ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【石仏】徳本名号塔をめぐる~八王子編3~(めじろ台)

八王子の徳本上人名号塔 No.10
所在地 八王子市めじろ台1丁目(旧福泉寺跡地)
文政7年

 閑静な住宅街の片隅に、お寺の跡地が墓地として残る。その小さな一画の隅に、時間が止まったままのように、徳本上人名号塔があった。
 傾斜地に一本、木が立つ。その両脇に石仏の地蔵菩薩立像と徳本上人名号塔。木は育ち、名号塔を圧迫し、やがて包み込んでいくように見えた。
f:id:butsuzodiary:20201206183900j:plain
 八王子市の横山地区と東浅川地区を中心に、徳本名号塔10基を巡ったが、この名号塔がおそらく最も大きい。高さ110cm、幅67cm、奥行き40cm(※ 八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年 より)。保存状態も良好で、名号の文字もはっきりと目視できる。
f:id:butsuzodiary:20201206184031j:plain
 造立年度などの銘文は私は確認できなかったが、前掲書によると、名号塔の左側に「文政甲甲四月 中散田」と銘があるそうだ。文政甲甲とは、調べてみると、文政7年。また、散田という地名は今も残るが、中散田という住所は今は聞かない。
 冒頭に現在の位置を「めじろ台」と書いたのは、現在の墓地がめじろ台一丁目の端にあるからで、そこは散田地区と接している。そもそも、めじろ台は、昭和40年代に京王電鉄が宅地造成して分譲した際に作られた地名であり、徳本上人が入られた頃には存在しない地名である。
 徳本上人名号塔を巡り始めたばかりの私だが、この名号塔には本当に感動した。次世代に承継したい遺産である。
f:id:butsuzodiary:20201206184207j:plain
(↑ 横から見ると、かなり奥行きのある石であることがわかる)
f:id:butsuzodiary:20201206184359j:plain
(↑ 裏手から見る)

【神奈川】足柄地蔵尊(南足柄市)150年ぶりのご開帳

f:id:butsuzodiary:20201123121306j:plain

1) 足柄地蔵尊、150年ぶりのご開帳! さてお像は無事なのか!?

 「♪まさかりかついで金太郎〜」こと、坂田金時の生地の近く、足柄地蔵堂でご開帳があり、お参りしてきた。

足柄山誓光寺 足柄地蔵堂(神奈川県南足柄市
秘仏地蔵菩薩様ご開帳
ご開帳日 2020.11.21-22

 足柄地蔵尊のご開帳は150年ぶりだという。150年も開扉しないで、お像の傷みはないのだろうか。そう思って調べてみると、1979年に神奈川県の文化財に指定された木彫像だとわかった。少なくとも誰か専門家が像の状態を確認した証である。しかも、ご開帳日を前にした神奈川新聞の報道によると、昨年11月に、東京国立博物館の浅見先生が調査されたのだという。
 事前に写真でお姿を拝することはできなかったが、きっと立派なお像であろう。期待に胸を躍らせながら出かけた。

2) 温かみのあるご開帳

f:id:butsuzodiary:20201123121424j:plain
 2020年11月22日、朝9時に現地に到着。早くも多くの参拝者がおられた。朝8:30からの開帳法要が終わった直後のためか、団体参拝の方々がちょうど帰られるところだったようだ。
 受付で検温を済ませ、お檀家様が手作りされた説明の冊子(200円)、お地蔵様のブロマイド(確か300円)、書き置きのご朱印(確か500円)を購入。文化財保護の支援の気持ちも込めて、すべて拝受させていただいた。
 小さなお寺のご開帳といえば、地元の方々が手弁当で準備され、善男善女がにこやかに集う印象がある。秘仏を中心にした、そうしたご縁つなぎのイベントがご開帳なのだと私は認識している。足柄地蔵尊のご開帳はまさにそうした温かみのあるものだった。今年はコロナでご開帳の中止や規模縮小が多かったため、こういう光景を見るのは、ものすごく久しぶりな感じがする。泣けてくる!
 おりしも、ご開帳をお祝いするような快晴。澄み渡った青空のもと、モミジの葉は黄色から紅色への見事なグラデーションで参拝者を歓迎する。お地蔵様のご真言が流れる中、秘仏本尊地蔵菩薩様の拝観の列に並んだ。

3) 土下座拝観!? みんなで膝をつき、かがみ込んで見上げる!

 小さな本堂の裏手に、秘仏本尊地蔵菩薩立像を収める収蔵庫が立つ。収蔵庫の中には入れず、外から拝観させていただく。お地蔵様は、収蔵庫内の大きなお厨子に安置されているため、お顔がよく見えない。
 このため、参拝者は3人ずつ収蔵庫の前に並んで膝をつき、かがみ込んだ上で、お地蔵様を見上げる形での参拝となった。大きな地蔵菩薩様に見下ろされるこの状況、私は決して嫌いではない。もはや土下座拝観と名付けてもよいだろうか?

4) 秘仏 足柄地蔵尊

f:id:butsuzodiary:20201123121334j:plain
(ご開帳時に有料配布された、いわば公式写真)
神奈川県指定文化財
像高160.5cm
13世紀後半
檜の寄木造
玉眼
頭部と肉身部は黒漆塗り
着衣は朱漆塗地に銀泥で文様を描く

 土下座の姿勢で見上げてみると、地蔵菩薩様は、たくましく、がっしりとした印象だった。160cmという像高もさることながら、体躯も太い。力強いお姿だ。若干むちっとした感じもある。おそらく運慶好きな人にはたまらないのではないだろうか。
f:id:butsuzodiary:20201123121506j:plain
f:id:butsuzodiary:20201123121533j:plain
(↑檀家様手作りの冊子より)

 この冊子の写真のほうが、先に貼った"公式写真"よりも実際のイメージに近いような気がする。大きな頭部に嵌められた玉眼は鋭いが、私達を威圧するわけではない。太い体躯と複雑な衣文もあいまって、安心して頼りたくなるお姿だった。いずれにしても、写真より数百倍素敵であるので、その旨力説しておきたい!

 なお、今年の春、箱根の正眼寺曽我堂で、鎌倉時代地蔵菩薩立像2躯が並び立つのを拝観させていただいたので、そちらとの比較も実は楽しみにしていた。正眼寺地蔵菩薩ツイントップもとても素敵なので、ぜひともお参りされたい。こちらは春と秋のお彼岸にご開帳である。

 足柄地蔵堂では、次のご開帳は考えていないと伺った。もったいないことである。ご尊像の安否確認も兼ねて、年一ぐらいで拝ませていただけないだろうか。

5) 拝観案内

足柄山誓光寺 地蔵堂
大雄山駅から1時間に一本ぐらいでバスがある。足柄山への登山者も多く利用するバスのようである。
地方のお寺はアクセスが厳しいことが多いが、今回のご開帳は南足柄市がホームページでバスの時間まで案内してくださり、大変助かった。法要時間も記載されており、拝観スケジュールを立てるのに役立った。
goo.gl

参考資料

f:id:butsuzodiary:20210629222524j:plain
f:id:butsuzodiary:20210629222603j:plain

【石仏】徳本名号塔をめぐる〜八王子編2〜

徳本上人名号塔
場所 八王子市長房町・船田町会会館
調査日 2020.11.21

f:id:butsuzodiary:20201123113625j:plain
f:id:butsuzodiary:20201123113946j:plain

1) 調査番号5) の長房町・船田町会会館の徳本名号塔、ついに発見!

 11/15の調査で見つからなかった船田町会会館を再訪。私のFacebookをご覧くださったお近くの龍泉寺副住職様から情報を得て、低木の中に隠れていた徳本上人名号塔を見つけることができた。発見というか、発掘というか、そういう仰々しい言葉を使いたくなるほどの感動である。

2) 植栽カットでinvisibleからvisibleへ!

