ぶつぞうな日々 part III

大好きな仏像への思いを綴ります。知れば知るほど分からないことが増え、ますます仏像に魅了されていきます。

【京都府】西念寺(木津川市鹿背山)〜中川寺の薬師如来坐像を拝む〜

鹿山 医王院 西念寺京都府木津川市鹿背山)


 木津川市の特別公開で、中川廃寺(奈良市中ノ川)の平安後期の薬師如来坐像を拝観。優美なお姿に心が癒される。鹿背山の静かなお寺の佇まいと、住職様の穏やかなお話に、さらに癒される。特別公開中(2022/5/3-5)とはいえ、他に拝観者はおらず、おかげで静かにのんびりお参りできた。とてもありがたく、感謝申し上げる。そして、中川寺についてもっと学びたくなった。

薬師如来坐像

中川寺成身院におられたとされる薬師如来坐像

 西念寺薬師堂の大きなお厨子にまつられる。穏やかな平安後期の作で、京都府指定文化財。像高50.7cm。桧の割り矧ぎ造り。
江戸期の『東大寺雑集録』に、「薬師は木津鹿背山にこれ在る由、薬師の仏足裏に中川山と書付けるの由、村老申し伝えて云う」とあることから、文明10年(1478)に焼失した中川寺の成身院(じょうしんいん)の本尊だったと考えられる。

日光菩薩月光菩薩立像

西念寺薬師堂内

 薬師如来の脇侍としておなじ厨子に安置。像高は日光菩薩が46.3cm、月光菩薩が45.6cm。月光菩薩の台座底面に永正11年(1514)とある。室町ながら、気品のある立ち姿が好印象。

本堂のご本尊阿弥陀如来坐像

西念寺ご本尊阿弥陀如来坐像

 台座に延宝5年(1677)と墨書があり、その当時の作だという。外陣から拝観した限りでは平安仏かと見紛う美しさだった!

裏堂の阿弥陀如来

裏堂の阿弥陀如来

 本堂の向かって右奥に、法然上人、善導上人とともに阿弥陀如来坐像がまつられている。面相部のみが平安後期のもので、体部は江戸時代のもの。本尊よりさらに遠目からの拝観であったが、頭部だけ色が黒っぽく、明らかに作風が異なるように思った。資料には面相部のみ平安と書いてあるが、肉髻の豊かな盛り上がりも平安後期風では? 法然上人と善導上人は江戸時代の作。

「鹿山寺略縁起」版木 享保5年(1720)

 鹿3頭を射止めた猟師に出会った行基さんが殺傷はいかんと説くも、聞いてもらえない。すると、行基さんはなんとその鹿をことごとく食べてしまう。そして、近くの川で口をすすぐと、生きた鹿3頭を口から吐き出した…というストーリーの版木が本堂で展示されていた。大智寺にこの縁起の絵巻があるそうで、そのコピーも一緒に展示。わかりやすい物語に行基さんの偉大さが凝縮されている! 

追記 川端龍子旧蔵の毘沙門天立像も中川寺におられた

 なお、中川寺の遺物として、川端龍子旧蔵の毘沙門天立像もある。中川寺の十輪院に伝来した。平安時代・応保2年(1162)頃の作。像高102.5。木造に彩色・截金。玉眼。現在は東京国立博物館の所蔵のため、割と頻繁にお目にかかっている。詳しくは、以下のサイトをご参照ください。
bunka.nii.ac.jp

【拝観案内】

鹿山医王院西念寺西山浄土宗
〒619-0211 京都府木津川市鹿背山鹿曲田65
0774-72-0175
薬師如来坐像については春か秋に時々公開があるようだ。木津川市の情報をチェックするのがよろしいかと…

【滋賀】繖山 桑実寺ご開帳と桑実寺縁起絵巻

繖山 桑実寺(きぬがさやま くわのみでら)(滋賀県近江八幡市安土町
ご本尊薬師如来ご開帳
2022/4/8-5/10春季 11/1-11/30秋季

桑実寺秘仏本尊薬師如来坐像
桑実寺本堂は重文

桑実寺薬師如来様ご開帳

 12年に一度のご開帳の薬師如来様にお会いするため、沢沿いの急な石の階段をのぼる。山門までまあそこそこの石段があり、そのあとさらに果てしなく石段が続く。息を切らし石段をのぼりきると、重文の本堂が姿を現す。
 堂内に入ると、須弥壇中央のお厨子が開いており、秘仏薬師如来坐像が鎮座されていた。お前立の薬師如来坐像もおられ、その両脇に小さな十二神将が左右一列にお並びだった。桑実寺縁起絵巻のレプリカも展示。
 広い堂内に座り、外の朗らかな空気を感じながら、内陣を見上げる。お香がゆらゆらと上るその向こうに秘仏薬師如来様は座っておられた。他に参拝者はほとんどいない。静かな時間が過ぎていった。
 秘仏薬師如来坐像文化財未指定のようで、制作年代は調べたがわからなかった。肉髻部分に螺髪がないように見えるのが気になった。もともとこういう特殊な形なのか、それとも、いつしか螺髪が抜けてしまったのか…?

桑実寺縁起絵巻

 ご開帳の後はよろよろと石段を下り、安土城考古博物館へ。「桑実寺縁起絵巻」原画(土佐光茂 室町時代 重文)が展示中だった。
 天智天皇の皇女が疫病にかかり、琵琶湖に光が放たれる夢をみる。天智天皇がお堂を建て法会を修すると、薬師如来が出現する、というストーリーである。二巻からなる桑実寺縁起の概略は次のとおり。

 桑の木の実の一つが桑実山(繖山)になった。さらに時は流れ、大津に都のあった天智天皇の時代、都に疫病が流行し、皇女の阿閇皇女(あべのひみこ)も病に倒れてしまう。皇女は琵琶湖が瑠璃色に光る夢をみる。それを聞いた天智天皇は、琵琶湖の底の竜宮城にいる生身の薬師如来が疫病を調伏する瑞夢だとして、法要を修する。すると、本当に薬師如来が湖上に影向し、その光で皇女や人々の病を治してしまう。薬師如来帝釈天の化身である白水牛に乗って湖上をわたり、岸辺で梵天の化身である岩駒に乗り換え、桑実山に飛び移った。次の天武天皇がお堂を建てて薬師如来を安置した。

 「桑実寺縁起絵巻」は六角定頼を頼って桑実寺に身を寄せた足利義晴が天文元年(1532)、発願・制作した。絵は土佐光茂(とさみつもち)、詞書は後奈良天皇、青蓮院宮尊鎮法親王(しょうれんいんのみやそんちんほっしんのう)、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)。

