ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【静岡】みほとけのキセキIIー遠州・三河のしられざる祈りー

みほとけのキセキII
遠州三河のしられざる祈りー
浜松市美術館 12/3まで

 浜松市美の仏像展は一昨年に続き2回目。二番煎じかなぁなんてちょっと思ってた自分を叱りつける。遠州東三河の仏像はとんでもなく奥深いと知る。露出展示も多く、木彫仏の呼吸に耳を傾けた。

 府八幡宮磐田市)から11世紀の僧形八幡神坐像と女神坐像がお出まし。女神像は胸の辺りに木の節があらわになっており、霊木を使った可能性が指摘される。木の節は女神が胸に抱くハート♡のようにも見える。かわいらしくて、キュンとする。しかし、あえて霊木を使ったのであれば、その節はまさに霊性の要なのだろう。心臓のようなものである。それがハートマークに見えるのは偶然なのか、必然なのか…。

 冨賀寺(新城市)の如来坐像の残欠は12世紀の優美なお姿を想像させる。さぞかし美しかったことだろう。なんとか組み立て直せないのかと思うのだが、お顔の正面が欠けているので、難しいのかな。このお像だけ撮影不可だったのでSNSに上がりにくいだろうが、ありし日のお姿を想像してうっとりする変人がいることをここに記しておきたい。平安後期の薬師如来坐像がおられる林光寺にも近く、さらに興味をかきたてる。

 西楽寺(浜松市)の月光菩薩立像には驚いた。お寺でお会いしたことをすっかり忘れていた。このお像は大きく内刳りがあるのだが、背板がないそうで、本展では、その内刳りの鑿のあとを間近で拝見できる。お寺では、お背中まで拝めなかったので、お背中がそんなことになっているとは知るよしもなかった…。

 普門寺(愛知県豊橋市)ご本尊聖観音菩薩立像は、秘仏で公開日が限られており、なかなかお会いできずにいた。コロナ禍が始まったばかりの頃に、普門寺様がYouTube配信でこの観音様を映し出してくださったことを思い出す。展示会場で初めて実際に見上げた観音様は、写真や動画配信で拝見していた以上に落ち着いていて、穏やかで、美しかった。同時に、不思議で少し違和感もあったのだが、ご尊顔を彫りなおしたのではないかとの解説を読んで納得した。このような修復をしてもなお守り伝えようとした歴史があることに感動を覚える。

 と、こんな感じで書き続けたいのだが、何分時間がない。最後に、静かに興奮した点をひとつだけ。玖延寺(静岡県浜松市)の薬師如来像は出陳されていないものの、会場内の解説と図録において一日造立仏の可能性が指摘されていた。それを読んで、すっと腑に落ちた。6年前にお寺で拝見し、その不思議なお姿が記憶に残っていたからである。当時の私は一日造立仏を知らなかったと思う。そして、そのような指摘をする専門家もおられなかったように思う。仏像拝観を続けているとこういうことがあるので、なかなか足を洗えない。

 これまで何度も書いてるかと思うが、地方の仏像に限定した展覧会に敬意を表したい。仏像には古来の人々の祈りや各時代の空気が詰まっている。地域を知り、祖先を知り、そして、現在の自分を知るよすがなのだと信じている。まさに、みほとけの軌跡であり、奇跡に違いない!


(↑府八幡宮の女神像)


(↑西楽寺月光菩薩立像のお背中)


(↑普門寺ご本尊聖観音菩薩立像)


(↑玖延寺薬師如来立像。お寺で撮影。本展への出展はなし)