ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

2018年7月の仏像拝観リスト

 2018年7月は所用で群馬に行くことになったため、思い切って一泊し、前から行きたかった坂東の札所と高崎の見返り阿弥陀如来をお参りすることにしました。しかし、この頃の群馬は記録的な猛暑。ドドメキというバス停から白岩観音へ歩く途中、熱中症になりかけました。真夏のお寺めぐりは気を付けないといけません。できれば避けたほうがよいかと。
 富岡の龍光寺は、戦時供出された銅像の胎内仏だった観音像や宇多天皇ゆかりの秘仏、そして、富岡製糸場の工女の墓など、たくさんのストーリーがありました。とてもよいお寺なので、製糸場だけでなく、ぜひお参りを。製糸場のすぐそばです。

2018年
7月15日
○受講=山本勉「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」
【受講】山本勉氏「伊豆函南・桑原薬師堂の仏像」 - ぶつぞうな日々 part III

○展覧会=建築の日本展(六本木の森ミュージアム)(仏像なかったけど)


7月21日
群馬県富岡市
○龍光寺
富岡製糸場

7月22日
群馬県高崎市
○白岩観音長谷寺

群馬県渋川市
○水沢観音水沢寺
市指定の観音立像(釈迦堂)
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像高105.5センチ、内刳りを施さない一木造り
桂材と推定、制作年代は11世紀後半
手水屋
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群馬県高崎市
○善念寺 阿弥陀三尊(阿弥陀さまが県指定文化財

群馬県高崎市
○万日堂 
・みかえり阿弥陀(市指定文化財
如来立像2躯
【群馬】高崎市・万日堂のみかえり阿弥陀さま(+善念寺阿弥陀三尊)と新田義貞と… - ぶつぞうな日々 part III

【展覧会】金沢文庫「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」

 2019年1月12 日
 金沢文庫の特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」(2018年11月16日~2019年1月14日)
 仏像や神像がいくつかお出ましでしたが、特に気になった二つのお像について、お話したいと思います。
 〇白洲正子旧蔵の十一面観音立像(現、小田原文化財団)
 〇長野県諏訪市・仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像


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白洲正子旧蔵の十一面観音立像(白山神社本地仏か)

 お目当てはこちらの観音さま。前田青邨白洲正子の旧蔵で、現在は小田原文化財団が所有。平安時代の作で、いかにも白洲正子が好みそうな静謐で清楚な十一面観音立像である。
 頭部の化仏は大きくボリュームがあるが、それぞれのお顔は彫り出さない。つまり、のっぺらぼうである。また、頭部の大きさに対して、首から下はすらっとした細身であるのが印象的だった。

化仏のお顔がのっぺらぼう

 2016 年「福井の仏像」展で、化仏のお顔がのっぺらぼうの十一面観音さまを拝観したことを思い出した。仏が今まさに顕れようとする瞬間を表したという説明書きを読み、心が震えたのだった。霊木化験の表現のひとつなのだそうだ。
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 上の写真はそうした福井の例で、越前市東庄境町の八幡神社観音堂にまつられている十一面観音立像である(写真は「福井の仏像」展図録よりコラージュ)。こちらも頭上の化仏はお顔が表現されていない。なんとも神秘的だ。

 金沢文庫の展示では、この白洲旧蔵の観音像について、白山神社本地仏の可能性があると書かれていた。どこでどのように制作されたのだろう。白山信仰との関わりについて、もう少し詳しい説明がほしかった。

伊豆山権現と対比して展示

 この観音像は伊豆山権現と並べて展示されていた。金沢文庫の解説書には、伊豆山権現像は仏像のような作り方をした神像で、この観音像は神像のような仏像だと説明されていた。
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手の甲を後ろにそらすこととキスとの関係は?

 一方、細かいことだが、この十一面観音さまは右手がかわいらしかった。右腕は下に下ろしており、その手は施無畏のように見えるのだが、よく見ると、右手の甲を後ろにそらせているのだ。この手のひねりは何なのだろう。左手が失われているので、なおのこと気になった。
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(写真はhttp://salonofvertigo.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.htmlより)
 下世話な話で申し訳ないが、ドラマなどでキスをするときに片足を後ろに上げてしまう光景を思い出した。女性は立ってキスをすると、なぜ片足を後ろにそらせてしまうのか。この観音菩薩さまはなぜ、右手の甲を後ろにそらせているのか。キスにより電流のように流れてきた愛が強すぎるので、足先から放出しているのだろうか。であれば、観音さまはなぜ手の甲を後ろにそらせておられるのだろう。山梨県甲州市勝沼大善寺の日光月光菩薩立像や会津勝常寺の日光月光菩薩立像は、手のひねりが横向きなのに対し、この十一面観音立像は手を後方に翻している。とても気になった。そして、とてもかわいらしいと思った。
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(写真はhttps://netallica.yahoo.co.jp/news/20180125-64998693-hitomeboより)

 
 興奮して長々と書いてしまった...。静かであらたかな霊験を感じさせる観音さまのお姿。私はこういう清らかなものに憧れて、仏像をめぐっているのかもしれない。その前から離れがたい観音像だった。

 


仏法紹隆寺の普賢菩薩騎象像(南北朝時代

 長野県の仏法紹隆寺から小さい普賢菩薩騎象像がお出ましだった。
 仏法紹隆寺は長野県の茅野駅から諏訪方面に数キロほどの山の中腹にある。大好きなお寺で、私は二度お参りしている。二度目は家族連れで訪れ、一時間ほどかけて、広い境内をご案内いただいた。大変思い入れのあるお寺さまである。
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(↑筆者撮影2017年8月)
 このお寺の普賢堂には、大きな普賢菩薩騎象像と小さな普賢菩薩騎象像がおられる。
 金沢文庫には小さいほうの普賢菩薩さまがお出ましだった。
 仏法紹隆寺は諏訪大社の神宮寺や別当寺を務めていたが、近世になってその機能を他寺に移し、諏訪氏高島藩の祈願所となった。明治初め、神仏分離に際して、諏訪大社の上社の神宮寺普賢堂の本尊普賢菩薩像と、上社神宮寺の子院だった如法院の本尊普賢菩薩像が仏法紹隆寺に移座されることとなった。現在、仏法紹隆寺に2躯の普賢菩薩騎象像がおられるのは、こうした経緯による。神宮寺普賢堂のものが大きいほう、如法院のものが小さいほうの普賢菩薩さまだ。
 今回出陳されたのは、子院である如法院に伝わった小さいほうの普賢菩薩さまである。南北朝時代のきらびやかな印象の仏さまだ(お寺のサイトには鎌倉時代とあるが、今回の展覧会では南北朝と記載)。前回の善光寺ご開帳の際、隣の美術館の仏像展にも出展された長野県宝である。
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(↑如法院旧本尊が出陳。写真は金沢文庫Twitterより)

 一方、今回は出展されなかったが、神宮寺本尊は如法院本尊に比べかなり大きい。かなり傷んでいたそうだが、近年修理を終えられ、普賢堂の中央に安置されている。
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(↑諏訪大社上社神宮寺の旧本尊。筆者撮影2016年5月)

 金沢文庫の説明では、大きい方の普賢菩薩さま(つまり、神宮寺旧本尊)は神像と同じ素地仕上げで本地仏にふさわしいのに対し、如法院の普賢菩薩さまは金泥と極彩色が施されている点を指摘していた。本院と子院とで意図的に、対照的に仕上げたのでないかとのことだった。
 金沢文庫で両像の比較について説明があったが、神宮寺の普賢菩薩さまの写真展示がなく、文字だけの説明だったので、この辺りの経緯はわかりにくかったのではないかと思う。
 仏法紹隆寺の普賢堂では、この大きな普賢菩薩像の奥に、小さな普賢菩薩像がまつられている。

 なお、仏法紹隆寺には、小さな宝物館もあり、運慶らしき不動明王立像が安置されている。一年前の金沢文庫の運慶展にお出ましだったので、覚えている方もおられるだろう。庭園も美しく、気持ちのよいお寺なので、多くの方にお参りいただければと思う(必ずお寺に事前連絡を)。

他にも印象に残る仏像と神像が

 上記以外の彫刻では、鎌倉時代の僧形八幡神坐像(神奈川県・称名寺)、肩がこりそうな男神坐像(平安、個人蔵)、鎌倉時代文殊菩薩立像(神奈川県・阿弥陀寺)などが印象に残った。文殊菩薩立像は、春日大社本地仏とされる善円の文殊菩薩東京国立博物館)とそっくりだった。
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 チラシに掲載のこの随神坐像は、2017年「末法」展(京都の細見美術館)にも出展されていた。凛とした清らかさを感じる平安時代の神像で、今は個人蔵。個人蔵のお像を拝める機会、大変ありがたい。
 

【群馬】富岡市・龍光寺の小さな観音立像~戦時供出された銅像の胎内仏~

 群馬県富岡市・龍光寺さま。2018年夏、事前に電話でお願いし、お参りさせていただきました。とても暑い日でした。

 門前の大きな観音さまの銅像が戦時中に供出された際、胎内から小さな観音像が見つかったそうです。富岡市文化財に指定されているこの観音像を拝観させていただきました。高麗時代の作。胎内に収めるということは、何らかの由来や祈りが込められていたはず。小さなお姿に大きな想いを感じました。


 戦時供出された銅製の観音像は、同じく銅像地蔵菩薩坐像とともに、山門の前に安置されていたそうです。供出前の写真が額に入れて、大切に保管されていました。この貴重な写真を撮影させていただきました。享保年間の作で、かなりの美仏だったことがわかります。

