休日は仏像拝観で自律神経を整えたいのだが、今の感染状況を見ていると外出する気になれない。こういう時は、少し前の旅の記録を振り返ろう...。と、軽い気持ちで短くリストアップするだけのつもりだったのだが、自分の拝観メモを入力していたら、こんな感じになってしまった。
コロナ禍のため予約拝観は避けたのだが、それでも感動の仏像めぐりができる。奈良とはそういう場所なのだと改めて思う次第。
2021.3.28(日)奈良市内のご開帳および奈良国立博物館
〇大安寺
・嘶堂の馬頭観音立像(重文) 毎年3月ご開帳 お姿はお寺のサイトから
・収蔵庫の諸仏 正面左から増長天、広目天、聖観音立像、不空羂索観音立像、楊柳観音立像、持国天、多聞天。いずれも榧の一木。唐の様式を伝える、初期の密教仏。
〇十輪院
不動明王及び両脇侍像(重文、鎌倉)
・7,8,12月を除く28日の午後に不動明王の法要があり、護摩堂が開く。「ご参拝ありがとうございます。仏様の前でまず自信を見つめることが大切です。しばし瞑想なさるとよいと思います」と住職。私の拝観記録→【奈良】十輪院護摩堂の不動明王及び二童子像を拝む - ぶつぞうな日々 part III
〇奈良国立博物館
なら仏像館 展示リスト→https://www.narahaku.go.jp/exhibition/usual/202103_hotoke/
第1室
・128 十一面観音立像(奈良・松尾寺)10-11世紀。サクラ一木。内刳なし。奈良時代の乾漆像にならった、10世紀末頃の奈良地域の造像様式を示す。かわいいくて、私はとろけてしまう...
・074不動明王立像(和歌山・正智院)13世紀。頭髪は天台宗の不動十九観様。目や口歯は真言宗の大師様。正智院の毘沙門天と一具。
第2室
・虚空蔵菩薩(文化庁)大好き。額安寺旧蔵
・104 文殊菩薩坐像(薬師寺) 木心乾漆造。8世紀。福島・能満寺の虚空蔵菩薩坐像は本像と左右対称の姿勢で、像高も等しく、作風も一致。本像と一具か。(※ちなみに、福島の虚空蔵菩薩は毎年4月に公開日あり。今年は行けなかったけど、いつか必ず)
第3室
・120 阿弥陀三尊 個人像。室町。天文3年(1534)。奈良多武峰の妙楽寺(神仏分離後に談山神社と改称)に伝来。中尊の像底墨書により椿井仏師・次郎の作とわかる。妙楽寺講堂の本尊だった春慶作の阿弥陀三尊(現存せず)を手本にしたとみられる。(※説法印の阿弥陀さまって素敵。三尊とも眉が丸いお山を二つならべたような大きな弧でつながっていた。つり目も印象的)
第7室
・59 十一面観音立像(元興寺) 重文。13世紀。古像の復興像か。善円の作風に近い。(天平仏を見習った感じがとても好き)
・54 亀岡大宮神社伝来の観音菩薩立像(奈良博所蔵) 10世紀
・83 観音菩薩立像(奈良・勝林寺)11世紀。
・55 観音菩薩立像(奈良市法蓮町・瑞景寺) 重文。10世紀。自分の手帳に、髻の螺旋模様と耳にかかる髪のスケッチあり。
・124 十一面観音立像(奈良・地福寺) 重文。9世紀。インド風の表情。奈良法華寺や大阪観心寺の観音像と似る。翻波式衣文あり。
・ 123 千手観音立像(滋賀・園城寺)重文。9世紀
・11 十一面観音立像(奈良・勝林寺)重文。9世紀。榧一木。村の娘さんのようなかわいらしいお顔立ちでありながら、ぎゅっとくびれてから豊かに流れる腰まわり。つまり、キューティーセクシー。大好きを上回るこの気持ちを表す言葉を教えてください。最近は奈良国立博物館の外の看板にお写真が出ていて、館内に入る前からドキドキがとまらない。
その他
興福寺不動堂
南円堂の向かいに小さなお堂があり、法要中だった。これが不動堂のようで、28日だったので法要が行われていた模様。
氷室神社
桜がきれいだった。何度も前は通っているのに、お参りしたのは初めて。
奈良充
・ほうせきばこ(事前予約)
奈良古都香氷をどうしてもリピートしたかった。店内は氷好きな人しか来てない感じで、おしゃべりせずにただ氷を楽しむ方々ばかり。安心していただけた。
・さくらバーガー
昨年お家に宅配してもらって2回ほどいただいた。やっぱりお店でいただくと最高。パンがパリパリだし、ハンバーグやベーコンもいい具合に焼けていた。泣けた。
2021.3.29(月)奈良市佐保路
〇不退寺
・在原業平自作と伝わる白いリボンの聖観音菩薩立像(重文、弘仁)
・五大明王 大威徳明王、降三世明王、軍荼利明王の三尊を拝観。かっこいい方々なのだが、平安後期の雅さが出ていて最高。不動明王と金剛夜叉明王は住友財団助成による修復のためご不在。
・地蔵菩薩立像 弘仁 前のめり
2021.3.29(月) 長谷寺
大和長谷寺は巨大な自己浄化装置だ。長谷寺さんの長い回廊の階段を上りながら、季節の花々を愛でる。山の中腹の本堂で巨大なご本尊十一面観音様をお参りし、また参道を下る。この一巡だけで、少なくとも一年間の自分の汚れは浄化される。そう私は感じているので、できれば年一で長谷詣をしたいと思っている。奈良市から距離があるとはいえ、お昼過ぎに大和西大寺駅を出ればのんびり長谷寺を堪能できる。この日は特別拝観が行われており、ご本尊の御足元に行って、御足をさすらせていただくことができた。何度行っても、そのたびに泣いていまう。カタルシスとはこのような状態を指すのだろうか。
この日は長谷寺本坊(大講堂)の特別公開も行われていた。天井からかけられないほど巨大な観音様の仏画の公開がメインなのだが、大講堂のご本尊阿弥陀如来坐像が私にはたまらなく魅力的だった。文化財未指定のようだが、87.2cmで平安後期の優美なお像だった。1911年に大講堂火災の際、僧侶によって運び出されたのだそうだ。
大講堂前の玄関を出ると、桜満開の壮観な長谷寺全域が目の中に飛び込んできた。世界中にありがとうと叫びたくなった。