1) 見知らぬ薬師如来像との出会い!
事前に写真を拝見せず、拝観に伺う…。そんなやんちゃなことを久しぶりに行ってしまった。
ことは某役所へのお電話に始まる。ある古像の拝観についてご相談すべく、お電話したのだった。過疎化などで廃寺となり、地元の方々が管理されているお堂は思いのほか多い。そういう場所の拝観については、まずは、役所に問い合わせるのが鉄則なのである。
結果的に、お目当てのお堂は管理者が高齢のため、個人拝観は不可とのことだった。しかし、それらとは別に、公民館に保管されている鎌倉仏がおられるのだという。
な、なんですと!?
鎌倉仏さまのご尊名を伺うと、薬師如来さまだとおっしゃる。千葉県は不思議と薬師如来が多い。まだおられるんですか、千葉の薬師如来像…
胸がふるえた!
あーー、と、電話口で思わず、息を吐き出したと思う。
そして、続け様に拝観のお願いをした。
希望日を告げると、なんと、拝観させていただけるという。
「公民館」。「鎌倉時代」。「千葉の薬師如来」。
この三つのワードだけで、伺うことを即決したのだった。
逆に言うと、それ以上のことはまったく知らない。電話口で根掘り葉掘り質問したら、もっと教えていただけたのかもしれない。しかし、それはご迷惑だし失礼なような気がして、あえて詳しくは伺わず電話を切った。
とはいえ、その後、ネット検索はしてみた。が、それらしき薬師如来像の情報は出てこなかった。写真はおろか、文字情報さえ出てこない。立像なのか、坐像なのか、それさえもわからないまま、拝観当日を迎えた。
2) 天台薬師様 or 清凉寺式釈迦様 or 一日造立仏?
当日、一抹の不安とそれ以上の大きな期待を胸に、現地に到着した。そして、建物の奥、木製の箱の前まで案内された。
それは、明らかに手作りの、大きな木箱だった。それでも、扉には鍵らしきものが付いている。それをぱんぱんと外し、扉を開けてくださった。
思わず、わーっと声が出てしまった。
突然、目の前に、思いのほか大きな立像が現れたのだ。
端正なご尊顔は静かに目を伏せる。
右腕を曲げて胸の前に掲げ、中指と親指を捻る。左腕は腰の上辺りで曲がり、手のひらを上にして前に出す。手首から先は明らかに後補で、左手が前に突き出ているのか、横向きなのか、わかりにくい。そして、左手には薬壺を持たない。
この左腕の感じだけを見ると、天台根本薬師の系列なのかなぁと思った。しかし、びっくりなのが、頭部である。螺髪ではなく、網目のような形になっている。清凉寺式釈迦如来に見られるもので、薬師如来像では一日造立仏で見かけたことがある。かといって、一日造立仏ほど簡素な造りでもない。うーん、とても不思議な像容だ。
衣文も不思議だ。おへそ辺りから足元に落ちる衣文はシャープに直線状に刻む。その一方で、右脇から左に流れ、下に落ちる衣文は、うねうねして、重い。箱の中に入っているので、腰から下の辺りは見えにくかったが、そんな感じは見て取れた。
うーん、ご尊顔は端正で鎌倉中期? 衣には上記のように重たい部分があることを考えると、もう少し時代がくだるのかなぁ? それが素人の感想だった。
実は、現地に到着してすぐ、専門家によるメモ書きを頂戴していた。改めて読み返すと、こう書かれていた。
〈引用初め〉
構造・彩色: 一木割矧造、頭髪に同心円状の刻線、漆下地金泥塗り様式: 豊満かつバランスのとれた類例の少ない清凉寺式釈迦如来像の一様式
年代: 鎌倉後期
〈引用終わり〉
むむむ、清凉寺式釈迦如来の一様式? そんなのあるのか? 左手が前に出るので、比叡山根本中堂を模した薬師と言えないのか??
こんなふうに様々に考え、悩みながら、拝観させていただいた。
でも、それ以上に、これだけ立派な古像が、小さな木箱に収められていることに心が震えっぱなしだった。
何か事情があるに違いない。
しかし、愛と信仰があるからこそ、ここに安置されているのだろう…
3) もともと安置されていたお堂に泣く!
上記のメモには、この薬師如来像がもともとまつられていたお堂の名前が書かれていた。
Google地図で検索するも、そのお堂の名前は載っていなかった。地名で検索しても出てこない。
うーん、と頭を捻り、あるワードで検索すると、それらしき場所が出てきた! 急きょそちらに向かった。
そこは秘境のような場所だった。
お堂は内陣と外陣とを格子で区切る、立派なもの。しかし、いかんせん、現状はぼろぼろだった。雨風が容易に入り込むよう有様。鎌倉仏を安置するには心もとない。防犯上の心配もある。
そうか。つまりは、この薬師如来立像は公民館へ避難されたのだろう。あの木箱を拝見した瞬間よぎった疑念は確信へ変わった。大切なお像だからこそ、今、別の場所に移られたのだ。大切なお像だからこそ、誰かが木箱を奉納したのだろう。
堂内の格子に、薬師如来像の写真が掲げられていた。その写真を堂外から撮らせていただいた。公民館では撮影禁止だったので、ありがたかった。
在地の皆様は今もこのお写真に手を合わせられるのだろう。そう思うと胸の奥が熱くなった。
4) やはりこれは運命の出会い?
感動の出会いの翌日、とある仏像資料を読み返していた。天台根本薬師に関する記述を読み進めていると、見覚えのあるお像が...。
なんと、あの薬師如来立像だった。
白黒写真なので金泥の感じはわからない。しかし、私が前述した、端正なご尊顔や衣の感じがよくわかるものだった。しかも、拝観時には手ぶらだったのに、この写真では左手に薬壺を持っているではないか。
この仏像資料、だいぶ前から持っていて、何度か読み返していたのにまったく気づかなかった。
もうこれは運命の出会いと呼びたい!
清凉寺式釈迦如来に似た髪型をした薬師如来像。これは清凉寺式と同じく、生身仏を求めたものなのか。そして、天台根本薬師も求めたものなのか。一日造立仏との関りは?
感動のあと、こうした「はて?」「はて?」「はて?」が楽しくてならない。
この不思議な出会いに感謝申し上げたい。本当に本当にありがとうございました。