ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

2019年7月の仏像拝観リスト

 2019年7月は、武蔵国分寺の銅造観音菩薩立像を拝観後に、法隆寺館で飛鳥仏を浴びるように拝観できたのが、大きな収穫だった。久しぶりに見直すと、その表現の新しさに目を奪われた。
 東京府中市の棟方志功展は連作と大作が多く、迫力ある作品に魅了された。
 護国寺では、修理した大自在天立像から桂昌院のものと思われる毛髪が発見されたという話を伺った。大発見だと思うのだが、世間的にまったく話題になってならないのはなぜだろう。
 私は毎年7月に体調を崩すのだが、今年は特に辛かった。山本先生の講演の時、かなり弱っていたため、いまだに内容をブログにあげられていないことが心残り。

7月5日
○「奈良大和四寺のみほとけ」展(東京国立博物館

7月6日
○「棟方志功展ー連作と大作で迫る板画の真髄ー」(府中市立美術館)

7月9日
護国寺(東京都)四万六千日法要とご本尊如意輪観音菩薩坐像ご開帳
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7月13日
東京都国分寺市
○「縄文シャワー展示室展ー恋ヶ窪遺跡と塩野半十郎ー」(丘の上APT兒嶋画廊)
武蔵国分寺資料館
・旧本多家住宅長屋門
・銅造観音菩薩立像(28.4cm 白鳳期後半7c末〜8c前半)

7月20日
東京
○山本勉先生講演「足利の運慶・快慶ー30年あまりの研究の軌跡ー」(清泉女子大学
○「奈良大和四寺のみほとけ」(東京国立博物館
法隆寺館(東京国立博物館
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2019年6月の仏像拝観リスト

 6月はまず高崎の展覧会へ。新田つながりで群馬県内外の仏像も展示された。群馬県の仏像は今後攻めたい。
 6月といえば、大和郡山市の矢田寺のご開帳。十一面観音立像のキューティセクシーなお姿が好きで好きでたまらない。矢田寺に合わせて、奈良某所の地蔵菩薩様を拝観させていただいた。西国勝尾寺総持寺秘仏ご本尊、さらに、大阪市文化財公開で九応寺の阿弥陀如来坐像もお参りでき、かなり充実した旅となった。

6月1日
大新田氏展(群馬県立歴史博物館
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6月11日
東京都台東区
○護国院(大黒天)
東京藝術大学大学院美術研究科 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室 研究報告発表展(茨城雨引山楽法寺金剛力士像吽形ほか)

6月16日
静岡県
○「伊豆半島 仏像めぐり」展(上原美術館
○稲田寺(下田市
○願成就院伊豆の国市
○成福寺(伊豆の国市

6月22日
大阪府
勝尾寺 6月の土日12:00-12:40に秘仏本尊ご開帳。お目当ては薬師三尊
○「西村公朝作仏のこころ」展 吹田市立博物館
総持寺茨木市) 天皇陛下ご即位記念 ご本尊特別開帳
※念願の鶴橋の大吉で参鶏湯
※奈良のことのまあかりで橘三千代かき氷
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(↑西村公朝展は撮影可)

6月23日
奈良県大阪府
談山神社桜井市) 如意輪観音坐像ご開帳
○矢田寺(大和郡山市) 十一面観音立像が大好き!
○九応寺(大阪市) 大阪市の特別公開 ご本尊阿弥陀如来坐像
地蔵菩薩立像ほか(奈良某所) 地蔵講の集まりにお邪魔させていただく
※ことのまあかりで炊屋姫かき氷
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6月29日
東京
○仁王写真展「Lomo DIANA × 阿吽2」(ギャラリー世田谷233)
日本中の仁王さんを訪ね歩き、ロモグラフィー社の中判カメラDianaで多重露光の不思議な作品を生み出す渡仁さん。その行動力だけでなく、ユーモアたっぷりなお人柄も尊敬!
びわ湖長浜KANNON HOUSE
大吉寺聖観音菩薩立像 前傾姿勢!
○「奈良大和四寺のみほとけ」展(東京国立博物館
○「平成30年度新収品」展(東京国立博物館)江戸の阿弥陀如来立像など
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6月30日
東京都稲城市
○常楽院 阿弥陀三尊像 閻魔 奪衣婆
○高勝寺 聖観音菩薩立像 釈迦涅槃像 

2019年5月の仏像拝観リスト

 2019年のゴールデンウィークは、天皇陛下ご即位のおかげで長いお休みとなり、4月30日から5月5日まで関西に滞在した。ご即位をお祝いしたご開帳がある一方で、いつものようにお練供養も続き、大変有意義なお休みを過ごすことができた。仏像と練供養にこれほど専念できる機会はそうそうあるまい。
 安祥寺十一面観音立像、平等寺ご本尊薬師如来立像、および大龍寺観音菩薩立像は、特に素晴らしかった。
 天平仏というテーマも自分の中にあり、葛井寺の国宝千手観音菩薩坐像と聖林寺の国宝十一面観音立像にもお会いしに行った。国宝の仏像はやはり別格。
 薬師寺東塔の修理現場で、解体直前の足場に登り、高い位置から東塔を眺められた。できれば子孫に末長く自慢したいものだ。
 2回目となる弘法寺の踟供養。被仏様が動くのは素晴らしすぎた。關信子先生のご尽力で、さらに素晴らしくなっていた。私も運営側に加わりたいぐらい。
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5月1日
京都市
○長楽寺
准胝観音立像ご開帳 双龍台座に乗る観音 天皇陛下ご即位記念ご開帳初日
一遍上人像など、七条仏師による上人像多い
阿弥陀三尊像
○積善院
不動明王立像 重文
準提観音坐像 龍王
弁財天女尊立像
○聖護院
不動明王立像 重文
随心院
如意輪観音坐像
金剛薩埵菩薩 快慶
○安祥寺
十一面観音立像
因幡平等寺展(龍谷ミュージアム
本尊薬師如来立像
○国宝一遍聖絵時宗の名宝(京都国立博物館)2回目

5月2日
大阪府藤井寺市
葛井寺
国宝千手観音菩薩坐像 天皇陛下ご即位ご開帳
阿弥陀二十五菩薩堂

大阪府大阪市
○大念仏寺 万部おねり
(5/1-5に行われる練供養。5/1のみ天皇陛下ご即位記念で特別に地蔵菩薩様がお出ましになった。私はそれを知らず、5/1が天候不順のため、2日に行ってしまった。しかし、5/2の練供養終了後、その場を立ち去り難くうろうろしていると、なんと地蔵菩薩様がお出ましになった。写真撮影のため、一瞬だけ特別にお出ましになったのだそうだ。)

5月3日
兵庫県神戸市
○大龍寺 観音菩薩立像
○兵庫大仏

兵庫県加古川市
○西方寺 まんだらさん 中将姫二十五菩薩練供養会式
鶴林寺 植髪の聖徳太子像 特別公開(思ったより怖くなく、むしろ感動)

5月4日
奈良県奈良市
喜光寺 
阿弥陀三尊
四天王の特別公開(現在奈良大学所有の四天王立像がお里帰り)
薬師寺
東塔の修理現場最終案内(ヘルメットをかぶって、足場を登った。感動)

奈良県桜井市
聖林寺
国宝十一面観音立像(収蔵庫改修に小額寄進。翌年東京に出展と伺う)

奈良県奈良市
○紀寺
観音菩薩立像
藤田美術館展(奈良国立博物館

5月5日
岡山県瀬戸内市
○千手山弘法寺 
踟供養!
關信子先生のお話
五智如来

5月12日
東京
円覚寺の至宝ー鎌倉禅林の美ー(三井記念美術館
茨城県常陸太田市・正宗寺の十一面観音坐像がよかった
○両国回向院
・鵜飼秀徳氏講演 廃仏毀釈150年目の「寺院消滅」
・「行誡と弁栄」展
・「二日間だけの両国橋ワンダーランド」展
日本橋神田祭の御神輿を見る

5月31日
東寺展(何度か目)

2019年4月の仏像拝観リスト

 2019年4月は二十五菩薩来迎の練供養を中心に予定を組んだ。まずは14日の當麻寺の聖衆来迎練供養会式。これまで5月14日開催だったが、温暖化で体調を崩す人が出たため、今年から14日に変更になった。あいにく当日は朝から曇天で、お昼過ぎに雨となった。菩薩様は持物を手にせず来迎橋を渡られた。雨が激しいと、曼陀羅堂の周りをまわるだけで終わることがあるのだが、この日は来迎橋を渡ってくださった。
 そして、21日は愛知県あま市・蜂須賀蓮華寺の練供養へ。菩薩様が持物で頭をなでなでしてくださる。菩薩様と衆生がこれほど近い練供養はない!
 この二つの練供養と合わせて、仏像をめぐった。岐阜県関市、暁堂寺のご開帳は素晴らしかった。蜂須賀蓮華寺の練供養と合わせて偶然お参りでき、ありがたい限りである。あま市の法蔵寺と甚目寺もお参りできた。當麻寺の前日の13日は、スケジュール的に無謀だった。朝早くに京都入りして、東寺に行き、京博で時宗の展覧会(素晴らしかった!)を観てから、なんと吉野へ。桜満開の吉野は多くの人で混み合っていた。
 30日、和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし、ー守り伝える人々のいとなみー」展は、仏像神像を守り伝えることをテーマにした展覧会で、県内の優れた仏像神像が並ぶ。学芸員さんの思いと叫びが聞こえてきた。ぜひ拙ブログをお読みいただければ。
 
2019年
4月12日
おてらおやつクラブ丸の内別院
快慶阿弥陀如来立像模刻像(吉水快聞さん作)

