ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【テレビ】運慶のテレビに大興奮!(2008.9.14記事の再掲)

※2008年9月14日に書いた記事を再掲します。今日、山本勉先生の講義を受講したのですが、その時に、下記(4)の女性のお話を伺った記念です笑。現在も研究者としてご活躍されているそうです。素晴らしいお話で、感動しています!



 テレビを観て、久しぶりに興奮した!
 NHK bs-hiで9月8日に放送された『流転の運慶仏~“大日如来像”の謎を探る~』である。

 今年3月にニューヨークでオークションにかけられた運慶工房の作品とされる大日如来坐像に関する番組だった。

 ここ「ぶつぞうな日々」で何度か書いているが、これは大変美しい黄金の仏様である。東京国立博物館で何度もお会いしているが、決して飽きることがない。

 それにしても、今回のテレビ番組になぜにこれほど感動し、興奮したのか。そのポイントを説明したい。

(1) まず、興奮したのが、この作品の発見から、運慶作品であることが解明されていく経緯を紹介するくだりである。
 数年前に東京国立博物館で鑑定結果が発表され、その時に、鑑定結果をまとめた論文を読んでいたので、同じ栃木県足利市光得寺に伝わった同型の運慶作の大日如来像(以下「光得寺大日如来像」という)との比較や、レントゲン写真で確認される心月輪といった流れはすでに知っていた。
 こうしたストーリー自体が興奮するものではあるが、論文で読んだときと違うのは、説得力のあるナレーションと音楽付きで解説され、人為的に臨場感が高められているという点だ。この演出にまんまとのせられたわけである。
 また、この放送で、さらに多くの人が運慶のことを知ることになるという事実にも心が動かされた。それは嬉しいことでもあるが、自分の子どもを世に送り出すのに似た寂しさも感じられた。私は、なんとも愚かなことに、勝手にこの運慶作品を自分の子ども同様に考えていたのだった。

(2) 次に注目したのが、この作品の願主である足利義兼についてである。
 足利義兼は源氏の武士で、北条時政の二女、つまり北条政子の妹を正室に迎えている。
 静岡県の伊豆にある願成就院北条時政が建てた寺で、不動明王と二童子の像や毘沙門天像など、運慶の会心の作品が残されている。つまり、運慶は若いときに関東に実際に滞在し、鎌倉の人間と会い、いくつか作品を残しているのである。
 足利義兼は源頼朝のような歴史のスターではないが、こうした血縁から運慶に造仏を依頼できたのだろう。足利義兼がこの仏様にどのような願いを込めたのか。運慶と実際に言葉を交わしたのか。歴史への思いは募るばかりである。

(3) さらに、東京国立博物館の元学芸員で、今回の運慶作品の研究に携わった山本勉氏と、運慶の研究家の熊田由美子氏もテレビに登場した。
 お二人の著作は何度も読み返しており、尊敬している研究者なので、とても嬉しかった。
 西村公朝さんが亡くなられた今、このお二人にはもっとテレビに出て、仏像の宣伝をしていただきたい。

(4) お二人ほど高名な方ではないが、足利に住む女性の方が紹介された。若いときから仏像が好きで、近くのお寺にある仏像を大学の卒業論文のテーマに選び、古文書を調べたという。それが、光得寺の大日如来像だった。光得寺大日如来像は今から17年前、やはり山本勉氏の手によって運慶作品であることが判明したのだが、そのきっかけとなったのが、この女子大生の研究だったのだという。
 なんというか、強く胸を打たれる事実だった。
 私も地元にいつくか好きな仏像や石仏がある。奈良の仏像が好きで、奈良に生まれなかったことを悔やんだこともあったが、地元の仏像を愛する気持ちを大切にしようと改めて思った。そして、これからも仏像とその歴史について真摯に勉強していこう。とても勇気付けられるエピソードだった。

【展覧会】和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし―守り伝える人々のいとなみ―」

【展覧会】「仏像と神像へのまなざし―守り伝える人々のいとなみ―」
【会場】和歌山県立博物館
【会期】2019.4.27-6.2
【訪れた日】2019.04.30
f:id:butsuzodiary:20190718195808j:plain

 はるばる出かけた甲斐があった。出展された仏像・神像の質と量もさることながら、「これまで受け継がれてきた仏像神像を今後どうやって守っていくのか」という大きな問題に真っ向勝負する姿勢。腹底から絞り出すようなその叫びが確かに聞こえた。私のような若輩ではすぐに解決策が見いだせない難問だ。その叫びを胸においたまま、これを書いている。

1)こんな展示構成でした

 展示はまず、明治初めの神仏分離廃仏毀釈による影響の例から始まる。
 続いて、明治30年古社寺保蔵法の施行などにより、仏像神像を「歴史の証徴」「美術の模範」として保護する制度が整えられたことを鑑査状の実物や新納忠之助の資料などで説明。
 さらに、こうした歴史を経て、和歌山県に伝えらた仏像神像が数多く展示される。全部で76体。このうち、国宝4体を含む40体が指定文化財。その質と量に興奮する。
 展示の最後に、和歌山で相次ぐ仏像神像の盗難被害と3Dプリンタによるお身代わり像の制作の例が紹介される。過疎化高齢化する地方でどうやって仏像神像をお守りしていくのかーー。学芸員大河内さんの叫びが聞こえてきた。

2) 地方仏の問題は日本全体の課題!

 地方の仏像を訪ねていると、貴重な仏像が過疎化高齢化する地元の人々によって守られている現実を知り、日本の未来を案じることもしばしばある。この和歌山県立博物館の展覧会はそうした現実に直球勝負するものだ! そこがこの展覧会の肝だと思う。

3) 撮影可能というぜいたく。そして、図録は買おう。

 なお、会場内の展示資料は、ごく一部を除き、撮影可能。SNSへの個人的な投稿もOKとなっている。私は最初に図録を購入し、図録写真とは別の角度から、私なりの目線でいくつか撮影させていただいた。こんな幸せがあるだろうか。耳のアップとか、瓔珞だけとか、足元だけとか、そんなマニアックな撮影が楽しい! そして、勉強にもなる! 図録の解説を読めば、帰ってから復習もできる!
 会期後半だったろうか、大河内さんが、図録販売が伸びないのは撮影可能にしたせいだろうか、と嘆いておられた。私は言いたい。写真を撮るだけ撮って図録を買わないとは、言語道断である。某政治家のように「恥を知りなさーい!」と一喝したいところだ。撮影可能にした意味がお分かりでない人、そして、図録購入が今後の和歌山県博の活動にプラスになると気づかない人、そんな人は、仏像ファンとは認めないですわよ。

4) 印象に残った仏像は

 質も量も半端ない展覧会だったが、個人的に特に印象に残ったお像をご紹介したい。

4-1) 有田市円満寺 十一面観音立像(奈良時代中頃~後半 重要文化財 113.8㎝)

 1998年奈良国立博物館で開催された「天平」展の図録を最近よく眺めているのだが、その中にこの十一面観音像もあった。円満寺への行き方を調べているところで、本展にお出ましと気づいた。写真で何度も観た憧れの観音像にお会いでき、感無量である。
 飛鳥時代を思わせる衣の左右対称なところ、少し厳しめのご尊顔、そして、豪華な胸飾りにときめいてしまう。瓔珞は「東大寺唐招提寺天平彫刻との類似」(図録より)が指摘されているのだそう。また、「肉身部の金箔は後補で、当初は素木で仕上げた、代用材による檀像彫刻の貴重な残存事例」(図録より)とのこと。動きが感じられず硬い印象はあるが、そんなところも上品で魅力的に思えてくる。かわいい!

f:id:butsuzodiary:20190718184315j:plain
胸飾に注目!
f:id:butsuzodiary:20190718185846j:plain
円満寺十一面観音 全身

4-2) 印南町・名杭観音講 十一面観音立像(平安9-10世紀 県指定文化財 141.7㎝)

 一目見たら忘れらない重厚なお像である。平安前期の観音像をガラスケース越しながら、間近で拝めむことができた。しかも、360度(さんろくまる)である。法量より大きく感じた。
 図録では、舌状の垂髪について、和歌山市・慈光円福院の十一面観音立像(9世紀末~10世紀初頭)との類似性が指摘されていた。慈光円福院の観音様も平安前期の強烈な印象のお像だったことを覚えている。
 名杭観音堂は昨年9月の台風で屋根に被害が及び、それを契機に、保存と継承のためにできることを検討し、今回の出陳にいたったとのこと。この観音像はなんとしても守らなければ。クラウドファンディングに協力することぐらいしか思いつかないことが歯がゆいが、私のような人間でも未熟ながら一助となりたい。そして、そのように考えるのは私だけはないはずだ。

f:id:butsuzodiary:20190718184801j:plain
名杭観音講 十一面観音立像ご尊顔
f:id:butsuzodiary:20190718184850j:plain
名杭観音講 十一面観音 どうしてもこの角度で撮りたくなる

4-3) 有田川町・法福寺 観音菩薩立像と地蔵菩薩立像(平安10世紀、町指定文化財 観音113.0cm 地蔵98.9cm)

 尖らせたくちびると旋転文がたまらない。法福寺は阿弥陀如来像と二十五菩薩像もおられる(2013年「極楽へのいざないー練り供養をめぐる美術ー」岡山県立博物館に出展)。いつかお参りしたい。
 

f:id:butsuzodiary:20190718185034j:plain
法福寺の観音像 突き出したくちびる
f:id:butsuzodiary:20190718185303j:plain
法福寺観音立像 旋転文がたまりません
f:id:butsuzodiary:20190718190021j:plain
法福寺・地蔵菩薩立像 くちびるが観音像と似る

4-4) 海南市・善福院 薬師如来立像(平安12世紀 市指定文化財 95.2cm)

