※石山寺からのシャトルバスは毎月17日ではなく、第3日曜に変更になったようです。参拝の前に最新情報をご確認ください!( 22/11/13追記)
湖信会サイト→岩間寺(岩間山正法寺) 湖信会
1) 岩間山正法寺
岩間寺は大津と宇治との間の岩間山(標高445m)の山腹にあり、アクセスが厳しい。毎年17日に石山駅からシャトルバスが出るので、これを利用してお参りした(※22/11/13現在、シャトルバスの運行は毎月第3日曜日)。2020年10月17日、朝から冷たい雨が降っていた。秋雨で霞む山の中に、静かに岩間寺はあった。早朝の山寺の空気を胸いっぱいに吸い込み、堂内へ上がらせていただいた。雨にも関わらず、多くの参拝者が訪れていた。
2) 本堂
2-1) 千手観音と吉祥天・婆藪仙人という組み合わせ
ご本尊(金銅仏)は秘仏で、お前立として、小さめ(60cm?)の千手観音立像をまつる。脇侍が等身大の吉祥天(大弁功徳天)と婆藪仙人で驚いた。千手観音の眷属である二十八部衆の中の二人だ。リアルな表現で、彫刻としても優れていると感じた。
こういうマニアックな尊格が気になるのは、2年前に三十三間堂で二十八部衆の配置替えが行われたことと関係する。三十三間堂では、千体の千手観音の国宝指定を機に二十八部衆の配置を見直し、中央の千手観音坐像(湛慶)の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人がまつられることになったのだった。新たな配置で拝観すると、二十八部衆の一部に過ぎなかった二尊が、一気に表舞台に出たような感覚になる。私は大弁功徳天様びいきなので、なんとも晴れ晴れしい気持ちになった。その一方で、婆藪仙人というおじいちゃまの像と組み合わせられたことに仰天したのだった。二人の関係が気になってしかたない。
そんな二尊が、ここ岩間寺では、千手観音立像との三尊でまつられている。二十八部衆の他のメンバーはおられないようだ。あとで調べてみると、この二尊について、大津市歴史博物館ニュースの記事が見つかった。最初から千手・吉祥天・婆藪仙人の三尊だった可能性も考えうるとのこと。2002年と昔の記事なので、ここにスクショを貼っても許されるだろうか。興味深いのでぜひご一読を。
3) 不動堂
不動護摩供が毎月17日に行われ、不動三尊のお厨子が開く。私が訪れた早朝の時間帯は、不動堂は開いているものの、人はほとんどおらず、以下の仏像をすぐそばで拝観できた。
3-1) 不動明王両童子像(重要文化財)
不動明王 97.6cm 矜羯羅童子66.4cm 制吒迦童子63.4cm 平安中期?
上の写真では全体が黒っぽくてわかりにくいが、お堂で拝観すると、お厨子の中の金色を背景にして、各像の自然な表情が見て取れる。不動明王には赤い火炎光背。二童子は上の写真よりもっと不動明王に近い位置に立つ。
3-2) 薬師如来坐像(大津市文化財)
像高84.5cm 不動明王以外に事前情報がなかったので、これほど穏やかで美しい平安仏がおられるとは知らず、うれしい驚きだった。像の横の説明書きによると、享保年間に完成した『近江輿地志略』に、薬師堂に奉安される薬師如来について記載があり、この像がそれに当たるということだった。何かの理由で薬師堂がなくなり、不動堂に安置されるようになったということなのだろうか。
定印を結んだ両手に薬壺をもつ。この少し変わったポーズが気になる。『大津の文化財』では、両手の肘から先と薬壺は後補のため、当初は釈迦如来か阿弥陀如来として造立された可能性あると指摘する。
阿弥陀様ファンの私としては、もはや阿弥陀如来でよいのでは、と思ってしまう。それほど素敵なのだ。下から見上げると、薬壺を抱えているような感じに見え、その安定感と気品にさらに惹かれる私なのだった。(※阿弥陀如来以外の美しい如来像を拝するとき、私は時々「もはや阿弥陀如来」と申し上げるが、それは最上級の誉め言葉である。その旨ここに申し添えるw)
拝観案内
岩間山正法寺
住所 大津市石山内畑町82
tel 077-534-2412
岩間山正法寺(岩間寺)は養老6年(722) 、加賀の白山を開いた泰澄(たいちょう)法師が元正天皇の病を法力で治したことから、泰澄を開基として建立。寺伝では、泰澄が感得し、自ら刻んだ桂の木の千手観音像を本尊とし、元正天皇の金銅製の念持仏をその胎内に納めたという(寺伝の木彫仏は現存せず)。
毎月17日の午前中、石山駅(JRと京阪)から無料のシャトルバスが出る。私が訪れた2020年10月はコロナ対策も取ってくださっていた。乗る前に手指消毒。そして、バス内の混雑を避けるよう、全員着席したところでバスは出発した。(22/11/13現在、シャトルバス運行は毎月第3日曜)