(↑戦時供出された観音像。この観音像の胎内仏だった)

(↑地蔵菩薩銅像。観音像と一対だった)

(↑地蔵菩薩銅像の写真額の裏面)

 ご本尊さまは黒本尊と呼ばれる秘仏聖徳太子御作にして、宇多天皇の念持仏だったと伝わるそうです。黒本尊というと、東京・増上寺の家康ゆかりの阿弥陀如来像が思い出されますが、そちらとは関わりがないそうです。こちらの秘仏はその姿を目にすると失明するとの言い伝えがあり、残念ながらお見せできないと言われました。このような畏怖の念、尊重したいと思います。本堂内陣の奥、閉じた厨子越しにお参りさせていただきました。

 上の写真のように、本堂内陣におまつりされるのが、お前立の阿弥陀三尊です。浄土宗のお寺らしい阿弥陀空間。阿弥陀三尊と法然善導さまがおられる空間が好きです。南無阿弥陀仏。真夏の堂内に副住職のお十念が響きました。

 本堂裏の墓地に、富岡製糸場女工さんのお墓が残されており、副住職さまにていねいに説明していただきました。世界遺産富岡製糸場の見学の際には、ぜひ合わせてお参りを。お寺の前に掲げられていた「尊いのは遺産ではなくて、そのために流された先人の汗である」という言葉の意味をかみしめています。

2018年6月の仏像拝観リスト

 2018年6月は、多摩仏像研究会と仲間たちで信濃仏をめぐったのが一番の思い出です。仏像好きな仲間と感動的な仏像に出会えただけでなく、役所や仏像をお守りする人々との関わりのなかで、たくさん学ぶことがありました。皆さまに改めてお礼を申し上げます。
 また、6月初めには、名古屋で所用があったので、早起きして2か寺をお参りしました。成願寺は、新しいスタイリッシュな本堂の中に、名古屋最古級の観音さまが不思議とマッチする素敵なお寺でした。本堂の設計を手掛けた建築家が紀州徳川家の当主だと知り、さらに驚きました。
 そして、名古屋では、大好きな栄国寺を再訪しました。少し前に本田不二雄『ミステリーな仏像』という本を読んだのですが、栄国寺の五臓六腑のある阿弥陀如来坐像について興味深い仮説が書かれていました。処刑され人体解剖された人を慰めるために作られた阿弥陀像なのではないかという話でした。栄国寺は処刑場の跡地付近に建てられたお寺で、江戸時代初めに処刑されたキリシタンを慰めるために犬山から遷座された本尊の阿弥陀如来さまもおられます。悲しい歴史のなかに阿弥陀さまの優しさを感じます。

2018年
6月3日
愛知県名古屋市
○成願寺
・十一面観音立像(名古屋で最古級、平安前期、164センチ)
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(写真は『東海美仏散歩』より)
○栄国寺
阿弥陀如来坐像
阿弥陀如来坐像
・清涼寺式釈迦如来立像 
・釈迦涅槃像
名古屋・栄国寺の丈六阿弥陀さま~悲しいから優しい~ - ぶつぞうな日々 part III(←2015年11月の参拝記録ですが...。大好きなお寺と阿弥陀様です!)
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2018年6月16日~17日
多摩仏像研究会と仲間たちの信濃仏をめぐる会
多摩仏像研フィールドワークで信濃仏をめぐる! - ぶつぞうな日々 part III


1) 福王寺(佐久市)(真言宗智山派
収蔵庫
阿弥陀如来坐像(138.3cm、カツラの一木 1203年 国重文)
〇観音勢至菩薩(脇侍、大和座り)江戸初期
弥陀堂
月光菩薩聖観音とも伝承)平安 市文化財
日光菩薩 鎌倉 市文化財
聖徳太子立像(雨宝童子) 市文化財
毘沙門天 市文化財
本堂
〇絹本著色愛染明王像(県宝、鎌倉後期~南北朝、92.5 x 51.5 cm)
【信濃仏】福王寺(佐久市)の力強い阿弥陀さまと雨ごい邪鬼の毘沙門天さま - ぶつぞうな日々 part III

2) 中禅寺(上田市)(真言宗智山派
薬師堂 
薬師如来坐像(97.7cm、カツラ、前後二材寄木、平安末期、重要文化財) 
〇神将立像(68.2cm、上記薬師如来の附として重要文化財指定)
仁王門
金剛力士像(平安末期、県宝)
【信濃仏】中禅寺(上田市)~こういう上品なお堂にはこういう上品な如来像がいらしてほしい~ - ぶつぞうな日々 part III

3) 大法寺(青木村)(天台宗
〇十一面観音立像(重文 170.9cm、カツラの一木、平安)
普賢菩薩立像(重文 106.3cm、カツラの一木、平安)
【信濃仏】大法寺(青木村)~瞳を閉じた十一面観音さまは何を感じ取ろうとされているのだろう~ - ぶつぞうな日々 part III

4) 智識寺(千曲市)(真言宗智山派
大御堂
〇十一面観音(重文 306cm、ケヤキ、一木)
境内の小さなお堂
〇釈迦如来坐像(室町)
【信濃仏】智識寺(千曲市)~3メートルの立木仏 十一面観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

5) 光久寺(安曇野市
〇日光・月光菩薩立像(善光寺仏師妙海1317年、県宝、桧材、寄木造)
【信濃仏】光久寺(安曇野市)若き妙海の日光月光菩薩像はかわいらしい双子のようだった! - ぶつぞうな日々 part III

2018年6月17日(日)

6) 覚音寺(大町)(真言宗智山派
千手観音菩薩立像(重文 168.2cm、桧材、寄木造)
持国天像(重文 161.5cm、桧、寄木造)
多聞天像(重文 157.6cm 桧、寄木造)
【信濃仏】覚音寺(大町)~「藤尾の観音さま」に家族の愛を想う~ - ぶつぞうな日々 part III

7) 栂の尾(つがのお)毘沙門堂(池田町広津)
毘沙門天立像(県宝、112㎝、桧、一木)
【信濃仏】栂尾毘沙門堂~盗難を乗り越えた信仰篤い毘沙門天さま~ - ぶつぞうな日々 part III

8) 海岸寺松本市
〇千手観音立像(県宝 159cm 桂 一木、平安中期)
【信濃仏】海岸寺(松本市)~ぶどう畑の中の千手観音立像~ - ぶつぞうな日々 part III

9) 牛伏寺(松本市)(真言宗
収蔵庫
不動明王立像(重文 12世紀)
毘沙門天立像(重文 12世紀)
〇釈迦如来坐像(重文 12世紀)
文殊菩薩騎獅像(重文 13世紀)
普賢菩薩騎象像(重文 13世紀)
薬師如来坐像(重文 13世紀)
大威徳明王像(重文 11世紀)
蔵王権現立像(県宝 10世紀)
〇奪衣婆坐像(県宝 1422年)
〇女神像、男神像(市重文 12世紀)など
※近くの円城寺の十一面観音立像(平安77.2cm 針葉樹の一木、市指定)が牛伏寺の収蔵庫にお預けされており、お姿を拝むことができた
如意輪堂
如意輪観音坐像(県宝、13世紀)

10) 辰野町・上島観音堂
〇十一面観音(重文89.4cm、榧材、一木造、妙海1323年)
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2018年5月の仏像拝観リスト

 2018年5月は念願の練供養2か寺をお参りできました! まず、12日、太山寺の練供養は、大きな阿弥陀堂の中で、すべてが展開されることに驚きました。丈六阿弥陀如来坐像の御前で、参加者が菩薩の衣装を身に着け、法要後に堂の周りを練り歩きます。幸せな空間と時間でした。
 14日、和歌山県有田市・得生寺の練供養は中将姫さまへのリスペクトに満ちたかわいらしい練供養でした。
 二つの練供養の間の13日は、中将姫に関するイベントで奈良町へ。徳融寺さまの當麻曼荼羅絵解きに感動。當麻寺中乃坊さまに自ら習いに行かれたのだそう。
 イベントのあと近くの璉珹寺へ。4月にお参りした高槻市・慶瑞寺が忘れられず、それと同時期の聖観音像にお会いしたくなり、お参りしました。堂内、聖観音さまの前に「仏像~一木の祈り~」展の図録が置いてあったのですが、その中で、こちらの聖観音さまのすぐ後のページに慶瑞寺の菩薩像が掲載されているのを見つけ、鳥肌が立ちました! 