 千葉県いすみ市の行元寺で定朝様の阿弥陀如来立像にお会いしてから、定朝様の立像が気になっていた。解説に「顔も肩も丸く、お腹はぽっこりと出て緊張を解いた姿。これぞ定朝様式の美のかたち」とあり、それを何度も読み返してしまった。こういう直感的な解説、私にはとても分かりやすい。この緊張を解いたゆるやかなお姿に癒される。

f:id:butsuzodiary:20190718192751j:plain
海南市・善福院 薬師如来立像

4-5) 所有者不明 阿弥陀如来坐像(平安10-11世紀 55.8cm)

 和歌山県では2010年から翌年春にかけて、山間部の小さな寺院・神社を中心に仏像などの盗難が頻発。その数は、警察に被害届が出ているだけでも60件(仏像172体以上)に及ぶ。2011年4月に窃盗犯が逮捕され、犯人の手元にあった盗難品は押収し、仏像の一部は古物商から回収したものの、依然として43点(破片も含む)が所蔵者不明なのだという。この阿弥陀如来坐像もその一つで、今は和歌山県立博物館が保管している。悲しい。
 肉髻と地髪部の段差が緩やかなところが特徴で、一目で胸がきゅんとした。平安時代中頃、10世紀末から11世紀初めごろの作風。台座の框に「建立者野上下津野出生当寺現住真性 施主当村喜兵衛」などと記載あり。
 どうか本来の所有者が見つかりますように。

f:id:butsuzodiary:20190718192100j:plain
肉髻の段差が不明瞭で、ニット帽をかぶったように見える
f:id:butsuzodiary:20190718192321j:plain
所蔵者がみつかりますように

 他にもたくさん気になる仏像・神像が出展されていた。写真もたくさん撮ったのだが、今日はここまで。また気が向いたら、写真を追加できれば。

5) 最後に。解決策を探すのは難しいけど、これからも考えたい

 展示会場に、感想や仏像を守るためのアイデアを書いて貼るコーナーがあった。何と書けばよいのかわからなかったが、普段思っていることを書いてみた。
f:id:butsuzodiary:20190718195951j:plain
 うーん、難しい。字も下手だ。夜行バスで到着したばかりで、頭が動いていなかったと言い訳しておこう。しかも、なんだか後ろ向きのコメントだ。
 でも、これを書いている今(7月18日)、とても前向きな気持ちになっている。それは上にも書いたように、仏像を守りたいと思っている人が私だけではないと信じられるからだ。これからも考え続けたいし、役に立てることがあれば協力したい。
 そう思えるようになったのはこの展覧会のおかけだと思う。とてもよい展覧会だった。最後に、その旨を改めて申し添えたい。

【東京】 護国寺の大自在天から桂昌院の毛髪!?

 東京・護国寺の四万六千日法要を参拝した。
 7月9日と10日の夜7時から法要があり、ご本尊如意輪観音様も開帳となる。
 夜の照明に荘厳された堂内の美しさ、そして、読経と太鼓の力強さに魅せられ、ここ数年通っている。法話も心にしみる。
f:id:butsuzodiary:20190710094635j:plain

 法要終了後、内陣に入り、普段は秘仏如意輪観音さまをすぐそばから拝ませていただく。
 深く首を下に傾け、それを支える右手がなまめかしい。ご尊顔が平安時代のもの。それ以外は後補だそうだ。宝冠や瓔珞が比類なきほどゴージャス。江戸幕府五代将軍綱吉の生母、桂昌院様が創建した寺にふさわしいご本尊様ではないか。
f:id:butsuzodiary:20190715112350j:plain

 今回驚くことがあった。三十三応現身像のうち、向かって左側に、一体だけやたらと色彩の新しい像がある。大自在天様だ。このお像が先ごろ転倒したため、修復に出したそうだ。すると、頭部から毛髪が見つかったのだという。
 伝承では、護国寺の三十三応現身像の各像に桂昌院様が自らの毛髪を収めたとされている。それが今回、裏付けられたという説明だった。
 大自在天様の前列にお並びだった比丘像も、大自在天様の転倒に巻き込まれて壊れたため、現在修復中なのだとか。

 さらっと説明されていたが、これは大ニュースなのでは? DNA鑑定しないのだろうか??

f:id:butsuzodiary:20190710214446j:plain
f:id:butsuzodiary:20190710214511j:plain
f:id:butsuzodiary:20190710221536j:plain
f:id:butsuzodiary:20190710221604j:plain

【展覧会】奈良大和四寺のみ ほとけ展〜とりあえず1回目の感想: 室生寺の十一面観音さまに息をのみました〜

名称=「奈良大和四寺のみほとけ」
会場=東京国立博物館11室
期間=2019年6月18日(火) ~9月23日(月・祝)
観覧日=2019年6月29日
f:id:butsuzodiary:20190701234434j:plain

 大好きな奈良から御仏像が東京に。こんなにありがたいことはない! 何回でも通いたいところだが、取り急ぎ、1回目の感激を叫びたい。

1. 入り口ですでに感涙

 上野駅を出て東京国立博物館に向かうと、上野公園の噴水越しに、本館が見える。数十年前から数えきれないほど通っているので、この景色も数えきれないほど眺めている。しかし、今のトーハクはいつもとは違う!
f:id:butsuzodiary:20190701233017j:plain
 この写真、右の方のバナーに、なんと室生寺弥勒堂の釈迦如来さま(国宝、9世紀、106.3cm)が見える。「奈良大和四寺のみほとけ」という企画展で、室生寺長谷寺、岡寺および安倍文殊院の至宝が出陳されているのだ!! 室生寺の釈迦如来さまの横顔の写真が遠くに見えただけで、胸にこみ上げるものがあった。
f:id:butsuzodiary:20190701233247j:plain 
 この距離(↑)で再度立ち止まり、涙ぐむ。もったいなくて、入館するのを躊躇してしまう。
f:id:butsuzodiary:20190701233556j:plain
 ああ、本当に写真だけでも素敵。このバナーを見上げ、大きく深呼吸。そして、会場に入った。
 釈迦如来様、そして、大和の四寺のみほとけさま、よくぞ東京に起こしくださいました。本当にありがたいです。感涙から号泣です。
 実は、この釈迦如来様は、室生寺弥勒堂の修理のため、最近まで奈良国立博物館の常設展におられ、奈良に行くたびにお会いしていた。静かなご尊顔。鎬の立つ複雑な衣文や渦文。若々しく大きなお背中。左肩から後方に立体的に下りる衣。大きな水かき。お会いするたびにに息をのむ。そして、自分の内なる汚れが浄化されるような気がする。大好きとか素敵とか、そんな単純な言葉では伝えきれないほどの存在なのだ!
 バナーだけで泣けてしまうのは、きっと私だけではないはず。
f:id:butsuzodiary:20190703014149j:plain
(写真は室生寺公式サイトより)

2. 室生寺の十一面観音さまの比類なき美しさ

f:id:butsuzodiary:20190702070200j:plain
(写真は本展公式サイトより)
 さらに、特筆すべきは、室生寺金堂の十一面観音(国宝、9-10世紀、196.2cm)ではないだろうか。妖麗と無垢が混ざり合う表情を間近で拝し、私はただ感嘆の吐息を繰り返すしかなかった。
 大きく山を描く眉。その下の細い目。ふっくらした頬。赤い唇はほんの少し前に突き出すようだ。頭上に一列に化仏が並ぶさまもたまらない。そして、瓔珞がこれほど見事だったとは今まで気づかなかった。宇陀市文化財サイトによると、瓔珞も当初のままなのだそうだ。
 さらに、数年前、仙台市立博物館※1)にお出ましのときと違って、今回は板光背もお出ましである。この観音様はこの光背と共にあるべきなのだと実感する。光背によって、さらに美しさと神々しさが増す。(ただ、この板光背は後の時代のものらしい。ウィリアム・モリスのようにも見えるのはそのためか)
 それにしても、こんなに艶やかで、しかも、”うぶ”な表現が他にあるだろうか!

3. 実はとんでもない三尊なのです

f:id:butsuzodiary:20190703000915j:plain
 現在の室生寺金堂内陣では、上の写真のように立像がまつられている(写真は本展の図録より)。
 展示会場の説明によると、室生寺金堂の中尊薬師如来立像(現在は釈迦如来としてまつられる)の脇侍が、この十一面観音さまと、今は室生三本松におられる地蔵菩薩さまだったと考えられるのだそうだ
 三本松の地蔵菩薩といえば、安産寺の地蔵菩薩様に他ならない。今回お出ましではないが、この安産寺の地蔵菩薩様がまた唸るほどに美しいのだ!! この三尊がお並びのところをいつか拝みたいものだ。
 現在この展覧会に室生寺金堂の地蔵菩薩立像がお出ましなのだが、その板光背は本来、この安産寺地蔵菩薩立像のものだったとされる。もし上記三尊がお並びになるときには、この板光背もぜひご一緒で.....と、私の欲求はさらに高まってしまう。
 そんなわけで、拾ってきた画像※2)で、こんなコラージュを作ってしまった。
f:id:butsuzodiary:20190703095316p:plain
 美しい! 右端が安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺地蔵菩薩様は現在は小さな円光背をお持ちなのだが、このコラージュでは、本来この安産寺地蔵菩薩様のものだったとされる板光背と合わせた画像を選んでみた。
f:id:butsuzodiary:20190703021051j:plain
 上の画像はこの板光背のアップ(本展図録より)。今は室生寺金堂の地蔵菩薩立像と合わせてまつられている。本展には、この現在の金堂地蔵菩薩立像と板光背が出陳されている。

 ただ、こうして鼻息荒く書いてしまうと、心配になってくるのが、安産寺の地蔵菩薩様である。安産寺は地元の方々が管理されている小さなお堂だ。あまり騒ぎ立てず、静かな環境を維持しなければという気持ちもある。
 「夢の三尊同時拝観」と「安産寺の静寂」は両立できるのだろうか。もし難しいのであれば、私は迷わず静寂を選びたい。仏像ファンの思いは複雑でいて、根本のところはシンプルなのだ。みほとけのお像とそれをお守りする方々の幸せを最優先に考えたい。

