1)武蔵野プレイスのそばです
5月25日に緊急事態宣言が解除されても、電車に乗るのは仕事だけというマイルールは崩していない(2020.6.6現在)のだが、仕事で東京都武蔵野市に外出したので、その帰りに仏像を拝んできた。市の文化財サイトで見つけた石仏の阿弥陀如来様である。拝観予約は不要なので、お寺の方にはお会いせず、ただ石仏様に手を合わせてきた。自転車圏外の仏像拝観は久しぶりだ。
石仏様のおられる観音院は、JR中央線武蔵境駅のすぐそばにありながら、静かな佇まいのお寺だった。すぐ横には、図書館やカフェの入ったコミュニティセンター、武蔵野プレイスがある。沖縄出身の比嘉武彦氏が設計を手掛け、2016年に日本建築学会賞を受賞した居心地のよい建物で、市民の集いの場となっている。私が訪れた5月末はまだ休館中だったが、隣接した広場には多くの人がくつろいでいた。賑やかだけど、穏やかな場所である。
2) 観音院の来迎の阿弥陀如来立像
そんな場所のすぐ真横に、静かな曹洞宗寺院がある。今回ご紹介する観音院である。
観音院は承応二年(1653)に盛岳栄見大和和尚により開創。松江藩主松平直政(1601-1666)の屋敷西方に観音堂を建てたことが始まりとされる。直政の命を受け、下屋敷跡を開拓してのちの境村を切り開いた下田三右衛門の追善のため、天和2年(1682)に造立されたのが、この来迎阿弥陀如来像だ。市指定文化財のこの石仏は、境内の墓地の中、下田家の墓所内にまつられていた。
栄見山 観音院(東京都武蔵野市)
来迎阿弥陀如来立像
天和2年(1682)
市指定文化財
穏やかなご尊顔。ごろごろとした大粒の螺髪。少し武骨な感じの指が来迎印を結ぶ。とても癒される。
この観音院の来迎阿弥陀如来像は、上保谷村(旧保谷市)から移り住み、松平家(松江藩主の松平出羽守直政<1601-1666>、祖父は徳川家康、父は家康三男結城秀康)の下屋敷跡地を開拓して出雲新田(境新田、のちの境村)を開いた保谷三右衛門(下田)の追善のために、天和2年(1682)に造立されたものである。観音院は、下屋敷内西方に直政によって建立された観音堂とこの墓所から幕府公認の村の寺院として発展しており、境新田村の開発のいわれを語る重要な資料である。
美術的にみても螺髪・肉髯の単純化、尊顔の素朴な微笑、印相の表情の巧みな表現等の彫法は、本市所在の石仏としては最も古く、代表的な美しさを持っている。
参考資料
武蔵野市観光機構による観音院の紹介記事
musashino-kanko.com