ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【世田谷区】御岳山古墳の上で蔵王権現を拝む

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御岳山古墳の頂上にまつられる浮彫りの蔵王権現

 2021年5月28日は等々力不動尊(世田谷・満願寺奥院)の熱い一日だった。弘法大師・興教大師ご生誕青葉祭り大護摩供として、14時から護摩供養に加えて、茅の輪がオープン。さらに、近くの御岳山古墳(満願寺管理)がこの日だけ特別に公開された。

1) 蔵王権現に捧げる法螺貝の音色

 御岳山古墳は5世紀後半の築造で、近くの野毛大塚古墳(副葬品が国重文)と同じ帆立貝式前方後円墳だ。こんもりした墳丘はかつては自由に出入りできたようだが、近ごろは非公開となっている。古墳の名前からわかるように、かつてこの古墳のうえには御岳神社があったようで、今も墳丘の頂上に浮彫の蔵王権現像がまつられる。
 13:40頃に御岳山古墳に行くと、ちょうど蔵王権現の法要が始まるところだった。墳丘の上から等々力不動尊方面を見下ろすと、僧侶の一団が山門前の信号を渡るのが見えた。一列で練りながら古墳へ向かう。法螺貝を響かせ、古墳の入り口を通り、墳丘の参道を上って、頂上の蔵王権現の御前に到着した。
 東京世田谷に響く法螺貝の音色はエキゾチックだ。奈良の吉野の山を思い出す。そもそも等々力不動尊役行者ゆかりの地だ。国分寺崖線の端にあり、その崖の片隅に今も役行者像がまつられる。よって、蔵王権現がおられても、法螺貝が響いても、おかしくはないはずだ。しかし、それでも、21世紀の東京において、蔵王権現に法螺貝の音色が捧げられるというのは、エキゾチックと言わざるをえない。
 蔵王権現像の御前で、短く法要が執り行われた。南無御嶽権現、南無蔵王権現とおとなえし、般若心経が続く。関係者の焼香が済むと、僧侶の一団はまた法螺貝を鳴らしながら墳丘を下った。電気信号の点滅する交差点を渡って、等々力不動尊に戻られた。私はそのまま古墳に留まったので見ていないが、僧侶の方々は14時から本堂で護摩法要に臨まれたはずである。そして、夏越の祓のため、茅の輪くぐりも始まったはずだ。(茅の輪は数日間引き続き設置され、誰でもくぐれる)



2) 石仏〜5世紀の古墳の上に18世紀の人の生きた証が残る〜

 御岳山古墳でもう1点私が注目したいのは、墳丘の参道沿いに並ぶ数々の石仏である。人の名前と日付が書いてあるので、墓標のようだ。しかも、童子童女と書かれたものが多い。宝永、正徳、享保と18世紀初めのものが多いのだが、この頃この地域では災害か飢饉で子供が多く亡くなったのだろうか。5世紀に築造された普段非公開の古墳のうえに、江戸時代の人々の墓標。静かな異空間には、遠い過去に生きた人々の証があった。
 近くには多摩川が流れ、その恵みを受ける一方で、水害もあっただろう。思えば、2年前には近くで台風による水害も発生しているし、今はパンデミックの最中だ。昔も今も、生きていくのは大変だ。
 2021年5月、石仏の墓標は穏やかな日差しを浴びていた。よく見ると石仏様はそれぞれ個性的な表情であられる。静かに手を合わせた。
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参考資料

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