- 1) 西光寺とは
- 2) 村人が守る大切な仏様
- 3) 薬師如来坐像(平安中期 一木造り 背中に内ぐり 157.5cm 重要文化財)
- 4) 四天王立像(平安後期 重要文化財 ※広目天のみ後補が多いため、市指定文化財)
- 5) 十二神将
- 6) 青面金剛
- 7) 最後に
- 拝観案内
丹波に行く用があり、それに合わせて仏像をめぐってきた。訪れたのは、兵庫県丹波市の達身寺、柏原八幡神社、篠山市の文保寺の楼門と大勝院、大国寺、西光寺、そして、磯宮八幡神社。
ここでは、西光寺での出会いについて書きたい。重要文化財の平安仏が村人の信仰によってお守りされていた。
1) 西光寺とは
西光寺は行基創建と伝わる。中世の動乱で堂宇は焼かれたものの再興され、残された諸仏が護持されてきた。
昭和に入り、最後の尼様が亡くなられた後、お堂も老朽化して取り壊しに。昭和42年に畑市(はたいち)地区の中央に収蔵庫を立て、薬師如来と四天王を移した。現在、地区の村人14軒の信仰によって守られている。
2) 村人が守る大切な仏様
実は今回の旅の予定を立てるまで、西光寺が地元管理になっていることを知らなかった。拝観のお願いをしようと、ネットで拾った電話番号にかけると、篠山市の文化財課につながった。そこで、西光寺がすでに廃寺になったことを知り、収蔵庫を管理されている方の連絡先を教えていただいたのである。
現地に到着すると、管理人さまがお堂を開けてくださっていた。親切にご対応いただいた。お礼申し上げたい。
管理人さまによると、普段、収蔵庫は閉まっているが、毎日村人が交替で線香をあげているそうだ。当番票が回ってくるのだという。
さらに、毎月16日には村人が集まって扉を開け、お参りする。
村の軒数は先日、一軒減って、14軒になったそうだ。
なお、この場所は篠山市内なので、厳密に言うと"村"ではない。だが、管理人さんが地区の人々を"村人"と呼んでおられ、その響きが温かかったので、ここでもそう呼ばせていただく。
「文化財なんて言うけど、うちらにとったら仏様なんだよね」。管理人さまの言葉が忘れられない。
3) 薬師如来坐像(平安中期 一木造り 背中に内ぐり 157.5cm 重要文化財)
さて、畑市地区の大切な仏様を拝ませていただくとしよう。まずは、中尊の薬師如来さまをご紹介させていただきたい。収蔵庫に上げていただくなり、その優しいご尊容が視界に入った。
(↑この斜め後ろから安定感がたまらない!)
平安中期の薬師如来坐像は、間近で拝むと体躯にかなりの量感があり、穏やかなご尊顔と衣文に魅了される。像高157.5cmというのが信じられないほど、大きく感じる。
桂の一木造り。背面に内刳り。頭部が大きく、螺髪も大粒。鎬のたった眉。側面から拝すると、巨木を惜しみなく使った体軀が露わになる。それでいて、両脚にかかる衣文は上品だ。
一木の安定感を示しながら、穏やかで優しいお姿。私は平安中期の仏像に激しく惹かれる。
4) 四天王立像(平安後期 重要文化財 ※広目天のみ後補が多いため、市指定文化財)
(左が増長天115.2cm、右が持国天115.8cm)
(左が広目天120.0cm、右が多聞天116.2cm)
憤怒相ながら、平安後期らしく上品さが漂う。像の幹部はヒノキの一木で、両手を寄せる。
特に、毘沙門天さまのこの上品な目とお顔の表情に惹かれた。太股あたりの彫りも不思議。
5) 十二神将
収蔵庫の片隅に、小さな十二神将が2躯まつられていた。左のお像は身体に動きがあり、お顔の表情もよい。腕利きの仏師の手によるのだろう。
室町時代と書いてあったが、鎌倉まで下る可能性はないのだろうか。
右の像は左には比べると動きがある堅い。お顔も後付けのようで、やや稚拙な印象を受ける。
6) 青面金剛
近世の作だろうか。こちらもうまい。こわいはずなのに、かわいらしくもある。