 新たな進展もあった。たまたま通りかかった地元の方が、低木を少しだけカットしてくださったのである。以下の写真1枚目が植栽カット前で、2枚目がカット後。小さな祠の正面向かって右側に低木の植栽がある。写真1枚目では植栽しか見えないが、2枚目では小さな石碑が見えるのがお分かりいただけるだろうか。それが徳本名号塔である。
 高さ60cmほどの小さな名号塔で、文字もかなり薄れている。しかし、徳本上人の独特な筆跡で南無阿弥陀仏と書かれており、左下の徳本という文字も見える。
f:id:butsuzodiary:20201123113441j:plain
f:id:butsuzodiary:20201123113534j:plain

 植栽を切っていただいた経緯はこうだ。
 私が再訪した11月21日、船田会館では、研ぎ師の方々が出張に来られて、ひたすら刃物を研いでおられた。私はそのすぐそばで、低木の茂みを必死でかき分けていた。すると、一人の男性が通りかかった。偶然にも、手には大きな植木鋏を持っている。後から冷静になって思い返すと、研ぎ師さんに預けていた刃物類を取りに来られたのだろう。
 「町会会館前の茂みに座り込むアヤシイ女性」と「大きな植木鉢を持った地元の男性」。この構図に潜む危険性をとっさに嗅ぎ取った私は、自分の「アヤシイ」部分を払拭しようと、思わず男性に話しかけた。まず飛び出した言葉が「徳本上人名号塔をご存知ですか?」だった!!
 「はっ?」と首を捻る男性に私は話し続けた。「200年前の石碑を調べているんです。徳本上人という方が200年前に八王子に来られて、その方の独特な文字を刻んだ御念仏の石碑なんです。植木に隠れて、見えなくなっているんです」。
 変なテンションで話す私に対して、その男性はいたって冷静だった。「あー、そういうことでしたか。そういう歴史的価値があるものだとは認識してませんでした」と静かにおっしゃった。そして、研がれたばかりの植木鉢で、ざくざくと名号塔の周りの低木を刈り込んでくださったのだった。
 丸腰のおばさん(=私)のほうが興奮気味で、危険な武器(=植木鋏)を持った男性のほうが冷静だった! なんともありがたい。そして、なんと未熟な自分だろう。
 船田会館は年に2回、地元の方々が整備をされているそうで、写真を見返しても、きれいに植木の管理がなされていることがわかる。
 船田町会会館は、近くの慈眼寺の隠居庵の跡地に建つと聞いた。徳本上人名号塔がこの地に残るのことの意義は大きいと思う。

参考資料

この徳本名号塔については、八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年に記載がある。
前回の拙調査の報告は下記のポストのとおり。
butsuzodiary.hateblo.jp

【山梨】逍遥院(甲府市)地蔵菩薩立像と東禅寺(甲府市)宝冠釈迦如来坐像

向富山逍遥院(山梨県甲府市

地蔵菩薩立像
市指定 91cm 一木造り 
 だいぶ磨耗している。両手・両方の袖先、両足先は後補。正面から拝観しても素敵だが、私はこのお背中に惹かれた。木は朽ちても、それでもなお、すっとお立ちで、胸が熱くなる。
 普段は庫裡に安置し、非公開だという。甲府市による特別公開が2020年10月30日と31日に行われ、その際に拝観させていただいた。
 逍遥院本堂の端っこが公文の教室になっていた。寺子屋は公文なのである。こんな公文なら通いたい。
f:id:butsuzodiary:20201116020514j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116020737j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116020825j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116020934j:plain
※写真は許可を得て撮影

鳳凰山東禅寺山梨県甲府市

宝冠釈迦如来坐像
県指定
105cm 檜の寄木造り。玉眼。宝髻の矧目の墨書を「辛亥」と読めば建長3年(1251)のものと想像できる。ただ、そこまで古いものかどうかは不明。(甲府市の配布資料より)
堂内外陣から拝観させていただいたが、ご尊顔が美しく、衣文も流麗。「畿内の仏師によると想定」(甲府市)というもの納得
f:id:butsuzodiary:20201116021332j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116021518j:plain
※写真は甲府市のサイトより
甲府市/木造釈迦如来坐像

【石仏】徳本名号塔をめぐる〜八王子編1〜


 先日、相模原市立博物館で、相模原市内に徳本名号塔が多数残っており、すべて市の文化財に指定されていることを知った。八王子市内にも残っているようなので、八王子郷土資料館に行き、下調べしたうえで、市内を巡ってみた。

徳本上人が八王子にやってきた

 徳本上人(1758-1818年)は、文化14年(1817)11月15日からの19日の5日間、八王子の大善寺に滞在したことが、『石川日記』に記されている。当時の大善寺は現在の大横町にあり、関東十八壇林の一つだった。『桑都日記』(巻之十四下編)には、「念仏行者徳本、桑都に来たり強化大いに行はる。徳本は紀州の人、念仏を専修し、郡国を周流し大善寺に寄寓すること数日。土人大いに化す。爾来、徳本講と称し、一派の念仏会あり」とある。
 徳本上人に因んだ念仏講の際に造立されたのが徳本念仏塔で、自然石の正面に「南無阿弥陀仏」と刻む。徳本上人の流れるような筆跡が特徴である。石の裏側には、造立年度や講の名称が刻まれる。

 私が八王子の徳本名号塔を巡ったのは2020年11月15日。徳本上人が桑都、八王子に入られてからちょうど203年後のことだった。旧暦と新暦の違いはあるものの、この偶然に胸が震える私である。

1) 八王子市裏高尾町(駒木野の小仏関所跡近く)

文政4年
35°38'28.0"N 139°15'52.3"E

 旧浅川町の石仏をまとめた資料において、裏高尾町駒木野514神明社の欄に掲載されていた名号塔である。神明社は見つからなかったが、幸いなことに、徳本名号塔は道端で偶然見つかった。当該資料の写真と同じ場所に今も安置されているようだ。保存状態もよい。
 小仏関所跡前のこの細い道は、高尾駅北口から出発する路線バスの通り道になっている。高尾山への登山者が使うバス という印象である。駅から蛇滝の登山口まで歩く人もいるようで、この日も登山客が何人か、徳本名号塔の前を通り過ぎていった。小仏関所を過ぎると、この石仏群の辺りから緩い下り坂になっており、これを念珠坂と呼ぶようである。
f:id:butsuzodiary:20201116001629j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116001715j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116001843j:plain

2) 八王子市東浅川町・原宿会館前

文政4年
35°38'46.9"N 139°17'19.7"E

 資料に比べると、徳本名号塔も木喰正観もだいぶ摩耗してしまっていることがわかる。甲州街道の銀杏並木に面した、車の往来の多い場所にある。何度も通っているはずだが、これまでまったく気づかなかった。
 ちなみに、この石仏群のすぐ後ろは個人のお宅。徳本名号塔のすぐ後ろに、黒いスニーカーが干してあった。
f:id:butsuzodiary:20201116002546j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116002734j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116002824j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116002953j:plain

3) 八王子市東浅川町・原家墓地内

文政4年
35°38'31.3"N 139°17'33.2"E

 資料の「東浅川町三田775古道脇(原家墓地)」という情報のみを頼りに探した。この墓所の裏手は急な坂になっており、今は大きなマンションが立っている。最初そのマンションの方を探したが見つからなかったので、再度坂を下りて、西側のスターレーン(ボーリング場)の方に回り込むと、この墓所が見つかった。ちなみに、三田という地名は今はないが、近くに「三田町会」の掲示板はあった。
 原家墓所内、メインの墓石のすぐ横(正面右)に、この徳本名号塔は立っていた。墓所への畏怖と敬意から、墓地全体の写真は自粛し、徳本名号塔のみ写真を掲載する。
f:id:butsuzodiary:20201116003444j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116003655j:plain

4) 長泉寺(八王子市長房町1258)

文政7年
 長泉寺は多摩御陵の近くの高台にある、臨済宗南禅寺派のお寺。徳本名号塔は本堂前に静かに安置されていた。境内は狭いが清潔で、静かに落ち着いてお参りできる。一番下の「徳本」というところがかわいい。
 石平道人坐像(正三坐像)が市の文化財に指定されている。拝観させていただけるのだろうか。今度伺ってみたい。
f:id:butsuzodiary:20201116004236j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116004305j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116004339j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116004410j:plain

