ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【展覧会】大新田氏展@群馬県立歴史博物館

展覧会=群馬県立歴史博物館 第98回企画展「大新田氏展」
会期=2019年4月27日〜6月16日
訪れた日=2019年6月1日
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1) なぜ大新田氏展に行こうと思ったのか

 私はただの仏像好きであって、歴史に強いわけではなく、ましてや新田義貞に詳しいわけでもない。しかし、彼は身近な存在だ。
 故郷の上州で挙兵し、鎌倉幕府の打倒を目指して南進した義貞。私の生活圏の近くに、彼が鎌倉へ向かう途中の合戦の地、分倍河原がある。その地には今、義貞の勇ましい騎馬像がある。私は仏像好きなのであって(しつこいw) 、武者像には萌えないのであるが、なぜかこの義貞像には励まされる。
 また、この義貞像の近くには、義貞が上州から持ってきたと伝わる阿弥陀如来立像(東京都府中市・上染屋不動堂、国重文)が残る。1261年に上野国八幡庄で造立された旨の陰刻のある、善光寺式の小さな銅像だ。両脇侍の行方は不明のまま。年に2回だけ公開されるこの阿弥陀像が私は大好きだ。死と隣り合わせの日々を送る武士が阿弥陀仏に祈ることの意味を想像する。今回の展覧会に出陳されなかったのは残念だ。
 まあ、要するに、知識は浅いが、義貞さんが気になる。だから、本展を観に行くことにした。
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(↑東京都府中市に残る義貞ゆかりの阿弥陀如来立像。2010年筆者撮影)

2) まずはやはり義貞

 会場では、新田義貞の生涯をたどる映像がエンドレスで上映されていた。まずは、この映像で勉強する。
 そして、会場入り口の前には、大河ドラマ太平記」(1991年)で、根津甚八が着用した鎧をさっと見る。この太平記では、新田義貞の役の俳優が途中から根津さんに変更になったことを思い出した。変わる前の俳優さんがカリスマ的な個性だったと記憶しているのだが、なぜ変更になったのだろう。
 会場内に入り、新田義貞が所用したと伝わる鉄製銀象嵌兜鉢(福井県福井市藤島神社、国重文)を見る。これは17世紀に土中から発見されたそうだ。田を耕していた農民が見つけたと伝わる。ただ、藤島神社のサイトによると、室町の制作とする専門家の説もあるそうだ。義貞のものかどうかは議論があるということになる。
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(写真は藤島神社のサイトより)

3) 不動明王立像(太田市総持寺、平安後期、県指定文化財

 やはり気になるのは仏像だ。
 Twitterを見る限り、仏像クラスタから本展覧会への反響が少ないようで、もったいないと感じる。その理由をあえてあげるなら、公式写真が非常にのっぺりしていて、仏像の良さが伝わりにくいという点があるのではないだろうか。
 この不動明王立像については特に、そう感じた。本展のチラシやポスターに掲載されている本像の写真はこちら。
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 写真からは、平たく穏やかな印象である。
 しかし、現地で間近に見上げると、ご尊顔の凄みにひるんでしまう。
 右眼を見開き、左眼をわずかにすがめる。止歯牙で下唇を噛む。両眼が顔の中央に寄り、眉と大きなお鼻が激しく飛び出すところに私は魅力を感じた。このお顔のゆがみと、それに伴う凄み。公式写真からは伝わらない魅力をぜひ間近で感じてほしい!
 頭髪は総髪で、垂らした辮髪がおしゃれ。像高は髪際高で3尺。一木造りで内刳りなし。
 太田市のサイトによると、「新田氏の祖とされる新田義重(1135~1202)が館の一隅に建立した護摩堂(ごまどう)の本尊であったといわれていますが、これを証する資料は残っていません」
 本像は群馬県立歴史博物館に寄託されているそうなので、またお会いできる機会があるかもしれない。

4) 伝新田義貞椅像(総持寺鎌倉時代太田市指定文化財

 両眼を見開いて大きくつり上げ、口を開いて歯と舌を彫出。2尺余りの小さな像だが、非常にかっこよい。義貞像と伝わるが、随身像の可能性が高い。
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(写真は太田市のサイトより)

5) 神像(十二所神社、1259年、太田市指定文化財

 十二所神社本殿にまつられる16躯のうち5躯。30センチほど。会場のほどよいライトのもと、生き生きとした表情が伺えた。
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(写真は太田市のサイトより)
 十二所神社の近く、円福寺太田市別所町)からは南北朝時代毘沙門天立像(文化財未指定)が出展。いつか現地を訪ねたい。
太田市|新田荘遺跡(円福寺境内)

6) 阿弥陀三尊像(桐生市・青蓮寺、鎌倉時代、国重要文化財

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 善光寺阿弥陀三尊。中尊阿弥陀如来像は44.6cm、右脇侍の勢至菩薩像は33.3cm、観音菩薩像は33.2cm。高い技術による出色の完成度。

7) 石造薬師如来坐像鎌倉市・九品寺、1296年の陰刻あり、神奈川県指定文化財

 穏やかな石造の薬師さま。現在は鎌倉国宝館に寄託されているそうだ。九品寺は鎌倉材木座にある浄土宗寺院で、新田義貞建武3年(1336)、鎌倉攻めの戦没者を弔うために創建した。この薬師さまはお寺の創建より遡る古像である。ご本尊は宋風の阿弥陀三尊立像で、堂外から覗かせていただいたことがある。

8) 二天像(太田市明王院南北朝時代、市指定文化財

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 明王院の二天門に安置される二天像。気品とリズミカルな動きを感じる。桧の寄木造り。持国天(写真右)が118.6cm、増長天が119.2cm。
 明王院不動堂には、不動明王が二尊まつられる。このうち一つは、義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身し、越後方面の新田一族に一夜にして触れ回ったことから、新田触不動として知られる。一寸八分(約5.5センチ)の白金製の不動明王像だそうだ。

9) 阿弥陀三尊(福井県坂井市称念寺、鎌倉〜室町、市指定文化財

 三尺の阿弥陀如来立像と二尺の観音勢至両菩薩。脇侍は腰を屈めた来迎のかたち。
 

10) 複製のみの展示(正法寺聖観音と渋川の宮田不動)

 太田市正法寺聖観音立像(鎌倉時代、県指定文化財)と渋川・不動寺の石造不動明王立像(1251年、国重文) は、展示館所蔵の複製が展示されていた。
 渋川の不動明王立像は院派の作で、毎年1月28日にご開帳。
群馬県・宮田不動尊ご開帳: ぶつぞうな日々 PARTII
 正法寺聖観音さまは藤原時代の気品も感じる、総高155cmの美しいお姿。太田市のサイトによると、12年に一度のご開帳。いつかお会いしたい。
太田市|正法寺聖観音像

ちなみに八高線で行きました

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 八高線と言っても、知らない人がほとんどだと思う。東京の八王子と群馬の高崎を結ぶローカル線が八高線である。
 最近は新幹線とか湘南新宿ラインなんてものもでき、そちらで行くほうが早いのだが、義貞が通った道に近いのは八高線ルートのほうだ。
 のんびりと鈍行列車で揺られ続け、埼玉の奥地を通り抜け、高崎にたどり着いた。楽しいのんびり旅だった。
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↑上州に入るとこんな感じ。もうすぐ田植えでしょうか