桑実寺縁起絵巻より白馬に乗られた薬師如来

 会期中3回展示替えがあり、私が訪れた第1期には、下巻第一段の薬師如来が琵琶湖を渡る壮大なシーンが展示されていた。薬師如来は湖上では水牛(帝釈天の化身)に乗り、湖岸に着いてからは岩駒(梵天の化身)に乗って繖山へ移動する。この薬師如来のスピーディーな移動シーンもさることながら、繖山の麓の田園風景が美しかった。博物館を出ると、絵巻に描かれたのと同じ場所で田植えの準備が行われていた。変わらないことの強さを感じる。
 最後に、ディズニープリンセス好きとしてあえて追記したいのは、薬師如来様が乗られる岩駒、つまり、お馬さんが白馬にしか見えないこと。白馬の王子様がまさかの薬師如来様だったとは。

※桑実寺縁起絵巻の公開は以下の特別展にて
安土城考古博物館
「戦国時代の近江・京都―六角氏だってすごかった!!―」
2022年4月23日~6月5日

※参考資料
滋賀文化財教室シリーズ〔227〕「桑実寺縁起絵巻」滋賀県立近代美術館 主任学芸員 國賀由美子(こちらからPDFで読めます→
http://www.shiga-bunkazai.jp/download/kyoshitsu/k227.pdf

※桑実寺縁起絵巻の上記の写真は以下のサイトよりお借りしました
土佐派と住吉派 - 福高寿禄会

【仏像エッセー】『鎌倉殿と13人』と仏像シリーズvol3.

岡崎義実阿弥陀三尊?】

 突然だが、『横浜の仏像』展の図録を愛読されている方は多いと思う。私は特に、山本勉先生のコラム「證菩提寺の仏像物語」(p66-68)が好きで、時々読み返す。この3ページの中で特に好きなのが、證菩提寺の収蔵庫の阿弥陀三尊に関する部分。
 あの平安末期の美しい阿弥陀様は、もともと岡崎義実源頼朝の父、義朝の菩提を弔うため、鎌倉亀谷の義朝の旧宅に御堂を建てて祀ったものではないか、というくだりである。安元元年(1175)頃の作とされ、優美な中にも新時代の息吹が伺える見事な尊像だという。

 そんなおり、2/27放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観ていたら、岡崎義実がその御堂の話をするシーンが出てきたので、一気に胸が高鳴った。正確には、こんなセリフだった。「わしは義朝様のお館があった亀谷に御堂を建てて、ずっと義朝様の御霊を祀ってきた」

 これを聞いた瞬間、證菩提寺阿弥陀三尊が思い出されて、頭から離れなくなってしまった。大河ドラマでは毎回最後に、ドラマにゆかりの場所が紹介されるコーナーがある。ひょっとしたら證菩提寺阿弥陀様が紹介されるかも…と、期待して待っていたのだが、結果は…。亀谷の地に現在建つ寿福寺が紹介されただけで終わってしまった…。證菩提寺の「しょ」の字も、阿弥陀様の「あ」の字も、(ましてやキリークさえも)出てこなかった!

 證菩提寺阿弥陀三尊はまだ一般的ではないということなのだろうか。みんなで『横浜の仏像』展図録を愛読しよう!
(2022年3月4日)

阿弥陀如来坐像の写真は『横浜の仏像』展図録より

【展覧会】【奈良】大安寺のすべてが最高!!

「大安寺のすべて」展
奈良国立博物館
前期 2022.4.23-5.22 後期 2022.5.24-6/19

大安寺のすべて展 右から楊柳観音聖観音不空羂索観音

大安寺はTemple of Great Peace!

 大安寺(奈良市)は奈良時代の木彫仏の宝庫で、行くたびに長居をしてしまう。その仏像群を360拝観できてしまう「大安寺のすべて」展が奈良国立博物館で開催中。

 大安寺で一番有名な仏像は憤怒相の楊柳観音立像だろう。このお像はアメリカの同時多発テロの翌年、2003年、イラク戦争開始直後にニューヨークのジャパンソサエティで展示されたことがある。当時の住職は戦争反対のお立場から出陳を躊躇したが、最終的に以下の文章を添えて楊柳観音様を送り出したのだそうだ。

 「この仏像の憤怒の表情は、大義がいかなるものであれ、愚かしい戦争を怒るものである。その悲劇を憤り、嘆くものである。仏の怒りと悲しみをあえてお伝えするべく、開陳を認めた。大安寺住職 河野良文」(西山厚『仏教発見!』より)

 19年経った今、ウクライナのニュースが毎日伝えられる中で、大安寺展が開催される。複雑な思いを抱きつつ、会場に向かった。展覧会タイトルにふと目をやると、大安寺の英語訳が Temple of Great Peace となっていた。なるほど、大安寺はその名の通り、平和を祈る寺なのだ。

第一会場 大安寺の木彫仏が勢ぞろい!

 大安寺の収蔵庫の木彫仏がすべてお出まし。楊柳観音立像、不空羂索観音聖観音立像、四天王立像の7躯(すべて重文)である。いずれも奈良時代の特徴を有しながらも、それぞれ個性的で、いくら見つめても飽きることがない。木の力強さと、そこに緻密に彫り出された装飾の華麗さ。楊柳観音は今日も怒っておられたし、不空羂索観音は今日もにこやかに笑っておられ、聖観音は何かを話しかけてきそうだった(つまり、大好き)。
 特に私のごひいきは不空羂索観音立像。展示解説によると、8本の腕は後補で、額に三番目の眼がなく、鹿皮(ろくひ)を身に着けないことから、必ずしも不空羂索観音とは限らない。木彫像ではあるが、穏やかな表情や柔らかな衣の襞の表現は乾漆像に通ずるという。天平の乾漆像が好きなので、こういう解説を読むと興奮してしまう。
 聖観音菩薩立像は威厳のあるご尊顔に、肩の張った体つき、装飾性に富んだ胸飾りの意匠が特徴。唐招提寺の木彫群と共通するものだという。
 大安寺収蔵庫の四天王像は作風の違いから造立当初の組み合わせのものとは考えられないという。しかし、それがなんだ、四人おそろいでかっこいいし、絶対に四人仲良しだと私は信じている。特に、かっこいいのは多聞天

 大安寺には奈良時代の木彫仏がこれ以外にも2躯おられる。本堂のご本尊十一面観音立像と嗎堂の馬頭観音立像である(いずれも重文)。それぞれ毎年11月と3月にのみ公開される秘仏である。
 本展では、十一面観音立像が前期展示となっており、お寺とは異なり、明るい照明のもと360度から拝観できた。胸から下の体部の見事な彫刻表現を間近で拝見すると、胸の装飾など、収蔵庫の諸像と共通する特徴があることがわかった。頭部が後補のため、お寺で拝観した時は違和感があったが、大安寺展でよく拝観すると、収蔵庫の諸像と同じ頃に遡る古像であることが実感できた。そして、今回気づいたのだが、台座も見事であった。
 後期には、本堂の十一面観音と交代で、嘶堂の馬頭観音がお出まし予定。そして、普段3月のみ公開のこの馬頭観音は現在、特別にお寺で公開中とのことである。後期に行けそうにない人は早めに大安寺で拝観するのがよいだろう!