5) 船田町会会館(八王子市長房町)

 船田町会会館の敷地内にあるようなのだが、それらしきものが見つからなかった。事前に調べた資料に最も近いのがこの写真。今ひとつ文字が読み取れないし、しかもなぜか、今流行りのフィギュアがお供えしているようだった。
 資料のNo.68の徳本名号塔をご存知の方がおられたら、ぜひ所在を教えてください。よろしくお願いします。
(No.69-71の石仏は会館横の社に祀られていた)
f:id:butsuzodiary:20201116004953j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116005123j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116005157j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116005252j:plain

6) 長安寺(八王子市並木町)

文化14年
 今日お参りした徳本名号塔の中で最も古く、唯一徳本上人の存命中のものである。
長安寺は甲州街道沿い、西八王子駅高尾駅の間に位置する。曹洞宗のお寺であり、武相観音霊場の札所である。秩父から移されたと伝わる観音像がおられ、武相観音霊場のご開帳の際にお参りさせていただいた記憶がある。
f:id:butsuzodiary:20201116010018j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116010044j:plain

7) 真覚寺(八王子市散田町)

 境内の池の手前、石仏の並ぶ一角に安置。名号の上に円形の刻印があるが、これはなんだろう。しかも、造立年度がわからないので、また資料館に調べに行かなくては。現地では、塔の裏側に覆いがあるため、塔の裏側は確認できなかった。
なお、真覚寺の白鳳仏、薬師如来椅像(八王子市文化財)は、八王子郷土資料館で拝める。せっかくなので、薬師如来様の写真も合わせて添付する。
f:id:butsuzodiary:20201116010541j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116010635j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116010717j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116010802j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116010837j:plain

8) 八王子郷土資料館(八王子市千人町・興岳寺)

文政10年
 興岳寺(八王子市千人町)の徳本名号塔が八王子郷土資料館の庭に安置されている。昭和25年以降に登場した赤い郵便ポストの前に置かれていて、少しシュールではある。郷土資料館は来年3月に移転する。資料館の庭には、これ以外にも庚申塔二宮金次郎像などが展示されているので、すべて無事にお引越しされることを願う。
f:id:butsuzodiary:20201116011925j:plain

9) 龍見寺(八王子市館町)

文政4年
 龍見寺といえば、大日如来坐像(東京都文化財)が大好きで何度もお参りしている。しかし、まさにその大日堂に登る階段の手前にあるのが、徳本名号塔だとは知らなかった。手入れの行き届いた、美しい名号塔である。
 こちらの名号塔の写真は、さる10月30日に大日如来坐像が公開された際、撮影したもの。せっかくなので、大日如来様の凛々しいお姿も貼りつけておく。その美しさに唸るべし。
f:id:butsuzodiary:20201116012348j:plain
f:id:butsuzodiary:20201116012438j:plain

また調査に行きたい

 南無阿弥陀仏と書かれた石をただ巡るだけ。それだけなのだが、とても癒された。あの流れるようなお茶目な名号を見ると、思わずにっこりしてしまう。そして、十円玉をお供えし、お十念をつぶやく。
 八王子市内にはまだこれ以外にも徳本名号塔は存在する。○○橋の近く、というような曖昧な情報もキャッチしている。なんとか見つけたい。
 今度はできれば少しのお花をお供えしたい。そして、メジャーを持っていって、石の採算をしたい。

参考資料

○紺野英二「屋外展示の石造物”徳本念仏塔”」
f:id:butsuzodiary:20201116012915j:plain
○縣敏夫 編著『八王子市 旧浅川町の石仏と地誌』
○八王子石仏の会『旧横山村石仏調査報告書』1998年
相模原市文化財には、市内の徳本名号塔が詳しく紹介されている。例えば、このサイトを見ると、上人が1817年11月19日に原当麻無量光寺に到着したことがわかる。八王子市の資料とよみあわせると、八王子の大善寺を出立して、無量光寺に向かったことがわかる。
38.無量光寺の徳本念仏塔(むりょうこうじのとくほんねんぶつとう)|相模原市

【栃木】鹿沼まるごと博物館「とちぎの宝 医王寺の至宝」~市が主催して寺で開催する画期的な展覧会~


鹿沼まるごと博物館第6回企画展「とちぎの宝 医王寺の至宝」
会場 東高野山 医王寺
会期 2020年10月31日~11月8日
観覧料 500円(中学生以下無料)
主催 鹿沼市鹿沼市教育委員会・とぎの宝医王寺展実行委員会

f:id:butsuzodiary:20201105080339j:plain
医王寺の至宝展チラシ表
f:id:butsuzodiary:20201105080443j:plain
医王寺の至宝展チラシ裏

1) 市が主催して寺で開催する画期的な展覧会

 「鹿沼まるごと博物館」とは、「市域全体を博物館として捉え、中央館を中心に各地の地域資源をネットワーク化し、様々な分野で活用を図ることで、地域の教育・文化の向上などに活かしていくもの」(市のサイトより)。
 仏像ファンの間でよく話題になるのは、「仏像は展覧会だと明るい照明で間近で拝める。でも、信仰の対象なのだから、お寺で拝むのが一番」というジレンマだ。それを難なく克服したのが、今回の医王寺の「まるごと博物館」なのではないだろうか。
 医王寺は山門、金堂、唐門、講堂と縦長にのびる境内を歩くだけでも神聖な気持ちになる。鎌倉時代の仁王さんにご挨拶したあと、金堂に入ると、たくさんの仏像にお会いできる。どのお像にも間近でお会いできる。ガラスケースもない。
 今回の「鹿沼まるごと博物館 医王寺の至宝」展では、金堂が第一会場、講堂が第二会場と呼ばれている。第一会場の入り口でチケット(500円)を購入すると、詳細な作品解説とカラー写真が掲載された冊子(全14ページ)がもらえる。この冊子を読み込みながら、間近で仏像を拝観できるのだ。お寺なので、躊躇なく合掌もできる。まずは仏様に手を合わせる。そして、冊子の解説を読みながら、お姿を鑑賞できる。なんと幸せなことだろう。前述の仏像ファンのジレンマを解消する手段として、画期的だと思う。

2) 金堂の薬師三尊~月光菩薩様に心奪われる~

f:id:butsuzodiary:20201105075726j:plain
写真は当日配布の冊子より

薬師如来及び両脇侍像 薬師如来 83.0com 左脇侍107.8cm 右脇侍110.1cm 鎌倉時代13世紀 県指定文化財

 仏像の多くは第一会場である金堂に集められている。実は目当ての平安仏があって出かけたのだが、最も心を奪われたのは、金堂の内陣の宮殿にまつられた薬師三尊だった。こちらの月光菩薩に心を奪われてしまった。
 金堂本尊であるこの薬師三尊は、江戸時代には、金堂宮殿の薬師如来(現在の講堂本尊で、60年に一度の秘仏。県指定文化財)のお前立として、宮殿前に安置されていたという。これほどの鎌倉仏がお前立だったとは。
 特に、月光菩薩は身体を斜めに傾け、衆生を見下ろす感じがたまらない。宮殿厨子内の高い位置におられる薬師三尊の真下に屈むと、薬師如来月光菩薩と目が合うポイントがあるので、ぜひ現地で体感してほしい。
 十二神将は後補の塗装をはがす保存修理が行われたそうで、ビフォーアフターの写真が掲示されていた。奈良・室生寺十二神将像に似たポーズのものがあるそうだ。室生寺像よりは小さめだし、動きもかたい感じがしたが、それでも十二体そろって堂内に並ぶさまは壮観。

