聖徳太子1400年遠忌記念
聖徳太子と法隆寺
東京国立博物館平成館
2021/7/13-9/5(前期は7/13-8/9 後期は8/11-9/5)
- 1) 法隆寺聖霊院の諸像
- 2) 国宝 行信(ぎょうしん)僧都坐像 8世紀
- 3) 国宝薬師如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)
- 4) 如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)法隆寺献納宝物
- 5) 法起寺の如来立像 飛鳥時代7世紀 文化財未指定
- 参考
奈良国立博物館に続き、東京で「聖徳太子と法隆寺」展が始まった。奈良のように五重塔の塔本塑像や夢違観音の出展はないが、それでもなお、見所満載の展覧会だった。法隆寺の寺宝の豊富さにめまいがする。貴重な秘仏と、お寺では遠目にしか拝観できないお仏像を間近で拝観できたので、その喜びをここに記したい。
1) 法隆寺聖霊院の諸像
個人的に最もうれしかったのは、法隆寺聖霊院のお厨子にまつられる諸像に初めてお会いできたことだ。毎年3月22日から24日にお厨子は開くのだが、お供物で隠れてしまうので、お像を目にすることはできない。しかし、本展では、厨子内に安置される7躯すべてが展示されている。なんと、聖霊院ご本尊聖徳太子像が寺外で公開されるのは、27年ぶりなのだそうだ。
国宝 聖徳太子および侍者像 保安2年(1121)
重文 如意輪観音菩薩半跏像 11-12世紀
重文 地蔵菩薩立像 9世紀
この聖徳太子像は聖霊院の本尊で、聖徳太子500年遠忌に侍者像とともに造立されたもの。聖徳太子像は釣り上がった厳しい目が印象的。公式写真だとべちゃっと平面的な感じがしていたのだが、実際に拝見するともっとシュッとして、クールなお姿だった。
一方、侍者像は聖徳太子像より小さめで、クールさとは無縁のほのぼのとした印象。この対比が面白く、しばらく見入ってしまった。向かって左から、山背大兄王(やましろのおおえのおう/太子の子)、殖栗王(えぐりおう/太子の異母兄弟)、聖徳太子、卒末呂王(そとまろうおう/太子の異母弟)、高句麗僧の恵慈(えじ)法師(太子の仏教の師)と並ぶ。
太子1400年遠忌を記念した展覧会で、500年遠忌に造立された尊像を拝める。そんな幸せもかみしめたい。
地蔵菩薩立像は1mに満たない小像だが、平安前期らしい肉感的で力強いお姿。飛鳥の橘寺から承暦年間(1077-80)に法隆寺に遷座。白毫に真珠を使用するのは珍しいそうだが、上品でかわいらしい。個人的には、背中に一本スパッとひび割れが走るところに惹かれた。一木造りで、割矧がないため、このようなひび割れが生じたのだろうか。私は最近、平安前期一木造りに飢えているようで、お像の前でHunger for Heian Ichiboku…などとつぶやいてしまった。興奮のあまり取り乱してしまう私なのであった。
如意輪観音坐像は大阪四天王寺本尊を模したものとの解説があった。穏やかな気品を感じるのは、平安後期という制作年代によるのだろう。本展では、上記の諸像とは離れて、展覧会の一番最初に展示されている。聖霊院安置という説明書きもないので、お見逃しなきよう、要注意。
※地蔵菩薩立像と如意輪観音像の写真はこちらの記事に掲載(Twitterで教えていただいた記事です。ありがとうございます)
2) 国宝 行信(ぎょうしん)僧都坐像 8世紀
法隆寺東院夢殿、救世観音の隣に安置されるお像。夢殿には何度も行っているが、暗くて遠くてよく見えないので、こんなに強く独特のお姿だったとは気づかなかった!
逆三角形の下のニ辺のように鋭く釣り上がる両眼。大きく張り出した両耳。まるでコウモリのようだ。大きく尖った頭頂。大きな鼻翼。元三大師様にも引けを取らないあくの強さだと感じるのは私だけだろうか!? 8世紀の脱活乾漆造り。「ほーりゅーじ、はんぱないなー!」という感想しか出てこない!
3) 国宝薬師如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)
法隆寺金堂の薬師如来坐像を間近で拝めるのも、本展覧会の魅力のひとつ。金堂では、少し遠目での拝観となり、細かいところまでは見えないからだ。
私の一推しはひらひらうねうねと御足元に流れ落ちる衣文。飛鳥時代のこうした表現が私にはとてもモダンに感じられる。あまりに素敵なので、飛鳥モダンと勝手に呼ぶことにする!
4) 如来坐像 銅造 飛鳥時代(7世紀)法隆寺献納宝物
トーハク法隆寺宝物館におられる如来坐像も展示(前期展示のみ)。この”飛鳥モダン”なひらひら衣文が私は大好き! 上記の金堂の薬師如来坐像のひらひら衣文と見比べるのも楽しい。展覧会場を何周もぐるぐるとめぐってしまった。
5) 法起寺の如来立像 飛鳥時代7世紀 文化財未指定
A会場の最後に、木彫の如来立像が展示されている。その隣に詳しい説明があり、観覧者の注目を集めていた。説明によると、最近調査されたばかりのお像らしい。展示解説は次のような内容だった。
1993年に奈良国立博物館の調査で「わが国最古の弥勒如来像」と評価され、一躍脚光を浴びる。しかし、その直後に、現在の面相とは異なる姿の古写真(1936年)が確認され、面相部が補作と評価されたため、それ以降は広く公開されなかった。しかし、その後、CT調査の結果、
①面相、右体側部、背面すべて、脚部の下のほうが後補と判明し、
②後頭部、左側部を含む体部前面、さらに、下腹部にあてる左手先は指先まで木目が通り、制作当初の部材と確認され、
③用材については、年輪の幅に広狭があり、年輪がゆるく波打つ点がクスキ材製の三重県見徳寺薬師如来像(7世紀)と共通することから、
木造の如来立像として屈指の古像であると考えられるようになった。
説明文の横にCT写真も展示されており、補作部分と当初部分が一目でわかる。このような最新の研究成果をわかりやすく教えてもらえるのも展覧会の醍醐味だ。
ご尊顔は後補と判明したわけだが、飛鳥時代の特徴が見られ、それなりに技術と知識のある人が造ったものだろう。お腹に当てる左手の形も独特で気になる。さらなる研究結果を待ちたい。
そのほか、中宮寺の国宝天寿国繡帳(前期展示/622年頃)や、橘夫人念持仏の国宝阿弥陀三尊像(大好き)も素敵なので、ぜひぜひご覧いただきたい。
まだまだ話し足りないが、今日のところはここまで(笑)
なお、本展期間中は、特別第5室で「聖林寺十一面観音」展も開催されており、上野のトーハクに奈良がやってきた感じになっている。11室には大好きな當麻寺の吉祥天様もお出まし。奈良の仏像好きとしては、毎日でも通いたいくらいだー! 一日も早く、思うように外出できる日が来ますように。
参考
〇展覧会公式サイト
tsumugu.yomiuri.co.jp
〇法起寺の如来立像の調査結果を伝える記事(読売新聞オンライン2021/4/26)
www.yomiuri.co.jp