ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

2018年2月の仏像拝観リスト

2018年2月16日。ついに葛井寺の千手観音さまにお会いできました。天平仏はなぜにこれほど初々しいのでしょう! 胸や腕や背中が若々しく、とにかく美しい!! もう千本の腕がなくても美しすぎました。合掌手は希望をつかもうとしていました(そのように見えました!)
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天平仏、万歳!

また、2月は、仏友さんと一緒に、愛知県をめぐりました。
豊橋市普門寺、やっとお参りできました 四天王の邪鬼はなんと鉈彫り。抱っこしてきました。スキンシップで仏像愛がますます燃え上がりました。八角裳懸座の阿弥陀さまも素敵でした。
滝山寺の鬼まつり。松明30本ほどが本堂の周辺に飛び交います。鬼さんは優しいのですが、とにかく真っ暗闇の中、多くの松明が飛び回り、本堂内部が下陣にまで入り込みます。堂内には鎌倉仏をはじめ、秘仏薬師さまや十二神将など、仏像がひしめき合っています。
吉良の金蓮寺、専長寺の阿弥陀さま素晴らしすぎました。
名古屋の七寺の観音勢至は1170年代に造られたのですが、慶派の特徴があり、藤末鎌初好きにはたまらない仏像が残されていました。

…と、書き出すと止まらなくなります。

そういうわけで、2018年2月の仏像拝観リストは以下のとおりです。

2018年

2月16日(金)
仁和寺と御室派のみほとけ」展(3回目)
葛井寺の国宝千手観音坐像と仁和寺の国宝薬師如来坐像

2月17日(土)
海蔵寺浄土宗西山深草派、愛知県西尾市吉良町
阿弥陀如来坐像(県指定)
鎌倉初期 95.5センチ、一木割矧造、彫眼
外陣より拝観。暗くて遠く、お姿はよく拝めず。堂内にあった写真はこんな感じでした。
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②金蓮寺(曹洞宗、愛知県西尾市吉良町
国宝弥陀堂
阿弥陀如来坐像及び両脇侍像(県文)
阿弥陀如来 80.0 観音79.4 勢至80.4
寄木造、玉眼、来迎像!
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③専長寺(浄土宗西山深草派、愛知県西尾市吉良町
阿弥陀如来坐像 重文、鎌倉
阿弥陀如来立像 市指定(快慶風)

④法住寺(曹洞宗 愛知県豊川市 御縁日)
千手観音立像(重文)平安末期 167.0
一木造・彫眼

⑤普門寺(高野山真言宗 愛知県豊橋市
平安時代の邪鬼「抱き邪鬼体験」
阿弥陀如来坐像(重文)平安後期 140.6
伝釈迦如来坐像(重文)平安後期 薬師如来と推定 139.0
四天王立像(重文)平安後期 170.3~178.8
不動明王及び二童子立像(県文)162.2
邪鬼は鉈彫り
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⑥瀧山寺(天台宗 愛知県岡崎市
鬼まつり

2月18日(日)
①麟慶寺(臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市
大日如来坐像(県文)平安中期 79.5
一木造

②圓福寺(天台宗 愛知県春日井市 御縁日)
三十三応現神像 室町前期 70~80
不動明王立像(市文)室町 112.0
毘沙門天立像(市文)室町 117.5
仁王像(市文)室町 275 270

※十一面観音立像(鎌倉 110.5)は秘仏のため拝めず。
八百比丘尼が亡くなったとされる洞窟あり。圓福寺では、八百比丘尼はこの地で生まれたとの伝承あり。

③密蔵院(天台宗 愛知県春日井市
本堂を下陣からお参り。収蔵庫の拝観は不可。

④龍照院(真言宗智山派 愛知県海部郡蟹江町 御縁日)
十一面観音立像(重文)平安末期 172.7
大日如来坐像

⑤観聴寺(西山浄土宗 名古屋市熱田区
鉄造地蔵菩薩立像2体(県文)室町 152.7 160.0

⑥雲心寺(浄土宗鎮西派 名古屋市熱田区
阿弥陀如来坐像(市文)江戸 約240
将軍地蔵騎馬像

⑦七寺(真言宗智山派 名古屋市中区 御縁日)
観音菩薩坐像(重文)平安後期 137.8
勢至菩薩坐像(重文)平安後期 137.8
銅製大日如来坐像 慶長年間 約270

2月24日(土)
びわ湖長浜KANNON HOUSE
 余呉町国安の十一面観音立像
 室町時代 木造 古色 彫眼 像高110.8㎝ 長浜市指定文化財

仁和寺と御室派のみほとけ」展(4回目)

以上

海老名市・龍峰寺の長身かつ清水寺式の千手観音立像

 神奈川県西部、海老名駅から徒歩15分ほど。巨大なすべり台のある清水寺公園に隣接して、龍峰寺(りゅうほうじ)はあります。1340年、開山円光大照禅師によって創建された、臨済宗建長寺派のお寺です。

 このお寺の千手観音さまにお会いしてきました。毎年1月1日と3月17日にご開帳です。

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192センチ。榧の一木造りで、42本の腕には桧を使用。なんと、頭上に2本の腕を掲げた清水寺式の千手観音立像! 重要文化財

奈良時代に遡る古いお寺に伝来

 実はこの観音さま、龍峰寺の創建より古いお像かもしれません。観音さまは元々、清水寺(せいすいじ)というお寺に伝わりました。清水寺は、相模国分尼寺にゆかりのある湧河寺を前身とし、源頼朝が1186年に千手観音像とともに復興。その後、1341年に円光大照禅師によって再建され、1699年に現在の地に移築されました。龍峰寺は清水寺以外にもいくつか末寺がありましたが、明治の初めにすべて廃寺となり、清水寺観音堂だけが龍峰寺の一部として残りました。清水寺観音堂(水堂)は1989 年に解体修理がなされ、今は龍峰寺の仏殿として使われています。

 龍峰寺の周辺の地名は国分。奈良時代相模国分寺と国分尼寺が建てられ、古くから仏教文化が栄えたことが伺えます。また、湧河寺、清水寺、水堂という名前から、水と関係の深い場所であることも推測できます。

 そんな地域に残された観音さまは現在、水堂の後ろに建てられた収蔵庫に大切に安置されています。
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平安と鎌倉の特徴が混在

 改めて、観音さまのお姿を見てましょう。まず、2メートルという長身で、しかも、清水寺式。頭上に伸びる腕。しびれます!
そして、仏像好きな方であれば、ご尊顔と下半身との表現の違いが気になるのではないでしょうか。
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 丸みのあるご尊顔は頬に張りがあり、玉眼をはめています。鎌倉時代の特徴を示します。
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 一方、このお像は榧の一木造りで、下半身の衣紋は鑿のあとが立った激しい表現になっています。翻波式衣紋など、平安前期の特徴を表しています。
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 この二つの特徴から、古い像が鎌倉時代に補修されたか、または、旧本尊に倣って新たに再興された像なのではないか、と言われています。つまり、制作年代は専門家の間でも議論が残っています。謎に満ちた観音さまです。

