特別展「東日本大震災復興祈念 悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」
2023/4/11-6/11
東北歴史博物館(宮城県多賀城市)
はからずも会場で泣いた。
震災から12年を経て、東北の地で開催される仏教美術の展覧会は、「苦難に立ち向かった人々の『祈りの形』」を提示するもの。開催趣旨は、「震災から13回忌となる年に開催する本展が今を生きる人々の喜びや,これからの営みの“よすが”となることを切に願う」とうたう。
私は思う。仏像はただの彫刻ではない。そこに祈りがあるから特別なのだ。それをつくらざるをえず、それに祈らざるをえなかった、過去の多くの人々の思いがあるから、尊いのだと。
そして、私は祈りがなければ生きていけない、どうしようもなく弱い人間である。会場で涙がこぼれたのは、提示された諸像が彫刻として優れているからではなく、祈らざるをえないのは私だけではないことを堂々と示してくれたからかもしれない。
特に印象的だった展示について語りたい。
薬師三尊(勝常寺)
勝常寺(福島県湯川村)の薬師如来坐像は、平安初期に徳一菩薩が会津の地につくらせた、とんでもなく美しくて強くて優しいお像。強力な磁石で引き寄せられてしまう。
この薬師さまになぜこんなに惹かれるのか、言葉にするのは難しい。言葉にしようとすればするほど、変人の愛の告白のようになってしまう。今回5回目にお会いして思ったのだ。この薬師さまは、自分の中にある、でも、自分でも気づかずにいた、寂しくて満たされない部分を、優しく強く撫でてくださるのだと。そして、その慈しみで私の欠損を埋めてくださるのだと。。。ダメだ、やっぱり変態の独り言になってしまった。
勝常寺に二度お参りしたが、その時は薬師さまが本堂におられ、両脇侍像は収蔵庫におられた。この展覧会では、三尊お並びのところを拝めた。両脇侍も独特なお姿で、魅了される。眼福という言葉がある。心も幸福で満たされたのだが、心福という言葉はあるのだろうか。
菩薩立像(十八夜観音堂)
勝常寺薬師三尊の横に、スレンダーでかわいらしい観音菩薩像が立っておられた。藤森武の写真で拝見して以来憧れてきた十八夜観音堂(宮城県仙台市)の観音像にやっとお会いできた。カヤの一木造りで、奈良時代の終わり頃に都でつくられたと考えられる。台座まで一木であることなど、大安寺諸像と似ている部分もあるが、全体としてこちらはもっと細身で、かわいらしさが爆発している。小沼神社の観音像とお並びのところをいつか拝見したいと思った。
唐招提寺如来形立像
展覧会の最後、小さなスペースの真ん中に、唐招提寺トルソーが置かれていた。そして、その背後に、2012年以降の3月11日の映像が3つのスクリーンで流される。お顔と手先を失っても奈良時代から変わらず人々の祈りを受け止めてこられたトルソーに、今を生きる人々の祈りが重なる。こみあげる涙を抑えることができなかった。
心を込めて合掌。
※国宝鑑真和尚像の展示はすでに終了(そういえば今日6/6は鑑真和上のご命日。奈良の唐招提寺でこの像が公開される日である)
【参考】
・展覧会公式https://www.thm.pref.miyagi.jp/exhibition/6603/
・十八夜観音堂(仙台市)菩薩立像木造菩薩立像 - 仙台市の指定・登録文化財
・【福島】会津・勝常寺の薬師如来坐像に圧倒される私(トーハクみちのくの仏像展にて) - ぶつぞうな日々 part III