1) きっかけは愛染明王(五島美術館)
世田谷の五島美術館に時々立ち寄る。鎌倉の鶴岡八幡宮寺におられた愛染明王像(重文)が常設展示されている。明治維新の廃仏毀釈により、流転の歴史を持つ仏像だ。鶴岡八幡宮寺→鎌倉寿福寺→東京普門寺→小泉策太郎→原富太郎(三溪)→清水建設→五島慶太→五島美術館と持ち主が変わった。
名だたる持ち主のうち、初めて聞くのが東京の普門寺だった。調べてみると、多摩西部、あきる野市のお寺だった。しかも、この普門寺には、愛染明王像と同じ寿福寺経由で、薬師三尊と十二神将も譲渡され、現存するのだという。愛染明王にお会いすればするほど、普門寺の薬師ファミリーにお会いしたくなり、自転車で出かけてきた。
2) 東京西部の新開院にも鶴岡八幡宮寺旧蔵の仏像が!
鶴岡八幡宮寺旧蔵の薬師三尊が現在安置されるのは、普門寺(臨済宗建長寺派)の塔頭、新開院。飛地境内に建つ薬師堂にまつられていた。この薬師堂は、大通りに背を向け、東向きに建っていた。江戸中期に建てられたと見られる薬師堂はかなり古ぼけていたが、SECOMの遠隔監視で強力に守られていた。
お堂正面に回り込むと、格子の一部のすりガラスが外されており、そこから確かに薬師三尊を拝むことができた。覗き込んだ瞬間に驚いた。穏やかで気品あふれる薬師三尊。両脇侍の古風な佇まい。その両脇に迫力ある十二神将がお堂の両端まで並ぶ。動きのある表現はかなりの腕前の仏師によるのでは。これだけの仏像群を鎌倉からあきる野まで運んだのか…。よくぞ今まで残ってくださった…!
薬師如来坐像 像高86.5cm 十二神将 像高95.2-105.3cm 文化財未指定
そして、さらに驚いたのは、薬師三尊の後ろにもう1組、小ぶりの十二神将もおられたことだ。よくみると、閻魔大王と奪衣婆様もおられる。どこまでが鶴岡八幡宮寺由来なのだろう。堂内は仏像が密集する密閉空間だった。それはもう小池知事に怒られそうなほどの仏像による三密状態。
冗談はさておき、あまりに見事な仏像群に圧倒された。薬師堂の前に座り込んで、一息つきながら、改めてネットで調べてみた。やはり、文化財は未指定だった。市の指定さえ受けていない。なぜなのだろう。
後日教えていただいたのだが、薬師三尊と十二神将は鎌倉時代の作である可能性は十分にあるようだ。『日本の美術No.537 東国の鎌倉彫刻 鎌倉とその周辺』(山本勉、2011年)に、次のように記載される。「元和5年(1619)の大修復を経て像容を損ね、室町時代頃の作とみるむきもあるが、やはりこの期の運慶派仏師の作であろう。十分な調査がなされていないが、薬師如来像の上げ底式内刳りの像底の形が[五島美術館の]愛染明王像によく似ること、また十二神将の一躯(巳神)(第71図下)が、横須賀市・曹源寺の巳神と同様に実人のごとき容貌で体勢もこれとよく似ることなど、注目すべき点は少なくない」とのこと([ ]部分は筆者追記)。なお、引用文中の「この期」とは、運慶の没年(貞応2年、1223)から鎌倉大仏の造形が完成したとみられる寛元元年(1243)までの期間を指す。
鶴岡八幡宮寺から浅草寺に渡った四天王像は昭和の戦火で焼失した。新開院の仏像群は信仰の証として、歴史資料として、後世に伝えたい。そう思った。
3) ご開帳は9月11日
私が訪れたのは2020年9月13日。晴れた日の日曜日の朝。お堂が東向きなので、太陽の向きとしてはベストなタイミングでお参りできたのではないかと思う。堂内になんとなく入り込んだ薄い光のもと、みほとけの群像を感じることができた。基本的に堂外からの拝観となるので、晴れた日の午前中をお勧めしたい。
それにしても、気になるのが、特定のご開帳日の有無である。参拝日はお寺様とお話する機会が得られなかったので、後日、普門寺様にお電話してみた。するとなんと衝撃の一言が。「毎年9月11日にお薬師さんの法要を行い、ご開帳をしている」とのこと。まさか、私が訪問する2日前だったとは。しかし、よくお話を伺うと、「毎年お参りの方が多く、堂内が結構な密になるので、今年はご開帳は行わず、関係者で法要のみ厳修した」とのことだった。
そうだったのか...。残念だが、致し方あるまい。
来年は安心してご開帳が行えるよう願うばかりだ。来年の9月11日は土曜日。間近で拝観したいものだ。仏像群の「三密」に加えて、参拝者の賑わいも味わいたい。(※2021/9/8追記: 2021年9月11日の一般公開はコロナ感染状況に鑑み中止だそうです)
(参拝日:2020年9月13日)
【拝観案内】
a) 新開院薬師堂
JR東秋留駅近く(普門寺から大通りを越えた東側。新開院は普門寺の塔頭で、普門寺のご住職が兼務されている)
毎年9月11日にご開帳。それ以外はお堂正面の格子からのぞき込むことができる。お堂が東向きなので、晴れた日の午前中がお勧め。
goo.gl
近くに二宮神社と二宮考古館(室町時代の薬師如来立像の懸け仏を展示)がある。
b) 近くの玉泉寺にも流転の仏像
また、玉泉寺の本堂には、廃仏毀釈の際にどこかの成田山の別院から大八車で運ばれてきたという不動明王坐像と二童子像が客仏としてまつられる。不動明王坐像は等身大で、すごみをきかせた迫力の像。制作年代は不明とのこと。鳩さんと赤ちゃん(誕生仏)を手にした仁王さんも珍しい。
玉泉寺(東京都あきる野市)
— はらぺこヒヨドリ (@hphiyodori) 2020年9月18日
廃仏毀釈の時に大八車で運ばれたとされる、成田山ゆかりの不動明王坐像と矜羯羅童子制咜迦童子。等身大の凄みのあるお姿が印象的。事前情報なしで行ったので、驚いた!#仏像 #多摩の仏像 #不動明王 #廃仏毀釈
写真1 拙文
写真2 秋川高校図書館冊子
写真3 お寺パンフ pic.twitter.com/YUUfCxO6DE