追記 安産寺の情報

 安産寺の地蔵菩薩さまはファンが多く、ブログに感動を寄せている人も少なくない。中でも、室生寺と安産寺が大好きな友人、ソゾタケさんのブログをご紹介したい。なんと、安産寺地蔵菩薩様が、室生寺地蔵菩薩様の光背を背負った画像もあります! 1993年「大和古寺の仏たち」展(東京国立博物館)の時の画像だそうで、上のコラージュに使わせていただきました。安産寺の地蔵菩薩様とその管理者の皆様への愛に満ちたソゾタケブログで、皆さん泣いてくださいーー。
安産寺(奈良県宇陀市室生区)― 住民とともにある地蔵菩薩の心 | 祇是未在

参考文献

本展図録
室生寺ホームページ
宇陀市文化財サイト

※1) 2014年「国宝室生寺の仏たち」仙台市博物館東日本大震災復興祈念特別展)
※2) 中尊の画像は奈良大和四寺巡礼サイト、十一面観音の画像は本展公式サイト、安産寺地蔵菩薩さまの画像は上記ソゾタケ氏ブログより。コラージュにあたり、各写真の縮尺がうまく出せなかった。中尊は比率的にもう少し長身なので、心の中で拡大していただきたくm(_ _)m

【展覧会】大新田氏展@群馬県立歴史博物館

展覧会=群馬県立歴史博物館 第98回企画展「大新田氏展」
会期=2019年4月27日〜6月16日
訪れた日=2019年6月1日
f:id:butsuzodiary:20190615180729p:plain

1) なぜ大新田氏展に行こうと思ったのか

 私はただの仏像好きであって、歴史に強いわけではなく、ましてや新田義貞に詳しいわけでもない。しかし、彼は身近な存在だ。
 故郷の上州で挙兵し、鎌倉幕府の打倒を目指して南進した義貞。私の生活圏の近くに、彼が鎌倉へ向かう途中の合戦の地、分倍河原がある。その地には今、義貞の勇ましい騎馬像がある。私は仏像好きなのであって(しつこいw) 、武者像には萌えないのであるが、なぜかこの義貞像には励まされる。
 また、この義貞像の近くには、義貞が上州から持ってきたと伝わる阿弥陀如来立像(東京都府中市・上染屋不動堂、国重文)が残る。1261年に上野国八幡庄で造立された旨の陰刻のある、善光寺式の小さな銅像だ。両脇侍の行方は不明のまま。年に2回だけ公開されるこの阿弥陀像が私は大好きだ。死と隣り合わせの日々を送る武士が阿弥陀仏に祈ることの意味を想像する。今回の展覧会に出陳されなかったのは残念だ。
 まあ、要するに、知識は浅いが、義貞さんが気になる。だから、本展を観に行くことにした。
f:id:butsuzodiary:20190616230150j:plain
(↑東京都府中市に残る義貞ゆかりの阿弥陀如来立像。2010年筆者撮影)

2) まずはやはり義貞

 会場では、新田義貞の生涯をたどる映像がエンドレスで上映されていた。まずは、この映像で勉強する。
 そして、会場入り口の前には、大河ドラマ太平記」(1991年)で、根津甚八が着用した鎧をさっと見る。この太平記では、新田義貞の役の俳優が途中から根津さんに変更になったことを思い出した。変わる前の俳優さんがカリスマ的な個性だったと記憶しているのだが、なぜ変更になったのだろう。
 会場内に入り、新田義貞が所用したと伝わる鉄製銀象嵌兜鉢(福井県福井市藤島神社、国重文)を見る。これは17世紀に土中から発見されたそうだ。田を耕していた農民が見つけたと伝わる。ただ、藤島神社のサイトによると、室町の制作とする専門家の説もあるそうだ。義貞のものかどうかは議論があるということになる。
f:id:butsuzodiary:20190616142605j:plain
(写真は藤島神社のサイトより)

3) 不動明王立像(太田市総持寺、平安後期、県指定文化財

 やはり気になるのは仏像だ。
 Twitterを見る限り、仏像クラスタから本展覧会への反響が少ないようで、もったいないと感じる。その理由をあえてあげるなら、公式写真が非常にのっぺりしていて、仏像の良さが伝わりにくいという点があるのではないだろうか。
 この不動明王立像については特に、そう感じた。本展のチラシやポスターに掲載されている本像の写真はこちら。
f:id:butsuzodiary:20190615180531j:plain
f:id:butsuzodiary:20190615180704j:plain
 写真からは、平たく穏やかな印象である。
 しかし、現地で間近に見上げると、ご尊顔の凄みにひるんでしまう。
 右眼を見開き、左眼をわずかにすがめる。止歯牙で下唇を噛む。両眼が顔の中央に寄り、眉と大きなお鼻が激しく飛び出すところに私は魅力を感じた。このお顔のゆがみと、それに伴う凄み。公式写真からは伝わらない魅力をぜひ間近で感じてほしい!
 頭髪は総髪で、垂らした辮髪がおしゃれ。像高は髪際高で3尺。一木造りで内刳りなし。
 太田市のサイトによると、「新田氏の祖とされる新田義重(1135~1202)が館の一隅に建立した護摩堂(ごまどう)の本尊であったといわれていますが、これを証する資料は残っていません」
 本像は群馬県立歴史博物館に寄託されているそうなので、またお会いできる機会があるかもしれない。

4) 伝新田義貞椅像(総持寺鎌倉時代太田市指定文化財

 両眼を見開いて大きくつり上げ、口を開いて歯と舌を彫出。2尺余りの小さな像だが、非常にかっこよい。義貞像と伝わるが、随身像の可能性が高い。
f:id:butsuzodiary:20190615182521p:plain
(写真は太田市のサイトより)

5) 神像(十二所神社、1259年、太田市指定文化財

 十二所神社本殿にまつられる16躯のうち5躯。30センチほど。会場のほどよいライトのもと、生き生きとした表情が伺えた。
f:id:butsuzodiary:20190615210235j:plain
(写真は太田市のサイトより)
 十二所神社の近く、円福寺太田市別所町)からは南北朝時代毘沙門天立像(文化財未指定)が出展。いつか現地を訪ねたい。
太田市|新田荘遺跡(円福寺境内)

6) 阿弥陀三尊像(桐生市・青蓮寺、鎌倉時代、国重要文化財

f:id:butsuzodiary:20190615211401j:plain
 善光寺阿弥陀三尊。中尊阿弥陀如来像は44.6cm、右脇侍の勢至菩薩像は33.3cm、観音菩薩像は33.2cm。高い技術による出色の完成度。

7) 石造薬師如来坐像鎌倉市・九品寺、1296年の陰刻あり、神奈川県指定文化財

 穏やかな石造の薬師さま。現在は鎌倉国宝館に寄託されているそうだ。九品寺は鎌倉材木座にある浄土宗寺院で、新田義貞建武3年(1336)、鎌倉攻めの戦没者を弔うために創建した。この薬師さまはお寺の創建より遡る古像である。ご本尊は宋風の阿弥陀三尊立像で、堂外から覗かせていただいたことがある。

8) 二天像(太田市明王院南北朝時代、市指定文化財

f:id:butsuzodiary:20190616073434p:plain
 明王院の二天門に安置される二天像。気品とリズミカルな動きを感じる。桧の寄木造り。持国天(写真右)が118.6cm、増長天が119.2cm。
 明王院不動堂には、不動明王が二尊まつられる。このうち一つは、義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身し、越後方面の新田一族に一夜にして触れ回ったことから、新田触不動として知られる。一寸八分(約5.5センチ)の白金製の不動明王像だそうだ。

9) 阿弥陀三尊(福井県坂井市称念寺、鎌倉〜室町、市指定文化財

 三尺の阿弥陀如来立像と二尺の観音勢至両菩薩。脇侍は腰を屈めた来迎のかたち。
 

10) 複製のみの展示(正法寺聖観音と渋川の宮田不動)

 太田市正法寺聖観音立像(鎌倉時代、県指定文化財)と渋川・不動寺の石造不動明王立像(1251年、国重文) は、展示館所蔵の複製が展示されていた。
 渋川の不動明王立像は院派の作で、毎年1月28日にご開帳。
群馬県・宮田不動尊ご開帳: ぶつぞうな日々 PARTII
 正法寺聖観音さまは藤原時代の気品も感じる、総高155cmの美しいお姿。太田市のサイトによると、12年に一度のご開帳。いつかお会いしたい。
太田市|正法寺聖観音像

ちなみに八高線で行きました

f:id:butsuzodiary:20190616074310j:plain
 八高線と言っても、知らない人がほとんどだと思う。東京の八王子と群馬の高崎を結ぶローカル線が八高線である。
 最近は新幹線とか湘南新宿ラインなんてものもでき、そちらで行くほうが早いのだが、義貞が通った道に近いのは八高線ルートのほうだ。
 のんびりと鈍行列車で揺られ続け、埼玉の奥地を通り抜け、高崎にたどり着いた。楽しいのんびり旅だった。
f:id:butsuzodiary:20190616074413j:plain
f:id:butsuzodiary:20190616074500j:plain
↑上州に入るとこんな感じ。もうすぐ田植えでしょうか

2019年3月の仏像拝観リスト(千葉・埼玉・東京・兵庫丹波)

 2019年3月は千葉のいすみと鴨川、そして、埼玉の大宮へ。地味な展覧会に感動し、ブログを書きました。いすみ市郷土資料館「清水寺の仏像」展、鴨川市郷土資料館「鴨川のたからもの~指定文化財集合~」および埼玉県立歴史と民俗の博物館「東国の地獄極楽」展です。関東の地味な展覧会ですが、学芸員の地道な研究と関係者の愛を感じる展覧会でした。
 行元寺のご本尊阿弥陀如来立像は感動しました〜♡
 3月の最後に、兵庫県丹波へ。柏原と篠山の仏像を駆け足で巡りました。丹波の各寺で聞いたのは「光秀の丹波攻めで資料が残ってない」ということ。400年以上前の歴史を平安・鎌倉の仏像の御前で聞くという経験をしました。今日まで仏像が残されたことがありがたいです。
f:id:butsuzodiary:20190604011528j:plain
f:id:butsuzodiary:20190603090735j:plain


