ぶつぞうな日々 part III

仏像は人と人とを結び、過去と現在と未来を結ぶ。大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【神奈川】津久井観音霊場その2 〜観音様をお守りする公民館に敬意を♡ そして、展覧会でお会いした薬師如来さまが優しい♡〜

 津久井観音霊場(旧津久井群内43か所)は午年が本開帳。2026年のご開帳期間は5月10日から23日まで。短すぎて、全札所を巡るのはとても無理。やむを得ず、初日は文化財指定のあるお像を中心に駆け足で13札所を巡った。そして、今回、二度目の巡礼では、旧藤野町を中心にゆっくりペースで8札所を参拝した。
 とにかく感動したのが、当ブログが大好きな「公民館の仏像」である。27番 向龍寺(旧藤野町)と05番 久保沢観音堂(旧城山町)は、観音様と地元の皆さまとの絆が近くて、美しくて、とにかく羨ましい。
 そして、「相模川流域のみほとけ」展でお会いした尊像にまたしてもお会いできた。43番 福寿院、室町時代の院派の薬師如来さまである。お寺ではまったく印象が異なって驚いた。静かに衆生のそばにおられる、みほとけであられた。
 なお、当ブログ調べでは、津久井観音霊場において、この展覧会にお出ましだった仏像6躯と1組にお会いできる。顕鏡寺、正覚寺、井原寺、安養寺、光明寺、祥泉寺、福寿院である。

21 御岳山観福寺(高野山真言宗/旧藤野町)

 ご開帳秘仏である千手観音菩薩さまは観福寺ご本尊でもある。像高36.8cmの寄木造りで、江戸時代中期から伝わる。通称、矢部の観音様。お厨子の中に、小さな木造の不動明王立像と毘沙門天立像(いずれも江戸時代)とともにまつられている。このお厨子は普段は閉まっており、午年のこの時期のみご開帳される。同じ壇上に、御前立の千手観音菩薩立像と毘沙門天立像(鋳造)、不動明王立像(木造)もおられる。左右の脇壇には、それぞれ金剛界大日如来と弘法大師坐像。お寺の案内書によると、弘法大師像に大仏師横山式部作の銘がある。ざっくり調べた限りでは、この仏師名では仏師関連は出てこない(川崎の枡形山に土塁を築いた戦国時代の豪族横山式部少将弘成の名前がヒットするのみ)

23 福王寺(臨済宗建長寺派/旧藤野町)

 十一面観音菩薩坐像。小さな不動明王立像と毘沙門天立像が脇侍。地蔵菩薩坐像もまつられる。境内に藤野観音堂(津久井観音22番)と天満社がある。

22 藤野観音堂(臨済宗建長寺派/旧藤野町)

 津久井観音霊場の札所だった三徳山清袋寺が昭和28年に福王寺に合併。聖観音菩薩様が藤野観音堂に引き継がれた。福王寺(津久井観音23番)内に小さなお堂があり、そこに聖観音菩薩坐像がまつられる。その横に不動明王坐像もおられる。お堂の前に立つ回向柱は実際に触れて、ご開帳秘仏さまとご縁を結ぶものなのだが、こちらは写真のとおり、こんな感じなので、畏れ多くて触れられない。



25 増珠寺(曹洞宗/旧藤野町)

 ご本尊は延命地蔵菩薩坐像。脇侍として掌善童子・掌悪童子像を従える。その前に津久井観音秘仏の小さな聖観音菩薩坐像がまつられていた。25番はもともと勝瀬地区の鳳凰寺だったが、相模湖建設の際にお寺と勝瀬の住民が揃って海老名に移転。増珠寺が現在の25番札所となっている。

27 向龍寺(高野山真言宗/旧藤野町)

 明治6年(1873)向龍寺が廃寺となったあと、残った観音堂も老朽化したため、馬本地区の尽力により「馬本生活改善センター」を建設。その中に向龍寺本尊十一面観音菩薩坐像をまつる。ご開帳の際には、馬本地区の住民が交代で参拝者の対応にあたる。
 この十一面観音さまは頭頂化仏や手首から先を失っていたが、近年修理が施され、面目を一新。今回が修理後初のご開帳である。修理の経過を記したファイルを見せていただいた。ご尊顔や胸の辺りはクリーニングによって金色が蘇り、頭頂化仏さまや持物が新たに制作され、見違えるような美しさである。お堂の立替の経緯などから、当ブログとして、大好きな「公民館の仏像」に認定。地区の皆様の信仰と献身に心からの敬意を表したい。大切な観音様をお参りさせていただき、ありがとうございました。 なお、十一面観音様の他に、顔面を失った破損した菩薩立像がそっと佇んでおられた。



28 蓮乗院(高野山真言宗/旧藤野町)

 如意輪観音菩薩坐像。忍性ゆかりのお寺と聞き訪れたが、その形跡は見つけられず、残念。密教の様々な曼荼羅が広い堂内に所狭しと展示されている。密教仏に関心ある方にお勧め。

43 福寿院(高野山真言宗/旧藤野町)

 津久井観音秘仏さまは聖観音菩薩立像。堂内、向かって右のお部屋に安置。堂内正面、奥の内陣に、本尊阿弥陀如来坐像。その左に不動明王立像がおられ、そのさらに左に薬師如来坐像。右手の高い場所に上人像をまつる(開祖真清と伺ったが、福寿院HP記載の第15世 真政和尚が正しいか?)。薬師如来像は室町時代、院派の作とされ、福寿院で最古のお像とみられる。「相模川流域のみほとけ」展(神奈川県歴博2020年)にお出ましだった。お寺では、お厨子の中におられ、少し離れた場所からの拝観となるので、院派らしい四角っぽい体部の木取りなどは確認できない。しかし、お寺でお会いする薬師さまはとてもリラックスされていて、穏やかでおられた。静かに衆生の安寧を祈っておられるようだった。

05 久保沢観音堂(臨済宗建長寺派/旧城山町)

 公民館の半分のほどのスペースが観音堂となっており、そこに西国、坂東、秩父の百観音の写しがまつられる。高遠の石工が明治時代に刻んだ石仏が、壇上に所狭しと並び、胸を打つ。各霊場の最終番の像の光背に、造立年代と経過を示す銘文が刻まれる。その銘から、明治11年(1878)に桂昌寺の住職山本渓山が発願、明治27年(1894)に完成し、同年4月渓山和尚によって発願供養されたことが明らかになっている。像を手がけた像のは長野県高遠の石工 北原祥重(七兵衛)。毎月10月、おくんちと言って、9のつく日にご開帳されており、私は一度お参りしたことがある。近くの大正寺(今回のご開帳から津久井観音霊場に参加)から住職が来られ、法要がある。女性の皆様によるご詠歌も感動する。津久井観音霊場のご開帳のときには、さらに、壇上の高いところにあるお厨子が開き、小さな聖観音菩薩立像さまもご開帳となる。現在は金ピカのお姿であるが、この聖観音さまが案外一番古いのではないかと思ったりもする。そして、はい、もちろん、当ブログとして、大好きな「公民館の仏像」に認定。観音堂をお守りされる皆様に心からの敬意を表したい。10月のご開帳日にまたお参りさせていただくかもしれない。お堂の前に徳本上人名号塔もある。