3) 十一面観音立像~大津の聖観音菩薩立像に似ている!?~

f:id:butsuzodiary:20201105075848j:plain
間近で拝観できた。写真は当日配布の冊子より

十一面観音立像 146.6㎝ 平安時代 県指定有形文化財

 平安中期の十一面観音立像。普段は講堂の収蔵庫におられ、非公開だと伺った。本展では、間近で拝観できた。冊子によると、滋賀県大津の九品寺の聖観音立像(10世紀後半)との類似が多く認められるという。同じ時期に近畿地方でつくられた可能性が指摘されていた。大津の九品寺の聖観音像といえば、去年の秋の大津歴博の展覧会に参考展示され、撮影可能だったお像である。さっそく写真を引っ張り出してみると、像の優劣は感じてしまうものの、確かに雰囲気は似ている。医王寺のほうが少し表現がかたいような気がしたが、平安中期に遡る等身大の立像が関東で拝めるとはありがたい。

f:id:butsuzodiary:20201107195131j:plain
【参考】九品寺(滋賀県大津市聖観音立像 2019年に大津歴博にて筆者撮影

 九品寺像と異なるのは、聖観音ではなく、十一面観音立像だということ。医王寺像は化仏の菩薩面がお顔を彫り出さず、のっぺらぼうになっていた。私の好きな表現であり、胸がきゅんきゅんした。係の方に伺ったところ、正面の如来立像は後補であろうが、菩薩面は当初のものである可能性があるとのことだった。

4) その他の諸像

 そのほか、平安後期の不動明王立像(像高96.5cm)と鎌倉初期の二童子像(矜羯羅46.7cm、制吒迦45.2cm)は小さいながら、表現豊かで見入ってしまった。鎌倉時代弥勒菩薩坐像の両脇には、やはり鎌倉時代毘沙門天と吉祥天の立像を安置。毘沙門天と吉祥天は普段は栃木県立博物館に寄託されており、今回の展覧会のために特別に里帰りされたのだそう。今回だけの特別な三尊構成ということらしい。
 また、特別展示として、同じ鹿沼市の宝城寺の阿弥陀如来立像が金堂の脇に置かれていた。前述の十二神将と同じく、明古堂で修理されたのだという。修復前の痛々しいお姿の写真が横に掲示されていた。修理してもなお、右腕の位置がおかしい感じがするが、それさえもいとおしい。
 なお、山門の仁王像は鎌倉時代(13世紀)のもの。シャトルバスから直行してしまうと見逃してしまうので、ご注意ください。山門に至るアプローチも素敵なので、少しだけ足をのばして、山門をくぐってからお参りすることをお勧めしたい。
f:id:butsuzodiary:20201105080107j:plain>

f:id:butsuzodiary:20201105080131j:plain
仁王さんは鎌倉時代。ガラス越しなので写真は難しいが、お姿はよく拝見できる

 

【滋賀】岩間寺(大津市)の諸像~ご本尊は千手観音・吉祥天・婆藪仙人の三尊~

石山寺からのシャトルバスは毎月17日ではなく、第3日曜に変更になったようです。参拝の前に最新情報をご確認ください!( 22/11/13追記)

岩間寺文化財指定のある仏像(写真は湖信会HPより)

湖信会サイト→岩間寺(岩間山正法寺) 湖信会

1) 岩間山正法寺

 
 岩間寺は大津と宇治との間の岩間山(標高445m)の山腹にあり、アクセスが厳しい。毎年17日に石山駅からシャトルバスが出るので、これを利用してお参りした(※22/11/13現在、シャトルバスの運行は毎月第3日曜日)。2020年10月17日、朝から冷たい雨が降っていた。秋雨で霞む山の中に、静かに岩間寺はあった。早朝の山寺の空気を胸いっぱいに吸い込み、堂内へ上がらせていただいた。雨にも関わらず、多くの参拝者が訪れていた。

2) 本堂

2-1) 千手観音と吉祥天・婆藪仙人という組み合わせ

 ご本尊(金銅仏)は秘仏で、お前立として、小さめ(60cm?)の千手観音立像をまつる。脇侍が等身大の吉祥天(大弁功徳天)と婆藪仙人で驚いた。千手観音の眷属である二十八部衆の中の二人だ。リアルな表現で、彫刻としても優れていると感じた。
 こういうマニアックな尊格が気になるのは、2年前に三十三間堂二十八部衆の配置替えが行われたことと関係する。三十三間堂では、千体の千手観音の国宝指定を機に二十八部衆の配置を見直し、中央の千手観音坐像(湛慶)の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人がまつられることになったのだった。新たな配置で拝観すると、二十八部衆の一部に過ぎなかった二尊が、一気に表舞台に出たような感覚になる。私は大弁功徳天様びいきなので、なんとも晴れ晴れしい気持ちになった。その一方で、婆藪仙人というおじいちゃまの像と組み合わせられたことに仰天したのだった。二人の関係が気になってしかたない。
 そんな二尊が、ここ岩間寺では、千手観音立像との三尊でまつられている。二十八部衆の他のメンバーはおられないようだ。あとで調べてみると、この二尊について、大津市歴史博物館ニュースの記事が見つかった。最初から千手・吉祥天・婆藪仙人の三尊だった可能性も考えうるとのこと。2002年と昔の記事なので、ここにスクショを貼っても許されるだろうか。興味深いのでぜひご一読を。

寺島典人「学芸員のノートからー岩間寺の脇侍についてー」(大津歴博だより2002No.48)
三十三間堂の中央の千手観音坐像の両脇に大弁功徳天と婆藪仙人が並ぶ(写真は『千体仏国宝指定記念 無畏』より)

2-2) 地蔵菩薩立像(重要文化財

 本堂の奥、正面右脇に地蔵菩薩立像をまつる。雨の日の朝の堂内は暗く、照明もなく、ほとんど見えなかった。拝観位置からさほど遠くないので、明るささえあれば、目視で拝観できたはず。像高69.1㎝。12世紀初め。重要文化財。2018年秋、大津歴博の企画展「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」に出陳。図録をながめていたら、頭部が大きめなお姿だったことを思い出した。

2-3) 十一面観音立像(大津市指定文化財

 本堂におられたようだが、確認できず。あとで調べたところ、前述の「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」展に出陳されていた観音様だった。像高89.0cm。12世紀。お寺でもお会いしたかった。

写真は『大津市制100周年記念 大津の文化財』(平成10年)より

3) 不動堂

 不動護摩供が毎月17日に行われ、不動三尊のお厨子が開く。私が訪れた早朝の時間帯は、不動堂は開いているものの、人はほとんどおらず、以下の仏像をすぐそばで拝観できた。

岩間寺不動堂内を堂外からのぞむ。正面左から薬師如来坐像不動明王童子立像、阿弥陀如来坐像
写真は『大津市制100周年記念 大津の文化財』(平成10年)より

3-1) 不動明王童子像(重要文化財

 不動明王 97.6cm 矜羯羅童子66.4cm 制吒迦童子63.4cm 平安中期?
 上の写真では全体が黒っぽくてわかりにくいが、お堂で拝観すると、お厨子の中の金色を背景にして、各像の自然な表情が見て取れる。不動明王には赤い火炎光背。二童子は上の写真よりもっと不動明王に近い位置に立つ。

3-2) 薬師如来坐像大津市文化財

 像高84.5cm 不動明王以外に事前情報がなかったので、これほど穏やかで美しい平安仏がおられるとは知らず、うれしい驚きだった。像の横の説明書きによると、享保年間に完成した『近江輿地志略』に、薬師堂に奉安される薬師如来について記載があり、この像がそれに当たるということだった。何かの理由で薬師堂がなくなり、不動堂に安置されるようになったということなのだろうか。
 定印を結んだ両手に薬壺をもつ。この少し変わったポーズが気になる。『大津の文化財』では、両手の肘から先と薬壺は後補のため、当初は釈迦如来阿弥陀如来として造立された可能性あると指摘する。
 阿弥陀様ファンの私としては、もはや阿弥陀如来でよいのでは、と思ってしまう。それほど素敵なのだ。下から見上げると、薬壺を抱えているような感じに見え、その安定感と気品にさらに惹かれる私なのだった。(※阿弥陀如来以外の美しい如来像を拝するとき、私は時々「もはや阿弥陀如来」と申し上げるが、それは最上級の誉め言葉である。その旨ここに申し添えるw)