 今回のご開帳では、堂の外からしか拝観できていません。いつか間近で背面や横のお姿を拝ませていただければと思います。制作年代のミステリーに思いを馳せながら、観音さまの周りをぐるぐる回らせていただく機会を待ちたく存じます。

【追記】2020年10月「相模川流域のみほとけ」展に出陳され、間近で拝観できました。しかも、榧の一木であることや聖林寺十一面観音立像との類似から、奈良後期から平安前期に遡る可能性が指摘されていました。年代順に仏像が展示されたのですが、この龍峰寺像は展覧会の最初にどどーんとお出ましです。間近で拝観し、さらに好きになりました。→【展覧会】「相模川流域のみほとけ」神奈川県立歴史博物館は必見 - ぶつぞうな日々 part III


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 3月17日は観音さまのお祭りで、次々に参拝者が訪れていました。余興と少しの出店もあり、ご近所の皆様が楽しみにされている様子が伝わってきました。春のお花も咲いて、穏やかな空気が満ちていました。
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他の文化財

 山門の仁王像と観音堂(水堂)が海老名市の文化財に指定されています。
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(柵とガラスに阻まれ、撮影は困難でした)

 水堂には、千手観音立像を模した小さめのお像がまつられていました。室町時代の作だそうです。

 なお、龍峰寺本堂は水堂の横に建てられています。本尊は釈迦如来坐像と迦葉・阿難像とのことですが、お参りはできませんでした。

【参拝案内】

龍峰寺
〒243-0406 神奈川県海老名市国分北2丁目13-40
小田急相鉄線海老名駅より徒歩15分
相鉄線の線路沿いにしばらく歩いて踏切を渡ると、清水寺公園の入り口の看板がある。公園方面に急な坂道を登る。清水寺公園の奥に山門が見える。
公開は1月1日と3月17日。
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(↑住宅地を見下ろす高台にお寺はあります。丹沢の山々が遠くに見えました)

島根県出雲市・万福寺(大寺薬師)さま~展覧会の留守を守る四菩薩像と優しい世話役さま~

参拝記録2017年11月3日

「島根の仏像」展に4時間半ほど滞在したあと、電車で東に移動し、出雲市・万福寺の大寺薬師収蔵庫へ。
展覧会には、この万福寺から重文の薬師如来坐像と四天王像がお出ましでした。スーパー戦隊ゴレンジャーのような迫力満点の5つのお像が出展中となると、収蔵庫はガラガラかと思ったのですが、じつはなんと、それ以外にも平安前期の重要文化財の菩薩立像が4躯もおられると聞きました。
もうこれは現地に行くしかない(!)と思い、収蔵庫でお留守番されている菩薩さまにお会いしてきました。
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(↑観音菩薩さま)
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(↑月光菩薩さま)
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(↑日光菩薩さま)

静謐な仏様の佇まい。私は特に、木の節が残る観音菩薩像に鳥肌が立ちました。平安前期の作だそうですので、手の形は後補かと思います。
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(堂内の向かって一番右にお立ちになられる観音菩薩さま。木の節が残っています。ご神木が来迎像になられたかのよう)

展覧会にお出ましのお像の場所には、パネル写真が置かれていました。卒業写真の撮影の日に欠席した人みたいで、微笑ましかったです。
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この収蔵庫は大寺薬師奉賛会が管理されており、拝観には事前にお願いする必要があります。私も事前に電話でお願いし、世話役の方に開けていただきました。世話役の方がお優しくて観音さまのようでした。
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大寺薬師奉讃会はご近所の各地区から、毎年役員が選ばれるのだそうです。役員の主な仕事は毎年4月に大寺薬師で開催されるお祭りの運営だそうです。今回ご案内くださったOさまは、「自宅がお寺から近いので、自分が拝観希望者への対応を行っている」とおっしゃっていました。いくら近いとはいえ、ランダムにやってくるであろう拝観希望者に個別に対応されるのはかなりのご苦労かと思いました。地域の方々にお守りされている無住のお寺は、こうした個人の方の尊い献身によって成り立つのだと再認識いたしました。

Oさまへの尊敬と感謝を申し上げます。ありがとうございました。

【参拝案内】
万福寺(大寺薬師)
〒693-0074 島根県出雲市東林木町
大寺薬師奉讃会管理
要予約(出雲市文化財課に聞くと世話役さまの連絡先を教えていただけるかと思います。ちなみに、私は出雲市平田町の極楽寺さまにお電話した際に詳細教えていただきました。世話役さまにご迷惑とならないようご配慮お願いいたします)


【補足】
以下、大寺薬師さまの風景です。
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(↑境内のお不動さま)
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(↑最寄り駅のホームから見える景色。もちろん駅は無人。単線)
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(↑近くに出雲地方最古とされる古墳あり)
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(大寺薬師の近くの道)

豊橋の普門寺と八角裳懸座の阿弥陀さま

八角裳懸座(はっかくもかけざ)の阿弥陀さまを調べています。どこのお寺におられるのかご存知でしたら教えてください。

<愛知県豊橋市・普門寺の阿弥陀如来坐像>

八角裳懸座が気になったきっかけは、先週、愛知県豊橋の普門寺をお参りしたこと。普門寺の収蔵庫には、四天王や不動三尊とともに、伝釈迦如来坐像と阿弥陀如来坐像がおられます。これらの如来坐像は140センチほどの半丈六なのですが、その寸法以上に大きく感じられ、立派で雅な印象を受けます。
その理由の一つが見事な台座にあるのではないかと思うのです。

※写真の撮影は許可を得ています。



写真でご覧いただけるかと思いますが、如来さまの台座は八角形。台に布を懸け、下に流れる模様が優しく美しいです。普門寺の場合は裳懸が二重になっています。
特に、阿弥陀如来坐像は、脚の辺りの衣紋が台座の裳懸へときれいに流れるように続いています。なんとも美しいです。
ちなみに、破綻なく見事なプロポーションの伝釈迦如来さまに対し、阿弥陀さまは頭部が身体に比して大きめ。このアンバランスが私の乙女心をわしづかみにしました。普門寺の阿弥陀さまに魅了されました!

