ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【多摩の仏像】正真正銘の八王子ブランド、相即寺の地蔵菩薩坐像(万目供養仏)!!~地元の仏師と鋳物師による温かみあるお姿~

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穏やかで温かい地蔵菩薩さま
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相即寺・万目供養仏(地蔵菩薩坐像)


 コロナ禍で外出自粛となり、遠出はできなくなってしまった。そこで、拝観マイルール6か条を作り、自転車圏内で、誰とも会わずにお寺をめぐってみたところ、思いのほか楽しい出会いがあった(※マイルール6か条はこちらの記事→【コラム】コロナ自粛中の拝観マイルール6か条で、楽しい出会いがありました - ぶつぞうな日々 part III)
 特にうれしい出会いが、相即寺(東京都八王子市)の銅造地蔵菩薩坐像、通称、万目供養仏である。100年に一度とされるパンデミックのなか、地元仏師による仏像にこれほど癒される日が来るとは…。

1) 相即寺とは

 まずは、お寺のご紹介から。相即寺(そうこくじ)は八王子市泉町にある浄土宗のお寺で、本尊阿弥陀如来を本堂にまつる。天文15年(1546)、忍誉貞安によって開基。慶安元年(1648) 第3代将軍徳川家光から朱印状を拝受。明和8年(1771)、延命閣地蔵堂建立。地蔵堂には、八王子城落城の際の犠牲者を供養した150体の石仏の地蔵菩薩立像が安置されている。地元では、昭和20年の八王子空襲の被害を物語るランドル地蔵が有名である。

2) 地元八王子周辺の仏師と鋳物師による銅造地蔵菩薩坐像(万目供養仏)! 八王子市民はもっと注目しましょう!!

 
 相即寺というお寺にランドセル地蔵(後述)がおられることは知っていた。こちらがあまりに有名で、まったくノーマークだったのが、今回ご紹介する”八王子ブランド”の銅造地蔵菩薩坐像である。

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銅造。像高 116cm。膝張り 88cm。台座を含む総高 190cm。安永3年(1774)。八王子市指定文化財

 ランドセル地蔵は年に3回のご開帳日があるのだが、こちらの万目供養仏さまは、本堂近くに安置され、いつでも拝観できる。
 一見すると、どっしりした大らかな印象の地蔵菩薩さまだ。とりわけうまいとは言えないが、誰もをやさしく包むような温かみがある。実は、地元の仏師の手によるのだという。
 連弁の刻印によると、柚木落合の田中播磨義知(たなかはりまよしとも)という仏師が制作し、横川町滝原の加藤甚右衛門白鎧(かとうじんうえもんはくがい)という鋳物師が鋳造したことが分かっている。柚木、横川とも、現在の八王子市内の地名である。
 八王子ブランドの仏像が、しかも、こんなに癒し系の仏像が、地元に残されていたとは! 地元民として心が躍った。これはもう、Funky Monkey Babysが初めてミュージックステーションに出たとき以来の興奮である!!(※本稿の最後にYouTubeを貼ったので、ファンモン好きの方はどうぞ!)
 (※播磨義知の出身地として銘記された柚木落合について補足すると、八王子には今も「柚木」という地名があるのだが、「落合」は現在では多摩市内である)

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正面のすぐ横の連弁に加藤という鋳物師の名前と仏師の田中播磨義知の名前が読み取れる

2-1) 柚木落合の仏師、田中播磨義知

 柚木落合の仏師は初めて聞く名前なのだが、実は柚木地域には古い仏像が隠れているのではないかと思っている。2011年の武相観音霊場のご開帳のとき、住宅街の公民館に法衣垂下の観音像を拝見したときは、本当に驚いた。柚木地域を調査したら、きっと他にも発見できるかもしれない。田中播磨義知の他の作例もあるのだろうか。気になる!

