ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

仏像リンクDeep大阪2日目速報

仏像リンクDeep大阪ツアー。2日目にお参りした仏像につきまして、スピード重視でお伝えします。
(16:20 初掲載。21:50に尊延寺を追記)

2018年4月15日(日)
1) 孝恩寺(大阪府貝塚市)浄土宗

平安時代中期の本尊阿弥陀如来などの仏像群19体と板絵1枚が収蔵庫に安置。いずれも重要文化財
虚空蔵菩薩立像は60年ほど前から大阪市立美術館に寄託。また、薬師如来立像は現在トーハクの国華展にお出まし中)

周辺に榧の原木が多くあったと考えられ、ほとんどすべてが榧の一木造り。平安の一木像が林立する収蔵庫内はあまりに圧巻。「榧の一木造り、さ、い、こ、う…!」とつぶやいて、そのまま息絶えてしまいそう。
ご本尊脇侍の伝観音菩薩立像は金色の引き締まった上半身。下半身には黒漆の衣をまとう。この美的センスに魅了される。
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木造跋難陀龍王立像、阿弥陀の説法印を結ぶ弥勒菩薩坐像など。
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孝恩寺には2015年の仏像リンク以来、二度目だが、今回は本堂(国宝釘無堂)の内陣もお参りできた。来迎阿弥陀三尊と法然善導両上人。阿弥陀さまが美仏。仏教大学で教鞭をとられた住職のお話も伺え、ありがたかった。


2) 千原大師堂(大阪府泉大津市) 
十一面観音立像
123.8センチ。10世紀頃。大阪府指定文化財
独特なご尊顔から、泉州の地方仏師によるとみられる。同様のお顔をされた例は、堺市に、大平寺阿弥陀如来坐像と金福字地蔵菩薩立像があるのみ。
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3) 天野山金剛寺大阪府河内長野市
木造大日如来坐像(平安末期)、木造不動明王坐像、木造降三世明王坐像(鎌倉時代
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平成の大修理を経て、昨年、国宝に指定。金堂の修理も終了し、今年3月末から4月18日にかけて、金堂落慶記念の特別拝観が行われた。大日如来不動明王降三世明王の三尊は尊勝(そんしょう)曼荼羅に描かれる特殊な形式。

胎内にあった墨書から、1234年に完成したことや、3体がそろうまで約50年という歳月がかかっていたことが判明。また、不動明王の胎内に快慶の弟子、行快(ぎょうかい)の名前が見つかった。作風から降三世明王も行快の作と考えられる。

金堂落慶までのここ数年、大日さまと不動さまは京都国立博物館に、降三世明王奈良国立博物館に安置されてきたが、ついに三尊が金堂におそろいになった。奈良と京都の博物館でお会いした仏像ファンは多いと思う。

私は特に、奈良国立博物館に行く度に、降三世明王さまに睨まれるのが好きだった。奈良博の一室を占拠し、大きな力を放っていた降三世明王さま。金剛寺金堂で三尊が並ぶと、奈良の時のような窮屈さはまったくない。金堂がいかに広い空間なのかを、奈良博との比較で感じる。
やはりこの三尊はこの空間にあるべき三尊なのだ。それは間違いない。しかし、降三世さまに間近で存分に睨まれた奈良博の環境も愛おしく、懐かしく感じた。
三尊お並びになると、降三世明王に特に動きと迫力があり、際立ってうまいと感じる。

なお、尊勝曼荼羅仏画)は今年初めの仁和寺展(東京国立博物館)で拝見。同じく仁和寺展にお出ましだった平安後期の五智如来像が五仏堂におられ、堂外から覗き込み、拝観できた。五智如来さまの後ろに、真数千手観音立像がなにげなくお立ちで、仏像リンク参加者の注目を集めた。


4) 日野観音寺(河内長野市日野)
木造大日如来坐像
147センチ。檜の寄木造り。12世紀 。重要文化財

日野観音寺は、金剛寺と同じ頃に創建され、金剛寺の奥院だったが、秀吉の根来攻めの際、一堂のみ残して全焼。
現存する大日如来坐像は、本体、台座、後背とも当初のもの。よくぞ残られた。平成26年に保存修理。
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5) 観福寺(和泉市
弥勒菩薩坐像
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胸から腹へが引き締まり、若々しい筋肉が露出する。木造だが、表面に乾漆仕上げあり。これらの特徴から、天平時代にさかのぼる像だと考えられる。左腕の飾りの文様が造立当初のもの。
観福寺本堂の正面から斜め左に見える山に、今も春日神社がある。その神宮寺だった宗福寺(そうふくじ)が明治の初めに廃寺になり、仏像がすべて観福寺に移された。弥勒菩薩坐像はそのうちの一体。他に五大明王(ただし、一体を欠く)、七仏薬師(六体は雲に乗る)および弘法大師像。


6) 正伝寺(大阪府四条畷市融通念仏宗
薬師如来立像
181.1センチ。近くの森福寺にまつられていたが、明治の初めに廃寺に。その後、村人が管理してきたが、堂の老朽化に伴い、正伝寺に移された。
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一木の古様な造り。彫りは浅い。
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ぷっくりあんよは後補。
融通念仏宗大本山大阪市平野の大念仏寺。大念仏寺と言えば、5月の華麗な練供養を思い出してしまう。本堂入って左の壁の上に来迎図があった! 
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堂内で優しい住職からお話をいただく。

7) 尊延寺(大阪府枚方市
五大明王大日如来坐像

五大明王のうち、降三世明王立像(158.0センチ)と軍茶利明王立像(158.9センチ)が重要文化財平安時代後期(11世紀前半)。中央の仏師の手になる等身大の明王像。寄木造。
左脚を上げた軍茶利明王の躍動感が好き。脚や腕に執拗なまでに蛇さんを巻き付け、やる気満々。
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不動明王立像(161.3センチ)、大威徳明王坐像(92.7センチ)、金剛夜叉明王立像(157.0センチ)は枚方市指定文化財

文化財指定に差があるとはいえ、この尊延寺さまの空間に、この五大明王さまが並ばれると、なんだか自分の中でテンションが上がってくる。コミカルで力強い。多少の失敗はやらかしそうだが、いつでも必ず庶民の味方になってくれる。そんな感じの五大明王さまである!

同じく枚方市指定文化財地蔵菩薩立像は修理中で、お会いできず。93.3センチの一木造り。10世紀頃か。枚方市文化財サイトによると、奈良県室生寺近くの安産寺の地蔵菩薩立像(重文)や、法隆寺地蔵菩薩立像(国宝)に類似するお姿なのだとか。どちらも大変美しく神々しいみほとけではないか。大変気になる!
一方、尊延寺さまでは「雨乞い地蔵さん」として、お寺周辺の田んぼに置かれていたと伺った。文化史的には日本を代表するお像と比較されながら、地元で庶民の信仰を集めてきたことに、胸が熱くなる。
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本堂入口の寺務スペース的なところに、地蔵菩薩さまの台座が残されていた…。かなり衝撃的な光景である。修理が済んだら、必ずお会いしにいきたい!