ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【静岡】伊豆山権現の仏像と神像、相模湾を見下ろす絶景、そして、災害の爪痕

1) 序文 伊豆山で神仏の尊像と絶景と災害の爪痕に出会う

伊豆山神社から見下ろす相模湾

 仏像と神像。高台から見下ろす相模湾の絶景。そして、災害の爪痕。

 去年(2021年)春に高来神社(神奈川県大磯町)の神像群を拝見し、それ以来訪ねたいと願っていた伊豆山を参拝してきた。高来神社の神像が伊豆山権現像と類似する点(袍衣に袈裟をかける)があると知り、再度拝見したくなったのだ。

 実は、去年7月の土曜日に出かける予定だった。大雨の予報が出て直前に取りやめたところ、あの土砂崩れが発生。家で震えながらニュースを眺めたのだった。

 その年の大晦日伊豆山神社から「ゆく年くる年」の中継があった。年明けに問い合わせてみたところ、伊豆山の資料館も開いているとのことだったので、1月初旬に下田の帰りに参拝することにした。熱海駅で下車し、逢初地蔵堂→伊豆山の階段の参道(600段ぐらい?)→足立権現社(木彫役行者像)→伊豆山神社→伊豆山資料館(仏像、神像他)→走湯山般若院と、徒歩で巡った。

 今回、仏像と神像の拝観ができたのは伊豆山神社の境内のみ。まずは本殿の手前の足立権現社で熱海市指定文化財の木造役行者を拝観。次に本殿を参拝し、その隣の伊豆山資料館へ。資料館では、伊豆山の常行堂におられた阿弥陀如来坐像と菩薩坐像がやはり好きすぎて、しばらく見とれてしまった。明治の神仏分離の後、伊豆山を下った逢初地蔵堂におられたと聞く。

 その逢初地蔵堂は昨年の土砂崩れの影響を受け、改修が必要な状況だ。災害当時に堂内にまつられていた地蔵菩薩像2躯は無事だったと報道されていたが、さすがに堂内にはおられないようだった。一日も早く逢初地蔵堂にお戻りになり、地域の皆様をお守りくださいますように。

 伊豆山神社参道の階段や、神社境内から相模湾が見渡せる。絶景だ。そのすぐそばで土砂が流れ落ちた。般若院に向かう途中で、濁流に飲み込まれた窪地の真横を意図せず歩くこととなった。災害の爪痕はまだ残っていた。失われたもののの大きさに言葉が見つからない。つらい気持ちを合掌の手にくるみ、そっと祈りを捧げた。

2) 拝観した仏像と神像

以下、拝観した尊像について記す。

2-1) 伊豆山資料館

阿弥陀如来坐像(平安〜鎌倉12-13世紀、67.6cm)

〇菩薩坐像2躯(鎌倉13世紀、25.4cmと26.0cm)

 「木造宝冠阿弥陀如来像及び脇侍像」として静岡県文化財に指定されるが、この阿弥陀像と菩薩像はもともと一具ではなかったと考えられている。
 阿弥陀如来坐像は、伊豆山の山上と山下にあったとされる常行堂のうち、上常行堂の本尊と推定される。菩薩坐像に比して平安後期の風を留める。
 菩薩坐像は下常行堂の本尊阿弥陀如来坐像(快慶、建仁元年1201、現在は広島の耕山寺所蔵)との類似点が多いことから、これに随侍した四菩薩のうちの2躯と見られる。
 つまり、伊豆山資料館のこの阿弥陀如来と菩薩像はもともと別々に造立されたということになる。それでも、私はこの三尊がとても気に入っている。阿弥陀如来は穏やかで、菩薩像は欠損のある小さなお姿から快慶風のキラキラしたオーラを惜しみなく発散させている。胸がきゅんきゅんしてしまう!
 この阿弥陀如来坐像と菩薩坐像は明治の神仏分離後、伊豆山の下の逢初地蔵堂に伝来し、昭和43年(1978)から13年ほど奈良国立博物館に寄託。私の手元にある1983年の奈良博の展覧会図録には、逢初地蔵堂所蔵と記載される。現在は伊豆山浜生協会の所蔵とされ、伊豆山神社境内の伊豆山資料館に展示される。

写真は1983年『浄土曼荼羅』展(奈良国立博物館)の図録より

伊豆山権現像 銅造鍍金 像高93.0cm 明徳3年(1392)

 穏やかな表情で、立烏帽子(たてえぼし)を被り、袍(ほう)と呼ばれる上着の上に袈裟をかけ、指貫(さしぬき)と呼ばれる袴を身に着ける。背中の上方に「本宮走湯権現神体 十方旦那勧進 明徳三年壬申十一月十八日」と刻まれている。
 袍と袈裟の組み合わせが高来神社(大磯町)の男神像と共通するが、高来神社像が若干愁いを帯びたハンサムガイなのに対し、こちらの伊豆山権現像は七福神の恵比寿様のような福々しさがあり、その対比が興味深いと感じた。