2-1-1) なんと、田中播磨義知の他の例が町田市と府中にも!(2020.6.1追記)

 本記事を公開後、山本勉先生からTwitterで以下のご指摘をいただいた(2020年5月30日)。

中播磨義知は、「近世仏師事績データベース」では宝暦13(1763)の府中市常久寺不動三尊と明和7(1770)の町田市持宝院役行者像が採録されていますね。記録・記憶しておきたいと思います

 こういうご指摘いただけること、大変ありがたい。ファンモンのYouTubeを貼り付けているような仏像ブログなのに、、、申し訳なく、かたじけなく。。。
 この「近世仏師事績データベース」の存在も知らなかった。土曜日の夜で、うとうとし始めたところに、山本先生からリプライをいただき、一気に興奮して目が覚めてしまった。
 そういえば、前に古本屋で買った『町田市の仏像 町田市仏像調査報告書』(町田市立博物館、昭和63年)という本があったと思い出し、さっそく開いてみた。なんと、の、載っていた。。。!
 

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中播磨義知が修理したとの銘が残る役行者像(東京都町田市・持宝院)
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銘文の掲載がありがたい。これによると、相即寺の地蔵菩薩より前に、町田のこの役行者像の修理に携わったようだ。「運慶末流大佛師」という名乗り方にどきどきする
 思いもかげない展開に完全に目が覚めてしまった。(翌日は日曜日でたくさん寝たのだが...)
 「近世仏師事績データベース」に八王子の相即寺の地蔵菩薩様も掲載してもらいたいな。。と思う。

2-1-2) 平成の子孫が調べた田中播磨義知の軌跡(2020.6.27追記)

 その後さらに、山本先生から、播磨義知に関する資料を教えていただいた。田中登「仏師 田中播磨義智について」『ふるさと多摩 No.8 多摩市史年報 平成9年』(平成9年3月24日発行)という11ページの短い資料だ。著者の田中登氏は仏像の専門家ではないものの、子孫として播磨について調べた成果をまとめている。
 登氏は、田中家の系図をたどりつつ、播磨義知の作例を紹介している。
〇落合中組(現鶴牧)の峯岸正次家の釈迦如来坐像(座高12.5cm、台座14cm)と仏壇(仏壇の欄間が見事な鎌倉彫)
東福寺(多摩市落合)位牌堂 播磨の父母の位牌(裏面に大仏師田中播磨義智の銘あり)
〇常久寺(東京都府中市若松町不動明王及び童子像(宝暦13年、1763)不動明王44.7cm
〇持宝院(東京都町田市常盤町役行者像及び二鬼像(明和7年、1770)
 なお、相即寺の万目供養仏ももちろん記載されているが、その造立について田中家には記録も言い伝えも残っていないそうだ。これだけの大きさのある本像について、田中家に記録がないとは不思議である。むしろ播磨の代表作と言えるのではないかと思うほどなのだが。
※なお、この田中登氏の資料では、一貫して「播磨義智」と「智」の文字を使用している。

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常久寺(東京都府中市不動明王像(画像は田中登氏の資料より)
 田中家の資料により、播磨の没年は寛政元年(1789)と分かっている。多摩ニュータウンの開発までは、田中家の宅地裏の墓地内に五輪の墓石があり、それが播磨の墓石だった。田中家の墓地はニュータウン開発で買い取られ、昭和48年に東福寺(多摩市落合、青木葉)の共同墓地に移転。田中登氏は、移転前の播磨の五輪の中に小さな器が入っていたことを覚えており、造仏の時に漆か何かを入れた播磨の遺物だったのではないかと言う。もしそれが本当に播磨の遺物だったとしたら、ニュータウン開発のさなかに紛失したことは残念だ。

2-2) 横川の加藤鋳物師

 さらに注目したいのが鋳物師である。横川村(現在の八王子市横川町)には、戦国時代から代々、加藤姓を名乗る鋳物師集団が居住し、梵鐘などの鋳造に携わっていた。市の掲示板によると、ここ相即寺の北西には工房跡があるという。コロナ禍の外出自粛のなか、地元八王子のお寺をいくつか回ったが、加藤鋳物師の名は、相即寺以外でも耳にした。例えば、浄土宗関東十八檀林の一つ、大善寺(八王子市大谷町)。江戸初期に、賀藤(加藤)甚右衛門長重が、この古刹の梵鐘を手掛けている。

2-3) 地方仏、最高! 温かみのあるお姿があなたを癒してくれます!!