大安寺ご本尊十一面観音立像
大安寺嗎堂 馬頭観音立像

第二会場 行教律師像と最後の四天王像二組に大興奮!

行教律師坐像(神応寺/重文)

行教律師坐像(京都府八幡市・神應寺)

 私のお勧めは、石清水八幡宮を勧請した大安寺の僧、行教律師坐像。八幡神像だったという説もある、迫力のお姿である。
 普段は、京都府八幡市、男山の麓の神應寺に安置されている。石清水八幡宮の開山堂から明治初めに遷された。頭に烏帽子を付けて破壊を免れたという話も。
 神應寺では、本尊薬師如来の脇に客仏のような形でまつられており、お像まで少し距離がある。しかし、展覧会ではガラスケースなしで、間近で拝めた。間近で拝見すると、お寺で感じた以上にイキッテルお像だった! 大きな目や鼻や口。少し傾げた首。膝の辺りの衣文は釘で引っ掻いたような表現。背中は後方に倒れ気味。迫力半端ない! 箱根の万巻上人と双璧と言ってしまおう! 

宝誌和尚像(京都・西往寺/重文)

 お顔が真ん中から裂けて、その中から十一面観音が現れる、特異なお姿の一木像。伊豆河津の南禅寺伝来と解説に明記されていたのが印象的だった。

虚空蔵菩薩坐像(奈良・北僧坊/重文)

 大和郡山の矢田寺の塔頭北僧坊の虚空蔵菩薩坐像は9世紀の木彫像。前にどこかでお会いしているかもしれないが、今回は特に印象に残った。額安寺旧蔵で現在文化庁所有の8世紀の虚空蔵菩薩坐像(重文)や細見美術館の板絵着色の虚空蔵菩薩(重文 前期展示のみ)とともに展示されているので、比べてみるのも楽しい。

四天王像(大分・永興寺と香川・鷲峰寺/いずれも重文)

 今回初めて知ったのだが、興福寺北円堂(5/8まで公開中)の四天王は大安寺旧蔵で、それを模刻した像がいくつか存在するそうだ。その例として、大分県日田市・永興寺と香川県・鷲峰寺から四天王像が出陳。折しも興福寺北円堂が公開中だったので、本家の四天王像をじっくりと拝見してから大安寺展に向かった。すると確かに真似っこしているのがよくわかった! 本家の四天王像一組と模刻の四天王像二組を見比べるという贅沢。特に、両腕をクロスさせた持国天像に惹かれたことを書き残しておきたい。
永興寺(大分県日田市)の四天王像 鎌倉時代、元享2年(1322)、南都仏師、康俊、康成、俊慶の作。持国天の腕のポーズの真似かたがかわいらしくて、つい微笑んでしまう私がいた。
鷲峰寺(香川県)の四天王像 鎌倉時代14世紀の作。北円堂の像より細身で、身体の動きは抑制されている。しかし、髪型や甲の形、邪鬼までよく似せており、愛らしく感じてしまった。

興福寺北円堂の四天王(北円堂拝観時に配布される資料です)

 なお、この興福寺北円堂の四天王像は791年の作。大安寺に伝来したが、1285年に経玄が興福寺勧学院を創建する際にこの四天王像を修復し、文殊菩薩騎獅像及び侍者立像(康円作で、現在東京国立博物館所蔵)とともにまつった。この四天王像は出陳されていないが、写真パネルが展示されているので、模刻像との比較に役立つ。ただ、北円堂は5/8まで公開中なので、せっかくなら北円堂で四天王像を目に焼き付けてから、大安寺展に向かうのがよいだろう。

【大安寺さんが好きすぎて、過去にこんなことも書いてました】

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【仏像エッセー】『鎌倉殿と13人』と仏像シリーズ vol.2

『鎌倉殿と13人』と仏像シリーズ vol.2

 今年の大河ドラマの登場人物ゆかりの仏像シリーズの第2段として、東京都府中市・善明寺の鉄仏さまをご紹介したい。(どこまで連載できるのかについては、書いてる本人にも不明だが…w)

 先日訪れた府中の大国魂神社のすぐ近く、善明寺に、畠山重忠ゆかりの阿弥陀如来像2躯(重要文化財)がおられる。いずれも鉄造の阿弥陀さまの坐像と立像で、善明寺の金仏堂に安置される。
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 府中市立ふるさと府中歴史館のパネル展示によると、大きな坐像は重忠の死から48年後、その菩提心を伝えるため、僧 明蓮によって建長5 年(1253)に造立された。
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 小さな立像は、重忠と恋仲だった恋ヶ窪(現在の国分寺市)の遊女、夙妻太夫(あさづまだゆう)の死を悼んで、重忠が造立したという伝承がある。
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 この善明寺の阿弥陀如来像2躯は、毎年11月3日に東京文化財ウィークの一環として一般公開される。公開といっても堂内には入れず、お像からは距離があるので、いつか間近で拝観させていただけないかと密かに願っている。(素人の見た目では、立像は髪際がカーブしてるように見え、重忠存命時より少し後のようにも思えるので、その辺りをじっくり拝見したい…!)

 なお、11月3日には同じ府中市内で、新田義貞ゆかりの阿弥陀如来立像(重文)も公開される。
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 畠山重忠鎌倉幕府創建に、新田義貞はその崩壊に尽力したのだが、二人とも鎌倉の北の地の出身であり、現在の府中市付近を通って鎌倉に向かったのだろう。その足跡の証人が阿弥陀如来像なのだ。仏像って、本当に素敵!
(2022年1月23日記)


参考文献
○『畠山重忠辞典』(深谷市教育委員会 編、2020年、全42ページ)
http://www.city.fukaya.saitama.jp/.../1491186726389.html
○ふるさと府中歴史館の展示(添付写真2-4枚目)