2019年

3月某日
東京都・半蔵門ミュージアム
 ここは都会のオアシス。運慶仏だけでなく、他の展示も充実。会津の法用寺伝来の梵王立像を間近で拝める幸せ。企画展示は「お釈迦さまの入滅と涅槃図」

3月9日
いすみ市郷土資料館「清水寺の仏像」展
 十一面観音の残欠(頭部と両腕)に鳥肌が立つ
いすみ市・行元寺  
 阿弥陀如来立像(平安末~鎌倉初 97cm 檜の一木造り 県指定文化財) 肉髻が高く、気品と威厳にあふれたお姿( ´艸`)
いすみ市・海雄寺
 釈迦涅槃像(江戸中期 516cm 銅造 県指定文化財)通称、万木の寝釈迦
いすみ市清水寺 坂東32番
○宝勝院夷隅不動尊
鴨川市郷土資料館
 「鴨川のたからもの~指定文化財集合~」
 市内の浄土宗心巌寺(しんがんじ)に、行道面23面が伝わる。複数の火災などにより記録は残っていないものの、二十五菩薩来迎の練供養で使用されたものと推測される。21面が菩薩面で、2面が比丘面。縦22~25cm、幅13~19cmで、大きさはほぼ同じ。 すべて檜に錆地漆箔仕上げで、裏地は布貼り漆塗り。目は全体をくり抜いて、鼻孔を貫通させる作りが共通する。

butsuzodiary.hateblo.jp
butsuzodiary.hateblo.jp
butsuzodiary.hateblo.jp

3月17日
埼玉県立歴史と民俗の博物館
「東国の地獄極楽」展
butsuzodiary.hateblo.jp
東京国立博物館11室
 當麻寺の十一面観音様にお会いして、とろけてしまう私です 
びわ湖長浜KANNON HOUSE
 安念寺より2躯

3月21日
○東京都八王子市・極楽寺
 歯吹き阿弥陀如来立像(市指定、鎌倉時代
○東京都八王子市・龍泉寺
 ぽっくり観音さまご開帳
 伝康慶の阿弥陀如来坐像

3月30日
兵庫県丹波市
○逹身寺
 重要文化財 
 木造阿弥陀如来坐像 1躯
 木造十一面観音坐像 1躯
 木造薬師如来坐像 1躯
 木造吉祥天立像 他 9躯
 県指定文化財
 木造仏類 34躯
 市指定文化財
 木彫仏像及木彫仏断片 167点
○柏原八幡神社


3月31日
兵庫県篠山市
○文保寺
 楼門の仁王像  重文 最近の調査で1378年と判明
 大勝院 十一面観音立像 市指定
○大国寺
 薬師如来坐像
 大日如来坐像
 阿弥陀如来坐像
 増長天立像
 持国天立像
 すべて重要文化財
○西光寺収蔵庫
 薬師如来坐像 重要文化財
 四天王立像 広目天を除き重文、広目天は市指定
○磯宮八幡神社
 二天立像(多聞天持国天) 重要文化財




butsuzodiary.hateblo.jp

 

2019年2月仏像拝観リスト

 5月末になり慌てて2月の拝観記録をまとめています。仏像リンクさんの三か寺はすべて素晴らしかったです。

2月3日

埼玉県・秩父神社 節分
秩父15番 少林寺
秩父11番 常楽寺
※惣円寺の木造阿弥陀如来立像(鎌倉後期、県指定)の拝観は叶わず。一般の拝観は受け付けておられないとのこと。残念!

2月11日

仏像リンクさんのブラ参り
埼玉県加須市・保寧寺 阿弥陀三尊(1196年、宗慶、重要文化財
butsuzodiary.hateblo.jp
埼玉県久喜市・埼玉県久喜市・霊樹寺の釈迦如来坐像(平安、県指定文化財
butsuzodiary.hateblo.jp
埼玉県久喜市・寿徳寺 薬師如来坐像(52.6cm 一木造り 市指定)

twitter.com

2月某日
東京・永青文庫「石からうまれた仏たち―永青文庫の東洋彫刻コレクション―」展
 日本の古い木彫仏が好きなので、少し物足りない感じは否めず。北魏時代の菩薩半跏思惟像(6世紀前半)が明治時代の中国での写真と合わせて展示されているのは面白かった。新納忠之介の中国への仏像調査の記録あり。そして、インドの小さな石像だったが、弥勒如来さまの触地印がかっこよかった。
f:id:butsuzodiary:20190526181529j:plain

2019年1月仏像拝観リスト

 2019年1月。まだ新しい元号も発表されていない、平成最後のお正月に、東京周辺の仏像をめぐりました。
 この頃、たくさんブログも書いたのに、気づいてみると、拝観リストが残っていませんでした。今日は2019年5月26日。大慌てで、1月の拝観リストをまとめています。

f:id:butsuzodiary:20190526161713j:plain
神奈川県大磯町・王福寺の薬師如来坐像 平安中期頃でしょうか。この大らかさと穏やかさ。そして、にじみ出るパワーにくらくらしそうでした。
 振り返ってみると、神奈川県大磯町の王福寺の薬師如来坐像が素晴らしかった! 関東で、これだけ古い木彫仏にはめったにお目にかかれません。
 神奈川の影向寺日向薬師は何度お参りしても、飽きることがありません。そして、地味な展示でしたが、トーハクの生身信仰の阿弥陀さまに興味をもちました。螺髪がコイル状に巻いてありました。

1月1日

東京都日野市・安養寺 毘沙門天立像ご開帳 市指定
東京都世田谷区・観音寺 十一面観音立像ご開帳 区指定
神奈川県川崎市影向寺の薬師三尊(重文)、二天像および十二神
butsuzodiary.hateblo.jp

1月3日

神奈川県大磯町・六所神社(相模國総社)
神奈川県大磯町・王福寺の薬師如来坐像
神奈川県伊勢原市・浄発願寺
神奈川県伊勢原市日向薬師
butsuzodiary.hateblo.jp

1月12日

金沢文庫の特別展「顕れた神々~中世の霊場と唱導~」(2018年11月16日~2019年1月14日) butsuzodiary.hateblo.jp

1月19日

東京都調布市深大寺 毘沙門天立像ご開帳 市指定
butsuzodiary.hateblo.jp
長浜KANNON HOUSE 保延寺の小さい千手観音立像
東京国立博物館 11室  常設 阿弥陀如来立像のニ躯並び(一躯は生身信仰の阿弥陀如来立像)


薬師寺の十一面観音立像 「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
東京都美術館ルーベンス展―バロックの誕生」 国立西洋美術館

1月26日

山本勉氏講義「院派仏師~近世まで生きのびたもうひとつの老舗ブランド~」受講 butsuzodiary.hateblo.jp
東京都大田区・養玉院 五智如来(大井の大仏)修復中 都指定
東京都目黒区・蟠竜寺 阿弥陀如来坐像(区指定)

【兵庫】篠山市・西光寺〜村人が守る優しい平安仏〜

f:id:butsuzodiary:20190411043251j:plain

 丹波に行く用があり、それに合わせて仏像をめぐってきた。訪れたのは、兵庫県丹波市の達身寺、柏原八幡神社篠山市の文保寺の楼門と大勝院、大国寺、西光寺、そして、磯宮八幡神社
 ここでは、西光寺での出会いについて書きたい。重要文化財の平安仏が村人の信仰によってお守りされていた。

1) 西光寺とは

 西光寺は行基創建と伝わる。中世の動乱で堂宇は焼かれたものの再興され、残された諸仏が護持されてきた。
 昭和に入り、最後の尼様が亡くなられた後、お堂も老朽化して取り壊しに。昭和42年に畑市(はたいち)地区の中央に収蔵庫を立て、薬師如来と四天王を移した。現在、地区の村人14軒の信仰によって守られている。

2) 村人が守る大切な仏様

 実は今回の旅の予定を立てるまで、西光寺が地元管理になっていることを知らなかった。拝観のお願いをしようと、ネットで拾った電話番号にかけると、篠山市文化財課につながった。そこで、西光寺がすでに廃寺になったことを知り、収蔵庫を管理されている方の連絡先を教えていただいたのである。
 現地に到着すると、管理人さまがお堂を開けてくださっていた。親切にご対応いただいた。お礼申し上げたい。
 管理人さまによると、普段、収蔵庫は閉まっているが、毎日村人が交替で線香をあげているそうだ。当番票が回ってくるのだという。
 さらに、毎月16日には村人が集まって扉を開け、お参りする。
 村の軒数は先日、一軒減って、14軒になったそうだ。
 なお、この場所は篠山市内なので、厳密に言うと"村"ではない。だが、管理人さんが地区の人々を"村人"と呼んでおられ、その響きが温かかったので、ここでもそう呼ばせていただく。
  「文化財なんて言うけど、うちらにとったら仏様なんだよね」。管理人さまの言葉が忘れられない。

3) 薬師如来坐像(平安中期 一木造り 背中に内ぐり 157.5cm 重要文化財

 さて、畑市地区の大切な仏様を拝ませていただくとしよう。まずは、中尊の薬師如来さまをご紹介させていただきたい。収蔵庫に上げていただくなり、その優しいご尊容が視界に入った。
f:id:butsuzodiary:20190401093150j:plain
f:id:butsuzodiary:20190401093305j:plain
f:id:butsuzodiary:20190401093411j:plain
 (↑この斜め後ろから安定感がたまらない!)

