「仁和寺と御室派のみほとけ~天平と真言密教の名宝~」展(東京国立博物館)
会期最初の土曜日となる1月20日に行ってきました。
平安時代の仏像が多く出展されており、ゆっくりと拝観できました。
木彫の優しいみほとけを前にすると、自分の中の嫌な塊が溶けていきます。
感動した点を書いてみます。
<遍照寺の十一面観音立像>
京都嵯峨の遍照寺のご本尊、十一面観音さまがお出ましです。ガラス越しではありましたが、昨年の春の特別公開のときより、思いっきり間近で拝めました!
像高124センチ、桧の一木造。平安時代10世紀の作(989年頃)。
このような優しいお姿に私は完全にとろけてしまいます。
この写真は昨年の京都の文化財公開のときの新聞記事。定朝の父、康尚との関わりを指摘する一文に胸が高なります。平安後期の優美な表現にシフトする初期の例ということなのでしょうか。彫刻史における意味が知りたくなり、『日本仏像史』(美術出版社、2001年)を開いてみました。
なんと、この遍照寺の十一面観音さまは、『日本仏像史』の平安後期の章に、写真付きで掲載されていました! 彫刻史の観点から重要な像のようです。少し長くなりますが、どのように記載されているのかをまとめます。
『日本仏像史』では、平安後期という時代区分をさらに細かく前期、盛期、後期と区分しています。このうち、「平安後期の前期」を西暦1000年前後の康尚の活躍期と定義しています。
その作例の特徴として、京都六波羅蜜寺の薬師如来坐像(977年までに造立)を挙げ、「体躯にボリューム感があって体奥も深く平安前期風を遺すが、その卵形輪郭で、伏し目がちでおちょぼ口のおっとりした面貌が特徴的である」と記します。
さらに、続けて、このような面貌の例として、嵯峨遍照寺の十一面観音菩薩立像が、滋賀善水寺の秘仏薬師如来坐像(993年)などと並んで紹介されていました。
遍照寺の観音さまは一木造りで、膝下には翻波式衣紋も見られます。しかし、その一方で、上記の説明にあるように、時代のベクトルが和様へと向かっていることを表す重要な一例なのだと思いました。
<屋島寺の千手観音坐像>
香川県高松市の屋島寺の千手観音さまも、お寺の宝物館でお会いしたときより、かなり間近で拝めました。
お寺の宝物館とは違って、ガラスケースに入っておらず、照明も柔らか。東京国立博物館さまの演出力、さすがです。
今回、間近で拝した屋島寺の観音さまは、私の記憶の中のそれとはだいぶ異なっていました。榧の一木造り。10世紀でも初頭の作と考えられるそうで、密教仏の妖しさに満ちています。今回、ガラスなしの展示なので、密教仏パワーをさらに強く感じられるのかもません。
よく見ると、腕が前方に飛び出しています。お顔は小さくまとまっていて、かわいらしくも、神秘的な印象を受けます。
実は、昨年11月、兵庫県赤穂市、普門寺の千手観音さまをお参りしたときに、屋島寺の千手さまを思い出しました。同じ平安中期の千手観音さまです。
11月に私が撮った写真を貼っておきます。
(↑普門寺の千手さま。仁和寺展には出展されていません!)
確かに似てはいるのですが、思っていたよりは印象が異なるように思いました。ご尊顔の印象が違うし、調べてみると、普門寺が像高120センチに対し、屋島寺は93センチと小さめでした。
同じ時期の千手観音坐像。似てるところと違うところを探すのはとても楽しいです。今回、調べてみると、この2つの像と大阪高槻の安岡寺の千手観音坐像が近似するという指摘を見つけました。安岡寺もお参りしたくなりました。
なお、トーハク会場では、屋島寺の観音さまの斜め後ろから、お背中を拝むことができます。光背はありますが、たくさんの腕をまとめる工夫が見て取れます。会期中にまたお会いしに行かなくては!
※なお、この記事を書くにあたり、屋島寺の千手さまの写真を探したのですが、写真によって大きく印象が異なるように感じられ、なんだかよくわからなくなったので、1月28日に仁和寺展を再訪しました。仁和寺展会場でお会いした屋島寺の千手さまは、どの写真とも違っていました。仁和寺展の図録の写真とも違いました。どう表現すればよいのでしょう。とにかく、かわいらしくて、力強いお姿でした。写真と実物の印象の違いはどこからくるのでしょう。屋島寺の千手さまだけで、かなり振り回されました…。本当に仏像は奥が深いです。
徳島から雲辺寺の秘仏がお出ましです。
ご本尊千手観音菩薩坐像は12世紀の作。像内の墨書により、「女大施主中原氏」という女性が施主となり、岡山出身の仏師、経尋(きょうじん)が作ったことが明らかになっているそうです。
屋島寺と比べると、かなり穏やかです。千手の腕も細くて、脇の下から控えめに横に突き出す感じ。
優しくて、でも、何かを訴えてくるようなご尊顔。
見ているだけで、ドキドキしてきます。
(↑写真は仁和寺展の公式サイトより)
千手観音さまの像内に、「目アヘラカニナシタマエ」との墨書があるそうです。目を患った仏師がこっそり書き込んだのでしょうか? しかし、この観音さまは、目の病気に限らず、衆生の大きな苦しみに耳を傾けてくださるように私には感じられました。
仁和寺展では、屋島寺の千手さまと展示場所が近く、見比べができます。本当にありがたいです。勉強になりますし、そもそも楽しいです。
雲辺寺の千手観音さまは、不動明王立像と毘沙門天立像が脇侍です。徳島で活躍した仏師、慶尊により、12世紀に造られたと考えられるとのこと。
不動さまも毘沙門天さまも、本来はこわいお姿のはずなのに、平安後期の表現が優しいので、こわさがが中和されるのでしょうか。その辺りのバランスが私は好きです。
仁和寺展では、これ以外他にも素晴らしすぎる仏像だらけでしたが、今日のところはここまで。
それにしても、千手観音さまにはまってしまいそうです。どうしましょう!? どうしましょう!?
※葛井寺の千手観音菩薩坐像と仁和寺の薬師如来坐像は2月14日からお出ましです。
(駅のポスターから合掌手の部分だけを撮影しました! なんて美しいのでしょう!!)