ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【信濃仏】栂尾毘沙門堂~盗難を乗り越えた信仰篤い毘沙門天さま~

栂尾(つがのお)毘沙門堂(長野県北安曇野郡池田町広津)
拝観日=2018年6月17日
毘沙門天立像(県宝、112㎝、桧、一木造り、平安後期)
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拝観予約


 丸山さんの本で拝見し、これはお参りしたいと思った栂尾毘沙門堂毘沙門天さま。Google地図でざっくり確認したところ、ルート的にも問題ないと判断。池田町役場から管理者の方をご紹介いただき、拝観させていただけることになった。ちなみに、この「Google地図でざっくり確認」が後に自分を苦しめることになるのだが、このときの私はまだそれを知らない…。
 5月初めのとある遅めの昼休み、池田町役場にお電話したところ、「地区の方が管理されているので、その方に聞いてみます。お仕事をお持ちの方なので、すぐには連絡がつかないかもしれません。しばらくお待ちください」とのこと。やはり拝観のハードルは高いのか…。そう思って、お弁当に集中しようとすると、ほどなく役所から連絡があった。
 「世話役さんと連絡が取れました。ご希望の日時で今のところは問題ないそうですよ…。直接連絡取ってみますか?」とのこと。急な展開に慌てながらも、これは逃してはいけないチャンスかもと直感! すぐに管理者の方にお電話させていただいた。
 生来の人見知りなので、初めて電話するときは緊張する。ましてや、個人の方にご好意をお願いしようとするときはなおさらだ。役所や寺院よりハードルが高い。
 ところが、恐る恐る電話してみると、これまたあっけなく、世話役さまから許可が出た。ざっくりと6月17日の午前中ということでお願いし、旅程が固まり次第、改めて訪問時刻を連絡させていただくことに。
 さらに、丸山さんの本で拝見したことと、参加メンバーは仏像好きで礼儀正しい人ばかりだと言うことをお伝えした。つまりは、アヤシイ者デハゴザイマセンという趣旨を叫んで、電話を終えたのだった。

地図に載っていない!


 電話を終え、ふーっと一息をつき、改めてGoogle地図を見直した。しかし、広津地区の場所までは分かったのだが、お堂の場所を地図上で見つけることはできなかった。お堂の住所は県のサイトを見ても「池田町広津」とあるだけで、番地は見つからなかった。まあ、その点については、後で問い合わせればと思っていたのだが、なんと運転担当の仲間が見事なGoogle航空写真さばきでお堂の場所を「発見」してくれた(この方の調査能力はほんとに半端ない!)
 ただ、覚音寺の記事に書いたように、Googleナビには、遠回りのルートしか出てこないのを、私たちは当日まで知らなかった。覚音寺を発つ際に、ご住職に教えてもらい、約束の時間より30分も早く現地に到着したのだった。この辺りの時間調整で難儀したことは、覚音寺拝観の記事に詳しく書いたとおりである。(今こうして書いてても胃が痛くなる。無事にたどり着けて本当によかった!)
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(↑毘沙門堂周辺の四季の景色。世話役さまが参加者全員に写真をくださった。あまりのご好意に泣ける)

篤い信仰の毘沙門天さま


 30分早く到着したのだが、世話役さまも間もなく到着され、すぐにお堂を開けてくださった。
 狭い堂内に入ると、世話役さまから「まずは般若心経をお唱えしましょう」との一言。世話役さまとご一緒に、参加者全員でお唱えさせていただいた。
 お唱えを終えると、世話役さまから短くお話があった。近くに住んでいたおばあさんが毎日この毘沙門天さまをお参りし、92歳で亡くなるまで元気でおられた、という話だった。亡くなる前に入院したが、病院からも毘沙門天さまの方向に祈りを欠かさなかったそうだ。亡くなる直前まで意識もはっきりし、長患いしなかったと言う。つまりは、ぴんぴんころりは毘沙門天さまのおかげなのだという話である。世話役さまはとても誇らしげであり、毘沙門天さまへの信心深さが伝わってきた。
 この小さなお堂の毘沙門天さまは大きな信仰の対象であるーー。その事実を拝観して数分間で、この世話役さまから教わったのだった。

彫像としての毘沙門天さま


 改めて毘沙門天さまのお姿を拝してみよう。いかめしいご尊顔。左手に法灯を掲げ、右手に法棒を握る。引き締まった全身にはまったく隙がない。1メートル強の決して大きな像ではないが、とてつもなく大きな力が込められた彫像であった! 左太もも辺りに残る彩色文様も印象的だ。
 当日は池田町教育委員会の方もおいでくださり、説明してくださった。この毘沙門天さまは長尾という場所にまつられてきたが、地滑りや火災等により何度か移動し、昭和46年から現在のお堂にまつられているとのことだった。
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2011年の盗難事件!

 実はこの毘沙門天さまはなんと、2011年2月に、盗難に遭っている。盗難にすぐに気づき、テレビ等で報道されたところ、数日後に奇跡的に発見されたそうだ。世話役さまいわく、「テレビのニュースに出たもんで、新潟あたりで見つかっただよ」。
 毘沙門天像はしばらくの間、池田町の預かりとなり、その間にお堂の改修工事が行われた。2011年5月3~15日には、北アルプス展望台美術館(池田町立美術館)で毘沙門天像を公開。毎年5月3日に行われる例祭もこの年は美術館で実施された。翌2012年4月28日、防犯対策を施したお堂に毘沙門天さまがお戻りになり、6月10日には、町長や県議、教育長、奉賛会長など30名が集まって、法要例祭が執り行われた。
 よくぞお戻りになられた。そして、私たちの拝観をよくぞお許しくださった。2018年6月、仏友さんと共にお会いできたことが奇跡のように思えてくる。

池田町の他の盗難被害


 池田町の文化財サイトはとても充実しており、各地区のお像の写真が文化財未指定のものまで掲載されている。その陰で気づくのは、行方不明になっている仏像の存在である。
 池田町の調べによると、2005~08 年にかけて、5件の盗難があり、37体の被害あったそうだ。広津地区の日野で十二神将10体、南足沼で十王像など16体、郷志窪で薬師如来坐像など9体、菅ノ田で聖徳太子立像1体、日影山は勢至菩薩坐像1体の各集落から被害報告があったとのこと。いずれも盗難の日時は不明だという。

今後のお守りのしかた~町立仏像センターという選択肢~


 2011年の盗難後、お堂には防犯対策が施された。現在のお堂は頑丈な鍵付でセコムも完備。お像にピアノ線も張られている。それでいて、毘沙門天さまを照らす電灯のスイッチが堂外の壁に取り付けてられており、鉄格子の間から毘沙門天さまのお姿を拝観することも可能なのである。なんと優しい環境なのだろう!
 しかし、それでも池田町全体の問題は払拭されないのであろう。町教育委員会の方のお話では、町内の仏像を集めて保管、公開する施設を造ることを検討されているそうだ。過疎化と高齢化が進むなか、そうした対応はやむなく、むしろありがたいことなのかもしれない。盗難被害など二度とごめんだ!
 しかし、この地に伝えられてきた熱い信仰心はどうなるのだろうと少し不安も感じたのだった。亡くなる直前まで毘沙門天さまに捧げたおばあちゃまの祈りを私は忘れたくない。
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(↑小さな堂内に今も大切にお守りされる毘沙門天さま)