3-3) 阿弥陀如来坐像

 薬師如来とほぼ同じ大きさの坐像。文化財指定はないようだが、お堂前の看板の説明によると、こちらも藤原時代の作。
 岩間寺の不動堂は、重文の不動明王両脇侍像を中心として、その両脇に定朝様の坐像をまつる、なんとも素敵な場所だった。

不動堂前の看板

拝観案内

岩間山正法寺 
住所 大津市石山内畑町82
tel 077-534-2412
 岩間山正法寺岩間寺)は養老6年(722) 、加賀の白山を開いた泰澄(たいちょう)法師が元正天皇の病を法力で治したことから、泰澄を開基として建立。寺伝では、泰澄が感得し、自ら刻んだ桂の木の千手観音像を本尊とし、元正天皇の金銅製の念持仏をその胎内に納めたという(寺伝の木彫仏は現存せず)。
 毎月17日の午前中、石山駅(JRと京阪)から無料のシャトルバスが出る。私が訪れた2020年10月はコロナ対策も取ってくださっていた。乗る前に手指消毒。そして、バス内の混雑を避けるよう、全員着席したところでバスは出発した。(22/11/13現在、シャトルバス運行は毎月第3日曜)

参考資料

岩間寺ホームページ 【岩間寺】
〇『大津歴博だより 2002 No.48』寺島典人「学芸員のノートからー岩間寺の脇侍についてー」
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/file/tayori/tayori_048_2002.pdf
〇『大津市制100周年記念 大津の文化財大津市教育委員会(平成10年)
○ 「神仏のかたち ―湖都大津の仏像と神像―」展覧会図録(大津市歴史博物館、
2018年)
〇湖信会ホームページ 岩間寺(岩間山正法寺) 湖信会

【展覧会】西七条のえんま堂ー十王と地獄の美術ー(龍谷ミュージアム)

特集展示「西七条のえんま堂 -十王と地獄の美術-」
龍谷ミュージアム(2020.9.12-11.3)
f:id:butsuzodiary:20201018200729j:plain
f:id:butsuzodiary:20201018215157p:plain

えんま堂の諸仏は実際に間近で拝むべし

 龍谷ミュージアムの近く、西七条えんま堂から諸仏がお出ましである。メイン展示は、このお堂の閻魔坐像(鎌倉時代)、十王坐像(南北朝室町時代)および不動明王立像(鎌倉時代。閻魔像も不動明王像もそれほど大きくはないが、写真より実物のほうが断然いい。写真よりもっと凹凸があるし、動きもあり、怒りの表情に力もある。えんま堂の木造檀荼幢と木造浄玻璃鏡はいずれも昭和10年の作。近年にも新たな仕掛けを加えた人々がいたのだ。その熱意に脱帽である。

 さらに、展覧会場では、これらえんま堂の諸仏と同じスペースに、京都・鍛冶町町内会の木造地蔵菩薩立像(平安後期)を配置する。これがよくマッチし、好印象。地蔵菩薩様は閻魔様の化身なのだ。このお像も写真より実物のほうが素敵だった。写真ではわかりにくいが、側面からみると、前傾した姿勢を取っていた。来迎の地蔵菩薩なのだろう。

 十王像や地獄絵を観るとき、私は少し気構える。その時の自分の体調によっては、観るだけで体力と気力を消耗してしまうことがあるからだ。その点を心配しつつ鑑賞したのだが、この展覧会では、地蔵来迎図(後期展示は岡山・安養寺のもの)阿弥陀三尊来迎十仏図(岡山・木山寺、後期展示)も一緒に展示してくれていたので、助かった。やはり地獄と極楽はセットでないと。

 また、地蔵盆の設えを再現展示(京京都・壬生寺しているのも興味深い。私は京都の地蔵盆に憧れる田舎者である。

 なお、この特集展示は、シリーズ展8「仏教の思の想と文化 -インドから日本へ-」の一部という位置づけのようだ。このシリーズ展は、大きなテーマの中で、ガンダーラから法然上人や親鸞上人まで網羅。美しい阿弥陀如来像や来迎図も登場する、癒し空間だった。

ぼっちに優しい

 最後に、もう1点追記したい。会場内に、閻魔様のポスターをバックに写真が撮れるコーナーがある。私は基本的にいつも一人で行動するので、こういうのは使えない。展覧会スタッフが近くにいてくれれば、シャッターを押してもらえる。しかし、会場が混み合っていたりすると、スタッフさんにお手間をかけられない。そもそも人見知りなので、スタッフさんに声をかけるのも気が引ける。
 それがなんと、ここ龍谷ミュージアムでは、一人でも写真が撮れるように、スマホを置く台を設置してくれていた。なんと素敵なギミックだろう。このおかげで、今回初めて高度な自撮りに成功した。おひとり様(通称”ぼっち”)へのお心遣いに心より感謝を申し上げる。(自撮り写真の掲載は自重w)

【和歌山】慈光円福院の十一面観音立像

慈光円福院(和歌山県和歌山市)十一面観音立像
f:id:butsuzodiary:20201018161905j:plain

 平安前期の美しく強い観音様。像高149.7cm 。重要文化財和歌山市文化財サイト
木造十一面観音立像 | 和歌山市の文化財
には次のような説明がある。

(引用始め)
 慈光円福院は戦災で焼失した円福院を再建する際に、無住になっていた和佐八幡宮別当寺であった観音院慈光寺を移築し現在の寺名に改称したもので、本像もその際に移されました。
 本像(像高149.7cm)は内刳りを持たない檜の一木造の十一面観音立像です。装飾的な天冠台や翻波式衣文、目鼻立ちがはっきりと表した面貌、わずかに残る彩色からいわゆる彩色檀像であったと考えられます。肉感的でありながら瑞々しいその面貌表現は大阪府観心寺如意輪観音像等とも共通することから、平安時代前期の真言密教との関わりが伺われます。(引用終わり)


 観心寺河内長野)の如意輪観音像との類似性が指摘されている。垂直に下げた右腕が長めで、法華寺(奈良)の十一面観音立像に似ているようにも思う。同じ頃に、同じ工房で造られたのだろうか。上記サイトには檜とあるが、せきどさんをはじめ、カヤと明記するサイトも少なくない。観心寺像も法華寺像もカヤの一木造。

 前回、仏像リンクのオフ会でお参りした。夕方遅く、すでに日が落ちたあとでの拝観だった。今回、二度目の拝観は、秋の日の昼間。約束の時間に訪れると、年配の女性がお厨子を開けてくださった。昼間に一人で訪れると、思っていたより堂内が広く感じた。
 そして、一人で観音様に対面していると、なんだか叱られているような気がしてきた。叱られつつも、励まされる。叱咤激励されてような感じだった。はい、観音さま、私もう少しがんばります。
 貞観の香り漂う美しい観音像。またいつか再訪したい。その時は何を感じるのだろう。

f:id:butsuzodiary:20201018173614j:plain
近くで拝ませていただく
f:id:butsuzodiary:20201018173733j:plain
見事な翻波式衣文

拝観案内

慈光円福院
〒640-8012 和歌山県和歌山市北新金屋丁31
JR和歌山駅または南海和歌山市駅から徒歩20分ほど。(JR紀和駅が一番近い)
予約拝観

【和歌山】紀三井寺秘仏本尊特別開帳~感動を伝える言葉が見つからない~

f:id:butsuzodiary:20201017041539j:plain
ご開帳のリーフレット 秘仏の写真は掲載されていない
f:id:butsuzodiary:20201017041623j:plain
写真は公式Facebookより 秘仏本尊にはぼかしが

紀三井寺開創1250年
秘仏本尊・十一面観音菩薩立像
秘龕仏・千手観音菩薩立像
50年に一度 特別ご開帳
2020.3.18-6.28 / 9.20-12.20

 紀三井寺本堂の裏手の大光明殿で、中央の大きなお厨子が開いていた。堂内へと続く廊下からそれが垣間見えた瞬間、胸が熱くなった。お厨子の中には、秘仏本尊・十一面観音立像と秘龕仏・千手観音立像(いずれも重文)が並び立つ。