 

5月12日

神戸市
竹中工務店大工道具館
太山寺練供養「聖衆来迎引接会式」
如意寺仁王像(鎌倉時代の塑像、市文化財

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5月13日

奈良国立博物館

法華寺文殊菩薩坐像 CTスキャンにより胎内にたくさんの教典が納められていることが判明。昨年のハルカスの西大寺展でお会いした文殊菩薩さま。


中将姫さまの絵本の出版記念イベントで、ならまちの中将姫さまゆかりの寺をめぐる

徳融寺
當麻曼荼羅の絵解き

安養寺(中将姫さまが出家を決意された場所)

誕生寺(中将姫さま誕生の場所。産湯の井戸、二十五菩薩の石像など。境内など特別拝観)

高安寺(特別に堂内拝観。中将姫坐像と父親である藤原豊成公の坐像が内陣中央にまつられる。融通念仏宗

璉珹寺(紀寺)
3回目の参拝。奈良末期から平安初期とされる聖観音像に魅了された。


5月14日

和歌山県有田市

得生寺練供養「中将姫大会式」

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」前編~中将姫寺=得生寺とは~ - ぶつぞうな日々 part III

【来迎会】得生寺「中将姫大会式」 後編~中将姫への愛がいっぱい~ - ぶつぞうな日々 part III

 

5月20日

東京都八王子市 高尾山琵琶滝

 

2018年4月の仏像拝観リスト

 2018年4月はまず、お釈迦様のお誕生日にご開帳の笠間の弥勒教会へ。近畿日本ツーリストクラブツーリズムに初参加し、なんと秘仏雨引観音様にもお会いできた。クラツーさんすごい。
 仏像リンクのdeep大阪は、愛知県あま市の練供養と日程が被り大変悩ましいところであったが、訪問先の濃さと仏友さんとご一緒できる楽しさを優先して参加。高槻の慶瑞寺の菩薩坐像、泉大津の千原大師堂の十一面観音立像などは、その後の私の仏像活動に影響を与えたと思う。
 東京国立博物館の展覧会(新指定文化財展と国華展)とあきる野市の大悲願寺再訪を経て、ゴールデンウィークの前半に再び関西へ。奈良県當麻寺で4月29日に行われる「練り初め(ねりぞめ)」を見学させていただいた。とても感動的だったし、勉強になった。手元に残るメモをなんとかブログに上げられないものか。
 大阪府八尾市の地蔵菩薩の練供養も楽しかった。鬼さんが登場し、地元の子どもが泣いてしまう地元のイベント。こういうものが残っていく日本であってほしい。
 また、滋賀の金勝寺の軍茶利明王さまと石山寺光堂の大日如来さまは特に心に残った。平安中期のどっしりとした優しいお姿に強く惹かれる。

2018年

4月14日 仏像リンクオフ会・deep大阪1日目

仏像リンクDeep大阪1日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 朝日山神蔵寺(京都府亀岡市臨済宗妙心寺派
ご本尊薬師如来坐像(重文)
日光菩薩月光菩薩立像(市指定文化財

2) 涌泉寺(大阪府豊能郡能勢町
日蓮宗

大威徳明王坐像
102.7センチ。一木割はぎ。平安12世紀頃。六面六臂六足の憤怒形。能勢町指定文化財
(平安後期とされてきたが、平成13年から14 年の京都美術院国宝修理所の修復時に、平安初期9世紀の作かもと言われた)
多宝如来坐像
94.8センチ檜寄木造り。彫眼。平安後期12世紀。大阪府重文。仏師「経深」の銘あり。
釈迦如来坐像
86センチ。檜寄木造り。彫眼。平安後期から鎌倉初期。

3) 安穏寺(大阪府豊能郡能勢町

東向き十一面観音菩薩立像
106.7メートル。四臂の十一面観音菩薩立像。檜、寄木造り。彫眼。12世紀。大阪府重要文化財。恵心僧都源信の作と伝わる。

4) 慶瑞寺(大阪府高槻市黄檗宗
木造菩薩坐像
昭和61年に本堂から見つかる。8~9世紀頃または平安初期の作。重要文化財
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5) 高槻市山手町の薬師堂(大泉寺の境内)
薬師如来坐像
86.0センチ。平安後期。高槻市文化財

6) 安岡寺(大阪府高槻市
木造千手観音坐像

4月15日 仏像リンクオフ会・deep大阪2日目

仏像リンクDeep大阪2日目速報 - ぶつぞうな日々 part III

1) 孝恩寺(大阪府貝塚市)浄土宗

平安時代中期の本尊阿弥陀如来などの仏像群19体と板絵1枚が収蔵庫に安置。いずれも重要文化財
虚空蔵菩薩立像は60年ほど前から大阪市立美術館に寄託。また、薬師如来立像は現在トーハクの国華展にお出まし中)
ほとんどすべてが榧の一木造り。
木造跋難陀龍王立像、阿弥陀の説法印を結ぶ弥勒菩薩坐像など。

本堂(国宝釘無堂)の内陣
来迎阿弥陀三尊と法然善導両上人。阿弥陀さまが美仏。


2) 千原大師堂(大阪府泉大津市) 
十一面観音立像
123.8センチ。10世紀頃。大阪府指定文化財。10世紀の仏像に目覚めてしまったかも。
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3) 天野山金剛寺大阪府河内長野市
金堂落慶記念の特別拝観=木造大日如来坐像(平安末期)、木造不動明王坐像、木造降三世明王坐像(鎌倉時代

平安後期の五智如来像が五仏堂に。五智如来さまの後ろに、真数千手観音立像

4) 日野観音寺(河内長野市日野)
木造大日如来坐像
147センチ。檜の寄木造り。12世紀 。重要文化財

5) 観福寺(和泉市
弥勒菩薩坐像

6) 正伝寺(大阪府四条畷市融通念仏宗
薬師如来立像
181.1センチ。一木の古様な造り。彫りは浅い。
ぷっくりあんよは後補。

4月20日 トーハク新指定文化財展と名作誕生展

1) 東京国立博物館 新指定文化財
2018年の新指定文化財展(東京国立博物館) - ぶつぞうな日々 part III

○東川院(岩手県一関市大東町
木造観音菩薩坐像(114 .3 cm)
穏やかな作風に平安末期の彫刻様式を示す。吊り気味の目など新しい傾向もみられ、1170~80年代頃の製作と考えられる。

○西光寺(愛知県津島市
木造地蔵菩薩立像(159.6cm)
運慶周辺の仏師による。最近行われた保存修理により納入品が発見され、1187 ~1193 年頃にかけて行われた諸国勧進により多くの結縁者を得て製作されたことことが判明。胎内納入文書の一部も公開されている。

○円常寺(滋賀県彦根市
木造阿弥陀如来立像(快慶、98.8cm)
三尺阿弥陀は数多くあれど、快慶は別格だと再認識。


2) 東京国立博物館
「名作誕生」展(創刊記念『國華』130周年)
名作誕生展(東京国立博物館)に一木造り薬師如来立像が林立! - ぶつぞうな日々 part III
平安一木造りの薬師如来立像が林立!
唐招提寺元興寺(内ぐり)、孝恩寺(ものすごい破壊力)、桜井市笠区(あまりの迫力)、淡路島、京都の春光寺(和様の兆し)

4月28日滋賀県(憧れの金勝寺、石山寺三井寺の特別拝観)

滋賀県

栗東市・金勝寺
春と秋の土日祝日に運行されるバスに乗り、念願だった軍茶利明王にお会いできた。
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大津市
石山寺光堂特別公開 10世紀の大日如来(多宝塔の旧本尊)など
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三井寺
本堂内陣特別拝観 新羅明神本地仏文殊菩薩坐像

観音堂特別拝観 本尊如意輪観音厨子は閉まっていたが、脇侍の不動明王毘沙門天を内陣で拝観できた

4月29日奈良県(正蓮寺大日堂と當麻寺練り初め見学)

奈良県
橿原市・正蓮寺大日堂

葛城市・當麻寺

護念院 練り初め見学
(練供養当日に菩薩になられる方向けの法要を堂外から見学させていただく。どの菩薩になるのかのくじ引きが行われ、練供養のクライマックスである引接シーンを観音勢至普賢菩薩が実際に演じた。この3菩薩は動きの練習が必要で負担が大きいため、上記のくじ引きによらず、地元の方が務めておられる)

奥院(阿弥陀堂特別公開)、曼荼羅堂、講堂、金堂、中之坊(導き観音立像)を拝観

曼荼羅堂の當麻寺曼荼羅阿弥陀如来立像、織姫観音さまが大好き。織姫観音さまはお会いする度に好きになる。講堂は丈六阿弥陀さまが胸にしみた。
また、奥院の本堂が特別公開されており、平安の聖観音立像や地蔵菩薩立像を拝むことができた。

4月30日 奈良市から大阪・三津寺の公開、そして八尾の練供養へ

奈良市・伝香寺
普段は収蔵庫におられる地蔵菩薩立像が、奈良国立博物館の「春日大社」展にお出まし中。その代わりに、本堂の釈迦如来坐像が収蔵庫に安置されており、拝観できた。本堂の釈迦如来坐像は年に2回しか公開されないので、大変貴重な機会だった。宿院仏師の作。

奈良国立博物館春日大社」展 
円成寺の平安前期の観音立像。明るい環境でよく拝観でき、感動もひとしお。

興福寺国宝館
改装後、初参拝。銀の仏手が展示されておらず、ショックを受ける

大阪市文化財公開・三津寺(難波)
平安から江戸まで、多様な仏像群にただただ唸る。機会があればまたお参りしたい。

大阪府八尾市・常光寺
【来迎会】大阪・常光寺の八尾地蔵練供養~鬼さん登場の怖くて楽しい練供養!~ - ぶつぞうな日々 part III

八尾地蔵練供養! 小野篁ゆかりの本尊地蔵菩薩立像は市の文化財

以上

【来迎会】二十五菩薩練供養@愛知県愛西市(勝軍延命地蔵菩薩ご開帳)

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 愛知県愛西市・勝軍延命地蔵大菩薩さまの17年ぶりの開帳に合わせて、二十五菩薩練供養が行われるという情報が入り、出かけてきた。開催されたのは2018年9月2日。
 事前の想像より100倍以上楽しい練供養だった!

