ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【来迎会】二十五菩薩練供養@愛知県愛西市(勝軍延命地蔵菩薩ご開帳)

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 愛知県愛西市・勝軍延命地蔵大菩薩さまの17年ぶりの開帳に合わせて、二十五菩薩練供養が行われるという情報が入り、出かけてきた。開催されたのは2018年9月2日。
 事前の想像より100倍以上楽しい練供養だった!

特徴1) 勝軍地蔵さま17年ぶりのご開帳

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 まず、勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳が熱い。
 開帳仏がおられるのは、西條八幡社の隣の小さなお堂。Google地図にもお堂の名前は載っていなかった。写真左が地蔵堂、右が西條八幡社である。
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 17年に一度のご開帳の期間は2018年8月26日から9月15日。しかも、この21日の間、24時間、夜通しで行われたというのだから驚いた。地元の信徒が夜通し交代で番をしたのだそうだ。大変だろうなと思う一方で、深夜に開帳仏さまと向き合えるのも幸せなのでは、とも思う。
 ご開帳の仏様、勝軍延命地蔵菩薩さまのお姿は上の写真のとおりである。伝教大師最澄が唐の彫像を模して刻んだと伝わるが、実際には鮮やかに彩色されていて、制作時期はわかりにくい。騎馬像ではなく、二本の脚で立っておられるところも珍しいのではないだろうか。勝軍地蔵菩薩の古例である京都清水寺本尊の脇侍も、勝軍地蔵菩薩の立像なのだそうだ。
 文化財未指定であるが、今回のご開帳時に専門家を招いて調査する予定だという話も聞いた。何か新しい見解が出てくるのだろうか。ただ、今回のご開帳の賑わいをみると、文化財的価値はどうでもよくなってくる。坂上田村麻呂徳川家康も参拝してご利益を得たと伝わる勝軍延命地蔵菩薩さまだ。ご開帳が多くの人々をつなぐ機会となっており、大きな敬意を覚える。
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(↑過去のご開帳の看板が堂内に飾られていた)

 この21日間のご開帳の中日(なかび)、”中開帳”と呼ばれる日に行われるのが、二十五菩薩の練供養である。勝軍延命地蔵大菩薩のご開帳なのだから、武者行列でもよさそうだが、なぜか聖衆来迎の練供養なのである。これが本当に温かく、賑やかにして和やかな練供養だった。そう感じるバックグラウンドとして、勝軍地蔵さまを慕う人々の思いがあるのではないだろうか。

特徴2) あま市の蜂須賀蓮華寺からご出張

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(↑観光協会から事前にメールでいただいたポスター画像)
 愛西市で二十五菩薩練供養と初めて聞いたときは、自分の耳を疑った。愛知県の練供養と言えば、あま市の蜂須賀蓮華寺の二十五菩薩来迎会(毎年4月第3日曜日に開催)がある。しかし、それ以外は聞いたことがなかった。
 練供養は衣装や菩薩面や持物、雅楽の演奏など、かなりの準備が必要なものである。資金も人手もいる。そう簡単に17年ぶりに開催できるものではない。もともと愛西市の勝軍地蔵堂に練供養が伝わったのか、それともどこか別の寺から借りてきて行われるのか…。
 ネット検索しても疑問は消えなかったので、愛西市観光協会に電話とメールで連絡してみた。関係者の方に問い合わせてくださったところ、やはり二十五菩薩の練供養は「あま市蓮華寺から出張して開催する」とのことだった! さらに、愛西の勝軍地蔵菩薩のご開帳の度に、二十五菩薩の練供養は行われているとも伺った。
 来迎橋はかけられるのか、二十五菩薩全員お揃いなのか、など、気になることはたくさんあったが、そこはあえて事前調査をせず、とにかく出かけることにした。外野の人間が事前に関係者に質問責めにして、ご迷惑をおかけするのはしのびない。とにもかくにも、17年に一度と言われたら、行かざるをえまい!

