無碍山瑜伽寺という美しい名前のお寺様で、古仏を拝観させていただいた。ありがたく心から感謝。そして、十二神将像について悩み始めてしまった。
塑像残欠(どろ仏様)(県指定文化財)
瑜伽寺は霊亀元年(715年)創建と伝わり、塑像の残欠が多く残る。塑像の作例が奈良時代に多いことを考えると、創建時の本尊(薬師如来?)だった可能性は十分にある。
残欠のうち大きめのものは、東京国立博物館に寄託。しかし、私が瑜伽寺をお参りした日は、近くの山梨県立博物館「奈良大和路のみほとけ」展で特別展示されていた。小さな残欠は瑜伽寺の収蔵庫に保管されており、同じ日に大小の塑像残欠を拝観させていただ句ことができた。
これら塑像の残欠は、今では「どろ仏(ぼとけ)」様と呼ばれているそうだ。欠けらになってもなお、そのような愛称で呼ばれることに胸が熱くなる。よく見ると、残欠の一部に金箔が残っている。欠けらになっても、1300年経っても、みほとけであり続けていることに感動する。
木造如来形坐像(県指定文化財)
収蔵庫に安置される木彫仏。檜の一木造り。像高84.5cm。量感ある体躯は平安前期の特徴を示す。塑像の初代薬師如来を引き継ぐ、二代目の本尊だった可能性があると伺った。つまりは、薬師如来だった可能性があるのだが、なぜか、だいにっちゃん(大日如来)と呼ばれていた時期があるのだとか。
指を曲げた独特な両手はいずれも後補。玉眼は近年の修理で取り除かれている。
つまりは、いろいろなご経験をされているお像である。私がお像の言葉がわかるなら、これまでのあれこれを夜通し伺いたい。そんな風に思わされる、謎多き尊像である。
木造十二神将(県指定文化財)
薬師堂に安置。檜材。子神と辰神は寄木造りで、他の10躯は一木割矧ぎ造り。
実は、この十二神将について、私はひどく悩んでいる。塩山にある放光寺仁王像との類似性から成朝の作かも、と言われてきたらしい。が、帰ってから調べてみると、最近は成朝説が否定されていたりするようなのだ。
さらに、よく見ると、大倉薬師堂様に特徴的な巳神像タイプ(右腕を下ろして立つ)と戌神像タイプ(髪の毛が巻毛)もおられる。お寺ではそれぞれ別の尊像の名前がついており、私の悩みをさらに強める。そもそも成朝の作であれば、制作年代は北条義時が大倉薬師堂を建てる前だったことになり、制作年代がおかしいのでは。それとも、大倉薬師堂より前に、その様式は存在していたのか?
詳しい方、教えてください!!
雨乞いの破損仏
収蔵庫の中に木彫の破損仏が二体。自立できる感じではなく、壁にもたれかかって立っておられる。雨乞いの儀式でいじめられたお像である。
この辺りでは、雨が降らないのは神仏がさぼっているからだと考え、お像を水につけたり、火で炙ったり、叩いたりして神仏にはっぱをかけ、しっかり働いてもらって雨を降らせてもらおうとしたのだという。強請祈願と呼ばれるこの風習、長野県佐久市や上田市辺りでも聞いたことがある。神仏とのこういう距離感に私は惹かれる。
【拝観案内】
無碍山瑜伽寺
〒1406−0823 笛吹市八代町永井1543
公式サイト 臨済宗のご葬儀・法事なら山梨県笛吹市の「瑜伽寺」
【参考資料】
参考 『甲斐百八霊場 改訂版』平成17年、テレビ山梨、監修 清雲俊元(放光寺長老)
参考 「成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝―」山本勉 成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝― 山本 勉|吉川弘文館『本郷』Web編集部
参考 せきどよしおさん瑜伽寺の如来形坐像と十二神将像 - butsuzoutanbou ページ!