特徴1) 勝軍地蔵さま17年ぶりのご開帳

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 まず、勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳が熱い。
 開帳仏がおられるのは、西條八幡社の隣の小さなお堂。Google地図にもお堂の名前は載っていなかった。写真左が地蔵堂、右が西條八幡社である。
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 17年に一度のご開帳の期間は2018年8月26日から9月15日。しかも、この21日の間、24時間、夜通しで行われたというのだから驚いた。地元の信徒が夜通し交代で番をしたのだそうだ。大変だろうなと思う一方で、深夜に開帳仏さまと向き合えるのも幸せなのでは、とも思う。
 ご開帳の仏様、勝軍延命地蔵菩薩さまのお姿は上の写真のとおりである。伝教大師最澄が唐の彫像を模して刻んだと伝わるが、実際には鮮やかに彩色されていて、制作時期はわかりにくい。騎馬像ではなく、二本の脚で立っておられるところも珍しいのではないだろうか。勝軍地蔵菩薩の古例である京都清水寺本尊の脇侍も、勝軍地蔵菩薩の立像なのだそうだ。
 文化財未指定であるが、今回のご開帳時に専門家を招いて調査する予定だという話も聞いた。何か新しい見解が出てくるのだろうか。ただ、今回のご開帳の賑わいをみると、文化財的価値はどうでもよくなってくる。坂上田村麻呂徳川家康も参拝してご利益を得たと伝わる勝軍延命地蔵菩薩さまだ。ご開帳が多くの人々をつなぐ機会となっており、大きな敬意を覚える。
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(↑過去のご開帳の看板が堂内に飾られていた)

 この21日間のご開帳の中日(なかび)、”中開帳”と呼ばれる日に行われるのが、二十五菩薩の練供養である。勝軍延命地蔵大菩薩のご開帳なのだから、武者行列でもよさそうだが、なぜか聖衆来迎の練供養なのである。これが本当に温かく、賑やかにして和やかな練供養だった。そう感じるバックグラウンドとして、勝軍地蔵さまを慕う人々の思いがあるのではないだろうか。

特徴2) あま市の蜂須賀蓮華寺からご出張

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(↑観光協会から事前にメールでいただいたポスター画像)
 愛西市で二十五菩薩練供養と初めて聞いたときは、自分の耳を疑った。愛知県の練供養と言えば、あま市の蜂須賀蓮華寺の二十五菩薩来迎会(毎年4月第3日曜日に開催)がある。しかし、それ以外は聞いたことがなかった。
 練供養は衣装や菩薩面や持物、雅楽の演奏など、かなりの準備が必要なものである。資金も人手もいる。そう簡単に17年ぶりに開催できるものではない。もともと愛西市の勝軍地蔵堂に練供養が伝わったのか、それともどこか別の寺から借りてきて行われるのか…。
 ネット検索しても疑問は消えなかったので、愛西市観光協会に電話とメールで連絡してみた。関係者の方に問い合わせてくださったところ、やはり二十五菩薩の練供養は「あま市蓮華寺から出張して開催する」とのことだった! さらに、愛西の勝軍地蔵菩薩のご開帳の度に、二十五菩薩の練供養は行われているとも伺った。
 来迎橋はかけられるのか、二十五菩薩全員お揃いなのか、など、気になることはたくさんあったが、そこはあえて事前調査をせず、とにかく出かけることにした。外野の人間が事前に関係者に質問責めにして、ご迷惑をおかけするのはしのびない。とにもかくにも、17年に一度と言われたら、行かざるをえまい!

特徴3) 田んぼの中を1時間も練り歩く

 二十五菩薩練供養は、2018年9月2日(日)14時30分、大きな花火の音を合図にスタートした。出発地点は勝軍延命地蔵堂の東隣にある林證寺。田んぼの中の道を1時間もかけて菩薩さまは歩かれ、終点の地蔵堂に到着した。
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 私はスタート時から終点の地蔵堂まで菩薩さまの列について歩いた。つまり、1時間という長い時間、菩薩さまと一緒にお散歩できてしまったのである! 
 Google地図でざっと見たところ、総距離2キロほどあったのではないだろうか。岡山県・誕生寺の練供養会式も参道を練り歩くので、菩薩さまに付いていくのが楽しいのだが、それでも300メートルを往復である。愛西市・勝軍延命地蔵堂の練供養の移動距離の長さは特筆すべきだろう。
 田んぼの中に民家がぽつぽつと並ぶ地域をのんびりと菩薩さまは歩かれた。菩薩さまの列のそばを私はただついて歩いた。菩薩さまとお散歩しているような感じだった。もうそれだけで訪れた甲斐があった。
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特徴4) 菩薩さまに触れていただく

 さらに驚いたのは、「菩薩さまに触れてもらって、ご利益をいただいてください」と言われたこと。人々は菩薩さまに近寄って、頭をなでてもらっていた。
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 こちらの菩薩面は半円を二つ並べたような眉毛と細めのおめめが特徴。正面から見ると、にこやかに笑っておられるように見える。頭をなでてもらう側の衆生もみな頬がゆるむ。笑顔×笑顔なのだ! なんともうれしい笑顔の相乗効果!
 私も二度ほど頭をなでていただいた。一回目は成功したのだが、二度目に観音さまとの距離がうまく取れず、観音さまの持つ蓮台に頭をゴツンとされてしまった。蓮台はなかなかのスピードで私の頭を打撃し、私の脳内に大きな電飾花火が飛び散った。こんなに素敵な経験はなかなかできない!
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(この木製の蓮台が私の頭を直撃した)

特徴5) 実にのどかなパレード

 こんなに盛大な練供養でありながら、交通規制はしてなかったようだ。途中で車一台が通りかかり、道端を歩く菩薩様の列の横を通り抜けていった。係りの人が菩薩さまに「車が来まーす。道路脇に寄ってくださーい」。菩薩さまはもともと道路の左脇を歩いておられるので、まったく混乱はなく、車は静かに通り過ぎていった。こんなシュールな場面にはそうそう出くわせない。つい笑ってしまい、慌てて撮ったのがこちらの写真。ピンぼけしてしまった。
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 菩薩さまの列は1時間ほどのんびりと進み、ついに、ご開帳の行われている勝車延命地蔵大菩薩さまのお堂に到着。小さなお堂の軒下の周りに造られた通路を一周した後、境内を出られ、去っていかれた。気温30度を超す暑さにもめげず、最後まで笑顔で、人々の頭をなでながらー。
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特徴6) 世代をこえて

 練供養ルートの途中で、菩薩様の列が近づくのを待っている親子がいた。若いお父さんとお母さん、そして、ベビーカーに座る幼子だった。お母さんがお子さんに「17年前は〇〇おじさんが菩薩になったのよー」と話しかけていた。〇〇の部分は覚えていないが、おそらく親戚か親交のある男性を指しているのだろう。私はそれを聞いて、世代を越えた継承とはこういう形で実現するのかと納得した。
 蜂須賀蓮華寺の練供養は毎年行われるが、ここ愛西市の練供養は勝軍延命地蔵菩薩さまのご開帳のときだけ。17年に一度っきりだ。17年前を思い出し、17年後の未来を想う。そういう機会なのだろう。
 今回のお稚児さんが17年後には菩薩さまになるかもしれない。その菩薩さまは結婚して子どもが生まれ、その子もお稚児さんになるかもしれない。そういう形で伝統が受け継がれるコミュニティがこれからも続いていってほしいと思った。よそ者の勝手な願いかもしれないが。田んぼの中の道を菩薩さまと歩きながら、そんなことを考えていた。
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 奈良の當麻寺のように荘厳な練供養はもちろん素晴らしい。一方で、このように庶民との距離が近い練供養にもたまらない魅力がある。困る。非常に困ってしまう。ますます二十五菩薩練供養が好きになってしまうではないか。

【2019年お正月ご開帳仏まとめ 1月3日編】神奈川県大磯町と伊勢原市で神像と仏像を拝む

 2019年1月3日のまとめです。湘南へ行ってきました。晴天で、富士山がきれいでした!
 朝、大磯町の二宮駅を降りると、すぐそばの道で箱根駅伝が開催されており、はからずもランナーを応援してしまいました。真摯に前を見て走る選手の姿が尊かったです。

 以下の3か寺と1社をお参りしました。

神奈川県大磯町・六所神社(相模國総社)

神像2躯が1月3日のみのご開帳 いずれも県指定文化財
【神奈川】相模国総社六所神社(大磯町)の神像を拝む - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県大磯町・王福寺の薬師如来坐像

重要文化財、像高131.2センチ、榧の一木造り。平安時代
こちらは正月開帳ではなく、雨天時を除き予約拝観が可能。
【神奈川】大磯町・王福寺の薬師如来坐像~平安のカヤの一木造り~ - ぶつぞうな日々 part III

神奈川県伊勢原市・浄発願寺

 木喰僧、弾誓上人が開山で、天台宗弾誓派。丈六の阿弥陀三尊がおられる。予約なしで拝観できる
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本尊 阿弥陀如来坐像 約200センチ
脇侍 観世音菩薩立像・勢至菩薩立像 約165センチ
1686 年、第四世空誉弾阿上人と弟子の空幻明阿上人の合作

 山の中の落ち着くお寺。今回が3~4回目のお参りだが、京都大原の古知谷阿弥陀寺をお参りしてからは初めてだ。古知谷で弾誓上人さまのお像をお参りしたことを思い出し、胸があつくなった。
 弾誓上人さまの活動は仏教の主流とは離れた、独特なものだと思う。浄発願寺も山岳修行の場であると同時に、殺人放火を除く罪人を受け入れる駆け込み寺だったそうで、かなり特殊なお寺だったと想像する。
 お寺に手伝いにきている男性と少し話した。浄発願寺はもともと1キロほど上流の場所にあったが、昭和13年の台風による山津波で壊滅状態となり、現在の場所に移ったそうだ。かつての寺跡は奥院とされ、弾誓上人のお像がまつられているそうだ。山道なので、また日を改めて、奥院をお参りしたい。弾誓上人についてもう少し深く学びたいのだが、日々の忙しさにかまけてなかなか機会が作れずにいる。なんとかできないのものか。