 長々と書いてしまったが、改めて、相即寺の地蔵菩薩さまのお姿を拝してみよう。

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どっしり安定感
 都に近い仏像とは異なり、決してうまいとは言えない。しかし、どっしりとした温かみがある。大きな鼻や目。丸みのある頬。宝珠をもつ左手には太くて大らかな指。量感ある体部で、どっしりと坐す。見上げているだけで心がほくほくしてくる。
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 お地蔵様の左右から回り込んだり、屈みこんで下から見上げたりして、その温かみを十二分に感じさせていただいた。コロナ禍でいつの間にか自分の中に鬱積していた嫌な塊を溶かしてくれるようだった。
 この温かみには既視感がある。埼玉県熊谷市の平戸の大仏を思い出していた。像の大きさは違うが、あちらも温かみのある江戸時代の仏像だ。(【埼玉】熊谷・源宗寺の木彫大仏坐像(地方仏最高と叫びたくなる平戸の大ぼとけさま) - ぶつぞうな日々 part III
 地方仏、最高! 江戸仏、最高! そう叫びたくなる仏像にまた出会うことができた。しかも、こちらは正真正銘の八王子ブランド。市民の誇りとして、もっと注目し、愛情を注いでいきたいものだ。
 地蔵菩薩さまの前には、木製のテーブルと椅子が置かれている。そこに腰をかけて、穏やかな地蔵菩薩さまとゆっくりのんびり対面させていただいた。拝むという行為でもあり、身の上話を聴いていただくようでもあった。周りには誰もいない。ただ5月初めの爽風だけが若葉を通り抜けていった。
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こうしてくつろぎながら、お地蔵さまと対面できる幸せ

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境内の看板

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2009年11月1日の八王子市の広報紙より

3) 相即寺 拝観情報

東原山浄土院相即寺(そうそくじ)
浄土宗鎮西派
東京都八王子市泉町1132

※実はランドセル地蔵のほうが有名

 八王子の相即寺といえば、ランドセル地蔵が有名である。第二次世界大戦の際、東京の品川から疎開してきた神尾明治くんが八王子空襲で亡くなってしまった。嘆き悲しんだ母親が、相即寺に多数ある石仏の地蔵菩薩像のうち、男の子によく似たお像に、その子のランドセルを背負わせたのだという。戦後、古世古和子さんが児童文学として紹介し、広く知られるようになった。古いランドセルを背負ったお地蔵様は今も相即寺の地蔵堂にまつられている。
 ちなみに、地蔵堂には150体もの石仏群が安置されているのだが、これは、八王子城落城の際、283人の相即寺縁の戦死者供養のため造立されたものだという。地蔵堂は毎年、6月23日、7月8日、8月8日にご開帳される。地蔵堂を外からのぞき込むと、中央内陣に大きな地蔵菩薩さまがまつられていた。これはご開帳のときにお参りせねばなるまい。

4) 参考資料

4-1) 田中登「仏師 田中播磨義智について」『ふるさと多摩 No.8 多摩市史年報 平成9年』(平成9年3月24日発行)編集 多摩市史編集委員会、発行 多摩市
播磨義知について調べる中で、多摩市文化財課にお世話になった。感謝申し上げたい。
4-2) 『町田市の佛像 町田市仏像調査報告書』(町田市博物館、昭和63年)

5) 追記

1) 制作年度:当初、某ネット記事に掲載されていた「天明9年(1789)」を制作年度と記載したが、その後の調べで「安永5年(1776年)」という記述が見つかったため、本稿もこちらに修正した(参考資料4-1より)。1776年に原型が制作され、1789年に鋳造された、ということなのだろうか???
さらに追記: その後さらに調べたところ、台座の連弁に安永3年とあるのを確認。お像本体の完成が安永3年で、台座の完成が安永5年ということのようです。八王子市の最近の資料でも安永3年を取っているため、こちらに変更しました。2020.07.13変更と追記
2) 播磨義知の出身地: 相即寺万目供養仏台座の連弁に記載された「柚木落合」という地名について、最初、八王子市内と書いてしまったが、調べたところ、「落合」は現在多摩市内にある。「柚木」という地名は現在八王子にあるのだが、当時の柚木の一部である「落合」が現在は多摩市内に当たるということらしい。八王子市民なので、柚木と聞いてつい八王子市内だと思い込んでしまった。多摩市民の皆様にお詫びしたい。

オマケ(八王子市出身 Funky Monkey BabysがMステ初出演のときに歌ったLoving' Life)