【東京】【多摩の仏像】大国魂神社(旧六所宮)本地堂の木彫仏~神仏習合の時代を伝える穏やかな尊像~

大国魂神社宝物殿(東京都府中市
木彫仏5躯
重要美術品

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写真は大国魂神社宝物殿サイトより

 上原美術館本地仏薬師如来を拝観してから、本地仏への思いが募り…。身近なところで本地仏にお会いできるところはないかなぁ…と思った瞬間、思い出したのがこちら。
 東京都府中市大国魂神社神社の宝物殿におられる、40センチに満たない小さな仏像!
 平安後期のこの穏やかな佇まい。そして、清らかさ。若かりし頃に一度拝観しているのだが、その時は良さがわからなかった。なぜか今、私の胸を熱くする。
 左から二つ目の菩薩像の足元を見ると、蓮台まで一木で彫り出していることがわかる。
 一番左の像は天部像とされているが、甲冑を着て胸元でリボンを結ぶあたり、神奈川県大磯町の六所神社男神像と似てると思った。
 大国魂神社は明治初めまで武蔵総社六所宮と呼ばれ、これらの尊像はその本地堂にまつられていた。神仏習合の時代を今に伝える尊像なのである。
 大国魂神社宝物殿は土日祝日に開館しているので、今後は頻繁にお会いしに行くことにしよう。 

【参考資料】
1) 大国魂神社宝物殿のサイト(※上記写真は本サイトより)
www.ookunitamajinja.or.jp

2) 六所神社(神奈川県大磯町)の神像について
butsuzodiary.hateblo.jp

【拝観案内】
大国魂神社宝物殿(土日祝日等に開館)
京王線府中駅およびJR府中本町駅より徒歩8分ほど

【仏像エッセー】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と仏像シリーズ vol.1

 今年の大河ドラマはまだ最初の 2回しか放送されてないが、鎌倉や三浦半島伊豆半島の仏像と関わりのある人たちがたくさん登場するので、どきどき、きゅんきゅんしてしまう。

 例えば…
 和田義盛さんは煮干しを手にした無骨な荒武者な感じで初登場(演じる役者は横田栄司さん)。浄楽寺(横須賀市)の運慶仏の願主となる人だ。荘厳な阿弥陀三尊と強靭な毘沙門天不動明王を運慶に造らせた。強いお像に自分たち武者の理想を描き、死後の安寧を阿弥陀三尊に祈ったのだろうか。死と隣り合わせの武士の気持ちに思いを馳せてしまう。


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 和田義盛さんは北条と対立して滅びるのだが、その戦の際に義盛さんに代わって傷を負ったと伝わる木造薬師如来坐像天養院(三浦市に残る。平安の一木造りで、顔から胸と腹にかけて亀裂が走ることから生じた伝承だろう。
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 この和田義盛さんと三浦義村さん(つまり、山本耕史くん♡)はお祖父様が三浦義明さん。満昌寺(横須賀市に肖像彫刻が残るが、不思議な力のある像で、神像のように私には見える。


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 たぶんドラマで仏像は出てこないとは思うが、せめて運慶さんぐらいちょこっとだけでも登場してくれないだろうか…

(2022年1月17日記)


【写真について】
浄楽寺運慶諸像=浄楽寺クラファンサイトより
天養院薬師如来坐像桃さんブログより(おススメ記事です。ぜひリンク先をご覧ください!)
満昌寺三浦義明像=神奈川県HP「三浦一族ゆかりの場所」より

【静岡】伊豆山権現の仏像と神像、相模湾を見下ろす絶景、そして、災害の爪痕

1) 序文 伊豆山で神仏の尊像と絶景と災害の爪痕に出会う

伊豆山神社から見下ろす相模湾

 仏像と神像。高台から見下ろす相模湾の絶景。そして、災害の爪痕。

 去年(2021年)春に高来神社(神奈川県大磯町)の神像群を拝見し、それ以来訪ねたいと願っていた伊豆山を参拝してきた。高来神社の神像が伊豆山権現像と類似する点(袍衣に袈裟をかける)があると知り、再度拝見したくなったのだ。

 実は、去年7月の土曜日に出かける予定だった。大雨の予報が出て直前に取りやめたところ、あの土砂崩れが発生。家で震えながらニュースを眺めたのだった。

 その年の大晦日伊豆山神社から「ゆく年くる年」の中継があった。年明けに問い合わせてみたところ、伊豆山の資料館も開いているとのことだったので、1月初旬に下田の帰りに参拝することにした。熱海駅で下車し、逢初地蔵堂→伊豆山の階段の参道(600段ぐらい?)→足立権現社(木彫役行者像)→伊豆山神社→伊豆山資料館(仏像、神像他)→走湯山般若院と、徒歩で巡った。

 今回、仏像と神像の拝観ができたのは伊豆山神社の境内のみ。まずは本殿の手前の足立権現社で熱海市指定文化財の木造役行者を拝観。次に本殿を参拝し、その隣の伊豆山資料館へ。資料館では、伊豆山の常行堂におられた阿弥陀如来坐像と菩薩坐像がやはり好きすぎて、しばらく見とれてしまった。明治の神仏分離の後、伊豆山を下った逢初地蔵堂におられたと聞く。

 その逢初地蔵堂は昨年の土砂崩れの影響を受け、改修が必要な状況だ。災害当時に堂内にまつられていた地蔵菩薩像2躯は無事だったと報道されていたが、さすがに堂内にはおられないようだった。一日も早く逢初地蔵堂にお戻りになり、地域の皆様をお守りくださいますように。

 伊豆山神社参道の階段や、神社境内から相模湾が見渡せる。絶景だ。そのすぐそばで土砂が流れ落ちた。般若院に向かう途中で、濁流に飲み込まれた窪地の真横を意図せず歩くこととなった。災害の爪痕はまだ残っていた。失われたもののの大きさに言葉が見つからない。つらい気持ちを合掌の手にくるみ、そっと祈りを捧げた。

2) 拝観した仏像と神像

以下、拝観した尊像について記す。

2-1) 伊豆山資料館

阿弥陀如来坐像(平安〜鎌倉12-13世紀、67.6cm)

〇菩薩坐像2躯(鎌倉13世紀、25.4cmと26.0cm)

 「木造宝冠阿弥陀如来像及び脇侍像」として静岡県文化財に指定されるが、この阿弥陀像と菩薩像はもともと一具ではなかったと考えられている。
 阿弥陀如来坐像は、伊豆山の山上と山下にあったとされる常行堂のうち、上常行堂の本尊と推定される。菩薩坐像に比して平安後期の風を留める。
 菩薩坐像は下常行堂の本尊阿弥陀如来坐像(快慶、建仁元年1201、現在は広島の耕山寺所蔵)との類似点が多いことから、これに随侍した四菩薩のうちの2躯と見られる。
 つまり、伊豆山資料館のこの阿弥陀如来と菩薩像はもともと別々に造立されたということになる。それでも、私はこの三尊がとても気に入っている。阿弥陀如来は穏やかで、菩薩像は欠損のある小さなお姿から快慶風のキラキラしたオーラを惜しみなく発散させている。胸がきゅんきゅんしてしまう!
 この阿弥陀如来坐像と菩薩坐像は明治の神仏分離後、伊豆山の下の逢初地蔵堂に伝来し、昭和43年(1978)から13年ほど奈良国立博物館に寄託。私の手元にある1983年の奈良博の展覧会図録には、逢初地蔵堂所蔵と記載される。現在は伊豆山浜生協会の所蔵とされ、伊豆山神社境内の伊豆山資料館に展示される。