4月13日
東寺(京都市)東京の展覧会に出展中で講堂はガラガラ
京都国立博物館「国宝一遍聖絵時宗の名宝」
奈良の吉野へ移動。山ごと桜でした。
如意輪寺=源慶の蔵王権現
桜本坊=白鳳の釈迦如来像が公開中。平安の地蔵菩薩(写真はお寺のサイトより)。役行者像では、こちらの微笑んでいるお像が一番好き。
東南院大日如来坐像 県指定文化財
金峯山寺=巨大な蔵王権現さまご開帳。改修中の仁王門の仁王さんも大好き。数年前に重要文化財に指定。
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4月14日
當麻寺奈良県葛城市)
聖衆来迎練供養会式
護念院(菩薩面を被らせていただく)→中之坊(平成當麻曼荼羅で絵解き)→門前でにゅーめん→奥院(偶然一瞬だけ法然上人坐像を拝む)→練供養(雨の中お渡り)→曼荼羅堂→金堂→講堂
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4月21日
伊岐神社(岐阜県関市)
暁堂寺(岐阜県関市)=聖観音立像ご開帳
市指定文化財 平安中期から後期 両面宿儺の作との伝承あり
蓮華寺(愛知県あま市
蜂須賀弘法ご開帳
二十五菩薩練供養
法蔵寺(愛知県あま市)=鉄造地蔵菩薩立像(重文)
甚目寺(愛知県あま市)=仁王像(県指定)
三重塔が台風被害を受けたため、愛染明王(重文)は東京の博物館で保管されていると伺った
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4月27日
琵琶湖長浜観音ハウス=長浜市高月町井口 日吉神社の十一面観音坐像その他諸像
東京国立博物館「東寺」展

4月30日
紀三井寺和歌山県和歌山市) 本堂内陣と本堂奥の諸尊を拝観
和歌山城紀三井寺本堂奥の諸尊が素晴らしすぎて、テンション上がりすぎた。興奮冷めやらず、つい和歌山城を駆け足で登ってしまった)
和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし」展
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【埼玉】高山不動尊〜修験者を鼓舞する軍荼利明王は乙女心も鷲掴みする〜

 埼玉県飯能市高山不動尊(高貴山常楽院)には、11世紀頃の一木造りの軍荼利明王立像(重要文化財)がおられる。山の修験者を鼓舞するようなかっこよさで、仏像好きの乙女心も鷲掴みにする。

 しかし、お寺はかなり山奥にあるし、いつでも拝めるわけではない。ご開帳日は年に一回、冬至の日のみ。しかも11:30〜13:00頃と決まっている。この日だけは吾野駅から無料のシャトルバスが出るが、1台のみのピストン移動。そして、バスを下車してもなお、山道をかなり歩かなければならない。 つまり、拝観のハードルは高い。

 しかし、それでも、どうしても拝観したくなるのが高山不動尊なのである。

 今年の冬至は12月22日。私にとって8年ぶり、3回目となるお参りができた。冬至の風物詩として毎年お参りしたいと思ってきたが、諸事情あり、8年も経ってしまった。今回は、埼玉県在住の優しい友人夫妻とご一緒させていただいた。車を出してくださり、高山不動尊に加えて、さらに二か寺(長念寺と等覚院)もお参りできた。

1. 高貴山常楽院(埼玉県飯能市

1-1) 軍荼利明王立像

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 檜一木造り。228.8cm。重要文化財。ギョロっとした両目。高くて大きな鼻。長い両脚は右膝が少し前に出る。膝の辺りの衣の裾が上に翻るのは、軍荼利様が山に舞い降りた瞬間だからという説を伺ったことがある。蛇が身体に絡みつくのもたまらない。かっこよい!
 八臂のうち、右手は三鈷杵を持ち、拳印と施無畏印を結ぶ。左手には鉾と宝輪を持つ。そして、軍荼利さまと言えば、胸の前で腕を交差する大瞋印(だいしんいん)。かっこよい!! 私のわずかな記憶の限りでは、左腕を上にすることが多いので、軍荼利さんは左利きなのだと思っている。誰か軍荼利明王の利き腕調査をしてくれないだろうか。
 今回初めて、軍荼利明王様の後ろに回って拝むことができた。横から見ると、思いのほか体部が薄かった。間近で見る木目は美しく、力強かった。
 おそらく地方仏師の手によるであろう11世紀の異形像。力強さと緊張感とともに、どこかのんびりとした大らかさを感じるのは私だけだろうか。修験者を厳しく、そして、優しく力づけたことだろう。
 思い出すのが、滋賀県栗東市・金勝寺の軍荼利明王立像である。金勝寺の軍荼利さまも、山道を登ったお寺に単体でまつられている。金勝寺の素晴らしさについては、話し出すと長くなるのでやめておくが、仏像が好きな方には全力でお勧めしたいお寺である。金勝寺の軍荼利明王は10世紀、360cmの巨像。大瞋印は右腕を前にして両腕をクロスする。こちらは右利きか…。

1-2) 薬師如来坐像f:id:butsuzodiary:20191227180933j:plain

 檜一木造り。69.8cm。県指定文化財
 肉髻と地髪部の境目がないところが大好き。本堂中央右手に安置。薄暗いお厨子の中、ろうそくのゆらめく光だけで拝む。同じお厨子の中に阿弥陀如来立像も。

 この軍荼利明王薬師如来については、桂木寺の伝釈迦如来坐像(埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館)との関係性が気になる。高山不動尊のある高山と、桂木寺のある桂木山は距離的に近く、山岳修験の盛んな地域だった。
 この2か寺の西には秩父がある。さらに、高山不動尊の西南には子の権現があり、そこからさらに南下すると青梅の安楽寺もある。そして、安楽寺にも単体の軍荼利明王立像が残ることを申し添えたい。このように地図を見ると、この辺りの山岳地帯がにわかに気になってくる。
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 特に、仏像史の観点から、高山不動尊軍荼利明王立像と薬師如来坐像と桂木寺の如来坐像との相似性は指摘されるところである。桂木寺に残る旧仏は、資料館の釈迦如来坐像をのぞき、基本的に非公開と聞いている。いつか拝観したいものだ。

1-3) 五大明王

 本堂の正面右手、雛壇上に安置される。尖った火炎光背が五大明王様のかっこよさをさらに増強させる。生駒の堪海さんの不動三尊を思い出した。

2. 長念寺(埼玉県飯能市聖観音坐像f:id:butsuzodiary:20191227181020j:plain

 58.2cm。檜の寄木造り。県指定文化財。お優しいお顔。法衣垂下のエレガントなお姿。堂外からの拝観だが、堂内に明かりがついているので、思った以上によく見える。双眼鏡で覗いて、優美さを堪能。

3. 等覚院(埼玉県東松山市阿弥陀如来坐像

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 檜の寄木造り。漆箔。彫眼。88cm。なんと重要文化財。平安末期の上品さに、鎌倉初期の生彩さを加味。
 東松山市文化財サイトによると、胸から腹部にかけての胎内に墨書銘があり、「鎌倉時代中期の建長5(1253)年4月に、大木壇那阿闍梨明秀が大佛子(師)僧定性をして修理させたものであることが明らかになって」いる。「本像を修理した定性は、翌年の建長6(1254)年に滑川町の泉福寺の木造阿弥陀三尊像を修復した佛師定生房と同一人物と考えられ、この地方で活動した地方佛師の一人と想定」されている。
 「修理」というのが本当なら、鎌倉初期の造立後さほど間をおかずに修理されたことになる。何があったのだろう。修理といいながら、この時期に新たに造り直したという可能性はないのだろうか。
 いつか滑川町・泉福寺の阿弥陀三尊を拝みにいきたい。

4. 参考

飯能市文化財サイト(高山不動尊軍荼利明王薬師如来および長念寺の聖観音坐像)
有形文化財(彫刻)|飯能市-Hanno city-
東松山市文化財サイト(等覚院の阿弥陀如来
http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/soshiki/kyoikubu/bunkazai/menu/shitei_bunkazai/tokakuin_mokuzouamidanyoraizo.html
○青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年

※飯能2か寺の仏像写真は飯能市文化財サイトより
※等覚院の阿弥陀如来坐像の写真は境内の看板より

【京都】太秦西光寺 平安の阿弥陀如来と令和の両脇侍

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1) 太秦西光寺の一般公開!

【寺院】西光寺(京都市右京区太秦多藪町)
【仏像】阿弥陀如来坐像(平安 重文)、両脇侍像(令和)。阿弥陀三尊の両脇に法然上人像と善導上人像
【公開日】2019年10月25-27日

 毎秋静かに開催されている京都浄土宗寺院特別大公開。今年ついに、太秦西光寺が公開された。

 阿弥陀様と法然上人をお慕いし、平安前期〜中期の仏像が好きな私にとって、見逃せないご開帳だ。

 西光寺は、法然上人がお亡くなりになられた後、嘉禄の法難の際に、法然上人のご遺体を7か月間、密かにお守りした場所にある。

 今回公開されたのは、太秦西光寺のご本尊で、9世紀後半の作とされる阿弥陀如来坐像だ。阿弥陀如来像は平安後期以降のものが多く、平安前期に遡る木彫仏は貴重である。しかも、太秦西光寺の一般公開は今回が初めて。貴重✖️貴重(貴重の二乗)というべき機会なのである。

 西光寺のご住職がTwitterに上げてくださったご本尊様の写真(↑上に転載)。この美しい阿弥陀様を脳裏に浮かべながら、夜行バスに揺られて京都に向かった。2019年10月25日の雨の朝、茅葺の小さな門の前にたどり着くと、なんと私が一番乗りだった。

2) 阿弥陀如来坐像

 重要文化財。95.1cm。9世紀後半。ヒノキの一木造り。背面から地付まで長方形の内刳りあり。

 お堂に入って見上げるなり、胸が熱くなった。
 まずは、全体に比して大きめなお頭が目を引く。大きくふくよかなお顔で、目を細め、優しく微笑んでおられる。

 螺髪のつぶも大きめで、肉髻部も大きなお山のように盛り上がる。眉は両目のかなり上に優しく弧を描き、形の整った鼻へとつながる。唇は静かに閉じる。

 斜め横からお顔を覗き込むと、目尻がこめかみに向かって伸びている。豊かな頬とその下の三道から、阿弥陀様の包容力を感じる。胸を張り出し、凛として座す。

 通肩で、弥陀の定印を結ぶ。現地でいただいた資料によると、「膝上で定印を結び、右脚を上に結跏趺坐する阿弥陀如来真言曼荼羅の中で祀られることが多いが、その阿弥陀如来像が浄土信仰の中で単独で信仰される対象になったと推測される」
 「また、大衣を両肩に掛ける通肩で定印を結ぶ阿弥陀如来像では、安祥寺五智如来坐像に次ぐ古い仏像であると推測されている。定印の阿弥陀如来像は、その後定朝様式の阿弥陀如来像のように大衣を少し方側に掛けるお姿に移行定着していく」
 「時代的には脚元の整理された衣から判断して、広隆寺講堂の阿弥陀如来坐像の特徴を継承するところが認められ、広隆寺阿弥陀如来像から少し経過した9世紀後半までに造仏されたものであると推測できる」