神奈川県伊勢原市日向薬師

 ご本尊は平安時代の鉈彫りの薬師三尊さま。
私はこの鉈彫り三尊さまが好きで好きでたまらない。ご開扉はお正月三が日と初薬師1月8日と4月15日の年5回。
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(写真は2006年「仏像 一木にこめられた祈り」展図録より。両脇侍像は私が合成)
 カツラの一木造り。内ぐりなし。
 薬師如来116.6センチ、左脇侍123.3センチ、右脇侍123.9センチ 平安時代10世紀
 日向薬師の薬師三尊は、彫り出される前、木の中でも、あのお姿でおられたのではないか。そんな風に感じてしまう。一番好きな鉈彫り仏なのであります。
 両脇侍は全身に鉈彫りによるノミ目が入るのに対し、薬師如来のほうが鉈彫りは抑え気味であるが、これは尊格の違いを示そうとしたと考えられている。薬師如来螺髪を彫りだし、顔や胸は滑らかに仕上げている。
 実は2018年は鉈彫り仏にお会いする機会がなく、個人的に深刻な鉈彫り仏不足に苦しんでいたのだが、おかげさまで瞬時に解消できた。

【神奈川】大磯町・王福寺の薬師如来坐像~平安のカヤの一木造り~

 2019年1月3日、神奈川県大磯町の六所神社(神像の公開)から再びバスで移動し、近くの王福寺で平安中期の薬師如来坐像にお会いした。

王福寺とは

 神奈川県大磯町の山寄りにある東寺真言宗のお寺。行基菩薩によって開かれたと伝わる。現在の境内よりさらに500メートルほどの山の上に、本堂その他の堂宇を構え、末寺も立ち並んでいたと考えられる。平塚方面や相模湾伊豆大島、箱根を見渡す眺望のよい場所なのだそうだ。周辺の地番台帳には、本堂、薬師下、薬師向、仁王平などの地名が残されている。
 王福寺の名前が歴史書に初めて登場するのが『吾妻鏡』。建久3年(1192年)に、源頼朝北条政子の安産祈願のため、相模の国の27の寺社に神馬を奉納したのだが、その一寺として「王福寺 坂本」の名が記載されている。1505年の兵火のあと、栄範律師により現在の場所に再興。1603年にも火災に遭ったが、5つの末寺を合併して一山一寺とし、平安時代薬師如来坐像を守り抜いてきた。

薬師如来坐像

王福寺の薬師如来坐像
重要文化財、像高131.2センチ、榧の一木造り。平安初期から中期

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 お寺に到着すると、ご住職が収蔵庫を開けてくださった。収蔵庫の階段をのぼると、大きな薬師如来さまが目の前に近づいてきた。

 どっしりとした量感があり、それでいて穏やかな表情の薬師さまだ。

 豊かな頬に切れ長の目。高くて大きな肉髻。大きな耳。量感ある体躯。腕は太く、手も大きい。組んだ脚の両膝が大きく張り出す。斜め前から覗き込むと、胸部や腹部にかなりの厚みがあった。写真で見た以上の迫力だ。思わず感嘆の息を吐き出す私。
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 像底から頸部の下まで背面から内ぐりをし、背板があてられている。ただ、内ぐりはごくわずかなものであるため、お像はかなりの重みがあるそうだ。二人で持ち上げるのさえ大変だったとご住職がおっしゃっていた。
 また、膝から下の彫り方も古風なのだそうだ。「普通なら膝頭から地付部へかけて丸みのある曲線をなして彫り込むべき膝の下半部を、本像ではあまり削らずに、わりと直線的に地付へ達しています」(お寺のリーフレットより)。量感ある一木造りの体躯とともに、「こうした表現方法は、平安初期から中期へかけての一木彫成像に見られる特徴」(同上)なのだとか(知らなかった!)。しかも、榧材の一木でこの大きさは大変貴重だと思う。

襟立如来さまと呼んでよいものでしょうか?

 個人的には、首周りの衣の襟が立っているように見える点が気になった。2017年の島根の仏像展で、松江の仏谷寺の薬師如来坐像雲南市の禅定寺の阿弥陀如来坐像など、襟の立った平安仏を見てきたからだ。大和郡山市の東明寺の薬師如来坐像奈良県桜井市・報恩寺の阿弥陀如来坐像も襟が立っている。好きでたまらない仏様ばかりではないか!

 奈良県大和郡山・東明寺の薬師如来坐像はかなりとがった感じである。
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 9世紀に遡る強い印象の薬師さまだ。襟のことは私は失念していたのだが、今回ご一緒した桃さんに教えていただいた。確かに襟が立っている!(写真は大和郡山市のサイトより)

 そして、島根県松江市・仏谷寺の薬師如来坐像も強烈な印象だった。

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写真は島根の仏像展(2017年、古代出雲歴史博物館)図録より

 そして、島根県雲南市・禅定寺の阿弥陀さまはこのようなお姿。
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 学ランの前をはだけたようにも見え、私の中では、「阿弥陀界の優しいツッパリ番長」の地位を占めている。大好きな阿弥陀さまで、本ブログでも、「制服を着崩したツッパリ番長」や「襟立ち如来さま」という言葉で愛を叫んでいる(雲南市・禅定寺の阿弥陀如来坐像~優しい番長さんw~ - ぶつぞうな日々 part III)。片思いだとは信じたくない。禅定寺の阿弥陀さまは東明寺や仏谷寺と比べると、ずいぶんとくだけていて、穏やかだ。厳しいか穏やかという観点でみると、東明寺と仏谷寺→王福寺→禅定寺という順で穏やかさが増していく感じだろうか。

 さらに、平安後期にも襟立ての特徴をもつ如来様がおられる。奈良県桜井市外山・報恩寺の阿弥陀如来さまだ。お像の雰囲気は平安後期の気品に満ちており、上記の如来様とは全体の印象がだいぶ異なるのだが、こっそり襟を立てている。今、写真を見返すと、襟の感じも上記の如来さまたちとはだいぶ違う。チャーミングである。こちらも大好きな阿弥陀さまだー!

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筆者撮影2017年5月

 そして、2019年正月、また新たに、大好きな「襟立ち如来さま」に出逢ってしまった…。

 ---と、ここまで興奮気味に書いてきたが、改めて王福寺の薬師如来さまの写真を見ると、東明寺、仏谷寺、禅定寺ほど、襟が際立って立っているとは言えないように思えてきた...。

 王福寺の薬師さまが好きすぎて、私は暴走しすぎたかもしれない。見当違いだと思われる方がおられれば、どうか看過ください。

 襟を立てた仏像に焦点を当てた研究はないのだろうか。もしあれば、ご教示いただければ幸いである。


 なお、堂内には、十二神将もお揃いであられた。大きな像ではないが、鎌倉時代の作だそうだ。文化財未定。さらに研究が進むことを願う。
 

 最後に、お正月であるのに、突然の電話での拝観依頼を快諾くださり、収蔵庫を開けて、ご説明くださったご住職に感謝申し上げたい。お話を伺うなかで、お仏像をとても大切にされてることが伝わってきて、さらに感動した。当日の朝、二宮駅で偶然会って、王福寺に同行くださった桃さんにもお礼を申し上げたい。桃さんのTwitterの書き込みを前夜に発見し、六所神社のそばに王福寺があることを知ったのでした。幸運な偶然でした。ありがとうございました。

【拝観案内】

大高山王福寺
〒259-0101 神奈川県中群大磯町寺坂639
電話 0463-71-2102
基本的には寅年のご開帳だが、雨天時を除き予約拝観が可能
上記の王福寺薬師如来さまの写真2枚はポストカードより

【神奈川】相模国総社六所神社(大磯町)の神像を拝む

 1月3日にのみ公開される神像を拝むため、神奈川県大磯町にある相模国総社、六所神社に出かけてきました。
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 女神像が70センチ弱、男神像が75センチほど。一木造りで、背中から大きく内ぐりあり。11世紀末~12世紀前半。

1) 今回は無駄に前書きが長い。箱根駅伝だから。

 公開日の1月3日は箱根駅伝の復路が行われる日だ。駅伝についてはほぼ無知な私だが、大磯の近くを通ることくらいは知っている。周辺の混雑は心配だったが、それなら駅から徒歩で行けばいいやと思い、家を出た。駅伝とは基本的には無縁だと思っていた。
 ところが、びっくり。最寄り駅である東海道線二宮駅に着くと、なんと、駅伝の応援の声が聞こえてきた。なんと、なんと、駅前の交差点を駅伝ランナーが走っていくではないか! 本物の箱根駅伝が目の前に!
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 そのとき急に私の応援スイッチが入ってしまった。わが娘の駅伝を応援したときの高揚感がよみがえってきたのである。彼女は弱小陸上部の部員だったが、応援するのは楽しかった。そんなわけで、どこの誰だかわからない選手に思わず応援の声をかけてしまった。あとで調べてわかったのだが、私が到着した朝10時前頃は、箱根7区の下位の走者がちょうど走り抜けていくところだったらしい。私が応援したのは山梨学院大学の選手(奄美出身の川口竜也くん)だったようだ。川口くん、二宮駅前で「がんばれ~!」と叫んだのは私です。瞬時に走り抜ける姿、貴く感じました~
 前書きが無駄に長くなってしまったが、ほんの数分間だけテンション高く駅伝の応援をしたあと、駅前からバスに乗り込み、神社へと向かった。そして、なんと、私が尊敬する仏像ブロガーの桃さんと偶然バス停で会い、ご一緒させていただくことになった。やったー。お正月3日の朝から、思いもよらぬ幸せな偶然が続いた。ほどなくバスは動き出し、箱根駅伝のルートを進んだ。応援を終えた人たちが歩道を歩いていくのが見えた。渋滞もまったくなく、神社に到着できた。