写真は1983年『浄土曼荼羅』展(奈良国立博物館)の図録より

伊豆山権現像 銅造鍍金 像高93.0cm 明徳3年(1392)

 穏やかな表情で、立烏帽子(たてえぼし)を被り、袍(ほう)と呼ばれる上着の上に袈裟をかけ、指貫(さしぬき)と呼ばれる袴を身に着ける。背中の上方に「本宮走湯権現神体 十方旦那勧進 明徳三年壬申十一月十八日」と刻まれている。
 袍と袈裟の組み合わせが高来神社(大磯町)の男神像と共通するが、高来神社像が若干愁いを帯びたハンサムガイなのに対し、こちらの伊豆山権現像は七福神の恵比寿様のような福々しさがあり、その対比が興味深いと感じた。

写真は伊豆山資料館のパンフより

 なお、高来神社の男神像はこのようなお姿である(写真は大磯町の資料より)。

伊豆山権現像 銅造鍍金 像高48.8cm 13世紀

 近年の保存修理で面目を一新。「表面の錆(さび)を除去した結果、鍍金(ときん)が多く残る威厳ある顔立ちが現れた。錆の成分分析では硫黄(いおう)が多く検出されており、源泉の涌(わ)き出る神聖な場にまつられた可能性もある」(※奈良博サイトより)。

伊豆山権現立像。修理を記念して2016年に奈良国立博物館で特別展が開かれた。この写真は当該特別展のサイトより

男神立像・女神立像 木造 彩色 明徳5年(1394) 周慶 作

男神像 45.7cm。女神像41.6cm。檜の寄木造り。熱海市指定文化財男神像には「一心三締観努 一行一切行 恒悠三昧 内田入道玄朗広希一切諸入皆入□□ 泉正薫周」、女神像には「走湯山大仏師周□(慶) 明徳五年六月八日」との墨書があり、伊豆山神社の祭神として造立されたことが伺われる。

写真は上記特別展のサイトより

不動明王立像

 「白山大権現 伊豆大権現 不動明王」との記載があった。伊豆山神道白山講の所蔵。写真なし。

男神立像(写真のみの展示)

木造彩色。像高212.2cm。重要文化財。神社本殿奥の宮殿東の間に安置。上記の奈良博の特別展で拝観したが、現地伊豆山では写真のみ。2メートルを超す10世紀の木彫像という大変貴重なもの。いつかまた間近で拝観したい!

 そのほか、永久5年(1117年)等の銘のある伊豆山経塚遺物や、伊豆大権現の扁額など。北条政子の髪の毛で刺繍したとされる「頭髪梵字曼荼羅」(鎌倉時代)は複製展示。

2-2) 足立権現社

役行者像 熱海市指定文化財

参道沿いの小さなお社をのぞくと役行者様がおられた

役行者様の御足!

3) 逢初地蔵堂

 一日も早い復興をお祈り申し上げます。必ずまたお参りいたします。

逢初地蔵堂 2022年1月9日撮影

4) 般若院

 木造伊豆山権現立像(重要文化財)がおられるそうだが、オミクロンが広まりつつあったので、個別拝観のお願いはしていない。いつか拝観させていただきたい。

5) 参考資料

5-1)「銅造伊豆山権現像修理記念 伊豆山神社の歴史と美術」奈良国立博物館 2016年

https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/201602_izusan/

 上記の小さいほうの伊豆山権現像の修復を記念して、2016年に奈良国立博物館で展覧会が開かれた。私は当時たまたま展示を拝見したのだが、思い返すと非常に充実した展示だった。この時展示された伊豆山の木彫男神像(下のチラシ、右上)は、伊豆山資料館では写真展示のみ。つまり、伊豆山で非公開の男神像に拝顔できる大変貴重な機会だったことを今になって思い知った。下記にリンクを貼る高来神社(神奈川県大磯町)の神像群は非公開であるが、そのうちの男神像1躯もお出ましだった。奈良博の常設で見かける木彫の伊豆山権現像も出陳されており、神奈川と奈良で所蔵される神像を一気に拝見できる好機だったのだ。当時無知だった私はこの展覧会の偉大さを今頃になって思い知るのだった。なお、奈良博に問い合わせたところ、この展覧会の図録はとっくの昔に完売したそうだ。古書を探そうと思う....!

展覧会チラシ「銅造伊豆山権現像修理記念 伊豆山神社の歴史と美術」奈良国立博物館 2016年

5-2) 2016.4.1 熱海ネット新聞記事「【社寺】伊豆山神社「銅造伊豆山権現立像」凱旋公開 奈良国立博物館で蘇る」

 伊豆山権現像の修復前の写真が掲載されている。
atamii.jp

5-3) 奈良国立博物館の常設でよく見かける木彫の伊豆山権現

 上記の伊豆山現地で拝観できる伊豆山権現像2躯はいずれも銅造だが、奈良国立博物館のぶつぞう館でよくお見掛けするこちらの伊豆山権現像は木彫。着衣がそっくりなのだが、木彫のせいかなぜか印象が異なるように感じる。奈良でお会いするのが楽しみな尊像の一つだ。詳しくは下記リンクをご覧いただきたい。
伊豆山権現立像|奈良国立博物館

5-4) 2021年12月15日静岡新聞「熱海土石流“無傷”の地蔵 紙から造られていた 上原美術館・田島さん調査」

 逢初地蔵堂に関する新聞記事を参考までに貼っておく。復興を祈念。
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/999999.htmlwww.at-s.com

5-5) 高来神社(神奈川県大磯町)社の神像群について

 この展覧会を見てから、伊豆山へ行きたくなったのだった。
butsuzodiary.hateblo.jp

【京都府】石清水八幡宮旧蔵の諸仏を拝む(八幡市文化財公開にて)

1) 石清水八幡宮旧蔵の諸仏を拝む

 京都府八幡(やわた)市の文化財公開があり、明治初めまで石清水八幡宮におられた仏像を拝観させていただいた。早朝のケーブルカーで石清水八幡宮を初めて参拝した後、下山してレンタサイクルに乗り換え、神應寺、正法寺、善法律寺を参拝。こんなに仏像の宝庫だったとは!