特徴3) 田んぼの中を1時間も練り歩く

 二十五菩薩練供養は、2018年9月2日(日)14時30分、大きな花火の音を合図にスタートした。出発地点は勝軍延命地蔵堂の東隣にある林證寺。田んぼの中の道を1時間もかけて菩薩さまは歩かれ、終点の地蔵堂に到着した。
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 私はスタート時から終点の地蔵堂まで菩薩さまの列について歩いた。つまり、1時間という長い時間、菩薩さまと一緒にお散歩できてしまったのである! 
 Google地図でざっと見たところ、総距離2キロほどあったのではないだろうか。岡山県・誕生寺の練供養会式も参道を練り歩くので、菩薩さまに付いていくのが楽しいのだが、それでも300メートルを往復である。愛西市・勝軍延命地蔵堂の練供養の移動距離の長さは特筆すべきだろう。
 田んぼの中に民家がぽつぽつと並ぶ地域をのんびりと菩薩さまは歩かれた。菩薩さまの列のそばを私はただついて歩いた。菩薩さまとお散歩しているような感じだった。もうそれだけで訪れた甲斐があった。
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特徴4) 菩薩さまに触れていただく

 さらに驚いたのは、「菩薩さまに触れてもらって、ご利益をいただいてください」と言われたこと。人々は菩薩さまに近寄って、頭をなでてもらっていた。
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 こちらの菩薩面は半円を二つ並べたような眉毛と細めのおめめが特徴。正面から見ると、にこやかに笑っておられるように見える。頭をなでてもらう側の衆生もみな頬がゆるむ。笑顔×笑顔なのだ! なんともうれしい笑顔の相乗効果!
 私も二度ほど頭をなでていただいた。一回目は成功したのだが、二度目に観音さまとの距離がうまく取れず、観音さまの持つ蓮台に頭をゴツンとされてしまった。蓮台はなかなかのスピードで私の頭を打撃し、私の脳内に大きな電飾花火が飛び散った。こんなに素敵な経験はなかなかできない!
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(この木製の蓮台が私の頭を直撃した)

特徴5) 実にのどかなパレード

 こんなに盛大な練供養でありながら、交通規制はしてなかったようだ。途中で車一台が通りかかり、道端を歩く菩薩様の列の横を通り抜けていった。係りの人が菩薩さまに「車が来まーす。道路脇に寄ってくださーい」。菩薩さまはもともと道路の左脇を歩いておられるので、まったく混乱はなく、車は静かに通り過ぎていった。こんなシュールな場面にはそうそう出くわせない。つい笑ってしまい、慌てて撮ったのがこちらの写真。ピンぼけしてしまった。
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 菩薩さまの列は1時間ほどのんびりと進み、ついに、ご開帳の行われている勝車延命地蔵大菩薩さまのお堂に到着。小さなお堂の軒下の周りに造られた通路を一周した後、境内を出られ、去っていかれた。気温30度を超す暑さにもめげず、最後まで笑顔で、人々の頭をなでながらー。
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特徴6) 世代をこえて

 練供養ルートの途中で、菩薩様の列が近づくのを待っている親子がいた。若いお父さんとお母さん、そして、ベビーカーに座る幼子だった。お母さんがお子さんに「17年前は〇〇おじさんが菩薩になったのよー」と話しかけていた。〇〇の部分は覚えていないが、おそらく親戚か親交のある男性を指しているのだろう。私はそれを聞いて、世代を越えた継承とはこういう形で実現するのかと納得した。
 蜂須賀蓮華寺の練供養は毎年行われるが、ここ愛西市の練供養は勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳のときだけ。17年に一度っきりだ。17年前を思い出し、17年後の未来を想う。そういう機会なのだろう。
 今回のお稚児さんが17年後には菩薩さまになるかもしれない。その菩薩さまは結婚して子どもが生まれ、その子もお稚児さんになるかもしれない。そういう形で伝統が受け継がれるコミュニティがこれからも続いていってほしいと思った。よそ者の勝手な願いかもしれないが。田んぼの中の道を菩薩さまと歩きながら、そんなことを考えていた。
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 奈良の當麻寺のように荘厳な練供養はもちろん素晴らしい。一方で、このように庶民との距離が近い練供養にもたまらない魅力がある。困る。非常に困ってしまう。ますます二十五菩薩練供養が好きになってしまうではないか。