 平安前期の仏像は怖くていかめしいお像が多いが、こちらの阿弥陀如来様は、前述のとおり、静かで穏やかなところがあり、そこがとても素敵だと感じた。左肩から背面にかかる衣は、奈良宮古薬師如来坐像室生寺釈迦如来坐像に比べると、さほど立体的ではなく、控えめである。

 平安前期の量感がありながら、穏やかで気品あるお姿。その御前にずっと座って、見上げていたい阿弥陀様だった。

 弥陀の定印を結ぶ両手は、他の部分と比べるとやや雑な印象。後補なのか気になる。
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(↑写真はお寺で授与いただいたクリアファイル。両脇侍は黒く色付けする前のお姿だ)

3) 観音菩薩勢至菩薩

観音68.3cm、勢至67.8cm
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(↑山門に掲示されていた京都新聞の記事)

 両脇侍の観音勢至菩薩様は令和に入って完成した。西光寺が隣地で経営する保育園に子供を通わせていた堂本寛恵さんが製作。堂本さんは東京藝大大学院の文化財保存学彫刻室を修了後、結婚を機に京都へ移られた。仏像の彫刻や文化財模刻、保存修理を行う専門家である。

 ご本尊阿弥陀様が造られた平安前期を意識して、臂釧や瓔珞は金具とせず、彫り出す。生漆の上に錆漆を塗り、古式仕上げとした。瓔珞と臂釧のみに金を施し、立体感を出した。とても美しい。

 東京藝大で学ばれた本格的な技で造り上げた両脇侍は、平安の阿弥陀様と見事にマッチしていた。

4) 優しい住職による和やかなご開帳

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(↑今回のご開帳記念の特別ご朱印。右下に阿弥陀三尊、左上に嘉禄の法難の場面)

 西光寺様は、嘉禄の法難という厳しい歴史の場所に立つお寺。しかし、令和元年の一般公開を取り仕切った住職様は、こちらが腑抜けてしまうほどお優しかった。

 観音菩薩勢至菩薩を製作された仏師さんが当日お寺に来られ、製作の過程や裏話をスライドでお話しくださった。朝10時から始まった仏師さんの解説は、保育園に通う園児さんも一緒に聴講。住職様が「この人のお子さんも数年前まで太秦保育園に通ってたんですよ。みんなと同じや。みんなのお母さんと同じ、この人もお母さんなんやで」と園児さんに語りかけておられた。和やかな雰囲気に包まれた。住職様は、平安のご本尊もさることながら、新しい観音勢至菩薩と堂本さんを世に紹介したかったのだと思う。

 あたたかく和やかなご開帳。心より感謝申し上げたい。いつかまた拝観の機会に恵まれるよう願っている。

5) 参考資料

○西光寺ホームページ
西光寺公式ページ 京都市右京区太秦 西光寺 永代供養墓のご相談なら浄土宗 来迎山 西光寺(さいこうじ)
○西光寺について(浄土宗サイト)
西光寺 - 新纂浄土宗大辞典
○嘉禄の法難(浄土宗サイト)
嘉禄の法難 - 新纂浄土宗大辞典
○公開時配布資料
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【来迎会】美作誕生寺〜法然上人への敬意の満ちる練供養〜

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 日本各地に誕生寺という名の寺はいくつあるのだろう。法然上人をお慕いする私にとって、誕生寺といえば、上人ご誕生の地、岡山県の美作誕生寺である。毎年4月第3日曜日には、法然上人のご両親を供養する二十五菩薩練供養が盛大に執り行われる。誕生寺ではこれを略して「お会式(えしき)」と呼ぶ。とても優しい響きだ。そして、この儀式がとても感動的なのである。
 お会式を中心に、誕生寺について書いてみたい。
 2016年に初めてお会式をお参りしたときの様子はこちら。
hiyodori-art2.cocolog-nifty.com

1) 誕生寺とは

  岡山県久米南町、誕生寺は、浄土宗開祖法然上人がお生まれになった場所に建つ。建久4年(1193)、法然上人が弟子の熊谷法力房蓮生(熊谷直実)をこの地に遣わし、父漆間時国(うるまのときくに)の旧邸を寺院に改めたのが始まりと伝わる。
 現在は浄土宗特別寺院として位置付けられ、法然上人二十五霊場の第一番札所にもなっている。
 本堂(御影堂)の内陣中央には、ご本尊法然上人坐像がまつられる。必ず最初にお参りしたい。4月のお会式の列は、この法然様の御前が発着点となる。

2) 阿弥陀如来立像

84.5cm 鎌倉時代 県指定文化財
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 お会式の話をする前に、誕生寺の旧本尊と見られる阿弥陀如来立像に触れておきたい。
 桧材の寄木造り。体軀は前後二材を矧ぎ、肩口より両脇を寄せ、手先を挿し矧ぎ、両足先も矧ぎ寄せる。玉眼。納衣の衣皺は複雑。来迎印を結び、裳裾は後方にた なびき、あたかも礼拝者のいる場所へ到来したかにみえる。螺髪や衣文 の表現は洗練されており、鎌倉時代の様式をよく伝えている。
 特筆すべきは、胎内から約1000枚の摺仏(しゅうぶつ)が発見されたという点である。このうち約40枚に墨書があった。大小二種類あり、大きい方には、「法然上人御誕生所本尊」と記載される。このことから、本像は誕生寺の旧本尊だったと見られる。
 また、小さい方の摺仏は、阿弥陀如来像10体を一単位としており、「ちちのため」「うばのため」などの願文や交名が記載される。多くの人の祈りが集結した阿弥陀如来立像なのである。
 法然上人ご誕生地の阿弥陀様とご結縁できた当時の皆様はなんと幸運なことだろう。

3) 練供養(お会式)

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 美作誕生寺の二十五菩薩来迎会は、日本三大練供養の一つに数えられる。この練供養とは、阿弥陀如来が二十五菩薩を従えて臨終者をお迎えするさまを演じるもの。人が菩薩さまに扮装し、ご来迎の場面を表現する。
 もともと練供養は、平安時代、浄土信仰の高まりとともに教化のために始められた。その頃は来迎会(らいごうえ)と呼ばれていたのだが、江戸時代に庶民の間に広まるにつれ娯楽性が加味され、練供養と呼ばれるようになった。今では、この二つの呼び名がどちらも使われている。
 最も有名なのが、中将姫ゆかりの奈良県葛城市・當麻寺の練供養で、1000年以上絶えることなく続けられている。當麻寺岡山県瀬戸内市弘法寺(こうぼうじ)の練供養とあわせて、三大練供養と呼ばれる。どれも年に一回、春の決まった日に行われている。三つとも拝見したが、それぞれ歴史も儀式の内容も違う。どれも素晴らしい!

3-1) お会式ポイント1 法然上人のご両親が極楽浄土にお迎えされます

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(↑ お会式に登場するご両親の像。お父様とお母様が隔年で供養される)
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(↑2016年のお会式の際、娑婆に見立てた地蔵堂で待機中のお母様像。もうすぐ二十五菩薩様がお迎えにくる。そして、極楽に見立てた本堂まで運ばれる)
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(↑2017年のお会式ではお父様が来迎された。左が娑婆堂のお父様像。右が本堂に運ばれるところ)
 誕生寺の練供養は、室町時代に始まったとされ、岡山県無形文化財に指定されている。正式には「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」と称する。
 この正式名称が示すように、ここ誕生寺の一番の特徴は、来迎される対象(臨終者)が法然上人のご両親だという点だ。當麻寺弘法寺では、中将姫様が阿弥陀様に来迎されるのに対し、誕生寺では、法然上人のお父上、漆間時国 公と、お母上、秦氏(はたうじ)様が毎年交代で来迎される。
 お迎えを受けるのがご両親というのは、法然上人誕生の地に立つこのお寺にふさわしく、感動する。
 境内奥の勢至堂には、ご両親の墓所もある。片目川を渡った先の聖地であり、空気が変わるのを感じる。法然上人産湯の井戸もある。この辺りは、厳粛にお参りしたい場所だ。
 さらに、誕生寺の近くには、出家する勢至丸を母が見送った場所があり、古い石碑(仰叡の碑) が立つ。また、境内には、母上様の銅像も2010年に建立されている。息子のことを祈るようなお姿のお像で、私も一人の母として感動せずにいられない。
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 誕生寺には、法然上人のご両親への敬意がある。お練りの列を眺めながら、自分の親子のつながりを思い返していた。

3-2) お会式ポイント2 練供養ルートが長く、菩薩様が近い!

 誕生寺では、二十五菩薩様の練り歩くルートが片道300メートルと長い。しかも、菩薩様の列をすぐそばから拝むことができる。
 練供養の列はまず、法然上人の御影をおまつりした本堂(重要文化財)を出発し、大きないちょうの枝の下をくぐり、さらに山門(重文)からお寺の外に出る。
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 大木の枝も立派だし、菩薩様の光背も立派なので、枝の下をくぐるのが大変そうだ。しかし、そこは伝統ある誕生寺。菩薩の皆様は問題なく通過する。
 山門を出ると、正面の直線の参道を歩く。300メートル離れた娑婆堂(地蔵堂)まで行き、そこで臨終者をお迎えして、また本堂に戻ってくるというルートである。
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 誕生寺では、六地蔵をおまつりした飛び地境内の地蔵堂を娑婆堂に見立てる。扉も窓もない吹きさらしの小さなお堂だ。この娑婆堂の敷地内に、南無阿弥陀仏と書かれた高い塔のような門があり、二十五菩薩様はここを通られる。大きな門から菩薩様が続々と、湧き出るかのようにお出ましになる光景は忘れられない。この場面は友人の動画でぜひ。


 日本各地の練供養の中でも、往復600mというのはかなり長い。この長い距離を、二十五菩薩だけではなく、大勢の僧侶やご詠歌隊、お稚児さんなど、総勢200名が練り歩く。列を見守る人も大勢いる。境内や参道に屋台も並ぶ。その規模は他に例がないのではないだろうか。
 また、境内に来迎橋をかけて練供養を行う寺院がほとんどだが、誕生寺では橋をかけないので、特に見上げなくても菩薩様をすぐそばで拝める。菩薩様の列の後ろをついて歩けるのは幸せだ。参道に立って、菩薩様が次々と通過されるのを見守るのも幸せである。まさに極楽。

3-3) お会式ポイント3 華やかで賑やか!