 特に、正法寺の丈六阿弥陀如来坐像は間近で拝観できて、大興奮。快慶作の可能性もあるそうで、奈良国立博物館「快慶」展(2017年)の図録に写真入りで掲載されていた(ただし、快慶展には出陳されていない)。阿弥陀様の説法印に胸が躍る。(伊賀の新大仏寺の丈六如来坐像を思い出すが、あちらは頭部のみが快慶という変化球だったなぁ…、などと回想シーンを交えつつ拝観した)

 善法律寺には、小さな本堂に所狭しと仏像が安置される。本尊八幡大菩薩坐像(地蔵菩薩)ほか、市指定文化財の仏像が多数。

 神應寺は行教律師坐像が平安前期。奥院に等身大の制咜迦童子矜羯羅童子

 なお、このような市主催の文化財公開は毎年春と秋に開催されているようだ。今秋は11/20-21の2日間だった。紅葉の時期にぶつけてくるとは、にくい配慮。


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2) 拝観した社寺と仏像リスト

以下、参拝した社寺とその仏像等を列記。備忘録として。

2-1) 石清水八幡宮

 奈良大安寺の行教が貞観元年(859)、宇佐八幡宮を男山に勧請したと伝わる。「木津川・宇治川桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地」。「平安京から裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受ける」(石清水八幡宮HPより)

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石清水八幡宮本殿(国宝)

2-2) 神應寺

行教律師坐像(平安前期、重文)
本堂の正面左に安置。
神應寺は八幡神を男山に勧請した行教律師が、貞観2年(860)に創建。

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行教律師坐像(平安前期、重文)。写真はお寺パンフより

2-3) 杉山谷不動尊(神應寺奥院)

制咜迦童子矜羯羅童子(室町の等身大、市指定文化財)※外陣から拝観だが、等身大の像なので、なんとか目視で見える。双眼鏡などあればなおよろしいかと。
中尊の不動明王秘仏

2-4) 正法寺

2-4-1) 収蔵庫

阿弥陀如来坐像(鎌倉、重文)像高283.0cm 彫眼 快慶?

2-4-2) 本堂

本尊阿弥陀三尊(鎌倉初期)観音勢至は三千院に似た大和座り

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正法寺阿弥陀如来坐像。丈六仏を間近で拝める。写真は快慶展(2017)図録より
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写真はお寺のパンフ等の資料より

2-5) 八角

 上記の正法寺阿弥陀如来坐像が祀られていたお堂が現存し、特別公開されていた。もともと男山西谷にあったが、明治初めに現在地(西車塚古墳)に移された。正八角形でなく、四方形の四隅を切り取った八角形(隅切形八角形)であることが特徴。
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2-6) 善法律寺

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2-6-1) 本堂

本尊八幡大菩薩坐像(地蔵菩薩坐像)市指定文化財 平安 寄木造り 彫眼 像高88cm
愛染明王坐像(本尊脇仏) 市指定文化財 13世紀後半 寄木造り 玉眼 像高115.8cm(蒲郡にある石清水八幡宮旧蔵の愛染明王像を思い出した)
不動明王坐像(本尊脇仏) 市指定文化財 13世紀 寄木造り 玉眼 像高98.4cm

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善法律寺本堂の諸仏。写真はお寺のパンフより


さらに小さな仏像も多数。左から随求菩薩坐像(7.5cm江戸)、伝吉祥天立像(牛頭天王像、82.4cm平安 焼跡あり)、毘沙門天(30.5cm鎌倉)、さらに、大黒天(40.5cm江戸)、阿弥陀如来像(48.9cm江戸)、八幡菩薩像(64.2cm江戸)

なお、本尊の裏に掛軸の八幡大菩薩像(市指定文化財)が掲げられ、特別公開されていた。

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掛軸の八幡大菩薩像(市指定文化財)の画像をあしらった特別御朱印が授与されていた
2-6-2) 阿弥陀堂(本堂奥の位牌堂)

宝冠阿弥陀如来坐像 市指定文化財 南北朝 寄木造り 玉眼 91.2cm
十一面千手観音菩薩立像 市指定文化財 13世紀後半 寄木造り 玉眼 像高137.6c m お顔が見事な鎌倉で、腕が細い 石清水八幡宮観音堂から遷座
地蔵菩薩立像 市指定文化財 平安12世紀後半 一木造り 彫眼 像高86.5cm 右手で衣の裾をつまみ、左手に錫杖を持つ(ボランティアガイドさんは、衣をつまむ例として、奈良の融念寺と長谷寺地蔵菩薩立像を挙げておられた。私もそれは思ったが、こちらは12世紀後半だから、少し時代が下るなぁと思った)

※どれも気になる仏像だった! 写真でご紹介できないのが悔しい!! 

2-7) 単伝庵(らくがき寺)

お寺の壁に落書き。昔の幸福駅を思い出したのは道産子の私だけかな。。

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小さなお堂の両端の白い壁に落書きができるそうで、様々な願い事が書かれていた

【東京】谷中の毘沙門天

谷中の毘沙門天 天王寺(東京都台東区

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 山手線の日暮里駅のすぐそばに、平安後期の見事な毘沙門天像がおられる。谷中七福神の一つで、元旦から1/10までの七福神巡礼期間に開扉され、間近でお姿を拝むことができる。
 元禄12年(1699)に天台宗に改宗する際、比叡山の円乗院から伝教大師親刻とされる毘沙門天像を遷し本尊とした。東叡山寛永寺の北方に位置するため、京都の鞍馬寺にならって毘沙門天をお迎えしたのだそうだ。戊辰戦争の時には四谷の安禅寺に避難させたという。
 これほど見事な平安後期の尊像が山手線のすぐそばに残っているとは! これだから仏像巡りやめられない。困ったことだ…
 なお、天王寺の現在の本尊は阿弥陀如来。境内の大きな銅造釈迦如来坐像は日蓮宗だった頃の造立。五重塔は目黒行人坂の火災のあと寛政3年(1791)に再建されたが、それも昭和32年(1957)に放火により焼失。幸田露伴五重塔』のモデルとなった。

拝観案内

護国山尊重院 天王寺
〒110-0001 東京都台東区谷中7丁目14-8

【展覧会】ほとけの心・木のちから―蓮花寺と地域の美術(大阪府・茨木市立文化財資料館)

「ほとけの心・木のちから―蓮花寺と地域の美術」
2021年9月25日(土)~11月29日(月)
茨木市文化財資料館

 小さな展示かもしれないが、平安の霊木仏が好きな人には全力でお勧めしたい。
 蓮花寺(大阪府茨木市)の地蔵菩薩立像の修理が終わり、市立文化財資料館で展示されている。