お耳が垂れてるところ、高い肉髻、静かに閉じた目と口元。三角形を描く全体のシルエット。とにかく大好きです。結跏趺坐さえかわいらしく見えてきます。

八角裳懸座は他にどちらに?>

そして、気になるのが八角裳懸座です。他にどのような例があるのでしょう。

八角裳懸座でGoogle検索してみると、以下の例が見つかりました。
岡山の弘法寺常行堂阿弥陀さま)
奈良県大和郡山の矢田寺(阿弥陀さま)
京都大原三千院(国宝阿弥陀三尊の中尊)
大阪府堺市の法道寺(阿弥陀さま)
山口県周防大島町西長寺の阿弥陀堂阿弥陀さま)
滋賀県栗東市の金胎寺(ご本尊阿弥陀さま)
法隆寺西円堂(薬師如来さま)

これまでお会いしたことがあるのが矢田寺、三千院、そして金胎寺です。

岡山の弘法寺は二十五菩薩来迎会でお参りしたのですが、常行堂は遍明院のさらに山の上でお参りできていません。あの山の奥に丈六の阿弥陀さまはおられるのでしょうか? (※追記 なんと2018年11月17日にお参りできました! 常行堂阿弥陀さま、感動的でした!! ※2019年5月5日の二十菩薩来迎会、踟(ねり)供養の模様はこちら

(↑写真は瀬戸内市のサイトより)

堺市の法道寺のお像は数年前の堺市博物館の法道寺展にお出ましだったそうです。堺市文化財サイトによると、普段は非公開とのこと。詳しくはお友達のカルマさんのサイトをご覧ください! 
大阪府・堺市博物館「法道寺の至宝展の巻き」 : ひたすら仏像拝観

山口県周防大島は二十五菩薩来迎会を行っているお寺もあるので、できれば会わせてお参りしたいところです。地図で見るとあまりに遠い…! 気力と財力が整い、機が熟すのを待ちます。それにしても、写真を拝見する限り、かなりの迫力です。丈六だそうです。

(↑写真は山口県文化財サイトより)

愛知県西尾市・海蔵寺の阿弥陀如来坐像

愛知県西尾市吉良(きら)町。阿弥陀様を訪ねて3か寺めぐりました。
 
きらの阿弥陀さま その1
 
阿弥陀如来坐像(県指定)
鎌倉初期 95.5センチ、一木割矧造、彫眼
 
お寺の方にご挨拶し、本堂へ。
外陣より拝観させていただきました。暗くて遠く、お姿はよく拝めず。堂内にあった写真はこんな感じでした。

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かわいらしくも、威厳のあるお姿ではありませんか!
西尾市文化財サイトには、「胎内背面の銘文に、平安時代の高僧恵心僧都(えしんそうず)の作で、元禄12年(1699)に大檀那である糟谷縫右衛門の寄進によって修理が行なわれたと記されている」とあります。恵心僧都源信の作かどうかという判断は難しいかと思いますが、少なくとも17世紀末頃には、「恵心僧都の作」と伝承されていたことになります。
また、同サイトには、「穏やかな体躯や整った衣のひだの表現は、平安時代後期に流行した定朝様の特徴を備えるが、表情が引き締まり、部材が厚手に作られている点から、鎌倉時代に入ってからの作と考えられる」とありました。
間近で拝観できる機会を待ちたく存じます。
 

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下陣からだと遠く、写真もぼけてしまいます。しかし、荘厳ある内陣に三尊がおそろいのさまに胸がきゅんとしました。阿弥陀さまを感じることは十分にできます!

 

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境内の前、石仏の五智如来が優しかったです。

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【参拝案内】
萩原山 海蔵寺
愛知県西尾市吉良町萩原大道通5
 

2018年1月の仏像拝観リスト

2018年は都内の元旦仏からスタートし、そのまま鎌倉へ。宝戒寺の地蔵尊梵天帝釈天さまにひたすら見とれました。

川崎の影向寺では、収蔵庫の係のおじさまがおられず、心配しています。ここ数年、毎年お正月にお参りしているのですが、いつも同じおじさまがおられ、その方とのおしゃべりが楽しかったのです。亡くなられた奥様のことや、現役時代のお仕事のことをいつも聞かせてくださいました。おじさま、どうかお元気でおられますように。
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金沢文庫の運慶展

金沢文庫の運慶展は評判がよいようですが、私は展示方法に違和感がありました。出展されている仏像の大半をかつて他で拝観しているのですが、そのときの方がずっと美しく見えました。展示方法もう少しなんとかならないものでしょうか。ガラスケースはやむなしとしても、あの照明はきつい。修禅寺の大日さまの置かれ方が特にショックで、トラウマになりそうです。初日に行ったら、展示リストすらなかったです(受付にあったのは図録の一覧表のコピーのみ。前期後期の展示の違いがわからないままでした。出展リストが金沢文庫Twitterに掲載されたのは私の帰宅後でした)
そんななか、鎌倉の光触寺と教恩寺の阿弥陀三尊を近くで見比べられたのはありがたかったです。光触寺の頬焼阿弥陀さまにやっとお会いできました。滝山寺聖観音さまの装飾金具と永福寺の遺物のコーナーにも鳥肌立ちました。諏訪の仏法紹隆寺の不動明王さまと埼玉県川口市不動明王さまもお並びなのが嬉しすぎました! 
こういう見比べができるのは展覧会ならでは。本当にありがたいです。
仏法紹隆寺の不動さまが特に好きです。住職さまから出展にかける意気込みを伺っておりましたので、そのときのことを思い出しました。

仁和寺

仁和寺展については、あまりに素晴らしすぎて、すでに2つ記事を書き、愛を叫びました。仁和寺展は第2会場が仏像コーナー。入ってすぐに大阪金剛寺五智如来が見え、その奥に仁和寺阿弥陀三尊が見えたとき、「あー、生きててよかった」と思いました。2月14日から葛井寺の千手さまと仁和寺の薬師さまもお出ましです。また行かなければ!


前書きが長くなりました…。
拝観リストは以下のとおりです。


2018年1月1日

○世田谷区宇奈根・観音寺
ご本尊十一面観音立像
元旦と8月1日にご開扉
桧一木造り 平安後期 区文化財
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鎌倉市大船観音
慈光堂の聖観音立像
正月三が日のご開扉
一木造 平安後期 市文化財
堂外からガラス越しの拝観
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鎌倉市・宝戒寺
地蔵菩薩坐像(重文)
梵天帝釈天立像(県指定)
本堂中央に十王のうち9躯と奪衣婆
本堂の向かって右手に閻魔大王

1月2日

影向寺
収蔵庫
 薬師如来三尊(平安後期)、二天像(平安後期)、十二神将南北朝
太子堂
 聖徳太子孝養像( 鎌倉時代後期)

※能満寺(影向寺の近くなので立ち寄るも、仏像拝観できず。以下の秘仏がおられる)
ご本尊虚空蔵菩薩立像(1390年、朝祐の作、宋風、寄せ木、玉眼、市重要歴史記念物)
聖観音菩薩立像(一木、平安初期、市重要歴史記念物)


1月3日
高幡不動尊(重文不動明王三尊)