2) ついに本題。六所神社の神像について

 さて、本題に移ろう。
 六所神社は、第十代崇神天皇の頃、出雲地方から移住した氏族が祖神である櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)様をまつったことに始まる。大化の改新の後、相模国の総社として現在の場所に遷座し、他の五社(一之宮=寒川神社、二之宮=川勾神社、三之宮=比々多神社、四之宮=前鳥神社、および平塚八幡宮)を合わせまつって六社神社と称するようになった。
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 六所神社の社殿でお参りすると、大きな注連縄が目を引いた。これは島根の出雲大社の注連縄を手がける職人の手によるもので、昨年末に5年ぶりに新調したばかりなのだそうだ。大きくて新しい注連縄が清々しく感じられた。

 公開されるのは六所神社に伝わる女神像と男神像の2躯。本殿の一番奥に安置されていたのだが、神奈川県立歴史博物館「神々と出逢う―神奈川の神道美術―」展(2006年年2月18日~5月7日)の準備のため、同館の学芸員が調査に入り、日の目を見ることとなった。同年、大磯町の文化財に指定されたあと、2009年に神奈川県の重要文化財に指定。両像とも洗練された作風が共通し、制作時期は11世紀末から12世紀前半と考えられている。

2-1) 木造 女神形立像(じょしんぎょうりゅうぞう)

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 68.1センチ。一木造り。六所神社では、主祭神である櫛稲田姫命さまとされる。両肩に下がった髪の毛が可愛らしい。お腹の前でゆったりと結ぶ着衣の形が女性の天部のようで、吉祥天さまが好きな私はどきどきした。男神像より像高は小さいが、脚の下の方が失われているので、実際にはもう少し高さのある像だったのだろう。

2-2) 木造 武装神形立像(ぶそうしんぎょうりゅうぞう)

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 75.1センチ。一木造り。小顔ですらっとしたお姿。甲冑と天衣をかっこよく着こなし、腰をひねる。
 大磯町のガイドさんいわく「奈良の興福寺の阿修羅さまに引けを取らない美男子」とのこと。別に比べなくても、それぞれの美しさがあると私は思うのだが。そう言いたくなってしまうほど、この神像がかっこよく美しいということなのだろう。そして、悩んでいるようにも見えるところも阿修羅様と似ているのかも。ガイドさんの自慢げな説明に拍手を送りたい。六所神社では、櫛稲田姫命さまの夫、素盞嗚尊(すさのおのみこと)さまだと考えられている。

 また、ガイドさんに写真を見せていただいたのだが、両像とも大きく内ぐりが施されている(下記参考資料にある「観仏日々帖」サイトに写真がある)。

2-3) 神像特有の異相表現

 境内に説明の看板があり、そこに大変気になる文章が書かれていたので引用したい。

武装神形立像は甲冑を身につけ、腰を絞り動勢をみせる立ち姿、女神形立像は髻を結った髪を両肩に垂らし、唐衣を着て直立した姿をしています。両像とも形姿は仏教的ですが、純粋な仏教尊像とは異なる苦悩・瞑想などともとれる神像特有の異相(いそう)表現を看取することができます。

 私が気になったのは後半の部分。形姿は仏教的だが、その一方で、神像特有の異相表現が見られるという点である。つまり、天部の仏像と同じように見えても、その表情は仏像とは異なるということなのだろう。仏像か神像かを見分ける点がそこにあったとは。 私には難しすぎる! 理解できているとは思えないが、今後は「苦悩・瞑想などともとれる神像特有の異相表現」に注意して、神像を見るようにしたい。

2-4) 神話の中の櫛稲田姫命と素盞嗚

 この女神と男神は夫婦なのだそうだ。二人の物語は六社神社のサイトに次のように書かれている。

 六所神社の大神様、櫛稲田姫命様は、出雲国にお生まれになり、少女の頃、永年人々を苦しめていた八岐大蛇という怪獣に命を狙われ、絶体絶命の時、須佐之男命様という力強く荒い神様が救いに現れました。
 大神様は、自らを本性なる奇魂(周囲に不思議な現象を起こす力)に身をかえ、強い霊力となられて、須佐之男命様の力となり、みごと八岐大蛇を退治なされました。

(中略)

 この御神縁によって須佐之男命様は荒魂を和らげ、より強く尊い神様となられ、大神様に求婚され、大きな宮居を造り、何人もの尊い神様をお産みになられました。これは、須佐之男命様の強い荒魂に、大神様の必死の奇魂が合致し、誠に大きな霊力が生まれたことにあり、奇櫛は、女性の命であり、奇魂の璽であります。

 普段、阿弥陀さまを追いかけている私には、なかなか激しい話だ。お守り授与所には、櫛稲田姫命さまの強い霊力を込めたお守りが並んでいた。櫛の形をしたお守りだった。こちらの神様は女性の強い味方のようだ。

2-5) 拝観の環境

 社殿横の宝物殿で毎年1月3日9:00~17:30に公開される。無料である。
 宝物殿で近くで拝めるが、ガラス越しのため光の反射が強く、見えやすいとは言えない。正面から覗き込むだけでは、自分の顔しか見えない。まるで鏡である。せっかく来たのだから、なんとか自分の目でお姿を確認しようと、いろいろな角度から果敢に攻めてみた。神像なのだから、簡単にお姿を拝もうとする自分がいけないのだと思うことにした。努力してお姿を拝むことに価値があるのだろう。
 写真はもっと残念で、こんな感じでしか撮れなかった。人の写り込みを避けたつもりが、向かい側の木が思いっきり写りこんでいた…。
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 私が訪れたのは午前10時すぎで、晴天だったため、余計に光の影響を受けたのかも。午後の遅い時間帯や曇天や雨天の日のほうが見やすいかもしれない。再度チャレンジしたい。17:30まで開いているのだから、夕方がねらい目かも。箱根駅伝ファンも両立可能な時間帯である。

【注意!】2020年の公開は1月3日9-17時(17:30までではない)。そして、神像保護のため、今後当面の公開は見合わせるそうです。。。(2019.12.28追記)

参考サイト

〇一緒におまいりした桃さんのブログ 私は大ファンです!
momococks0505.blog106.fc2.com

〇観仏日々帖 古仏探訪~神奈川県大磯町・六所神社の御神像に初詣
観仏日々帖 古仏探訪~神奈川県大磯町・六所神社の御神像に初詣 【2015.1.3】
詳しい説明、勉強になります!

〇Web版 有鄰 座談会 かながわの神道美術—神奈川県立歴史博物館特別展示にちなんで—
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/yurin_459/yurin.html
上記で言及した2006年の展覧会に関する記事です。大磯町高来神社の木造神像群が気になります!

【2019年お正月のご開帳仏まとめ元旦編】東京と神奈川で平安仏を拝む~日野市の毘沙門天、世田谷の十一面観音、そして川崎の薬師三尊~

 新年明けましておめでとうございます。
 2019年のお正月三が日に6か寺と1社をお参りしました。お正月は古い仏像が特別公開される絶好の機会。普段電車で素通りする地域で、普段は非公開の平安仏にお会いできたりします。ここ数年、お正月のたびにお会いしにいく仏像もあります。大変幸せなことです。
 2019年1月1日に参拝したお寺は3か寺。以下の仏像さまを拝んできました。

東京都日野市・安養寺の毘沙門天立像

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 普段は本堂の阿弥陀三尊の横におまつりされている毘沙門天さまが、お正月の1日から7日まで、薬師堂に移され、間近で拝観できる。藤原時代の作で市の指定文化財。像高132センチ。檜の寄木造り。腰の極端なひねりが目を引く。日野の七福神の一員となっており、七福神めぐりの方々が多くお参りされる。写真撮影もOK。
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 公開時の薬師堂では、このように諸仏がまつられる。薬師さまは江戸時代、享保年間の作。ぬめっとした感じがある一方で、優しくかわいらしくもある。
 ちなみに、本堂の阿弥陀如来坐像は半丈六の平安仏で、東京都の文化財。拝観には予約が必要。智拳印を結ぶ大日如来の立像もおられるが、こちらも予約が必要。数年前に一度お参りさせていただいた。また、お参りできるとよいのだが。
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なお、安養寺の最寄駅は多摩モノレール万願寺駅。元旦は晴天で、富士山も拝めた。イケメン毘沙門天と元旦富士。なんともめでたい組み合わせである!