 私が誕生寺を訪れたのは、2016年と2017年の2回。どちらも4月第3日曜日、お会式の日だった。最初にお参りする際、お寺のホームページを拝見し、地図で場所も確認したのだが、その限りではとても遠いし、とても地味なイメージだった。岡山駅からローカル線でかなり先だし(最寄駅付近はもちろん単線)、周りは畑に囲まれ、ほとんども何もない。
 しかし、ここまで記してきたように、誕生寺のお会式はとても華やかで、賑やかだった!
 練供養のお渡りだけではない。練供養が出発するのは午後3時だが、堂内では朝から始終法要が営まれ、百万遍大念珠繰りを行われる。さらに、境内では、太鼓や舞なども奉納されていた。
 煌びやかさを引き立てるのが、菩薩様のお面や装束だろう。お面が小顔でかわいらしい。安室奈美恵さんが似合いそうだ。そして、装束も色がきれいで、華やかだ。特に、練供養の先頭を行く地蔵菩薩様は、赤いお帽子がかなりおしゃれだと思う。菩薩様の放射光背も素敵すぎる。
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 こんなに煌びやかで賑やかな練供養はそうないだろう。極楽浄土を目の当たりにできる。関係者の皆様に心からの敬意と感謝を申し上げたい。

4) 誕生寺にも被仏が!?

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 練供養の歴史を振り返ると、木造で中身が空洞の阿弥陀如来像の中に人が入ることがあった。迎講阿弥陀如来像、いわゆる、被仏と呼ばれるものである。あえてわかりやすく言うと、ゆるキャラの着ぐるみのようなものとも言える。
 大きな動く阿弥陀様に会いたいという気持ちが、こうした仕掛けを生んだのだろう。練供養に詳しい關信子先生によると、鎌倉時代に遡る古い形式で、現在もその伝統が残るのは岡山県瀬戸内市弘法寺のみである。時代が下るにつれ、迎講は先祖供養の趣が強くなり、阿弥陀如来様は本堂におられ、お練りの列には参加されなくなっていく。
 奈良の當麻寺にも被仏が残るが、人が入れないように変更されており、今では、阿弥陀立像として當麻寺本堂に安置される。毎年4月14日の練供養に阿弥陀如来立像が登場することはない。關信子先生は、被仏の他の例として、大阪の大念仏寺と広島の米山寺、そして、美作誕生寺の阿弥陀如来立像を挙げる。数例が残るのみである。
 美作誕生寺の阿弥陀如来立像も、人が入れる形ではなくなっている。關先生によると、もともと「供養所用の半身仏」があり、それに下半身を付け足して、弥陀堂本尊としていた。この弥陀堂本尊を1648年に再興したとされるのが、誕生寺に現存する210cmの大きな阿弥陀如来立像である。詳しくは、かつての特別展図録『極楽へのいざない』(2013年)より、關先生の解説を貼っておく。
 誕生寺の練供養は室町時代に始まったというのが通説だが、關先生は、もし本当に被仏があったのであれば、鎌倉時代に遡るのでは書かれている。難しいが、興味深く拝見した。
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【追記】2019年11月16日、誕生寺様をお参りし、被仏だった可能性のあるこの阿弥陀如来立像を特別に拝ませていただいた。
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 像高2.1mという高さもさることながら、体部が異常に大きく作られている。關先生のおっしゃるように、再興前の元の像が被仏だった可能性は充分にあるように思われた。高さは阿弥陀様を大きく見せるため、太さは中に人が入れるようにするためだったのではないか。
 また、私は胸元の卍にも注目する。卍部分が、中に入る人のための覗き穴になっている例もあるからだ。
 住職様は被仏様にしては大きすぎるとおっしゃった。専門家が調べにきたが、結局、結論は出なかったと伺った。しかし、私は上記の点から、「被仏の再興像」という学説を支持したくなった。練供養好きのバイアスもあるかもしれないが。

5) 誕生寺お会式のご朱印

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 誕生寺で頒布される、このご朱印帳のデザインがたまらない。写真のような角度から表紙を眺めると、菩薩様が練り歩く様子が蘇る。私は誕生寺から郵送していただいた。いつかこのご朱印帳に誕生寺のご朱印をいただかねばと思っている。

6) 地域の誇り法然上人

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 練供養の日、近くの小学校の校庭が駐車場になる。その名も誕生寺小学校。よく見ると、二宮金次郎像の隣に、なんと法然上人様が座しておられた。宗教分離が原則の公立学校で、地域出身の偉人として、法然様が尊敬されることが素晴らしいと思った。

7) 最後に: 練供養は今を生きるためにある

 練供養の時に誕生寺をお参りした経験をもとに、ここまで書いてきた。しかし、美作誕生寺にはもっとたくさんの見どころがある。見どころというより、祈りと感動のポイントと言ったほうが正しいだろう。お会式の賑わいの時以外でも、ゆっくり時間をかけてお参りしたい。
 最後に大切なことを。私は時々、二十五菩薩来迎会の何が楽しいのかと聞かれる。私はこう思う。
 ーー臨終のとき阿弥陀さまが雲に乗ってお迎えに来てくださるーー。そう信じるための手段が練供養なのだと。そして、そう信じることで、日々を強く生きていけるのだと。

8) 参考資料

美作誕生寺ホームページ
岡山県文化財ホームページ
特別展「極楽へのいざないー練り供養をめぐる美術ー」図録(2013年 岡山県立博物館と京都・龍谷ミュージアム

※ 写真について

ここに掲載した写真の中に、上記図録掲載のものと、練供養友達である桃太郎のもとさんのツイッター掲載写真が含まれています。それ以外は私が撮影したものです。また、練供養の模様の写真は2016年と2017年の時のものです。

【埼玉】毛呂山町と越生町の仏像が熱い!

 ディープ埼玉には、かなり古仏が残っている。入間郡越生町如意輪観音様と毛呂山町の仏像をお参りしてきた。

1) 毛呂山町歴史民俗資料館

1-1) 桂木寺木造伝釈迦如来坐像

75.0cm 10世紀前半 県指定文化財
※写真はこちらのサイトで→ 貞観の息吹き28

 色々な写真が出回っていたので、お会いするまでどんな感じか不安もあったが、実際にお会いすると、一目で圧倒された。まず、この頭部がたまらない。地髪と肉髻の境目が希薄で、ニット帽を被ったようになっている。10世紀の仏像に見られるらしい。そして、頭頂辺りが尖っている。大好き!
 さらに、螺髪の一つ一つが渦巻いてる。一つ一つ手をかけて作ったのだろう。残念ながら、すべては残っておらず、現状では、現存するものだけ前方に配置している。つまり、今は螺髪は前面だけで、後頭部には付いていない。長い年月の中で、螺髪はまばらに抜け落ちのだろうか。そして、後の修復者が、残った螺髪を前面に集めたのだろうか。このグルグル巻きの螺髪に強く惹かれる。当初の制作者と後世の修復者に敬意を払いたい。
 そして、この脚の組み方もかっこよい。平安でも古い時代の感じがして、鼻血が出そう。

 毛呂山町歴史民俗資料館では、このお像のすぐそばに、最近の修復前の写真を展示している。これが大変興味深い。
 金箔はかなり上手に貼ってあるように思うのだが、後補ということで剥がしたのだろう。どうしても注目してしまうのが、このつぶらな両目である。上手に描けてるとは思うのだが、全身の尖った感じとは相いれない。やはり現状がしっくりくるように感じた。

 この桂木寺の如来像と飯能の常楽院の軍荼利明王像は、越谷市の浄山寺の9世紀の地蔵菩薩立像(重文)が発見されるまで、埼玉最古の仏像と考えられていた。しかし、仏像の価値は年代の古さだけで判断されるものでもないと思う。
 浄山寺の像は当時の都付近で造立されたと考えられるのに対し、桂木の如来像はその作風から東国の在地仏師によると考えられるのだとか。桂木寺の像が地方仏師の活動を知るメルクマールとなると私は嬉しいのだが...。東国地方での造仏について、今後さらに研究が進むことを願っている。
(浄山寺の地蔵菩薩立像が素晴らしいことについてはまったく異議なしなので、念のためその旨書き添える)

1-2) 妙玄寺 十一面観音菩薩坐像

11.7cm 17世紀 町指定文化財
 像内の内刳り部分に金箔が施され、室町時代の4cmほどの金銅仏が納められていた。江戸時代の仏像は侮れない。胎内仏も展示されていた。
 胎内の金箔は写真パネルで拝見。金色が眩しい。

2) 高福寺(埼玉県毛呂山町

 高福寺は、越生町にある曹洞宗関東三大寺の一つ、龍隠寺の末寺。慶長(1596-1615年)中期、龍隠寺十四世大鐘良賀が、近くの高福寺と行庵寺を合併して行庵山高福寺と号し、その開山となった。
 今回の拝観にあたっては、事前にお電話で拝観をお願いし、ご快諾いただいた。当日ご住職にご案内いただき、大変ありがたく、心より感謝申し上げたい。

2-1) 木造阿弥陀如来坐像

87.0cm 鎌倉時代 県指定文化財
桧の寄木造 玉眼
 高福寺と合併した行庵寺の本尊だった。今は高福寺本堂奥の位牌堂にまつられる。
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 埼玉県加須市・保寧寺の宗慶の阿弥陀三尊と同様、鎌倉時代御家人と慶派が結びついた例と見られるが、高福寺の阿弥陀様は保寧寺ほどムチムチしていない。胸や腕、頬の張りが若々しく、全体的に堂々とした佇まいが印象的。脚部は慶派にしてはおとなしく感じるものの、膝は大きく左右に張り出し、全体に安定感がある。目尻の上がった理知的な表情。肉髻は低め。
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 お堂の屋根が低く、光背を本来の位置より低く置いているのだそうだ。確かに、光背の先端が阿弥陀様の頭部近くに接近している。光背の件はよく聞かれるそうで、住職は気にされておられるようだったが、そんなことで阿弥陀様の美しさや凛々しさが失われると思えない。慶派ファンにはぜひ拝観いただきたい阿弥陀様である。
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 阿弥陀様のオッケーは絶対大丈夫のサイン! この厚みのある右手は造立当初のものだろうか。そして、大好きが過ぎると、このように写真はピンボケしてしまう。