1月13日
金沢文庫「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説~」展
静岡瑞林寺・地蔵菩薩坐像 (♡)
横須賀曹源寺・十二神将
藤沢養命寺・薬師如来坐像(1197年、90.7センチ)(大好き ♡ ♡ )
愛知瀧山寺・梵天立像(106.5センチ)
鎌倉光触寺・頬焼阿弥陀三尊立像(運慶風の三尺阿弥陀
 (阿弥陀97.0センチ、観音61.2センチ、勢至61.2センチ)
鎌倉教恩寺・阿弥陀三尊立像 (好き♡)
 (阿弥陀98.8センチ、観音70.8センチ、勢至70.3センチ)
伊豆山神社阿弥陀三尊(両脇侍が快慶)(好き♡)
埼玉県加須市 保寧寺・阿弥陀三尊(1196年)(宋慶)
個人蔵(埼玉保寧寺旧蔵)・不動明王三尊 (1196年)
 (不動76.4センチ、矜羯羅51.0センチ、制吒迦50.0センチ)
豆かんなみ仏の里美術館・勢至菩薩立像(実慶)(阿弥陀三尊の脇侍)
伊豆修禅寺大日如来坐像(宋慶)(1210年、103.6センチ) (♡)
神奈川県立歴史博物館・阿弥陀如来坐像(51.9センチ)
埼玉川口市 地蔵院・不動明王立像(53.3センチ)
諏訪仏法紹隆寺・不動明王立像(42.0センチ)(大好き ♡ )


1月20日
○トーハク「仁和寺と御室派のみほとけ~天平真言密教の名宝~」展
仁和寺観音堂・千手観音立像、風神雷神二十八部衆、降三世、不動(すべて17c)
大阪金剛寺五智如来(12c)
仁和寺・国宝阿弥陀三尊(888年)
仁和寺・吉祥天立像(10c)、愛染坐像(12c)、文殊菩薩坐像(13c、玉眼)、悉達太子坐像(院智、1252年、宋風)
宮城龍寶寺・釈迦如来立像(13c 清涼寺式、量感あり、にこやか)
香川長勝寺八幡神本地仏坐像(11c)
福井明通寺・降三世明王深沙大将(11 c)
三重蓮光院・大日如来坐像(10c)
京都遍照寺・十一面観音(10c)
大阪金剛寺大日如来坐像(12c)
大阪道明寺・十一面観音立像(8~9c)
広島大聖院・不動明王坐像(10c)
香川屋島寺・千手観音坐像(10c)
徳島雲辺寺
 千手観音菩薩坐像(経尋、12c)
 毘沙門天立像(慶尊、1184年)
 不動明王立像(慶尊、12c)
兵庫神呪寺・如意輪観音菩薩坐像(10c)
福井中山寺馬頭観音菩薩坐像(13c)

〇TNM & TOPPAN ミュージアムシアター
風神雷神図のウラ -夏秋草図に秘めた想い-

1月28日
○トーハク「仁和寺と御室派のみほとけ~天平真言密教の名宝~」展 2回目!
〇びわこ長浜観音ハウス 高月町西野・正妙寺の千手千足観音立像
ブリューゲル展(東京都美術館)(もちろん仏像なしw)

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以上

名古屋・栄国寺の丈六阿弥陀さま~悲しいから優しい~

 名古屋市中区の栄国寺。
 こちらのご本尊である丈六の阿弥陀如来さまを絶賛したいのだが、それにはまず、江戸幕府発足当初のキリシタン弾圧からひも解かなければならない。
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 栄国寺は処刑場の跡地に立つ。
 17世紀半ばには、罪人に混ざって、少なくともキリシタン200名がこの地で処刑されたそうだ。
 尾張藩二代藩主 徳川光友がその供養のため、犬山の薬師寺から丈六阿弥陀如来坐像を遷して建立した草庵が栄国寺の始まりだという。現在のご本尊である。

 境内の一角に今も切支丹塚が残る。異空間のようなその一角に立つと、ざわざわと恐怖が襲ってくる。
 罪状は窃盗でも詐欺でも、ましてや殺人でもない。ただ特定の信仰を捨てないという理由だけで、多くの人が処刑された。その史実の重さを一瞬にして感じたのだと思う。
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 その場を逃げるようにして、お寺のブザーを鳴らし、本堂の玄関に上げていただいた。しかし、それでもまだ許してくれないのが栄国寺だ。

 本堂手前の小さなスペースに、隠れキリシタンの遺物が展示されているコーナーがあり、ここを通過しないと阿弥陀さまのおられる本堂にたどり着けない仕組みになっている。
 いつもなら、周りに目を向けずに走って阿弥陀さまのもとに馳せ参じる私だが、この日はまずじっくり展示を拝見した。展示されていたのは、マリア観音のほか、梵字の中にジーザスのJとSの字を描いた不動明王の画像など。彼らはどのような気持ちで祈ったのだろう。
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 やっと本堂に入り、ご本尊阿弥陀如来さまにお会いした。像高223センチ、寄木造。定朝様の気品に、玉眼など鎌倉初期の若々しさも感じる麗しいお姿である。
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 つまり、私が好きで好きでたまらないお姿であられた!

 阿弥陀さまはいつもお優しい。
 しかし、栄国寺本堂のこの阿弥陀さまが特にお優しいのは、キリシタンの悲しい過去への共感と哀悼とともにおられるからではないだろうか。

 かつてのキリシタンの皆様はなぜ異教の神仏で供養されないといけないのかと思っておられるかもしれない。しかし、阿弥陀さまは地獄の苦しみへの理解が根底にあるからこそ、傷ついた衆生を極楽へ誘ってくださるのだと私は思う。だから、底抜けにお優しいのだ。

 阿弥陀さまのご慈悲に頼って、隠れキリシタンのご辛苦を想像するしかない私をどうかお許しいただけないだろうか。

※2015年11月の参拝記録です。
※写真は2018年6月に参拝した際に撮影したものです。テキストはそのままに、写真のみ差し替えました。

「仁和寺と御室派のみほとけ」展~優しい憤怒の降三世明王と深沙大将~

上野で開催中の仁和寺展では、福井県小浜市の明通寺さまから降三世明王立像と深沙大将立像がお出ましです。

降三世明王立像
平安時代11世紀
252.4センチ、一木造り、重要文化財
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(写真は明通寺さまのサイトより)

深沙大将立像
平安時代11世紀
256.6センチ、一木造り、重要文化財
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(写真は明通寺さまのサイトより)


<こわいけど優しい!>

大きな展示室の奥の壁を背景に、二体の巨大な憤怒の像が立ち並んでいました。

像高はどちらも250センチ超。ですが、もっと大きな印象を受けます。展示用の台の上に安置されているせいもあるのでしょうが、何よりも、巨大な材を使った一木造りであることが、像の迫力を増幅させているように思えます。どれだけの樹齢を経た巨木が使用されたのでしょう。しみじみと思いをはせてしまいます。特に、 深沙大将さまの堂々とした太い腰回りを会場でご確認ください。 斜め背面からじっくりと堪能できますので、ぜひ。

私が特に魅了されるのは、これだけ迫力がある憤怒の像でありながら、同時に平安後期の優しさと木彫の温かさが感じられる点です。平安前期の像のように、呪術的な恐ろしさがありません。迫力のお姿の奥に優しさが感じられるところが私は大好きです!