東京都世田谷区下奈根・観音寺の十一面観音立像

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世田谷区指定文化財、像高95.6cm、平安後期。
1月1日と8月1日に開扉。

 撮影不可なので、世田谷区のサイトに掲載の写真を貼っておく。お堂では、内陣奥におまつりされており、拝観には少し距離があるが、双眼鏡でのぞくと、美しい木目が見える。
 明古堂さんで、燻蒸に加えて、手先など欠落部分の補修をされた。
 去年のお正月に続いて二度目のお参り。お檀家様が次々お墓参りされているだけで、仏像目当ての人はそれほど見かけない。世田谷の静かな緑の中、静かにお参りできる。
 小田急成城学園前駅東急田園都市線二子玉川駅などからバスがある。バス停の下宿、喜多見小学校前などから徒歩ですぐ。
※康円の不動明王八大童子さまのおられる世田谷区下馬の世田谷観音寺とは別のお寺です。

昨年度の参拝記録はこちら
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神奈川県川崎市影向寺の薬師三尊(重文)、二天像および十二神将

 もう何度目か思い出せないが、今年もお参りしてきた。正月三が日にご開帳(確か11月3日のお祭りのときも)。
 薬師さまは一木造りでどっしりしているが、衣文の彫りは浅く穏やか。地方仏の温かさを感じる。あちこちお参りしてきて、やっと、ここの薬師さま独自の良さを認識できたような気がした。
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(↑上の写真2枚は影向寺のサイトより)
 収蔵庫の係のおじさまが毎年同じ方で、毎年同じおしゃべりするのも楽しみ。去年のお正月にお会いできなくて心配していたのだが、今年はお会いできて嬉しかった。去年はたまたまタイミングが悪かったようだ。
 また、今年はなんと、新しい仁王さんと観音像がおられてびっくり! おじさまの話によると、とある檀家さまの寄進なのだとか。なんとも素晴らしいお金の使い方である。寄進できて、夢が叶ったとおっしゃっておられるのだとか。仁王さんも寄進者さんもかっこよすぎる。
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 影向寺へは武蔵溝の口駅武蔵中原駅、武蔵小杉駅などからバスが出ている。個人的には、東急田園都市線梶が谷駅から2キロほどのお散歩をお勧めしたい。ゴミ焼却所(プール)の裏の道は古墳公園もあって楽しい。

【埼玉】熊谷・源宗寺の木彫大仏坐像(地方仏最高と叫びたくなる平戸の大ぼとけさま)

2018年12月8日
埼玉県熊谷市平戸・源宗寺
木彫大仏坐像(平戸の大ぼとけ)=薬師如来坐像観音菩薩坐像
約350センチ
江戸時代
熊谷市指定文化財

 熊谷駅から東北に2キロ余り。小さなお堂の中に、大きな大きな仏さまがおられた。それも薬師如来さまと観音菩薩さまという不思議なラインナップのニ躯。お堂の中にぎゅうぎゅう詰めの感じで座られていた。もしも仏様が立ち上がられたら、天井が壊れてしまう…。
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 今年一年、各地を旅して仏像にお会いしてきたが、最後にこのような独特な仏様にお会いできるとは。写真には収まりきらない迫力。それでいて、ものすごく親しみのわくお姿。地方仏、最高です!!!
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 源宗寺は鴻巣市の勝願寺の末寺で、官の支援を受けずに所有者である藤井家が継承してきた。仏像の胎内にあった秘伝書によって調合した薬が「平戸の妙薬」として有名となり、かつては近隣から参詣者が絶えなかったそうだ。

 しかし、近年では大仏坐像の公開はされておらず、今回のような一般公開は戦後初だという。2019年、老朽化したお堂の修理を予定しており、市民の機運を高めるために公開に踏み切ったそうだ。

 確かに、お堂は床が傾いていて、観音さまも傾いておられた。いつ床が抜けるかわからない。仏像の重量を考えるとかなり心配である。
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(↑観音さまの床下が空いていた)

 浄財支援の詳細はこれから発表されるようだ。微力ではあるが、必ず協力したい。

【来迎会】これまでお参りした二十五菩薩練供養リスト

 

1) 阿弥陀仏と二十五菩薩の「練供養」「来迎会」とは

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(↑岡山県久米南町・誕生寺)

 阿弥陀さまが二十五菩薩を従えてお迎えに来てくださるー。聖衆来迎の様子を現世の私たちの目の前に出現させようとするのが二十五菩薩の練供養です。人々が菩薩の面を被り、きらびやかな菩薩の装束を着て、練り歩きます。「迎え講」「来迎会(らいごうえ)」などとも呼ばれます。正式名称はお寺によって様々です。

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(↑岡山県瀬戸内市牛窓弘法寺

 

2) 日本三大練供養

 誰が言い出したのか知りませんが、奈良の當麻寺、岡山の誕生寺と弘法寺で毎年行われているものが、日本三大練供養と呼ばれています。それぞれ歴史も運営体制も異なりますが、日本三大という呼び名も納得の素晴らしさです。最初に練供養を観に行きたい人には特にお勧めします。

 當麻寺の開催日はこれまで毎年5月14日でしたが、温暖化の影響もあり、2019年から4月14日の開催に変更されます。観音勢至菩薩の迫力ある歩みと中将姫さまのお迎えシーンが感動的です。護念院の住職がうたわれる極楽和讃が泣けます。

 牛窓弘法寺は毎年5月5日。こちらは木造の阿弥陀如来像の中に、地元の男性が入って、菩薩様を迎えてくれます。体内をくりぬき、着ぐるみのように中に人が入れる木彫像(「迎講阿弥陀如来」「被仏」と呼ばれている)が実際に使われているのは日本でここだけです。菩薩さまは二十五菩薩ではなく、六観音と呼ばれています。観音さまが両手を静かにこすって、中将姫さまを迎え入れるシーンは感動的です。

 岡山県の美作誕生寺は毎年4月の第3日曜日に開催されています。浄土宗の開祖、法然上人がお生まれになった場所に建てられたお寺です。練供養では、法然さまのお父様とお母様の像が毎年交代で運ばれます。中将姫さまは登場しません。練供養の列は境内を飛び出し、参道沿いの地蔵堂との間を往復します。

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(↑奈良県葛城市・當麻寺

 

3) 実は多種多様な練供養が存在します

 一方、それ以外の練供養もそれぞれ味があります。これまで感動しないものに出会ったことがありません。町のお祭り的な感じの練供養もあります。二十五菩薩が全員揃わないお寺もあります。雅楽の演奏もなくひたすら念仏を唱えながら歩くところもあります。太鼓のリズムが終始流れる練供養もあります。菩薩さまがエレガントで、ファッションショーかと見紛うものもあります。菩薩役を務めるのが小学生のみという練供養もあります。幼少のときから聡明で優しかった中将姫の徳にあやかろうという意図で、子どもが菩薩になるのだそうです。

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(↑兵庫県加古川市・教信寺)

 

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(↑和歌山県有田市・得生寺)

 

4) 夢中になってしまうんです

 私が阿弥陀来迎の練供養というものの存在を知ったのが、確か21世紀を迎えた前後。初めてお参りした奈良の當麻寺で、菩薩さまが練り歩く写真を見て心が震えました。最初に思ったのは、「これは大好きな仏像が動いちゃうやつだ~。どうしましょ~」でした。いつか実際に見に行かなければと思いました。

 仕事や子育てでバタバタしている間に月日は流れ、実際に練供養を見に行くようになったのは2011年以降です。

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(↑大阪市・大念仏寺)

 ほんの数年の間に阿弥陀来迎の練供養に完全にノックアウトされました。

 行けば行くほど深みにはまります。

 おごそかな菩薩面を被り、きらびやかな装束を身にまとった菩薩さま。思わず手を合わせてしまいます。ですが、近くで良く見ると、合掌した手の先が緊張で震えていたり、光背が安全ピンで留められていたりします。その「聖と俗の狭間」が垣間見られるのも、たまらない魅力なのであります。

 

5) 私がお参りした来迎会リスト

 そんなこんなで、今年はなんと6か寺もの練供養を観に行ってしまいました。

 練供養は大半が4月と5月に実施され、僅かですが秋に挙行されるものもあります。今年の秋の練供養シーズンも終了しましたので、これまでに出かけた練供養をリストアップしてみました。ブログにまとめたものはリンクを貼っています。

 本当はもっとうまくまとめて、阿弥陀来迎の練供養の素晴らしさを伝えたいです。追々修正したり、新たな記事をアップしていければと思います。

 
2011年
8月16日 東京都世田谷区・九品仏浄真寺

2012年
5月14日 奈良県當麻寺

2013年

(5月23日 奈良国立博物館當麻寺」展)
(11月23日 岡山県立美術館「極楽へのいざない」展)

2014年
8月16日 東京都世田谷区・九品仏浄真寺

2015年

4月5日 兵庫県加古川市・教信寺(50年に一度、教信上人のお首の像が観音菩薩によって運ばれる)
5月3日 奈良県久米寺
5月4日 大阪市・大念仏寺
5月5日 岡山県瀬戸内市牛窓弘法寺

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2016年
4月17日 岡山県久米南町・誕生寺

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10月16日 京都市・即成院

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2017年
3月19日 長野県小諸市十念寺小諸市主催・第6回郷土伝統芸能のつどい)

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4月16日 岡山県久米南町・誕生寺
5月3日 兵庫県加古川市・西方寺(浄土宗西山禅林寺派

 

5月4日 大阪府大阪市・大念仏寺 万部おねり

10月8日 福島県喜多方市・願成寺

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2018年
4月29日 奈良県當麻寺練初め
4月30日 大阪府八尾・常光寺

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5月12日 兵庫県神戸市・太山寺
5月14日 和歌山県有田市・得生寺

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9月2日  愛知県愛西市・勝軍延命地蔵菩薩堂

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10月28日 奈良県宇陀市大宇陀 慶恩寺

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6) 練供養で最も大切なこと「信じるから強くなれる!」

 最後に大事なことを書きます。

 臨終のとき、阿弥陀さまが雲に乗ってお迎えに来てくださるーー。そう信じるための手段が練供養です。そして、そう信じることで、日々を強く生きていけるのだと思います。

 

