ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【信濃仏】智識寺(千曲市)~3メートルの立木仏 十一面観音立像~

智識寺とは

智識寺(千曲市)(真言宗智山派
拝観日=2018年6月16日
〇十一面観音(重文 306cm、ケヤキ、一木)
〇釈迦如来坐像(室町)

 智識寺の開創時期は定かでないが、天平年間(729~748)に、聖武天皇の勅願により冠着山(かむりきやま)麓に建立されたといわれる。慶長10年(1605年)に現在の地に移る。室町時代末期に建造された大御堂とその堂内の十一面観音立像が重要文化財に指定。

智識寺の十一面観音立像

 去年お参りしようと電話したのだが、お堂の改修中のため拝観できず、今回念願かなってやっとお参りできた。白洲正子の『十一面観音』に登場する3メートル超の一木造りの観音さまである。葺き替えを昨年度に終えたばかりの茅葺の大御堂に観音さまはおられた。
 かわいらしい大きな童顔と、それに比して細い両肩。すくっと伸びた長い手足。霊木を使って彫り出されたのだろう。はかりしれない霊験を感じさせる観音像だった。
 それにしても、身の丈3メートルとはかなりの長身である。どれだけ巨大なケヤキを使ったのだろう。私の普段の散歩コースにあるケヤキの巨木は驚くほど固い。コンクリートかと思うほどだ。固いケヤキの巨木から、このように柔らかく温もりのある観音像が生まれるとは。
 もちろん智識寺の観音像に直接触れたわけではない。しかし、見た目には明らかに柔らかで、温もりが感じられる。それはゆるやかな身体のラインや浅い衣の彫りだけでは説明しきれない。おそらくそれが霊木から生れ出た霊像というものなのだろう。写真では何度も拝見したが、そうした感覚というのは現地でしか感じることができない。単なる彫刻ではない。言葉にできない何かが観音さまから発せられ、堂内に満ちるのを感じた。お会いできた幸せをかみしめた。

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 白洲正子は『十一面観音巡礼』の中でこの観音さまと対面した時の感動を記している。大法寺参拝のおり人づてに大御堂の観音さまのことを聞き、夕方遅くに到着。ろうそくの火影のもとに浮かび出た十一面観音を「想像していたよりはるかに美しい」と絶賛している。「地方作ではあるが、平安初期のしっかりした鉈彫りである。この観音は、もと女沢川の上流に祀ってあったと聞くが、背後の神体山と、何らかのつながりがあるに違いない」。
 背後の神体山の山の名前を帰宅後に地図で調べ、それが冠着山(かむりきやま)であることを白洲は知る。地図では、冠着山に括弧して「姥捨山」とあるのを見た白洲は「私は探していた言葉にめぐり合ったような心地がした」という。篠ノ井線の姥捨駅の近くに山がなく、不思議に思っていたということらしい。
 さて、冠着山(姥捨山)とこの観音さまとの間にどのような関係があるのだろう。私はその辺りが気になってしかたがない。神仏習合と立木仏の勉強をしたい。

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他の仏像はどこに

 過去のブログなどを見ると、堂内には大きな仏像がひしめき合っていたようだが、今回はお会いできなかった。お堂の改修後にどこかに移られたのだろうか。自分がまとめた拝観予定リストには以下のお像も含まれていたのだが、今回はお会いできなかった。
聖観音(市指定、168cm ヒノキ、12c末~13c初)
地蔵菩薩立像(市指定、159cm、ヒノキ、江戸中期)

釈迦如来坐像と仁王像


 境内の小さなお堂に、丈六規模の釈迦如来坐像がおられた。お堂が小さいので、堂内をのぞき込んだ瞬間、あまりの像の大きさに驚いた。室町時代の作だそうだが、穏やかなお姿に癒された。仁王門の仁王も室町時代

拝観情報


観音さまの拝観には予約が必要。住所=長野県千曲市大字上山田八坂1197