 秘仏本尊の十一面観音は思ったより大きかった。大きな頭部。大きな鼻に大きな耳。どっしりした体部。平安前期は強めのお像が多いが、この秘仏本尊には、どこかのんびりとした、おおらかさも感じられた。10世紀初めの作だという。強く惹かれる。

 秘龕仏の千手観音立像は、もう少し時代が下る。10世紀後半から11世紀。秘仏本尊より小顔で、洗練された感がある。尖った山型の眉。小さく整った鼻。きゅっと閉じた小さな口元。そして、よく見ると、大きな腕だけでなく、小さな無数の腕もついていた。真数千手ということか。

 昨年の春、紀三井寺をお参りした際、この二観音の写真を拝見し、これは必ずお会いしなければと思っていた。しかし、目の前に現れた御仏は、写真以上だった。生きて、息をしているようにさえ感じる。

 秘仏以外の諸仏も特筆に値する。厨子の正面左には、平安後期の毘沙門天立像と帝釈天立像。右手には梵天立像。

 いつもは右手にもう一体の十一面観音立像もおられるのだが、私が訪れた時にはご不在だった。先月まで京都国立博物館の西国観音展に出陳されていた。さらに、今月末から和歌山市立博物館で開催される紀三井寺展にもお出ましなのだそうだ。
 この十一面観音立像もかなりの力で私を惹きつける。今回、秘仏本尊とご一緒のところをお堂で拝観できなかったことだけが残念だ。しかし、この観音様は、50年に一度の特別開帳をPRするため、特別な任務に出ておられるのだ。あんなに清楚な観音様が営業をがんばっておられるとは。涙がこぼれそうだ。京博でお会いできたのは嬉しかったが、私はやはり、お堂のあの空間で秘仏とともにお会いしたかった。

 それにしても、紀三井寺の本堂奥の諸仏になぜこれほど感じ入ってしまうのだろう。世の中には神聖な何かを感じられる場所があるもので、紀三井寺のあの空間は確かにその一つなのだろう。そっと息づく平安諸仏をどう形容したらよいのか。その言葉を私は探している。

f:id:butsuzodiary:20201017033031j:plain
1日33枚限定の特別御朱印

参拝日 2020.10.16

紀三井寺公式Facebookのお知らせ

www.facebook.com

【展覧会】「相模川流域のみほとけ」神奈川県立歴史博物館は必見

相模川流域のみほとけ」神奈川県立歴史博物館 2020年10月10日(土)~11月29日(日)

f:id:butsuzodiary:20201013101607j:plain
龍峰寺千手観音立像(写真は展覧会サイトより) 間近で拝観できる! 凛々しい!!
公式サイト=【特別展】相模川流域のみほとけ Buddhist Statues Along Sagami River | 神奈川県立歴史博物館
f:id:butsuzodiary:20201015002732p:plain
展覧会チラシ 普門寺(旧城山町聖観音立像が美しい!
 相模川流域にこれほど重要な仏像が残されているとは。自宅からそう遠くないので、ご開帳や文化財公開などで比較的よくお参りしている地域だと思っていたのだが、本展では檀家寺の秘仏も多く出陳され、ほとんどが初見の仏像だった。全国の仏像ファン必見の展覧会である。

龍峰寺の千手観音立像

 会場に入ると、まず、龍峰寺の清水式千手観音立像がどーんとお出ましになる。年に2回ご開帳日があるが、現地ではお堂が狭いせいもあり、堂外から拝むことしかできない。それが、本展では、間近で、しかも、背面までしっかりと拝むことができる。展示台もガラスケースのないので、かなり近くで拝める印象だ。間近で拝観すると、実に神々しく、凛々しい!  しかし、驚くのはそれだけではない。図録を読むと、鎌倉時代の擬古作説を否定し、奈良時代後期に遡る可能性を示唆している。数年前にご開帳で伺ったときの情報では、玉顔の入ったご尊顔は鎌倉彫刻の特徴を示し、膝には翻波式衣文や渦文があることから、鎌倉時代に古い仏像を模して造られたものか、あるいは、後世に大幅な修復が加えられたかのいずれかだ、という話だったように思う。仏像研究は日々進んでいる。図録より引用したい。
相模川流域で最も古い仏像は、海老名市龍峰寺の千手観音立像(No24)であろうか。疑問符がつくのは、この龍峰寺像は長らく鎌倉時代の作例とされており、奈良時代の仏像とは認識されていなかった。しかし、本展の事前調査において、像の像を熟覧したところ、カヤ材を用いた一木造りの構造や裾の衣文に翻波式衣文が認められる点に奈良時代後期の木彫像との共通点が多く見受けられたのである。脇手は全て後補とみられ、現状の目の部分に平安時代後期以降の技法である玉眼が用いられるのは、鎌倉時代に面部を割り離して玉眼に改造されたからではないだろうか。奈良時代造像の可能性についても考えていかねばならないだろう。(展覧会図録の冒頭「相模川流域の仏像」海野祐太より)
 もうこれを読むだけでドキドキする。図録の図版解説では、奈良時代後期と考える根拠について、さらに詳しく記載されているので、ぜひお読みいただきたい。

津久井郡の顕鏡寺と普門寺

 旧津久井群の顕鏡寺(相模原市緑区、旧津久井町)の阿弥陀如来坐像と普門寺(同、旧城山町)の聖観音立像。コロナ禍となり、自宅から自転車圏内で仏像を調べ出したのだが、この二つの尊像は、そうした活動の中でその存在を知り、最もお会いしたかった秘仏である。なんと、どちらも出展されている! どちらも平安後期。  顕鏡寺の阿弥陀如来坐像は定朝様。弥陀定印の人差し指のわずかな捻りにしびれてしまう!  普門寺の観音立像は小顔の神秘的な表情と体部の穏やかな衣文が印象的だ!  顕鏡寺は石老山の中腹にあり、柳原白蓮の墓がある。普門寺は津久井湖を見下ろす高台に位置し、現在、観音堂を修復中。この神秘的な観音様は武相観音霊場に当たり、卯年ご開帳(次回は2023年)。つまり12年に一度の秘仏。展覧会終了後には、お寺をお参りしたい。

宝積院薬師堂(平塚市薬師如来立像と十二神将巳神立像

 本展のメインビジュアルになっている薬師如来。宝積院薬師堂の秘仏本尊なのだそうだ。十二神将巳神像(伝酉神像)は曹源寺(横須賀市)のそれとよく似ている。先日、山本勉先生に教えていただいた先生の著書『東国の鎌倉彫刻』に曹源寺像の写真が載っていたので、会場で本を出して、見比べてみた。すると偶然にも、山本先生が展覧会場に入って来られた。あまりの偶然に驚いて、失礼かと思いつつもご挨拶させていただく。短く感謝をお伝えするだけつもりが、巳神像と薬師如来立像の耳の形がよく似ることなど、教えていただいた。養命寺(藤沢)薬師三尊と光明寺(平塚)三十三応現身立像についても、教えていただき、ありがたくて言葉にならない。  なお、十二神将は鎌倉永福寺の運慶像をモデルとしたものが数多く造られているようで、興味深い。前回ここに書いた新開院(あきる野)の巳神像もよく似ているのだが、それを以前教えてくださったのも山本先生だった。

多くの秘仏、そして、在地仏師の仏像も

 上記以外にも秘仏が多く出陳される。井原寺(相模原市緑区聖観音立像、正覚寺相模原市緑区聖観音立像、慈眼寺(藤沢)十一面観音立像など、いずれも秘仏で、鎌倉時代の作。  さらに、12世紀の在地仏師の造立例として、延命寺(厚木)の菩薩立像二躯と法照寺(藤沢)の十一面観音立像が並ぶ。この緩い感じがまたよい!  ここまでで、展示の最初の3~4割。素晴らしい仏像の連続で、書き出すと止まらなくなる。続きはまたのちほど。この展覧会、これから何度か通いたい。

