ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【埼玉】高山不動尊〜修験者を鼓舞する軍荼利明王は乙女心も鷲掴みする〜

 埼玉県飯能市高山不動尊(高貴山常楽院)には、11世紀頃の一木造りの軍荼利明王立像(重要文化財)がおられる。山の修験者を鼓舞するようなかっこよさで、仏像好きの乙女心も鷲掴みにする。

 しかし、お寺はかなり山奥にあるし、いつでも拝めるわけではない。ご開帳日は年に一回、冬至の日のみ。しかも11:30〜13:00頃と決まっている。この日だけは吾野駅から無料のシャトルバスが出るが、1台のみのピストン移動。そして、バスを下車してもなお、山道をかなり歩かなければならない。 つまり、拝観のハードルは高い。

 しかし、それでも、どうしても拝観したくなるのが高山不動尊なのである。

 今年の冬至は12月22日。私にとって8年ぶり、3回目となるお参りができた。冬至の風物詩として毎年お参りしたいと思ってきたが、諸事情あり、8年も経ってしまった。今回は、埼玉県在住の優しい友人夫妻とご一緒させていただいた。車を出してくださり、高山不動尊に加えて、さらに二か寺(長念寺と等覚院)もお参りできた。

1. 高貴山常楽院(埼玉県飯能市

1-1) 軍荼利明王立像

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 檜一木造り。228.8cm。重要文化財。ギョロっとした両目。高くて大きな鼻。長い両脚は右膝が少し前に出る。膝の辺りの衣の裾が上に翻るのは、軍荼利様が山に舞い降りた瞬間だからという説を伺ったことがある。蛇が身体に絡みつくのもたまらない。かっこよい!
 八臂のうち、右手は三鈷杵を持ち、拳印と施無畏印を結ぶ。左手には鉾と宝輪を持つ。そして、軍荼利さまと言えば、胸の前で腕を交差する大瞋印(だいしんいん)。かっこよい!! 私のわずかな記憶の限りでは、左腕を上にすることが多いので、軍荼利さんは左利きなのだと思っている。誰か軍荼利明王の利き腕調査をしてくれないだろうか。
 今回初めて、軍荼利明王様の後ろに回って拝むことができた。横から見ると、思いのほか体部が薄かった。間近で見る木目は美しく、力強かった。
 おそらく地方仏師の手によるであろう11世紀の異形像。力強さと緊張感とともに、どこかのんびりとした大らかさを感じるのは私だけだろうか。修験者を厳しく、そして、優しく力づけたことだろう。
 思い出すのが、滋賀県栗東市・金勝寺の軍荼利明王立像である。金勝寺の軍荼利さまも、山道を登ったお寺に単体でまつられている。金勝寺の素晴らしさについては、話し出すと長くなるのでやめておくが、仏像が好きな方には全力でお勧めしたいお寺である。金勝寺の軍荼利明王は10世紀、360cmの巨像。大瞋印は右腕を前にして両腕をクロスする。こちらは右利きか…。

1-2) 薬師如来坐像f:id:butsuzodiary:20191227180933j:plain

 檜一木造り。69.8cm。県指定文化財
 肉髻と地髪部の境目がないところが大好き。本堂中央右手に安置。薄暗いお厨子の中、ろうそくのゆらめく光だけで拝む。同じお厨子の中に阿弥陀如来立像も。

 この軍荼利明王薬師如来については、桂木寺の伝釈迦如来坐像(埼玉県毛呂山町歴史民俗資料館)との関係性が気になる。高山不動尊のある高山と、桂木寺のある桂木山は距離的に近く、山岳修験の盛んな地域だった。
 この2か寺の西には秩父がある。さらに、高山不動尊の西南には子の権現があり、そこからさらに南下すると青梅の安楽寺もある。そして、安楽寺にも単体の軍荼利明王立像が残ることを申し添えたい。このように地図を見ると、この辺りの山岳地帯がにわかに気になってくる。
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 特に、仏像史の観点から、高山不動尊軍荼利明王立像と薬師如来坐像と桂木寺の如来坐像との相似性は指摘されるところである。桂木寺に残る旧仏は、資料館の釈迦如来坐像をのぞき、基本的に非公開と聞いている。いつか拝観したいものだ。

1-3) 五大明王

 本堂の正面右手、雛壇上に安置される。尖った火炎光背が五大明王様のかっこよさをさらに増強させる。生駒の堪海さんの不動三尊を思い出した。

2. 長念寺(埼玉県飯能市聖観音坐像f:id:butsuzodiary:20191227181020j:plain

 58.2cm。檜の寄木造り。県指定文化財。お優しいお顔。法衣垂下のエレガントなお姿。堂外からの拝観だが、堂内に明かりがついているので、思った以上によく見える。双眼鏡で覗いて、優美さを堪能。

3. 等覚院(埼玉県東松山市阿弥陀如来坐像

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 檜の寄木造り。漆箔。彫眼。88cm。なんと重要文化財。平安末期の上品さに、鎌倉初期の生彩さを加味。
 東松山市文化財サイトによると、胸から腹部にかけての胎内に墨書銘があり、「鎌倉時代中期の建長5(1253)年4月に、大木壇那阿闍梨明秀が大佛子(師)僧定性をして修理させたものであることが明らかになって」いる。「本像を修理した定性は、翌年の建長6(1254)年に滑川町の泉福寺の木造阿弥陀三尊像を修復した佛師定生房と同一人物と考えられ、この地方で活動した地方佛師の一人と想定」されている。
 「修理」というのが本当なら、造立後さほど間をおかずに修理されたことになる。何があったのだろう。修理といいながら、この時期に新たに造り直したという可能性はないのだろうか。
 いつか滑川町・泉福寺の阿弥陀三尊を拝みにいきたい。

4. 参考

飯能市文化財サイト(高山不動尊軍荼利明王薬師如来および長念寺の聖観音坐像)
有形文化財(彫刻)|飯能市-Hanno city-
東松山市文化財サイト(等覚院の阿弥陀如来
木造阿弥陀如来坐像/東松山市ホームページ
○青木忠雄『埼玉の仏像巡礼』幹書房2011年

※飯能2か寺の仏像写真は飯能市文化財サイトより
※等覚院の阿弥陀如来坐像の写真は境内の看板より