 平安中期の薬師如来坐像は、間近で拝むと体躯にかなりの量感があり、穏やかなご尊顔と衣文に魅了される。像高157.5cmというのが信じられないほど、大きく感じる。
 桂の一木造り。背面に内刳り。頭部が大きく、螺髪も大粒。鎬のたった眉。側面から拝すると、巨木を惜しみなく使った体軀が露わになる。それでいて、両脚にかかる衣文は上品だ。
 一木の安定感を示しながら、穏やかで優しいお姿。私は平安中期の仏像に激しく惹かれる。

4) 四天王立像(平安後期 重要文化財広目天のみ後補が多いため、市指定文化財

f:id:butsuzodiary:20190406001506j:plain
(左が増長天115.2cm、右が持国天115.8cm)
f:id:butsuzodiary:20190406001533j:plain
(左が広目天120.0cm、右が多聞天116.2cm)

 憤怒相ながら、平安後期らしく上品さが漂う。像の幹部はヒノキの一木で、両手を寄せる。
 特に、毘沙門天さまのこの上品な目とお顔の表情に惹かれた。太股あたりの彫りも不思議。
f:id:butsuzodiary:20190406001856j:plain

5) 十二神将

 収蔵庫の片隅に、小さな十二神将が2躯まつられていた。左のお像は身体に動きがあり、お顔の表情もよい。腕利きの仏師の手によるのだろう。
f:id:butsuzodiary:20190408095303j:plain
f:id:butsuzodiary:20190408095336j:plain
 室町時代と書いてあったが、鎌倉まで下る可能性はないのだろうか。
 右の像は左には比べると動きがある堅い。お顔も後付けのようで、やや稚拙な印象を受ける。

6) 青面金剛

 近世の作だろうか。こちらもうまい。こわいはずなのに、かわいらしくもある。
f:id:butsuzodiary:20190411045300j:plain

7) 最後に

 これほど貴重な文化財を高齢化する地元の人々がお守りする現実。お守りしようとする原動力は文化財保全でも、観光促進でもない。純真なる信仰に他ならない。
 そう思いながら、須弥壇の中央を見上げると、薬師さまが1000年の変わらない微笑みを浮かべておられた。
 地方の仏像をめぐっていると、こういう状況にたびたび遭遇する。高齢化と都心一極集中が進む日本がここにもある。

拝観案内

西光寺収蔵庫
要予約(市の文化財課に問い合わせ)
兵庫県篠山市畑市344
※令和元年5月から篠山市丹波篠山市に改称。

【来迎会】奈良県宇陀市・慶恩寺 平成生まれの新しい手作りの練供養「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」

2018年10月28日(日)
奈良県宇陀市大宇陀・慶恩寺(浄土宗鎮西派
「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」
f:id:butsuzodiary:20181031093931j:plain

1) 偶然知って急きょ予定変更して出かける!

 奈良県宇陀市大宇陀の慶恩寺さまで、二十五菩薩の練供養が行われています。今回で第14回。つまりは平成生まれの新しい練供養です。
 実は、この練供養のことは、開催される35時間前までまったく知りませんでした。滋賀の仏像をのんびりめぐろうと夜行バスに乗った途端に、Twitterを開いたら、「菩薩さまとお散歩」というイベントの告知記事が目に飛び込んで来たのです。
 どのような練供養なのかほとんど知らないまま、急な予定変更をして、この練供養を見に行くことにしました。しかも、イベントの正式名は「菩薩と歩む夢行道」なのですが、夜行バスの中で頭がよく働かず、勝手に「菩薩さまとお散歩」と脳内変換したままで…。愛知県愛西市の練供養のように、菩薩さまとお散歩できるといいな…。そんな思いで出かけました。

2) 平成生まれの練供養は手作り!

 10月28日、二十五菩薩さまは朝10時に慶恩寺を出発。一時間ほどかけてのんびりと練り歩きました。練供養のルートは宇陀松山城の城下町、重要伝統的建造物群保存地区にある、静かでのどかな通りでした。
f:id:butsuzodiary:20190306133419j:plain
 (↑左の地図が広域図。東の山上にお城があり、その下に城下町が広がります。右の写真で手書きしたルートを菩薩さまは練り歩きました)

 上記のような経緯で出かけましたので、事前の情報はほとんどつかんでおりませんでした。 "手作り"と聞きましたし、「二十五菩薩」とか「来迎会」という言葉も見あたらなかったので、宗教行事というよりは、地域興し的なイベントなのかとも思っていました。(なにせ私の頭の中では、「菩薩さまとお散歩」というイベント名になっていたので、正式名称に「行道」という言葉が入っているという事実さえ欠落していたのです…)
 しかし、実際に間近で見ると、のどかなように見えて、実は強い思いとかなりの労力をかけた大変真面目な行事だとわかりました。
f:id:butsuzodiary:20190323121738j:plain
f:id:butsuzodiary:20190323121826j:plain
f:id:butsuzodiary:20190323121921j:plain
 菩薩面はなんと、厚紙に色紙を貼った手作りのものです。兵庫県小野市の浄土寺に快慶の手による見事な行道面が残っていますが、それとは真逆。菩薩の着物も持物もすべて、檀家さまらによる手作りなのだそうです。
f:id:butsuzodiary:20190323100144j:plain
f:id:butsuzodiary:20190323122058j:plain
f:id:butsuzodiary:20190323122126j:plain
 しかし、菩薩面も光背も、近くで拝見すると、写真の印象よりしっかりしていて、安定していました。菩薩さまの後頭部を布で包み、菩薩らしさを出しているところなどに、菩薩さまへの愛も感じます。どこか他のお寺から練供養のノウハウを得ているのではないでしょうか。持物は寄せ集め感があるとはいえ、きっちり二十五の菩薩さまがお揃いになるのは簡単なことではないと思います
f:id:butsuzodiary:20190323180947j:plain
f:id:butsuzodiary:20190323140054j:plain

3) なんと楽人は當麻寺練供養と同じ! だからシルクロードのテーマ曲なのか!?

 手作り感満載の練供養ですが、楽人も菩薩さまの列に加わって演奏しておりまして、この生演奏がかなり本格的でした。後で知ったのですが、當麻寺の練供養でも演奏されている「奈良葛城楽所雅遊会」の方々なのだそうです!

 さらに、雅楽の演奏に加えて、シルクロードのテーマ曲も流れていました。行道の列の先頭付近と末尾付近で、お坊さんがカセットデッキを抱えおり、そこからテーマ曲を流しているのには驚きました。
f:id:butsuzodiary:20190323100322j:plain
(↑はにかんだ笑顔がまぶしい)
 練供養ファンならご存知かと思いますが、シルクロードのテーマ曲は當麻寺の練供養の後半で流れる曲です。私はこの曲を聴くと、練供養の列が娑婆堂から本堂へと戻っていくシーンを思い出してしまいます。曲がかかった途端に条件反射的に思い出してしまうのです。
 ですので、大宇陀で、練供養の冒頭からシルクロードがかかっているのを聞いた時には、「えー、もう終わっちゃうのー」と反射的に思ってしまいました。
 大宇陀の行道の特異なところは、シルクロードのテーマ曲が最初から最後まで、終始流れていたことです。お坊さんがカセットデッキを持って歩くのは、なかなかシュールでした。一曲終わると、お坊さんがカセットデッキを操作して、また最初からかけ直すのです。そもそもこういうカセットデッキ自体、最近見かけません! こういう細かいこだわりに、担い手の心意気が見えました! とにかく愛が伝わってきます!
 この雅楽シルクロードの競演は、桃太郎のもとさんのTwitterでどうぞ!

4)「菩薩とはさとりをもとめて歩む人」

 練供養の後半で、ふと、のぼりを見ると、そこには「菩薩と歩む夢行道~菩薩とはさとりをもとめて歩む人~」と書いてありました。
 よい言葉です。じーんときました。
f:id:butsuzodiary:20190323100509j:plain

 最後に慶恩寺さんのお堂の前で記念撮影がありました。青空のもと、浄土感たっぷりの写真が撮れたことでしょう。
 この新しい行道が未来へ続くことを願っています

参拝案内

松山山菩提院 慶恩寺
奈良県宇陀市大宇陀春日262番地
近鉄榛原駅から6km タクシーで15分 榛原駅でタクシーが拾える
道の駅宇陀路大宇陀から1km

参考資料

NHK奈良のニュース(※テキスト部分を以下に貼ります。公開されたニュース映像は期間限定ですので)

菩薩(ぼさつ)のお面をかぶった人たちが古い町並みが残る地域を練り歩く行事が奈良県宇陀市で行われました。
この行事は、宇陀市にある慶恩寺や檀家が菩薩の思いやりの心を広めようと始めたもので、ことしで14回目となります。
28日は、金色の菩薩のお面をかぶって菩薩にふんした25人やその付き添いなどあわせておよそ100人が寺を出発し、古い町並みが残る宇陀松山地区を1時間ほどかけてゆっくりと練り歩きました。
菩薩のお面は、寺の檀家の人たちが厚紙などで作ったもので、色鮮やかな衣装も手作りだということです。
行列にはお稚児さんの衣装を着た子どもたちも参加し、訪れた人たちは写真を撮ったり、手を合わせたりしていました。
市内から訪れた20代の女性は「初めて見に来ましたが、手作り感があって、すばらしい行事だと思います」と話していました。


○奈良葛城楽所雅遊会のサイト
gayukai.net

【大阪】藤田美術館の快慶の地蔵菩薩立像~小さいものにこそ匠の技が際立つのか~

※2015年8月の拝観メモです

快慶の地蔵菩薩立像
拝観日=2015年8月15日
像高58.9cm 木造 彩色・載金 奈良興福寺伝来
f:id:butsuzodiary:20190321071053j:plain
f:id:butsuzodiary:20190321081809j:plain

 小さいものにこそ匠の技が際立つのか。

 その最たる例が今、サントリー美術館(※)にお出ましだ。鎌倉時代の仏師、快慶が作った地蔵菩薩立像である。

 大阪の藤田美術館が所蔵するお像で、同館でもなかなか公開されないと聞く。しかも、藤田美での展示とは違い、サントリー美術館では、お像のまわりをぐるっと回って、360度からの拝観が可能となっている。