参考文献

1) 『特別展 相模川流域のみほとけ』神奈川県立博物館2020 2) 山本勉『東国の鎌倉時代彫刻』(『日本の美術』537、2011年)

関連ブログ記事

a) 龍峰寺ご開帳寺の参拝記録 butsuzodiary.hateblo.jp b) 普門寺(相模原市緑区)に行ったら、観音堂がシースルーだった butsuzodiary.hateblo.jp 2020.10.11鑑賞

【多摩の仏像】新開院(東京都あきる野市)に鶴岡八幡宮から遷座した薬師如来と十二神将

鶴岡八幡宮旧蔵の薬師三尊と十二神将が東京都あきる野市に現存。9月11日にご開帳

1) きっかけは愛染明王五島美術館

 世田谷の五島美術館に時々立ち寄る。鎌倉の鶴岡八幡宮寺におられた愛染明王像(重文)が常設展示されている。明治維新廃仏毀釈により、流転の歴史を持つ仏像だ。鶴岡八幡宮寺→鎌倉寿福寺→東京普門寺→小泉策太郎→原富太郎(三溪)→清水建設五島慶太五島美術館と持ち主が変わった。

運慶風のムチムチの愛染明王(写真は五島美術館Facebookより)

 名だたる持ち主のうち、初めて聞くのが東京の普門寺だった。調べてみると、多摩西部、あきる野市のお寺だった。しかも、この普門寺には、愛染明王像と同じ寿福寺経由で、薬師三尊と十二神将も譲渡され、現存するのだという。愛染明王にお会いすればするほど、普門寺の薬師ファミリーにお会いしたくなり、自転車で出かけてきた。

2) 東京西部の新開院にも鶴岡八幡宮寺旧蔵の仏像が!

 鶴岡八幡宮寺旧蔵の薬師三尊が現在安置されるのは、普門寺(臨済宗建長寺派)の塔頭、新開院。飛地境内に建つ薬師堂にまつられていた。この薬師堂は、大通りに背を向け、東向きに建っていた。江戸中期に建てられたと見られる薬師堂はかなり古ぼけていたが、SECOMの遠隔監視で強力に守られていた。

新開院薬師堂。セコム厳重警備の堂内にまさかの仏像群!

 お堂正面に回り込むと、格子の一部のすりガラスが外されており、そこから確かに薬師三尊を拝むことができた。覗き込んだ瞬間に驚いた。穏やかで気品あふれる薬師三尊。両脇侍の古風な佇まい。その両脇に迫力ある十二神将がお堂の両端まで並ぶ。動きのある表現はかなりの腕前の仏師によるのでは。これだけの仏像群を鎌倉からあきる野まで運んだのか…。よくぞ今まで残ってくださった…!
薬師如来坐像 像高86.5cm 十二神将 像高95.2-105.3cm 文化財未指定

鶴岡八幡宮におられた薬師三尊
薬師三尊と十二神将が所狭しと並ぶ

 そして、さらに驚いたのは、薬師三尊の後ろにもう1組、小ぶりの十二神将もおられたことだ。よくみると、閻魔大王と奪衣婆様もおられる。どこまでが鶴岡八幡宮寺由来なのだろう。堂内は仏像が密集する密閉空間だった。それはもう小池知事に怒られそうなほどの仏像による三密状態。
 冗談はさておき、あまりに見事な仏像群に圧倒された。薬師堂の前に座り込んで、一息つきながら、改めてネットで調べてみた。やはり、文化財は未指定だった。市の指定さえ受けていない。なぜなのだろう。
 後日教えていただいたのだが、薬師三尊と十二神将鎌倉時代の作である可能性は十分にあるようだ。『日本の美術No.537 東国の鎌倉彫刻 鎌倉とその周辺』(山本勉、2011年)に、次のように記載される。「元和5年(1619)の大修復を経て像容を損ね、室町時代頃の作とみるむきもあるが、やはりこの期の運慶派仏師の作であろう。十分な調査がなされていないが、薬師如来像の上げ底式内刳りの像底の形が[五島美術館の]愛染明王像によく似ること、また十二神将の一躯(巳神)(第71図下)が、横須賀市・曹源寺の巳神と同様に実人のごとき容貌で体勢もこれとよく似ることなど、注目すべき点は少なくない」とのこと([ ]部分は筆者追記)。なお、引用文中の「この期」とは、運慶の没年(貞応2年、1223)から鎌倉大仏の造形が完成したとみられる寛元元年(1243)までの期間を指す。
 鶴岡八幡宮寺から浅草寺に渡った四天王像は昭和の戦火で焼失した。新開院の仏像群は信仰の証として、歴史資料として、後世に伝えたい。そう思った。

引用した山本先生の著作。表紙は曹源寺(横須賀市)の巳神像
同著に掲載された新開院の諸像の写真

3) ご開帳は9月11日

 私が訪れたのは2020年9月13日。晴れた日の日曜日の朝。お堂が東向きなので、太陽の向きとしてはベストなタイミングでお参りできたのではないかと思う。堂内になんとなく入り込んだ薄い光のもと、みほとけの群像を感じることができた。基本的に堂外からの拝観となるので、晴れた日の午前中をお勧めしたい。
 それにしても、気になるのが、特定のご開帳日の有無である。参拝日はお寺様とお話する機会が得られなかったので、後日、普門寺様にお電話してみた。するとなんと衝撃の一言が。「毎年9月11日にお薬師さんの法要を行い、ご開帳をしている」とのこと。まさか、私が訪問する2日前だったとは。しかし、よくお話を伺うと、「毎年お参りの方が多く、堂内が結構な密になるので、今年はご開帳は行わず、関係者で法要のみ厳修した」とのことだった。
 そうだったのか...。残念だが、致し方あるまい。
 来年は安心してご開帳が行えるよう願うばかりだ。来年の9月11日は土曜日。間近で拝観したいものだ。仏像群の「三密」に加えて、参拝者の賑わいも味わいたい。(※2021/9/8追記: 2021年9月11日の一般公開はコロナ感染状況に鑑み中止だそうです)

(参拝日:2020年9月13日)

【拝観案内】

a) 新開院薬師堂

JR東秋留駅近く(普門寺から大通りを越えた東側。新開院は普門寺の塔頭で、普門寺のご住職が兼務されている)
毎年9月11日にご開帳。それ以外はお堂正面の格子からのぞき込むことができる。お堂が東向きなので、晴れた日の午前中がお勧め。
goo.gl
近くに二宮神社と二宮考古館(室町時代薬師如来立像の懸け仏を展示)がある。

b) 近くの玉泉寺にも流転の仏像

また、玉泉寺の本堂には、廃仏毀釈の際にどこかの成田山の別院から大八車で運ばれてきたという不動明王坐像と二童子像が客仏としてまつられる。不動明王坐像は等身大で、すごみをきかせた迫力の像。制作年代は不明とのこと。鳩さんと赤ちゃん(誕生仏)を手にした仁王さんも珍しい。



【参考資料】

i) 山本勉『東国の鎌倉時代彫刻』(『日本の美術』537、2011年)
ii) 五島美術館Facebook
Facebook
iii) 秋川高校図書館作成の冊子『秋川の寺社をめぐる』(二宮考古館で閲覧)
iv) 『秋川市文化財 第二集』(昭和43年) (二宮考古館で閲覧)
v) 貫達人鶴岡八幡宮寺―鎌倉の廃寺』(有隣新書、1997年)

【山梨】甲州放光寺に法隆寺金堂壁画の最古の模写(染色作家古屋絵菜の展示も素敵)

 山梨県甲州市塩山の放光寺は、言わずと知れた仏像の宝庫である。平安時代大日如来、天弓愛染明王不動明王、そして、仁王像。しかし、放光寺にはまだ私の知らない寺宝があった。法隆寺金堂壁画を模写した阿弥陀浄土図である。この仏画が2020年8月22日から30日の一週間、放光寺で特別公開されると聞きつけ、お参りしてきた。

