名称=「奈良大和四寺のみほとけ」
会場=東京国立博物館11室
期間=2019年6月18日(火) ~9月23日(月・祝)
観覧日=2019年6月29日
大好きな奈良から御仏像が東京に。こんなにありがたいことはない! 何回でも通いたいところだが、取り急ぎ、1回目の感激を叫びたい。
1. 入り口ですでに感涙
上野駅を出て東京国立博物館に向かうと、上野公園の噴水越しに、本館が見える。数十年前から数えきれないほど通っているので、この景色も数えきれないほど眺めている。しかし、今のトーハクはいつもとは違う!
この写真、右の方のバナーに、なんと室生寺弥勒堂の釈迦如来さま(国宝、9世紀、106.3cm)が見える。「奈良大和四寺のみほとけ」という企画展で、室生寺、長谷寺、岡寺および安倍文殊院の至宝が出陳されているのだ!! 室生寺の釈迦如来さまの横顔の写真が遠くに見えただけで、胸にこみ上げるものがあった。
この距離(↑)で再度立ち止まり、涙ぐむ。もったいなくて、入館するのを躊躇してしまう。
ああ、本当に写真だけでも素敵。このバナーを見上げ、大きく深呼吸。そして、会場に入った。
釈迦如来様、そして、大和の四寺のみほとけさま、よくぞ東京に起こしくださいました。本当にありがたいです。感涙から号泣です。
実は、この釈迦如来様は、室生寺弥勒堂の修理のため、最近まで奈良国立博物館の常設展におられ、奈良に行くたびにお会いしていた。静かなご尊顔。鎬の立つ複雑な衣文や渦文。若々しく大きなお背中。左肩から後方に立体的に下りる衣。大きな水かき。お会いするたびにに息をのむ。そして、自分の内なる汚れが浄化されるような気がする。大好きとか素敵とか、そんな単純な言葉では伝えきれないほどの存在なのだ!
バナーだけで泣けてしまうのは、きっと私だけではないはず。
(写真は室生寺公式サイトより)
2. 室生寺の十一面観音さまの比類なき美しさ
(写真は本展公式サイトより)
さらに、特筆すべきは、室生寺金堂の十一面観音(国宝、9-10世紀、196.2cm)ではないだろうか。妖麗と無垢が混ざり合う表情を間近で拝し、私はただ感嘆の吐息を繰り返すしかなかった。
大きく山を描く眉。その下の細い目。ふっくらした頬。赤い唇はほんの少し前に突き出すようだ。頭上に一列に化仏が並ぶさまもたまらない。そして、瓔珞がこれほど見事だったとは今まで気づかなかった。宇陀市の文化財サイトによると、瓔珞も当初のままなのだそうだ。
さらに、数年前、仙台市立博物館※1)にお出ましのときと違って、今回は板光背もお出ましである。この観音様はこの光背と共にあるべきなのだと実感する。光背によって、さらに美しさと神々しさが増す。(ただ、この板光背は後の時代のものらしい。ウィリアム・モリスのようにも見えるのはそのためか)
それにしても、こんなに艶やかで、しかも、”うぶ”な表現が他にあるだろうか!
3. 実はとんでもない三尊なのです
現在の室生寺金堂内陣では、上の写真のように立像がまつられている(写真は本展の図録より)。
展示会場の説明によると、室生寺金堂の中尊薬師如来立像(現在は釈迦如来としてまつられる)の脇侍が、この十一面観音さまと、今は室生三本松におられる地蔵菩薩さまだったと考えられるのだそうだ。
三本松の地蔵菩薩といえば、安産寺の地蔵菩薩様に他ならない。今回お出ましではないが、この安産寺の地蔵菩薩様がまた唸るほどに美しいのだ!! この三尊がお並びのところをいつか拝みたいものだ。
現在この展覧会に室生寺金堂の地蔵菩薩立像がお出ましなのだが、その板光背は本来、この安産寺地蔵菩薩立像のものだったとされる。もし上記三尊がお並びになるときには、この板光背もぜひご一緒で.....と、私の欲求はさらに高まってしまう。
そんなわけで、拾ってきた画像※2)で、こんなコラージュを作ってしまった。
美しい! 右端が安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺地蔵菩薩様は現在は小さな円光背をお持ちなのだが、このコラージュでは、本来この安産寺地蔵菩薩様のものだったとされる板光背と合わせた画像を選んでみた。
上の画像はこの板光背のアップ(本展図録より)。今は室生寺金堂の地蔵菩薩立像と合わせてまつられている。本展には、この現在の金堂地蔵菩薩立像と板光背が出陳されている。
ただ、こうして鼻息荒く書いてしまうと、心配になってくるのが、安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺は地元の方々が管理されている小さなお堂だ。あまり騒ぎ立てず、静かな環境を維持しなければという気持ちもある。
「夢の三尊同時拝観」と「安産寺の静寂」は両立できるのだろうか。もし難しいのであれば、私は迷わず静寂を選びたい。仏像ファンの思いは複雑でいて、根本のところはシンプルなのだ。みほとけのお像とそれをお守りする方々の幸せを最優先に考えたい。