ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【読書メモ】鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 』が教えてくれること

 鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか 』(文春新書、2018年)を読みました。仏像好きの人間にはつらい内容です。簡単ですが、感想を書きました。

f:id:butsuzodiary:20190225205951j:plain

廃仏毀釈とは狂気の産物

 明治の初め、神仏分離令の発令により、日本各地で行われた廃仏毀釈。寺院や仏像、仏具が破壊された。
 その記録をまとめた本書を読み進めるうちに、ある思いがこみ上げてきた。

 「人は時々真面目に狂う」

 この思いは読了時に確信へと変わった。


1) 権力者の忖度
2) 富国策のための寺院利用
3) 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
4) 僧侶の堕落

 筆者は廃仏毀釈の要因をこの4点にまとめる。しかし、理由はどうあれ、信仰の対象である仏像を叩き壊し、寺院をつぶし、薪にしたり、校舎や橋の建材に転用したりというのは、どこかで何かが狂っていないとできないことだと思う。

 木の仏像を燃やして湯を沸かし、仏僧に湯につからせたという記録もあるそうだ。拷問ではないか。真面目な狂気によらず、どうしてそんなことができるだろう。物だけでなく、精神まで破壊しようとしたのだろう。

 著者は要因3) として、熱しやすく冷めやすい日本人の民族性を上げているが、それは日本人特有のものとは思えない。日本人というより、人間の特徴なのではないか。

 まるで戦争の記録を読んでいるようだった。

 人間は迷うし、時々真面目に狂う。だからこそ、祈りが必要なのだと思う。祈りの対象が狂気の対象となり、破壊された事実は重い。

生き延びた仏像

 廃仏毀釈によりたくさんの仏像が失われた。梅原猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数は三倍はあったと指摘する。
 だが、廃仏毀釈を生き延びた仏像ももちろん現存する。本書を読んで、そうした仏様のお像にお会いしに行きたくなった。
 生き延びてくださったお礼を申し上げに参りたい。失われた他の無数の仏像をしのびつつ、お参りしたい。

 本書の中から、廃仏毀釈を生き延びた仏像をいくつかリストアップした。(拝観に制限のある場合もあるかと思いますので、お参りされる場合は事前にご確認ください)

○鹿児島県日置郡日吉町・清浄寺 阿弥陀如来像 
(元は鹿児島市の不断光院にまつられていた。小松帯刀の妻お千賀が守った)

○長野県松本市・西善寺 阿弥陀三尊(江戸、市指定。市のサイトのよると公開日が決まっているようです)

○愛知県碧南市・海徳寺 阿弥陀如来坐像、通称、大濱大仏(元は伊勢の神宮寺、海路で運ばれた)

○愛知県西尾市・浄名寺 円空観音菩薩(270cm) (伊勢より移ったと言われている)

三重県菰野町・明福寺 円空両面仏(片面が阿弥陀で、もう片面が薬師。元は伊勢の常明寺にあった。横浜の円空展にお出ましだった)

京都市下京区因幡薬師=平等寺観音堂の十一面観音(元は北野天満宮。東寺観智院を経て平等寺へ。今年4月から龍谷ミュージアム因幡薬師展があるので、そこでお会いできないかと期待)

京都市誓願寺 阿弥陀如来坐像 (元は石清水八幡宮本地仏として別当寺の安楽寺に。こちらは基本的にいつでも拝観可能かと。丈六の阿弥陀さまです)