降三世明王さまは寺外初公開だそうです。頭の後ろのお顔も拝めますので、絶対にお見逃しなく。降三世明王さまの両手の組み方を真似するのも楽しいので、お勧めです。


深沙大将さまへの思い>

私は深沙大将さまが好きです。2015年、龍谷ミュージアムで「三蔵法師 玄奘」展が開催された際、薬師寺の村上定運さんのミニレクチャーを聴く機会があり、深沙大将さまについておもしろい話を伺いました。

孫悟空で有名な三蔵法師さまは、中国からインドに出かけ、多くのお経を持ち帰ったことで知られています。でも、それまでに何度も生まれ変わっているという話があるのだそうです。前世でも、前前世でも、さらに前前前世でも、とにかく生を受けるたびにインドに勉強に行こうとしたのですが、いつも同じ砂漠で遭難して命を落としてしまったのだとか。その都度、その砂漠で三蔵法師さまをお助けしようとしたのが、深沙大将さまだったというのです。

三蔵法師さまは何回目かのトライのときに、やっとその砂漠を突破でき、ついにインドに到着したのだそうです。深沙大将像は首からいくつもの髑髏(どくろ)をぶら下げていることが多いのですが、それはすべて三蔵法師さまのものなのだそうです。三蔵法師さまの前世、前前世、前前前世…の髑髏を身に付けることで、来世の三蔵法師を必ず助けようと誓いを新たにしたのではないか、という話でした。

孫悟空の話は諸説あるようで、上記の話も一つの物語に過ぎません。ただ、私は、この話を聞いてから、深沙大将さまの恐ろしいお姿の奥にある優しさがたまらなく好きになってしまいました。何度も何度もがんばったのに救えなくて、それでも何度も助けようとしたという、ディズニーのような美しい話です!

仁和寺展にお出ましの深沙大将像は、怒ったお顔なのに、不思議と優しさを感じます。龍谷ミュージアムで伺った深沙大将さまのイメージにぴったりなように思うのです! 

ちなみに、龍谷ミュージアム玄奘」展にお出ましだった深沙大将さまはこんなお姿です↓
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三重県鈴鹿市の神宮寺のお像で、仁和寺展には出展されていないのですが、胸に髑髏がたくさん付いているのが見えるでしょうか!? 明通寺の深沙大将さまは頭部にちょこんと一つ髑髏が載っているだけですが、快慶さんの深沙大将像も胸に髑髏のネックレスがあります。

孫悟空に登場する沙悟浄は、深沙大将さまがモデルなのだとか。私はカッパさんよりも、髑髏とかヘビとか童子の頭を身につけた深沙大将さまが好きです!

余談ですが、私はお酒が飲めないので、飲み会では必ずジンジャエールを飲みます。つまり、ジンジゃ(深沙)に声援(エール)を送っているのです! 


<実は薬師さまの脇侍>

ところで、明通寺の降三世明王さまと深沙大将さまはなんと、薬師如来さまの脇侍なのだそうです。
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(↑写真は『わかさの古寺 みほとけ巡礼』より)

像高144.5センチ。寄木造り。彫眼。12世紀。重要文化財

これは若狭までお参りに行かなければなりません!


※ちなみに、この『わかさの古寺 みほとけ巡礼』(平成5年、若狭文化叢書刊行会)という本の表紙は、なんと、なんと、こちらの 降三世明王さまでした。きっと若狭を代表する仏像なのでしょうね!
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古本屋さんで買ったときの値札が付いたままで失礼いたしました。降三世さまのこのアングル、かっこよいですね!

※なお、降三世明王深沙大将両像の 制作時期は仁和寺展のリストには11世紀とありますが、小浜市教育委員会のサイトには12世紀後半と記載されていました。 諸説あるのでしょうかね。

「仁和寺と御室派のみほとけ」展~ああ、千手観音さま!~

仁和寺と御室派のみほとけ~天平真言密教の名宝~」展(東京国立博物館

会期最初の土曜日となる1月20日に行ってきました。

平安時代の仏像が多く出展されており、ゆっくりと拝観できました。
木彫の優しいみほとけを前にすると、自分の中の嫌な塊が溶けていきます。
感動した点を書いてみます。

<遍照寺の十一面観音立像>

京都嵯峨の遍照寺のご本尊、十一面観音さまがお出ましです。ガラス越しではありましたが、昨年の春の特別公開のときより、思いっきり間近で拝めました! 
像高124センチ、桧の一木造。平安時代10世紀の作(989年頃)。

このような優しいお姿に私は完全にとろけてしまいます。
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この写真は昨年の京都の文化財公開のときの新聞記事。定朝の父、康尚との関わりを指摘する一文に胸が高なります。平安後期の優美な表現にシフトする初期の例ということなのでしょうか。彫刻史における意味が知りたくなり、『日本仏像史』(美術出版社、2001年)を開いてみました。

なんと、この遍照寺の十一面観音さまは、『日本仏像史』の平安後期の章に、写真付きで掲載されていました! 彫刻史の観点から重要な像のようです。少し長くなりますが、どのように記載されているのかをまとめます。

『日本仏像史』では、平安後期という時代区分をさらに細かく前期、盛期、後期と区分しています。このうち、「平安後期の前期」を西暦1000年前後の康尚の活躍期と定義しています。
その作例の特徴として、京都六波羅蜜寺薬師如来坐像(977年までに造立)を挙げ、「体躯にボリューム感があって体奥も深く平安前期風を遺すが、その卵形輪郭で、伏し目がちでおちょぼ口のおっとりした面貌が特徴的である」と記します。
さらに、続けて、このような面貌の例として、嵯峨遍照寺の十一面観音菩薩立像が、滋賀善水寺秘仏薬師如来坐像(993年)などと並んで紹介されていました。

遍照寺の観音さまは一木造りで、膝下には翻波式衣紋も見られます。しかし、その一方で、上記の説明にあるように、時代のベクトルが和様へと向かっていることを表す重要な一例なのだと思いました。


屋島寺の千手観音坐像>

香川県高松市屋島寺の千手観音さまも、お寺の宝物館でお会いしたときより、かなり間近で拝めました。

お寺の宝物館とは違って、ガラスケースに入っておらず、照明も柔らか。東京国立博物館さまの演出力、さすがです。

今回、間近で拝した屋島寺の観音さまは、私の記憶の中のそれとはだいぶ異なっていました。榧の一木造り。10世紀でも初頭の作と考えられるそうで、密教仏の妖しさに満ちています。今回、ガラスなしの展示なので、密教仏パワーをさらに強く感じられるのかもません。

よく見ると、腕が前方に飛び出しています。お顔は小さくまとまっていて、かわいらしくも、神秘的な印象を受けます。

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写真は高松市のサイトより。仁和寺展では台座はありません。

実は、昨年11月、兵庫県赤穂市、普門寺の千手観音さまをお参りしたときに、屋島寺の千手さまを思い出しました。同じ平安中期の千手観音さまです。
11月に私が撮った写真を貼っておきます。
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(↑普門寺の千手さま。仁和寺展には出展されていません!)
確かに似てはいるのですが、思っていたよりは印象が異なるように思いました。ご尊顔の印象が違うし、調べてみると、普門寺が像高120センチに対し、屋島寺は93センチと小さめでした。

同じ時期の千手観音坐像。似てるところと違うところを探すのはとても楽しいです。今回、調べてみると、この2つの像と大阪高槻の安岡寺の千手観音坐像が近似するという指摘を見つけました。安岡寺もお参りしたくなりました。

なお、トーハク会場では、屋島寺の観音さまの斜め後ろから、お背中を拝むことができます。光背はありますが、たくさんの腕をまとめる工夫が見て取れます。会期中にまたお会いしに行かなくては!