1) 放光寺「阿弥陀浄土図」

法隆寺金堂壁画模写。祐参(ゆうさん)筆。嘉永5年(1852)。甲州市指定有形文化財(歴史資料)
f:id:butsuzodiary:20200901100210j:plain
 浄土宗初代管長・知恩院75世、養鸕徹定(うがいてつじょう)が、嘉永5年(1852)に法隆寺を訪れ、法隆寺妙音院の僧千純の協力を得て、侍者の祐参に模写させたもの。礼拝用として三幅に仕上げた。飛鳥時代の色彩を考慮しつつ、補作した部分もある。
 塩山出身の幕臣・真下晩菘(ましもばんすう)が放光寺羅漢堂の再建を発願した際、養鸕徹定が感動のあまり、羅漢堂本尊として晩菘に寄贈したのだという。浄土図の裏にその旨の墨書が残る。
 明治17年(1884)頃に桜井香雲が法隆寺壁画を模写した際にはほぼ見えなくなっていた化生菩薩ら(阿弥陀如来の下の部分)が、放光寺所有の模写でははっきりと描かれる。
 養鸕徹定の関わった模写の存在自体は前から知られていたが、それが実際にどこにあるのかは長年不明だった。法隆寺が行方を探しているという話が放光寺の前住職の耳に届き、改めて寺宝の阿弥陀浄土図を確かめてみると、徹定ゆかりの模写であることが確認できたのだそうだ。判明したのは昭和の終わり頃だという。
 この阿弥陀浄土図は、現存する最古の模写として、今年の春、「法隆寺金堂壁画と百済観音」展(東京国立博物館)に出展されるはずだった。しかし、コロナのため展覧会は開催されないまま中止となってしまった。放光寺で今年8月に、染色作家・古屋絵菜の個展を行うに際し、放光寺での公開に踏み切ったのだそうだ。
 私は公開最終日に訪れた。次々と訪れる参拝者を前に、住職が直接、上記の内容の解説をしてくださった。法隆寺壁画の最古の模写が甲州に残ることを甲州の誇りとして、地域の皆様に知っていただきたいとのことだった。

2) 染色作家・古屋絵菜の個展「古今蓮葉

 放光寺の仏像群と今回公開の阿弥陀三尊をお目当てに出かけたのだが、古谷絵菜さんの展示がとてもよかった。
 ろうけつ染めの蓮の花がお寺の空間にとても合う。特別公開された阿弥陀浄土図とも、とても相性がよい! 古刹と現代作家の作品との対峙と融合。その美しさに心が癒され、身体の細胞が喜ぶような感じがした。
f:id:butsuzodiary:20200901235231j:plain
f:id:butsuzodiary:20200901235309j:plain
f:id:butsuzodiary:20200901235405j:plain
f:id:butsuzodiary:20200901235506j:plain
f:id:butsuzodiary:20200901235555j:plain
f:id:butsuzodiary:20200901235631j:plain

3) 放光寺は仏像の宝庫

 冒頭でも述べたが、放光寺は仏像の宝庫だ。
 まず山門の仁王さんが愛嬌抜群で、風を浴びて力む姿がたまらない。なんと、奈良仏師の成朝の作とされ、国の重要文化財に指定されている。
f:id:butsuzodiary:20200901225806p:plain
 さらに、収蔵庫に入ってびっくり。ご本尊大日如来坐像、天弓愛染明王、そして、不動明王立像。すべて平安後期の作で、重要文化財。弓と矢を構えた天弓愛染明王は、高野山金剛峰寺と京都木津川の神童寺の3駆のみが重文。
f:id:butsuzodiary:20200901235142j:plain
 そして、安田義定をモデルにしたとされる毘沙門天立像(甲州市指定文化財)。今年、奈良国立博物館の「毘沙門天」展に出展されて話題になった。後補の彩色があるものの、こちらも成朝が手掛けた可能性があるのだとか。
 私は特に、大日如来のかわいらしく優しいお姿が好き!! 茶目っ気ある仁王さんも大好き!! 吽形像のはなぺちゃのお顔が癖になりそう!!! 大変重要な点なので、最後に付け加えておく。

拝観案内

高橋山放光寺
〒404-0054 山梨県甲州市塩山藤木2438
TEL 0553-32-3340
拝観料300円/抹茶かコーヒー付き拝観は900円
拝観時間 9-17時
上記3)の仏像が予約なしで拝観可能。阿弥陀浄土図は次の公開の機会を待ちたい。

参考資料

a) 『法隆寺金堂壁画と百済観音』展図録(東京国立博物館、2020年)
b) 放光寺ホームページ 真言宗智山派高橋山放光寺。初詣、縁結びは山梨県甲州市塩山の放光寺まで。
c) 山梨県文化財ホームページ 山梨県/山梨の文化財ガイド(データベース)彫刻02
※掲載写真のうち、大日如来様の写真のみお寺のパンフより。それ以外はすべて筆者撮影。
※放光寺を初めてお参りしたときの興奮はこちらより。
山梨県甲州市、放光寺を参拝&仏像搬出作業に萌え!: ぶつぞうな日々 PARTII

【展覧会】「相模川流域のみほとけ」展(神奈川歴博)に普門寺の聖観音立像が!!

コロナ禍のため、関西など遠方への仏像めぐりは断念している。その代わりに、私のベンツ(電動自転車)で行ける範囲内でお寺をめぐり、資料館で仏像の本を漁る、ということを続けている。そんな身近な範囲内で思いもかけない仏像に出会える。これは楽しい!
 最初は八王子市内だけだった。八王子の面積は186km2と広いので、コロナ禍が長引こうが、相手として不足はない。しかし、それでも飽き足らず、町田の北の方まで遠征。さらに、この酷暑の中、相模原市までひたすら漕ぎ出してしまった。もう冒険である。楽しい!!

 先日は緑区(旧城山町)の普門寺をお参りした。観音堂のご本尊聖観音菩薩立像は平安後期の見目麗しい木彫仏で、市の文化財であることは知っていた。12年に一度の秘仏(次のご開帳は2023年)なので、今訪ねてもお会いできないことも知っていた。なので、まずは「下見」のつもりで乗り込んだのだった。
 津久井湖の近くの急な坂を登り、やっとお寺にたどり着くと、まあびっくり! 本堂とその横の観音堂が改修工事中だった。本堂は修理がほぼ完成していたが、観音堂はお堂の壁がすべて取り払われた状態。こんなシースルーのお堂、初めて見た!!
f:id:butsuzodiary:20200821211609j:plain
 そして、そんな工事現場の横には、観音菩薩立像を説明する市の掲示板があった。写真も掲載されている。ああ…なんと優美な美しさでしょう! もう写真だけで泣けた!
f:id:butsuzodiary:20200821211728j:plain
f:id:butsuzodiary:20200821211832j:plain
 そして、そして、工事現場の看板には、お堂の改修工事と整備事業は2023年のこの観音様のご開帳に間に合うよう進めている、と書いてあった。さらに、泣けてくる…。
f:id:butsuzodiary:20200821211954j:plain

 そんなエモーショナルな私に吉報が届いた。

 この普門寺の観音菩薩立像、今年の秋の横浜の展覧会に出展されるそうです!!!!!!
f:id:butsuzodiary:20200821212427p:plain

 実は、普門寺を訪れる一週間前、相模原市立博物館で仏像の本を調べていた。その時、係の人から「この秋に相模川流域の仏像の展覧会が横浜で開催されるんですよー。市の文化財指定になっている仏像も出しますよー」と聞いていた。少し自慢げな話ぶりを私は見逃さなかったが、どちらの仏像が出展されるのかまでは教えてもらえなかった。それが、それが、普門寺の観音様だったとは!

 楽しみすぎて、こわい!
 あとは、旧津久井町の顕鏡寺の阿弥陀如来坐像(平安後期の定朝様)(非公開)も出展していただければ…。
 それから、龍峰寺の千手観音様の後ろ姿も拝みたい…!(つまり私は煩悩の塊…)