ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【千葉】【来迎会】鴨川市・心巌寺の行道面~二十五菩薩練供養の証~

鴨川市郷土資料館 「鴨川のたからもの~指定文化財集合~」展にて
鴨川市・心巌寺の行道面6面(県指定文化財)を拝観
拝観日=2019年3月9日
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行道面を見て練供養を想像する幸せ!

 二十五菩薩来迎会を訪ね歩くうちに、菩薩様が被る行道面も好きになった。愛知県岡崎市滝山寺兵庫県太子町の斑鳩寺、大分県豊後高田市の富貴寺では、今は練供養は行われていないものの、菩薩面だけは残っている。現地でお面を拝し、練供養の様子を妄想すると、頬が緩み、興奮すら覚えるようになってしまった。

 梅干しを見たら唾液が出てくるように、菩薩面を見たら幸せを感じてしまうー。そのように体質が変化したのが、このワタクシである。パブロフの犬も仰天である。

 そんな中、尊敬する仏友さんから、千葉県の鴨川市郷土資料館で行道面が展示されてると伺った。千葉は遠い。しかも、鴨川は果てしなく遠い。千葉県南西部、外房と呼ばれる地域だ。行くべきかどうか一瞬ひるんだ。しかし、電車にのんびり揺られさえすれば日帰りできるので、思いきって出かけることにした。情報を得てから一週間後のことだった。

心巌寺とは

 心巌寺(しんがんじ)は鴨川市貝渚にある浄土宗寺院である。文永2年(1265)に鴨川市北風原(ならいはら)に創建。天正5年(1577)里見氏の一族・正木石見守道俊とその妻(里見義弘の女)が、禅師の髙風に帰依し、磯村に移転。寛政11年の火災や、大正の関東大震災等により、本堂内陣から月が見えるほど荒廃した。昭和5年(1930)、第二四世の達穏上人が、現在地に移転し、今日に至る。
 本題の行道面(県指定文化財)のほかにも、浄土三曼荼羅(市指定文化財)が伝わる。
 この浄土三曼荼羅は次の3枚で構成される。本企画展では、行道面と合わせて展示されている。
○當麻曼荼羅當麻寺の文亀本の模写)185 x 199 cm
清海曼荼羅(京都聖光寺や奈良浄土寺と同系、室町時代の模写)95 x 72 cm
智光曼荼羅(奈良元興寺の模写、享保5年(1720)頃)72 x 49 cm

心巌寺の行道面とは

 心巌寺には行道面23面が伝わる。心巌寺は複数に及ぶ火災被害や二度の移転があり、記録は残っていないものの、これらの行道面は二十五菩薩来迎の練供養で使用されたものと推測される。
 23面のうち、21面が菩薩面で、2面が比丘面。縦22~25cm、幅13~19cmで、大きさはほぼ同じ。 すべて檜に錆地漆箔仕上げで、裏地は布貼り漆塗り。目は全体をくり抜いて、鼻孔を貫通させる作りも共通する。
 行道面はその特徴などから4つのグループに分けられる。最も古いAグループは室町と考えられ、7面が現存する。C、Dグループは江戸時代か。欠けた面が順次補充されたと考えられる。
 この展覧会では、A1、A5、B6、B7、C2およびD5 の合計6面が展示される。B7は比丘面で、地蔵菩薩または龍樹菩薩と考えられる。

 私が拝見したところ、A1、A5、B6およびB7は、C2 とD5と比べると、鼻幅が大きく、お顔も丸みを帯びていた。最も古いAグループの造りを踏襲しつつ、C、Dグループにはこのように別の特徴も見えるのが興味深い。

 千葉県教育委員会のウェブサイトに行道面すべての写真が掲載されている。
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寺外初公開!

 資料館の方に伺ったところ、行道面23面は普段は心巌寺さまが保管されており、一般公開はされていないとのこと。時々お檀家さまが拝する機会があるだけで、今回が寺外初公開だそうだ。
 6面だけの展示とはいえ、貴重な機会をいただけた。
 二十五菩薩来迎会が好きすぎて、菩薩面を目の前にしただけで、練供養の興奮が蘇る。頬が緩んだまま(つまりは、顔がにやけた状態で)、「すごい、すごい」とつぶやきながら拝観した。他に来館者もおらず、狭い展示コーナーを独占させていただいた。
 浄土三曼荼羅と合わせての展示で、まさに極楽浄土が展開されていた。

心巌寺の行道面はなぜ素晴らしいのか!

 心巌寺の行道面が素晴らしいのは、室町から江戸にかけて、二十五菩薩のお面を順次作り直していった形跡があることではないだろうか。
 これだけ長い期間、練供養の伝統が続いたことを行道面は無言で示している。
 心巌寺の練供養については、文書による記録が残っておらず、菩薩役が身にまとう装束や持ち物も残っていない。この行道面のみが心巌寺の歴史の一端を今に伝えている。
 前述のとおり、心巌寺には三種類の浄土曼荼羅も残る。阿弥陀信仰が盛んだったことの表れであり、二十五菩薩来迎の練供養もそうした流れの中で挙行されていたのだろう。
 鴨川と言えば、波の伊八の生誕地。しかし、伊八だけではないことを心巌寺の行道面は教えてくれる。

 寺外公開という貴重な機会をいただけたこと、関係者の皆様に心からお礼申し上げたい。

参考資料

○『鴨川市の指定文化財』(鴨川市教育委員会、平成22年)
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○千葉県教育委員会ウェブサイト
www.pref.chiba.lg.jp
○浄土宗千葉教区ウェブサイト(心巌寺の説明)
www.jodo-chiba.jp