ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【埼玉】毛呂山町と越生町の仏像が熱い!

 ディープ埼玉には、かなり古仏が残っている。入間郡越生町如意輪観音様と毛呂山町の仏像をお参りしてきた。

1) 毛呂山町歴史民俗資料館

1-1) 桂木寺木造伝釈迦如来坐像

75.0cm 10世紀前半 県指定文化財
※写真はこちらのサイトで→ 貞観の息吹き28

 色々な写真が出回っていたので、お会いするまでどんな感じか不安もあったが、実際にお会いすると、一目で圧倒された。まず、この頭部がたまらない。地髪と肉髻の境目が希薄で、ニット帽を被ったようになっている。10世紀の仏像に見られるらしい。そして、頭頂辺りが尖っている。大好き!
 さらに、螺髪の一つ一つが渦巻いてる。一つ一つ手をかけて作ったのだろう。残念ながら、すべては残っておらず、現状では、現存するものだけ前方に配置している。つまり、今は螺髪は前面だけで、後頭部には付いていない。長い年月の中で、螺髪はまばらに抜け落ちのだろうか。そして、後の修復者が、残った螺髪を前面に集めたのだろうか。このグルグル巻きの螺髪に強く惹かれる。当初の制作者と後世の修復者に敬意を払いたい。
 そして、この脚の組み方もかっこよい。平安でも古い時代の感じがして、鼻血が出そう。

 毛呂山町歴史民俗資料館では、このお像のすぐそばに、最近の修復前の写真を展示している。これが大変興味深い。
 金箔はかなり上手に貼ってあるように思うのだが、後補ということで剥がしたのだろう。どうしても注目してしまうのが、このつぶらな両目である。上手に描けてるとは思うのだが、全身の尖った感じとは相いれない。やはり現状がしっくりくるように感じた。

 この桂木寺の如来像と飯能の常楽院の軍荼利明王像は、越谷市の浄山寺の9世紀の地蔵菩薩立像(重文)が発見されるまで、埼玉最古の仏像と考えられていた。しかし、仏像の価値は年代の古さだけで判断されるものでもないと思う。
 浄山寺の像は当時の都付近で造立されたと考えられるのに対し、桂木の如来像はその作風から東国の在地仏師によると考えられるのだとか。桂木寺の像が地方仏師の活動を知るメルクマールとなると私は嬉しいのだが...。東国地方での造仏について、今後さらに研究が進むことを願っている。
(浄山寺の地蔵菩薩立像が素晴らしいことについてはまったく異議なしなので、念のためその旨書き添える)

1-2) 妙玄寺 十一面観音菩薩坐像

11.7cm 17世紀 町指定文化財
 像内の内刳り部分に金箔が施され、室町時代の4cmほどの金銅仏が納められていた。江戸時代の仏像は侮れない。胎内仏も展示されていた。
 胎内の金箔は写真パネルで拝見。金色が眩しい。

2) 高福寺(埼玉県毛呂山町

 高福寺は、越生町にある曹洞宗関東三大寺の一つ、龍隠寺の末寺。慶長(1596-1615年)中期、龍隠寺十四世大鐘良賀が、近くの高福寺と行庵寺を合併して行庵山高福寺と号し、その開山となった。
 今回の拝観にあたっては、事前にお電話で拝観をお願いし、ご快諾いただいた。当日ご住職にご案内いただき、大変ありがたく、心より感謝申し上げたい。

2-1) 木造阿弥陀如来坐像

87.0cm 鎌倉時代 県指定文化財
桧の寄木造 玉眼
 高福寺と合併した行庵寺の本尊だった。今は高福寺本堂奥の位牌堂にまつられる。
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 埼玉県加須市・保寧寺の宗慶の阿弥陀三尊と同様、鎌倉時代御家人と慶派が結びついた例と見られるが、高福寺の阿弥陀様は保寧寺ほどムチムチしていない。胸や腕、頬の張りが若々しく、全体的に堂々とした佇まいが印象的。脚部は慶派にしてはおとなしく感じるものの、膝は大きく左右に張り出し、全体に安定感がある。目尻の上がった理知的な表情。肉髻は低め。
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 お堂の屋根が低く、光背を本来の位置より低く置いているのだそうだ。確かに、光背の先端が阿弥陀様の頭部近くに接近している。光背の件はよく聞かれるそうで、住職は気にされておられるようだったが、そんなことで阿弥陀様の美しさや凛々しさが失われると思えない。慶派ファンにはぜひ拝観いただきたい阿弥陀様である。
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 阿弥陀様のオッケーは絶対大丈夫のサイン! この厚みのある右手は造立当初のものだろうか。そして、大好きが過ぎると、このように写真はピンボケしてしまう。