※なお、この記事を書くにあたり、屋島寺の千手さまの写真を探したのですが、写真によって大きく印象が異なるように感じられ、なんだかよくわからなくなったので、1月28日に仁和寺展を再訪しました。仁和寺展会場でお会いした屋島寺の千手さまは、どの写真とも違っていました。仁和寺展の図録の写真とも違いました。どう表現すればよいのでしょう。とにかく、かわいらしくて、力強いお姿でした。写真と実物の印象の違いはどこからくるのでしょう。屋島寺の千手さまだけで、かなり振り回されました…。本当に仏像は奥が深いです。


雲辺寺秘仏三尊>

徳島から雲辺寺秘仏がお出ましです。
ご本尊千手観音菩薩坐像は12世紀の作。像内の墨書により、「女大施主中原氏」という女性が施主となり、岡山出身の仏師、経尋(きょうじん)が作ったことが明らかになっているそうです。
屋島寺と比べると、かなり穏やかです。千手の腕も細くて、脇の下から控えめに横に突き出す感じ。
優しくて、でも、何かを訴えてくるようなご尊顔。
見ているだけで、ドキドキしてきます。
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(↑写真は仁和寺展の公式サイトより)

千手観音さまの像内に、「目アヘラカニナシタマエ」との墨書があるそうです。目を患った仏師がこっそり書き込んだのでしょうか? しかし、この観音さまは、目の病気に限らず、衆生の大きな苦しみに耳を傾けてくださるように私には感じられました。

仁和寺展では、屋島寺の千手さまと展示場所が近く、見比べができます。本当にありがたいです。勉強になりますし、そもそも楽しいです。

雲辺寺の千手観音さまは、不動明王立像と毘沙門天立像が脇侍です。徳島で活躍した仏師、慶尊により、12世紀に造られたと考えられるとのこと。
不動さまも毘沙門天さまも、本来はこわいお姿のはずなのに、平安後期の表現が優しいので、こわさがが中和されるのでしょうか。その辺りのバランスが私は好きです。



仁和寺展では、これ以外他にも素晴らしすぎる仏像だらけでしたが、今日のところはここまで。

それにしても、千手観音さまにはまってしまいそうです。どうしましょう!? どうしましょう!?



葛井寺千手観音菩薩坐像と仁和寺薬師如来坐像は2月14日からお出ましです。
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(駅のポスターから合掌手の部分だけを撮影しました! なんて美しいのでしょう!!)

牧野隆夫さんのクラウドファンディング(ぜひご検討ください!)

尊敬する仏像修復の牧野隆夫さんのクラウドファンディングのサイトをシェアします。


camp-fire.jp

 

地方の古仏を訪ねますと、過疎化や高齢化で仏像をお守りするのが難しくなっているという話をよく聞きます。仏像をめぐりながら、日本の未来を案じることもしばしば。

そんな中、牧野さんの手がけられた仏像にお会いしにいくと、仏像と地域の方々との関係がとても身近であたたかいことに気づきました。牧野さんは仏像を修復するだけではなく、地域の人々と仏像との関係にも心を砕かれています。牧野さんの『仏像再興』という本は、そういう事例をまとめたもので、仏像好きの人間は涙なしで読めません。

今回のファンディングの対象となるのは、伊豆の仏像修復に関する本です。ですが、この本は、伊豆だけでなく、仏像だけでなく、もっと大きな課題、つまり、地方の今後のあり方について、ヒントを示してくれると思います。

少額しかサポートできないことが申し訳ないので、駄文ではありますが、応援を呼びかけたく存じます。締切が間近です。特に、仏像ファンの皆様や地域の振興に携わる方々には、ご検討をお願いいたします。

静岡市井川の中野観音堂~山里の観音さまたち~

(2015年9月に井川の中野観音堂を参拝したときの記録です)


静岡の山里にある小さなお堂で、こんなにも無垢な観音さまたちにお会いした。

白洲正子が観音さまをたたえる言葉に「うぶ」という言葉がある。厨子が開かれた瞬間、その言葉が思い浮かんだ。夢中でお姿に見入ると、無垢な観音さまが自分の内なる汚れを浄化してくれるようだった。
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お堂は地元の方々に守られている。別当といって、先祖代々このお堂の責任者を務められている方が今回、歓待してくださった。普段はお茶農家さんをされているそうだ。生産するお茶の名は「千年千手」。麗しい名前をもつお茶の収益は文化財保護にも役立てられるとのこと。
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お経はどなたが上げられるのですかと伺うと、頼りにしていた近くのお寺さまに後継者がおられず、最近は地元の方々が集まって般若心経をお唱えするのだという。過疎化の影響だろうか。

旅人の私は、静かな山里とその地に暮らす民と仏に魅せられ、癒される。しかし、高齢化や都心一極集中が進むなか、この静かな環境を今後も守り続ける知恵は浮かんでこない。

私が訪れた数日前、福井のご住職、藤川明宏さんがこの観音堂をお参りされ、観音経をお唱えされたと伺い、胸があつくなった。

快慶の伝説が残る二つの「おいわけ」阿弥陀さま(仙台の笈分如来と京都の負別如来)


 快慶の伝説が残る二つの阿弥陀如来立像が仙台と京都に残されています。

 2016年11月の月末に仙台へ、その後、2017年4月に京都に行き、この二つの阿弥陀さまをお参りしてきました。

1)仙台に残る笈分(おいわけ)如来さま

 まずは、仙台を訪れた際、某SNSに書いた私の文章を以下に引用します。

>>>>>
 宮城県指定文化財で個人蔵の阿弥陀如来立像、通称、笈分如来さまを拝観しました。
 この像には伝説があります。 湯殿山の僧、覚明が快慶に発注し、完成した像を持ち帰ろうとしたところ、その像を気に入った快慶が追いかけてきて、返してほしいと頼んだそうです。お像を入れた箱を開けたところ、同じ像が二体現れたため、一体をこの僧侶が、もう一体は快慶が持ち帰ったのだとか。
 東北に持ち帰ったとされるのが、この阿弥陀如来立像です。
 お像を入れて運ぶ箱を笈(おい)と呼ぶことから、笈分如来と呼ばれるようになったとのことです。
 市の文化財サイトに掲載の写真を添付しますが、実物はもっともっと美しいです!
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 右側に流れる衣の模様は品がありますし、胸元で衣を折り返すところには、仏師のこだわりが感じられます。左ひじから下などは後補と考えれば、快慶伝説が残るのも納得がいきます。
 なお、快慶が持ち帰ったとされるお像は京都の蓮光寺に今も安置され、同じような伝説が伝えられているそうです。
 仙台のこの笈分如来さまは個人蔵で、拝観の受け入れが厳しいことを考えますと、誰にでもやみくもに拝観をお勧めしかねます。
 そのあたり少し複雑な気持ちでこれを書きました。
 静かにでも確かに後世に伝えたい阿弥陀さまです。 <<<<<(引用ここまで)

 拝観情報を追記します。
 仙台市のサイトから文化財課に連絡すると、持ち主の方に連絡してくださいます。持ち主の方のご都合がよければ、拝観させていただけます。
 もし拝観許可をいただけたとしても、所有者は個人の方なので、ご迷惑のかからないように、くれぐれもマナーを守ってお出かけいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします!