地蔵菩薩立像
一木造り 彫眼 像高114.6cm 11世紀 府指定文化財
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 「頭頂から地付まで、木心をこめた堅一材でつくられる」と始まる展示解説。地蔵菩薩にしては「やや厳しい表情を持つのが特徴で・・・静謐な表情をみせる」ことから、「単にほとけである以上のちからを感じさせる」。穏やかな文章の中から、”これは霊木を使った特別な尊像であるにちがいない!!”という叫び声が聴こえてくる! 右肩がでこぼこしてるのは、もともとそこから枝が生えていたからではないか、という説明に悶絶しそうになったので、私も霊木仏に魅せられる人間であると改めて自覚した次第(笑)。
 蓮花寺の地蔵菩薩立像は、数年前に大阪市立美術館の展覧会で拝観して以来、ずっと忘れられずにいた。その時も感動で震えた。本展で再会が叶ったうえに、丁寧な解説で勉強になった。
 入館無料。展示解説(図録)200円。

※写真は図録より

【展覧会】アジアの女神たち(龍谷ミュージアム)~弁才天の複雑なルーツに興奮!~

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アジアの女神たち
2021年9月18日(土)~ 11月23日(火・祝)
龍谷ミュージアム

展覧会の構成

 10月半ばに前期展示を大変興味深く鑑賞した。展覧会の構成は以下のとおり(公式HPより引用)。

第1章 太古の地母神とその末裔
 メソポタミアや日本の土偶、神話に登場する女神たちを紹介します。
第2章 インドの地母神からヤクシーへ
 インドの土偶の変化と、聖樹に棲む精霊たちの登場に焦点を当てます。
第3章 インドの女神たちと仏教
 ラクシュミーと吉祥天、ハーリーティー鬼子母神など、仏教に取り入れられた女神を紹介します。
第4章 『デーヴィー・マーハートミヤ』と大女神
 インドの女神信仰の根本聖典とも言える文献に登場する恐ろしき戦闘女神と、弁才天の関係を詳しく取り上げます。
第5章 観音になった女神 ―性を超えた聖―
 男性であった観音が、女性的な変容を遂げる流れを見ていきます。

弁才天はルーツがひとつではなかったー!

 私は第3章以降が特に興味深かった。インドの女神が日本の弁才天や吉祥天、観音菩薩として受容(?)されるという内容で、とても難しいのだが、おもしろい。海外からの視点で日本の仏像を見るということはとても新鮮だった!
 特に興味をもったのが、琵琶を持つ弁才天と八臂の弁才天はそのルーツが異なる(サラスヴァティードゥルガー)という説明だった。
 日本で弁才天といえば、琵琶を抱えた技芸の女神としての優しいお姿と、八臂に武器を持つ凛々しいお姿とがあるが(たとえば、神奈川の江島神社などに作例が残る)、琵琶を持つ弁才天のルーツが『リグ・ヴェーダ』に登場するサラスヴァティーであり、八臂の弁才天のルーツはインドの戦闘の女神ドゥルガーにあるのだそうだ。八臂弁才天はさらに宇賀神(とぐろを巻いた蛇のお姿)と習合し、独自の尊容となる。おもしろい!
 ラクシュミーは吉祥天に、ハーリーティー鬼子母神となったのだが、弁才天はこのような一対一の対応では済まなかった! もっと複雑なのだ。

インド女神たちと仏教/観音になった女神

 インド女神が日本に来てどのように変容したのか。自分のメモよりリスト化して載せておく(なにぶん素人なので、間違いがあったら教えてください)。

インド女神たちと仏教
ラクシュミー(財宝の女神、ヴィシュヌ神の妃) → 吉祥天(功徳天)
〇ハーリーティー(訶梨帝母) → 鬼子母神
〇『リグ・ヴェーダ』に登場するサラスヴァティー → 琵琶を奏でる弁才天
〇インド女神信仰の根本聖典『デーヴィー・マーハートミヤ』に登場する戦闘の女神ドゥルガー → 八臂の弁才天(→宇賀神と習合)
〇ダキニー → 荼枳尼天
ドゥルガー → 准胝観音菩薩(多臂なので)

観音になった女神(性を超えた聖)
〇ターラー女神 → 多羅菩薩
〇チェンダー → 准胝観音菩薩
〇パンダラー女神 → 白衣観音菩薩
〇媽祖が観音と混交し、女性化すると → 魚藍観音菩薩

主な仏像展示

東大寺の訶梨帝母坐像(二月堂の参籠所食堂内に安置される現存最古の訶梨帝母坐像)(※写真は森本公穣さんTwitterより)

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東大寺二月堂下の食堂にまつられる訶梨帝母坐像(重文)

〇京都泉涌寺准胝観音菩薩坐像(17世紀)
龍王が支える蓮華座に坐す。一面三目十臂の准胝観音

〇京都仁和寺白衣観音坐像(中国南宋13世紀)

宝厳寺(滋賀)の弁才天坐像(重清・作、室町・弘治3年(1557))
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薬師寺(奈良)の吉祥天立像」(重文)
16世紀の作で、戦いの道具のほか、宝珠など福徳の象徴も手に持ち、さらに、頭上に宇賀神を抱いた、3ルーツミックス型のお姿なのだそうだ(※解説動画より)
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 上記のように、とても興味のそそられる展覧会だった。90分間の予定で訪れたのだが、あっという間に時間が過ぎた。会場で必死にメモを取っていたら、係の方がそっと近づいてきて「もうすぐ閉館時間でーす」と。やむなく退散したのだった。

 なお、今、この記事を書くにあたり、改めて公式HPをのぞいたところ、図録が売り切れていた。。。もはや古書を探すしかない。。。
 ご参考までに、以下に公式情報を貼っておく。特に、YouTube解説動画が詳しくて勉強になる。

【展覧会案内】

〇公式サイト
秋季特別展「アジアの女神たち」|龍谷ミュージアム
龍谷ミュージアム「アジアの女神たち」解説動画(詳しく勉強したいかたはぜひ!)
youtu.be
〇フライヤー
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【京都】智福院で秘仏五劫思惟阿弥陀仏の初公開〜月の光と五劫〜

智福院(京都市)五劫思惟阿弥陀仏の初公開

公開期間=2021.11.6-12.5

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 永観堂の入り口にある智福院で、五劫思惟阿弥陀如来坐像が初公開。この絵のように、お腹の前で両手を隠しており、奈良の五劫院の本尊様を小さくしたような感じだった。間近で見上げると、口をキュッと結んださまが幼子のようにも見え、可愛らしかった。

 初公開のきっかけは、五劫思惟阿弥陀仏のお厨子が新調されたことによる。新しいお厨子の扉には、月の満ち欠けが描かれ、五劫という時の流れが表現されていた。月齢の1サイクルは五劫思惟よりだいぶ短いのだが、そのサイクルが積み重なることにより、いつか五劫という長い年月になる。私はそれを美しいと思った。

 そして、月つながりで、堂内には静かにドビュッシーの「月の光」が流れていた。智福院の前は紅葉の永観堂に並ぶ人だかりで、案内係の声などでざわついていたが、智福院の中は本当に静かに時が流れていた。

 五劫思惟阿弥陀仏の近く、お位牌の並ぶところに古い観音菩薩立像があり、伺ったところ平安仏だという文化財未指定だそうだ。京都には、まだまだ古仏が人知れず潜んでおられるのだろう。

 ご本尊の阿弥陀如来坐像は像高2メートル弱ぐらいだろうか。気品あふれる尊容から藤末鎌初かと思ったが、お寺の方に伺ったところ、江戸時代のものだという。光背の千体仏も見事だった。そして、ドビュッシーがとても似合っていた。

 そういう訳で、最近「月の光」を繰り返し聴いている。お寺とクラッシック音楽は実はとてもよく合うのでは。

拝観案内

智福院
〒606-8445 京都市左京区永観堂町41
TEL 075-771-1829

参考資料

1) KBS京都のニュース
京都・智福院で「アフロ仏」初公開www.kbs-kyoto.co.jp
2) 智福院で配布された資料

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A5ぐらいのサイズの表と裏。素敵なチケット兼拝観案内だった!

