ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【来迎会】長野県小諸市・十念寺の二十五菩薩来迎会を思い出しました

 先日、信濃仏をめぐった際、長野県上田市で小泉大日堂の近くを通った。小泉大日堂では、60年ごとの本開帳と30年ごとの中開帳の際、小諸市十念寺の二十五菩薩来迎会が行われてきた。前回の開帳が2011年だった。

 その当時は、そのような貴重な機会が存在することをまったく知らなかった。2013年以降、二十五菩薩来迎会を調べる中で小諸の十念寺を知り、さらに小泉大日堂を知ったという流れである。

 30年おきの開催であれば、もう観られないかもと諦めかけたのだが、ダメ元で2016年末頃から小諸市に何度か問い合わせたところ、5年おきに開催される市主催の郷土芸能のイベントで、十念寺の二十五菩薩来迎会が演じられることを知った。イベント開催日は2017年3月の三連休の中日。実はこの頃、少し体調を崩していたのだが、その直前に十念寺二十五菩薩来迎会保存会の会長と電話でお話させていただくことができ、さまざまなお話を伺ったところ、この機会は逃すべきではないと判断。慌てて新幹線をおさえ、出かけたのだった。
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 市民会館で演じられたものとはいえ、十念寺の二十五菩薩来迎会は観る価値の高いものだった。練供養の列の前に極楽鳥の舞などがあるほか、練供養の先頭に不動明王が立ち、最後尾が毘沙門天を務めるいう、他では例のない並びであった。
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 恵心僧都源信が始めたとされる二十五菩薩の練供養は関西を中心に今もいくつか残っているが、江戸時代以降に始められたもののが多い。十念寺の練供養はもっと古い形が残されているという説もあるそうだ。火炎太鼓のシンプルなリズムで繰り広げられる十念寺の練供養は一度観ると脳内から離れず、やみつきになる。當麻寺や大念仏寺のような華やかさはないが、十念寺に継承されてきた独自の練供養は大変貴重である。

 イベント司会者が「西の當麻寺、東の十念寺」と紹介した一言が今も記憶に残っている。この言葉を小諸だけでなく、全国的に広めたい!

 小諸市のケーブルテレビで、この2017年3月の郷土芸能イベントを収めたDVDが今も販売されているはずなので、ご興味のある方は問い合わせてほしい。私は通販で購入させていただいた。非常に鮮やかな映像であり、未来に伝えていきたい貴重な記録である。

 十念寺は昭和の火事でお堂が焼け、二十五菩薩のお面だけが残された。お寺はすでに廃寺となり、二十五菩薩保存会の方が毎年3月に、お面を広げて、念仏の会を開いていると伺った。毎年定期的に練供養を行う予定はないとのこと。市のイベントだけでもよいので、なんとか次世代につなげてほしい。

 2017年のイベントでは、小学生ぐらいのお子さんも菩薩面を被られていた。このお子さんが将来、自分の子どもや孫へと、この貴重な信仰の形を受け継いでいかれることを願ってやまない。

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※小諸を訪れてから1年。長野県を再訪し、小泉大日堂の近くを通り、あのときの二十五菩薩来迎会の模様を思い出した。2017年3月のイベントのレポートはこちらをご覧ください。
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