ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【来迎会】One and Only! 弘法寺の踟供養が特別なわけ

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 ここ数年、二十五菩薩来迎会の追っかけにいそしんできたが、コロナ禍のため2年連続で活動を停止せざるをえなくなった。今日5月5日といえば、岡山県弘法寺の踟(ねり)供養の日だが、去年に続き今年も中止だという。自宅にこもっていても、弘法寺踟供養の様子は鮮明に思い出される。瀬戸内市牛窓の温かく明るい日差しのもと、菩薩様と阿弥陀如来様がいきいきと目の前を歩かれた。2年前に弘法寺の来迎会を訪れたときに書いた文章に加筆し、写真と動画を加えたので、よろしければお目通しください。

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千手山弘法寺の踟供養はなぜ特別なのか!

 二十五菩薩来迎会の追っかけ活動、2019年春の部の最後として、岡山県瀬戸内市牛窓へ向かった。千手山弘法寺(せんずさんこうぼうじ)である。
 弘法寺の踟供養(ねりくよう)は、當麻寺奈良県葛城市)および美作誕生寺(岡山県久米南町)と並ぶ日本三大練供養の一つ。(※弘法寺では、練供養ではなく、踟供養と表記する)
 練供養ファンの私は思う。今まで訪れた練供養はすべてストーリーや運営が異なり、どれも素晴らしい。しかし、あえて言うならば、弘法寺踟供養は、日本一、いや、世界一素晴らしい練供養ではないだろうか...
 その理由として、以下の3点を特筆したい。

1) 被仏が歩くのは弘法寺だけ!

 木彫仏の阿弥陀如来立像(迎講阿弥陀如来、いわゆる、被仏=かぶりぼとけ)の中に人が入るのは弘法寺のみ。古い形の来迎会を今に伝えている。この阿弥陀如来立像は鎌倉時代後期の特徴を示し、彫刻的にも貴重。この鎌倉仏が今も現役で行事に使われている。胴体部分が空洞となっており、そこに人が入るのである。
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2) 30年の中断を経て復活!

 昭和42年の火災で本堂などを焼失し、途絶えていた踟供養を關信子先生と関係者の皆様のご尽力により、平成9年に再興。常行堂に安置されていた迎講阿弥陀如来像を再発見・修復し、踟供養の再興に尽力された關先生のご功績はもっと注目されるべきだろう。踟供養の始まる前には、遍明院本堂で關先生自らがパワポで説明してくださった。弘法寺踟供養の歴史や式次第などを詳しく教えていただき、その日の踟供養がより一層楽しくなった。このありがたさをなんと言葉にできよう。
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3) 静の弘法寺

 中将姫様を引接する際の菩薩様の所作が静かでエレガント弘法寺の踟供養は、いわゆる二十五菩薩の編成ではなく、天道2、地蔵菩薩2、観音6が登場する。このうち観音の一人が中将姫様の像に向かって、まずは3回膝を曲げる。次に、合掌した手を円を描くよう擦り合わせる所作を3回行う。さらに、3歩進んで2歩下がるこの所作を1セットとして3回行ってから、中将姫像に近づき、中将姫像を手にする。そして、もう一人の観音が手に持つ蓮台に中将姫像を載せる。この一連の動きが静かで、感動的である。"動の當麻寺、静の弘法寺"と呼ばれる所以である。
 この静かな動きを堪能していただきたく、6分間弱の映像をノーカットでインスタに上げた。瀬戸内の明るい陽射し。菩薩様のエレガントだが、少しぎこちない動き。静けさを引き立てる鳥の声。その辺りをぜひご覧ください(↓)。

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最後にみんなで般若心経を。そして、なんと種明かしも...!