 私は来迎立像の前傾具合に激しく反応する、いわゆる前傾フェチである。サン美での360拝観により、この快慶地蔵立像の控えめな前傾具合に完全ノックアウトされた。お像の後ろに流れる雲もかわいらしい。

 そうしたディテールの素晴らしさの一つ一つが合わさって、この小さな立像は私を夢中にさせるのだろう。

 あまりの美しさに卒倒しそうになり、通路に出て深呼吸し、また展示室に戻るというのを何度か繰り返した。

 お像拝観のポイントを記したパネル展示もオススメ。

 サントリー美術館藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」は9月27日まで(※)

(写真は会場で購入したポストカードより)

注※ 本稿は2015年のサントリー美術館の展覧会の拝観記録です

【埼玉】「東国の地獄極楽」展(埼玉県立歴史と民俗の博物館)~東国の浄土宗の展開を学ぶ~

展覧会=「東国の地獄極楽」
会場=埼玉県立歴史と民俗の博物館
会期=2019年3月16日~5月6日
鑑賞日=2019年3月17日 (前期展示)
f:id:butsuzodiary:20190318090918j:plain

 埼玉県大宮市の博物館で「東国の地獄極楽」展という展覧会が開催されると聞き、早速出かけてきた。担当学芸員の西川真理子氏の会場解説も拝聴した。
 気になるところをいくつかご紹介したい。

1) 千葉県横芝光町の鬼来迎の映像

 埼玉で地獄極楽の展示ということなので、熊谷直実(蓮生)ゆかりの展示や熊谷市で発見された阿弥陀如来立像を楽しみに会場に入った。
 ところが、到着して仰天した。会場入ってすぐのスペースで、千葉県の鬼来迎(きらいごう)の映像が上映されているではないか。埼玉に到着するなり、千葉県の話題とは…。
 実は私は、一週間前に千葉県鴨川市まで二十五菩薩来迎の行道面を見に行ったばかり。千葉の行道面つながりで、鬼来迎のことを調べたばかりだった。仰天はしたものの、自分の中では実にタイムリーな展開となった。
 前置きが長くなった…。
 鬼来迎とは、千葉県山武郡横芝光町虫生(むしょう)の広済寺に伝わる仏教演劇である。虫生地区の二十数世帯に引き継がれ、毎年8月16日に行われている。
 上映されている映像は、ポーラ伝統文化振興財団による2014年の作品。練習風景から当日の施餓鬼会法要、実際の舞台の様子まで、丹念に取材を重ねた力作だった。
youtu.be
(↑こちらは予告編。全編は本展会場でぜひ。4/14まで)
 虫生の鬼来迎では、普段地元で普通に働き、普通に学校に通う人々が、鬼や閻魔や亡者や菩薩の役で登場する。音声や和讃も虫生の人々が担う。虫生で生まれ育った男性だけでなく、虫生の女性と結婚した男性も鬼来迎の担い手となっているのが印象的だった。
 劇のストーリーはシンプルだ。鬼来迎という名前の通り、女性の亡者が地獄に落ち、鬼に苦しめられるが、最後は観音さまが現れて救ってもらう。劇の途中には、賽の河原で石を積む子どもが地蔵菩薩さまに助けられる場面もあり、目頭が熱くなった。
 ナレーションは女優の草笛光子さん。穏やかな語り口が静かな感動を呼ぶ。
 大変貴重な映像を観る機会がいただけた。
 
 なお、この博物館での当映像の上映は3月16日~4月14日。期間限定なので、気になる方はお見逃しなく。
 4月16日からは埼玉県鴻巣の「箕田の百万遍」が上映されるそうだ。

2) まずは恵心僧都源信

 鬼来迎の話が長くなってしまった。映像コーナーを進むと、ついに本展の展示が始まる。
 最初はやはり、仏画の恵心僧都坐像(熊谷市寂光院、江戸時代)。その横に、寛政2年(1702)のゑ入往生要集(埼玉県立図書館所蔵。前期はパネル、後期は原本展示)。源信が描いた地獄極楽の世界が、江戸時代にも世の中に浸透していた証なのだろう。
 さらにその横には、雲に乗って来迎する絹本着色地蔵菩薩立像(久喜市吉祥院鎌倉時代、県指定文化財)。地獄に助けにきてくれる頼もしい地蔵菩薩さまの絵が美しかった。

3) 熊谷直実のおかげで、国宝『法然上人行状絵図』が埼玉にやってくる!

 そして、埼玉の浄土信者と言えば、熊谷直実である。直実は埼玉県熊谷出身の武将で、法然上人に帰依した人物。出家後の名前は蓮生。
 私は子どもの頃、埼玉県南東部で過ごしたが、直実の名前は聞いた記憶がない。熊谷市は北部なので地域も違うし、そもそも単に私が不勉強だったという可能性もあるが…。
 どちらかというと、関西以西のお寺で名前を聞くことが多い。法然上人25霊場でめぐった京都の光明寺、岡山の美作誕生寺、京都嵯峨の熊谷山法然寺などは、蓮生ゆかりの寺である
 そんな中途半端な知識の私でも、この展覧会では、熊谷直実について、ゆかりの作品を通じて学ぶことができる。
 展示されているのは、直実が平敦盛と向き合う一の谷の合戦図屏風(埼玉県立歴史と民俗の博物館、前期展示)山梨県甲斐善光寺に伝わる木造の蓮生法師坐像(南北朝甲府市文化財迎接曼荼羅(京都清涼寺、重要文化財、正本は前期展示のみ)など。源平合戦で活躍した無骨な武士が阿弥陀如来の上品上生の来迎を予告し、往生していくさまが見えてくる。
 注目すべきは、国宝の「法然上人行状絵図」(京都知恩院)の一部が後期に展示されることだろう。私が訪れたのは前期展示期間だったが、「法然上人行状絵図」のうち、蓮生が来迎図を前に往生を遂げるシーンが大きなパネルで展示されていた。
f:id:butsuzodiary:20190319013031j:plain
 後期には、この場面の実物が展示されるのだろう。
 埼玉の小さな博物館に、京都から国宝の「法然上人行状絵図」がやってくるのだ! これは直実の800年後の功績と言えるのではないか。浄土宗における熊谷直実の重要性がここに示されているように思える。
 なお、前期には、同じシーンを模写した江戸時代の「熊谷蓮生坊絵詞」(埼玉県立熊谷図書館、前期展示)が展示されている。国宝のパネル写真と比べるのも楽しい。

4) 浄土宗第三祖良忠と関東三派(藤田派、名越派、白旗派

 
 西川真理子学芸員が特に力を入れて解説していたのが、東国における知られざる浄土宗の広まりだった。「知られざる」と言うときのわずかな声のうわずりを私は聞き逃さなかった。
 浄土宗を開いた法然の弟子たちは複数の流派にわかれ、特に強い勢力となったのが浄土宗第二祖、弁長坊聖光(しょうこう)の鎮西派である。そして、聖光の弟子、記主禅師良忠(きしゅぜんじりょうちゅう)は、鎌倉光明寺を開山し、東国での布教に大きな影響力を持った。
 さらに、良忠の数多くの弟子のうち、寂恵良暁(りょうえりょうぎょう)、唱阿性心(しょうあしょうしん)、および尊観良弁(そんかんろうべん)は、それぞれが我らこそは良忠の教えを正しく継承していると主張しあうことで、東国に教線を広げていった。良暁の派閥が白旗派、性心が藤田派、良弁が名越派で、関東三派と呼ばれる。この辺りが「知られざる東国への浄土宗の広まり」ということらしい。
 本展では、良忠と関東三派にゆかりの作品が展示されている。
 藤田派の性心は現在の埼玉県寄居町出身。藤田派の作品として、福島会津高巌寺旧蔵の阿弥陀二十五菩薩来迎図(鎌倉、重要文化財)や埼玉県寄居町蓮光寺の當麻曼荼羅図(江戸)が出陳。
 名越派の良弁は信濃善光寺との結びつきが密で、名越派ゆかりの作品として、善光寺阿弥陀三尊像が三つ並んで展示されている。
 白旗派は良忠の実子である良暁を派祖とする。増上寺の観智国師(存応)が、江戸入りした徳川家康の信頼を得て、白旗派は力を強める。一方、京都では知恩院知恩寺の間に勢力争いがあったのだが、知恩院が家康の庇護を得て総本山の地位を不動のものとした。白旗派知恩院と、藤田派は知恩寺と結びつきがあったため、白旗派は勢いづき、藤田派は急速に勢力を弱める。幡随意や呑龍といった藤田派の僧侶が白旗派に転派し、藤田派は消滅してしまう。白旗派は現在の浄土宗鎮西流の主流派である。
 ちなみに、関東三派の名称は、各派が起こった地名に由来するそうだ。藤田は現在の埼玉県寄居町、名越と白旗は神奈川の地名。
 正直なところ、こうした流派の違いや展開は私には馴染みがなく、難しかった。上記内容に理解不足な点があると思うので、お許しいただければ…。西川学芸員のあの説明がなければ、ここまで書こうという気にならなかったと思う。勉強の機会をいただき、大変ありがたい。
 この関東三派のコーナーでは、春日部市・圓福寺の来迎阿弥陀三尊(これは仏像!)が美しかった。中尊のみ鎌倉で、両脇侍は江戸。観音は低く身をかがめ、勢至は合掌して立つ。このリズム感が素晴らしく、雲に乗って来迎するスピードも感じた。
f:id:butsuzodiary:20190320072309j:plain
(↑写真は圓福寺のサイトより)
 圓福寺は子育て呑龍さまの生誕地に立つ。江戸時代の木造立体當麻曼荼羅や木造釈迦涅槃図があり、前から気になっていたお寺である。當麻曼荼羅を木彫で立体的に作ってしまったとは、どれだけ當麻曼荼羅が好きなのだろう! 私も當麻曼荼羅は大好きだが、とてつもなく當麻曼荼羅を愛した人々がいたのだろう。4月第1日曜日に公開と聞く。いつかお参りしたい。
 なお、圓福寺の大きな地獄図のコピーが博物館の入り口に展示されており、写真撮影できる。圓福寺さまでは、木彫當麻曼荼羅と同時に公開されるようだ。
f:id:butsuzodiary:20190320074449j:plain
f:id:butsuzodiary:20190320074519j:plain
f:id:butsuzodiary:20190320074556j:plain
f:id:butsuzodiary:20190320074626j:plain

5) 新発見! 熊谷に快慶の阿弥陀如来立像か!?

