寺の創建とご本尊を以下のように伝える。
「養老六年元正天皇の病気平癒祈願 を成満した泰澄は、同年、加賀白山を開く途上、霊地を求め岩間山を訪れた折、桂の大樹より千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその胎内に納め祀りご本尊とした」
 現在の秘仏元正天皇ご念持仏と伝わる15センチほどの金銅仏である。泰澄が刻んだという、桂の等身大の木彫仏は現存しない。創建時とされる養老6年は722年。元正天皇天武天皇9年(680)生まれで、天皇在位は715年から724年。いずれにしても、古いいわれのある尊像に違いない。
 小さな千手観音立像であるが、ほどよく照明が当たり、しっかりとお姿を拝むことができた。双眼鏡・単眼鏡は持っていったほうがよい。元正天皇ご念持仏を間近で拝めるとは、なんたる幸せだろう。
 本尊脇侍の婆藪仙人、吉祥天、そして前立観音様の並びも好き。本堂内の十一面観音立像、地蔵菩薩立像、そして不動堂の薬師如来坐像など、文化財クラスの平安仏が特に能書きもなくまつられているので、行かれる方はどうかお見逃しなきよう。(お時間あれば、以下の過去記事をご参考になさってくださいませ)

【追記】36歳で天皇即位したプリンセスの物語をいつかディズニー映画で拝見したいものだ。その際、きっとこの金銅仏が守護神のように活躍するに違いない。さながらラプンツェルにとってのパスカルのように、女帝の冒険を支えるお供であってほしい...(実は私はかなりのディズニーファンでもあるw)

元正天皇を調べていたら、ラプンツェルを思い出してしまった。ディズニー映画『塔の上のラプンツェル(Tangled)』は仏像ファンに限らずご覧いただきたい名作です

【関連する過去記事】
butsuzodiary.hateblo.jp


【拝観案内】
岩間寺正法寺
大津市石山内畑町82
TEL 077-534-2412
JR琵琶湖線 「石山」 下車 バス 15分 中千町下車徒歩50分
京滋バイパス石山ICから約20分
https://iwama-dera.or.jp/

【滋賀】成菩提院の秘仏本尊十一面観音さま、15年ぶりのご開帳

寂照院成菩提院(滋賀県米原市柏原)
寺宝展 2022/11/3-13

秘仏十一面観音立像(寺宝展ポスターより)
寺宝展開催中のお堂。歴代住職の肖像画が展示されているのが見える

 成菩提院中興開山第一世 貞舜(じょうしゅん)法印の600年御遠忌にあたり、秘仏ご本尊十一面観音菩薩が15年ぶりのご開帳。
 秘仏の十一面観菩薩様は立像で、大きな宮殿の中に不動明王毘沙門天の三尊でまつられる。事前に写真で拝見した時の印象よりもスレンダーで、ややシャープな感じ。平安後期から鎌倉への過渡期の特徴との説明に納得。穏やかなご尊顔で、頭上に十一面の化仏と立像を配する。右足をやや踏み出し、穏やかに腰をひねる。
 十一面観音様の向かって右に不動明王、左に毘沙門天不動明王は束ねた髪を左肩にたらし、両目を大きく見開き、上歯で下唇をかむ。頭上に蓮台あり。毘沙門天は大きく見開いた両眼に惹かれる。不動明王室町時代毘沙門天鎌倉時代の作。お厨子の中の3躯いずれも米原市指定文化財

秘仏三尊の絵が入口横に架けられていた。毘沙門天不動明王の立ち位置は実際にはこの逆だったが、三尊のサイズ感などがよくわかる

 また、聖徳太子1400回忌として絹本著色聖徳太子(重文)も公開。太子16歳の孝養像だが、右手に蓮華、左手に柄香炉を持つ独特なお姿。
戦国武将関連の資料も多く、石田三成十三ヶ条成菩提院村掟書(市指定文化財)などを展示。
 米原は遠いので諦めていたのだが、名古屋から在来線で1時間で行けると知り、急きょお参りした。伊吹山を見上げ、揺れるすすきも眺めてきた。


【拝観案内】
寂照院成菩提院
滋賀県米原市柏原1692
0749-57-1109
成菩提院 | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト