ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【展覧会】金沢文庫「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」

 2019年1月12 日
 金沢文庫の特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」(2018年11月16日~2019年1月14日)
 仏像や神像がいくつかお出ましでしたが、特に気になった二つのお像について、お話したいと思います。
 〇白洲正子旧蔵の十一面観音立像(現、小田原文化財団)
 〇長野県諏訪市・仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像


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白洲正子旧蔵の十一面観音立像(白山神社本地仏か)

 お目当てはこちらの観音さま。前田青邨白洲正子の旧蔵で、現在は小田原文化財団が所有。平安時代の作で、いかにも白洲正子が好みそうな静謐で清楚な十一面観音立像である。
 頭部の化仏は大きくボリュームがあるが、それぞれのお顔は彫り出さない。つまり、のっぺらぼうである。また、頭部の大きさに対して、首から下はすらっとした細身であるのが印象的だった。

化仏のお顔がのっぺらぼう

 2016 年「福井の仏像」展で、化仏のお顔がのっぺらぼうの十一面観音さまを拝観したことを思い出した。仏が今まさに顕れようとする瞬間を表したという説明書きを読み、心が震えたのだった。霊木化験の表現のひとつなのだそうだ。
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 上の写真はそうした福井の例で、越前市東庄境町の八幡神社観音堂にまつられている十一面観音立像である(写真は「福井の仏像」展図録よりコラージュ)。こちらも頭上の化仏はお顔が表現されていない。なんとも神秘的だ。

 金沢文庫の展示では、この白洲旧蔵の観音像について、白山神社本地仏の可能性があると書かれていた。どこでどのように制作されたのだろう。白山信仰との関わりについて、もう少し詳しい説明がほしかった。

伊豆山権現と対比して展示

 この観音像は伊豆山権現と並べて展示されていた。金沢文庫の解説書には、伊豆山権現像は仏像のような作り方をした神像で、この観音像は神像のような仏像だと説明されていた。
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手の甲を後ろにそらすこととキスとの関係は?

 一方、細かいことだが、この十一面観音さまは右手がかわいらしかった。右腕は下に下ろしており、その手は施無畏のように見えるのだが、よく見ると、右手の甲を後ろにそらせているのだ。この手のひねりは何なのだろう。左手が失われているので、なおのこと気になった。
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(写真はhttp://salonofvertigo.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.htmlより)
 下世話な話で申し訳ないが、ドラマなどでキスをするときに片足を後ろに上げてしまう光景を思い出した。女性は立ってキスをすると、なぜ片足を後ろにそらせてしまうのか。この観音菩薩さまはなぜ、右手の甲を後ろにそらせているのか。キスにより電流のように流れてきた愛が強すぎるので、足先から放出しているのだろうか。であれば、観音さまはなぜ手の甲を後ろにそらせておられるのだろう。山梨県甲州市勝沼大善寺の日光月光菩薩立像や会津勝常寺の日光月光菩薩立像は、手のひねりが横向きなのに対し、この十一面観音立像は手を後方に翻している。とても気になった。そして、とてもかわいらしいと思った。
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(写真はhttps://netallica.yahoo.co.jp/news/20180125-64998693-hitomeboより)

 
 興奮して長々と書いてしまった...。静かであらたかな霊験を感じさせる観音さまのお姿。私はこういう清らかなものに憧れて、仏像をめぐっているのかもしれない。その前から離れがたい観音像だった。

 


仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像(南北朝時代

 長野県の仏法紹隆寺から小さい普賢菩薩騎象像がお出ましだった。
 仏法紹隆寺は長野県の茅野駅から諏訪方面に数キロほどの山の中腹にある。大好きなお寺で、私は二度お参りしている。二度目は家族連れで訪れ、一時間ほどかけて、広い境内をご案内いただいた。大変思い入れのあるお寺さまである。
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(↑筆者撮影2017年8月)
 このお寺の普賢堂には、大きな普賢菩薩騎象像と小さな普賢菩薩騎象像がおられる。
 金沢文庫には小さいほうの普賢菩薩さまがお出ましだった。
 仏法紹隆寺は諏訪大社の神宮寺や別当寺を務めていたが、近世になってその機能を他寺に移し、諏訪氏高島藩の祈願所となった。明治初め、神仏分離に際して、諏訪大社の上社の神宮寺普賢堂の本尊普賢菩薩像と、上社神宮寺の子院だった如法院の本尊普賢菩薩像が仏法紹隆寺に移座されることとなった。現在、仏法紹隆寺に2躯の普賢菩薩騎象像がおられるのは、こうした経緯による。神宮寺普賢堂のものが大きいほう、如法院のものが小さいほうの普賢菩薩さまだ。
 今回出陳されたのは、子院である如法院に伝わった小さいほうの普賢菩薩さまである。南北朝時代のきらびやかな印象の仏さまだ(お寺のサイトには鎌倉時代とあるが、今回の展覧会では南北朝と記載)。前回の善光寺ご開帳の際、隣の美術館の仏像展にも出展された長野県宝である。
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(↑如法院旧本尊が出陳。写真は金沢文庫Twitterより)

 一方、今回は出展されなかったが、神宮寺本尊は如法院本尊に比べかなり大きい。かなり傷んでいたそうだが、近年修理を終えられ、普賢堂の中央に安置されている。
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(↑諏訪大社上社神宮寺の旧本尊。筆者撮影2016年5月)

 金沢文庫の説明では、大きい方の普賢菩薩さま(つまり、神宮寺旧本尊)は神像と同じ素地仕上げで本地仏にふさわしいのに対し、如法院の普賢菩薩さまは金泥と極彩色が施されている点を指摘していた。本院と子院とで意図的に、対照的に仕上げたのでないかとのことだった。
 金沢文庫で両像の比較について説明があったが、神宮寺の普賢菩薩さまの写真展示がなく、文字だけの説明だったので、この辺りの経緯はわかりにくかったのではないかと思う。
 仏法紹隆寺の普賢堂では、この大きな普賢菩薩像の奥に、小さな普賢菩薩像がまつられている。

 なお、仏法紹隆寺には、小さな宝物館もあり、運慶らしき不動明王立像が安置されている。一年前の金沢文庫の運慶展にお出ましだったので、覚えている方もおられるだろう。庭園も美しく、気持ちのよいお寺なので、多くの方にお参りいただければと思う(必ずお寺に事前連絡を)。

他にも印象に残る仏像と神像が

 上記以外の彫刻では、鎌倉時代の僧形八幡神坐像(神奈川県・称名寺)、肩がこりそうな男神坐像(平安、個人蔵)、鎌倉時代文殊菩薩立像(神奈川県・阿弥陀寺)などが印象に残った。文殊菩薩立像は、春日大社本地仏とされる善円の文殊菩薩東京国立博物館)とそっくりだった。
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 チラシに掲載のこの随神坐像は、2017年「末法」展(京都の細見美術館)にも出展されていた。凛とした清らかさを感じる平安時代の神像で、今は個人蔵。個人蔵のお像を拝める機会、大変ありがたい。