 熊谷市が市史編纂のため、寺社で調査を行う中で発見された阿弥陀如来立像が、出展されている。快慶の特徴があるとして、新聞報道され、話題を集めるお像である。
 熊谷市・東善寺 阿弥陀如来立像
 木造 寄木造り 69cm

f:id:butsuzodiary:20190319092239j:plain
(↑展覧会図録の写真より)
 

f:id:butsuzodiary:20190320191727j:plain
東京新聞の記事より(左は熊谷市提供、右のCT写真は東京国立博物館提供)
 図録によると、小ぶりで引き締まった丸顔、小さく結んだ唇、左腕から垂れる衣文などに、快慶の特徴が認められるとのこと。
 快慶は三尺の阿弥陀如来立像を得意としたが、こちらは像高69cm。少し小さめである。奈良の快慶展で三尺阿弥陀立像が並び立ったのと比べてはいけないが、確かに小さい感じは否めない。藤田美術館の快慶の地蔵菩薩(58.9cm)も大きくないが、きらびやかなあちらの像に比べてしまうと、本像はだいぶくたびれている。来迎像に見られる身体の前傾もない。
 東京国立博物館でCTを撮ったところ、胎内に紙を巻いたようなものが見つかったそうだ。快慶の阿弥陀如来立像に時々見られるように、数多くの結縁者の名前を記した文書を胎内に納めた、いわゆる結縁合力の阿弥陀さまなのだろうか…。そうであってほしいと私は思ってしまった。勝手な個人的希望である。
 また、本像は、後補の部材はなく、釘等の金属も確認されなかったそうだ。つまり、 剥落や手の欠損などかなりの傷みはあるものの、後補のあとがなく、造立当時に近いお姿であると考えられるとのことだった。
 解体修理ができれば、胎内納入品の確認によって研究も進み、お像の面目もあらたになるだろう。 未来への希望を秘めた阿弥陀如来立像 なのだと感じた。


 以上、思ったより長文になってしまったが、本展覧会のレポートとする。

参考資料

「東国の地獄極楽」展図録(埼玉県立歴史と民俗の博物館、2019年)

【千葉】いすみ市・行元寺の本尊阿弥陀如来立像と海雄寺の釈迦涅槃像

 千葉県いすみ市郷土資料館で「清水寺の仏像」展を鑑賞したあと、レンタサイクルをひたすらこいで、行元寺、海雄寺、清水寺(坂東32番)、宝勝院夷隅不動尊とめぐった。
 行元寺の本尊阿弥陀如来立像と海雄寺の寝釈迦さまについて、拝観できた感動を書き留めたい。
拝観日=2019年3月9日

1) いすみ市・行元寺

1-1) ご本尊阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像(平安末~鎌倉初 97cm 檜の一木造り 県指定文化財
肉髻が高く、気品と威厳にあふれたお姿。
平重盛の守り本尊だったと伝わる。
f:id:butsuzodiary:20190317111851j:plain

 この阿弥陀さまは前から気になっていて、一度拝観予約をしたものの、悪天候で諦めたことがあった。念願叶ってやっとお会いできた。想像していた以上に、気品と威厳にあふれた阿弥陀さまだった。
 行元寺は波の伊八の欄間彫刻が有名だ。お寺に何度か電話したのだが、そのたびに「阿弥陀さま? 伊八の彫刻は見なくてよいのですか」と言われてしまったほどだ。行元寺にある初代伊八の「波に宝珠」は、葛飾北斎の「神奈川沖波浦」にそっくりである。伊八と北斎は交流があり、行元寺にお参りしたこともあるそうだ。北斎に影響を与えた彫刻ということらしい。お寺のリーフレットには、伊八を称えるエバレット・ブラウンの文章が誇らしげに掲げられている。
f:id:butsuzodiary:20190317222131j:plain
(↑境内のパネル写真)
 確かに、伊八の波の彫刻は素晴らしい。ただ、この阿弥陀如来さまが、その影に霞むことがあってはならない!!

 f:id:butsuzodiary:20190317112647j:plain
 ポイントはまず、肉髻が大きく高いこと。お顔は穏やか。どれだけ素晴らしいかは、天台南総教区研修所の研究紀要※の次の説明をお読みいただきたい。
 引用>>典型的な定朝様阿弥陀如来の三尺立像で、それもかなりの美作と云うことが出来る。全体にやや写実味を増した立体的な肉付けから、平安時代末、あるいは鎌倉期にかかる頃の制作かどうか推測される。千葉県内にはこの頃の仏像が少なくないが、これほど洗練された作例は稀と言わねばならない <<引用終わり

 阿弥陀さまは、大きな本堂の内陣の中央、高い場所に安置されている。少し離れた両サイドに、室町時代とされる玉眼の不動明王立像(56.7cm )と毘沙門天立像(61.5cm)を従える。非常に神々しくまつられている。
 ただ、お姿を拝むには少し遠目となってしまう。双眼鏡か単眼鏡の用意をお勧めする。

1-2) 善光寺阿弥陀三尊像

金銅、鎌倉後期、県指定文化財
阿弥陀51.8cm 観音33.4cm 勢至30.0cm  
f:id:butsuzodiary:20190317121554j:plain
f:id:butsuzodiary:20190317121918j:plain
 行元寺には、鎌倉時代善光寺阿弥陀三尊も伝えられており、こちらも県指定文化財となっている。肉髻の高い阿弥陀さまがとても気になるのだが、公開していないとのことで、拝顔は叶わなかった。残念である。いつか拝観の機会を待ちたい。

2) いすみ市・海雄寺 釈迦涅槃像

(江戸中期 516cm 銅造 県指定文化財)通称、万木の寝釈迦
f:id:butsuzodiary:20190317124641j:plain
f:id:butsuzodiary:20190317124727j:plain
f:id:butsuzodiary:20190317124851j:plain
 万木城の山の下、誰もいない静かなお堂で、静かにお休みであった。大きな釈迦涅槃像。堂外からのぞくことができる。穏やかなお顔でのんびりお昼寝しているようにも見える。
 幾つかに分割したものをつないだ構造なのだそうだ。像の内部の一部と、衣の着衣部の前面と左腕の一部に、結縁者名などの刻銘が見られる。正徳6年(1716)2月28日の日付や勧進僧をはじめとした千人以上の名前が刻まれているそうだ。当日の信仰の篤さがしのばれる。
 寺の前の看板には、市指定文化財と書いてあるが、平成2年に千葉県指定文化財となっている。(訂正できるとよいのにね)
 

参考資料

○『南総天台の仏像・仏画 I』天台宗南総教区研修所編、2017年
(※上記文章の引用は本書より)
いすみ市文化財サイト

写真キャプション

 行元寺の写真は、波の伊八のパネル写真を除き、すべて上記の『南総天台の仏像・仏画 I』より転載。海雄寺の写真は筆者撮影(2枚目は国吉駅前の看板を撮影)

拝観案内

 【行元寺】土日祝日の10:00から15:30頃まで、伊八の彫刻と本堂の阿弥陀如来さまを公開している。ボランティアガイド付き。拝観料500円
 【海雄寺】普段は堂外から窓越しに拝観できる。ご開帳は5月3日の万木城祭りのとき。
 

【千葉】「清水寺の仏像」展(いすみ市歴史資料館)観音像の残欠から全体像を想像しよう!

千葉県いすみ市郷土資料館の企画展
清水寺の仏像~坂東三十二番札所の歴史と美術~」(2019年2月23日~4月14日)
拝観日=2019年3月9日

展覧会の概要

 坂東32番札所である音羽山清水寺いすみ市岬町)は1000年以上の歴史をもつ古刹。本展覧会は、2017年に文化財調査を行った天台宗南総教区研修所の協力により実現。これほど多くの資料が寺外で公開されるのは初めて。
 出展された仏像は、清水寺秘仏本尊の前立千手観音立像(鎌倉時代)、二十八部衆立像のうち現存する24躯すべて(市指定文化財鎌倉時代)、奥の院本尊の十一面観音立像(県指定文化財鎌倉時代)、景清御身代観音と呼ばれる十一面観音の残欠(市指定文化財平安時代)、そして、銅造の聖観音立像(室町)である。
 すべてガラスケースでの展示ではあるが、ほどよい照明のもと、間近で拝観できる。

十一面観音さまの残欠(市指定文化財

 本展示で私が特に惹かれたのは、十一面観音さまの残欠である。

十一面観音像(景清御身代観音)(市指定、平安)
木造 素地 彫眼 頭部残欠30.8cm 右腕73.8cm 左腕75.2cm
f:id:butsuzodiary:20190313073940j:plain
f:id:butsuzodiary:20190313074026j:plain
 写真のとおり、全体像は残っていない。頭部と両腕が残るのみ。
 この欠仏さまを拝するために、いすみ市まで出かけた。頭部の写真を拝見し、それに引き寄せられてしまった次第である。

 展覧会場では、ガラス越しであるものの、ほどよい照明のもと、間近でよく拝める。

 少し歪んだお顔は静かに微笑んでいるようだ。頭頂の化仏は面相を表さない。シンプルな造形が想像をかき立てる。

 頭部のすぐ隣に、二つの腕が置かれている。この頭部と両腕を目の前にした瞬間、私の脳内で、十一面観音の立像がすくっと立ち上がった! 目の前の残欠から、失われた胴体や脚部を想像し、在りし日の全体像がおぼろげに浮かびあがるように感じた。鳥肌が立つような感覚だった!