 堂内は狭く、暗いです。お天気がよければ、堂内に光が入って拝観しやすくなるかと思います。
 私がお参りしたときは冬でしたし、雲空でしたが、午前中だったので、光はまあまあ入ってくれました。
 こんな感じです。
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 どうしてもご尊顔が暗くなってしまいます。
 それでも、右腕の衣の下に流れるドレープの美しさに胸がときめきませんか?

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(↑高度成長期にこのような看板を作ったようです。しかし、今は個人で管理されておられます。拝観されたい場合は、くれぐれもマナーを守って、所有者の方にご迷惑にならないようにお願いします)


2) 京都・蓮光寺の負別(おいわけ)如来さま

 上記の文章をSNSに公開したところ、仏像めぐりの先輩からコメントいただきまして、それがきっかけとなり、京都に残る阿弥陀さまについて、教えていただくことができました。

 仙台で感動しましたので、どうしても京都におられる片割れの阿弥陀さまにお会いしたくなりました。

 調べてみると、蓮光寺さまは、美しい丈六阿弥陀三尊のおられる長講堂さまのまさしく隣に位置していました。長講堂さまは以前お参りしたことがありました。京都市内の便利な場所です。

 ただ、蓮光寺さまでは、基本的にお檀家さま以外による参拝を受けつけておらず、拝観のハードルは
高いようでした。以前まで郵送のみの申し込みしか受け付けてなかったという話も聞きました。

 私もメールなどでなかなか連絡がつかず、諦めかけたところにやっと電話がつながりました。熱い思いをお伝えしたところ、なんとかお参りさせていただけることになりました。仙台の阿弥陀さまをお参りしてから5か月ほどが過ぎた、2017年4月のことでした。
 
 お寺に着いて、住職から寺歴について説明を受けたあと、本堂に通していただきました。住職がお経をあげてくださり、お念仏をお唱えしたあと、ご本尊である負別如来さまの近くまで行って、お姿を拝むことができました。

 大変美しい阿弥陀さまでした!

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(写真は蓮光寺さまのホームページより)

 通常の三尺阿弥陀より少し小さめでしょうか。低めの頭部などをみると、実際には、快慶より少し後の時代かもしれません。でも、確かに安阿弥様の美しい阿弥陀さまでした!

 快慶のおいわけ伝説については、こちらのお寺のリーフレットをご覧ください。
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 ほぼ同じ伝説が仙台と京都は残っていることに私は感動します。
 実際に快慶が造ったのかどうかはわかりません。
 でも、そういう伝説が残っていることに何か大きな意味があるような気がしてなりません。

 2017年4月、奈良国立博物館で「快慶」展が始まりました。私は蓮光寺阿弥陀如来さまを拝観したその足で、奈良に向かい、快慶仏を浴びました。

 真正の快慶仏でも、伝・快慶でも、なんだかどうでもよくなります。美しいものは美しい。それに、伝説を侮るのはよくないように思います。少なくとも、伝説を信じた方が楽しいことは確かです。

3) <追記 学術論文も>

 先日、某SNSを通じて、仏像がご専門の先生より、この二つの阿弥陀如来立像について、論文が書かれていることを教えていただきました。

海野啓之「<笈分/負別如来>考―快慶伝承の一例として―」(『論集・東洋日本美術史と現場―見つめる・守る・伝える―』所収)2012年 竹林舎

私は図書館等で探しているのですが、まだ読めていません。読みたいです!

2017年の展覧会

2017年の展覧会を振り返ってみました。


1 古代出雲歴史博物館「島根の仏像―平安時代のほとけ・人・祈り―」

2 大阪市立美術館「木×仏像」展

3 奈良国立博物館「快慶」展

4 あべのハルカス美術館「奈良西大寺」展

5 奈良国立博物館源信」展

次点
兵庫県立歴史博物館「ひょうごのみほとけ」展
竹中工務店ギャラリー「ちいさいおうち」展
三井記念美術館「地獄絵ワンダーランド」
細見美術館末法-Apocalypse-」展
東京藝大美術館「素心伝心~クローン文化財 失われた刻の再生~」展
東京国立博物館「運慶」展
Bunkamura Museum 「ゴールドマンコレクション これぞ暁斉!」展
根津美術館「高麗仏画 香り立つ装飾美」展
鎌倉国内館「鎌倉の至宝-優美なる慶派のほとけ-」展

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とにかく1位の展覧会がすごすぎました。安来市清水寺観音菩薩立像の不思議な霊力に腰くだけとなり、その後もパワーあふれる仏像が並び、具合が悪くなるほどでした。

このブログでも、しつこく島根島根島根と言っておりまして、申し訳ありません。本当はもっとたくさん愛を叫びたいのです!

2位も素晴らしかった。宮古薬師さまについにお会いでき、四天王寺阿弥陀三尊にみとれてからの…あの地蔵ルーム! 木の仏像がもつ不思議な力にとことん魅了されました! 

次点が多すぎますことご容赦ください。甲乙つけられなかったのです。
特に、仏像の展示につきましては、信仰の対象である大切なほとけさまを出展くださった寺院や関係者各位にお礼申し上げます。

2017年12月の仏像拝観リスト

 ついに東大寺法華堂の執金剛神像にお会いできました! 12月16日の東大寺は、何かの魔法のように不思議な雰囲気が満ちていました。

 その日の深夜、春日大社若宮さまの遷幸の儀を見てきました。すべての電気か消された夜は思ったより明るかった。若宮さまが渡られる直前に、松明の火で道を浄めるのですが、真っ暗闇の中で見る松明の光の眩しいこと! 
 おん祭は見えない神様を信じるものなのですね。それを実感しました。
 私は、菩薩に扮して極楽浄土を信じさせようとする聖衆来迎の練供養を追っかけているので、その違いを大変興味深く思いました。

 17日は宇治市に出て、橋寺で来迎の地蔵菩薩像を拝観。さらに、平等院に行き、かつて来迎像だったという観音菩薩立像(平等院観音堂ご本尊のお前立だった像)を拝んできました。
 つまり、いつもの来迎の追っかけ活動でした! 
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(↑橋寺の地蔵菩薩立像。地獄に救いに行く地蔵様は表情が厳しいのです)
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(↑平等院観音堂の本尊)



2017年12月の拝観リストは次のとおりです。

12月7日
九品仏浄真寺(閻魔堂建て替え工事中の紅葉)

12月8日
仏像クラスタ忘年会

12月9日
五百羅漢寺「らかん仏教講座・近代彫刻としての仏像」 
講師=藤井明(東京小平市平櫛田中美術館、学芸員) 

12月16日
○奈良・東大寺
良弁忌
南大門、俊乗堂(ご開帳!)、行基堂、念仏堂、開山堂(良弁坐像!)、法華堂(執金剛神ご開帳!)、不動堂、四月堂、東大寺ミュージアム(法華堂に前までいらした吉祥天、弁財天など!)、戒壇

奈良国立博物館
「おん祭と春日信仰の美術」
なら仏像館(室生寺弥勒堂の釈迦如来さまと弥勒菩薩立像さま!)