 なお、昨年度、毛呂山町歴史民俗資料館で開催された特別展「山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜」の図録(以下「毛呂山仏教展図録」)によると、秩父郡小鹿野町真福寺にも慶派の阿弥陀如来坐像が伝わり、その作風が高福寺と似ているのだそうだ。f:id:butsuzodiary:20191104205602j:plain
(↑写真は同図録より)
 そして、小鹿野町文化財サイトを覗きにいったところ、毛呂山よりもっと奥深いこの地域に、かなりの鎌倉仏がおられることを知った。これはもっと勉強しなければ。
※以下の画像をクリックすると、小鹿野町文化財サイト(PDF)に飛びます
https://www.town.ogano.lg.jp/cms/wp-content/uploads/2018/03/2007bunkazai.pdf

2-2) 聖観音坐像

南北朝時代 町指定文化財
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 高福寺のご本尊様。本堂の内陣、高い位置に安置される。法衣垂下が美しい。
 他の法衣垂下坐像の例として、飯能市の法光寺の地蔵菩薩坐像、同じく飯能市の長念寺の聖観音菩薩坐像(ともに県指定文化財)がある。14世紀後半に鎌倉に在住した詫間派の造立か。この高福寺と同様、上記の2か寺も曹洞宗寺院であり、曹洞宗龍隠寺(越生町)を中心とした文化の受容があったと考えられる。
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(上の聖観音様と法衣垂下2像の写真は同上の毛呂山仏教展図録より)

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 聖観音様は本堂の高い位置に、この写真のようにおまつりされている。聖観音様の近くには、不動明王像に加えて、狐に乗る天狗さんのような像もおられた。私は飯綱権現かと思ったのだが、住職はお稲荷さんだとおっしゃっていた。今は曹洞宗だが、近くの桂木山など修験道が盛んな地域なので、その影響もあるのではとのことだった。

3) 如意輪観音堂(埼玉県越生町

如意輪観音半跏像

104.2cm 県指定文化財
応保2年(1162)、僧良仁の発願により造像
毎年11月3日にご開帳(13:30-16:00頃)
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 頭部と胴部をカヤの一材から彫り出す。前後割りはぎし、内刳り。胎内背部に「応保二年大歳壬午/十一月十二日甲辰/檀越長春/僧良仁」の墨書銘。関東最古の在銘彫刻として知られる。
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 この可愛らしさ。女子校に通ったら、人気者になるタイプだ。半跏像、つまり、右脚を組んで、左脚を下ろす。そんな姿勢を上品にこなす。横に広がった鼻に親しみも感じる。
 この観音様には「とっかえ餅」という風習があったそうだ。旧暦9月21日の夕方、女子が新米で作った大福餅を持ち寄り観音様に供え、月の出を待つ。月が昇ると、餅を交換しあって食べたという。そんな楽しげな風習に私は納得してしまう。女子のアイドル的存在になりうる、かわいらしくて凛々しい観音様なのだ!
 写真をよくご覧いただくと、この如意輪観音様が座す蓮台が岩の上にあるのがわかるだろうか。岩の上の半跏像ということで、私は石山寺滋賀県大津市)の秘仏ご本尊様を思い出した。仏師は石山寺のご本尊様を意識していたのだろうか。

4) 拝観は難しいのか

 越生町如意輪観音様のご開帳に合わせて、近くの仏像を調べてみたところ、文化財指定のある仏像が博物館に寄託されていることがわかった。越生町の下ヶ戸薬師堂薬師如来立像と黒岩区五大尊五大明王像(いずれも県指定) 、そして、高蔵寺地蔵菩薩立像と中村薬師堂の薬師如来坐像(いずれも町指定)は、大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託されている。地域は異なるが、宮代町の西光院の阿弥陀三尊(重文)は東京国立博物館寄託で、時々11室にお出ましである(現在、阿弥陀如来坐像のみ常設展示中)。
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(↑写真は毛呂山仏教展図録より)
 また、越生町法恩寺のご本尊大日如来坐像(金剛界、平安後期)は基本的に秘仏であり、お檀家様以外には公開していないとのことだった。毛呂山町の桂木観音堂も基本的には拝観不可。
 そうした拝観の難しさを考えると、如意輪観音堂の如意輪観音様は年に1日だけとはいえ、一般に公開されるのがありがたい。信仰の残る場所で、誰もがご縁を結べる機会は貴重だと感じた。

5) 仏友さんありがとう

 埼玉在住の仏友さんに連絡したところ、前日の連絡にもかかわらず、車を出してくださった。隠れ家的なお蕎麦屋さんとカフェにも連れて行っていただき、贅沢な一日を過ごすことができた。優しいご夫妻に心からお礼申し上げます。ありがとうございました。
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6) 参考資料

6-1) 青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年
6-2) 毛呂山歴史民俗資料館第20回特別展『山・寺・ほとけ〜毛呂山仏教文化と修験〜』解説図録2018年

【展覧会】真教と時衆-遊行寺宝物館と神奈川歴博

 目次

 時宗二祖上人七百年御遠忌記念「真教と時衆」展がとても楽しかったので、ご紹介したい。

1. 神奈川県の二か所で開催

 神奈川県藤沢市遊行寺の宝物館(第1会場)と横浜・神奈川県立歴史博物館(第2会場)の二か所で開催。国宝一遍聖絵や遊行上人縁起絵、個性的な上人像が楽しく、阿弥陀様のお像に癒される展覧会だった。どちらも11月10日まで。遊行寺会場は開館日が金土日月祝日のみなのでご注意を。
f:id:butsuzodiary:20191007092950g:plain ↑遊行寺会場
f:id:butsuzodiary:20191007093054j:plain ↑歴博会場

2. 京都の展覧会も良かったけど!

 時宗二祖他阿真教上人の御遠忌を記念した展覧会は、今年の春に京都国立博物館でも、「国宝一遍聖絵時宗の名宝」として開催されている。一遍聖絵はもちろん、遊行の道具や衣、上人像のほか、時宗寺院ゆかりの仏像があまりに興味深く、京都開催ながら東京から二回も行ってしまった。一遍聖絵一遍上人の信仰と布教の記録であると同時に、熊野や奈良の當麻など日本各地をめぐった紀行の記録でもある。これを円伊作の国宝の原本と後世の写しを並べることで、すべてを通しで見ることができた。さらに、関西の時宗寺院に伝わる9世紀の仏像や、この展示のための調査で行快の銘が見つかった阿弥陀三尊像(京都・聞名寺)など、仏像もかなりハイレベルだった。京都の展示は本当に楽しかった!

 しかし、京都の展示によだれを垂らす一方で、時宗の総本山は神奈川県の藤沢ではないか、という思いもあった。京都にいながら、心の片隅には藤沢の遊行寺があった。

 それゆえに、今回、時宗の名宝を遊行寺で拝見できることのありがたみを感じざるをえない。遊行寺宝物館は小さいし、開館日は限られているが、それでも遊行寺で開催することに大きな意味があると思う。

3. 神奈川の展示も負けてない!

 京博の規模に劣るものの、神奈川2会場の展示も決して負けてはいない。遊行寺など神奈川県内のほか、千葉や埼玉、静岡など関東周辺からの出展も多く、京都とはまた違った良さがあった! 阿弥陀如来像も並んでいた!!

4. お気に入りをご紹介!

 一遍聖絵や遊行上人縁起絵の展示が素晴らしい展覧会ではあるが、そちらの解説は仏画の専門家やブロガーさんにお任せするとして、ここでは、仏像を中心に、私のお気に入りをいくつかご紹介したい。

遊行寺宝物館】

遊1) 真教上人坐像(神奈川県小田原市蓮台寺 重文 87cm 1318年)

 京博の展示のとき、「おそらく病気をされた後なのか、お顔が歪んでいるが、お人柄が偲ばれる」という趣旨の解説が添えられており、仏友Mさんを感動させた尊像である。小田原市蓮台寺に伝わり、神奈川開催の本展のメインビジュアルとなった。左右歪んだ両目の奥から、優しさが伝わる。
 胎内墨書により、真教上人82歳の寿像であることがわかっており、同じく胎内に残る南無阿弥陀仏の文字は真教上人の自筆ではないかと指摘もあるとのこと。

遊2) 阿弥陀如来立像(77.5cm 13世紀 文化財未指定)

 遊行寺阿弥陀如来立像。初公開なのだそうだ! 穏やかで可愛いご尊顔。親指と人差し指で来迎印を結ぶ。ヒノキ材で、前後割り矧ぎし、内刳りを施してから、頭部と両足部を割りはなす構造。玉眼。細かく分かれた部材を固定するため、全身の表面に布貼りし、漆で固める。衣には金箔が残る。顔や胸や手足には金泥が施されていたと考えられる。
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遊3) 鉦鼓(千葉県松戸市本福寺

 1303年 松戸市文化財 青銅製 外径21.0cm 高5.0cm
 昭和35年本福寺の檀家の屋根裏から発見。口縁裏に、嘉元元年という年号と「本福寺開祖他阿弥陀佛」と刻印がある。この鉦鼓(しょうこ)は、本福寺が他阿すなわち真教上人の創建だったことの証拠(しょうこ)である。決してダジャレではない!
 鉦鼓を鳴らしながら念仏を唱える行は空也上人が始めたとされ、一遍の踊り念仏に引き継がれた。
 私も自分の鉦鼓がほしい。鉦鼓を打ち鳴らして、お念仏申したい!

