ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【信濃仏】大法寺(青木村)~瞳を閉じた十一面観音さまは何を感じ取ろうとされているのだろう~

大法寺(青木村)(天台宗
拝観日=2018年6月16日
○十一面観音立像(重文 170.9cm、カツラの一木、平安)
普賢菩薩立像(重文 106.3cm、カツラの一木、平安)

大法寺とは

 信州の大法寺は、大宝年間(701~704年)に創建された天台の古刹。藤原鎌足の子、僧定恵によって創建され、大同年間(801~810年)に坂上田村麻呂の祈願で僧義真(初代天台座主)によって再建されたと伝わる。
 飯縄山の麓にあり、「見返りの塔」と呼ばれる国宝の三重塔(1333年)が美しい。参拝した日には本堂の前にキセキレイの親子が見られた。
 この大法寺の本堂で、丸山尚一と白洲正子の両方の書籍に登場する十一面観音さまにお会いした。

木造十一面観音立像

 ご本尊である観音さまは両目を閉じ、小さな口元からそっと息をしておられた。その静かな表情に引き込まれる。横からのぞき込むと、腰から下にかなりの重量感があり、正面から見たときの可愛らしさとの違いにますます魅了された。
 それにしても、この観音さまはなぜ目を閉じておられるのか。目を閉じることで、全身の感覚を研ぎ澄ませ、何かを必死に感じ取ろうとしているように私には思えた。信濃の山の聖霊をその御身に取り込もうとしているのか。それとも衆生の悲しみを慈しみの御心で受けとめようとしているのか…。
 いずれにしても、この素朴な観音像には体温さえ感じてしまう。もちろん仏の像であるし、文化財であるから、実際に触れたわけではない。でも、その全身から温もりと祈りを感じたことは確かである。
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 丸山尚一は『地方仏を歩く三』で、この十一面観音像を「一見して地方色の濃い彫像」だと評している。「穏やかな体軀の肉どりは抑揚少なく、ずんどうに近い素朴な作り」「ことさら優れた像とはいえないかも知れないが、この土地のにおいを感じさせる、親しみを感じさせる像」だと丸山は言う。地方仏を愛した人の讃辞なのだろう。
 一方、白洲正子も荒削りな地方仏らしさを指摘し、絶賛している。白洲は『十一面観音巡礼』で大法寺の本尊に言及し、「材は桂で、台座に木の根の部分を使ってあるのも、立木観音の伝統を踏襲していることに気がつく」と指摘する。平安中期の作だと紹介したうえで、「蓮弁なども荒けずりで、実際の年代より、ゆったりと古様にみえるのが、地方作らしくていい」と述べている。大法寺は江戸時代まで戸隠山の末寺だったことから、山岳信仰の仏師の作であることは間違いないと白洲は言う。「一木造りというのは、技術が未熟だったわけではなく、信仰上の制約だったことが、こういう仏像に接すると納得が行く」という一文に心が震える。

木造普賢菩薩立像

 十一面観音の隣に立つ普賢菩薩さまは、身の丈は十一面観音よりも小さいものの、お顔の表情などから、同じ仏師の作であろうことが想像できる。丸山は十一面観音とこの菩薩像について、「土着色の強い一木彫りの少ない信濃にあって、大法寺の木彫像は、ぼくの感じる信濃を体現している彫像といっていいだろう」と書いている。
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重要文化財厨子および須弥壇

 十一面観音さまは、今はお堂の奥に並んで安置されているが、以前は本堂中央のお厨子にまつられていた。今回、特別に厨子を開けていただき、前立の観音立像も拝ませていただいた。可愛らしい観音さまでおられたが、文化財の指定はないようだ。鎌倉か室町頃だろうか。
 重要文化財厨子須弥壇禅宗様。制作年代ははっきりしないが、三重塔より時代がくだって室町ではないかとのこと。

拝観情報

 お寺は固定の拝観料で一般参拝客に解放されているが、堂内の観音様の拝観には予約が必要(0268-49-2256)。住所=長野県小県郡青木村当郷
 塩田平には、先の記事に書いた中禅寺のほか、別所の北向き観音や安楽寺の国宝の八角三重塔などもある。もし再訪できるのなら、温泉込みでのんびりしたい。
 
※写真は青木村のホームページより。
大法寺の文化財 | 青木村役場