【静岡】河津町・善光庵の十一面観音立像

2018年11月23日
善光庵 (河津町
 十一面観音立像(158センチ 針葉樹 一木造り 10世紀 県指定文化財

 伊豆半島の南部、静岡県河津町。河津川の河口から川沿いに2キロ余りの丘陵の中に、善光庵という小さなお堂がある。すぐ近くに「峰温泉大噴湯公園」「伊豆踊り子会館」という温泉施設があるが、少しだけ坂を登った先のお堂の周辺には、観光客も温泉客も見当たらない。とても静かなお堂である。

善光庵・十一面観音立像

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 仏友さんが予約してくれて、管理人の正木さんが鍵を開けてくださった。手慣れた様子でお香をたき、厨子を開けてくださると、黒く神々しい観音さまが目の前に現れた。
 等身大だが、それ以上に大きく見える。
 左右の眉毛がつながる不思議で優しいご尊顔。頭上の化仏はお顔をはっきりと彫り出さない。一番上の化仏は女神像のように見え、目を奪われる。
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 脚部の下の方が少し寸足らずな感じがするが、そんなアンバランス感も素敵に思えてしまう。
 江戸時代に火災で本尊を失ったため、近くの南禅寺から移されたという説もあるそうだ。「南禅寺から持ち込む際にお堂に入りきらず、脚を切った。切断した者の目におがくずが入り、失明した…」という恐ろしい話も伝わるそうだが、平成30 年秋のこの観音像からは、静かな慈愛しか感じられなかった。
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 腹部から脚部にかけての衣文が美しい。
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 背面は、前面の印象とは異なり、驚くほどのっぺりとしていた。彫りのあとがないのである。表情のない化仏と背面。霊験を感じてしまうのは、そうした仕掛けによるのだろうか。(↑上の写真は上原美術館の過去の図録より)
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南禅寺から流出したのか

 気になるのは、もともと南禅寺におられた仏像なのかという点である。
 善光庵のあと、「伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館」に行き、南禅寺の仏像群を拝観した。地蔵菩薩立像と眉毛の感じなどが似ているように感じたのだが、実際のところはどうなのだろう?
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(↑南禅寺地蔵菩薩立像。写真は特別に許可いただいた)
 なお、南禅寺から流出したとされる仏像には、京都西往寺の宝誌和尚像や仙台の成覚寺の観音立像、沼津の龍音寺の観音立像、千葉県山武市称念寺聖観音立像などがあるそうだ。他にもどこかにあるのだろうか。写真(↓)は仙台・成覚寺の観音像(2016年11月に参拝)。
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 私は仙台と沼津を一度お参りしており、宝誌和尚像は展覧会でお会いしているが、そうした流出仏を一度に拝観できる機会があるとありがたい。一度に見比べないと相違点がよく理解ができないので…。素人の素朴な願いである。


 最後に、拝観の機会をいただけたことが大変ありがたく、感謝申し上げたい。管理人の正木さんは先祖代々お堂をお守りされているそうで、うらやましい限りである。
 厨子の中に、防虫剤が吊してあった。小さな気遣いに、観音さまへの大きな愛が垣間見えた。お線香の香りの向こうに漂う防虫剤の匂いが、これほど愛おしく感じられたことはない。


参考
静岡県の仏像めぐり ほとけ道里あるき』(平成17年、静岡新聞社

【山梨】大善寺ぶどう薬師さまのご開帳(2018年)

大善寺のご開帳!

 山梨県甲州市勝沼大善寺で5年ぶりの秘仏薬師三尊ご開帳があり、お参りしてきた。
 大善寺は養老2年(718年)、ぶどうを手にした薬師如来を感得した行基がその姿を刻み安置したと伝わる古刹である。今年は開山1300年のメモリアルイヤーでもあった。2018年のご開帳は10月1~14日の二週間。私は7日の朝一番にお参りした。

秘仏はご本尊の薬師三尊!

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(↑写真は大善寺リーフレットより)
薬師如来坐像86.7cm、日光菩薩立像102.6cm、月光菩薩立像101.8cm。三尊ともにサクラの一木造りで、重要文化財

 私はとにかくこの三尊が大好きだ! 平安時代の優しさと安定感を放つ秘仏薬師三尊。にこやかに、ゆったりと坐す薬師さま。どっしりした威厳がありながら、かわいらしくもある。
 片手を下に垂らし、手の甲を翻す日光月光菩薩立像はチャーミング。リズミカルなその動きに私の心も踊り出す。
 5年ぶりのご縁が本当にありがたい。
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(↑写真は大善寺HPより。にこやかゆったりの薬師さま! 大好き~)
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(↑某書籍に掲載の写真をコラージュ。かわいい!)

蓮慶の十二神将と日光月光菩薩立像!

十二神将(1227年 145.9~138.2cm 桧の一木造り及び寄木造り 玉眼)
日光月光菩薩立像(1227年 日光菩薩248.0cm、月光菩薩 247.0cm 桧の寄木造り 玉眼)

 秘仏薬師三尊のおられる堂内には、さらに、140センチ前後の十二神将と250センチ弱のもう一組の日光月光菩薩立像が一直線に並ぶ。なんとも壮観だ! 秘仏三尊を含め、これら17躯すべてが重要文化財。諸仏の住まわれるお堂は国宝である。
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 (↑写真は甲州市観光協会Twitter 2018.10.3より)
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(国宝の薬師堂は1286年に建立。堂内の厨子も国宝で1355年のもの)

 秘仏本尊の両側に並ぶこれらの十二神将と日光月光菩薩立像は、鎌倉時代1227年、慶派の影響を受けた蓮慶という仏師によるものと考えられている。
 近年の十二神将の調査で、江戸時代の修復による塗装を取り除いたところ、武田信玄の時代の赤い彩色が現れた。通常の保存修理では、制作当時の状態に戻すのが基本だが、この十二神将はそのようにせず、戦国時代の彩色を残すことにしたのだそうだ。したがって、大善寺十二神将は今も、武田軍と同じ赤色を身にまとっている。鎌倉時代の彫刻に戦国時代の甲冑の赤色という組み合わせは感動的だ。
 十二神将はそれぞれ個性的だが、仏像ファンに特に人気なのが因達羅大将だ。この像だけなぜかノースリーブで、筋骨隆々の腕をさらけ出している。

 2メートル超の長身の日光月光菩薩両立像は、文永7年(1270年)に火災で堂とともに焼失した「新丈六仏」の脇侍像であった可能性が指摘されている。丈六薬師が坐像であれば、脇侍の立像としてふさわしい大きさである。

 仏師の蓮慶は、甲斐で活躍した仏師なのだろうか。他の作例としては、山梨県笛吹市・福光園寺の吉祥天坐像と持国天多聞天立像の三尊像が知られる。以前、予約して拝観させていただいたのだが、吉祥天さまは強くて優しく、それを支える二天像もまた強くてかっこよかった。元気をくれる三尊なのである。
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(↑2014年11月参拝時。写真ボケボケですみません)
 大善寺の蓮慶仏は秘仏ではないので、いつかまた、開帳以外の静かなときに、のんびりお参りしたい。その時は福光園寺も合わせてお参りし、蓮慶仏を堪能したいものだ。

大善寺と言えばぶどう!

 勝沼行基が薬としてぶどうの栽培を始めた場所とされ、本尊の薬師さまもぶどうの房を手に持っておられる。勝沼駅から臨む盆地には幾つものぶどう園が広がり、大善寺でもぶどうの栽培とワイン醸造も行っている。私はワインは飲めないが、ぶどうが大好きで、ぶどうをぜいたくに使ってスムージーにしたりする。つまり、大好きな仏像と大好きなぶどうが存分に楽しめるのが大善寺勝沼なのである。秋に大善寺を参拝できるのであれば、近くのぶどう園で新鮮で美味のぶどうを安く買い、行基さんを思いながらいただくことを提案したい。
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(↑インスタ映えをねらったのか、ぶどうがオブジェのように並べられていた)

ご朱印ご朱印

 今回、特別ご朱印が授与されていたが、そこにもぶどうが描かれている。
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 前回のご開帳のとき、一目惚れして購入した大善寺ご朱印帳にも、当然のごとく、ぶどうがデザインされている。
 特別ご朱印は書き置きのみなので、さっそくこの大善寺ご朱印帳に貼り付けた。
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 このご朱印帳には、山梨県限定でご朱印を受けるというマイルールを課している。山梨は仏像を宝庫。これからものんびりと巡りたい。

5年という時間

 個人的なことを少し書くと、5年前のご開帳のとき、我が家は何かと大変だった。大切な家族が前年に病に倒れ、長期入院していた。看病する私も心身の過労でしばらく動けなくなり、やっと立ち直りつつある時だった。5年前、無理して出かけた大善寺で、この薬師三尊さまと近くのぶどう畑の光景と香りに癒やされ、元気づけられた。今もとてつもなく感謝している。私が立ち直るきっかけだったように思う。(今でも書きながら涙ぐんでしまう…)
 そして、今回、5年前に入院していた家族と一緒に大善寺のご開帳にお参りすることができた。大善寺のあと、放光寺と恵林寺をお参りし、ほうとうをいただいて、ぶどうをたくさん買って帰ったのだが、その間ずっと夢をみているような不思議な感覚だった。それほど家族の病気はつらかったし、ご開帳日の勝沼の空はどこまでも青かった。家族の笑い声が青空に吸い込まれていく。それがとても不思議だった。人知の及ばない何かを感じずにはいられなかった。
 5年ごとのご開帳は人生を振り返る機会にもなる。

 なお、5年前の拝観記録はこちら(↓)から。
ぶどう寺、大善寺のご開帳: ぶつぞうな日々 PARTII