【神奈川県立歴史博物館】

歴博1) 神奈川県鎌倉市・教恩寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊98.8 左脇侍70.8 右脇侍70.3 13世紀 県指定文化財
 前に鎌倉国宝館と金沢文庫でお会いしているが、その時より美しく見えるのはなぜだろう。
 私が注目したのは、阿弥陀様の胸元の衣がU字型に開いて、左右にたるみのないこと。快慶さんの無位時代の特徴だ。そして、観音勢至の膝のかがめ方や前傾加減がおとなしめなこと。つまりは、来迎像として、比較的早めの時期の造像ではないかと...。
 阿弥陀様の若々しくお優しいご尊顔。観音勢至両菩薩の膝にかかるリボンのような結び目。細身で繊細な立ち姿。もう、もう、大好きです!
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歴博2) 神奈川鎌倉市材木座・来迎寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊66.0 左脇侍40.0 右脇侍38.0 13世紀 鎌倉市文化財
 材木座の来迎寺のご本尊様。お堂の外から双眼鏡で覗き込み、うっとりしたことがある。今回間近で拝すると、金泥に截金が美しかった! そして、観音勢至菩薩の激しい前傾姿勢。腰の衣が風に翻る。腰下の衣、くんが長目で、蓮台にかかることも特徴なのだとか。法衣垂下の坐像が流行ったので、その影響なのかもしれないが、立像では珍しいとこと。
 ちなみに、鎌倉の西御門にも来迎寺があることは仏像ファンの間では有名だが、どちらの来迎寺も時宗寺院であることは今回初めて知った。
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歴博3) 神奈川県小田原市蓮台寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊97.2 左脇侍60.5 右脇侍60.5 1239年 文化財未指定)
 修理後、寺外初公開。図録に掲載の写真とはまったく違う。おそらく修理前の写真のようだ。図録写真ではお顔や胸のなどに金箔が残るが、展覧会場の三尊は真っ黒く光っていた。金箔を剥がして、黒く塗ったのだろう。
 冒頭の写真の真教上人坐像はこの蓮台寺の所蔵。

歴博4) 静岡県沼津市・西光寺 阿弥陀三尊立像

 (中尊78.9 左脇侍49.8 右脇侍52.0 13世紀 沼津市文化財
 西光寺本堂の須弥壇にまつられるご本尊様。左胸前の渦文はこの時代としては珍しい。割り矧ぎ、内刳りして、玉眼嵌入。金泥塗りの上に、胡粉で盛り上げた紋様が美しい。時宗寺院に伝わる鎌倉後期から南北朝阿弥陀如来像には、このような表面仕上げがまま見られる。
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歴博5) 京都・金蓮寺 阿弥陀如来立像

 (78.6cm 13世紀 文化財未指定)
 割り矧ぎして玉眼嵌入。左胸前、膝下、袖下方の各部に渦文。行快の滋賀・阿弥陀寺阿弥陀如来立像等に類似する。写真、鉛筆で矢印つけたところ(左胸と膝下)に、小さなかわいい渦文見えるだろうか。なお、滋賀の阿弥陀寺の行快の阿弥陀如来立像は京博の時宗展にお出ましだったが、さすがに神奈川では展示なし。
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持蓮華がほしい

 遊行寺歴博の両会場で展示されていた持蓮華(じれんげ)というものが大変気になった。
 持蓮華とは、真教上人が別字念仏の時に手にしたという、木造の未敷蓮華である。花開く前の蓮華の花のつぼみだ。上述の真教上人像も、これを手にしている。観音様が手にするのはよく見るが、法要の仏具として使用するのは、時宗独特なのだそう。
 私も持蓮華が欲しい! そして、しつこいようだが、鉦鼓もほしい。

十二光筥に感動

 その他、歴博会場では、十二光筥や阿弥衣など、京博で観て感動した遊行の道具も、一部同じものが展示されていた。 十二光筥 は遊行上人が所持を許された身の回りの十二の持ち物を運ぶ箱である。箱の上は黒と白と赤が塗られていて、中央の白で二河白道を表すのだそうだ。
 持ち物が十二のみとは。こういうシンプルな生き方に憧れる自分がいる。仏像の図録で溢れかえる我が部屋を振り返り、自分にはない潔さを感じるのかもしれない。十二光筥を欲しがる前に、まずはせめて、もっと自分の部屋を片付けよう。

5.「時衆」と「時宗」はどう違うのか

 展覧会を夢中で見るうち、ふと気になったことがあった。京博の展覧会とは違って、神奈川では「時宗」ではなく、「時衆」という言葉が多様されている点である。この二つの言葉の違いについては、以下の時宗のサイトが分かりやすいので、そのまま引用したい。展覧会図録にも同じような説明があった。

時衆と時宗
 一遍上人も真教上人も教団に所属している僧尼を「時衆」と呼んでいます。この言葉は唐の善導大師の著書『観無量寿経疏』に記される「十四行偈」の一節「道俗時衆等 各発無上心(どうぞくじしゅうとう かくほつむじょうしん)」に由来します。
 一日24時間を4時間ごとに分割した勤行(六時礼讃)や不断念仏などの法要を一定期間行う時には、時間で僧尼を交代させる必要があり、交代要員の人数と時間は定められていました。その法要の次第書を「結番(けちばん)」あるいは「番帳」といい、その要員が時衆です。
 「時衆」は本来個々の僧尼を示す言葉ですが、他教団が使わなくなり、一遍上人の時衆だけが使用するようになって、教団の名称として通用するようになりました。
 江戸時代に入ると「衆」が「宗」に代わり、「時宗」が宗派の名として確定されます。そのため、一遍上人を祖とする僧尼衆を表すときに、江戸時代より前の場合は「時衆」、江戸時代以降は「時宗」と呼びます

時衆と時宗 - 時宗総本山 遊行寺

6. スケールが大きい!

 決して詳しい訳ではないが、鎌倉新興仏教の中でも、時宗は特におもしろいのではないかと思う。
 念仏札を配る活動(賦算)を始めた一遍上人は、ある時、信心がないという理由で札の受け取りを断られてしまう。一遍がこの先も賦算を続けるべきか悩んでいると、熊野権現が現れて、賦算を続けなさいと諭された。この神勅を受けたが時宗の始まりとされる。このエピソードがとても不思議で、おもしろいと思う。熊野権現阿弥陀様の化身なのだという。
 一遍上人は奈良の當麻寺で中将姫の写した称賛浄土教を譲り受けたり、長野跡部で踊り念仏を始めたりするのだが、その一部始終が一遍聖絵に残されていることが、さらにおもしろい。
 各地を歩き通した一遍の死後、各地に道場を作り、教団として組織をまとめたのが真教上人。カリスマ性ある開祖と組織力のある二祖。その組み合わせ自体も奇跡なのかもしれない。

【参考資料】
「真教と時衆」展図録

【写真】
仏像と鉦鼓の写真はすべて図録より。冒頭の遊行寺宝物館のチラシは同館のサイトより。神奈川県博の入り口写真は筆者撮影。

【東京都豊島区】駒込の勝林寺で田沼意次侯 生誕300年宝物展

【参拝日】2019年9月23日(秋分の日)
【お寺】万年山勝林寺(東京都豊島区)
【拝観】
田沼意次侯 生誕300年宝物展
○御本尊釈迦如来坐像(9世紀の一木造り、区文化財
(今回はいつもとは違って、江戸時代の歴史と絵画のお話がメインです)

 お彼岸のお参りで賑わう染井霊園を抜けて、東京駒込の勝林寺様をお参りした。
 江戸中期の老中・田沼意次(1719-88年)の菩提寺である勝林寺様で、9月23日、田沼家ゆかりの絵画や書が公開されたので、拝見させていただく。
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 かつては賄賂政治家として知られた意次。しかし、貨幣の統一や長崎貿易の拡大など、商業政策を進めた手腕と功績が再評価されていると聞く。
 今年は意次生誕300年。意次の領地だった静岡県牧之原市から貴重な文化財16点が東京の勝林寺様に運ばれ、一日限りの出張展示が行われた。しかも、牧之原市資料館の学芸員さんの解説付きというありがたさ。

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 展示はまず、上(↑)の牧之原市の広告に掲載の絵から始まる。鈴木白華写「田沼意次肖像」である。複製画ではなく、もちろん原本がお出ましであった。若き意次が姿勢を正して、前を見据える姿。その眼差しから頭脳明晰であったことが伺える。歴史の教科書などで、よく使われる画像だそうだ。

 狩野典信(かのう みちのぶ)「田沼意次侯領内遠望図」は大きな横長の画面構成で、おそらく遠州相良城内に掲げられたものではないか、とのこと。

 上記2点とも牧之原市資料館では普段はレプリカ展示されているそうで、都内で原画を拝めるとは申し訳ないくらいだ。

 さらに、江戸幕府第10代将軍徳川家治が自ら描き、田沼意次に贈った絵画も展示されていた。現在個人蔵となっており、まだほとんど世間に知られていないものだそうだ。

 牧之原市からバスツアーを組んで来られたご一行様もおられ、田沼意次が結ぶご縁に感服せざるを得ない。一つのお寺で、これだけの文化財がたった一日だけ公開されるという前代未聞の貴重な機会だった。田沼意次のさらなる研究と名誉回復が一段と進むことを願ってやまない。

 最後に、御本尊様に言及せずに筆を置くことはできまい。勝林寺のご本尊様は9世紀に遡る貴重な釈迦如来様である。お寺様とのありがたいご縁により、何度となくお参りさせていただいている。
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 今回お参りしていると、牧之原市のツアーの皆様がちょうど入ってこられ、住職のご指名によって急きょ仏像解説をさせていただくことに。彫刻史の観点から貴重なことだけでなく、先々代の住職が命がけで空襲から守られたことをお話した。
 平安前期、おそらく近畿の都に近いところで制作されたであろう御本尊様。それがなぜ江戸に創建されたお寺に伝わるのかはわかっていない。田沼家の力が動いたのかどうか検証できる日は来るのだろうか。

【東京都大田区】平安の如来坐像が三躯〜安養寺の薬師堂は濃密な仏像空間!

【拝観日】2019年9月22日
【寺院名】安養寺 古川薬師さま(東京都大田区六郷)
【拝観した仏像】

薬師堂の如来坐像

薬師如来坐像 167cm
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○釈迦如来坐像 155.1cm
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阿弥陀如来坐像 158.4cm(現在、修理のためご不在)
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※撮影不可だったため、上記の仏像写真は東京都の文化財のサイトより

 東京都のサイトによると、いずれも藤原末期と考えられ、1612年に修理されたことがわかっている。いずれも東京都指定文化財
 前に某仏像修理所を見学させていただいた際、偶然お目にかかったのがこちらの阿弥陀様だった。都内にこれだけの大きさの立派な定朝様の阿弥陀様がおられるとは知らず、とにかく驚いた。しかも、薬師様お釈迦様を加えた三尊で残っておられるのだから、仰天である!