 なお、以前までは遍明院と東寿院という塔頭二つを結んで踟供養が行われていたが、今では、遍明院を出発し、下の広場で中将姫様を引接して、遍明院に戻るルートに変更されている。迎講阿弥陀さまは遍明院で菩薩様を迎えてくださるようになった。
 弘法寺の体制の変更によるルート変更なのかもしれないが、練供養のストーリーとしてはわかりやすいルートになったのではないだろうか阿弥陀様が遍明院の本堂で菩薩様にお辞儀して迎え入れ、遍照閣まで一緒に歩いてくださるのは、なんとも心温まる光景だ。
 最後にみんなで般若心経をお唱えする。種明かしとして、阿弥陀様の中から、中の人が出てきて終了となる。

 もうすべてがたまらなく愛おしい!

 弘法寺の踟供養は現在、岡山県無形文化財に指定されているが、国の重要文化財になるという話も聞こえている。當麻寺でもそういう話を聞いたので、練供養行事がいくつかまとめて重文指定になるのかもしれない。素晴らしいことだと思う。
 なにより望むのは「末長く続いてほしい」ということ。その一点につきる。

(↓ 遍明院本堂前で菩薩様を待ち受け、お辞儀をする阿弥陀如来様)

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(↓ 菩薩様とともに、極楽浄土へ見立てた遍照閣へと歩き出す阿弥陀如来様)
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(↓ 遍照閣の前に集合。見物客も声を揃えて般若心経をお唱えする。感動的)
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(↓ 種明かし! 大役を務められた千手地区の男性の笑顔がまぶしい)
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踟供養のルート。遍明院から階段を下りて、広場で中将姫様をお迎えし、また遍明院に戻るルート。以前のように東寿院は通らない。

【拝観案内】

千手山弘法寺(せんずさん こうぼうじ)
高野山真言宗
昭和42年の火災で本堂は焼失。現在は、遍明院と東寿院の塔頭二つが残る。
遍明院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手239
東寿院=岡山県瀬戸内市牛窓町千手196
播州赤穂西大寺駅から神崎経由牛窓行きバスに乗り、「千手弘法寺下」下車。バス停からすぐだが、バスの本数が限られているので注意。1回目に行ったときは、帰りのバスの待ち時間が長く日が暮れてしまいそうだったので、タクシーを呼んだ。

踟供養の日時

 毎年5月5日14時から法要、15時から菩薩渡御。

弘法寺の仏像

 山号のとおり、本尊は千手観音立像だが、弘法寺本堂が焼失したため、今は遍明院本堂の裏手にある収蔵庫に安置される。厨子の中に収められており、非公開。この遍明院の収蔵庫は横長の建物で、平安後期の五智如来坐像を横一列に安置する。
 遍明院から少し山を登ったところに、かつての弘法寺本堂の跡地がある。かつてはそこで練供養が行われていた。本堂跡地の近くに、焼けずに残った常行堂があり、そのお堂いっぱいに丈六の阿弥陀如来坐像が現存する。八角裳懸座の立派なお像である。
 踟供養に登場する被仏(迎講阿弥陀如来像)は關先生が調査し、その存在を確認したお像である。調査に入った關先生が、常行堂で倒れるようにしていた像を発見。後補の塗装が剥がれかけており、そこを触るとぺりっとめくれ、運慶の無着世親像(奈良・興福寺)を想起する鎌倉彫刻の衣文が見えたそうだ。この被仏は關先生のご尽力で修理され、現在は遍明院の収蔵庫にまつられている。年に一度、踟供養でご活躍されるのは上記のとおりである。
 東寿院の本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。頭部に補修のあとがあるものの、快慶らしい三尺の阿弥陀立像である。胎内文書のみが奈良博の快慶展(2017年)に出展された。
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(↑遍明院の五智如来の中尊、大日如来。優しく穏やかな印象がたまらない)
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(↑常行堂に残された丈六阿弥陀如来坐像。写真はゆう1さん撮影)

※最後に、2015年に弘法寺練供養を訪れた際の記録はこちらです。この時とはルートが変更になっています。ご参考まで。
岡山県瀬戸内市 弘法寺の踟供養(阿弥陀来迎会) : ぶつぞうな日々 PARTII