【山梨県】円光院(甲府市)刀八毘沙門天及び勝軍地蔵像とご本尊釈迦如来坐像


円光院(山梨県甲府市)特別公開

 甲府五山の一つで、武田信玄正室三条夫人の菩提寺である円光院で、甲府市主催の文化財公開があり、七条仏師による刀八毘沙門天と勝軍地蔵のお厨子が開かれた。普段は4月の信玄祭りの際にのみ公開される秘仏である。小さいながら、匠の技がぎゅっと詰まった見事なお像だった。そして、鎌倉後期のご本尊釈迦如来坐像にも惹かれた。

木造刀八毘沙門天及び勝軍地蔵像(山梨県指定有形文化財

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匠の技がぎゅっと詰まっている!

 武田信玄躑躅ヶ崎館内の毘沙門堂にまつり、行軍の際にも持ち運んで、日々祈りを捧げたとされる尊像。像高は毘沙門天が32.5cm、勝軍地蔵が34.0cmと小さく、一つの厨子に並んで安置される。信玄の遺言により、三条夫人の菩提寺である円光院に贈られた。
 木造、切金、彩色、玉眼嵌入。刀八毘沙門天は正面と左右に複雑な忿怒形の顔をもち、さらに頭部に菩薩形の頭部を載せる。10本の腕のすべてに刀を握り、青い獅子に乗る。勝軍地蔵は精悍で静かなご尊顔。鎧兜に袈裟をかけ、白い馬に乗る。刀八毘沙門天、勝軍地黄はともに彩色はなく、素地で、衣や鎧に截金を施す。非常に精巧な作りで、小像ながら迫力がある。近くで見ると、截金が繊細で美しい。刀八でありながら、10の腕すべてに刀を持たせている点にもスペシャル感があり、信玄の強い思いを感じる。
 京都七条仏所の仏師康清(こうせい)の作とされる。ちなみに、恵林寺甲州市塩山)の不動明王坐像(いわゆる武田不動)は今年の調査で墨書が見つかり、康清の弟、康住の作と判明している(詳しくはこちら)。どちらも信玄が同じ工房に発注したということなのだろうか。
 また、康清の作例としては、同じ山梨県清水寺(山梨市)に、木造勝軍地蔵騎馬像(県指定文化財)がある。円光院の勝軍地蔵像とほぼ同じサイズだ。また、大徳寺総見院京都市)の木造織田信長坐像(重要文化財)も康清の作とされる。総見院豊臣秀吉が信長の菩提を弔うために建てた寺で、この織田信長像は信長の一周忌に造立されたものと考えられる。ちなみに、信長像は当初2体造られ、1体は遺体の代わりに棺に入れて焼かれたのだとか。戦国時代のこの激しい感じ、私はなかなかついていけない。信玄や秀吉をクライアントに抱えていたであろう康清さんの気苦労がしのばれる。

本尊釈迦如来坐像(鎌倉後期、文化財未指定)

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玄関に掲げられたご本尊様の写真。許可を得て撮影

 円光院のご本尊は50-60cm(私の目視)の釈迦如来坐像市の方に伺ったところ、鎌倉後期で、円派の作風に近いとされるのだとか。三条夫人が嫁入りの際に京都から持ってきた可能性が考えられるのだそう。
 文化財の指定を受けていないためか、今回の特別公開では一切言及されなかった。しかし、仏像好きおばちゃんのハートは射抜かれてしまったのだった。

拝観案内

瑞巌山円光院(臨済宗妙心寺派
〒400-0013 山梨県甲府市岩窪町500 Tel. 055-253-8144
境内に三条夫人の墓所があり、上記ご本尊の隣に立派な位牌も安置される。また、近くに信玄の墓所もある。
www16.plala.or.jp

資料

境内にある解説の看板
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【山梨県】塩澤寺(甲府市)石造地蔵菩薩坐像

厄除地蔵尊福田山塩澤寺(山梨県甲斐市
石造地蔵菩薩坐像(県指定有形文化財

塩沢寺地蔵菩薩坐像。堂外から覗き込むとその威容に驚きます
地蔵堂南アルプス。↓の辺りに加牟那塚古墳が見える。古墳の多発地帯に温泉に弘法大師

 思いかけず珍しい仏像に出会ってしまった。

 弘法大師が開湯したとされる甲府湯村温泉郷に、真言宗塩沢寺(えんたくじ)はある。決して大きくはないこの寺の寺伝には、二人のビッグネームがその名を連ねる。

 最初の一人はまさしく弘法大師。大同3年(808)、弘法大師がこの地で感得した6寸の地蔵菩薩坐像を自ら刻んだとされる。今は小さな厨子に収められ、秘仏となっている。

 もう一人が空也上人。天歴9年(955)に当地を訪れ、6尺有余の地蔵菩薩坐像をまつったとされる。

 この空也上人の地蔵菩薩像は開扉仏と呼ばれ、堂外からお姿を拝むことができる。像高約150cm、室町時代の作で県指定文化財。堂外からそっと覗き込むと、その威容に息をのんだ。
 一見普通の地蔵菩薩なのだが、調べてみると、相当変わっているようだ。石造仏なのだが、衣文には乾漆を加え、肉身部は漆箔。しかも、両手先と左足先は木を差し込んでいるという。
 さらに、この地蔵菩薩像は自然石の上に置かれた台座に坐すことから、現在の地蔵堂(重文)は地蔵菩薩像の覆屋として造られたのだとか。もろもろ普通ではない。

 この開扉仏は、毎年2月13日正午から翌14日正午まで「厄除地蔵尊大祭」の際、堂内で拝観できるそうだ。ぜひその際にお参りしたい。

【拝観案内】
厄除地蔵尊福田山塩澤寺
〒400-0073 山梨県甲府市湯村3-17-2
055-252-8556