 なお、昨年度、毛呂山町歴史民俗資料館で開催された特別展「山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜」の図録(以下「毛呂山仏教展図録」)によると、秩父郡小鹿野町真福寺にも慶派の阿弥陀如来坐像が伝わり、その作風が高福寺と似ているのだそうだ。f:id:butsuzodiary:20191104205602j:plain
(↑写真は同図録より)
 そして、小鹿野町文化財サイトを覗きにいったところ、毛呂山よりもっと奥深いこの地域に、かなりの鎌倉仏がおられることを知った。これはもっと勉強しなければ。
※以下の画像をクリックすると、小鹿野町文化財サイト(PDF)に飛びます
https://www.town.ogano.lg.jp/cms/wp-content/uploads/2018/03/2007bunkazai.pdf

2-2) 聖観音坐像

南北朝時代 町指定文化財
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 高福寺のご本尊様。本堂の内陣、高い位置に安置される。法衣垂下が美しい。
 他の法衣垂下坐像の例として、飯能市の法光寺の地蔵菩薩坐像、同じく飯能市の長念寺の聖観音菩薩坐像(ともに県指定文化財)がある。14世紀後半に鎌倉に在住した詫間派の造立か。この高福寺と同様、上記の2か寺も曹洞宗寺院であり、曹洞宗龍隠寺(越生町)を中心とした文化の受容があったと考えられる。
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(上の聖観音様と法衣垂下2像の写真は同上の毛呂山仏教展図録より)

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 聖観音様は本堂の高い位置に、この写真のようにおまつりされている。聖観音様の近くには、不動明王像に加えて、狐に乗る天狗さんのような像もおられた。私は飯綱権現かと思ったのだが、住職はお稲荷さんだとおっしゃっていた。今は曹洞宗だが、近くの桂木山など修験道が盛んな地域なので、その影響もあるのではとのことだった。

3) 如意輪観音堂(埼玉県越生町

如意輪観音半跏像

104.2cm 県指定文化財
応保2年(1162)、僧良仁の発願により造像
毎年11月3日にご開帳(13:30-16:00頃)
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 頭部と胴部をカヤの一材から彫り出す。前後割りはぎし、内刳り。胎内背部に「応保二年大歳壬午/十一月十二日甲辰/檀越長春/僧良仁」の墨書銘。関東最古の在銘彫刻として知られる。
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 この可愛らしさ。女子校に通ったら、人気者になるタイプだ。半跏像、つまり、右脚を組んで、左脚を下ろす。そんな姿勢を上品にこなす。横に広がった鼻に親しみも感じる。
 この観音様には「とっかえ餅」という風習があったそうだ。旧暦9月21日の夕方、女子が新米で作った大福餅を持ち寄り観音様に供え、月の出を待つ。月が昇ると、餅を交換しあって食べたという。そんな楽しげな風習に私は納得してしまう。女子のアイドル的存在になりうる、かわいらしくて凛々しい観音様なのだ!
 写真をよくご覧いただくと、この如意輪観音様が座す蓮台が岩の上にあるのがわかるだろうか。岩の上の半跏像ということで、私は石山寺滋賀県大津市)の秘仏ご本尊様を思い出した。仏師は石山寺のご本尊様を意識していたのだろうか。

4) 拝観は難しいのか

 越生町如意輪観音様のご開帳に合わせて、近くの仏像を調べてみたところ、文化財指定のある仏像が博物館に寄託されていることがわかった。越生町の下ヶ戸薬師堂薬師如来立像と黒岩区五大尊五大明王像(いずれも県指定) 、そして、高蔵寺地蔵菩薩立像と中村薬師堂の薬師如来坐像(いずれも町指定)は、大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託されている。地域は異なるが、宮代町の西光院の阿弥陀三尊(重文)は東京国立博物館寄託で、時々11室にお出ましである(現在、阿弥陀如来坐像のみ常設展示中)。
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(↑写真は毛呂山仏教展図録より)
 また、越生町法恩寺のご本尊大日如来坐像(金剛界、平安後期)は基本的に秘仏であり、お檀家様以外には公開していないとのことだった。毛呂山町の桂木観音堂も基本的には拝観不可。
 そうした拝観の難しさを考えると、如意輪観音堂の如意輪観音様は年に1日だけとはいえ、一般に公開されるのがありがたい。信仰の残る場所で、誰もがご縁を結べる機会は貴重だと感じた。

5) 仏友さんありがとう

 埼玉在住の仏友さんに連絡したところ、前日の連絡にもかかわらず、車を出してくださった。隠れ家的なお蕎麦屋さんとカフェにも連れて行っていただき、贅沢な一日を過ごすことができた。優しいご夫妻に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
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6) 参考資料

6-1) 青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年
6-2) 毛呂山歴史民俗資料館第20回特別展『山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜』解説図録2018年