硯山長福寺(千葉県いすみ市)
天台宗の南総地区の仏像調査がとんでもなく本格的である。調査結果が『南総天台の仏像・仏画』という冊子にまとめられており、私の知る限り、それは第7部まで刊行されている。その第1部に登場するのがいすみ市の長福寺である。念願かなって、拝観のお許しをいただき、寺庭様にご案内いただくことができた。
硯山長福寺の来歴
大同2 年(807)、伝教大師最澄が自ら建立されたと伝わる。末寺に伝来した平安時代の薬師如来像などが残るが、度重なる罹災により古代・中世の詳しい寺歴は不明。硯山の山号は、石橋山の戦いの後房総に逃れた源頼朝に差し出した硯が優れていたため、頼朝から賜った伝わる。
ご本尊阿弥陀三尊
まずはご本尊様を拝んでいただきたい。室町頃の作だというが、なんという優美さだろう。台座の下に組み込まれた、波の伊八の彫刻も見事である。下の波が師匠のもので、上のうねうねした波が伊八のものだという。近くの行元寺にある「波に宝珠」が葛飾北斎の神奈川沖浪裏のモデルとされて有名だが、長福寺のこの波は師弟共作であることから、もっと若い頃の作品だという。本堂の内陣と外陣を区切る欄間にも伊八の作品が残る。
薬師如来坐像
薬師如来坐像 平安後期 103.1cm 県指定
とにかく感動した! 『南総天台の仏像・仏画 I』を拝読し、長福寺様に拝観をお願いしたのがこちらの薬師如来像である。
みほとけとしての気品にあふれつつ、大らかな温かみに満ちたお姿が印象的である。檜の一木造りで、粗い内刳りがある。平安後期にしては古様な造りであるのは、この地方の作の特徴でもあるという。同時期の中央作と比べると素朴で、温かみのあるお姿が愛おしくてならない。坐像で100cm。その数字以上に大きな存在感があった。
脚部の同心円状の衣文に少し違和感を覚えたのだが、建長2年(1250)に修理された旨の墨書が脚部に残ることから、その際に補修された可能性が高いとの説明(※)を読み、なるほどと納得した。脚部は本体より少し後の時代のものなのだ。
この薬師如来像は、長福寺の裏の山中にある釈迦谷寺から遷座されたことがわかっている。釈迦谷寺は長福寺の隠居寺だったが、明治に入って廃寺に。釈迦谷寺の跡には、等身大の磨崖仏が今も残る。
不動明王立像と毘沙門天立像
不動明王立像 102.3cm 市指定
毘沙門天立像 101.4cm 市指定
いずれも平安後期
不動明王立像と毘沙門天立像については、由来が不明。しかし、推定制作時期や像高のバランスから、薬師如来と一具だった可能性も否定できないとのこと(※)。
金剛力士像
薬師如来像と同じく、釈迦谷寺から移されたお像だという。平安中期から後期に遡る可能性もあるとのこと。体部が薄いのが特徴。仁王さんの身体をさすると、自分の身体の痛みが消えると言われているそう。柵が一本はずされていて、そこから手を入れて、仁王さんの御足をすりすりさせていただいた。
磨崖仏
ここまで学んでしまうと、どうしても釈迦谷の磨崖仏を拝みたくなる。雨上がりで途中の道はぬかるんでいたが、なんとかたどり着くことができた。新しいお花がお供えされたばかりで、信仰が今も続いてることを実感した。文化財指定は釈迦如来だが、南総天台宗の調査報告書には薬師如来ではないかとあった。磨崖仏のそばに十二神将と思われる像もまつられている。
長福寺には上記以外にも仏像があり、ここに書ききれていない。あえて写真を載せていないお像もある。仏像愛好家の皆様には、近くの釈迦谷の摩崖仏も含め、実際に拝観をお勧めしたい。なぜ私がすべてを書ききれずにいるのか、お分かりいただけるのではないかと思う。
最後に、予約のお電話から当日の拝観まで、住職様や奥様に大変お世話になった。心から感謝を申し上げたい。ありがとうございました。
※参考文献 『南総天台の仏像・仏画 I』