快慶の伝説が残る二つの阿弥陀如来立像が仙台と京都に残されています。
2016年11月の月末に仙台へ、その後、2017年4月に京都に行き、この二つの阿弥陀さまをお参りしてきました。
1)仙台に残る笈分(おいわけ)如来さま
まずは、仙台を訪れた際、某SNSに書いた私の文章を以下に引用します。
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宮城県指定文化財で個人蔵の阿弥陀如来立像、通称、笈分如来さまを拝観しました。
この像には伝説があります。 湯殿山の僧、覚明が快慶に発注し、完成した像を持ち帰ろうとしたところ、その像を気に入った快慶が追いかけてきて、返してほしいと頼んだそうです。お像を入れた箱を開けたところ、同じ像が二体現れたため、一体をこの僧侶が、もう一体は快慶が持ち帰ったのだとか。
東北に持ち帰ったとされるのが、この阿弥陀如来立像です。
お像を入れて運ぶ箱を笈(おい)と呼ぶことから、笈分如来と呼ばれるようになったとのことです。
市の文化財サイトに掲載の写真を添付しますが、実物はもっともっと美しいです!
右側に流れる衣の模様は品がありますし、胸元で衣を折り返すところには、仏師のこだわりが感じられます。左ひじから下などは後補と考えれば、快慶伝説が残るのも納得がいきます。
なお、快慶が持ち帰ったとされるお像は京都の蓮光寺に今も安置され、同じような伝説が伝えられているそうです。
仙台のこの笈分如来さまは個人蔵で、拝観の受け入れが厳しいことを考えますと、誰にでもやみくもに拝観をお勧めしかねます。
そのあたり少し複雑な気持ちでこれを書きました。
静かにでも確かに後世に伝えたい阿弥陀さまです。 <<<<<(引用ここまで)
拝観情報を追記します。
仙台市のサイトから文化財課に連絡すると、持ち主の方に連絡してくださいます。持ち主の方のご都合がよければ、拝観させていただけます。
もし拝観許可をいただけたとしても、所有者は個人の方なので、ご迷惑のかからないように、くれぐれもマナーを守ってお出かけいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします!
堂内は狭く、暗いです。お天気がよければ、堂内に光が入って拝観しやすくなるかと思います。
私がお参りしたときは冬でしたし、雲空でしたが、午前中だったので、光はまあまあ入ってくれました。
こんな感じです。
どうしてもご尊顔が暗くなってしまいます。
それでも、右腕の衣の下に流れるドレープの美しさに胸がときめきませんか?
(↑高度成長期にこのような看板を作ったようです。しかし、今は個人で管理されておられます。拝観されたい場合は、くれぐれもマナーを守って、所有者の方にご迷惑にならないようにお願いします)
2) 京都・蓮光寺の負別(おいわけ)如来さま
上記の文章をSNSに公開したところ、仏像めぐりの先輩からコメントいただきまして、それがきっかけとなり、京都に残る阿弥陀さまについて、教えていただくことができました。
仙台で感動しましたので、どうしても京都におられる片割れの阿弥陀さまにお会いしたくなりました。
調べてみると、蓮光寺さまは、美しい丈六阿弥陀三尊のおられる長講堂さまのまさしく隣に位置していました。長講堂さまは以前お参りしたことがありました。京都市内の便利な場所です。
ただ、蓮光寺さまでは、基本的にお檀家さま以外による参拝を受けつけておらず、拝観のハードルは
高いようでした。以前まで郵送のみの申し込みしか受け付けてなかったという話も聞きました。
私もメールなどでなかなか連絡がつかず、諦めかけたところにやっと電話がつながりました。熱い思いをお伝えしたところ、なんとかお参りさせていただけることになりました。仙台の阿弥陀さまをお参りしてから5か月ほどが過ぎた、2017年4月のことでした。
お寺に着いて、住職から寺歴について説明を受けたあと、本堂に通していただきました。住職がお経をあげてくださり、お念仏をお唱えしたあと、ご本尊である負別如来さまの近くまで行って、お姿を拝むことができました。
大変美しい阿弥陀さまでした!
(写真は蓮光寺さまのホームページより)
通常の三尺阿弥陀より少し小さめでしょうか。低めの頭部などをみると、実際には、快慶より少し後の時代かもしれません。でも、確かに安阿弥様の美しい阿弥陀さまでした!
快慶のおいわけ伝説については、こちらのお寺のリーフレットをご覧ください。
ほぼ同じ伝説が仙台と京都は残っていることに私は感動します。
実際に快慶が造ったのかどうかはわかりません。
でも、そういう伝説が残っていることに何か大きな意味があるような気がしてなりません。
2017年4月、奈良国立博物館で「快慶」展が始まりました。私は蓮光寺の阿弥陀如来さまを拝観したその足で、奈良に向かい、快慶仏を浴びました。
真正の快慶仏でも、伝・快慶でも、なんだかどうでもよくなります。美しいものは美しい。それに、伝説を侮るのはよくないように思います。少なくとも、伝説を信じた方が楽しいことは確かです。