○アミーゴクラブの会

12月17日
春日大社・おん祭
若宮さまの遷幸の儀

京都府宇治市

○放生院橋寺
地蔵菩薩立像(見事な来迎の地蔵さま)
不動明王立像(平安)
阿弥陀如来坐像
釈迦如来坐像(清涼寺式なのに坐像)

平等院
ミュージアム
 観音堂の本尊、そのお前立観音(かつて来迎像で、しかも、水を何度も浴びた形跡がある像)、平安の地蔵菩薩立像など
鳳凰堂 ああ阿弥陀如来さま!

細見美術館末法 / Apocalypse─失われた夢石庵コレクションを求めて─」展

12月18日
新国立美術館安藤忠雄」展(たしか仏像はなかった…)

12月28日
東京都
高幡不動尊(終い不動)

東大寺法華堂のご開帳に泣く!

 2017年12月16日。ついに東大寺法華堂(三月堂)の執金剛神像にお会いできました! 
 東大寺は感動があふれています!

執金剛神様に泣く!

 法華堂はこれまでに何度かお参りしています。ダーリンとの思い出の場所でもあります。でも、12月16日にしか開かない執金剛神さまには、何年も、いえ、何十年もお会いできないままでした。

 実際にお会いすると、写真で拝見していた以上に迫力と気品あるお姿でした。

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(写真は小学館『週刊古寺をゆく 東大寺』2001年より)

 積年の思いとあいまって、こみ上げるものをこらえることができませんでした!

 泣きました!

 私はリアルに泣きました!!

 これはまさしく塑像の最高傑作。塑像は脆弱ですから、展覧会に出すのは難しいはず。ここ法華堂でしか、年に一度しか、お会いできないのです。

 泣き止んだあとは、堂内を何周もして、執金剛神さまにお会いしました。
 像高173 センチ。振り上げた金剛杵を今まさに振り下ろそうとする瞬間のお姿。それが1200年以上もの時を経て目の前にありました。

天平仏群を斜め後ろから拝める幸せ!

 法華堂内に行かれたことがある方はご存じかと思いますが、堂内には、不空羂索観音様たちが南面して立っておられます。天平仏が立ち並ぶさまは言葉にできない荘厳さがあります。
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(写真は小学館『週刊古寺をゆく 東大寺』2001年より)

 執金剛神像は不空羂索観音様の後ろ側のお厨子に北面しておられます。

 北面する執金剛神さまにお会いするには、不空羂索観音様の向かって右側の通路を通り、その後ろ側に回り込みます。帰りは不空羂索観音様の向かって左側の通路を通ります。

 仏友ソゾタケ氏がわかりやすい図を描いてくださっています。その図をお借りしました。
http://butszo.jp/wp-content/uploads/2013/12/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%A0%82%E8%89%AF%E5%BC%81%E5%BF%8C%E8%A6%8B%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%9B%B3.jpg
butszo.jp
(↑出典=ソゾタケ氏のブログ「祗是未在」より)


 つまり、執金剛神様のご開帳の日には、不空羂索観音様の両脇から、天平仏の一群を拝むことができるのです!
 この両脇の通路には、畳敷きの台が置かれており、そこに座って、天平仏を斜め後ろからも真横からも、思う存分拝むことができるのです!!
 執金剛神様のご開帳の日だけのもう一つの特別拝観と呼べるのではないでしょうか! 畳敷きの台は、参拝者への最高の贈り物です!!

天平仏と慶派を結ぶDNA!

 天平仏が好きです。私の住む都内では平安仏は拝めても天平仏となるとほとんど拝めません。法華堂に林立する天平仏のみずみずしさにふれると、幸せな気持ちに満たされます。

 同時に、運慶など慶派の人たちは、天平仏に学び、天平仏に見習ったのだということを実感するのです。 

 奈良の仏師らしく、平安時代ではなく、奈良時代の仏像に学んだのだと思います。温故知新。仏師のDNAがこのように伝えられる歴史の不思議に私は心が震えるのです。
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(↑快慶による京都府・金剛院の執金剛神像! 法華堂の像をいきいきと真似してますよね! 写真は奈良博「快慶」展図録より)

東大寺が好き!

 12月16日は良弁(ろんべん)忌なのだそうです。良弁さまは、東大寺の前身寺院である金鐘寺に住し、東大寺の創建に尽力されました。良弁忌の日に開山堂が開けられ、平安前期の良弁様のお像を拝むことができます。
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(写真は小学館『週刊古寺をゆく 東大寺』2001年より。お会いしたときは如意棒が水平になってました。この写真は少し古いのかも)

 そして、東大寺では毎年この日、修二会に参籠する僧侶が発表されるそうです。
 年末の凛とした空気の中、修二会の準備が始まることに感動します。修二会が終わると春です。
 季節ごとに毎年祈りが伝えられているのです。

 私は修二会のときにお参りしたことはないのですが、8月の大仏様のお見拭いとお盆の夜間拝観を去年の夏から2年越しでお参りしてきました。お盆の夜間拝観で、大仏様の周りを参拝者全員が回りながら、般若心経をお唱えしたことは忘れられません。季節ごとの祈りが美しく、万民に優しいと私は感じます。
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(↑2017年8月の夜間拝観の様子)

 東大寺の大仏様も、念仏堂などの小さなお堂の仏様も、大好きです。東大寺の季節ごとの祈りが素晴らしいと感じます。

 「生きとし生けるものすべての安泰」を願った聖武天皇の思いが、平成の今まで引き継がれているように感じます。

 東大寺を尊敬します。




【拝観情報】

12月16日
法華堂 法要後9時半~16時(執金剛神像)
開山堂 法要後10時過ぎ~16時(良弁僧正坐像)
俊乗堂 9~16時(俊乗上人坐像、快慶・阿弥陀如来立像、平安後期の愛染明王坐像)
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おまけ情報(蛇足!)

ここから先は完全なるおまけ情報です!

以下、東大寺の公式サイトより
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【おまけ=大好きな東大寺の風景】
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(↑手向山神宮への参道。木の根がぐるぐる…)
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(↑鹿さん。夏とは毛並みが違いますね)
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(↑開山堂の前)
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(↑開山堂の中に松明の残りが…)
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(↑行基堂の内部。こういう東大寺の小さいお堂が大好き)
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(↑戒壇堂もお参り! 幸せ!!)

以上