 厳重秘仏だと思っていたのだが、仏像好きの知人に相談したところ、お彼岸に開いていると教えていただき、参拝した次第である。

 訪問すると、薬師堂の二階のドアが開いており、大きなお像の影が見えた! 階段をのぼり、中に入ると、すぐ間近で拝観できる。残念ながら、阿弥陀様はご不在だった。お寺の方に伺ったところ、まだ修理中なのだという。それでも、150cmを超す平安の薬師、釈迦如来さまを間近で拝めるのはありがたい。

 薬師堂内には、如来坐像の他にも、
○元気いっぱいの十二神将が8体
○右手の親指と薬指を捻り、左手に薬壺を持つ不思議な薬師如来坐像(江戸仏かなー?)
○二天像(私は年代をはかりかねず)
もおられ、かなり濃密な仏像空間であった。



 また、本堂は堂外からの拝観であったが、五智如来と十王像のお姿を拝むことかできた。こちらは堂外から撮影。遠目から拝する限りだが、かなり魅力的な布陣である。
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【拝観案内】
医王山世尊院安養寺(真言宗智山派
通称 古川薬師
住所 大田区六郷2-33-10
2月8日、4月8日、7月13〜15日、春秋彼岸の10時〜16時に拝めるとのこと(基本的には檀家寺様なので、お墓参りの皆様へのご配慮をお願いします)

【テレビ】運慶のテレビに大興奮!(2008.9.14記事の再掲)

※2008年9月14日に書いた記事を再掲します。今日、山本勉先生の講義を受講したのですが、その時に、下記(4)の女性のお話を伺った記念です笑。現在も研究者としてご活躍されているそうです。素晴らしいお話で、感動しています!



 テレビを観て、久しぶりに興奮した!
 NHK bs-hiで9月8日に放送された『流転の運慶仏~“大日如来像”の謎を探る~』である。

 今年3月にニューヨークでオークションにかけられた運慶工房の作品とされる大日如来坐像に関する番組だった。

 ここ「ぶつぞうな日々」で何度か書いているが、これは大変美しい黄金の仏様である。東京国立博物館で何度もお会いしているが、決して飽きることがない。

 それにしても、今回のテレビ番組になぜにこれほど感動し、興奮したのか。そのポイントを説明したい。

(1) まず、興奮したのが、この作品の発見から、運慶作品であることが解明されていく経緯を紹介するくだりである。
 数年前に東京国立博物館で鑑定結果が発表され、その時に、鑑定結果をまとめた論文を読んでいたので、同じ栃木県足利市光得寺に伝わった同型の運慶作の大日如来像(以下「光得寺大日如来像」という)との比較や、レントゲン写真で確認される心月輪といった流れはすでに知っていた。
 こうしたストーリー自体が興奮するものではあるが、論文で読んだときと違うのは、説得力のあるナレーションと音楽付きで解説され、人為的に臨場感が高められているという点だ。この演出にまんまとのせられたわけである。
 また、この放送で、さらに多くの人が運慶のことを知ることになるという事実にも心が動かされた。それは嬉しいことでもあるが、自分の子どもを世に送り出すのに似た寂しさも感じられた。私は、なんとも愚かなことに、勝手にこの運慶作品を自分の子ども同様に考えていたのだった。

(2) 次に注目したのが、この作品の願主である足利義兼についてである。
 足利義兼は源氏の武士で、北条時政の二女、つまり北条政子の妹を正室に迎えている。
 静岡県の伊豆にある願成就院北条時政が建てた寺で、不動明王と二童子の像や毘沙門天像など、運慶の会心の作品が残されている。つまり、運慶は若いときに関東に実際に滞在し、鎌倉の人間と会い、いくつか作品を残しているのである。
 足利義兼は源頼朝のような歴史のスターではないが、こうした血縁から運慶に造仏を依頼できたのだろう。足利義兼がこの仏様にどのような願いを込めたのか。運慶と実際に言葉を交わしたのか。歴史への思いは募るばかりである。

(3) さらに、東京国立博物館の元学芸員で、今回の運慶作品の研究に携わった山本勉氏と、運慶の研究家の熊田由美子氏もテレビに登場した。
 お二人の著作は何度も読み返しており、尊敬している研究者なので、とても嬉しかった。
 西村公朝さんが亡くなられた今、このお二人にはもっとテレビに出て、仏像の宣伝をしていただきたい。

(4) お二人ほど高名な方ではないが、足利に住む女性の方が紹介された。若いときから仏像が好きで、近くのお寺にある仏像を大学の卒業論文のテーマに選び、古文書を調べたという。それが、光得寺の大日如来像だった。光得寺大日如来像は今から17年前、やはり山本勉氏の手によって運慶作品であることが判明したのだが、そのきっかけとなったのが、この女子大生の研究だったのだという。
 なんというか、強く胸を打たれる事実だった。
 私も地元にいつくか好きな仏像や石仏がある。奈良の仏像が好きで、奈良に生まれなかったことを悔やんだこともあったが、地元の仏像を愛する気持ちを大切にしようと改めて思った。そして、これからも仏像とその歴史について真摯に勉強していこう。とても勇気付けられるエピソードだった。

【展覧会】和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし―守り伝える人々のいとなみ―」

【展覧会】「仏像と神像へのまなざし―守り伝える人々のいとなみ―」
【会場】和歌山県立博物館
【会期】2019.4.27-6.2
【訪れた日】2019.04.30
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 はるばる出かけた甲斐があった。出展された仏像・神像の質と量もさることながら、「これまで受け継がれてきた仏像神像を今後どうやって守っていくのか」という大きな問題に真っ向勝負する姿勢。腹底から絞り出すようなその叫びが確かに聞こえた。私のような若輩ではすぐに解決策が見いだせない難問だ。その叫びを胸においたまま、これを書いている。

1)こんな展示構成でした

 展示はまず、明治初めの神仏分離廃仏毀釈による影響の例から始まる。
 続いて、明治30年古社寺保蔵法の施行などにより、仏像神像を「歴史の証徴」「美術の模範」として保護する制度が整えられたことを鑑査状の実物や新納忠之助の資料などで説明。
 さらに、こうした歴史を経て、和歌山県に伝えらた仏像神像が数多く展示される。全部で76体。このうち、国宝4体を含む40体が指定文化財。その質と量に興奮する。
 展示の最後に、和歌山で相次ぐ仏像神像の盗難被害と3Dプリンタによるお身代わり像の制作の例が紹介される。過疎化高齢化する地方でどうやって仏像神像をお守りしていくのかーー。学芸員大河内さんの叫びが聞こえてきた。

2) 地方仏の問題は日本全体の課題!

 地方の仏像を訪ねていると、貴重な仏像が過疎化高齢化する地元の人々によって守られている現実を知り、日本の未来を案じることもしばしばある。この和歌山県立博物館の展覧会はそうした現実に直球勝負するものだ! そこがこの展覧会の肝だと思う。

3) 撮影可能というぜいたく。そして、図録は買おう。

 なお、会場内の展示資料は、ごく一部を除き、撮影可能。SNSへの個人的な投稿もOKとなっている。私は最初に図録を購入し、図録写真とは別の角度から、私なりの目線でいくつか撮影させていただいた。こんな幸せがあるだろうか。耳のアップとか、瓔珞だけとか、足元だけとか、そんなマニアックな撮影が楽しい! そして、勉強にもなる! 図録の解説を読めば、帰ってから復習もできる!
 会期後半だったろうか、大河内さんが、図録販売が伸びないのは撮影可能にしたせいだろうか、と嘆いておられた。私は言いたい。写真を撮るだけ撮って図録を買わないとは、言語道断である。某政治家のように「恥を知りなさーい!」と一喝したいところだ。撮影可能にした意味がお分かりでない人、そして、図録購入が今後の和歌山県博の活動にプラスになると気づかない人、そんな人は、仏像ファンとは認めないですわよ。

4) 印象に残った仏像は

 質も量も半端ない展覧会だったが、個人的に特に印象に残ったお像をご紹介したい。

4-1) 有田市円満寺 十一面観音立像(奈良時代中頃~後半 重要文化財 113.8㎝)

 1998年奈良国立博物館で開催された「天平」展の図録を最近よく眺めているのだが、その中にこの十一面観音像もあった。円満寺への行き方を調べているところで、本展にお出ましと気づいた。写真で何度も観た憧れの観音像にお会いでき、感無量である。
 飛鳥時代を思わせる衣の左右対称なところ、少し厳しめのご尊顔、そして、豪華な胸飾りにときめいてしまう。瓔珞は「東大寺唐招提寺天平彫刻との類似」(図録より)が指摘されているのだそう。また、「肉身部の金箔は後補で、当初は素木で仕上げた、代用材による檀像彫刻の貴重な残存事例」(図録より)とのこと。動きが感じられず硬い印象はあるが、そんなところも上品で魅力的に思えてくる。かわいい!

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胸飾に注目!
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円満寺十一面観音 全身

4-2) 印南町・名杭観音講 十一面観音立像(平安9-10世紀 県指定文化財 141.7㎝)

 一目見たら忘れらない重厚なお像である。平安前期の観音像をガラスケース越しながら、間近で拝めむことができた。しかも、360度(さんろくまる)である。法量より大きく感じた。
 図録では、舌状の垂髪について、和歌山市・慈光円福院の十一面観音立像(9世紀末~10世紀初頭)との類似性が指摘されていた。慈光円福院の観音様も平安前期の強烈な印象のお像だったことを覚えている。
 名杭観音堂は昨年9月の台風で屋根に被害が及び、それを契機に、保存と継承のためにできることを検討し、今回の出陳にいたったとのこと。この観音像はなんとしても守らなければ。クラウドファンディングに協力することぐらいしか思いつかないことが歯がゆいが、私のような人間でも未熟ながら一助となりたい。そして、そのように考えるのは私だけはないはずだ。

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名杭観音講 十一面観音立像ご尊顔
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名杭観音講 十一面観音 どうしてもこの角度で撮りたくなる

4-3) 有田川町・法福寺 観音菩薩立像と地蔵菩薩立像(平安10世紀、町指定文化財 観音113.0cm 地蔵98.9cm)

 尖らせたくちびると旋転文がたまらない。法福寺は阿弥陀如来像と二十五菩薩像もおられる(2013年「極楽へのいざないー練り供養をめぐる美術ー」岡山県立博物館に出展)。いつかお参りしたい。
 

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法福寺の観音像 突き出したくちびる
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法福寺観音立像 旋転文がたまりません
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法福寺・地蔵菩薩立像 くちびるが観音像と似る

4-4) 海南市・善福院 薬師如来立像(平安12世紀 市指定文化財 95.2cm)