 天台宗南総教区研修所の調査報告書が会場で販売されていたので、それを購入し、読みながら拝観した。私なりにまとめると、以下のようになる。

 「この観音の頭部は小鼻を表現せず、目の付け根の高さがずれているなど、プリムティブな造形。同様のプリムティブな例として、木更津市金勝寺聖観音立像(平安後期・市指定文化財)と館山市那古寺千手観音立像(平安後期・市指定文化財)があるが、本像はそれよりも原初的。秋田県小沼神社の聖観音立像、神奈川県宝城坊の鉈彫り薬師三尊の脇侍菩薩像に似る。ついては、本像は本格的な平安仏の造形が房総に伝わる以前の制作ではないか。

 右腕は頭部と同じ榧材。左腕は杉材と見られ、後補と考えられる。肩に穿たれた孔から、右腕が前に出て、左腕は垂下していたと見られる。この形から、千手観音ではなく、十一面観音だったと推測される」

 かっての自分であれば、こうした原初的な造形にはあまり惹かれなかったかもしれない。好みの変化というものがあるのだろうか。不思議である。

十一面観音立像(県指定、鎌倉中期)

木造 素地 玉眼 110.3cm 榧の寄木造り 
f:id:butsuzodiary:20190314224358j:plain
 清水寺奥の院の本尊で、四臂の十一面観音さまだ。衣文は肥後定慶に似るが、お顔はつり目で独特。山武市蓮台寺の十一面観音さまの方が肥後定慶に近いのだそうだ。会場では、京都の大報恩寺の十一面観音さまの写真が参考用に掲示されていた。
 見比べると確かに、こちらの観音さまは衣文は翻っているものの、お顔や全体の印象は大報恩寺像よりおとなしめで、かわいらしいと感じた。

御前立千手観音立像(鎌倉中期)

木造 古色 玉眼 47.0cm  榧材 秘仏本尊の御前立
f:id:butsuzodiary:20190313143424j:plain
 本展のメインビジュアルになっている観音さま。清水寺は勝軍地蔵菩薩毘沙門天二十八部衆風神雷神と、京都の清水寺と同じ構成であるのに、こちらの前立の千手観音さまは清水寺式ではないのが気になった。秘仏本尊さまはどのようなお姿なのだろう。

二十八部衆(市指定、鎌倉)

24躯が残る 木造 古色 彫眼 35.5~42.9cm  榧

 小像ながら、鎌倉らしい生き生きとしたお姿だった。
f:id:butsuzodiary:20190316092425j:plain
那羅延堅固王。「背面まで手を抜かない力作」と解説があった。

f:id:butsuzodiary:20190314225408j:plain
 難陀龍王。「情けなげな表情が楽しい」との解説文は展示会場にも掲示されており、つい吹き出してしまった。那羅延堅固王と比べると、こちらは腰もひけていて…。

f:id:butsuzodiary:20190314230032j:plain
 満善車王。このヘアスタイルがたまらない。迫力ある造形に仏師の力量が伺える。

銅造聖観音立像

 室町時代15世紀の作とみられる小さな銅像。体全体に残るバリが印象的。写真がないのが残念。

出展されなかった仏像

 清水寺には、勝軍地蔵菩薩愛宕権現)立像と毘沙門天立像(各60.8 cm 、70.2cm ともに1857年)もおられるそうだ。本展覧会にはお出ましでなかったので、いつか拝観の機会を待ちたい。特に、勝軍地蔵菩薩の立像には関心がある。京都の清水寺と同じ構成であることも興味深く感じた。

参考資料

『南総天台の仏像・仏画 II 星応寺・圓頓寺清水寺』(天台宗南総教区研修所 2018年)
f:id:butsuzodiary:20190314233136j:plain
 写真の左が、冒頭に記載した2017年の調査記録である。表紙写真は清水寺二十八部衆五部浄居天)で、本展覧会に出展されている。
 『南総天台の仏像・仏画 I』『南総天台の仏像・仏画 II』とも、写真が豊富で、ていねいな解説もわかりやすい。詳しく勉強されたい方にお勧めします! 各1000円。私はいすみ市郷土資料館で購入。

写真キャプション

 本ブログ記事の写真は、県指定文化財の十一面観音像をのぞき、上記参考資料からの転載。県指定の観音さまの写真は展覧会チラシより。

【千葉】【来迎会】鴨川市・心巌寺の行道面~二十五菩薩練供養の証~

鴨川市郷土資料館 「鴨川のたからもの~指定文化財集合~」展にて
鴨川市・心巌寺の行道面6面(県指定文化財)を拝観
拝観日=2019年3月9日
f:id:butsuzodiary:20190311220052j:plain

行道面を見て練供養を想像する幸せ!

 二十五菩薩来迎会を訪ね歩くうちに、菩薩様が被る行道面も好きになった。愛知県岡崎市滝山寺兵庫県太子町の斑鳩寺、大分県豊後高田市の富貴寺では、今は練供養は行われていないものの、菩薩面だけは残っている。現地でお面を拝し、練供養の様子を妄想すると、頬が緩み、興奮すら覚えるようになってしまった。

 梅干しを見たら唾液が出てくるように、菩薩面を見たら幸せを感じてしまうー。そのように体質が変化したのが、このワタクシである。パブロフの犬も仰天である。

 そんな中、尊敬する仏友さんから、千葉県の鴨川市郷土資料館で行道面が展示されてると伺った。千葉は遠い。しかも、鴨川は果てしなく遠い。千葉県南西部、外房と呼ばれる地域だ。行くべきかどうか一瞬ひるんだ。しかし、電車にのんびり揺られさえすれば日帰りできるので、思いきって出かけることにした。情報を得てから一週間後のことだった。

心巌寺とは

 心巌寺(しんがんじ)は鴨川市貝渚にある浄土宗寺院である。文永2年(1265)に鴨川市北風原(ならいはら)に創建。天正5年(1577)里見氏の一族・正木石見守道俊とその妻(里見義弘の女)が、禅師の髙風に帰依し、磯村に移転。寛政11年の火災や、大正の関東大震災等により、本堂内陣から月が見えるほど荒廃した。昭和5年(1930)、第二四世の達穏上人が、現在地に移転し、今日に至る。
 本題の行道面(県指定文化財)のほかにも、浄土三曼荼羅(市指定文化財)が伝わる。
 この浄土三曼荼羅は次の3枚で構成される。本企画展では、行道面と合わせて展示されている。
○當麻曼荼羅當麻寺の文亀本の模写)185 x 199 cm
清海曼荼羅(京都聖光寺や奈良浄土寺と同系、室町時代の模写)95 x 72 cm
智光曼荼羅(奈良元興寺の模写、享保5年(1720)頃)72 x 49 cm

心巌寺の行道面とは

 心巌寺には行道面23面が伝わる。心巌寺は複数に及ぶ火災被害や二度の移転があり、記録は残っていないものの、これらの行道面は二十五菩薩来迎の練供養で使用されたものと推測される。
 23面のうち、21面が菩薩面で、2面が比丘面。縦22~25cm、幅13~19cmで、大きさはほぼ同じ。 すべて檜に錆地漆箔仕上げで、裏地は布貼り漆塗り。目は全体をくり抜いて、鼻孔を貫通させる作りも共通する。
 行道面はその特徴などから4つのグループに分けられる。最も古いAグループは室町と考えられ、7面が現存する。C、Dグループは江戸時代か。欠けた面が順次補充されたと考えられる。
 この展覧会では、A1、A5、B6、B7、C2およびD5 の合計6面が展示される。B7は比丘面で、地蔵菩薩または龍樹菩薩と考えられる。

 私が拝見したところ、A1、A5、B6およびB7は、C2 とD5と比べると、鼻幅が大きく、お顔も丸みを帯びていた。最も古いAグループの造りを踏襲しつつ、C、Dグループにはこのように別の特徴も見えるのが興味深い。

 千葉県教育委員会のウェブサイトに行道面すべての写真が掲載されている。
f:id:butsuzodiary:20190312061729j:plain
f:id:butsuzodiary:20190312062131j:plain

寺外初公開!

 資料館の方に伺ったところ、行道面23面は普段は心巌寺さまが保管されており、一般公開はされていないとのこと。時々お檀家さまが拝する機会があるだけで、今回が寺外初公開だそうだ。
 6面だけの展示とはいえ、貴重な機会をいただけた。
 二十五菩薩来迎会が好きすぎて、菩薩面を目の前にしただけで、練供養の興奮が蘇る。頬が緩んだまま(つまりは、顔がにやけた状態で)、「すごい、すごい」とつぶやきながら拝観した。他に来館者もおらず、狭い展示コーナーを独占させていただいた。
 浄土三曼荼羅と合わせての展示で、まさに極楽浄土が展開されていた。

心巌寺の行道面はなぜ素晴らしいのか!

 心巌寺の行道面が素晴らしいのは、室町から江戸にかけて、二十五菩薩のお面を順次作り直していった形跡があることではないだろうか。
 これだけ長い期間、練供養の伝統が続いたことを行道面は無言で示している。
 心巌寺の練供養については、文書による記録が残っておらず、菩薩役が身にまとう装束や持ち物も残っていない。この行道面のみが心巌寺の歴史の一端を今に伝えている。
 前述のとおり、心巌寺には三種類の浄土曼荼羅も残る。阿弥陀信仰が盛んだったことの表れであり、二十五菩薩来迎の練供養もそうした流れの中で挙行されていたのだろう。
 鴨川と言えば、波の伊八の生誕地。しかし、伊八だけではないことを心巌寺の行道面は教えてくれる。

 寺外公開という貴重な機会をいただけたこと、関係者の皆様に心からお礼申し上げたい。

参考資料

○『鴨川市の指定文化財』(鴨川市教育委員会、平成22年)
f:id:butsuzodiary:20190312055358j:plain
○千葉県教育委員会ウェブサイト
www.pref.chiba.lg.jp
○浄土宗千葉教区ウェブサイト(心巌寺の説明)
www.jodo-chiba.jp