小さな公民館の一室に大きな押入れがあり、大きな鍵がかけられていた。管理者の方が「おいしょっ」と鍵を開け、襖を開けくださった。多くの石仏や木彫仏が目の前に。わぁ。なんだかほんわか。この感動は何なのだろう。
仏像群の来歴はよくわからないそうだ。素人目に見る限りでは、上段の十王像の一群はおそらく、近代以降に一組として造立されたのかなぁ…。一方、それ以外の諸像は、近くの道端やお堂から個別に移されたのだろう。ユニークな石仏は金剛界大日如来像と養蚕の守り仏だろうか。ほのかに残る色彩に村人の愛を感じる。端正な阿弥陀如来坐像と千手観音立像にも惹かれる。江戸時代に遡るものもある。
これらの尊像が地域のみほとけとして大切に伝えられてきたことは一目瞭然である。今でも、お彼岸の時に、この一室の窓を開けるのだという。墓参の人々が窓の外から手を合わせていかれるのだと伺った。
たとえば、薬師如来であれば日光菩薩月光菩薩に十二神将を組み合わせるのだが、ここには、そんな流儀に沿った統一感はない。しかし、なぜだろう、ここでは、バラバラなみんなが仲良く暮らしているようにしか思えないのだ。民にまもられ、民をまもろうとしているようにしか感じられないのだ。