上野で開催中の仁和寺展では、福井県小浜市の明通寺さまから降三世明王立像と深沙大将立像がお出ましです。
降三世明王立像
平安時代11世紀
252.4センチ、一木造り、重要文化財
(写真は明通寺さまのサイトより)
深沙大将立像
平安時代11世紀
256.6センチ、一木造り、重要文化財
(写真は明通寺さまのサイトより)
<こわいけど優しい!>
大きな展示室の奥の壁を背景に、二体の巨大な憤怒の像が立ち並んでいました。
像高はどちらも250センチ超。ですが、もっと大きな印象を受けます。展示用の台の上に安置されているせいもあるのでしょうが、何よりも、巨大な材を使った一木造りであることが、像の迫力を増幅させているように思えます。どれだけの樹齢を経た巨木が使用されたのでしょう。しみじみと思いをはせてしまいます。特に、 深沙大将さまの堂々とした太い腰回りを会場でご確認ください。 斜め背面からじっくりと堪能できますので、ぜひ。
私が特に魅了されるのは、これだけ迫力がある憤怒の像でありながら、同時に平安後期の優しさと木彫の温かさが感じられる点です。平安前期の像のように、呪術的な恐ろしさがありません。迫力のお姿の奥に優しさが感じられるところが私は大好きです!
降三世明王さまは寺外初公開だそうです。頭の後ろのお顔も拝めますので、絶対にお見逃しなく。降三世明王さまの両手の組み方を真似するのも楽しいので、お勧めです。
<深沙大将さまへの思い>
私は深沙大将さまが好きです。2015年、龍谷ミュージアムで「三蔵法師 玄奘」展が開催された際、薬師寺の村上定運さんのミニレクチャーを聴く機会があり、深沙大将さまについておもしろい話を伺いました。
孫悟空で有名な三蔵法師さまは、中国からインドに出かけ、多くのお経を持ち帰ったことで知られています。でも、それまでに何度も生まれ変わっているという話があるのだそうです。前世でも、前前世でも、さらに前前前世でも、とにかく生を受けるたびにインドに勉強に行こうとしたのですが、いつも同じ砂漠で遭難して命を落としてしまったのだとか。その都度、その砂漠で三蔵法師さまをお助けしようとしたのが、深沙大将さまだったというのです。
三蔵法師さまは何回目かのトライのときに、やっとその砂漠を突破でき、ついにインドに到着したのだそうです。深沙大将像は首からいくつもの髑髏(どくろ)をぶら下げていることが多いのですが、それはすべて三蔵法師さまのものなのだそうです。三蔵法師さまの前世、前前世、前前前世…の髑髏を身に付けることで、来世の三蔵法師を必ず助けようと誓いを新たにしたのではないか、という話でした。
孫悟空の話は諸説あるようで、上記の話も一つの物語に過ぎません。ただ、私は、この話を聞いてから、深沙大将さまの恐ろしいお姿の奥にある優しさがたまらなく好きになってしまいました。何度も何度もがんばったのに救えなくて、それでも何度も助けようとしたという、ディズニーのような美しい話です!
仁和寺展にお出ましの深沙大将像は、怒ったお顔なのに、不思議と優しさを感じます。龍谷ミュージアムで伺った深沙大将さまのイメージにぴったりなように思うのです!
ちなみに、龍谷ミュージアム「玄奘」展にお出ましだった深沙大将さまはこんなお姿です↓
三重県鈴鹿市の神宮寺のお像で、仁和寺展には出展されていないのですが、胸に髑髏がたくさん付いているのが見えるでしょうか!? 明通寺の深沙大将さまは頭部にちょこんと一つ髑髏が載っているだけですが、快慶さんの深沙大将像も胸に髑髏のネックレスがあります。
孫悟空に登場する沙悟浄は、深沙大将さまがモデルなのだとか。私はカッパさんよりも、髑髏とかヘビとか童子の頭を身につけた深沙大将さまが好きです!
余談ですが、私はお酒が飲めないので、飲み会では必ずジンジャエールを飲みます。つまり、ジンジゃ(深沙)に声援(エール)を送っているのです!
<実は薬師さまの脇侍>
ところで、明通寺の降三世明王さまと深沙大将さまはなんと、薬師如来さまの脇侍なのだそうです。
(↑写真は『わかさの古寺 みほとけ巡礼』より)
像高144.5センチ。寄木造り。彫眼。12世紀。重要文化財。
これは若狭までお参りに行かなければなりません!
※ちなみに、この『わかさの古寺 みほとけ巡礼』(平成5年、若狭文化叢書刊行会)という本の表紙は、なんと、なんと、こちらの 降三世明王さまでした。きっと若狭を代表する仏像なのでしょうね!
古本屋さんで買ったときの値札が付いたままで失礼いたしました。降三世さまのこのアングル、かっこよいですね!
※なお、降三世明王・深沙大将両像の 制作時期は仁和寺展のリストには11世紀とありますが、小浜市教育委員会のサイトには12世紀後半と記載されていました。 諸説あるのでしょうかね。