ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【福井】辻観音堂の聖観音菩薩さま(勝山市)

観音堂福井県勝山市
聖観音菩薩立像

観音堂聖観音菩薩さま
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小さな堂内に今も信仰が息づく

平泉寺白山神社御開帳に合わせて、辻観音堂も開いており、聖観音菩薩様の尊いお姿を拝む。
平安時代後期、檜の一木造り。像高103.1cm。福井県指定文化財
比叡山横川の観音様と同様、蓮の花の蕾を左手に掲げる。天台系の香りが漂う、気品ある穏やかなお姿である。

白山の三峰に住まわれる神々とその本地仏は以下のとおり。
観音堂聖観音菩薩さまは別山本地仏と考えられる。

御前峰(ごぜんがみね)=本社=伊弉冊尊・十一面観音菩薩
大汝峰(おおなんじがみね)= 超南知社(おおなむちしゃ)=大己貴尊・阿弥陀如来
別山(べっさん)=別山社=天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)・聖観音菩薩

白山平泉寺は中世の頃、越前馬場として48社、36堂、6000坊を擁していた。辻観音堂は、このうち36堂の一つであった。
文治2年(1186)、源義経が奥州平泉に落ち延びる途中、辻観音堂に投宿し、平泉寺衆徒らと終夜管弦を奏したことが『義経記』に残る。これが史実であれば、義経と弁慶もこの観音菩薩様を拝んだのかも。
天正2年(1574)、一向一揆の兵火により辻観音堂は焼失する。しかし、ご本尊である聖観音菩薩像は他の仏像とともに地中に埋められたという。天正11年(1583)になって、平泉寺の再興を支えた顕海僧正により、地中から掘り出されたと伝わる。それ以来、平泉寺にまつられることとなり、厄除けの観音様として大いに信仰を集めたという。
明治初め、神仏分離令に伴い廃仏毀釈の嵐が吹き荒れると、この聖観音菩薩像はひそかに顕海寺に移された。明治32年(1899)、「もとの観音堂跡地に戻りたい」との観音様の夢告により、現在の場所に草堂を建てて、観音像をおまつりした。戦国時代の兵火から300年余りを経て、元の場所にお戻りになられたことになる。

現在、辻観音堂は、近くにお住まいの方により管理されていると聞いた。平泉寺白山神社の御開帳は多くの人で賑わっていたが、その期間でも辻観音堂は静かだった。私は白山神社に参拝前と参拝後、つまり一日に二度、辻観音堂をお参りした。夕方4時頃にお参りすると、世話役のおじいさまが一人、観音様の前で般若心経を唱えておられた。そのお背中が尊く、そして、愛おしくもあった。辻観音堂とご本尊聖観音菩薩さまがこれからも末長くこの地でおまつりされますように。至心合掌

【参拝案内】
観音堂
福井県勝山市平泉寺町平泉寺67−6
要予約

【参考資料】
福井県文化財サイト(辻観音堂聖観音菩薩立像)