ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【宮城】保昌寺(蔵王町平沢)阿弥陀如来坐像

保昌寺の丈六阿弥陀如来坐像

保昌寺(宮城県蔵王町平沢)
丈六阿弥陀如来坐像
総高379cm 像高288cm 県指定文化財


 仏像というのは多くの人の強い思いで後世に伝えられるものなのだ。そんなことをしみじみ感じる機会をいただいた。

 この阿弥陀如来様はいつの時代のものに見えるだろうか。頭部前面と体幹部前面のみ平安後期の造立時のもので、それ以外は享保3年(1718)に修復したものなのだそうだ。こういう場合、修復という言葉が正しいのかわからない。当初の像を想定して、体部をつくってあげたという感じなのだろう。激しく傷んだ像をなんとか元の美しいお姿に戻してあげたい。そんな当時の人の思いが強く伝わってくる。

 こちらの阿弥陀如来坐像には、艱難辛苦を乗り越えてきた歴史がある。

・平安後期、安養寺の本尊としてまつられた。奥州藤原氏による造立と考えられるそうで、優美な定朝様のお姿であったに違いない。

・しかし、戦国時代の始まる頃に安養寺は火災に遭い、江戸初期まで無住となって、荒れ果ててしまう。

阿弥陀像は享保年間に大幅に修復されるが、その後30年足らずで安養寺は再び焼失。

・明治初めに廃寺となり、本阿弥陀如来像は清立寺の管理下となる。ところが、明治40年阿弥陀堂が倒壊し、阿弥陀像は平沢区民に預けられたあと、保昌寺に遷座

・さらに、戦後に仙台の寺院に貸し出されたあと、返還交渉を経て、昭和47年にやっと保昌寺に戻る。宮城県文化財指定を受けるのは、返還から2年後のことだった。

・2019年、収蔵庫にシロアリ被害を確認。収蔵庫の修理に伴い、2021-2022年にかけて阿弥陀如来坐像は解体保管され、再度組立。

 平等院鳳凰堂阿弥陀如来のように、造立当時のお姿がほぼそのまま残っているのは尊いことだ。しかし、お像自体が壊れても、お堂がなくなっても、その時々の人の手によって守り伝えられてきた保昌寺の阿弥陀如来も、この上なく尊い
 この大きな阿弥陀様のもとで、祈りは続いていく。そう信じている。

【拝観案内】
高田山保昌寺(曹洞宗
阿弥陀如来坐像は本堂横の収納庫に。正面のガラス窓越しに拝観可能。窓を開けてほしい時はお寺に声をかけてくださいとのこと。
https://maps.app.goo.gl/HVtGb1hffwT7mT6S7?g_st=ic

【参考】
曹洞宗高田山 丈六阿弥陀如来座像
https://www.dokitan.com/sitei/03.html
丈六阿弥陀如来坐像 (じょうろく あみだにょらい ざぞう)|寺社・歴史|蔵王町観光物産協会
解体・再組立レポート(2021年)←PDFが開きます