 千葉県いすみ市の行元寺で定朝様の阿弥陀如来立像にお会いしてから、定朝様の立像が気になっていた。解説に「顔も肩も丸く、お腹はぽっこりと出て緊張を解いた姿。これぞ定朝様式の美のかたち」とあり、それを何度も読み返してしまった。こういう直感的な解説、私にはとても分かりやすい。この緊張を解いたゆるやかなお姿に癒される。

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海南市・善福院 薬師如来立像

4-5) 所有者不明 阿弥陀如来坐像(平安10-11世紀 55.8cm)

 和歌山県では2010年から翌年春にかけて、山間部の小さな寺院・神社を中心に仏像などの盗難が頻発。その数は、警察に被害届が出ているだけでも60件(仏像172体以上)に及ぶ。2011年4月に窃盗犯が逮捕され、犯人の手元にあった盗難品は押収し、仏像の一部は古物商から回収したものの、依然として43点(破片も含む)が所蔵者不明なのだという。この阿弥陀如来坐像もその一つで、今は和歌山県立博物館が保管している。悲しい。
 肉髻と地髪部の段差が緩やかなところが特徴で、一目で胸がきゅんとした。平安時代中頃、10世紀末から11世紀初めごろの作風。台座の框に「建立者野上下津野出生当寺現住真性 施主当村喜兵衛」などと記載あり。
 どうか本来の所有者が見つかりますように。

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肉髻の段差が不明瞭で、ニット帽をかぶったように見える
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所蔵者がみつかりますように

 他にもたくさん気になる仏像・神像が出展されていた。写真もたくさん撮ったのだが、今日はここまで。また気が向いたら、写真を追加できれば。

5) 最後に。解決策を探すのは難しいけど、これからも考えたい

 展示会場に、感想や仏像を守るためのアイデアを書いて貼るコーナーがあった。何と書けばよいのかわからなかったが、普段思っていることを書いてみた。
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 うーん、難しい。字も下手だ。夜行バスで到着したばかりで、頭が動いていなかったと言い訳しておこう。しかも、なんだか後ろ向きのコメントだ。
 でも、これを書いている今(7月18日)、とても前向きな気持ちになっている。それは上にも書いたように、仏像を守りたいと思っている人が私だけではないと信じられるからだ。これからも考え続けたいし、役に立てることがあれば協力したい。
 そう思えるようになったのはこの展覧会のおかけだと思う。とてもよい展覧会だった。最後に、その旨を改めて申し添えたい。

【東京】 護国寺の大自在天から桂昌院の毛髪!?

 東京・護国寺の四万六千日法要を参拝した。
 7月9日と10日の夜7時から法要があり、ご本尊如意輪観音様も開帳となる。
 夜の照明に荘厳された堂内の美しさ、そして、読経と太鼓の力強さに魅せられ、ここ数年通っている。法話も心にしみる。
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 法要終了後、内陣に入り、普段は秘仏如意輪観音さまをすぐそばから拝ませていただく。
 深く首を下に傾け、それを支える右手がなまめかしい。ご尊顔が平安時代のもの。それ以外は後補だそうだ。宝冠や瓔珞が比類なきほどゴージャス。江戸幕府五代将軍綱吉の生母、桂昌院様が創建した寺にふさわしいご本尊様ではないか。
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 今回驚くことがあった。三十三応現身像のうち、向かって左側に、一体だけやたらと色彩の新しい像がある。大自在天様だ。このお像が先ごろ転倒したため、修復に出したそうだ。すると、頭部から毛髪が見つかったのだという。
 伝承では、護国寺の三十三応現身像の各像に桂昌院様が自らの毛髪を収めたとされている。それが今回、裏付けられたという説明だった。
 大自在天様の前列にお並びだった比丘像も、大自在天様の転倒に巻き込まれて壊れたため、現在修復中なのだとか。

 さらっと説明されていたが、これは大ニュースなのでは? DNA鑑定しないのだろうか??

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【展覧会】奈良大和四寺のみ ほとけ展〜とりあえず1回目の感想: 室生寺の十一面観音さまに息をのみました〜

名称=「奈良大和四寺のみほとけ」
会場=東京国立博物館11室
期間=2019年6月18日(火) ~9月23日(月・祝)
観覧日=2019年6月29日
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 大好きな奈良から御仏像が東京に。こんなにありがたいことはない! 何回でも通いたいところだが、取り急ぎ、1回目の感激を叫びたい。

1. 入り口ですでに感涙

 上野駅を出て東京国立博物館に向かうと、上野公園の噴水越しに、本館が見える。数十年前から数えきれないほど通っているので、この景色も数えきれないほど眺めている。しかし、今のトーハクはいつもとは違う!
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 この写真、右の方のバナーに、なんと室生寺弥勒堂の釈迦如来さま(国宝、9世紀、106.3cm)が見える。「奈良大和四寺のみほとけ」という企画展で、室生寺長谷寺、岡寺および安倍文殊院の至宝が出陳されているのだ!! 室生寺の釈迦如来さまの横顔の写真が遠くに見えただけで、胸にこみ上げるものがあった。
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 この距離(↑)で再度立ち止まり、涙ぐむ。もったいなくて、入館するのを躊躇してしまう。
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 ああ、本当に写真だけでも素敵。このバナーを見上げ、大きく深呼吸。そして、会場に入った。
 釈迦如来様、そして、大和の四寺のみほとけさま、よくぞ東京に起こしくださいました。本当にありがたいです。感涙から号泣です。
 実は、この釈迦如来様は、室生寺弥勒堂の修理のため、最近まで奈良国立博物館の常設展におられ、奈良に行くたびにお会いしていた。静かなご尊顔。鎬の立つ複雑な衣文や渦文。若々しく大きなお背中。左肩から後方に立体的に下りる衣。大きな水かき。お会いするたびにに息をのむ。そして、自分の内なる汚れが浄化されるような気がする。大好きとか素敵とか、そんな単純な言葉では伝えきれないほどの存在なのだ!
 バナーだけで泣けてしまうのは、きっと私だけではないはず。
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(写真は室生寺公式サイトより)

2. 室生寺の十一面観音さまの比類なき美しさ

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(写真は本展公式サイトより)
 さらに、特筆すべきは、室生寺金堂の十一面観音(国宝、9-10世紀、196.2cm)ではないだろうか。妖麗と無垢が混ざり合う表情を間近で拝し、私はただ感嘆の吐息を繰り返すしかなかった。
 大きく山を描く眉。その下の細い目。ふっくらした頬。赤い唇はほんの少し前に突き出すようだ。頭上に一列に化仏が並ぶさまもたまらない。そして、瓔珞がこれほど見事だったとは今まで気づかなかった。宇陀市文化財サイトによると、瓔珞も当初のままなのだそうだ。
 さらに、数年前、仙台市立博物館※1)にお出ましのときと違って、今回は板光背もお出ましである。この観音様はこの光背と共にあるべきなのだと実感する。光背によって、さらに美しさと神々しさが増す。(ただ、この板光背は後の時代のものらしい。ウィリアム・モリスのようにも見えるのはそのためか)
 それにしても、こんなに艶やかで、しかも、”うぶ”な表現が他にあるだろうか!

3. 実はとんでもない三尊なのです

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 現在の室生寺金堂内陣では、上の写真のように立像がまつられている(写真は本展の図録より)。
 展示会場の説明によると、室生寺金堂の中尊薬師如来立像(現在は釈迦如来としてまつられる)の脇侍が、この十一面観音さまと、今は室生三本松におられる地蔵菩薩さまだったと考えられるのだそうだ
 三本松の地蔵菩薩といえば、安産寺の地蔵菩薩様に他ならない。今回お出ましではないが、この安産寺の地蔵菩薩様がまた唸るほどに美しいのだ!! この三尊がお並びのところをいつか拝みたいものだ。
 現在この展覧会に室生寺金堂の地蔵菩薩立像がお出ましなのだが、その板光背は本来、この安産寺地蔵菩薩立像のものだったとされる。もし上記三尊がお並びになるときには、この板光背もぜひご一緒で.....と、私の欲求はさらに高まってしまう。
 そんなわけで、拾ってきた画像※2)で、こんなコラージュを作ってしまった。
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 美しい! 右端が安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺地蔵菩薩様は現在は小さな円光背をお持ちなのだが、このコラージュでは、本来この安産寺地蔵菩薩様のものだったとされる板光背と合わせた画像を選んでみた。
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 上の画像はこの板光背のアップ(本展図録より)。今は室生寺金堂の地蔵菩薩立像と合わせてまつられている。本展には、この現在の金堂地蔵菩薩立像と板光背が出陳されている。

 ただ、こうして鼻息荒く書いてしまうと、心配になってくるのが、安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺は地元の方々が管理されている小さなお堂だ。あまり騒ぎ立てず、静かな環境を維持しなければという気持ちもある。
 「夢の三尊同時拝観」と「安産寺の静寂」は両立できるのだろうか。もし難しいのであれば、私は迷わず静寂を選びたい。仏像ファンの思いは複雑でいて、根本のところはシンプルなのだ。みほとけのお像とそれをお守りする方々の幸せを最優先に考えたい。

追記 安産寺の情報

 安産寺の地蔵菩薩さまはファンが多く、ブログに感動を寄せている人も少なくない。中でも、室生寺と安産寺が大好きな友人、ソゾタケさんのブログをご紹介したい。なんと、安産寺地蔵菩薩様が、室生寺地蔵菩薩様の光背を背負った画像もあります! 1993年「大和古寺の仏たち」展(東京国立博物館)の時の画像だそうで、上のコラージュに使わせていただきました。安産寺の地蔵菩薩様とその管理者の皆様への愛に満ちたソゾタケブログで、皆さん泣いてくださいーー。
安産寺(奈良県宇陀市室生区)― 住民とともにある地蔵菩薩の心 | 祇是未在

参考文献

本展図録
室生寺ホームページ
宇陀市文化財サイト

※1) 2014年「国宝室生寺の仏たち」仙台市博物館東日本大震災復興祈念特別展)
※2) 中尊の画像は奈良大和四寺巡礼サイト、十一面観音の画像は本展公式サイト、安産寺地蔵菩薩さまの画像は上記ソゾタケ氏ブログより。コラージュにあたり、各写真の縮尺がうまく出せなかった。中尊は比率的にもう少し長身なので、心の中で拡大していただきたくm(_ _)m