写真は伊豆山資料館のパンフより

 なお、高来神社の男神像はこのようなお姿である(写真は大磯町の資料より)。

伊豆山権現像 銅造鍍金 像高48.8cm 13世紀

 近年の保存修理で面目を一新。「表面の錆(さび)を除去した結果、鍍金(ときん)が多く残る威厳ある顔立ちが現れた。錆の成分分析では硫黄(いおう)が多く検出されており、源泉の涌(わ)き出る神聖な場にまつられた可能性もある」(※奈良博サイトより)。

伊豆山権現立像。修理を記念して2016年に奈良国立博物館で特別展が開かれた。この写真は当該特別展のサイトより

男神立像・女神立像 木造 彩色 明徳5年(1394) 周慶 作

男神像 45.7cm。女神像41.6cm。檜の寄木造り。熱海市指定文化財男神像には「一心三締観努 一行一切行 恒悠三昧 内田入道玄朗広希一切諸入皆入□□ 泉正薫周」、女神像には「走湯山大仏師周□(慶) 明徳五年六月八日」との墨書があり、伊豆山神社の祭神として造立されたことが伺われる。

写真は上記特別展のサイトより

不動明王立像

 「白山大権現 伊豆大権現 不動明王」との記載があった。伊豆山神道白山講の所蔵。写真なし。

男神立像(写真のみの展示)

木造彩色。像高212.2cm。重要文化財。神社本殿奥の宮殿東の間に安置。上記の奈良博の特別展で拝観したが、現地伊豆山では写真のみ。2メートルを超す10世紀の木彫像という大変貴重なもの。いつかまた間近で拝観したい!

 そのほか、永久5年(1117年)等の銘のある伊豆山経塚遺物や、伊豆大権現の扁額など。北条政子の髪の毛で刺繍したとされる「頭髪梵字曼荼羅」(鎌倉時代)は複製展示。

2-2) 足立権現社

役行者像 熱海市指定文化財

参道沿いの小さなお社をのぞくと役行者様がおられた

役行者様の御足!

3) 逢初地蔵堂

 一日も早い復興をお祈り申し上げます。必ずまたお参りいたします。

逢初地蔵堂 2022年1月9日撮影

4) 般若院

 木造伊豆山権現立像(重要文化財)がおられるそうだが、オミクロンが広まりつつあったので、個別拝観のお願いはしていない。いつか拝観させていただきたい。

5) 参考資料

5-1)「銅造伊豆山権現像修理記念 伊豆山神社の歴史と美術」奈良国立博物館 2016年

https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/201602_izusan/

 上記の小さいほうの伊豆山権現像の修復を記念して、2016年に奈良国立博物館で展覧会が開かれた。私は当時たまたま展示を拝見したのだが、思い返すと非常に充実した展示だった。この時展示された伊豆山の木彫男神像(下のチラシ、右上)は、伊豆山資料館では写真展示のみ。つまり、伊豆山で非公開の男神像に拝顔できる大変貴重な機会だったことを今になって思い知った。下記にリンクを貼る高来神社(神奈川県大磯町)の神像群は非公開であるが、そのうちの男神像1躯もお出ましだった。奈良博の常設で見かける木彫の伊豆山権現像も出陳されており、神奈川と奈良で所蔵される神像を一気に拝見できる好機だったのだ。当時無知だった私はこの展覧会の偉大さを今頃になって思い知るのだった。なお、奈良博に問い合わせたところ、この展覧会の図録はとっくの昔に完売したそうだ。古書を探そうと思う....!

展覧会チラシ「銅造伊豆山権現像修理記念 伊豆山神社の歴史と美術」奈良国立博物館 2016年

5-2) 2016.4.1 熱海ネット新聞記事「【社寺】伊豆山神社「銅造伊豆山権現立像」凱旋公開 奈良国立博物館で蘇る」

 伊豆山権現像の修復前の写真が掲載されている。
atamii.jp

5-3) 奈良国立博物館の常設でよく見かける木彫の伊豆山権現

 上記の伊豆山現地で拝観できる伊豆山権現像2躯はいずれも銅造だが、奈良国立博物館のぶつぞう館でよくお見掛けするこちらの伊豆山権現像は木彫。着衣がそっくりなのだが、木彫のせいかなぜか印象が異なるように感じる。奈良でお会いするのが楽しみな尊像の一つだ。詳しくは下記リンクをご覧いただきたい。
伊豆山権現立像|奈良国立博物館

5-4) 2021年12月15日静岡新聞「熱海土石流“無傷”の地蔵 紙から造られていた 上原美術館・田島さん調査」

 逢初地蔵堂に関する新聞記事を参考までに貼っておく。復興を祈念。
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/999999.htmlwww.at-s.com

5-5) 高来神社(神奈川県大磯町)社の神像群について

 この展覧会を見てから、伊豆山へ行きたくなったのだった。
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