ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

東京都あきるの市・大悲願寺の伝阿弥陀如来と両脇侍像(重要文化財)

お参りした仏像: 大悲願寺の伝阿弥陀三尊(重要文化財
訪ねた日: 2018年4月22日(日)

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 写真はお寺のパンフレットより

 

<大悲願寺とは?>

 東京多摩西部、あきる野市の大悲願寺には、平安末期から鎌倉初期とみられる伝阿弥陀三尊像がおられ、毎年4月21日と4月22日に開帳されている。といっても、終日開帳されるわけではなく、時間が決まっている。今年は21日が11時と15時、22日が13時と15時だった。

 お寺の周りは豊かな自然が保たれている。立川駅からJR五日市線に乗り継ぎ30分ほどの場所に、のどかな光景が広がる。お寺の裏が横沢入の里山保全地域。昔ながらの里山が意図的に保全されている。横沢入りには日本野鳥の会奥多摩支部の探鳥会に出かけたことも懐かしい。春には少し遠い時期の探鳥会で、アオゲラのほか、ヒレンジャクも見られた。

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 大悲願寺は建久2年(1191年)に源頼朝の命を受けた平山季重(すえしげ)によって創建。これまで火災にあったことがないそうだ。秀吉の八王子城攻めのときも、第二次世界大戦関東大震災のときも被害がなかったという。

 阿弥陀三尊がおられるお堂は写真のとおりである。無畏閣(観音堂)と呼ばれ、あきる野市文化財に指定されている。

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 寄棟造り、茅葺き型の板葺き。1794年に建立され、1834~1842年に羽目板などの彫刻部分が付け加えられたとみられる。2005年1月から2006年12月にわたって半解体修復工事が行われ、堂の彫刻部分に鮮やかな色彩がよみがえった。

 屋根の下に浮き彫り彫刻が見えるだろうか。これが四面の壁にめぐらされている。日光東照宮や熊谷の聖天堂を思わせる素晴らしさだ。正面向かって左側に極楽図、右側の彫刻は地獄図だ。修復後10年余り経っても、色彩は健在だ。

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 阿弥陀三尊の撮影は禁止だが、堂内は撮影許可がでた。堂内の大きくて立派な厨子の中に三尊さまはまつられていた。

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<三尊の製作時期は?>

 実は、大悲願時の伝阿弥陀三尊のご開帳に行くのは初めてではない。2009年にお参りした。そのときに若気の至りで書いたのがこちらのブログである。

hiyodori-art2.cocolog-nifty.com

 寺の歴史など調べて書いたとは思うのだが、なにぶん若気の至りで、自分の無知への配慮がない。恥ずかしい部分とは、「一体いつ頃の作品なのか」と投げかける部分である。2018年4月22日、9年ぶりに拝観した私は、この部分を全力で訂正したい

  私は特に、「平安期の仏像を模した江戸時代の作品かも」と書いたことを気にかけてきた。毎年4月のご開帳が近づくと、上記の記事へのアクセスが増える。そのたびに申し訳ない気持ちだった。
 制作年代については、詳しいことは分かっていない。これは事実である。しかし、専門家の意見では平安後期から鎌倉初期であろうということである。これも紛れもない事実である! この事実にもっと謙虚であるべきだった。

 また、「三尊の形式や表現が一致している」と書いてしまっていることについても、「あほか!」と当時の自分を激しくしかりたい。

 これを踏まえ、製作時期について、今回9年ぶりに自分の目で感じたことを以下に記す


 まず、住職のお話では、伝阿弥陀三尊の制作年代は不明だが、識者によると西暦1000年頃で、像によって100年ぐらいの時差があるのではとのこと。

 阿弥陀如来は彫りが薄く、ご尊顔穏やかで、脇からのぞくとお体が薄め。平安末期の穏やかさと気品が満ちている。

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 勢至菩薩坐像はご尊顔が鎌倉初期の慶派っぽく、髻も若干高め。身体つきも阿弥陀さまに比べると、引き締まって、若干、後の時代を感じさせる。ただし、衣文の彫りは薄め。おそらく阿弥陀さまより後に制作されたのだろう。(写真の角度だとわかりにくいが、目の切れ方などが慶派っぽく感じた)

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 脇侍の観音さまはなんと千手観音坐像。頬に力がみなぎるが、制作年代になると私の能力では、わからないとしか言いようがない。頭上の化仏や複数の腕が後補かもしれないし、腰付近の衣の一部だけがひらひらしており、脚まわりのおとなしい彫りとは異なっている。後の手が入っているのを感じる。一言で言うと、よくわからない。

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※各三尊の写真は冒頭の写真のトリミング(見にくいかと思うが、参考まで)



 
 うーん。上記のように9年後の感想を書いてみたが、改めて読み返すと、あまり成長していないような気がしてきた...。ブログを書くとは、自分の恥をさらすことでもある。

 お寺の公式写真では、細かい点はわかりにくい。帰ってから、手元の資料と細かい点を見比べることができなずにいる。もやもやは残ったままだ。また私は大悲願寺をお参りしないといけない。来年になるか、再来年になるかわからないが、また拝観する機会がほしい。そのときまでに、もっと成長した自分になっていなければならない。仏像拝観の道はときに修業なのだ。

 

 なお、文化財指定が伝阿弥陀と、「伝」がついていることについて、住職は、阿弥陀さまとしては珍しい法界定印を結んでいることを挙げていた。一方、光背には、それぞれ、観音、阿弥陀、勢至の種字が書かれているそうだ。光背の製作時期はわからない。お像の製作時期はどうあれ、光背の製作時には阿弥陀三尊としてまつられていたということなのだろう。

 

 わからないことばかりである。私にはわからなくても、美しい三尊は平成の世まで伝えられた。非常にありがたい!

 最後に、境内で咲いていたボタンの花の写真を貼って終わることにする。ボタンがきれいなのは、大悲願寺が真言宗豊山派で、奈良の長谷寺の末寺だからか。

 ボタンもきれいだが、秋に咲く白萩は伊達政宗に献上したものだそう。15世住職が政宗の弟、秀雄だったのだとか。9月頃またお参りにきてほしいと住職がおっしゃっていた。野鳥観察と桧原村の温泉に兼ねて、のんびりお参りしたい。

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 【参拝案内】

大悲願寺

 〒190-0141 東京都あきる野市横沢134 

重要文化財の伝阿弥陀三尊は毎年4月21日と22日にご開帳。開帳時間が決まっているので、事前に要確認。

楼門とその天井画は市の文化財。仁王像が睨みをきかせる。本堂には金剛界大日如来坐像をまつる。

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